いつだって死にたいと思って生きている

 学校帰り、久々にオーナーの店に寄った。部活もあって最近は甘いものを摂取していなかった。嫌われたけど、そんな時こそスイーツだと思う。いや、思おう!だって、思い出したくないもん。
 だけど、近くに寄ったらやっぱりやめようかと思った。どんな顔して入ればいいか忘れてしまった。好きな人がいることをオーナーに知られたら……。
 やっぱりやめよう。
「あら、七海ちゃん!」
 オーナーの声だ。
「ど、どうも」
「最近、来ないから心配したのよー。どう?寄ってく?」
 髪の毛をくしゃくしゃにしながら聞いてくる。
「いや……」
「甘いのでも飲んでく?おまけしちゃうよ?」
 ……おまけ。
「うん」
「どうぞどうぞ。入って」
 口車にはめられて、店に入る。やっぱり、今日も人がいない。ここの経営は大丈夫なのだろうか。
「あの、ここって人来るんですか?」
「え?」
「失礼だとは思うんですけど。そのいつも人が来ないなあって」
「時間の問題だよ。人が来ないのはこの時間は本来やってないから。いつも昼間なんだよね」
「……え?」
「たまに、夕方もやってるからね。空いてるときは空けてるし」
「それって」
「個人事業主だから自由なの。たまにやることで特別感出るでしょ?それを狙ってるの」
「で、でも、私が来るときは」
「看板見てないでしょー?いつもはクローズってドアに書いてあるんだよね」
「さ、最初きたときは」
「あの日は、空いてたよ。だけど、次の日くらいから普通に入ってきてびっくりした。まあ、沢山買うしおいしそうに食べるし、問題ないかなあって」
「……な、なんか恥ずかしい」
 顔が赤くなるのを感じる。
「さ、何か食べたいものある?」
「ほんとにいいんですか?」
「もちろん」
「……じゃあ、これ」
「その辺の席座ってて。もってくから」
 まさか、気にせずに入ってしまっていたとは。もしかして、いつも気づかずに入っていた可能性も。恥ずかしさこの上ない。
 経営が悪くならないのは昼間にたくさんの人が来ているから。なら、今度は昼間に行こうかな。
 その時は、深山君も……。
 だめか。嫌われちゃったし。あんなに拒絶されたのは初めてだし、ショックだし、悲しいし。
「はい、どうぞ!」
「ありがとうございます」
 飲み物は甘かった。たぶん、カフェオレの砂糖を多めにしてくれてるんだ。
「甘々ぁ!」
「でしょ」
 こんな時でも、ケーキはおいしく感じた。前は、味がしなかったのにどうしてだろうか。
 いつもと同じスピードでケーキを平らげた。おいしい。
「ごちそうさまです!」
「いえいえ」
「おいしかったです!」
 感謝を伝えた。
「……ねえ、何かあった?」
「え?」
「いつもと違う気がして」
「あ、いや、それはその……」
 言うべきだろうか。オーナーに、言ってしまっていいだろうか。……言いたい。
「わかっちゃいます?」
「ほぼ毎日来てたからね。わかるよ」
「……実は、同じクラスの人に嫌われちゃっったかもしれなくて」
「好きな人?」
「……」
「それで」
「……その、演劇部なんですけど、初めて演技に挑戦して。脚本も書かせてもらって。なのに、きれいごとは嫌いだって、意地悪なこと言われて、本人は本心だって言うんです。それで、嫌われたかもって。思いたくないけど、思っちゃって」
「最近、来なかったのは部活だったからかあ。頑張ったね」
 なんでだろう、すごく泣きそう。
「その人、夏休みの最後に飛び降りて。それからずっと入院してて。生きてほしいからああいう脚本を書いたのに」
「……」
「一か月間、ずっと昏睡状態で。それからは、リハビリもしているらしいんですけど」
「その子ってさ、深山、って苗字?」
「え、はい。そうですけど、なんでオーナーが?」
「深山海利だよね?」
「はい」
「海利と会ってるの?」
「……はい」
「どうして?いや、どうやって?面会謝絶で、斗真もダメだったのに」
「あの、なんでそのことを?」
 弟さんの名前まで。
「親、だから。海利の母親だから」
「……え!?」
 オーナーが、母親?嘘?タイミングのおかしな冗談とか?頭が真っ白だ。
「ほんとは、あなたが海利と同じ高校の制服を着てたから許したところもあって。もしかしたら、海利のことも聞けるかもって」
 それで仲良くしてくれたとか?それ以上の感情は一切ないとか?
