――二〇一七年、十月二十三日、月曜日。
 朝はいつものように登校した。
 桐人と一緒に行くことも考えたが、友達との朝勉強があると言っていたし、なにより変に目立ちそうなので一人で来たのだ。
 他の生徒たちは友達や恋人とおしゃべりしながら学校までの道を歩いている。一人で歩いている私は、誰の視界にも入っていないだろう。
 スマホが震えた。
 メッセージを確認するために立ち止まったが、やはり誰も気にしていない。私に連絡をしてくる人は限られているので大体予想はついていた。

『ハルカっち! おめでとう! やっぱり長野くん、ハルカっちのこと好きだったんだね! 今度は四人で遊ぼ!」

 知里ちゃんからだった。昨日の夜に長野くんと付き合ったことを報告して、返事が来たのだ。私はすぐにお礼を返した。
 桐人と付き合って私の学校生活は変わったのだろうか。正直に言うと、まだ実感はない。そう、この時までは大きく変わっていなかったのだ。
 一時間目が終わった時、なんだか変な感じがした。
 クラスの目立っている女子達から、やたらと視線を感じるのだ。少しだけそちらを見ると、なにやら小さい声でヒソヒソと話している。最初は気のせいかと思ったが、授業が終わるにつれ私に視線を向ける人が増えていき、お昼休みが始まる頃にはとうとうクラス全体から見られているような感じがしてきた。
 なにが起こっているのかさっぱりわからない中、お弁当を食べ終える。起きてニュースサイトを見ていても視線を感じて集中できないので、とりあえず寝よう。
 だが、異変はうちのクラスだけではなかった。廊下がなにやらガヤガヤと騒がしいのだ。すると、全く知らない男子の大きな声が聞こえてきた。

「長野の彼女ってどれだ?」

 誰かが自信なさそうに言った。

「噂だとあの子だけど……」

 教室の外がさらにガヤガヤし始める。どうやら、私が桐人と付き合ったことが噂になって広まっているようだ。もしかしたらそのせいでクラスみんなから見られたり、教室の外が騒がしかったりしているのかもしれない。
 学校の人とは話し慣れていなく、名乗り出るのは正直怖い。でも、私は桐人の彼女なんだからここは堂々としていなければならない。
 席を立ち、廊下へと歩く。
 廊下にいる人達は喋るのをやめて、急に静かになる。全員私を見ており、教室からもたくさんの視線を感じる。震えそうな身体を堪えながら言った。

「私です。私が彼女です」

 その瞬間、廊下も教室もどよめき、思わず一歩下がってしまった。この学校に存在していないと言ってもいい私が、今一番の注目を集めてしまっている。学校一の人気者と付き合うとはこういうことだと身をもって知った。オロオロしている私に、別の知らない男子が言う。

「本当に君なの? 悪いけどそうは見えないけど」

 その通りだ。反論の余地もない。こんな恋愛とは無縁のところにいそうな女が、学校一の人気者の彼女だなんて信じる方が無理だ。この男子の言葉をきっかけに、廊下と教室にいるすべての人から疑惑の目が向けられた。みんながヒソヒソと話し始めて、空気が一気に悪くなる。

「え、えっと……」

 しっかりと話さなければいけないのに、もう声が出てこない。どうしたらいいかわからなくなった時だ。

「ハルカちゃんはオレの彼女だよ」

 廊下の奥から大きくて優しい、頼もしい声が聞こえてきた。廊下にいる人達は喋るのをやめて声がする方向に向く。それに伴い、教室も静かになった。
 人だかりを割って、桐人が私の前に来る。

「ごめんな。この子、オレと違ってシャイな性格なんだよ。だから、そっとしておいてくれないか?」

「ありがとう、桐人くん」

 桐人にお礼を言うと歓声が上がった。驚いてしまったけれど、これで納得してくれたような気がする。桐人は苦笑いしながら廊下にいる人達へ言った。

「そういうところだぞ、おまえら。オレの彼女がびっくりするからやめろって」

 すると、廊下にいる人達が私達に謝り始めた。これはこれでびっくりしてしまう光景だ。それでもみんな謝ってくれたので、「怒ってないので大丈夫ですよ」と必死に伝える。そんな私を桐人がうれしそうだ。

「ハルカちゃんって本当に優しいね。そろそろ行こうか」

「う、うん」

 どこへ行くのか全くわからないけど、桐人が歩き始めたので私もついて行った。廊下にいる人だかりが割れて、まるで私達を見送っているようにも思えた。
 私と桐人は校舎の外へと出る。そこまでの間、他の学年の生徒やさらには先生の視線まで感じてしまった。きっと噂はさらに広まってしまうのだろう。
 しばらく歩き、体育館裏に着いた。

