――二〇一七年、九月十八日、月曜日。
 今日は知里ちゃんと彼氏の正文くんに会う。
 昨日までショックで寝込んでいたので、体調は万全とは言えない。それでも、電車の中で寝ることができたので朝よりはだいぶ良くなった。待ち合わせのカフェが私と知里ちゃんが住んでいる場所の間にあるので、電車に乗る時間がそこそこ長かったのだ。
 カフェに着くとすぐに二人を見つけた。
 お昼時ということもありそこそこ広い店内は混んでいたが、金色の頭と薄いピンクの派手な服はよく目立つ。一方、隣にいる知里ちゃんの彼氏は、短髪でいかにもスポーツをやっている体格の良い好青年という印象だ。女の子っぽく見える長野くんとは違い、いかにも男らしいかっこよさがある。きっと、この彼氏のおかげでいつも時間ギリギリの知里ちゃんが、余裕を持って来られたのだろう。

「おーい、ハルカっち! こっち、こっち!」

 知里ちゃんも私に気がついて、手を大きく振っている。知里ちゃん達が座っている四人がけの席まで向かった。席の前まで着いた私に、知里ちゃんの彼氏は軽く会釈する。
「こっちは私の親友のハルカっちで、こっちは私の彼氏の正文ね。二人とも仲良くね」
 お互いに自己紹介をする前に、知里ちゃんが私を紹介してくれた。

「どうも、初めまして」

「初めまして。知里の彼氏の正文です。よろしく」

「硬いあいさつはいいよ。ハルカっちはとりあえず座って」

「そ、そうだね」

 言われるがまま席に座ると、知里ちゃんがメニューを渡してきた。どれも美味しそうで迷ってしまったので、ここは無難に本日のオススメハンバーグに決める。三人で注文を済ませると、知里ちゃんが私をまじまじと見ながら言った。

「そういえばハルカっち、小学生の時もこんな服持ってなかった?」

 今日は空色のワンピースで来たが、私ですら小学生の時に持っていたか記憶が曖昧だった。知里ちゃんが覚えているということは、昔も似たような服を着ていたということで間違いない。

「知里ちゃん、よくそんなこと覚えてるね」

「へへ。まぁ勉強はそこそこできるし、記憶力には自信あるからね」

 得意げに言う知里ちゃんに、正文くんは苦笑いで言う。

「おいおい、あんまり調子に乗るなよ」

「えーいいじゃん」

 口を尖らせる知里ちゃんを無視して、正文くんは私の方を向いて笑いながら言った。

「いやぁ。知里の親友で桐人が仲良くできる女の子って聞いていたから、もっとヤバい人が来ると思ったよ。でも真面目そうな人で良かった」

 長野くんの名前が出てきて、刺されたかのように心が痛んだ。でも、今日は三人で楽しくお話をするためにここまできたので、どうにか痛みを堪え普通に声を出す。

「あ、ありがとうございます」

 真面目なのは見た目だけで、本当は勉強ができない劣等生だ。それでもわざわざ言う話ではないので、お礼を言うしかなかった。知里ちゃんは正文くんにブーブーと文句を言っているが、それよりも気になることを正文くんは言った。

「まさか桐人が女の子と仲良くなるとは思わなかったよ」

「え? そうなんですか?」

 人当たりが良くてコミュニケーション能力が高い長野くんなら、女子と仲良くなっても不思議ではない。そんなに驚くような話なのだろうか。今度は知里ちゃんが文句を言うのをやめて話し始めた。

「長野くん、私以外の女子全員から告白されたのに全員断ったからね」

「全員? すごい……」

「おい、知里。話盛るなよ。相当な人数から告白されてるのはあってるけどさ」

 知里ちゃんはテヘっと笑った。

「やっぱり長野くんってモテたんだ。高校でも相当人気あるよ」

「でも桐人、今も彼女いないでしょ?」

「あ、はい」

 確かに、長野くんに彼女がいるという話は聞いたことがない。すると、正文くんは信じられないことを言ったのだ。

「あいつ、小学生の時から女子が苦手だったからね。こっちに戻ってきてからは、話しかけられれば普通に話すし、顔見知りにはあいさつくらいはするようにはなったけどさ。それでも絶対に自分から絡みに行かなかったんだよ」

