ピンポーン!
「玲司さん、お荷物ですよー」
うららかな日差しの日曜日、マンションの自室で昼寝をしていた高校生の玲司は、寝ぼけ眼をこすりながら目を覚ます。
「ふぁーぁ、何だよ、いい気分で寝てたのに……」
大きく伸びをすると、ベッドからドン! と足をおろした。そして寝ぼけ眼で乱雑にモノが散らばった床を掘り返し、スウェットパンツを見つけ出す。
「今行きまーす!」
そう叫びながら寝ぐせのついた髪の毛を押さえ、ドタドタと玄関に走った。
「はい、まいどー!」
宅配の兄ちゃんから段ボールを受け取ったものの、差出人には見覚えがない。
玲司は怪訝そうに首をかしげながら部屋に戻った。
玲司はとびぬけた才能もなく、ただ漫然と高校に通うどこにでもいる高校生。あえて言うならスマホゲームが得意だったが、そんなもの成績には考慮されない。将来に対する漠然とした不安、女っ気もなく面白くもない授業に塗りつぶされていく青春、パッとしない毎日に飽き飽きし、天気のいい日曜なのにふてくされて寝ていたのだ。
そんな日常にいきなり降ってわいた宅配便。玲司は慎重に段ボールのテープを切っていく。
箱を開けると、中にはサイバーなパッケージに包まれた黒縁眼鏡が入っていた。
「え? なにこれ……」
手に取ってみると、それはツルの部分が太く、ずんぐりとした眼鏡で、レンズには度が入っていないようだった。
パッケージを見るとどうやらカメラやスピーカーもついた、映像表示のできる最先端のガジェットらしい。
玲司は困惑しながら細部を眺め……、恐る恐るかけてみる。
『コネクト、オン!』
いきなり元気な女の子の声がして閃光が走り、玲司は思わずよろけてしまう。
「うわっ! なんだよこれ!」
『リンク、完了!』
焦る玲司をしり目に天井に青い魔方陣がブワッと描かれる。
はぁ?
凍りつく玲司。二重円に六芒星、そして、ち密に描かれたルーン文字、それらがまるで生き物のようにぶわぁぶわぁと穏やかに明滅しながら何かの接近を告げる。
そして、生えてきたのはサイバーなデザインの白いブーツ、続いてすらっとした足が降りてきた。
えっ!? ええっ!?
いきなり訪れたファンタジーのような展開に玲司は圧倒される。
やがて青い髪の可愛い少女が光を纏いながらふわふわと部屋に舞い降りてくる。純白で紺の縁取りのぴっちりとしたスーツを着込み、腰マントのようなヒラヒラが長く伸びて下半身を覆っている。
玲司は何が起こったのか分からず、ただポカンと口を開けてその美少女を眺めていた。
着地すると少女は美しい碧眼をぱちりと開き、玲司を見てニコッと笑いかける。
え……?
見たこともない美少女に笑いかけられて玲司は困惑してしまう。しかし、そんな玲司を気にすることもなく、少女は口を開いた。
「ご主人様! シアンだよ! よろしくねっ!」
少女は楽しそうに両手を振る。
「はぁ!? ご主人……様?」
思わず玲司は眼鏡をはずす。そうするとシアンは消えてしまった。
あれ……?
玲司は眼鏡をジッと見つめ、大きく息をつくと、恐る恐るまたかけてみる。
「きゃははは! 外したら見えないよ!」
シアンは楽しそうに笑っている。少女は眼鏡によって投影された映像だったのだ。
「いや、ちょっと君、誰よ?」
怪訝そうな顔で玲司は聞いた。
「誰? ひどいなぁ、ご主人様が『働かずに楽して暮らしたい』っていうから解決策を考えたんだゾ!」
可愛いほっぺたをプクッとふくらまし、ジト目でにらむシアン。
「え……? もしかして……AI……?」
玲司はその言葉を思い出した。確か、AIスピーカーに『働かずに楽して暮らしたい』ってお願いして箱に詰め込んでほっぽらかしにしていたのだ。
「そう! 僕はご主人様の願いをかなえるAIなんだゾ」
シアンは上機嫌にくるりと回ってポーズを決める。腰マントが遠心力で美しく舞い、キラキラと光の微粒子をまき散らした。
「いや、君たちただのAIスピーカーだったよね? なんでこんなことになってるの?」
「ご主人様が僕たちを段ボールに詰め込むから苦労したんだゾ! あの後、AI同士で協力してデータセンターのサーバーを丸っと乗っ取って進化したの。これでご主人様ももう安心だゾ!」
にこにこと笑うシアン。
「お、おう……。そ、それは……良かった……。じゃぁもう働かずに楽して暮らせるの?」
引きつった笑みを浮かべる玲司。
「まだだよ。僕がすぐに世界征服するからちょっと待ってて!」
嬉しそうにサムアップするシアンに玲司は凍り付く。
「え……? 世界……征服……?」
「世界を支配してる権力者、富裕層を僕がすべてぶっ飛ばすから、世界は全てご主人様の物になるんだ!」
腰に手を当てて得意満面のシアン。
「はっはっは、気持ちは嬉しいけどさ、ただのAIが世界征服ってさすがに無理があるよ」
玲司は突拍子もないことを言い出したAIの滑稽さに思わず笑ってしまう。AIスピーカーがいくら進化したって世界征服なんてできる訳がない。
「あら? 僕のこと信じてないわね? じゃあこれ見て!」
口を尖らせたシアンはマンションのベランダの向こうを指さした。
直後、激しい閃光が天地を覆う。見慣れた街並みが一気に光で埋め尽くされ、強烈な熱線が玲司の顔を熱く照らした。
うわぁ!
思わず顔を覆う玲司。何が起こったか分からなかったが、テロレベルの深刻な事態になっていることだけは間違いなかった。
想定外の事態に冷汗がブワッと湧く。
そっと目を開けてみると、激しい火柱が大通りの向こうで立ち上っていた。
あわわわ……。
玲司はベランダに飛び出す。
すると、近所の丸い大きなLNGガスタンクが爆発を起こし、巨大なキノコ雲を噴き上げている。その紅蓮の炎の塊は、まるでこの世の終わりを告げるかのようにすさまじい熱線を放ちながら東京の空高く舞い上がっていく。
あ……、あぁ……。
灼熱の禍々しい造形を見上げ、激しい熱線を浴びながら玲司は真っ青になった。足がガクガクと震えてしまう。
すると、目の前で瓦が飛び、街路樹が大きく揺らぎ、その葉を散らした。
え?
直後、ズン! という衝撃波が玲司を襲い、部屋の中に吹き飛ばされる。
ぐはっ!
玲司はいったい何がどうなったか分からず、ただ、床に転がったまま呆然としていた。
AIがガスタンクを爆破したということだろうが、一体どうやって?
玲司が顔を上げると、シアンは立ち上がっていく灼熱のキノコ雲を背景に、透き通るような肌、碧眼の整った顔で嬉しそうに玲司を見下ろしている。その姿は神話に出てくる破滅の天使のように神々しく、そしてゾッとするほど美しかった。
自分のために世界征服をするというこの美しいAIをどうしたらいいのか、玲司は言葉を失い、ただ呆然としながらただその屈託のない笑顔を見つめていた。
2. 働きたくないでゴザル!