「あなた、海利のこと好きだったのね」
「……バレるなんて」
 微笑ましそうに見てくる。
「恥ずかしい話だけど、離婚してからずっとバイトするって海利が言ってたから恋愛とは無縁の高校生活を送るのかもって考えてたから正直、嬉しいわ」
「……深山君は、旧姓ですか?」
 ふと気になった。似た面影を感じる人は四宮だった。少し気になっているところだった。
「いや、今の姓よ。昔は、四宮。中学時代の友達は高校進学とともに伝えたらしいから、深山で通ってるかも」
「え、今、四宮って」
「うん、そうよ」
「その人に、会ったかもしれないです」
 慌ててもらった名刺を机に置く。
「この人、四宮って言ってて。病室を聞かれて。心理カウンセラーだって言うし、苗字も違うから教えちゃったんです。もしかしたら……」
 その人が、深山君の父親で接触した可能性がある。
「大丈夫よ。四宮なんて苗字、沢山いるから」
 でも、もしも。
「あのね、お願いしたいことがあるの」
「……お願い?」
「私ね海利のこと、見たつもりになってたって思うの。いつも、彼は何も言わない。だから、毎回味方になったような発言ばっかりしてた。海利はね、きっとこう思ってるの。自分のせいで離婚したんだって。でも違う。本当は、私がスイーツの店を作ることでよくケンカしてたの。リスクもあるし、子供のことはどうするんだって怒ってて。いつも喧嘩しててそれを海利が見てた。だから、怒らせたのかもって思った日が多かったかもしれない。あの人は、海利のことを嫌ってたから。海利がいい成績を収めないからって怒ってて。姉と弟がいるんだけどその二人は運動ができたりでよかったんだけど。海利は、喧嘩の起爆剤みたいになっちゃったの。
 だから、お願いしたいの。私が海利に謝る時間が欲しいの。兄弟間のことは斗真に託して、ちゃんと向き合わなかったから海利を追い詰めた。この仕事で売り上げを出していることを伝えてなかったから。海利がバイトに時間を当てたり、家事も全部こなそうとしたり、母代わりに全部任せてしまっていたから」
 深山君の環境はすごくつらい場所だと心底思う。弟君は、自分勝手に受験のストレスをぶつけて。お姉さんは、家事を協力することは一切ないらしくて。オーナーは、深山君の前で怒ったり、言うべきことを子供に伝えなかった。父親は、深山君を嫌って存在そのものを否定した。
 学校もそうだ。藤川がいじめて、クラスは見て見ぬふりをして。
 もし、こんな環境なら私はどうやって生活しただろう。彼のように死を選んだだろうか。彼のように人とのかかわりを拒んだだろうか。
 きっと私も死を選ぶ。
 深山君の言うきれいごとの意味が分かった気がする。何も知らないで人を慰めようとするなって言いたいんだ。今の私もきっと氷山の一角しかしらない。それでも、今なら言えることがある。言いたいことがある。
 彼の気持ちを少しは軽くできるとかそんな保証なんかない。だけど、彼の傍に寄り添えるとは思うんだ。
 彼はもう、脇役じゃなくていい。主人公であっていい。彼らしく生きてくれればいい。
 深山君がこれ以上、自分を苦しめないように。
 体が動かない。動かしたくない。蹴られたせいで、体が痛いのもある。昼間には引いてきたけど、それでも痛いし、あの出来事は忘れられない。
 結局、僕は家族を壊した張本人。親泣かせの子供。何のとりえもない人間。誰からも一番だと思われないし、愛されてもいない。
 三島ナースは、あれ以降あまりしゃべらなくなった。僕も気まずくて話せていない。話す気力はない。
 眠ることもできずに、ずっと目が冴えた状態で暗い病室で何も考えずにいた。
 明るくなっても窓の外を見て、だけど、看護師にバレたら大変だから近寄ることはせず。
 三島ナースにバレていなければ、今日の朝にでも死んでやろうと思ったのに。三島ナースの蛇のような監視に蛙は怯む。
 ああ、なんだか、すっごい疲れたな。一か月も昏睡状態でなぜだか目が覚めて。なのに、状況は悪化していて。させていて。こんなやつになぜみんな絡んでくるのか。
 バイト先の店長だってまた落ち着いたらバイトに来てくれたら嬉しいと優しい言葉をかけてくれた。スタッフもわざわざ連絡をくれた。なぜ、優しい言葉を聞くとここまで心が荒むのか。
 あの演劇だって僕に向けて書いたわけでもなければ、ただの創作で。それを僕が否定するなんてありえないはずだ。
 結局、あれは早川の嘘で受賞はしていたと中野から聞いた。
 人の優しさを拒絶する僕は、最低で最悪な敵なんだ。


 夏休みの終わり。家の中。そろそろ出かけようと準備していたころ。ワックスをつけてあとは浴衣を着るだけ。早川さんは楽しみにしていた。連絡のやり取りも楽しそうに見えたし、今か今かと待っているようにも見える。
 僕も楽しみだ。早川さんと見る花火はどんなものだろう。早川さんはどんな横顔で花火を見ているのだろう。どんな仕草をするんだろう。どんな笑顔を見せてくれるんだろう。どんな顔で僕に会ってくれるんだろう。
 考えれば考えるほど、僕はこの気持ちを隠そうともした。だけど、それ以上にこれから起こる楽しみに思いを募らせた。
 母親は、今日も帰ってこない。いつも夜遅くまで何かしてケーキやら何やらを持ってきては食べようなんて言い出して腹が立つ。いつもいつも夜遅くまで何をしているのか。どっかほかの男と遊んでいるのだろうか。しかしそうは見えない。というか、実の母をそんな風に見たくない。まあいい。どうせ、僕がバイトしてお金をためれば最低でも食費も水道光熱費も払えるはずだ。家賃はいくらかわからない。一度も教えてくれたことはない。無理しなくていいというが、何をしているか知らない相手に何を聞けるのか。もしかしたら、裏ルートで入手した家だったのでは?なんて、考えたこともあったけど、あの顔で裏社会とつながってたら流石に引く。そんな顔じゃないし、今まで家にいた人がどうやってつながるというのか。平日に何をしているかまでは知らないけど。
 バイトも今日という今日の日は休ませてもらった。どうしても花火を見に行きたいと、まるで花火マニアのようなレッテルを貼られそうだけれど、早川さんと見に行きたいのだ。
 今まで、苦労してきた。斗真のストレスのサンドバックになったり、家事をしたり、学校でダーツの矢を腕と腹に刺されたり。腹はだいぶ深くまで入っていると保健室の先生に言われて大変だったけど。そのせいで、中学時代の友人である海と悠馬に迷惑をかけてしまったわけで。きっと気づいているだろうけど気づかないふりをしてくれたに違いない。
 それらの今日はご褒美だ。早川さんと花火を見に行くという日だ。今まで、学校のことや家庭のことを深く考えないようにして来て正解だった。やっぱり神様は見てくれる。神様は僕の味方だ。もしかしたら、早川さんと……。
 妄想は膨らんでいった。
 浴衣を探して見つけ出したころでインターホンが鳴った。今日は、誰もこの時間に帰ってこない。斗真は図書館で時間をつぶすって言ってたし、姉は彼氏の家に泊りに行くんだとか。母親は知らん。どうせ、夜まで帰ってこない。まさか、早い帰宅なのか?
「はい」
「宅配便です」
 インターホンにモニターがないため、玄関に向かう。
「……はい」
 宅配便など頼んだだろうか。そんな覚えない。斗真だってそんなことしてる暇ないんだよと怒りそうだし。母親が何か買ったとか?金ないのに?
