41
「もしもし」
「今、家に向かってる。――会いたくなった」
「――わかった」と携帯電話から奈津のつぶやくような小さな声が聞こえた。
奈津の実家に着くと、ちょうど奈津が玄関から出てきた。それに合わせて奈津の家の玄関前の明かりがセンサーで電球色に灯された。奈津は黒いTシャツにスキニーのジーンズとラフな格好だった。
黒いTシャツには手足をチェーンで拘束されているテディベアが印刷されていた。奈津の実家は郵便局の官舎で平屋の一軒家だ。白い外装は所々にヒビが入っていて、酷くくたびれていた。家の横には白いセダンの車が駐車されていた。
奈津は玄関の鍵をかけたあと、僕の方に近づいてきた。僕は奈津の方へ歩き、奈津を抱きしめた。
「――ちょっと。家の前だから、やめて」と奈津は僕の耳元でそう囁いた。
「――ごめん」
僕は奈津と同じくらいの小声でそう言ったあと、静かに奈津を離した。
42
自販機でペットボトルのコーラを1本買って、手を繋いで、公園へ向かった。その間、奈津とはまともに会話をしなかった。夜のこの街は次の曲の演奏前みたいに静かだった。その一瞬の間が永遠に続いているような静かさだ。車もあまり通らないから永遠に緊張が続いているような気がした。
公園も当たり前のように誰もいなかった。いくつかの白い蛍光灯が広がる芝の緑色を明確にしていた。ベンチに座った。ベンチは少しひんやりとしていた。
「生きててよかった」
「なにそれ。こんな時間に外に連れ出して、そのセリフ?」
「ごめん。冷やかしじゃないよ。本当に心配だったんだ。ナツのこと」
僕がそう言うと、辺りは夜の静けさに包まれた。都会の静けさとは違う。山に囲まれた静けさで、車が通過する音も、たまにしか聞こえない。
「ねえ。私が死ぬ夢ってそんなにリアルだったの?」
「うん。ものすごくリアルだったよ。夢の中で苦しんだよ。こういう夢見るとずっと胸が痛むこともわかった」
「――そうなんだ。私、もう死んでた?」
「うん。このくらいの時間に死んでたよ。葬式までしっかり夢の中で見てきたから――」と僕はそう言ったあと、葬式の光景を思い出して胸が重くなった。奥歯を噛み締めて涙をこらえようとしたけど、何粒か涙が溢れた。
「え、うそ。泣いてる」
「――ごめん。失いたくないんだよ。もう」と僕はそう言ったあと、鼻をすすった。背中をさすられているのを感じた。奈津はゆっくり手を動かしていた。奈津が僕の背中をさするたび、少しずつ悲しみの波は胸から引いていった。
「ねえ。コーラ飲もう」と奈津はそう言って、ペットボトルの蓋をあけた。そして、僕にコーラを渡した。
僕は黙ってコーラを受け取り一口飲んだ。喉に炭酸の刺激を感じた。僕は奈津にコーラを戻した。奈津は無言で僕からコーラを受け取り、そのあと、一口飲んで、ペットボトルの蓋を閉めた。
「ねえ。私、どうやって死んだの?」
「交通事故だよ。ナツの親の車が事故って死んだんだよ。今頃ね」
「そうなんだ。私の頭、潰れてた?」
「ううん、さすがにそんなに酷くはなかった。顔は綺麗だったよ」
「ふーん。そうなんだ。ならよかった」と奈津は笑顔でそう言った。
「ねえ。今度見る夢はさ、きっといい夢だよ。大人になった私達が出てきて、最果てを旅するの。凛とした霧の中、湿原にある湖を見に行くの。釧路湿原みたいなところ。それで、小高い山に登って、遠くを眺めようとしたとき、ぶわっと霧が一気に晴れて、見惚れるくらいきれいな湖を眺めるの。その湖は透き通っていて、湖の周りには湿原の低い草が一気に広がっているんだ。それでね。私達、景色を見て感動したあと、こうするんだよ」と奈津はそう言って、左手で僕の右肩を抑えた。