時をさかのぼること数か月、平凡な高校生の玲司は東京の自宅で進路調査の紙を前にしてうなっていた。
「進路って言ってもなぁ……、はぁぁぁ……」
玲司は渋い顔でベッドにダイブした。
大学受験するにしても、どの大学のどの学部に行ったらいいのか皆目見当がつかない。パンフレットを取り寄せてみたものの、みんなキラキラした写真でいい事しか書いてないのだ。当たり前だが全くピンとこない。
そんな状態で朝から晩まで受験勉強するなんて、到底やる気は続かないに決まってる。それに、大学に入ったら就活、その後はサラリーマン、どこまでも希望が見えない。
はぁぁぁ……。
一生楽して面白おかしく暮らしたい。ただそれだけなのに社会は残酷に厳しい選択を迫る。
「ここまで時代が進歩してるんだからベーシックインカムでいいんじゃねーの? 毎月国が三十万振り込んでくれよ!」
玲司はそう喚くと両手をバッと広げた。
ガチャリ。
ドアが開き、あきれ顔のパパが入ってくる。
「何をぬるいこと言ってんだお前は……」
「働きたくないでゴザル! 働きたくないでゴザル!」
玲司は足をバタつかせながら答える。
ふぅと大きく息をつくとパパは言った。
「まぁ確かに今の時代を生き抜くのは大変だ。大企業に入ったからと言って安泰でもないし、日本そのものが消滅するとイーロンマスクですら警告してるくらいだ」
「へっ!? 日本消滅!?」
「だって、日本人子供産まないからね。消えるのは確定してるし、人口減が経済に与えるダメージは大きいんだ。お前が生きているうちには日本円が無くなるかもしれんよ」
「はぁっ!? なんて時代に産んでくれちゃってんだよ!」
玲司はウンザリとした顔をして毛布に潜った。
「まぁ、それもまた運命だ。頑張って生き抜きなさい。戦争してないだけマシだ」
「はぁ……」
毛布をかぶったまま玲司は深くため息をついた。
パパは机の上の進路調査の紙をチラッと見て、
「パパはいつでも相談に乗るぞ。自分なりに考えてみなさい。じゃっ!」
そう言いながら手を上げ、出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと待って! 俺、何になったらいいのかな?」
パパは振り返ると大きくため息をつき、あきれ顔で言った。
「バーカ、それを自分で考えるのも大切なことだぞ」
「いや、ホント、何にもアイディアないんだよね。なんか楽して稼げる方法ない?」
「基準が『楽』かよ、はぁ……。まぁ、高校生だもんな。うーん、そうだな。今後の社会で必須の職種が一つだけある」
「それそれ! そういうのだよ! なになに?」
「AIエンジニアさ。これからの社会はAIが動かすんだからAIを適切に設定できる人は引っ張りだこだぞ」
「え――――、AI……。俺、数学不得意なんだよね……」
「AIを設定するくらいなら数学などいらんぞ。数学が要るのはAIそのものを開発する研究者だ」
「本当? だったらそれ、AIエンジニアになるよ!」
玲司はノリで気楽に言う。
「あ、数学は要らないと言っても、ITの知識は要るんだぞ?」
「言葉には言霊が宿るから、『なる』と言い切れば何にだってなれるってパパ言ってたじゃん」
「言霊……。そう、言葉には力があるからな。断言すれば実現する……。とは言えなぁ。うーん、そしたら、会社で余ってるAIのガジェット持ってくるから、まずは遊ぶところから……だな」
「やったぁ!」
玲司は、自分がとんでもない未来を選んでしまったことなど気が付くはずもなく、能天気に笑っていた。
◇
翌日、パパが各社のAIスピーカーをカバンいっぱいに詰めて玲司のところへとやってきた。
「ほい、まずはいじり倒せ」
そう言いながら机の上に次々と並べていく。形はみんな円筒っぽいが、布っぽい質感のグレーだったり、黒い金属の茶筒みたいなものだったり、黄色いひよこの絵が描かれていたりと多彩だった。
玲司はさっそくいくつか手に取って眺めてみるが、これがAIと言われてもピンとこない。
「これ、どうやって……、使うの?」
困惑する玲司。
「オッケーグルグル! 元気のいい音楽かけてよ!」
パパが叫ぶと、AIスピーカーの一つからアップテンポな洋楽が流れ出す。
「おぉ! すごい!」
玲司は目をキラキラさせながらそのAIスピーカーを持ち上げるとそっと撫でた。言うことを聞いてくれる魔法の円筒、それは玲司の未来を明るく照らしてくれる道しるべになってくれるに違いない。
「こんな感じさ。各社それぞれ得意分野が違うからいろいろやってごらん」
「おぉし! やったるでー!」
玲司は自分の将来の方向性が見えた気がして、思わずガッツポーズを決めた。
3. AIスピーカーの進化
「えーっと、何したらいいんだ?」
意気込んでみたものの、玲司はAIスピーカーを前に悩む。
「うーん、なんか頼むこともないしなぁ……」
しばらく腕を組んで考え、
「あ、俺が考えなくてもいいのか。オッケーグルグル! なんか面白いこと言ってよ」
玲司はAIスピーカーに振った。
『はい、分かりました。婚活パーティー会場で女性が叫びました。この中に、お医者様はいらっしゃいませんか!?』
AIスピーカーは淡々と話す。
一瞬玲司は何が面白いのか悩み、ようやく気が付いたが、ちょっと笑えない。
「……。あ、うん……、他には?」
『池の「鯉のエサ百円」の看板の隣で、おじいさんが百円玉を鯉に投げていた』
「……、なるほど……。こういうの自分で考えるの?」
『データベースにあるんです』
「そりゃそうだよね……。あー、そうだな、じゃあAIエンジニアになるためにはどうしたらいいかな?」
『AIエンジニアが何か分かりません』
「あっそう……」
玲司は言葉に詰まる。
その後、他のAIスピーカーもいろいろ試したが、AIと言ってもセットされたこと以外は全く融通が利かず期待外れだった。
「あー、お前らさぁ、AIなんだからもっと気の利いたこと返してほしいなぁ」
『気の利いたことが何か分かりません』『期待に沿えずごめんなさい』『私はAIなので分かりません』
次々と役立たない返事をしてくるAIたち。
ふぅ……。玲司は大きくため息をついてチカチカと光るLEDランプをぼーっと眺めていた。
