退院して、一か月。僕は、転校した。
 学校の環境が変わるだけですごく生活がしやすかった。話しかけてくれる男子や女子。放課後、遊びに行こうと誘ってくれる友達もできた。部活も始めることにした。バイトのシフトを減らして、部活にも参加する。この高校の校則が緩くて本当によかった。
 ある時は、男女でカラオケに行って、ある時は、ボーリングに行って、ある時は、映画を見に行った。
 この高校の人たちと遊ぶと毎度のごとく優しい人たちだと思う。
 こうやって、遊べるのは母さんが仕事でうまくいっているからだ。そんなことも知らずに僕はお金がないのだと決めつけ、自分からシフトを増やして、体も精神面も壊れるまで働いた。もう、壊れることはないと思う。たまに、思い出してしまうときはあるけど、今は何とか生きてる。
 それも、彼女という存在が大きいのかもしれない。
 彼女は次の大会に向けて部活が忙しくなっているそうだ。それで、会う時間が少なくなっているのは仕方ないと思うしかない。
 コンビニバイトも復帰してからは、店長もいつも時間が被る大学生も優しく迎えてくれた。普段から、弱音とか吐かないせいかとても心配かけたらしい。早川さんと中野が、押しかけたときに話を知って僕の代わりにバイトをしてくれた人もいるんだとか。今度、礼を言わないといけない。
「どう、今の学校生活は?」
 時間の被る女子大生が聞いてきた。
「みんな優しくて生活しやすいですね」
「そう。私の勧めた場所よかった?」
「はい。とても感謝してます」
「なら、よかった」
 実は、転校を決めた次の日にバイトがあって大学生に相談した結果、大学生の母校である高校を選んだのだ。
「深山も、弱音を吐くときは吐いた方がいいよ。私とかいるし」
「……ありがとうございます」
「あ、でも、彼女いるのか」
「やめてくださいよ。彼女に弱音なんて吐きません」
「うわぁ、カッコ悪!」
「う、うるせえ!」
 バイトが終わったころ、LINEが来た。
『明日、会えないか?会いたいって言ってるやつがいるんだ』
 中野だ。なんだかんだ、あいつとは仲がいい。
 それにしても、会いたい人とは誰だろうか。
『わかった。どこ行けばいい?』
 場所も伝えられ、午後に来いということらしい。
 バイトも学校もなく遅くに起きた僕は、案の定、遅刻した。
「遅いぞ」
 集合場所に中野が待っていた。そして、もう一人。
「あれ、太田?」
「久しぶり」
「もしかして、会いたいって言った人って」
「俺、なんだ。悪い、元クラスメイトなんかに会いたくはないだろうに」
「……いや、いいけど」
「……その、中野」
「へいへい。俺は、あくまで使われただけだしな。じゃな、海利」
「……お、おう」
 中野は、自転車にまたいで帰ってしまった。
「その、ごめんな。呼んで。俺、深山のLINEとか知らなかったし」
「別にいいけど。なんで」
「……少し、歩かないか?」
 そういわれて、太田の行く方向に歩いていく。
「俺さ、責任、感じてて。俺と深山が話したこと、藤川に聞かれてたかもしれないんだ」
「……」
「それで、藤川は深山にあんなことしたんだと思う。だけど、俺は自分が可愛かったんだな。深山を助けようなんて一切思わなかった」
「素直だな」
「そうかも。だけど、深山が二学期入ってこなかったとき、嫌な予感がしたんだ。とてつもない予感がした。それは、杞憂には終わらなくて。中野なんて先生から話を聞いた途端、教室を飛び出してさ。俺も、気持ち悪くなったけど、そこまではできなかった。藤川は楽しそうな顔してたし、ほかのやつらも正直どうでもよさそうな顔だったから」
「……何が言いたいの」
「つまりさ、俺が深山に男が好きか聞かなければここまでひどいことにならなかったと思うんだ。ほんと、ごめん」
 立ち止まった太田が僕に頭を下げて謝って来た。
「変わらない。どうせ、同じ中学のやつが僕のことをクラスに広めれば、藤川はそれに反応するだろ。結局、あの場所にいればどんな流れでも着地点は一緒なんだ」
 同じ環境に身を置いていればずっと変わることはない。全く違う場所に行かないと人は変わらない。
「…………俺が、あんなこといったのはさ、好きだからなんだ。男が。だから、なんとなく俺は深山が男と付き合ったことあるんじゃないかって思って、聞きたくなった。もっと場所を選ぶべきだった」
 あれを聞いたのは人からじゃないのか。感覚でわかるものなのか?