そして、僕に寄りかかり、キスをした。奈津の唇は柔らかく、コーラの甘さがした。気づいたらすでにお互いの舌は触れ合っていて、お互いに舌でコーラの爽快感の名残を口移しした。キスをしているうちにだんだん僕と奈津は右側に倒れこんだ。奈津は左手で僕の頭を支えて、ゆっくりと状態をベンチに寝転ぶ姿勢になった。
無心で奈津の唇と舌を追い求めた。奈津は僕の右太ももにまたがり、しっかりと身体全体で僕のことを抱きしめている。奈津はすでに、僕に覆いかぶさるような体勢になっていた。奈津は右手で僕の頬から顎を触っているのを感じた。僕は両手で奈津の背中を掴み、奈津が離れないようにした。今までの中で一番長いキスをした。
奈津は僕の唇からそっと離れた。しばらく、奈津と見つめ合った。白く弱い街灯に照らされている奈津の顔は半分が自分の影で黒くなっていた。
「今日はここまで。続きは今度ね」と奈津はそう言った。そのまま奈津は僕に抱きついたまま僕の上に寝そべった。そして、顔を僕の右肩の上に乗せた。
「私、生きてるでしょ」と奈津は上目遣いでそう言った。
「うん、生きてた」
「幽霊じゃないでしょ?」
「うん。温かかったよ」
「人間、生まれてしまったら、死んでしまうのもセットでしょ。私がもし、いなくなったら、今日の悲しかった気持ち思い出して」
「うん。――俺さ、後悔してることがあるんだ」
「――なに?」
「ナツに好きだって言えなかったことだよ。もっと、好きって伝えればよかったって、夢の中でずっと思ってた」
「――ありがとう。私もだよ」と奈津がそう言い終わったあと、僕は右手で奈津の頭を撫でた。
「もしもし」
「今、家に向かってる。――会いたくなった」
「――わかった」と携帯電話から奈津のつぶやくような小さな声が聞こえた。
奈津の実家に着くと、ちょうど奈津が玄関から出てきた。それに合わせて奈津の家の玄関前の明かりがセンサーで電球色に灯された。奈津は黒いTシャツにスキニーのジーンズとラフな格好だった。
黒いTシャツには手足をチェーンで拘束されているテディベアが印刷されていた。奈津の実家は郵便局の官舎で平屋の一軒家だ。白い外装は所々にヒビが入っていて、酷くくたびれていた。家の横には白いセダンの車が駐車されていた。
奈津は玄関の鍵をかけたあと、僕の方に近づいてきた。僕は奈津の方へ歩き、奈津を抱きしめた。
「――ちょっと。家の前だから、やめて」と奈津は僕の耳元でそう囁いた。
「――ごめん」
僕は奈津と同じくらいの小声でそう言ったあと、静かに奈津を離した。
42
自販機でペットボトルのコーラを1本買って、手を繋いで、公園へ向かった。その間、奈津とはまともに会話をしなかった。夜のこの街は次の曲の演奏前みたいに静かだった。その一瞬の間が永遠に続いているような静かさだ。車もあまり通らないから永遠に緊張が続いているような気がした。
公園も当たり前のように誰もいなかった。いくつかの白い蛍光灯が広がる芝の緑色を明確にしていた。ベンチに座った。ベンチは少しひんやりとしていた。
「生きててよかった」
「なにそれ。こんな時間に外に連れ出して、そのセリフ?」
「ごめん。冷やかしじゃないよ。本当に心配だったんだ。ナツのこと」
僕がそう言うと、辺りは夜の静けさに包まれた。都会の静けさとは違う。山に囲まれた静けさで、車が通過する音も、たまにしか聞こえない。
