「あ、涼香」
「歩夢じゃん。学校きてたんだ?」
昇降口で、同じクラスの涼香とバッタリ出会った。
「うん。図書委員の仕事で」
「夏休みなのに大変だねー」
「そういう涼香は、部活終わり?」
「うん。ていうか指数超えで強制終了。いやあ今日のグラウンド、アレは生命の危機だよ」
涼香はげんなりした表情で、第二ボタンまで外したブラウスをバタバタと仰ぐ。小麦色の首筋から、くっきりと色が分かれた白い胸元。私は思わず目をそらす。
「まあウチの学校の場合、帰り道も地獄なわけだけどさ……」
「駅まで歩いて20分。両サイド畑以外に何もない一本道だからねー」
「そうそう! あの道をとぼとぼ歩いてくの、結構キツイよねー」
バスも一応あるけれど、登下校の高校生がメイン乗客の路線だ。お昼前のこの時間は、1時間に2本しかない。
「それじゃあさ」
私はバッグから日傘を取り出した。持ち手を引っ張ると、カチャカチャと小気味良い音を立ててフレームが伸びる。
さらに反対側の手で、バサリと広げる。直径80センチの黒いシェルターが出現した。
「入ってく?」
「いいの? いや、でもなあ……」
「何? 何か用事あったりするの?」
部活が中止ならあとは帰るだけ、そう思ったけれど違うのか?
「いや、そういうわけじゃないんだけど……アタシ、いま結構臭いよ? 部活の後だし」
私は呆れる。
「思春期か!」
まあ実際、私も涼香も思春期真っ最中の年齢なわけだけど、今更すぎる。
「私の前でそんなの気にしたことないくせに」
「あはっ、それもそうか。小学校からの付き合いだしね」
それに私は涼香のことを臭いなんて思ったことない。むしろ、彼女が使う制汗剤の香りが好きなくらいだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
涼香の身体が80センチの日陰に収まる。瞬間、ふわっと彼女のうなじをかすめた空気が、私の鼻をくすぐる。ほら、この香り。
「あっ、本当だ!結構涼しい」
校門を出て左手へ。
道にも畑にも、誰もいない。私たち二人だけがこの炎天の世界に存在している。
「日光遮るだけで、こんなに違うんだ」
「いいでしょ。折りたたみならそんなに邪魔にならないし、涼香も持ったら?」
「んー、アタシはいいよ」
「どうして?」
「だって、歩夢がこうやって入れてくれるし」
「何だよそれ。別に毎日アンタと帰るわけじゃないじゃん」
「それはそうなんだけどさー。でもダメなんだって」
涼香の言葉は要領を得ない。自分が考えていることや思っていることを上手く言葉に出来ないことが、涼香にはよくある。
こういうとき、彼女は話しながら自分の感情を探しているのだ。
「こうやって一緒に帰るとき、アタシも日傘持ってたら歩夢のには入れなくなるじゃん?」
「ははっ。どう言う意味?」
本当にどう言う意味だよ? 私は心の中で繰り返す。
「どういう意味も何も、こういうところで育める友情ってハナシ」
「友情ねぇ……」
「なんだよ。何か不満?」
「別に不満とかじゃないよ。ただ何コイツ青春ぽいセリフ吐いてんだって思っただけ」
「うわ、ひっど! 私は青春満喫中なんですけどー?」
「はいはい」
ああそうだ。大いに不満だ。
委員の仕事は強制じゃないのに朝イチで学校に来たのは、涼香の部活がある日だからだ。
昇降口で鉢合わせたのも、図書室から涼香の部活が早めに終了するのが見えたからだ。
「青春といえば、さ」
私は意を決して話題を変える。
「一学期の終わりにさ、告白されたらしいじゃん? ソレ、どうなったの」
どうしても訊いておきたいことだった。これを訊きたいがために、夏休みに登校したと言ってもいい。
「ああ、先輩? 一度だけデートした」
涼香はさらっと答える。
「そう……なんだ」
「でも、一度きり。次はもうないだろうなー」
「え? どうして?」
思わず、涼香の横顔を見る。
「楽しくなかったの? それとも何かやらかされた?」
自然と、涼香がやらかしたとは考えなかった。そんなことはありえないから。