 不審に思いながらも鍵を開けた。
「久しぶり」
 ドアを開けっぱなしにしてそこに壁のように立ちはだかったのは父親だった。
「……っ!」
 わけもわからずドアを閉めようとしても、大人の力には勝てないのかドアを乱暴に開けられ、家の中に入られた。
「ここにいたんだね。探したよ」
 玄関に入られたことで狭くなり、床にしりもちをついていた僕は、父親がいつもより大きく見えて声がでない。体も動かなかった。
 なんでこの場所に父親がいるんだ。父親の家より離れたこの場所がバレないはず。僕のせいで離婚したからせめてもの細心の注意を払ったというのに。
 違う。今はそれを考えている場合じゃない。母親がもしもこのタイミングで帰ってきたら最悪だ。僕のせいでバレた。また喧嘩を始めたらどうするつもりなんだ。
「ここが今住んでる家かぁ」
 土足でマンション内を物色し始めた。
「ちょっと!」
「へー、冷蔵庫はこれ使ってるんだ。食材もまあまああるね。期限もしっかり守ってるみたいだし」
「な、何してんだ。帰ってくれ」
「これは、父さんの家から盗っていった炊飯器とポットだね」
「帰ってくれ」
 僕の言うことなんか一切聞かずに斗真の使ってる部屋に入っていった。
「やめてくれ!」
「ここは、誰が使ってるの?もしかして、海利?だとしたら、ここはいらないだろ。勉強してもいい成績はとれないんだ」
「……ここは斗真の部屋」
「…………おお、そうか!そうだよな!危ない危ない。いらない部屋だと誤認してしまっていたよ。斗真なら勉強もできるし必要だね!」
 それから止まることなく僕の部屋に入った。
「なんだこの質素な部屋は。この浴衣は?男性用だよな。誰が使うの?」
「……帰ってくれ」
「誰が使うか聞いてんだ!」
 怒鳴り声をあげられ、僕はひるんでしまった。
「聞こえてないのか?だから、勉強もろくにできないんだろうが!」
 顔面を殴られ、よろけてしまった。
「これ、お前の部屋だろ。何もないのはお前の特徴だ。だけど、服とかこれいつ買ったんだ?父さんが選んであげた服は着てないのか?今も着てないな。ここに畳んである服は新調したのか。これ、お前の趣味か?お前、服に興味持ち始めたのか?」
 どこかあざ笑うようだった。
「いらないいらない。海利は、勉強できないんです。なのに、大学に行こうなんて考えてないよね?就職だよ?就職して、その給料を俺に渡す。離婚させたのはお前だ。その慰謝料をこれからの給料で許してやるんだ。十分だろう」
「……」
「それに、その髪型はなんだ。目にかかるような髪の長さはダメだとあれほど言ったじゃないか。なぜ、目にかかってるんだ。ワックスまでつけて……」
 ひらめいたような顔して、そのあとで蔑むような目で。
「わかった。好きな人でもいるのか?お前みたいな存在が、また誰かを好きになったのか。それで、服も買って、ワックスまでつけたのか。何もできない人がそうやって努力している姿を世間でなんて言うか知ってる?……滑稽、ていうんだよ」
 僕の頭はもう真っ白だった。
 早川さんと花火が見れる楽しみから、父親に会った絶望や恐怖へと変化していった。
「こんな服も着る必要ない。身の丈に合ってない。この小説たちもお前に読まれて可哀そうだ。このラケットもいつまで持ってる?もう運動部にすら入ってないんだろう。だったら、こんなものいらないじゃないか」
 中学時代、ずっと部活で使ってたラケットで小説を置いていた棚も服も机も叩いて壊していく。ラケットも消耗品だからどんどん壊れていった。見るも無残な姿にこの部屋は変わり果てた。荒れた海のようだ。
「……ああ」
「お前のせいでこの家族は壊れた。そのことを忘れるなよ」
 髪の毛を引っ掴んで目を射抜くような視線で告げられた。
「……じゃあ、どうしろって言うんだよ。……家事もしてる。バイトだってして生活できるようにしてる。母親が何をしているかなんて知らない。だから、必死にバイトしているんだ。少しくらい僕に娯楽があったっていいじゃないかっ。……何がだめなんだ。僕なりに罪を償っているつもりなのに」
「罪?バカなの?あのね、罪を感じるなら裁かれて刑を全うする。そうだなぁ、ここから飛び降りればいいじゃん。そしたら、償いにも似た気持ちになる。一生罪を感じない。罪人として生きることもない。お前みたいなやつはね、この先なにをしても迷惑なの。邪魔なの。ここから消えてくれることが一番の正解なの」
 一番の正解。
 今まで考えないようにしていたものが溢れてきた。死にたかった。消えたかった。この苦しい環境から消えたかった。
 自分さえいなければ。自分がもっといい人であれば。自分が何かできる人間であったら。
 もしも、死ねたら。もしも、生きなくていいなら。もしも、ここから消えることができたら。
 思いたくないから、今まで言わずに隠しながら生きてきた。忘れるようにバイトもした。
 父親は出て行った。
 恋なんてするもんじゃない。しない方がいい。してはいけない側の人間だった。今、それに気づけた。
 ベランダの柵に座って自分の部屋を見る。
 汚い。僕の心を見せているみたいだ。こんなにも僕は汚かったんだ。
 確かに、もうこんなことしなくていいのかもしれない。学校でいじめられることも、家庭を考えることも。サンドバックにされることも。
 いつの間にか花火の音が鳴った。早川さんから連絡があったから遅くなるのは知っていたけど。
「ああ、こんなんじゃ会うのもきつい……。もう誰にも会いたくない……」
 それから、確実に死ねるように頭から落ちたつもりだった。


 人に会うことがこんなにもリスクなら会わない方がいい。
 だから、こうやって人と距離をとって生きて来たのに。
 まるで何もかもが終わってる。
 早川を傷つけて、父親に罵倒されて。
 死ねる場所はあるのに、看護師の監視によってできない状況が続いている。
 どうして、こんなところに居続けるのか。
 もうわからない。どうせ、いつかは死ぬんだ。早くこんな地獄から消えてしまいたい。