「……親は?知ってるの?」
「知ってる。同性愛を認めてくれた。深山はどうなんだ?男と付き合ったんなら、親バレしたかもしれないだろ」
「……したよ。花火祭りの日にデートして。バレて、怒られた。よかったな、認めてくれて」
「やっぱ、まだ認めてくれない人もいるんだな」
「いるだろ。藤川だってその一人だろ。太田も、クラスで言わない理由くらいあるんじゃないのか」
「そうだね。あるよ。正直、今日このこと言ったらぶつけてやろうかと思ったんだけどさ。彼女いるんでしょ」
「……え!?」
 なぜ、太田がそれを。
「中野がボロッとこぼしたよ。頑張れよ、今の高校で」
 あの野郎、まじでつぶす。
「まあ、頑張るわ。太田もさ、頑張れよ。僕のこと気にしなくていいし。今は、こう見えても楽しくやっててさ。どっか遊びに行ったりして」
「……そうだな。そうする」
 わざわざ謝るために僕に会いに来るなんて。そんなことしなくてもいいのに。
「中野からよくそんな話聞くよ。カラオケ行ってるとかいちいち教えてくれて。ストーリーに乗せてるのわざわざ見せてくるんだ」
「あー、あれを」
「な、俺ともインスタ交換しないか」
「いいね、それ」
 お互いQRコードを読み取る。一人だけでいいらしいけど、そんなん知らん。
「え、早川のインスタ繋がってないのか?」
「……やってるんだ。知らなかった。まあ、LINE繋がってるし、いいじゃん」
「うわ、怒りそう」
「そういう太田は、繋がってんのかよ」
「当たり前だろ」
「中野みたいに中学から一緒?」
「いや、あいつ中学の途中で引っ越してきたんだよ。いつだっけな。まあ、中三で一緒だったからついでにって感じだけど」
「引っ越し?」
「あれ、知らんかった?まあ、言う必要もないしな。俺も、なんで引っ越してきたか知らないし。なんだっけな、噂されたけど苗字が変わっただのなんだのって。確証はないけどね」
 親の離婚か、再婚か。まあ、触れる必要もないし、どうでもいいか。
「しっかし、あいつも変わらんよ。暴飲暴食な性格は変わってないし。それ触れると怒るから気をつけな」
「ご丁寧にご忠告どうも」
「……あとさ、藤川と会ってない?」
「……え?会ってないけど」
 藤川と会うことはないし、連絡先すら知らない。もちろん、どこに住んでいるのかも。
「あいつ、転校したらしくてさ。先生は、転校したって言うし、ほかのやつらもその話は知らないって聞くしさ。深山に聞く話じゃないのは分かってんだけど。何か知ってないかと思ったけど。会ってないならわからんよな」
「転校したって言うなら、転校したんじゃない。何か疑う要素がある?」
「あるにはあるんだ。インスタのサブ垢で生徒指導室に連れてかれてからもストーリー乗せてたのに、ある時から何も反応しなくなって。SNSは一切反応しないし、連絡はない。それに、クラスのやつが藤川の近所から聞いた話だと家にもいないんだってさ」
「帰ってないってこと?」
「そうだと思う。家出なんて高校生でしようとは思わないだろ?だから、おかしいなって、みんな騒いでる」
「……そうなんだ」
「謝りに来たのにこんな話するってバカだよな。忘れてくれ」
 太田は、笑顔でそういった。
 お互い、何もすることがないので帰ることにした。
 藤川が、周りと話すのが怖くなったとか、クラスの人と関わったら今度は自分の立場が危うくなるとか危惧したんじゃなかろうか。インスタのパスワードを忘れてアカウントを消せなくなったとか。
 だとしても、関係のない話だ。クラスのやつらは関係ないし、金輪際関わることもないのだから。

「お待たせ!」
 久しぶりの再会だった。彼女は、演劇の大会があり、部活が忙しいので会う機会が少ないのだ。だけど、僕自身は学校の友達と遊びに行ったりと会いたいとは思うけど、案外、不満がない。
