――二〇一七年、十月三十一日、火曜日。
 今日は学校を休んで午前中からお見舞いに来た。
 私は親からの許可も得られることが出来たし、この時間に来ることを愛さんを通りして桐人も承諾してくれたのだ。でもただ一つ、桐人には黙っていることがある。もしかしたら余計なことをしてしまったのかもしれないが、やらずに後悔したくなかった。
 病室のドアを開ける。

「おはよう。桐人。お見舞いに来たよ」

 布団から顔だけを出して、桐人はベッドに寝転んでいた。愛さんもいつものように椅子に座っている。
 桐人は私達の方を見ると、大きな声を出して驚く。

「え! なんでおまえがいるんだよ! 隣にいる女子は……なんか見たことある気が……」

「どうもー! ハルカっちに誘われて来ちゃいました! 知里でーす」

 今日は知里ちゃんと正文くんを呼んだのだ。もし桐人に呼ぶかどうか聞いたら、心配をかけないために絶対に断っていただろう。だから私が勝手に呼んだのだ。

「田中さんかぁ。いやぁ、見た目変わりすぎでしょ」

 知里ちゃんはたとえ病院でもいつもの派手なファッションだった。金髪にフリルやリボンが目立つ服装は病院ではあまりにも浮いているのだ。それでも自分を貫くのが知里ちゃんっぽい。

「よう、桐人! 久しぶり! 暇してると思って来てやったぞ。元気か?」

 正文くんは体育会系らしいラフな服装で、手提げのついた白い箱を持っていた。そんな正文くんに桐人は笑いながら言う。

「元気なら病院になんかいねぇよ」

 口では文句を言っているが、顔はうれしそうで良かった。

「十分、元気じゃねぇかよ。お見舞いにプリン買って来たけど食えそうか?」

「マジ? 食べたい!」

 ここに二人を連れて来たことを色々聞かれると思ったが、桐人の興味はプリンに行ってしまったようだ。すると知里ちゃんが得意げに言った。

「一個一〇〇〇円する超高級プリンだよ。私のお金で買ったんだからね!」

「超高級品だ! すげぇ!」

「おい、知里。自分で言うのダサいぞ」

 正文くんのツッコミに、私も桐人も愛さんも思わず笑ってしまった。知里ちゃんはテヘッと舌を出して、反省しているようで全く反省していない。
 プリンは愛さんの分までちゃんと用意してあった。知里ちゃんが各々に渡してく。桐人の手がもう灰になっていることは話していたため、私が二人分受け取った。プリンを持って桐人が寝ているベッドに近づく。

「ハルカちゃん、食べさせてくれるの?」

「私で嫌じゃないければ……」

「みんなに見られるのちょっと恥ずかしいけど、お願いしたいな」

「うん」

 プリンの蓋を開けて、裏についている折り畳まれたプラスチックを外す。広げてスプーンの形にしてプリンをすくった。桐人が口を開けて待っていたのでそっと、口の中に入れてみる。

「うまい! 田中さん、ありがとう!」

「本当!? 五〇〇〇円払って良かったよ!」

 正文くんの方を見ると、やれやれとうなだれて首を横に振っていた。もちろん、知里ちゃんは気にしていない。その光景が面白く思わず吹き出してしまった。
 桐人が食べ終わってから私も食べたが、プリンの概念が崩れるほどの美味しさだった。
 プリンを食べ終わると愛さんが気を遣って病室を出て行き、四人だけになる。いつも気を遣わせて申し訳ないが、四人で遊ぶという約束を知里ちゃんとしたため今日も甘えることにした。それでも親子の時間を割いていることには変わりないので、お昼には帰ろう。
 愛さんがいなくなり一瞬静かになったが、知里ちゃんが思い出したかのように明るく話し始めた。

「それにしても二人の出会い方、ロマンチックでいいよねぇ。まさか長野くんが宅間って名字だったなんて思わなかったよ」

 桐人は苦笑いしてから言った。

「あぁ。オレが宅間だった時の話はさ。なんかタブーみたいなになってたからな。違う小学校だった田中さんが知らなくても無理ないよ」

 桐人が小学生の時にいじめられていたことは、結果として知里ちゃんも知っていた。さすがの知里ちゃんも察してしまったようで、ちょっと気まずそうな顔をしている。すると正文くんが俯きながら重々しい声で言った。

「昔はおまえに酷いことしたよな。あの時は本当に悪かった」

「え? そうだっけ? マジで忘れた」

 あっけらかんと桐人は言ったが、それでも正文くんの声は重みを失わない。

「おまえが忘れても俺は覚えてるよ。俺さ、高校卒業したら警察官になって人の役に立ちたいと思ってるんだ。酷いことした分、今度は人の役に立ちたくてさ」

 桐人はうれしそうだが、どこかニヤニヤとしていた。

「マジか。それならオレも殴られた甲斐があったな」

「なんだよ。覚えてるじゃねぇかよ」

 正文くんの声からすっかり重みが消えていた。気がついたら二人とも笑い合っていて、過去になにがあっても、今はいい友達だってことがよくわかる。本当に連れてきて良かった。
 それから四人での会話は盛り上がり、あっという間に帰る時間だ。