 正文くんの言葉に、知里ちゃんも同調する。

「そうなんだよね。一部の女子は気付いていたけど、長野くんって女子が苦手なんだよ。だから今日は私がいるから、呼ばなかったの」

 二人して言うのだからきっと本当なのだろう。だが、私の経験から考えるとにわかには信じられなかった。

「私、長野くんと面識がない時にあいさつされたことあるんだけど……」

 私の言葉に、知里ちゃんと正文くんは声を出して驚いた。カフェにいる他のお客さんの迷惑になってしまったのではと思い、思わずキョロキョロ周りを見てしまう。でも、こちらに興味を持っている人は一人もいなかった。
 少し落ち着いた知里ちゃんが言う。

「もしかして、高校デビューでキャラ変?」

「あいつ、知らない男子だったらノリで声かけることあるから、それもあり得るかもな。女子には異常なほど硬派だったからその方がいいよ」

 そういえば、長野くんが自分で自分のことを硬派だと言っていた。正文くんまで言うということは、あながち嘘ではなかったのだ。
 知里ちゃんはニヤニヤと私を見ている。確か知里ちゃんの家でもこんな風に私を見てきたことがあった。

「私、わかっちゃった。長野くん、ハルカっちに一目惚れしたんだよ」

 思い出した。仲が良い男子の有無を聞いてきた時の顔だ。この顔で話す時は、ろくなことを言わない。おかげで耳が熱くなるほど恥ずかしくなった。長野くんが私に一目惚れなんてあり得ないと言おうとした時だ。

「それは違うと思うなぁ」

 正文くんが私よりも先に否定したのだ。私は驚いただけで特に嫌な気持ちにはなっていないが、知里ちゃんはちょっとムッとしているようだ。

「なんで正文がそんなこと言うの? おかしくない?」

 正文くんはしまったと言わんばかりの顔をして目を泳がせた。このままだと二人が喧嘩になってしまうかもしれない。

「知里ちゃん、そんなに怒らなくていいよ」

「だって、この言い方めっちゃ失礼じゃない?」

 すると正文くんはおどおどしながら少し小さな声で話し始めた。

「ごめんね。俺の言い方が悪かった。これさ、秘密なんだけどね。桐人、昔好きだった人のことがずっと忘れられなくて、彼女を作る気になれないって言っていたんだ。だからあり得ないって言っちゃって……」

 昔好きだった人が忘れられない。なぜかその言葉が私の心臓を締め付けるような感じがした。長野くんがもうすぐ死んでしまうと知った時とは全く違う、別の嫌な感覚だ。一体、これはなんだろうか。
 だが、そんなことを考えている場合ではなかった。正文くんがごめんねと大きく頭を下げたのだ。

「私、怒ってないから大丈夫ですよ。知里ちゃんも許してあげて。いいよね?」

「ハルカっちがそう言うなら許してあげよう。それにしても長野くんに好きな人がいたのかぁ。そんな話、聞いたことなかった」

 正文くんは頭をあげて、知里ちゃんを見ながら言った。

「おまえ、絶対にそれ誰にも言うなよ? どんな子かとかどこで知り合ったかとか色々聞いたけど、あいつそれ以上のことは絶対に教えてくれなかったんだ。教えてからこんなこと言うのも変だけど、結構トップシークレットだよ」

「大丈夫、大丈夫。わかってるって。誰にも言わないから安心して」

 知里ちゃんが笑いながら答えると、ちょうど注文した料理が三人分来た。お腹も空いていたので、いただきますと言ってから目の前に出されたハンバーグを口にする。

「美味しい。知里ちゃん、この店選んでくれてありがとう」

 パスタを一口食べてから知里ちゃんは言った。

「このカフェ、料理が美味しいって評判だからね。料理もいいんだけどさ、ハルカっちと長野くんの話聞かせてよ。どっか遊びに行ったの?」

「俺も気になる。あいつに聞いてもなんかはぐらかされたし」

「うん。いいよ」

 難病カードのことは伏せつつ、まずはカラオケの話からだ。長野くんが歌うように勇気づけてくれたことと、南條あゆみを知里ちゃんが教えてくれたから歌えたことのお礼が言えた。