「ううん、そう言うわけじゃないよ。先輩は紳士だった。あの人の名誉のためにもそれは言っておく」
「そう……」
私的には、そこはどうでもいいところだった。そんな奴の名誉なんて知ったことではない。
「ただね、なんて言えばいいかなー?ちょっとまって、良い言い方がないか考える」
ふたたび涼香の感情探しが始まる。そこで10秒ほど会話が止まった。
「……うん。違うものは違うんだよ!」
「は? 待たせた後に出てきた言葉がそれかよ?」
「はは、だよねえ。でもなんていうか、理屈じゃないのよ。わかんないかな?」
「ごめん、まったく」
「えーと……例えばさ。漫画とかで、男の子の自転車の後ろに乗っけてもらうシチュあるじゃん? 」
「ああ、あるね」
前に涼香から借りた漫画の中にもそういうシーンがあった。まぁ定番といっていいシチュエーションだろう。
「アタシ、アレ憧れてたんだよねー。青春〜〜!!って感じでさ」
「確かに涼香好きそうだよね、ああいうの」
「うん。あの初めてお互いの対応が伝わるくらい接近する感じ? 甘酸っぱくていいよね、漫画の中では」
「中ではって……もしかしてアンタ?」
「……告白する前の話なんだけど、実は先輩に一度誘われたんだよね。部活帰りに、後ろに乗っけてやるから夕飯食べ行こうぜって」
「なにそれ、そんな話初耳だけど?」
動揺する。告白前からそういう事があったのか。それを私に話してなかったのか。
「でもさ、断っちゃったんだ、私」
「どうして?」
「さっきの話じゃないけど、汗くさいの気になっちゃって。伝わるのは体温だけじゃないって気がついちゃった」
「さっきみたいな、おふざけとは違って、本気で恥ずかしかったってこと?」
「ん、まぁ、そういう感じ」
涼香は照れたように苦笑する。その顔に私は苛立ちを覚える。
そんな顔、しなくていいのに。
「ふーん。ま、正解じゃない? アレって一応違法だし。おまわりさんに見つかったら怒られるよ?」
夢もロマンもない回答を返す。仕方ない。涼香が男の自転車の後ろに載っている姿にロマンを見い出せなんて方が無理だ。
「はは、確かにね……。でもまーデートでもそんな感じだったのよ。ご飯の食べ方は汚くないかとか、つまらない話してないかとか、色々気になっちゃってさ」
本当にやめてほしい。事実関係を知りたかったから、私の方から降った話題だけど。こんな涼香の表情は見てられない。
だから私は言った。
「私と遊びに行く時にはそんな素振りを見せたことないくせに」
「そりゃ、歩夢と男の子相手じゃ違うよ」
即答だった。そういうところはもっと言葉探しに使ってもいいんじゃないか。私は違う。残酷な言葉は私の心臓を確実に貫いた。
「そういうものなの? わからないな、全然」
私の声音がささくれ立つ。その先輩が憎い。
「でさ、いろいろ考えてたら疲れちゃったわけ。で、なんかもういいかなって」
「そういうのも含めて、恋愛の楽しいところなんじゃないの? 一般論的には」
「一般論ではねー。でも私はなんか違ったんだよ」
そう言うと、涼香はぐいっと私に身体を寄せてきた。肩と肩が密着し、髪の毛が頬に触れる。
「ちょっ! 急に何?」
あの制汗剤の香りが強くなり、私の右半身を炙り焦がすような熱を感じた。
「少なくとも今は、このくらいの距離で気兼ねなく話せる歩夢のほうがいいかなって」
「それって……」
とっさのことに私も感情を探さなければいけなくなった。
「今は、男より私ってこと?」
「うん、そうだね。もっと言うと二人乗りより相合い傘。そんな心境」
涼香は笑う。
明確に突きつけられる絶望。それはつまり、私をそういう対象としてみていないという事だ。
なのに悔しいけど、私は直径80センチに収まるこの関係を拠り所にするしかない。
「うーん、それにしても喉は渇くね、やっぱり」
「直射日光がないってだけで、暑いことは暑いからね」
「お昼時だし、駅ついたらさ、ご飯食べてこ。ファミレスで」
「ん、賛成」
駅まではまだまだある。私たちは同じ傘で、炎天下の道を歩き続けた。