 あれから父親が来ることはなかった。
 リスクを負ってここに来たから、それ以上のリスクを背負おうとはしないのだろう。
 こんなにも嫌われ調子ならやはりここに存在する意味はないんだ。
 生きていてよかったことなんてない。もう終わりにしよう。
 やる気もないリハビリをして、少しずつ体が動くようになった頃、退院が決まった。
 無に等しいほどの感情の薄さ。
 それでもやってくる中野。
「へいへい、退院おめおめ」
 感情の差に風邪をひきそう。
「早川は来ないよ。お前、傷つけたし」
「……わかってる」
「来て欲しかったか?」
「別に」
「……お前さ、今、何考えてる?」
 僕の表情を見て静かに問う。
「何もないよ」
 死にたい以外の感情は何一つなかった。
「そうか。学校どうする?」
 今日この後から学校に行くのかどうか聞いている。行くわけがない。
「帰るよ」
 家に帰って、マンションの最上階から屋上を不法侵入でもして飛び降りる。
 少しでも高いところから飛び降りればなんとか死ねるだろう。
「そう。じゃあ、また後で遊ぶか」
「帰るって言ったんだよ」
「……うわ」
「なんだよ」
「じゃ、まぁ、明日だな」
 今日だけは家に迎えにくる母親の車に乗って帰路に着く。
 それまでの時間、話すことは何一つなかった。
 部屋は片付いていて綺麗だった。
 まるで澄んだ海が広がっている様子。空虚がそこにはあった。
 捨てるものもないのだ。
 必要最低限のものしかこの部屋にはない。
 もしも必要だと思うものがあってもどれも今更だと言って捨ててしまうだろう。
 これくらいだったら捨ててしまおうか。
 あたりを見渡し、服の処分から始めることにした。
 視界の端に映った棚。
 おかしい、これは父親に壊されて使い物にならなくなっていたはずなのに綺麗だ。
 少し違う棚の色。ただ本は納まっている。
 考えてみれば、父親に荒らされたはずの部屋が綺麗なのは変だ。
 誰かが綺麗にしていた?
 いや、そんなバカなことあるわけない。
 きっと少しの記憶障害か幻覚だ。
 何もかも捨てよう。
 未練もないのだ。
 この命をさっさと終わらせる。
「少し出かけるけど、どこか行く?」
 母親の提案に首を横にふる。
「ちょっと片付けるから、行かない。それよりさ」
 仕事は?と聞こうとしてやめた。
 どうせもう人生を辞めるのだから。
 その後のことなんてどうでもいい。
 なんのために早川さんを傷つけて、中野と距離を置いたのか。
「そう?なんか買ってくるけど、何か欲しい?」
「いらないよ。必要ない」
「わかった……」
 母親は、そっと玄関を開けて買い物に出かけた。
 何もいらない。なんでそんなことを聞くのだろう。
 気を取り直すと、服を可燃ゴミの袋にぶっ込んでいく。
 夏服も冬服もいらない。コートもマフラーも全部。
 それらを全部ゴミ捨て場に持っていく。
 空っぽになったクローゼットは粗大ゴミ。捨て方がわからない。
 まぁ、この辺は処理は死んだ後に任せよう。
 小説も全部可燃ゴミに入れて、捨ててきた。
 スマホの着信に気づく。あんなこと言ったというのに早川さんから電話だ。
 こんな時に連絡が来るなんて偽善者はうざったい。
 もう一度着信が来る。それでも無視をする。いつものことだ。
 マンションのエレベーターに乗って最上階の六階に上がる。
 ふと視線を感じてあたりを見渡す。
 誰もいないので、気のせいだと屋上を目指す。階段で柵をこえて屋上を歩く。
 思ったよりも地上への距離がある。
 捨てるものも捨てた。あとは捨て方がわからないから任せる。
 リハビリのおかげで体は動くけれど、それも今日でおしまい。
 めでたしめでたしのエンドロールが今もう流れているだろう。
 一歩踏みだす。さぁ、ようやく死ぬ時が来た!
「待って!」
 その声にゾッとする。またこうも邪魔をするのか。
「やっぱりそうだ。いつも無視するくせに最後は振り向いてくれる。深山君らしいよ」
「……早川さん」
 こんな屋上によく気付けたものだ。
 いや、もしかするとあの視線は早川さんのもので電話をかけたのも時間稼ぎだったのかもしれない。
「家、知ってるからってよく来たね」
「そりゃあ、まぁ」
「あの時は会えたけど、会えてないから」
 それは、飛び降りしたところに偶然居合わせて僕は会っていないから彼女はそう言っているのだろう。
「今はもう会いたいと思ってない」
「ひどいね。最近はそれがサマになっちゃってるよ」
「嫌いになってもおかしくないんだけど」
「それは嫌いになってほしくない裏返し?」
「違うね」
「そっか。飛び降り自殺の邪魔になっちゃうもんね」
 彼女は、当たり前に隣に来て僕を見やる。
「ね、こんなことしてあなたは助かるの?あなたの思いは報われるの?」
 簡単な質問だった。
「自殺ってね、報いがあるんだよ。やっと死ねるっていう報いが。それ以上を望んでない」
「もっとこんなことがしたい、あんなことがしたいってないの?」
「ない。疲れた……。この世の中みんながみんなそんな生き方してないよ」
「私はあなたと話しているのに、世の中の話をしないでくれる?」
「……邪魔だ」
 何も早川さんの前で死ぬつもりはない。どうして邪魔をするのだろう。
「僕は、この世界に必要なかった。この世界はさ、世間体ばかりで許す時代が来たはずなのに実際は何も許されてない」
 男と付き合ったくらいで、ちょっと仲良くなったくらいで。いじめや話題の的になり得る。
「理解あるって言葉が使われるようになってから、理解してない人ばかりで、それに縋るつもりなんかないけど、でもみんな否定する。誰が、僕を許すんだ。そんな環境で誰が許す?誰も許してないから、人をハブいて嫌って逃げ出す」
 嫌いとも好きとも言わない人たちが、僕が刺された途端逃げ出した。
 助けるでもやりすぎとも思わずに。
「人が生きていることなんて求めてないだろ……。求められることなんてない。自分の存在なんて必要ない」