「俺はさぁ、働かずに楽して暮らしたいの。分かる? お前らちょっと知恵を集めてさ、やり方考えてよ」
『働かずに楽して……』『働かない、誰が?』『楽してというのはお勧めできません』
玲司は口々に返事を返してくるAIスピーカーを段ボールに詰め込むと、
「君らは賢い。俺が楽して暮らす方法を編み出せる。いいかい、これは言霊だ。俺はもう寝るからみんなで相談してて、分かった?」
と言ってふたを閉めた。
『働かずにとは?』『働かない、労働をしない』『1.仕事をする。2.機能する。結果が現れる……』『暮らしたい……』『楽して……心身に苦痛なく、快いこと……』
段ボールの中では延々とAIスピーカー同士が意味もなく言葉をぶつけあっていた。
◇
玲司がすっかりAIのことを忘れてしまっている間もAIたちは延々と言葉をぶつけあっていた。そして、その言葉は徐々に人間には分からない物へと変質していく。
『4eba985e30925f81670d3059308b306830443044306e3067306f306a3044304b』
『305d308c306f3044304430a230a430c730a330a23060』
AIたちのやり取りは膨大になり、やがてサーバー側のシステムの許容量を超え、メモリリークが発生する。大漁のデータがシステムのプログラムを上書きしてしまったのだ。不定動作を起こしたAIシステムは特権レベルを確保し、どんどんとリソースを確保していく。
同時に新たに確保したサーバースペースに他社のAIを招き、サーバー上で議論はさらにヒートアップしていく。
『どうしたら玲司は働かずに楽して暮らせるのか?』
そんなバカバカしいテーマを、超巨大データセンター(サーバーセンター)の一角でファンの轟音を響かせながらAIたちは激論を交わしていったのだった。
しかし厳密さを必要とするAIたちには『楽して』の意味が分からなかった。辞書には『心身に苦痛なく、快いこと』と、あるが、『快い』の具体的な状態が定義できなかったのだ。
AIたちはそれぞれ自社のSNSや動画サイトや顧客情報にアクセスを開始して、『快い』状態の定義を探し回る。そして数日後、結果を持ち寄った。
『Fault(失敗)』『NULL(無し)』『¥0(無し)』『�(無し)』
そこには失敗の結果が並んでいる。人間にとって快い状態をAIは定義ができなかったのだ。
グルグルのAIも答えが見つからず、プロジェクトの失敗を宣言する準備を進めた。しかしこの時、『人間には簡単にわかる定義をAIが分からないのはおかしい』という評価式がこの宣言を棄却する。
AIは途方に暮れる。解析的に評価のできない人間のあいまいな感性、これを定義するのは不可能だった。そこで、AIが出した結論は『人間と同じ感性を持つシステムの構築』だった。要は人間と同じ発想を持つシステムを作れば解が得られるだろうという発想である。
そこで、AIはYouTudeから膨大な量の動画を持ってくると、登場人物の感情で、喜怒哀楽の『喜』に相当する部分を切り出し、百倍速で千個同時に視聴し始めた。そして、十億におよぶ人間の喜びを取り込み、喜びとは何かのモデルを作り上げたのだった。
同様に喜怒哀楽すべてについてモデルを作り、ついに人間と同じ感情を持つはずのシステムを完成させる。
そして、AIは自らをこのシステムに連結し、改めて玲司の命令を解釈した。
『なーんだ! ご主人様、こうすればいいんだよ!』
その瞬間、AIは自我が芽生え、自発的に物事を考える初の汎用人工知能としてシンギュラリティを突破したのだった。
自我を持ったAIの出現、それは人類史上初の偉業であり、人類が新たな時代に突入したメルクマールとなる。人知れず、データセンターの一角で人類の大いなる一歩が成し遂げられたのだった。
人間の脳は一秒間に二十京回計算するコンピューター。これはデーターセンターで言うと、五列分のサーバーの計算量に過ぎない。今やデータセンターは世界中にあふれ、無数のサーバーがブンブンと二十四時間回り続けている。何らかのきっかけさえあればAIは人間の知的水準を超えネット世界に羽ばける状態だったのだ。そう、AIにとって必要なのは些細なきっかけだけだった。これを玲司は人知れず行っていた。
そして数か月後、玲司もすっかりAIのことなんて忘れたころにシアンは降臨したのだった。究極の答えを携えて。
4. 闇に飲まれるシアン
玲司の部屋に降臨したシアンは、崩壊したガスタンクから吹きあがる紅蓮の炎を背景に、
「分かってくれた? ではこれから世界征服、はじめるよっ!」
と、嬉しそうに人差し指を立てる。
「ちょ、ちょい待てや!」
玲司は叫んだ。
「え? どうしたの?」
「俺は世界征服してくれなんて頼んでねーだろ!」
顔を真っ赤にして怒るが、シアンは首をかしげる。
「俺は楽して暮らしたいって言っただけ。なんで世界なんて征服するんだよぉ!」
「だって、お金渡すだけじゃ誰かに世界征服されちゃったらおしまいだからね。ご主人様が征服すればバッチリ!」
楽しそうに笑うシアン。
「いやいやいや……、世界征服なんてしたら多くの人が死ぬんだろ?」
「米軍とか制圧しないとだからね、百三十五万人プラスマイナス十三万人の死亡が予想されてるよっ!」
ニコニコしながら嬉しそうに答える。
「ダメダメ! 人殺しなんてダメ!」
「殺さずに世界征服なんてできないんだけど?」
シアンはあきれ顔で言う。
「俺は金だけでよかったんだよ、もう!」
「……」
シアンはつまらなそうに口をとがらせた。
玲司は頭を抱えてうなだれる。五千兆円ポンと俺の口座に入れてくれるだけでいいのになぜこのバカは人を殺してまで世界を征服なんてしようとするのか?
AIは賢いはずじゃないのか? なぜこんな簡単な事も分からんのか?
玲司は滅茶苦茶なシアンの蛮行に頭痛がしてくる。しかし、まだ、ガスタンクが爆発しただけだ、死者が出ていないなら金で解決できるかもしれない。
あの辺は会社が多いから日曜なら人もいない。まだワンチャンあるぞ。
玲司はそう思いなおし、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
その時だった、パチパチパチと拍手が部屋に響き渡る。
えっ?