「歩夢じゃん。学校きてたんだ?」
昇降口で、同じクラスの涼香とバッタリ出会った。
「うん。図書委員の仕事で」
「夏休みなのに大変だねー」
「そういう涼香は、部活終わり?」
「うん。ていうか指数超えで強制終了。いやあ今日のグラウンド、アレは生命の危機だよ」
涼香はげんなりした表情で、第二ボタンまで外したブラウスをバタバタと仰ぐ。小麦色の首筋から、くっきりと色が分かれた白い胸元。私は思わず目をそらす。
「まあウチの学校の場合、帰り道も地獄なわけだけどさ……」
「駅まで歩いて20分。両サイド畑以外に何もない一本道だからねー」
「そうそう! あの道をとぼとぼ歩いてくの、結構キツイよねー」
バスも一応あるけれど、登下校の高校生がメイン乗客の路線だ。お昼前のこの時間は、1時間に2本しかない。
「それじゃあさ」
私はバッグから日傘を取り出した。持ち手を引っ張ると、カチャカチャと小気味良い音を立ててフレームが伸びる。
さらに反対側の手で、バサリと広げる。直径80センチの黒いシェルターが出現した。
「入ってく?」
「いいの? いや、でもなあ……」
「何? 何か用事あったりするの?」
部活が中止ならあとは帰るだけ、そう思ったけれど違うのか?
「いや、そういうわけじゃないんだけど……アタシ、いま結構臭いよ? 部活の後だし」
私は呆れる。
「思春期か!」
まあ実際、私も涼香も思春期真っ最中の年齢なわけだけど、今更すぎる。
「私の前でそんなの気にしたことないくせに」
「あはっ、それもそうか。小学校からの付き合いだしね」
それに私は涼香のことを臭いなんて思ったことない。むしろ、彼女が使う制汗剤の香りが好きなくらいだ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて……」
涼香の身体が80センチの日陰に収まる。瞬間、ふわっと彼女のうなじをかすめた空気が、私の鼻をくすぐる。ほら、この香り。
「あっ、本当だ!結構涼しい」
校門を出て左手へ。
道にも畑にも、誰もいない。私たち二人だけがこの炎天の世界に存在している。
「日光遮るだけで、こんなに違うんだ」
「いいでしょ。折りたたみならそんなに邪魔にならないし、涼香も持ったら?」
「んー、アタシはいいよ」
「どうして?」
「だって、歩夢がこうやって入れてくれるし」
「何だよそれ。別に毎日アンタと帰るわけじゃないじゃん」
「それはそうなんだけどさー。でもダメなんだって」
涼香の言葉は要領を得ない。自分が考えていることや思っていることを上手く言葉に出来ないことが、涼香にはよくある。
こういうとき、彼女は話しながら自分の感情を探しているのだ。
「こうやって一緒に帰るとき、アタシも日傘持ってたら歩夢のには入れなくなるじゃん?」
「ははっ。どう言う意味?」
本当にどう言う意味だよ? 私は心の中で繰り返す。
「どういう意味も何も、こういうところで育める友情ってハナシ」
「友情ねぇ……」
「なんだよ。何か不満?」
「別に不満とかじゃないよ。ただ何コイツ青春ぽいセリフ吐いてんだって思っただけ」
「うわ、ひっど! 私は青春満喫中なんですけどー?」
「はいはい」
ああそうだ。大いに不満だ。
委員の仕事は強制じゃないのに朝イチで学校に来たのは、涼香の部活がある日だからだ。
昇降口で鉢合わせたのも、図書室から涼香の部活が早めに終了するのが見えたからだ。
「青春といえば、さ」
私は意を決して話題を変える。
「一学期の終わりにさ、告白されたらしいじゃん? ソレ、どうなったの」
どうしても訊いておきたいことだった。これを訊きたいがために、夏休みに登校したと言ってもいい。
「ああ、先輩? 一度だけデートした」
涼香はさらっと答える。
「そう……なんだ」
「でも、一度きり。次はもうないだろうなー」
「え? どうして?」
思わず、涼香の横顔を見る。
「楽しくなかったの? それとも何かやらかされた?」
自然と、涼香がやらかしたとは考えなかった。そんなことはありえないから。