「…………あなたを初めて見た時、あなたの表情に惹かれた」
 なんの話だと彼女の目を見る。
 いつもの明るさはそこになくて、代わりにあったのはいつからか僕が当たり前にしていた目がそこにはあった。
「気づいたの。私と同じだなって」
「……」
 『無』だ。何もない。全ての感情が消えたよう。
 僕は人前でそんな顔をしていたのか。
 鏡でよく見ていた虚無な眼を彼女は僕に見せていた。
「なんで……、どういう……」
 他にも同じ思いをしている人がいるだなんて初めて知った。
 ならば、彼女も僕と同じで家庭に問題があって邪魔者扱いされて、学校でも嫌われるようなそんな扱いを受けていたのではないだろうか。
「私ね、中学の時にいじめられてた。死にたいって思うこともあったよ。優しくしてくれた人がいたんだけどね、嫌われちゃって。それから学校に行けなくなって……、親に伝えたら転校させてくれることになった。中学三年生の時に」
「……そうだったのか」
「そのいじめがひどくて、トラウマで。食べることが好きだったんだけど、それ以降、げっそりしちゃってさ。そのせいでいま、こんなに痩せてる」
「相当、ショックだったのか」
「そうかもねぇ。だから、気になったの。あなたのことが」
「僕のこと?」
「そう、あなたことが気になって。同じ雰囲気を感じたから。だから、知りたくなった。知っていくうちに一緒だって思って、前向いてほしくて、演劇で表に立とうって決めて、脚本書いて、舞台に出たんだけど」
 ダメだったと悲しそうに笑う。
「なんでいじめなんて起きちゃうんだろうね。私たちが悪いからなのかな」
「……邪魔者なんだよ。いなくても困らない存在ってあるんだよ。どうせ誰かが代わりにいて、そいつの方が僕より良くて、存在価値がある。不必要なんだよ、僕みたいなやつは」
 でも、と続ける。
「早川さんは必要な存在だと思う。大切でどこかで頼られる。あなたは優しい人だから」
 目を正面に向けて、一歩外に近づく。
「興味を持つのは、とてもいいことだと思う。僕と似ているなんて可哀想だけど。でも、僕もきっと早川さんと同じ立場なら調べたくなるような変なやつだよ」
 最後に。
「受賞おめでとう。君の作品が誰かに届くことを願ってる」
 彼女は自殺を感じ取ったのか腕を掴もうと飛び出す。しかし、突き飛ばして尻餅をつかせた刹那に飛び降りた。
 僕を見ないうちに死ねたほうがいいと思った。
 地面には誰もいない。
 死ねば報われる。
 きっとこの先、生きていても居場所はない。
 彼女のように報われると思いながら生き続けることは僕にとって辛いことだった。
 いつまで生きていなければいけないのか。
 いつまで死を考えながら生きていくのか。
 耐えられない。
 終わりのない生に、問いに悩まされる日々など地獄だ。
 死んだ方がマシ、僕の生きるその先に光はない。未来はない。荒れた海が残した惨状を綺麗にするまでにどれくらいかかると思ってる。
 一度でも荒れてしまうともう元には戻れない。生きている以上、戻せない。
 死んだ後で変わっていくのだ。
 死んでから光が見えるのだ。
 もうこの先に未来なんてなくていい。ほしくないのだ。
 親も兄弟も友人も。
 最初からない方が楽に死ねた。
 思い出を残す恐怖と共に生きなくていい。
 こんな些細なことのために生き続けたくない。
 小さな幸せに用はない。死にたいだけなんだ。
 もう終わりにしてください。神様。
 こんな時だけ頼るのはおかしいか。
 それでももう、死ぬことはわかってた。
 頭から何かが溢れていくのを感じる。血が流れているのだろうか。
 誰かの声が聞こえる。邪魔だ。
 うるさい。
 静かにしてくれ。
 安らかな場所に行かせてくれ。
 視界が真っ暗になる。
 声が届かなくなる。
 誰かが叫んでいるはず。
 聞こえない。
 届いてない。
 うるさくない。
 騒がしくない。
 静かだ。
 眠れる。
 笑みが溢れる。
 久しぶりに笑った。
 これが嬉しいということか。
 懐かしさを覚える。
 いつかこの感情が当たり前にあった日々。
 いつの間にか消えた感情。
 やっと取り戻せたかもしれない。
 なんだか報われた気がした。
 安らかに眠りについた。
 警察、家族、先生に事情を聞かれた。
 ふざけたことに、教室には出入り禁止だった。俺は、警察に毎日のように何もしていない話を聞かせたり、先生にはいじめたのかどうか真偽を聞かれたり。家族にはそんなことしないよねと縋るようで。
 何より、最悪なのは、深山が自殺を図ったことでその近くにいたやつらがいじめだと証言したことだ。
 いじめによって人が自殺未遂をした。これだけで、俺は警察にもやたら話を聞かされるのだ。
 ふざけるな。これで、家族からの評価が下がったらどうするつもりだ。
 いまだって、親には真偽を聞かれる。ほんとにやってないのか、だったら、なんで警察が事情を聴くのか、なんでクラスはいじめだと言ったのか。
 わけがわからん。俺はただ楽しませてもらっただけじゃないか。深山を使うことで楽しみが増えたんだ。学校に行って深山と遊ぶ。それだけで、快楽を覚えた。
 それなのに、いじめ?お前らだって見てたじゃないか。誰も止めなかっただろうが。
 母さんだって、最近は俺のことを軽蔑するような目を向ける。父さんだってそうだ。俺は、家族が好きなのに。だから、そんな目で見られるがとても苦痛で嫌だった。俺が、自殺を手助けしたとでもいうのか。俺が、殺したとでもいうのか。
 人殺しなんかじゃない。殺してすらいない。結果、自殺を図ったのはあいつだ。自殺だ。他殺なんかじゃない。俺は、何一つ関係ない。
 今日も、また学校だ。一人で行かなきゃいけない。クラスのやつらには会えない。なのに、あいつらは俺に連絡すらしない。太田だってそうだ。あいつは、連絡してくれるだろうと思っていたが今の今まで一度もしてこない。