 だけれど、昨日、久しぶりに夜中、電話をしていた時だった。
『最近、私と電話できなくて暇でしょー?』
 そんなことはなかった。友達ができて遊びに行っているわけだし。
『まあ、そうだね』
『なんか、返事が適当だね』
『そんなことないよ』
『そう?じゃあ、最近会えてなかったし、どっか行こうよ。友達とカラオケとかしょっちゅう行ってるんでしょ』
『あ……』
 インスタ、相互フォロじゃないのにバレている。
『私が、気づかないと思った?』
『……ま、まさか。誰から聞いたんだい』
『中野だよ。私にわざわざ隠すなんてひどいね』
『べつに、やましいことがあったとかそういうことじゃなくてですね……』
『その言い方、すごく怪しいんだけど』
『まさか、彼女がいるのにそんなことしないよ。失礼にもほどがある』
『じゃあ、明日、デート行こって言っても問題ないよね』
『……明日』
 バイトは、入ってなかっただろうか。土曜日だし入っている可能性も……。
『やっぱ、怪しいことしてるんだ』
『ち、違う!ば、バイトのシフトを確認しているだけ!』
 焦って、言い返す。
『じゃ、明日、デートってことで!おやすみ!』
 そして、今に至る。
 変に焦ることさえなければ、怪しまれることはなかったというのに。余計なことした。
「待った?」
「ああ、十分くらい」
「ちょっと!」
 意外と待たされたのに、怒るのは早川さんの方だ。なぜ……?
「こういう時はね、待ってないよって言うのが紳士的だよ」
「……ああ、じゃ、僕は悪魔だね」
「そういうことを言いたいんじゃないくて!」
「待ってないよ。ちょうどさっき来たところ」
「……遅い」
 先に来たのは僕の方なんですけどねぇ。
「あ、その服似合ってるね。とてもきれいだよ」
 我ながら紳士的ではないだろうか。
「それ言えば、許してくれると思ってます?」
「……」
「やっぱり」
「いや、えっと……」
 ジト目で見られてしまっては何も言い返せない。とてもかわいいのだ。僕はもう早川さんの虜になっているのかもしれない。
 いや、嘘だ。違う。好きだからだ。別に、虜になったわけじゃないぞ。僕は、断固否定する。
「ふーん。そうなんだ。そう思って言われるなんてひどいなー。海利君が好きそうだからこのファッションにしたのに」
 だとしたら、僕はギャル系が好きになることになるんだが。
「……」
「あんまり、好きじゃなかった?」
「……いや、そのろしゅ……なんでもない。そのちょっと寒そうだなって。僕の上着着なよ」
 有無を言わせぬ勢いで僕は、上着を被せた。もう十一月も過ぎたころだしこの露出度は避けてほしい。
 これで、腹の露出とか抑えられるはずだ。人からマジマジと見られることもない。
「……あ、ありがと」
「えっと、じゃあ、行こうか」
「……うん」
 少し悲しげに見えた。いや、ほかの人にそういう目で見られる方が嫌だし。
 少し歩いたころ、早川さんが手を握って来た。これがいわゆる貝殻つなぎというやつだ。
 びっくりして早川さんを見てみれば、悪戯が成功したような悪い笑みを見せてきた。
「海利君の手、冷たいね」
「気のせい」
「もしかして、冷え性?」
「今しがた、熱くなってる」
「私に触られたせい?」
「……ちがう。断じてない」
「素直じゃないなぁ」
「は、早川さんだって手が熱くなってる」
「え!?……いや、そんなわけないし!」
 急な反撃にびっくりしたのか、手が熱くなっていることにか顔を赤らめてた。
「ほら、顔が赤くなってるってことは事実だったんだろ」
「そういう海利君は、ずっと目が泳いでますけどね!さっきから目が合わないんですけど!」
「なっ!そんなわけ、な、ないだろ!」
 そこをついてくるのはずるいぞ。