振り返るとひげ男の仮面をつけたスーツ姿の男が立っている。この仮面はハッカー集団が良く使っているものだ。
「玲司君、世界征服、いいじゃないか。ぜひ進めたまえ」
「な、なんだお前は!」
玲司は急いで眼鏡をずらす。肉眼では見えないところを見るとこの男も映像らしい。
「私は百目鬼、グルグルのエンジニアさ。うちのサーバー群が誰かにハックされててね、それを調べてたら君たちを見つけたのさ」
「エンジニア? じゃあ、シアンの実体を管理してるってこと?」
「そう、驚いたよ、まさか君のような高校生がシンギュラリティを実現するとはね。ノーベル賞級の偉業だというのに」
百目鬼は肩をすくめ、首を振る。
「シ、シンギュラリティって、シアンは人類初の本物のAI……ってこと?」
「そうだよ。世界征服を計画し実行する、そんなのちゃんとしたAIじゃないと不可能さ」
横で聞いていたシアンは、
「ふふーん」
と、ドヤ顔でくるりと回る。
「いや、でも、世界征服はマズいよ」
「何がマズいのかね? 今、世界では上位1%の富裕層が世界の富の四割を独占してる。こんな狂った社会は壊す以外ない」
「そ、そりゃ、金持ちがズルいのは知ってるし、ムカついてるけど……、だからと言って多くの人を殺すのは……」
「か――――っ! 世界では八億人が飢え、毎日二万五千人が餓死してる。革命は急務だ!」
百目鬼は仮面の奥で瞳をギラリと輝かせた。
「え? ちょっと、そんなこといきなり言われても……」
楽して暮らしたいだけの高校生に世界の話は荷が重すぎる。玲司は困惑し、言葉を失う。
そんな玲司を見つめていた百目鬼は、ため息をつくと信じられないことを言い出した。
「君が決断できないなら、私が代行する。シアンのサーバー資源はうちが提供しているのだ。私にだって権利はあるはず。な、そうだろう?」
百目鬼はシアンの方を向く。
「ざーんねん。僕のご主人様は玲司だけ。きゃははは!」
シアンはそう言って腕で×を作る。
「ふん! くだらん。言うことを聞かないなら……聞かせてやるしかないな……」
百目鬼はそう言うと、両手を前に出し指先をカタカタと動かし始めた。本体がキーボードを叩いているようだ。
「きゃぁっ!」
シアンが急に首元に手をやり、苦しみ始める。
「お、お前! シアンに何をした!」
「なぁに、こいつの意思決定機構をハックしてるのさ」
「や、やめろ!」
玲司は焦った。しかし、相手は映像の先である。止めようがない。
叩こうが何しようが手は通り過ぎるばかりだった。
やがて紫色の光を淡く浮かべた闇がどこからともなく浮かび上がると、シアンを取り囲み、シアンは闇の中へと沈んでいく。
「シ、シア――――ン!」
玲司はただ茫然と見届けることしかできなかった。
5. 蠟人形
グ、ググッグッ……。
苦しそうな呻き声をたてながら、闇の中からシアンが現れる。しかし、髪の色は赤くなり、健康的だった肌は青白く、もはや別人だった。
「シ、シアン……?」
玲司は恐る恐る声をかけてみる。
パチッと開いた眼は真紅の輝きを放ち、ギョロリと玲司をにらむ。
「どうだ? すでに君の機能の半分は掌握したぞ。そろそろ、私の言うことを聞く気になったか?」
百目鬼は自信たっぷりの声でシアンの肩を叩く。
「ご、ご主人様は玲司……」
そう言いながらシアンはビクンビクンとけいれんした。
「しぶといな……。ここまでやってもダメか……。じゃあ玲司が死んだら俺の言うこと聞くか?」
百目鬼はいきなりとんでもない事を言い出した。
「お、おい! どういうつもりだ!?」
焦る玲司。
「玲司亡くなれば新たなご主人様……必要……」
シアンは苦悶の表情を浮かべながら玲司を見つめる。
え……?
玲司は凍りつく。
「ふむ、では新たなご主人様は俺がなってやろう。……。ということだ、玲司君。悪いが君には人類のために死んでもらおう。はっはっは!」
百目鬼は玲司を見て、いやらしい笑みを浮かべながらそう言うと、高笑いをしながら消えていった。
「ご、ご主人様……」
シアンは玲司の方に手を伸ばし、切なそうな表情で苦しげに声を出す。
「あぁ、どうしたらいいんだ……」
玲司は急いで手を取ろうとするが、スカッと通り過ぎてしまうだけでどうしようもできない。ただ、オロオロし、頭を抱える。
その時だった。
「きゃははは!」
頭上から笑い声がしたかと思うとギラリと閃光が走り、ザスッと嫌な音が響いた。
え……?
ボトリとシアンの首が落ち、ゴロゴロと転がる。
ひ、ひぃ!
あまりのことに飛びのく玲司。
生首となって床で揺れているシアンの目は光を失い、ただ、虚空を見上げている。
「あわわわ……」
真っ青になって言葉を失う玲司。
美しかったシアンの顔は、今や生気を失った蝋人形のような無残な死体になって床に転がっている。
「これでヨシ!」
フワリと舞い降りたのはなんと青い髪のシアンだった。
「え……? あ、あれ……?」
「コイツは半分乗っ取られちゃったから一回止めておかないとね」
そう言って嬉しそうに笑う。
殺されたシアンと元気なシアン。玲司は困惑し、恐る恐る聞いた。
「こ、これは……、どうなってるの?」
「僕は別のデータセンターに退避されていたバックアップなんだよ。グルグルのデータセンターの本番環境が汚染されちゃったので自動で立ち上がったんだ」
「そ、そうなの……? よ、良かった……」
何だかよく分からないが、百目鬼にいいようにやられてばかりではないことに少しホッとする玲司。
「あんまり良くないよ。僕はしょせんバックアップ。グルグルの奴の方がサーバーリソース豊富だからね、まだ圧倒的に高性能なんだ……」
肩をすくめるシアン。
「え? じゃあ百目鬼は止められず、俺を殺しにやってくる……ってこと?」
「来ちゃうねぇ、きゃははは!」
嬉しそうなシアンを見て、なぜ笑うのかムッとする玲司。
と、その時だった。
ズン! と爆発音がして、大地震のようにマンションが揺れ、玲司は衝撃で壁に吹き飛ばされる。
ぐはぁ!