「今まで、深山に対していじめはしていましたか?」
 よりにもよって今日は、学年主任かよ。昨日は、担任で楽だったのに、今回はダメじゃないか。
「してないです」
「ですが、生徒からはいじめがあったと聞いてます」
「そんなの誰かが俺を貶めようとしただけでしょ。なんで、俺だけ怒られるわけ?もし、いじめがあってそれが俺だとしたら、その時に止めることくらいできたでしょ。俺は、深山とは遊んでただけ。友達なら遊ぶでしょ」
「……遊ぶってどんな遊び?」
「そりゃあ、深山の好きな人の誰が好きなのかとか。それくらい」
「ダーツで腕を刺したりとかしたんだろ」
「…………それは、違うって。あれは」
「藤川はいじめがどんなものか理解してないのか?」
「だから、俺はいじめてない」
「じゃあ、なんでこんなにも証言がある?ここに書いてあるのはいじめの証言だ。これだけクラスから集まっていじめてないはおかしいだろ」
「それで、先生はいじめだと判断するんですね。俺は、やってない。このまま冤罪に持ち込んで終わらせるんですか?俺の心に傷をつけてまで俺がいじめたって事実を作るんですね」
 途端、学年主任は紙の束を机に乱暴に置いた。
 少し驚いてしまったが、証拠がないとしても、証言など捏造できる。
「藤川が今、反省してくれれば警察にも話を通すつもりだったが……。藤川、自分がやった行いを素直に認めないと大人にはなれないぞ」
 そう言って、スマホを取りだした学年主任は何やら操作してから画面を俺に向けた。
 そこに映っていたのは、俺がダーツの矢を腕に刺した映像。次に、早川が乗り込んできた時に俺が間違えて長い針をつけたダーツの矢を腹に刺した時の映像。
 なんでこんなものがと一瞬、思考が止まったが冷静を取り戻した。合成だ。そうに決まってる。だって、そんなものいつ撮るって言うんだ。
「この現状が、いじめじゃないと言えるのか?人に刃物を刺している時点で殺人未遂だ。それから、人の過去にやたら介入して暴言を垂れておいて、いじめじゃないといつまで否定するつもりだ」
 俺に向かって投げ渡されたその紙には画像が貼ってあった。刹那、俺は戦慄した。
 裏グルの深山に向けた言葉の数々がスクショされていたのだ。いやでも、…………ああ、ダメだ。
 俺はうまくいじめの主犯じゃないように忍んだつもりだったけど違った。確実にわかるようになっていた。そうか、俺は中学の時にこの辺をうまくやれていたから逃げれたと思ってた。だけど、違う。その時は、誰も俺を先生に言わなかったからあの女が転校しても問題にはならなかった。俺は自分ができるやつだと思い込んでただけだ。ほんとは、誰も言わなかったからであって、俺がすごい奴だったわけじゃない。
 クラスのやつらが、俺を先生に告げ口した。だから、俺は教室に出入り禁止になった。元々、俺がいじめの主犯格だとわかっていたんだ。いつか、俺が自白するのを待っていたんだ。
 もう、ダメか。これはいじめなんだ。中学とは明らかに違う。高校生にもなれば自我があるのか。言われた通り動くだけの人ばかりかと思っていたのに。周りを気にして意見を言えない、逆らえないやつらばかりだと思っていたのに。そうじゃないんだ。
 今更だな。裁かれる時間になったんだ。ああ、なんで俺はもっと人の感情に気づけるやつではないんだろうか。そうしたら、もっとみんなとうまくやれたのかな。
 違うな。変わらず俺が周りと感覚が違ったんだ。そうかよく考えればそうだよな。みんな隠しながら抑えながら生きてる。なのに、俺は隠すことも抑えることもしなかった。周りに合わせていたらもっとマシな考えができたんだろう。
 あの女も、深山もみんな普通の中で生きてた。俺だけだ。普通じゃなかったのは。
「……認めます。俺が、いじめました。殺したようなものです。わがままは言いません。好きなように処分してください」
 両親に嫌われることだけは嫌だった。だから、あの女の時も俺は先生に自分から謝った。だけど、それは俺が楽しむため。深山は正直、楽しくなかった。何を考えているのかわからないやつだからだ。だけど、今回は状況が違いすぎた。死んだら面白くなりそうだと思ったが、状況が不利になるのは俺で、親が幻滅する可能性が高すぎる。うちの子がいじめをなんてなれば気が滅入るかもしれない。嫌われるだろうな。
 こんな時でも親のことか。
「悪いが、これはもう警察にお願いすることにしてる。このグループLINEもどんなものかクラスのやつらに全部聞くことになる。誰が主犯とかいうつもりはない。だがな、お前はもう、人殺しだ。深山は、学校にいない、この世にいない」
 え?待て、なんで?この世にって、入院しているんじゃ……。
「その原因を作ったのはお前たちだ。もし俺が教師の立場でなければ、俺はお前を殺してでも許さない。いじめはな、本来乗り越えなくていい壁なんだ。壁ですらない。被害者が加害者のせいで頑張る必要はない。メリットなんかない。生きる糧になんかならない。だってそれは、生きていくうえで必要のないことだから。俺は、人としてお前みたいなやつが大嫌いだ。藤川の保護者にはこれから担任と一緒に伝えに行く。お前はそこにいろ」
 大嫌い、か。あとで、親にも言われるんだろうな。親に言われたら堪えそうだな。
 失敗だ。何もかも。生まれてきたところからすべて。選択を間違えた。
 一度、家に戻る時間ができて親に話をした。俺がいじめたこと、これから警察に行くこと。親は、俺を叩いた。泣きそうな顔で、怒りを露にして。
 俺は、間違いを犯した。そして、その道を楽しもうとした。実際、楽しんだ。中学の時のあの女の表情もよかった。だけど、そこに楽しいという感情はなかった。
 なら、何が楽しかったんだろうか。わからない。
 これから俺は、警察に行く。だけど、きっと少年法に守られるんだろう。罪を償うことは子供のすることじゃないのだろうか。それはそれでいいか。自分の中で反省しよう。それが、俺の償いになるのだろう。だが、俺は深山を殺したことになるのか?いじめを黙って見ていたあいつらは、罪に問われないのか?なぁ?俺の知らないところで死んだくせに、俺に罪があるのか。