「海利君が、目を合わせないのはいつも通りだと思ったけど、こういうことするともっと目が合わなくなるよねぇだ!」
「そ、そんなわけないからな!」
「今も目、合ってないじゃん!」
「……っ!」
 言い返せない。
「ほら、図星じゃーん!」
 勝ち誇ったような笑みで僕の顔を覗こうとする。
「早川さんだって、耳、真っ赤じゃん……」
 顔をそらしていった。
「痛った!」
 足のすねを蹴られた。
「さっきからデリカシーないよね。待った?って聞いたら待ったって答えるし。目を合わせてくれないし。逃げに服をほめるし」
 ここにきて、ぼろくそ言われてしまった。
「それに上着貸してくれるのは嬉しいけど、あんま良い反応じゃないし」
 不満を並べられたら何から答えればいいかわからん。
「……服は、しょうがないだろ。その恰好されたらほかの男が見るだろ。僕のためなら尚更見せたくないね」
「……」
「どうかした?」
「……い、いや。なんでもない」
 目を合わせないことに関しては、これ以上何も言わないでほしい。言い返せないから。
 それに今君は、顔が赤くなっている。
「あ、こ、ここ!ここに行こうと思ってたの!行こう!」
 話のそらし方がもっとなかったのかと思ったが、焦りを隠したいのか顔は見せてくれない。
 てっきり、カラオケにでも行くのかと思ったけど、そこはスイーツ店のような場所らしい。かわいらしい外観で中の様子も少し見えるように作られているみたいだ。
「行こう!」
「……クローズになってるけど」
「なってない!行こう!」
 人もいないのに、突撃するとは三大欲求の食欲だけはずば抜けているのだろう。ここの店主に同情する。
 カランカランと音がしてそのまま中に入った。自分でスイーツを選んで購入するタイプらしい。ミスドにあるような感じだ。ミスド行きたい。
「ここ、安くておいしいからおススメなんだよ!」
「誰もいないけど」
「くぎを刺さないの!ほら、おいしそうじゃん!」
 ブドウが乗ったケーキがあった。これだけは絶対に選ばない。
「店主、怒らないか?」
「気にしない気にしない!ほら、選ぼ!」
 その顔でその強欲さは誰も逆らえないだろう。これが顔面偏差値の高い人の特権だ。
 いや、だとしても許されないだろ。
 ポイポイとトレーにスイーツを置いていく早川さん。確かに安い?のか。相場がわからない。とは言え、食べきれるのだろうか。
「やっぱ、こういう店はこれだけ食べないとねー」
「……」
 席についてからチョコケーキを平らげてからいった。
「……ん?なんかついてる?」
 僕が見ていたことに気づいたのだろう。服に何かついたのかと気にしたのだろう。
「いや、ついてないよ」
「ほんと?よかった。海利君も食べなよ!」
「……ああ、うん」
 食べれるわけなかろうに。まるでスイーツを取った量が違う。僕は三つだけなのに早川さんは夕飯でも食べに来たのかというくらいの量をそこに置いているのだ。
「もしかして、この量に驚いてる?」
「まあ、そう、だね」
「……よく食べる女苦手?」
「……べつに」
「太ってる女子は?」
「……べつに」
「私、これだけ食べるせいかよく太るんだよね」
「……ああ、そうなんだ」
 ここは刺激しないように返事をせねば。
「最近も太っちゃって」
「……へえ」
 何言っても地雷なんだから適当に返事をしておく。
「私、太ったよね」
「……」
「痩せなきゃ」
 ならば、その手に持っているドーナツは何だろうか。
「海利君は、スレンダーが好き?」
「……」
 地雷は避ける。
「聞いてる?」
「聞いてる聞いてる。どうかな、よくわかんないや」
 曖昧に答えることによって地雷回避をする男子高校生。これは上手く交わせただろう。
「私くらいの女でもほんとに付き合える?」