「もうお昼だし、そろそろ帰るよ。勝手に二人を呼んでごめんね」

 私に続き知里ちゃんも言った。

「勝手に押しかけてごめんなさーい」

「騒がしくてすまなかった」

 正文くんも謝ると、桐人は首を横に振った。

「驚いたけど、二人の顔見られてよかったよ。病気のこと隠していてごめんな」

「全く。こんなになるまで隠しやがって。どうせみんなに心配かけないためだろ? こんな時にカッコつけやがって。治ったら許してやるから、さっさと治せよ」

 桐人はもう助からない。そんなことは正文くんも知っている。一体、どう言う気持ちでこんな言葉をかけたのか私にはわからないが、桐人はすごく満足そうだ。

「治ったら土下座でもなんでもしてやるよ。あとさ、ちょっとハルカちゃんと二人で話したいことあるんだよね」

「土下座、楽しみにしてるからな。わかった。知里、先に行こう」

「うん。じゃ、お先に」

「おぅ。二人とも、またな」

 正文くんと知里ちゃんは病室から出て行き、二人きりになった。なんだか息が出来ないくらい空気が重苦しい。一体、桐人が話したいこととはなんだろうか。私の方から聞いてみた。

「どうしたの」

 いつになく真剣な顔で桐人は言う。

「正文との約束が果たせなかった時だ。お願いしたいことがる」

 約束が果たせなかった時、つまり桐人が死ぬ時の話をしている。きっとこれが桐人の最期のお願いになってしまうのだろう。もっと取り乱すと思ったが、不思議と落ち着いていた。

「なに?」

「オレの一部で構わない。ハルカちゃんと出会ったあの丘にある木の下に、撒いて欲しいんだ」

 私が力強く頷くと、桐人は安心したように微笑んだ。

「ありがとう。オレがいなくなって前を向いて生きて欲しい」

「そんな……いなくなるなんて言わないでよ」

 目が急に潤む。このままだと感情が溢れてしまいそうだ。桐人がいない未来なんて、考えたくない。すると桐人は温かい声で言った。

「すまなかったな。オレはいなくならないよ。形を変えるだけだ。辛くなったらいつでも会いにきてよ」

「え? どこにいけばいいの?」

 突拍子もない言葉で、溢れそうな感情が堰き止められる。

「もちろんあの丘だよ。ハルカちゃんに似合う景色を作って待ってるからさ。来るのは辛い時だけな。景色を作るのには時間がかかるからさ」

「ありがとう……」

 いつでも来て欲しいと言ってしまうと、私はどこへも行けなくなってしまう。そう思って桐人は辛い時だけ来るように言ったのだろう。
 これ以上いると桐人の優しさのせいで泣いてしまいそうだ。一番辛い思いをしている桐人の前で泣き顔を見せたくなかったので、病室を後にした。
 知里ちゃんと正文くんは廊下で待ってくれていた。

「おかえり、ハルカっち」

「うん。行こうか」

 三人とも言葉を発することが出来ず、無言で病院の建物から出る。ゆっくりと歩き、そろそろ敷地から出そうになった時だ。
 知里ちゃんが歩みを止める。私と正文くんは何事かと思い見ると、知里ちゃんは大声で泣き始めたのだ。

「ごめんねハルカっち。ごめんねぇ!」

「ど、どうしたの知里ちゃん?」

「私、ハルカっちにも長野くんにも……なにもしてあげられない。親友と親友の彼氏が一番辛い時になにも出来ないなんて嫌だよぉ」

 すると、正文くんが落ち着いた声で言った。

「知里、頑張ったな。本当はおまえも辛いのに一生懸命明るく振る舞ってるの、俺にはわかったよ。桐人の奴、きっとおまえの明るさに救われていたと思うし、俺もおまえから力貰えたから、桐人といつものように接することができた。おまえのおかげだよ」

「正文ぃ!」

 知里ちゃんは正文くんに思い切り抱きついた。正文くんはしっかりと知里ちゃんを受け止める。その目はまるで桐人が私を見ている時のようだ。

「私も知里ちゃんにはたくさん救われたよ。だからもう泣かないで」

「ハルカっちぃ!」

 今度は私に抱きついてきた。勢いがすごくてちょっとよろけてしまったが、なんとか持ち堪える。私は本当に素敵な人達に恵まれた。できることなら、もっと四人で会いたい。
 だが、知里ちゃんと正文くんが桐人と会うのは、今日が最期になってしまった。