「ねえ。私が死ぬ夢ってそんなにリアルだったの?」
「うん。ものすごくリアルだったよ。夢の中で苦しんだよ。こういう夢見るとずっと胸が痛むこともわかった」
「――そうなんだ。私、もう死んでた?」
「うん。このくらいの時間に死んでたよ。葬式までしっかり夢の中で見てきたから――」と僕はそう言ったあと、葬式の光景を思い出して胸が重くなった。奥歯を噛み締めて涙をこらえようとしたけど、何粒か涙が溢れた。
「え、うそ。泣いてる」
「――ごめん。失いたくないんだよ。もう」と僕はそう言ったあと、鼻をすすった。背中をさすられているのを感じた。奈津はゆっくり手を動かしていた。奈津が僕の背中をさするたび、少しずつ悲しみの波は胸から引いていった。
「ねえ。コーラ飲もう」と奈津はそう言って、ペットボトルの蓋をあけた。そして、僕にコーラを渡した。
僕は黙ってコーラを受け取り一口飲んだ。喉に炭酸の刺激を感じた。僕は奈津にコーラを戻した。奈津は無言で僕からコーラを受け取り、そのあと、一口飲んで、ペットボトルの蓋を閉めた。
「ねえ。私、どうやって死んだの?」
「交通事故だよ。ナツの親の車が事故って死んだんだよ。今頃ね」
「そうなんだ。私の頭、潰れてた?」
「ううん、さすがにそんなに酷くはなかった。顔は綺麗だったよ」
「ふーん。そうなんだ。ならよかった」と奈津は笑顔でそう言った。
「ねえ。今度見る夢はさ、きっといい夢だよ。大人になった私達が出てきて、最果てを旅するの。凛とした霧の中、湿原にある湖を見に行くの。釧路湿原みたいなところ。それで、小高い山に登って、遠くを眺めようとしたとき、ぶわっと霧が一気に晴れて、見惚れるくらいきれいな湖を眺めるの。その湖は透き通っていて、湖の周りには湿原の低い草が一気に広がっているんだ。それでね。私達、景色を見て感動したあと、こうするんだよ」と奈津はそう言って、左手で僕の右肩を抑えた。
そして、僕に寄りかかり、キスをした。奈津の唇は柔らかく、コーラの甘さがした。気づいたらすでにお互いの舌は触れ合っていて、お互いに舌でコーラの爽快感の名残を口移しした。キスをしているうちにだんだん僕と奈津は右側に倒れこんだ。奈津は左手で僕の頭を支えて、ゆっくりと状態をベンチに寝転ぶ姿勢になった。
無心で奈津の唇と舌を追い求めた。奈津は僕の右太ももにまたがり、しっかりと身体全体で僕のことを抱きしめている。奈津はすでに、僕に覆いかぶさるような体勢になっていた。奈津は右手で僕の頬から顎を触っているのを感じた。僕は両手で奈津の背中を掴み、奈津が離れないようにした。今までの中で一番長いキスをした。
奈津は僕の唇からそっと離れた。しばらく、奈津と見つめ合った。白く弱い街灯に照らされている奈津の顔は半分が自分の影で黒くなっていた。
「今日はここまで。続きは今度ね」と奈津はそう言った。そのまま奈津は僕に抱きついたまま僕の上に寝そべった。そして、顔を僕の右肩の上に乗せた。
「私、生きてるでしょ」と奈津は上目遣いでそう言った。
「うん、生きてた」
「幽霊じゃないでしょ?」
「うん。温かかったよ」
「人間、生まれてしまったら、死んでしまうのもセットでしょ。私がもし、いなくなったら、今日の悲しかった気持ち思い出して」
「うん。――俺さ、後悔してることがあるんだ」
「――なに?」
「ナツに好きだって言えなかったことだよ。もっと、好きって伝えればよかったって、夢の中でずっと思ってた」
「――ありがとう。私もだよ」と奈津がそう言い終わったあと、僕は右手で奈津の頭を撫でた。