 付き合っている仲で何を言い出すのか。
「ね、海利君って男子と付き合ってたんだよね」
「そうだね」
 今度は何を聞き出そうとしているのか。
「その人とさ、ハグとかしたことある?」
「……あるよ」
「その、キスとか」
「……あるよ」
「名前で呼び合うとか」
「……あるよ」
「そういう、その行為とかは」
「……あるよ」
「中学生の時?」
「そうだよ」
「どれくらい?」
「……一年くらい。三年生になって受験シーズンになってやめたけど」
「ほかに恋愛経験は?」
「中学一年生の時に一回」
「それは、女?」
 これ、答えたら怒るタイプの話題じゃ……。
「そ、そうだね」
「なんで、焦る?」
「いや、まさか」
「別に怒ってないよ?」
 それ怒ってる人が言う言葉。
「どんなタイプの女子?」
 地雷だ。踏み抜くかもしれない。
「ま、まあ、その、タイプと言われましても」
「言うくらいいいじゃん」
「ま、良い人だよ」
「……ふーん、ほかには?」
 え、ダメなん?いい人っていう最強ワードで切り抜けようと思ったのだけど。
「え、えーっと」
 この際、全部いった方が楽かもしれない。地雷を踏んだ時は中野とかに……。
「言葉の通りだよ。その、優しいし、一緒にテスト勉強とかしたし。どちらかというと、明るい子だったかな。よく話しかけてくるし、みんなと仲良かったし。飾らない性格かな」
「……」
 ほら、やっぱ地雷踏んだ。めちゃめちゃ不貞腐れてる。拗ねたような感じだ。
 こういう質問の時ってなんて返すのが正解かわからない。どうしたらいいんだ。何言っても怒るし。逆に言わなくても怒る。
「……あ、早川、さん?」
「別に。可愛かった?」
「えっと、そうだね。可愛いよ……?」
 様子をうかがってみたものの余計怒らせたように見えた。
「顔も良くて性格もよかったんだ」
 地雷だ。だから、この手の質問が苦手なんだ。世の男はどうやってこの質問から切り抜けるんだろうか。
「……えっと、はい」
「はい?ふーん。はいっていうんだ。まだ、好きなんだ」
 わからん。もう、なんて答えても終わりな気がする。
「好きじゃないよ。その、ほら、誰も言ってないし。早川さんは、その特別な人だよ。あれだけ邪険に扱ってたのに、何度も来るのは早川さんくらいだ」
「名前」
「え?」
「名前で呼んでよ」
「……え?」
「ほ、ほら、特別とかいうくらいなら名前で呼んでくれてもいいじゃん……」
 いつの間にか耳を真っ赤にしていた早川さん。
「それとも、ズケズケ来る女は嫌だから呼びたくないとか」
「まさか、そんな風には思うわけないじゃないか」
 えっと、名前……。
「七海さん。七海さんは特別な人だよ。もしなかったらって考えたら高校もろくに行ってなかったと思うんだ」
「七海」
「え?」
「七海で呼んで」
「……僕のことも君付けで」
「七海」
「あ、うん。わかった。……七海」
「……なんか、ひどいよね。こんな女、可愛くないよね」
 もうわからん。何言ってもこうなる。世の女性はなぜこうもめんどくさいのか。
「……か、わいいよ?」
「嘘言わないでよ。一度もかわいいとも好きともいわなかったくせに」
 なぜだか思い出す。中学一年生のころ、女子と付き合った。その子はとても、優しくて明るくて。怒ったと思えば、泣き出して。そんなよくわからない子で。だけど、その子とは三か月で別れた。理由は、僕だ。僕が、好きともかわいいともいわず、付き合うという関係で何かを劇的に変えるのを恐れたんだ。その結果、その子は、僕に別れを告げた。自分が想いあがってただけだったと直接聞かされた時はすごくショックだったのを覚えてる。別れてから気づいてしまって、後悔した記憶がある。