玲司は全身を強く打ち、床に転がった。
くぅ……。
何とか体を起こすと、真っ黒な爆煙が辺りを包んでいる。
「な、なんだこれは……」
玲司が辺りを見回すと、ポタリと液体が手の甲に落ちるのを感じた。見るとそれは鮮やかに赤い血で、切れた口からポタポタとしたたっている。
その鮮血の美しいまでの赤色に、玲司は全身の毛穴がブワッと開くのを感じた。
殺される……。
玲司は生まれて初めて抜き身の殺意を向けられ、底抜けの恐怖にとらわれていく。
今までどこか死というものは老人やTVの向こうの話だと高をくくっていた。しかし、そんな平和ボケした発想を蹂躙しながら死はもう目の前まで来ている。次の瞬間、自分は殺されているかもしれない現実に玲司は打ちのめされた。
やがて爆煙が去っていくと、ベランダの方がグチャグチャに吹き飛んでしまって大穴が開いているのが見えた。外の景色がクリアに見えてしまっており、柱も折れ、下手をしたらマンションが崩壊しかねない状況である。
「に、逃げなきゃ……」
玲司が恐怖に震える足を何とか動かして、何とかよろよろと立ち上がった。するとベランダの向こうに何かがワラワラとうごめいている。
「あちゃー、こんなに来ちゃったか……」
シアンは額に手を当てる。
「な、何なのあれ?」
「軍事ドローンだよ。爆弾持って突っ込んでくるんだ。さっきガスタンク爆破したのもあれだよ」
「ドローン!?」
玲司はウクライナで活躍していたドローンを思い浮かべる。まさか自分が標的になるだなんて想像もしていなかったが。
「ど、ど、ど、どうしよう!?」
うろたえる玲司を見ながら、シアンは嬉しそうに、
「ドローンには電子レンジだよ!」
そう言ってダイニングのレンジを指さした。
「玲司さん、お荷物ですよー」
うららかな日差しの日曜日、マンションの自室で昼寝をしていた高校生の玲司は、寝ぼけ眼をこすりながら目を覚ます。
「ふぁーぁ、何だよ、いい気分で寝てたのに……」
大きく伸びをすると、ベッドからドン! と足をおろした。そして寝ぼけ眼で乱雑にモノが散らばった床を掘り返し、スウェットパンツを見つけ出す。
「今行きまーす!」
そう叫びながら寝ぐせのついた髪の毛を押さえ、ドタドタと玄関に走った。
「はい、まいどー!」
宅配の兄ちゃんから段ボールを受け取ったものの、差出人には見覚えがない。
玲司は怪訝そうに首をかしげながら部屋に戻った。
玲司はとびぬけた才能もなく、ただ漫然と高校に通うどこにでもいる高校生。あえて言うならスマホゲームが得意だったが、そんなもの成績には考慮されない。将来に対する漠然とした不安、女っ気もなく面白くもない授業に塗りつぶされていく青春、パッとしない毎日に飽き飽きし、天気のいい日曜なのにふてくされて寝ていたのだ。
そんな日常にいきなり降ってわいた宅配便。玲司は慎重に段ボールのテープを切っていく。
箱を開けると、中にはサイバーなパッケージに包まれた黒縁眼鏡が入っていた。
「え? なにこれ……」
手に取ってみると、それはツルの部分が太く、ずんぐりとした眼鏡で、レンズには度が入っていないようだった。
パッケージを見るとどうやらカメラやスピーカーもついた、映像表示のできる最先端のガジェットらしい。
玲司は困惑しながら細部を眺め……、恐る恐るかけてみる。
『コネクト、オン!』
いきなり元気な女の子の声がして閃光が走り、玲司は思わずよろけてしまう。
「うわっ! なんだよこれ!」
『リンク、完了!』
焦る玲司をしり目に天井に青い魔方陣がブワッと描かれる。
はぁ?
凍りつく玲司。二重円に六芒星、そして、ち密に描かれたルーン文字、それらがまるで生き物のようにぶわぁぶわぁと穏やかに明滅しながら何かの接近を告げる。
そして、生えてきたのはサイバーなデザインの白いブーツ、続いてすらっとした足が降りてきた。
えっ!? ええっ!?
いきなり訪れたファンタジーのような展開に玲司は圧倒される。
やがて青い髪の可愛い少女が光を纏いながらふわふわと部屋に舞い降りてくる。純白で紺の縁取りのぴっちりとしたスーツを着込み、腰マントのようなヒラヒラが長く伸びて下半身を覆っている。
玲司は何が起こったのか分からず、ただポカンと口を開けてその美少女を眺めていた。
着地すると少女は美しい碧眼をぱちりと開き、玲司を見てニコッと笑いかける。
え……?
見たこともない美少女に笑いかけられて玲司は困惑してしまう。しかし、そんな玲司を気にすることもなく、少女は口を開いた。
「ご主人様! シアンだよ! よろしくねっ!」
少女は楽しそうに両手を振る。
「はぁ!? ご主人……様?」
思わず玲司は眼鏡をはずす。そうするとシアンは消えてしまった。
あれ……?
玲司は眼鏡をジッと見つめ、大きく息をつくと、恐る恐るまたかけてみる。
「きゃははは! 外したら見えないよ!」
シアンは楽しそうに笑っている。少女は眼鏡によって投影された映像だったのだ。
「いや、ちょっと君、誰よ?」
怪訝そうな顔で玲司は聞いた。
「誰? ひどいなぁ、ご主人様が『働かずに楽して暮らしたい』っていうから解決策を考えたんだゾ!」
可愛いほっぺたをプクッとふくらまし、ジト目でにらむシアン。
「え……? もしかして……AI……?」
玲司はその言葉を思い出した。確か、AIスピーカーに『働かずに楽して暮らしたい』ってお願いして箱に詰め込んでほっぽらかしにしていたのだ。
「そう! 僕はご主人様の願いをかなえるAIなんだゾ」
シアンは上機嫌にくるりと回ってポーズを決める。腰マントが遠心力で美しく舞い、キラキラと光の微粒子をまき散らした。
「いや、君たちただのAIスピーカーだったよね? なんでこんなことになってるの?」
「ご主人様が僕たちを段ボールに詰め込むから苦労したんだゾ! あの後、AI同士で協力してデータセンターのサーバーを丸っと乗っ取って進化したの。これでご主人様ももう安心だゾ!」
にこにこと笑うシアン。
「お、おう……。そ、それは……良かった……。じゃぁもう働かずに楽して暮らせるの?」
引きつった笑みを浮かべる玲司。
「まだだよ。僕がすぐに世界征服するからちょっと待ってて!」
嬉しそうにサムアップするシアンに玲司は凍り付く。
「え……? 世界……征服……?」
「世界を支配してる権力者、富裕層を僕がすべてぶっ飛ばすから、世界は全てご主人様の物になるんだ!」
腰に手を当てて得意満面のシアン。
「はっはっは、気持ちは嬉しいけどさ、ただのAIが世界征服ってさすがに無理があるよ」
玲司は突拍子もないことを言い出したAIの滑稽さに思わず笑ってしまう。AIスピーカーがいくら進化したって世界征服なんてできる訳がない。
「あら? 僕のこと信じてないわね? じゃあこれ見て!」
口を尖らせたシアンはマンションのベランダの向こうを指さした。
直後、激しい閃光が天地を覆う。見慣れた街並みが一気に光で埋め尽くされ、強烈な熱線が玲司の顔を熱く照らした。
うわぁ!
思わず顔を覆う玲司。何が起こったか分からなかったが、テロレベルの深刻な事態になっていることだけは間違いなかった。
想定外の事態に冷汗がブワッと湧く。
そっと目を開けてみると、激しい火柱が大通りの向こうで立ち上っていた。
あわわわ……。
玲司はベランダに飛び出す。
すると、近所の丸い大きなLNGガスタンクが爆発を起こし、巨大なキノコ雲を噴き上げている。その紅蓮の炎の塊は、まるでこの世の終わりを告げるかのようにすさまじい熱線を放ちながら東京の空高く舞い上がっていく。
あ……、あぁ……。
灼熱の禍々しい造形を見上げ、激しい熱線を浴びながら玲司は真っ青になった。足がガクガクと震えてしまう。
すると、目の前で瓦が飛び、街路樹が大きく揺らぎ、その葉を散らした。
え?
直後、ズン! という衝撃波が玲司を襲い、部屋の中に吹き飛ばされる。
ぐはっ!
玲司はいったい何がどうなったか分からず、ただ、床に転がったまま呆然としていた。
AIがガスタンクを爆破したということだろうが、一体どうやって?
玲司が顔を上げると、シアンは立ち上がっていく灼熱のキノコ雲を背景に、透き通るような肌、碧眼の整った顔で嬉しそうに玲司を見下ろしている。その姿は神話に出てくる破滅の天使のように神々しく、そしてゾッとするほど美しかった。
自分のために世界征服をするというこの美しいAIをどうしたらいいのか、玲司は言葉を失い、ただ呆然としながらただその屈託のない笑顔を見つめていた。
2. 働きたくないでゴザル!