 しかし、深山には会えないし、あの女にもしっかり謝ることができないのなら今後に活かせばいい。
 ただ普通に会話して、ただ普通に遊んで、それが楽しいにつながればいい。それができていたなら今更苦労していないけど。
 警察までは歩いていくことにした。親の顔なんて今は見れない。あんな泣きはらした親の顔は見たことがない。相当、ショックを受けたんだろう。
 警察までの道のりは、人のいない道路を歩いていくことにした。自転車で行ってもどうせ警察に捕まるだけだし、そこには担任も学年主任も待ってるのだから、誰が自転車を処理するんだという話になる。
 ならば、歩いて時間が掛かっても行くべきだ。
 こんな道、ほかに誰かが通ることはない。田んぼ道で家も少ないんだ。
 なぜだか、心がすっきりしている。こうなってしまった以上、後に引けないし、歯車も回らない。それでいいんだ。
 後ろから、トラックの音が聞こえる。かなりの勢いだ。運転が荒いし初心者か?脇に逸れてトラックの通れる道を作った。こんな場所をトラックが通るなんて危なっかしいにもほどがある。
 いや、俺の方に向かってきてないか?後ろに体を向け逃げる刹那、トラックの前面が俺にぶつかって吹き飛ばされた。
「……っ!!」
 受け身すらも取れず勢いに負けてコンクリートを頭を打った。それでも、勢いは止まることなく田んぼに突っ込んでいった。泥が体中について、顔にもついた。勢いが収まったころ、田んぼに植えられていたものは俺がぶつかったところまでへし折ってしまっていった。
「……だ、誰が…………」
 口から血を吐き出して、意識があいまいだ。
 意識は朦朧としていた。目もボヤっとしている。そんなとき、顔を覗く女子の姿があった。顔に見覚えがある。ああ、あの時の女だ。……そうか、高校生にもなれば変わるよな。痩せてねぇかお前。そりゃ、近くにいたのに気づけないわけだ。なんて、呑気なこと考えても助からない。助かる?いや、もういいや。親に嫌われたわけだし。学校にも顔向けできない。それに俺は、普通じゃなかったんだから。
「お前が………俺、を…………?」
「そうだよ」
 明らかな憎悪を感じる声だ。そうだよな。あんなことを中学の時にしたんだ。恨むよなぁ。
「もう、助からないんじゃない?」
「そう、だな……」
「トラック、どうやって運転したか気になる?」
 淡々とした声。
「そう、だな……」
 一応聞いてみようと思ったが、吐血した。もう持たないかもしれない。
「うわぁ……。あのね、トラックってね、誰でも乗れるの。女子高生が本来しないような誘い方をしちゃえばね。あとは殴っちゃえばいいから、あなたみたいに」
 それで、トラックを奪ってきたのか。中学とはだいぶ変わっちまったなあ。
「もちろん、それ以上のことは何もないけどね。藤川があんなことしてなければ、私は今頃、藤川を好きでいたかもしれない。ひどい環境下で救いを差し伸べてくれたのは紛れもなく藤川だからね。だけど、ごめんね。私はそれ以降あなたを憎むようになったの。中学生の時の復讐はやっと果たせたの。あのまま不登校を続けて苦しむならって親に打ち明けた。三年生には転校できた。うちの両親が寛大でよかった。そして、あなたに勘づかれないようにどれだけ頑張ったか。もう全部おしまい。……頭も打ったことだし、そろそろ死ぬんじゃない?どう?これが体を地面に打ち付けられたときの衝撃よ。飛び降りと似てるのかなこれは。まぁでもこの痛みを思い知って死になさい。そして二度と、ここには還ってこないで」
「……ハハっ」
 俺の親とは違うってわけか。求めるだけ求めた俺の気持ちをお前にはわからないだろうぜ。小さい頃から相手にされなくて、遊び相手もいなかった俺なんか必死に友達探して公園で遊べるように頑張った。だけど、もう無理だろう。
 俺の親は最後の最後まで俺のこと相手にしなかった。愛さなかった。
 なぜこのタイミングで過去を思い出したのかわからない。だけど、思い出した。わかっていたはずなんだ。
 俺が楽しいって思ったのは、園児の頃リレーで一位を取った時の両親の笑顔を見れた時応援されていると理解した時だった。でも、周りはこんなこと覚え続けているわけがない。やはり俺は他と違った。
 もっと早く他と違うと気付いていたら、何か違ったのかもしれない。変わったかもしれない。
 俺は、なんてことをしたんだろうか。今更、悔やんでもしょうがないのに。間宮を殺した犯罪者だというのに。
 女子はドンドン遠くへ行ってしまう。こんな田んぼ道じゃ、防犯カメラもないから見つかるのも時間の問題かもしれない。それでもいいのかもしれない。制裁だ。裁きが下されたんだろう。宗教を信仰した覚えはないけれど。
 意識が混濁しているよう。視界は薄く暗く泥へと沈んだ。

 そして、その二十時間後に発見され病院で死亡が確認された。
 二度目の自殺に居合わせて深山は笑顔で死んでいった。
 一体何がそうさせてしまったのか。
 彼が死を希望の如く救いだと理想を描いたのはいつからだろう。
 死ねたから笑顔になったのか。
 理由はわからない。
 彼は、きっと何もかも捨ててしまいたかったのかもしれない。
 最後に残した受賞おめでとうの言葉。
 初めは怒っていたくせに自殺するとなったあの時、褒め出すなんて何を考えているのだろうか。
 あれは彼にとって怒りの一つだったはずだ。
 死んでしまいたい彼にとって救いになるものではなかったはず。
 私のためを思っていった言葉なのだろうか。
 命を大切にしてなりたいものになれと言われているような。
 だとしたら、彼に言われる筋合いはない。
 死んだくせに。
 彼とは友達以上にはなれなくても友達のまま分かり合える人だと思ってた。
 いじめられた経験がある私たち。死にたいと思えた私たち。
 何が違ったんだろう。