 今も、その流れに進んでしまっているのではないだろうか。僕が別れを嫌ならめんどくさがらず、濁さず、曖昧にさせることなく伝えるのがいいのではないだろうか。
「高校も転校したし、かわいい子がいたんでしょ?私よりもかわいくて、こんな女じゃなくて」
「いや、そんなつもりは」
「だって、おかしいじゃん。私がいるのに、ストーリーに女の子乗せてさ。カラオケなうとか意味わかんないもん。私とはいかないのに、ほかの女とはカラオケ行って。それに、……その女の子可愛かったし。どうせ、付き合ってるんでしょ。男の子ってそういうとこあるよね。かわいい子にはすぐ話かけて浮気するんでしょ」
 言い過ぎたと思ったのか、両手で頭を抱えて下を向いた。それから、手をおろして前髪がかかったうつろな目で僕を見た。
「嫌だね、こんな女。可愛くないし」
 その時、ふとある結論が浮かんだ。ストレスなんじゃなかろうか。大会直前だし。僕が今の今まで何も言わないから。
「……かわいい、よ。今の顔にかわいいって言っていいのかわかんないけど。でも、演劇の大会に向けて頑張ってる姿はかっこいいし、かわいいなって。だけど、その間、僕にできることって考えても浮かばないなって」
「今の顔なんて全然かわいくないよ」
「少なくとも食べてる姿はかわいかった」
「……そ、そういうはさ、その、きゅ、急に言うものじゃ」
「大会。今週末って聞いてたから、誘いづらいし、迷惑かなって」
「誘ってよ!なんで、誘わないの!バカ!」
 めちゃめちゃに怒って来た。
「私だって、その、部活で疲れてるし、声、聞きたいし、話したいし、それくらい誘ってよバカ!」
 疲れてたら、そのまま寝たいと思うのは男子だけなのか?中野も疲れてるだろうしやめとけって言ったのに。違った。
「ご、ごめん」
「謝るならさ……その……頭、なでて、ほしい……」
 上目遣いに頼まれた。断れない。店主らしき人以外いないし、見てなさそうなので横に座った。それから、体を向けて、頭を優しくなでた。
 嬉しそうに口角を上げた早川さんは僕の肩に頭をのせた。
「もっと」
 やめようかと思っていた手をまた頭に乗せた。手入れされている髪はとてもきれいだ。
 これが、店主に見られたら通報されないだろうか。
「おー!」
 ほら、店主が反応した。
「あ、すみませ……は?」
 近くまで来ていた店主に謝ろうと顔を上げた僕はそれ以上声が出なかった。
「あ、あら、邪魔しちゃったわね」
「……」
「海利君!」
 僕の膝を叩いた早川さんはムッとした顔で、まだなでて欲しそうだった。だけれど、それどころではない。
「ちょっと待て!え?は?何その恰好。どういうつもり?なんで、母さんがいんの?」
 まさか、ここ、母さんが営業してる店?前に斗真と一緒に来いと言われて行かないと丁重に断ったのに。
「ここで働いてるから」
「ま、まさか、いつも帰りが遅かったのって」
「ここで店閉めしてるから」
「女子高生と話してて遅くなる店って」
「ここで女子高生と話してるから」
「店が、クローズだったのに入れた理由って」
「それは偶然。たまたま。ほんとのほんとよ」
 え、っと。頭が回らない。
「早川さんは、知っててここに来た?」
「七海」
「七海は、知ってた?」
「知ってたよ。海利君は知ってると思ってた」
「いや、知らない知らない。常連が七海なんて知る由もない。……あれ、でも、雑談とか恋バナとかって」
「ああ!だめ!うるさい!知らない!そんなの海利君は知らない!」
 と、ポカスカ叩いてくる。
「わ、分かった。知らない、知らない」
「よろしい!」
「まさか、ここで働いてたなんて」
 前に、テレビで紹介された場所の店主なんてわかるわけがない。あのまま斗真が帰って来たタイミングで消さなければ。
 あれ、待てよ。だとしたら、母さん、大出世じゃないか。ビジネスに強すぎないか?