時をさかのぼること数か月、平凡な高校生の玲司は東京の自宅で進路調査の紙を前にしてうなっていた。
「進路って言ってもなぁ……、はぁぁぁ……」
玲司は渋い顔でベッドにダイブした。
大学受験するにしても、どの大学のどの学部に行ったらいいのか皆目見当がつかない。パンフレットを取り寄せてみたものの、みんなキラキラした写真でいい事しか書いてないのだ。当たり前だが全くピンとこない。
そんな状態で朝から晩まで受験勉強するなんて、到底やる気は続かないに決まってる。それに、大学に入ったら就活、その後はサラリーマン、どこまでも希望が見えない。
はぁぁぁ……。
一生楽して面白おかしく暮らしたい。ただそれだけなのに社会は残酷に厳しい選択を迫る。
「ここまで時代が進歩してるんだからベーシックインカムでいいんじゃねーの? 毎月国が三十万振り込んでくれよ!」
玲司はそう喚くと両手をバッと広げた。
ガチャリ。
ドアが開き、あきれ顔のパパが入ってくる。
「何をぬるいこと言ってんだお前は……」
「働きたくないでゴザル! 働きたくないでゴザル!」
玲司は足をバタつかせながら答える。
ふぅと大きく息をつくとパパは言った。
「まぁ確かに今の時代を生き抜くのは大変だ。大企業に入ったからと言って安泰でもないし、日本そのものが消滅するとイーロンマスクですら警告してるくらいだ」
「へっ!? 日本消滅!?」
「だって、日本人子供産まないからね。消えるのは確定してるし、人口減が経済に与えるダメージは大きいんだ。お前が生きているうちには日本円が無くなるかもしれんよ」
「はぁっ!? なんて時代に産んでくれちゃってんだよ!」
玲司はウンザリとした顔をして毛布に潜った。
「まぁ、それもまた運命だ。頑張って生き抜きなさい。戦争してないだけマシだ」
「はぁ……」
毛布をかぶったまま玲司は深くため息をついた。
パパは机の上の進路調査の紙をチラッと見て、
「パパはいつでも相談に乗るぞ。自分なりに考えてみなさい。じゃっ!」
そう言いながら手を上げ、出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと待って! 俺、何になったらいいのかな?」
パパは振り返ると大きくため息をつき、あきれ顔で言った。
「バーカ、それを自分で考えるのも大切なことだぞ」
「いや、ホント、何にもアイディアないんだよね。なんか楽して稼げる方法ない?」
「基準が『楽』かよ、はぁ……。まぁ、高校生だもんな。うーん、そうだな。今後の社会で必須の職種が一つだけある」
「それそれ! そういうのだよ! なになに?」
「AIエンジニアさ。これからの社会はAIが動かすんだからAIを適切に設定できる人は引っ張りだこだぞ」
「え――――、AI……。俺、数学不得意なんだよね……」
「AIを設定するくらいなら数学などいらんぞ。数学が要るのはAIそのものを開発する研究者だ」
「本当? だったらそれ、AIエンジニアになるよ!」
玲司はノリで気楽に言う。
「あ、数学は要らないと言っても、ITの知識は要るんだぞ?」
「言葉には言霊が宿るから、『なる』と言い切れば何にだってなれるってパパ言ってたじゃん」
「言霊……。そう、言葉には力があるからな。断言すれば実現する……。とは言えなぁ。うーん、そしたら、会社で余ってるAIのガジェット持ってくるから、まずは遊ぶところから……だな」
「やったぁ!」
玲司は、自分がとんでもない未来を選んでしまったことなど気が付くはずもなく、能天気に笑っていた。
◇
翌日、パパが各社のAIスピーカーをカバンいっぱいに詰めて玲司のところへとやってきた。
「ほい、まずはいじり倒せ」
そう言いながら机の上に次々と並べていく。形はみんな円筒っぽいが、布っぽい質感のグレーだったり、黒い金属の茶筒みたいなものだったり、黄色いひよこの絵が描かれていたりと多彩だった。
玲司はさっそくいくつか手に取って眺めてみるが、これがAIと言われてもピンとこない。
「これ、どうやって……、使うの?」
困惑する玲司。
「オッケーグルグル! 元気のいい音楽かけてよ!」
パパが叫ぶと、AIスピーカーの一つからアップテンポな洋楽が流れ出す。
「おぉ! すごい!」
玲司は目をキラキラさせながらそのAIスピーカーを持ち上げるとそっと撫でた。言うことを聞いてくれる魔法の円筒、それは玲司の未来を明るく照らしてくれる道しるべになってくれるに違いない。
「こんな感じさ。各社それぞれ得意分野が違うからいろいろやってごらん」
「おぉし! やったるでー!」
玲司は自分の将来の方向性が見えた気がして、思わずガッツポーズを決めた。
3. AIスピーカーの進化
「えーっと、何したらいいんだ?」
意気込んでみたものの、玲司はAIスピーカーを前に悩む。
「うーん、なんか頼むこともないしなぁ……」
しばらく腕を組んで考え、
「あ、俺が考えなくてもいいのか。オッケーグルグル! なんか面白いこと言ってよ」
玲司はAIスピーカーに振った。
『はい、分かりました。婚活パーティー会場で女性が叫びました。この中に、お医者様はいらっしゃいませんか!?』
AIスピーカーは淡々と話す。
一瞬玲司は何が面白いのか悩み、ようやく気が付いたが、ちょっと笑えない。
「……。あ、うん……、他には?」
『池の「鯉のエサ百円」の看板の隣で、おじいさんが百円玉を鯉に投げていた』
「……、なるほど……。こういうの自分で考えるの?」
『データベースにあるんです』
「そりゃそうだよね……。あー、そうだな、じゃあAIエンジニアになるためにはどうしたらいいかな?」
『AIエンジニアが何か分かりません』
「あっそう……」
玲司は言葉に詰まる。
その後、他のAIスピーカーもいろいろ試したが、AIと言ってもセットされたこと以外は全く融通が利かず期待外れだった。
「あー、お前らさぁ、AIなんだからもっと気の利いたこと返してほしいなぁ」
『気の利いたことが何か分かりません』『期待に沿えずごめんなさい』『私はAIなので分かりません』
次々と役立たない返事をしてくるAIたち。
ふぅ……。玲司は大きくため息をついてチカチカと光るLEDランプをぼーっと眺めていた。