「ハルカちゃん、ごめん。オレのせいだ」

 着くなり桐人は頭を下げてきた。

「一体、なにがあったの?」

 頭を上げると、桐人は気まずそうに口を開いた。

「ハルカちゃんと付き合えたことがうれしくてさ。朝、一緒に勉強しているメンバーに話しちゃったんだよね。そしたらこうなった」

「そうだったんだ」

「すまないな。一応、あんまり言わないようにとは言ったけど、誰か言っちゃったんだろうなぁ」

 後にわかることだが、桐人の友達は私たちのことを誰にも言っていなかった。桐人が話しているのをたまたま聞いてしまった別の生徒が広めたのだ。だが、この時はそんなことを知るよしもなく、桐人ががっかりと肩を落とす。だから、私は素直な気持ちを言った。

「抑えきれずに話しちゃうほど、付き合ったこと喜んでくれてありがとう。私と違って話す友達がいるのだって、彼女としてすごく誇らしいよ」

「優しくて自慢の彼女だな」

 桐人くんがニッコリと私を見てきたので、ちょっと恥ずかしくなって目を逸らした。

「あ、ありがとう……」

 その時、お昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。

「そろそろ、授業始まるから行こうぜ。また放課後な」

「うん、そうだね」

 その後、教室に戻っても嫌な視線は感じず、良くも悪くも静かな日常が戻ったのだ。それでもちょっとした騒ぎがあったばかりなので、放課後は学校から二駅離れた場所にある、メックバーガーで会うことにした。ここなら各駅停車しか停まらないし、うちの学校の生徒と鉢合わせることもないだろう。
 メックバーガーの前には、もうすでに桐人がいる。多分同じ電車で来たと思うが、ここに来るまで全く気が付かなかったのだ。

「お疲れ、ハルカちゃん! 混んできちゃうといけないからさっさと行こうぜ」

「そうしよっか」

 メックバーガーに入ると、難病カードを使って期間限定蟹肉バーガーとコーラを二人分注文した。二階にある席はそれなりに混んでいたが、運よく四人がけのテーブルに座れた。蟹肉バーガーの包みを開ける前に、桐人が言った。

「ねぇ、十一月の三連休空いてる?」

「空いてるけど?」

「おぉ。明日の検査結果次第になるんだけどさ、長野旅行に行かない? 難病カードを使えば旅行代も割り引けるし!」

「私も行きたいんだけどちょっと困ったことが……」

「なんだ?」

「親になんて言えばいいかな……」

「あぁ……確かに」

 桐人も頭を悩ませているようだ。すぐに答えは出なかったので、とりあえず蟹肉バーガーを食べることにした。包みを開けると蟹のいい匂いがしてくる。食べてみると、思ったよりもしっかりと蟹の味がして美味しい。
 全部食べ終わる頃、問題を解決する方法が浮かんだ。かなり卑怯なやり方だが、もうこれしかない。

「私、親には知里ちゃんの家に泊まるって言うよ。それなら大丈夫そうだし」

「本当なら自分の恋人に親を騙すようなことして欲しくないが……今回ばかりはお願いします」

 次の日、桐人も医者から旅行へ行く許可が降りたので、正式に長野旅行が決定したのだ。
 知里ちゃんに万が一の時の口裏合わせをお願いすると、快く承諾してくれた。それでも知里ちゃんの家に泊まると親に嘘を付いた時は、全く目を合わせられず変な汗もかいたので、どこかでバレてしまわないか心配だ。
 水、木、金と放課後はメックバーガーで旅行の計画を立てた。計画を立ているだけども本当に楽しいので、旅行に行けばきっと今の私には想像できないくらい楽しいのだろう。
 今まで貯めておいたお年玉と難病カードのおかげで、結構良いホテルに泊まれることとなった。二泊三日と日も長いので、星空以外にたくさんのところに行ける。でも、桐人の体力がもつかわからないので、星空が最優先事項となった。
 旅行の詳細も決まり今週の土日も会いたかったが、来週に備えてやめておくことにした。今週の休日無理に出かけて、桐人の体力が旅行に耐えられなかったら元も子もないからだ。
 だが、結論から言えばこの判断は間違いだったのだ。
 せめて土曜日だけでも、会っておけばよかった。