 ある程度調べてしまったのにまるで予想もできていない。
 親を頼り転校して中野たちに出会って変わった生活。
 彼には変わる環境がなかったのだろうか。
 変えられる環境がなかったのだろうか。
 学校に行って、バイトして、その隙間を縫って家事をこなす。
 その中で変化を求めても時間や彼の心の余裕がなかったのかもしれない。
 人に伝えられないこともあったのだろう。
 それでもあなたの母親にだけは伝えてあげて欲しかった。
 家で二人きりの時間くらいあったはずなのに。
 レジにいるあなたの母親は、仕事でミスを連発させてしまってる。
 ノートを広げてテスト勉強をする私でさえ、集中できていない。
 あなたは、死んでも誰も悲しまないと思っているのかな。
 あなたは、代わりが言うというけれど、あなたの代わりは確かにいなかった。あなたがあなたでいたから、私はあなたに話しかけた。
 きっと目の前に一緒になってテスト勉強している中野も同じことを思ってる。
 全く勉強に集中できていなくて、いまだに一ページも進んでいない。
 私も同じだ。
「俺、あいつの親父にあったんだ」
「え?」
「四宮?だっけな。すごい礼儀正しそうで、あのあと話しかけたんだ。何の話してたんですかって。彼のカウンセリングって言ってたけど、聞こえたんだ。どうもカウンセリングっぽくない仲の悪い親子の会話だなって」
「……その人」
「だから、四宮にもう関わらないでほしいって頭を下げた」
 そしたら、と続ける。
「『あんな奴に友人がいるわけない』ってボソって帰ってった」
「……」
「その時に思ったよ。俺の両親って結構優しいんだなって」
 私の両親も優しかった。いじめの事実を伝えた時、疑うこともせず転校しようと提案してくれた。
 きっと彼の両親もいじめの事実があったなら転校させてくれたのだろう。
「深山がそういう環境にいたら、変わったのかな」
 死んでからだいぶ経つのに私たちは今もそんなことを考えている。
「藤川が死んで、深山も死んで。命の重さって違うのかな……」
 クラスメイトが二人死んだ。
 友人まで死んでしまった。
「違うんだよ、きっと。生まれ持った環境と与えられた環境と関わる人との環境で、全部変わっちゃうんじゃないかな」
 丁寧な笑顔で対応する深山君の母親。
 もしも彼が母親を頼れたならもう少し変わったのかもしれない。
 死ぬ選択を選ばなかったかもしれない。
 ちょっとした変化がちょっとした答えを産む。
 だとしたら、それが良い方向へと向かうために最善を選ぼうとする。
 極限まで狭まれた環境では、最善が死に変化するのかもしれない。
「そんなの嫌だな……」
 彼を助けられない。そして、彼が死んでしまう。
 気づいた時には遅い。
 笑顔がなかった段階で気づくべきだった。頼れる相手としていられたらよかったのかもしれない。
「そう思うとさ、転校した時、あなたがいてくれてよかったかも」
「……なんだよ急に」
「私ね、いじめられてたんだ。不登校で」
「知ってるよ」
「え?なんで?言ったっけ?」
「噂で聞いたんだよ。でも、馬鹿だからよくわかんないし、関係ないし?」
「何それ。……ありがと」
「やめろよ、急に」
 らしくないというくせに、彼は嬉しそうだった。
「俺が話しかけたかっただけ。だから、別に感謝すんなよ」
「私、あなたのそういうところ好きだよ」
「だから、お前、マジで」
 ちょっといじってみると彼は少し切ない顔をした。
 何か思うことがあったのだろうか。
 不思議に思っていると目が合う。
「深山が座ってたら、どんな反応したか気になったんだよ」
「あんまり気にしないんじゃない?」
 死を願う彼が、私のこと気にするだろうか。
「それがそうでもないっぽい」
「嘘だよそれは。彼は、私のこと避けがちなので」
「それは、お前にガツガツ来られたら気が合うって思うからだろ」
 そんな相手にはなれないデブ女に何を言っているのか。
「気が合うなら脚本嫌わないと思います」
 ジューっとホットコーヒーを飲む。
「でも、おめでとうって言ってくれたんだろ?」
「そう、それが意味わかんないの。なんで?」
「お前にもっと描いてほしいんじゃないの?脚本を」
「いやいや」
 首を横に振り否定する。
 そんなわけないだろう。彼は最後自分をよく見せて隙をついて死にたかっただけ。本当のこと言ってくれるわけがない。
 そう思っているのに、私は新しい脚本を書いている。
「それ、嬉しかったから、新しいの描いてるんじゃないの?ちょっと変わったじゃん、早川の目。すごく一生懸命だ」
「……ありがとね」
 嬉しかった。だから、宣言してやろうかと思ってた。
 いい作品ができるまで生きとけって言ってやろうかと思った。
 しかしもう彼はいない。
 彼はいないけど、見せてやりたい。
 死んだ彼は死後のことについては何も言わなかった。
 どっかで見ているなら、いつか売れるところを見せてやりたい。
 私は環境に恵まれた。
 転校したことで逃げることもしれた。
 そこには優しい人たちがいっぱいいた。目の前にいる彼もそうだ。
 あなたもそうだったはず。私がいて、中野がいて。
 でもあなたは、それ以上に余裕のない環境にいた。忙しさに忙殺される日々だったと思う。
 周りとはかけ離れた環境で生きてきたはず。
 そっちの世界はどうですか?少し落ち着きましたか?少し休めましたか?
 戻ってくる予定があるのなら、その時はどっか出かけませんか?
 あなたに見せたいものがあります。
 あなたが見た時、今度はすごいと思わせてやります。
 だから、それまでちゃんと休んでください。
 いつか落ち着いた時が来たらおいで。
 それまで少し頑張ってみるから。

 いつだって死にたいと思って生きている君へ、一旦全部休んでみませんか?
 そして、続きを描いてみませんか?

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