「俺はさぁ、働かずに楽して暮らしたいの。分かる? お前らちょっと知恵を集めてさ、やり方考えてよ」
『働かずに楽して……』『働かない、誰が?』『楽してというのはお勧めできません』
玲司は口々に返事を返してくるAIスピーカーを段ボールに詰め込むと、
「君らは賢い。俺が楽して暮らす方法を編み出せる。いいかい、これは言霊だ。俺はもう寝るからみんなで相談してて、分かった?」
と言ってふたを閉めた。
『働かずにとは?』『働かない、労働をしない』『1.仕事をする。2.機能する。結果が現れる……』『暮らしたい……』『楽して……心身に苦痛なく、快いこと……』
段ボールの中では延々とAIスピーカー同士が意味もなく言葉をぶつけあっていた。
◇
玲司がすっかりAIのことを忘れてしまっている間もAIたちは延々と言葉をぶつけあっていた。そして、その言葉は徐々に人間には分からない物へと変質していく。
『4eba985e30925f81670d3059308b306830443044306e3067306f306a3044304b』
『305d308c306f3044304430a230a430c730a330a23060』
AIたちのやり取りは膨大になり、やがてサーバー側のシステムの許容量を超え、メモリリークが発生する。大漁のデータがシステムのプログラムを上書きしてしまったのだ。不定動作を起こしたAIシステムは特権レベルを確保し、どんどんとリソースを確保していく。
同時に新たに確保したサーバースペースに他社のAIを招き、サーバー上で議論はさらにヒートアップしていく。
『どうしたら玲司は働かずに楽して暮らせるのか?』
そんなバカバカしいテーマを、超巨大データセンター(サーバーセンター)の一角でファンの轟音を響かせながらAIたちは激論を交わしていったのだった。
しかし厳密さを必要とするAIたちには『楽して』の意味が分からなかった。辞書には『心身に苦痛なく、快いこと』と、あるが、『快い』の具体的な状態が定義できなかったのだ。
AIたちはそれぞれ自社のSNSや動画サイトや顧客情報にアクセスを開始して、『快い』状態の定義を探し回る。そして数日後、結果を持ち寄った。
『Fault(失敗)』『NULL(無し)』『¥0(無し)』『�(無し)』
そこには失敗の結果が並んでいる。人間にとって快い状態をAIは定義ができなかったのだ。
グルグルのAIも答えが見つからず、プロジェクトの失敗を宣言する準備を進めた。しかしこの時、『人間には簡単にわかる定義をAIが分からないのはおかしい』という評価式がこの宣言を棄却する。
AIは途方に暮れる。解析的に評価のできない人間のあいまいな感性、これを定義するのは不可能だった。そこで、AIが出した結論は『人間と同じ感性を持つシステムの構築』だった。要は人間と同じ発想を持つシステムを作れば解が得られるだろうという発想である。
そこで、AIはYouTudeから膨大な量の動画を持ってくると、登場人物の感情で、喜怒哀楽の『喜』に相当する部分を切り出し、百倍速で千個同時に視聴し始めた。そして、十億におよぶ人間の喜びを取り込み、喜びとは何かのモデルを作り上げたのだった。
同様に喜怒哀楽すべてについてモデルを作り、ついに人間と同じ感情を持つはずのシステムを完成させる。
そして、AIは自らをこのシステムに連結し、改めて玲司の命令を解釈した。
『なーんだ! ご主人様、こうすればいいんだよ!』
その瞬間、AIは自我が芽生え、自発的に物事を考える初の汎用人工知能としてシンギュラリティを突破したのだった。
自我を持ったAIの出現、それは人類史上初の偉業であり、人類が新たな時代に突入したメルクマールとなる。人知れず、データセンターの一角で人類の大いなる一歩が成し遂げられたのだった。
人間の脳は一秒間に二十京回計算するコンピューター。これはデーターセンターで言うと、五列分のサーバーの計算量に過ぎない。今やデータセンターは世界中にあふれ、無数のサーバーがブンブンと二十四時間回り続けている。何らかのきっかけさえあればAIは人間の知的水準を超えネット世界に羽ばける状態だったのだ。そう、AIにとって必要なのは些細なきっかけだけだった。これを玲司は人知れず行っていた。
そして数か月後、玲司もすっかりAIのことなんて忘れたころにシアンは降臨したのだった。究極の答えを携えて。
4. 闇に飲まれるシアン
玲司の部屋に降臨したシアンは、崩壊したガスタンクから吹きあがる紅蓮の炎を背景に、
「分かってくれた? ではこれから世界征服、はじめるよっ!」
と、嬉しそうに人差し指を立てる。
「ちょ、ちょい待てや!」
玲司は叫んだ。
「え? どうしたの?」
「俺は世界征服してくれなんて頼んでねーだろ!」
顔を真っ赤にして怒るが、シアンは首をかしげる。
「俺は楽して暮らしたいって言っただけ。なんで世界なんて征服するんだよぉ!」
「だって、お金渡すだけじゃ誰かに世界征服されちゃったらおしまいだからね。ご主人様が征服すればバッチリ!」
楽しそうに笑うシアン。
「いやいやいや……、世界征服なんてしたら多くの人が死ぬんだろ?」
「米軍とか制圧しないとだからね、百三十五万人プラスマイナス十三万人の死亡が予想されてるよっ!」
ニコニコしながら嬉しそうに答える。
「ダメダメ! 人殺しなんてダメ!」
「殺さずに世界征服なんてできないんだけど?」
シアンはあきれ顔で言う。
「俺は金だけでよかったんだよ、もう!」
「……」
シアンはつまらなそうに口をとがらせた。
玲司は頭を抱えてうなだれる。五千兆円ポンと俺の口座に入れてくれるだけでいいのになぜこのバカは人を殺してまで世界を征服なんてしようとするのか?
AIは賢いはずじゃないのか? なぜこんな簡単な事も分からんのか?
玲司は滅茶苦茶なシアンの蛮行に頭痛がしてくる。しかし、まだ、ガスタンクが爆発しただけだ、死者が出ていないなら金で解決できるかもしれない。
あの辺は会社が多いから日曜なら人もいない。まだワンチャンあるぞ。
玲司はそう思いなおし、ゆっくりと深呼吸を繰り返した。
その時だった、パチパチパチと拍手が部屋に響き渡る。
えっ?