「え! あゆみちゃんの曲歌ってくれたの!? うれしい!」

「うん。歌うための一歩を踏み出せたから、知里ちゃんに謝るための一歩も踏み出せたんだ。」

 自分が泣きじゃくったことを思い出したのか、知里ちゃんはちょっと気まずそうに笑った。
 映画館に行ったことも話した後も、三人でご飯を食べながら会話はさらに弾んだ。正文くんともすっかり打ち解けて、今日もまた新しい友達が出来たと言っていいだろう。ご飯を食べ終わっても会話は終わらず、もうどれくらいの時間が経ったのかわからない。会話の内容は多岐にわたり、なぜか正文くんの筋肉の話になった。

「正文くん本当にすごいんだよ。めちゃくちゃムキムキだから。ハルカっちにも見せてあげなよ」

「ここで?」

 若干戸惑っていた正文くんであったが、袖を捲って力こぶを作った。細いように見えて意外と筋肉がある長野くんとは違い、同じ高校生とは思えないくらい太くて力強く見える。

「すごいですね。なにかスポーツでもしてるんですか?」

「野球やってるよ。あとは将来のために鍛えてるってのもあるね」

「やっぱりプロ野球目指してるんですか?」

「プロに行けるほどは上手くないよ。将来は警察官になりたいんだ」

 正文くんは自分の将来を考えて今からやるべきことをやっているようだ。一方、将来やりたいことがないので、私はなにもやっていない。長野くんと出会ったり、知里ちゃんと仲直りしても、そうした意味では空虚な人間であることには変わりなかった。

「正文くんは偉いですよね。将来のことちゃんと考えていて」

「ありがとう。まだ全然大したことやってないけど、警察官になれるよう頑張るよ」

「ハルカっちはなにか将来の夢とかないの?」

「特にないかな」

「そっか。でもハルカっちなら頭良いし医者でも弁護士でも科学者でもなんでもなれるよ」

 知里ちゃんの中で、私は勉強ができる子のままで止まっているのだろう。

「でも、中学入ってからずっと成績悪いし……」

「大丈夫。なんとかなるよ。ハルカっち、あんな難しい学校に中学から入ってるんだから自信持って」

「俺も頑張れば大丈夫だと思うよ。桐人だって勉強出来なかったけど中学から頑張ったからね」

「え? 長野くんって特別選抜クラスですよ?」

 特別選抜クラスの中でも勉強ができると評判だ。勉強が出来なかったなんてありえるのだろうか。

「中一のゴールデンウィーク明けくらいかな。『オレ、このままじゃ良くない』って言って、部活辞めて勉強に専念したんだよね。朝早くから学校行って勉強していたみたいだし、相当頑張ったと思うよ」

 長野くんが陰でそんなに努力をしているなんて知らなかった。下駄箱で初めて会った時も、もしかしたら自習しに来ていたのかもしれない。勉強に専念したのに人間関係も上手くいって明るくて、長野くんは私とは違って本当に尊敬されるべき人間だ。
 知里ちゃんも大きく頷いてから言った。

「そうそう。どんどん、成績あがったよね。だからハルカっちだって、きっとなんにでもなれるよ。失言だらけの私でもおじいちゃんみたいな政治家目指してるし、一緒に頑張ろうよ」

「そうだな。確かに失言だらけだな。こんな奴でも夢があるんだから、きっとハルカさんも見つかるよ」

「ちょっと、正文。失言だらけの部分は『そんなことないよ』って優しく否定するところでしょ?」

 二人の微笑ましい励ましがうれしかった。だけど自分が将来そんな立派な仕事をできる自信がない。うちの学校に入学して上には上がいると知ったし、私には無理だろう。
 知里ちゃんは正文くんに文句を言っていたが、なにか思い出したかのように鞄を取るように言った。正文くんが派手な鞄を渡すと、知里ちゃんはそこからピンク色の袋を取り出した。

「ハルカっち、一昨日誕生日だったよね。はい、プレゼント。開けてみて」

「え? いいの? ありがとう」

 プレゼントを受け取り開けると、中には箱に入った高そうなシャーペンが入っていた。知里ちゃんはドヤ顔で言う。

「これ、書いても疲れにくいシャーペンなんだよ。ハルカっちにはこういう実用的なものが良いと思ってさ」

「うれしい。大事に使うね」

 ピンク色の袋の中にシャーペンを入れて、自分の地味な鞄にしまった。
 カフェで相当長い時間過ごしてしまい、そろそろ客層が夕食へと切り替わり始める時間だ。家ではお母さんが夕ご飯を用意しているから夕飯まで食べるわけにはいかない。