「ごめんね?つい、行きたくなっちゃって」
「……そ、それは、しょうがないかも」
 だけど、許せない。こんな醜態を母さんに見せることになるなんて。
「ありがと」
 それから、僕は気まずいながらもスイーツを食べた。
 店を出て、帰路についた。
「海利君は、この後どうするの」
「家に帰るよ」
「そう、だよね」
「ああそうだ」
 僕が立ち止まると、二歩分空いたところで早川さんは止まった。
「ん?」
 さっき、調べたことを実践するべく距離を詰める。そして、ハグをした。
 ハグは、一日のストレスの三分の一を解消するとネットに書いてあったのだ。もしも、ストレスが軽減るなら実践しようと思ったのだ。
「え、あ、か、海利君?」
 ついでに僕も母さんに醜態を晒したストレスを発散しようと思ったのは、後付けだ。
「ずっと、触れたかったから」
 誰もいない場所でこれくらい許してほしい。
「海利君……」
 甘い匂い。さっきも感じた香りだ。頭をなでてみる。抵抗してこない。
 思ったよりも小柄で、太ってすらなくて。
「ずっと、心配だった」
 僕の胸の中で早川さんが言った。
「触れるのが怖かった。もしも、まだ死にたいなんて考えてたら。あの時みたいに拒絶されたら。ひどいこと言って私を傷つけたら。海利君ならどんな状況になっても人を傷つけないと思ってたから、あれだけやったから、怖くて。結局、ひどいこと言われたし。周りに悪く思われたり、ひどいこと言われたり、次そんなことあったら耐えられないはずなのにそんなことしたから。海利君が私のこと嫌って何も反応がなくなったら……」
 体がさっきより触れ合っているのを感じる。
「私さ、高校に入学するまで男子とはあまり話してなかったの。それこそ、中野くらいで。基本的に女子と話してた。自分から男子に話しかけるなんてなかったんだよね。中学生の時にハブられて、その、不登校になって。だから、高校生デビュー。海利君がどんな人なのか気になって話しかけたの。それに、垢抜け要素多かったから私が改造してやろうかと思ってさ。だけど、海利君が抱えてたものを知らずに、私は自分のわがままを言い続けた。いつか謝らなきゃと思って、言えてなかった。……ごめんなさい」
 抱えていたもの。家族、生活、学校のいじめ。あの時は、確かに抱えていたものが多すぎたのかもしれない。キャパオーバーに気づかず、精神的に悲鳴を上げた。早川さんの言葉にも焦りやストレスがあったのは確かだ。
「なのに、さっきもわがまま言って。もしまた、苦しめたらどうしようかと」
「母さんの店に連れてきたのは苦しめられたね。首が絞められた気分だ。死んでしまおうかと思った」
「ご、ごめん」
「嘘だよ。そこまで、思ってない。ま、でも、母さんの店でも母さんは出てこないでほしかったね。アクシデントだ」
「やめてよ。本気で気にするから」
「聞いていい?あの時、なんであんな危ない真似したの?僕のためだとしたら尚更、危ないし申し訳なくて」
「……い、言わない。ミステリアスな女でもいいでしょ?」
 顔を僕に向けていたずらっ子のような笑みを見せた。ムッとし僕は、早川さんの頬をつまんだ。
「ふぇっ!?」
 驚いたのか目をぱちぱちさせている。
「僕だけ内面バレてるのが少しムカついただけ」
 悪戯には悪戯で返す。目には目を理論だ。
「今度からは化けの皮はがさせてもらおうかな」
「今、剝がしょうとしてるくしぇに!」
「また今度剥がすよ。今度はもっと刺激的に」
「し、刺激的に……」
 目を泳がせていた。そんな危ないこと言っただろうか。
「頑張ってね。部活。大会、見に行くから」
「ほ、ホント?……が、頑張る!」
 頬が伸びた状態で意気込んでいる様は少し笑えた。
「え、ちょ、ちょっと、なんで笑うの」
「いや、ごめん。言ってることと顔がミスマッチで」
「わ、私のほっぺ触るからじゃん!」
「抵抗しないのもどうかと思うんだけど?」
「そ、それは……」
 もう一度、ムニムニとつまんだ。やはり、無防備で抵抗しないようだ。
「なんか、久しぶりに会えてよかった。少し会わないだけでこんな寂しくなるとは思わなくて。重く感じると思うんだけど、七海といる時間が一番楽しくて」
「そ、そんな恥ずかしいこと素直に言わないでよ……っ!」
 顔を真っ赤にしてポカポカと胸を叩いてくる。
 もしも、出会いがもっと良ければもっといい関係でもっと優しくいれたかもしれないのに。
 だけれど、これも現実だ。どん底にいたときにいてくれた早川さんに僕は、感謝しないと。
 そんな気持ちはまだ恥ずかしくて言えないけど、いつかは言いたい。これからを生きようと思わせてくれたのは間違いなく七海のおかげなんだから。