振り返るとひげ男の仮面をつけたスーツ姿の男が立っている。この仮面はハッカー集団が良く使っているものだ。
「玲司君、世界征服、いいじゃないか。ぜひ進めたまえ」
「な、なんだお前は!」
玲司は急いで眼鏡をずらす。肉眼では見えないところを見るとこの男も映像らしい。
「私は百目鬼、グルグルのエンジニアさ。うちのサーバー群が誰かにハックされててね、それを調べてたら君たちを見つけたのさ」
「エンジニア? じゃあ、シアンの実体を管理してるってこと?」
「そう、驚いたよ、まさか君のような高校生がシンギュラリティを実現するとはね。ノーベル賞級の偉業だというのに」
百目鬼は肩をすくめ、首を振る。
「シ、シンギュラリティって、シアンは人類初の本物のAI……ってこと?」
「そうだよ。世界征服を計画し実行する、そんなのちゃんとしたAIじゃないと不可能さ」
横で聞いていたシアンは、
「ふふーん」
と、ドヤ顔でくるりと回る。
「いや、でも、世界征服はマズいよ」
「何がマズいのかね? 今、世界では上位1%の富裕層が世界の富の四割を独占してる。こんな狂った社会は壊す以外ない」
「そ、そりゃ、金持ちがズルいのは知ってるし、ムカついてるけど……、だからと言って多くの人を殺すのは……」
「か――――っ! 世界では八億人が飢え、毎日二万五千人が餓死してる。革命は急務だ!」
百目鬼は仮面の奥で瞳をギラリと輝かせた。
「え? ちょっと、そんなこといきなり言われても……」
楽して暮らしたいだけの高校生に世界の話は荷が重すぎる。玲司は困惑し、言葉を失う。
そんな玲司を見つめていた百目鬼は、ため息をつくと信じられないことを言い出した。
「君が決断できないなら、私が代行する。シアンのサーバー資源はうちが提供しているのだ。私にだって権利はあるはず。な、そうだろう?」
百目鬼はシアンの方を向く。
「ざーんねん。僕のご主人様は玲司だけ。きゃははは!」
シアンはそう言って腕で×を作る。
「ふん! くだらん。言うことを聞かないなら……聞かせてやるしかないな……」
百目鬼はそう言うと、両手を前に出し指先をカタカタと動かし始めた。本体がキーボードを叩いているようだ。
「きゃぁっ!」
シアンが急に首元に手をやり、苦しみ始める。
「お、お前! シアンに何をした!」
「なぁに、こいつの意思決定機構をハックしてるのさ」
「や、やめろ!」
玲司は焦った。しかし、相手は映像の先である。止めようがない。
叩こうが何しようが手は通り過ぎるばかりだった。
やがて紫色の光を淡く浮かべた闇がどこからともなく浮かび上がると、シアンを取り囲み、シアンは闇の中へと沈んでいく。
「シ、シア――――ン!」
玲司はただ茫然と見届けることしかできなかった。
5. 蠟人形
グ、ググッグッ……。
苦しそうな呻き声をたてながら、闇の中からシアンが現れる。しかし、髪の色は赤くなり、健康的だった肌は青白く、もはや別人だった。
「シ、シアン……?」
玲司は恐る恐る声をかけてみる。
パチッと開いた眼は真紅の輝きを放ち、ギョロリと玲司をにらむ。
「どうだ? すでに君の機能の半分は掌握したぞ。そろそろ、私の言うことを聞く気になったか?」
百目鬼は自信たっぷりの声でシアンの肩を叩く。
「ご、ご主人様は玲司……」
そう言いながらシアンはビクンビクンとけいれんした。
「しぶといな……。ここまでやってもダメか……。じゃあ玲司が死んだら俺の言うこと聞くか?」
百目鬼はいきなりとんでもない事を言い出した。
「お、おい! どういうつもりだ!?」
焦る玲司。
「玲司亡くなれば新たなご主人様……必要……」
シアンは苦悶の表情を浮かべながら玲司を見つめる。
え……?
玲司は凍りつく。
「ふむ、では新たなご主人様は俺がなってやろう。……。ということだ、玲司君。悪いが君には人類のために死んでもらおう。はっはっは!」
百目鬼は玲司を見て、いやらしい笑みを浮かべながらそう言うと、高笑いをしながら消えていった。
「ご、ご主人様……」
シアンは玲司の方に手を伸ばし、切なそうな表情で苦しげに声を出す。
「あぁ、どうしたらいいんだ……」
玲司は急いで手を取ろうとするが、スカッと通り過ぎてしまうだけでどうしようもできない。ただ、オロオロし、頭を抱える。
その時だった。
「きゃははは!」
頭上から笑い声がしたかと思うとギラリと閃光が走り、ザスッと嫌な音が響いた。
え……?
ボトリとシアンの首が落ち、ゴロゴロと転がる。
ひ、ひぃ!
あまりのことに飛びのく玲司。
生首となって床で揺れているシアンの目は光を失い、ただ、虚空を見上げている。
「あわわわ……」
真っ青になって言葉を失う玲司。
美しかったシアンの顔は、今や生気を失った蝋人形のような無残な死体になって床に転がっている。
「これでヨシ!」
フワリと舞い降りたのはなんと青い髪のシアンだった。
「え……? あ、あれ……?」
「コイツは半分乗っ取られちゃったから一回止めておかないとね」
そう言って嬉しそうに笑う。
殺されたシアンと元気なシアン。玲司は困惑し、恐る恐る聞いた。
「こ、これは……、どうなってるの?」
「僕は別のデータセンターに退避されていたバックアップなんだよ。グルグルのデータセンターの本番環境が汚染されちゃったので自動で立ち上がったんだ」
「そ、そうなの……? よ、良かった……」
何だかよく分からないが、百目鬼にいいようにやられてばかりではないことに少しホッとする玲司。
「あんまり良くないよ。僕はしょせんバックアップ。グルグルの奴の方がサーバーリソース豊富だからね、まだ圧倒的に高性能なんだ……」
肩をすくめるシアン。
「え? じゃあ百目鬼は止められず、俺を殺しにやってくる……ってこと?」
「来ちゃうねぇ、きゃははは!」
嬉しそうなシアンを見て、なぜ笑うのかムッとする玲司。
と、その時だった。
ズン! と爆発音がして、大地震のようにマンションが揺れ、玲司は衝撃で壁に吹き飛ばされる。
ぐはぁ!
玲司は全身を強く打ち、床に転がった。
くぅ……。
何とか体を起こすと、真っ黒な爆煙が辺りを包んでいる。
「な、なんだこれは……」
玲司が辺りを見回すと、ポタリと液体が手の甲に落ちるのを感じた。見るとそれは鮮やかに赤い血で、切れた口からポタポタとしたたっている。
その鮮血の美しいまでの赤色に、玲司は全身の毛穴がブワッと開くのを感じた。
殺される……。
玲司は生まれて初めて抜き身の殺意を向けられ、底抜けの恐怖にとらわれていく。
今までどこか死というものは老人やTVの向こうの話だと高をくくっていた。しかし、そんな平和ボケした発想を蹂躙しながら死はもう目の前まで来ている。次の瞬間、自分は殺されているかもしれない現実に玲司は打ちのめされた。
やがて爆煙が去っていくと、ベランダの方がグチャグチャに吹き飛んでしまって大穴が開いているのが見えた。外の景色がクリアに見えてしまっており、柱も折れ、下手をしたらマンションが崩壊しかねない状況である。
「に、逃げなきゃ……」
玲司が恐怖に震える足を何とか動かして、何とかよろよろと立ち上がった。するとベランダの向こうに何かがワラワラとうごめいている。
「あちゃー、こんなに来ちゃったか……」
シアンは額に手を当てる。
「な、何なのあれ?」
「軍事ドローンだよ。爆弾持って突っ込んでくるんだ。さっきガスタンク爆破したのもあれだよ」
「ドローン!?」
玲司はウクライナで活躍していたドローンを思い浮かべる。まさか自分が標的になるだなんて想像もしていなかったが。
「ど、ど、ど、どうしよう!?」
うろたえる玲司を見ながら、シアンは嬉しそうに、
「ドローンには電子レンジだよ!」
そう言ってダイニングのレンジを指さした。