「今日はこの辺にしておかない? 二人ともありがとう」

「ハルカっちこそありがとう。正文くんのこと紹介できて良かったよ」

「俺も会えて良かったよ。ハルカさんすごく感じ良くて楽しかった」

 何度も大きく頷いてから知里ちゃんは言った。

「わかる、わかる。ハルカっちは超感じ良いからね。さすが、私の親友」

「おまえは感じ悪いけどな」

 ツッコミを入れる正文くんを無視して、知里はニヤニヤしながら私を見た。

「ここだけの話ね。正文くんって誰かといる時はこうなんだけど、二人でいる時は超優しいし、私のこと大好きなんだよ」

 正文くんは顔を真っ赤にしながら狼狽えている。本当に心の底から知里ちゃんのことが大好きなようだ。照れ隠しのためか大きく咳払いし、正文くんは私の方を見て言った。

「誕生日のお祝いに、今日の会計は俺がするよ」

 初めて会った人にご馳走してもらうのは申し訳ない気もしたが、せっかくの誕生日祝いだ。

「良いんですか? それならお言葉に甘えて……」

「わぁ、正文ありがとう。ごちそうさま」

「いや、知里は自分で払えよ」

 結局、正文くんは全員分の食事料金を払ってくれてこの日は解散となった。
 長野くんに残された時間が少ないというショックは消えない。それでも今日はカフェでの会話を思い出しながら、暗い気分にならずに帰ることができた。知里ちゃんと正文くんのおかげだ。
 だけど布団の中で寝る前に考えてしまったのだ。
 知里ちゃんも正文くんにも将来やりたいことがあった。でも私は将来のことなんて全く考えていない。本当にこのままでいいのだろうか。自分にやりたいことがあるのか考えようとした時、それは一瞬で頭の中に浮かんできてしまった。
 長野くんが生きられるようにしたい。
 このまま寝てしまえばそんな夢を見られるかもしれない。でも、現実的に考えて私には無理な話だ。治療法が確立されていない病気に対して、ただの高校生、それも勉強ができない劣等生はあまりにも無力すぎる。
 それでも長野くんのためになにかしたい。将来のことは全く考えられないけれど、これが今の私のやりたいことだ。私の日々を変えてくれた長野くんのためになにかできることはないのだろうか。色々な記憶を手繰り寄せ、必死に考える。
 突然、閃いた。
 ベッドから飛び起き電気をつけ、スマホを手に取る。メッセージアプリを開くとその勢いのまま、長野くんに通話した。もしかしたらもう寝ているかもしれないと思ったが、自分を止めたくなかった。今止めてしまうと迷いが出てしまいそうだからだ。
 長野くんが電話に出る。

「もしもし、ハルカちゃんどうしたの?」

「ねぇ、長野くんが四年から六年生の間に暮らしていた街に行ってみたいの」

「急にどうした?」

 さすがに長野くんも戸惑っているようだ。私がこれからやろうとしていることを悟られるわけにはいかなかったので、もう一つの理由を説明した。

「なんか長野くんがすごした街がどんなだったか気になって……」

 確かに気にはなっていたが、これは理由になるのだろうか。長野くんは考えるように唸ってから言った。

「あの街、あんまり治安が良くないんだよな。でもハルカちゃんが行きたいなら、責任持ってオレが案内するよ。犯罪が日常茶飯事ってわけでもないしなんとかなる」

 この理由で納得してもらえた。治安があまり良くないと聞いてちょっと怖い気もしたが、長野くんの言う通り犯罪に巻き込まれることもないだろう。

「ありがとう。今日は遅いから明日詳しく決めよう」

「そうだな。おやすみ。良い夢見ろよ」

「うん。おやすみ」

 今夜は良い夢が見られそうだ。でも、私がこれからやることを考えると、胸が締め付けられる正体不明の嫌な感じがした。長野くんに好きな人がいると知った時と同じだ。
 長野くんの幸せを望んでいるのにどうしてだろう。