「ありがとう。ばいばい。」

 さようなら、というのは彼の心に届かないから、飲み込んだ。
 彼との別れを決断したのは私の方だった。受験はもう2ヶ月後にせまっている。この時間が私には惜しく感じられていた。

 彼のラインを待つ時間。

 デートに向けておめかしをする時間。

 彼のことで頭がいっぱいになる時間。

 全てが無駄に思えてきた。
 彼は私じゃなくて、「彼女がいる自分」が好きな人だった。私の悩みを相談しても困らせちゃうかなって、何度胸の内に引っ込めたことか。もう、受験に向けて願書を書くというタイミングで、文化部もいよいよ部活を引退するという時期になって、受験に真摯に向き合えない自分と、私のことを見てくれない彼と、さよならしたかった。

 彼と別れて1週間。カバンの中からiPod(アイポッド)が出てきた。彼が誕生日プレゼントにくれたiPod。移動時間に音楽を聴くという習慣がなかった私に、新しい世界をくれたiPod。でも、彼の好みの曲がいっぱい入っていて、これを聴くと、彼の瞳が私だけに注がれた優しいまなざしがよみがえって、辛かった。
 もう、いらない。
 彼の何か(・・・)が一滴でも入っているならそれはもう私には不要だった。

 彼と写った写真も削除した。

 SNSのフォローはその日に外した。

 あとは、唯一もらったプレゼントのiPodだけだった。
 ただ捨てるのは惜しい気がした。ここにはきっと、2人の思い出がどんどん詰め込まれていくはずだった。クリスマスソングも、バレンタインソングも、私の合格祝いの曲も。でも、それは叶わない。叶わないどころじゃない。この私のiPodに他の人と彼のそんな曲が入るなんて、そんなの許せなかった。

 使えなくしたい。

 もし、どこかでこのiPodを見つけた人が、私たちの思い出を妄想する。そして、私が見つけてしまった時に、もうこの胸が詰まる思い出に戻ってくる。そんなのはいやだから、使えなくしたかった。

 私はそっとポケットにしまった。

 ジャージのポケットにiPodをしまった。このジャージは今日脱いでしまえばそのまま洗濯機へいく。
 私はジャージのポケットに、彼からもらったiPodをしまった。
 ごめんね。もうこのiPodを聴く気にはなれないの。今度あなたに大事な人が出来たら、曲を入れた自分じゃなく、音楽を聴くその人のことを見てあげて。新しい彼女のために、彼女が喜ぶことをしてあげて。その時にはiPodなんて、もう過去のモノになっているかもね。

 夜。洗濯機が回り始めた。
 私の未来も、回り始めた。