「ううん、そう言うわけじゃないよ。先輩は紳士だった。あの人の名誉のためにもそれは言っておく」
「そう……」
私的には、そこはどうでもいいところだった。そんな奴の名誉なんて知ったことではない。
「ただね、なんて言えばいいかなー?ちょっとまって、良い言い方がないか考える」
ふたたび涼香の感情探しが始まる。そこで10秒ほど会話が止まった。
「……うん。違うものは違うんだよ!」
「は? 待たせた後に出てきた言葉がそれかよ?」
「はは、だよねえ。でもなんていうか、理屈じゃないのよ。わかんないかな?」
「ごめん、まったく」
「えーと……例えばさ。漫画とかで、男の子の自転車の後ろに乗っけてもらうシチュあるじゃん? 」
「ああ、あるね」
前に涼香から借りた漫画の中にもそういうシーンがあった。まぁ定番といっていいシチュエーションだろう。
「アタシ、アレ憧れてたんだよねー。青春〜〜!!って感じでさ」
「確かに涼香好きそうだよね、ああいうの」
「うん。あの初めてお互いの対応が伝わるくらい接近する感じ? 甘酸っぱくていいよね、漫画の中では」
「中ではって……もしかしてアンタ?」
「……告白する前の話なんだけど、実は先輩に一度誘われたんだよね。部活帰りに、後ろに乗っけてやるから夕飯食べ行こうぜって」
「なにそれ、そんな話初耳だけど?」
動揺する。告白前からそういう事があったのか。それを私に話してなかったのか。
「でもさ、断っちゃったんだ、私」
「どうして?」
「さっきの話じゃないけど、汗くさいの気になっちゃって。伝わるのは体温だけじゃないって気がついちゃった」
「さっきみたいな、おふざけとは違って、本気で恥ずかしかったってこと?」
「ん、まぁ、そういう感じ」
涼香は照れたように苦笑する。その顔に私は苛立ちを覚える。
そんな顔、しなくていいのに。
「ふーん。ま、正解じゃない? アレって一応違法だし。おまわりさんに見つかったら怒られるよ?」
夢もロマンもない回答を返す。仕方ない。涼香が男の自転車の後ろに載っている姿にロマンを見い出せなんて方が無理だ。
「はは、確かにね……。でもまーデートでもそんな感じだったのよ。ご飯の食べ方は汚くないかとか、つまらない話してないかとか、色々気になっちゃってさ」
本当にやめてほしい。事実関係を知りたかったから、私の方から降った話題だけど。こんな涼香の表情は見てられない。
だから私は言った。
「私と遊びに行く時にはそんな素振りを見せたことないくせに」
「そりゃ、歩夢と男の子相手じゃ違うよ」
即答だった。そういうところはもっと言葉探しに使ってもいいんじゃないか。私は違う。残酷な言葉は私の心臓を確実に貫いた。
「そういうものなの? わからないな、全然」
私の声音がささくれ立つ。その先輩が憎い。
「でさ、いろいろ考えてたら疲れちゃったわけ。で、なんかもういいかなって」
「そういうのも含めて、恋愛の楽しいところなんじゃないの? 一般論的には」
「一般論ではねー。でも私はなんか違ったんだよ」
そう言うと、涼香はぐいっと私に身体を寄せてきた。肩と肩が密着し、髪の毛が頬に触れる。
「ちょっ! 急に何?」
あの制汗剤の香りが強くなり、私の右半身を炙り焦がすような熱を感じた。
「少なくとも今は、このくらいの距離で気兼ねなく話せる歩夢のほうがいいかなって」
「それって……」
とっさのことに私も感情を探さなければいけなくなった。
「今は、男より私ってこと?」
「うん、そうだね。もっと言うと二人乗りより相合い傘。そんな心境」
涼香は笑う。
明確に突きつけられる絶望。それはつまり、私をそういう対象としてみていないという事だ。
なのに悔しいけど、私は直径80センチに収まるこの関係を拠り所にするしかない。
「うーん、それにしても喉は渇くね、やっぱり」
「直射日光がないってだけで、暑いことは暑いからね」
「お昼時だし、駅ついたらさ、ご飯食べてこ。ファミレスで」
「ん、賛成」
駅まではまだまだある。私たちは同じ傘で、炎天下の道を歩き続けた。