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「この髪飾りとか、いいんじゃないか? 日本髪にさす、ほらなんていったっけ。結構日本が好きな人はいるんだ」
「こっちは、風鈴だ! ここはあんまり気温の上下はないけどな、地上に憧れて買う人が多いみたいだぞ。音もいいし」
「おっ、これこれ。だいぶ前だけど、地上ブームが起こってな。この、スマホに似せたちゃっちいゲームがバカ売れしたんだ。俺も遊んでた。でもさ、本物見たときは鳥肌がたったよ」
「ほらこれ、キーボード風インターホン。面白いだろ? 地上もいいけど、こっちも、真似しかしないくせに工夫だけはすごいんだ」
 賑わう商店街でぺらぺらまくし立てられ、適当に相槌を打って、あ とは目を白黒させながらついていくのが精一杯だ。手首を強く握られあちこちを走り回る。
「簪ね。坊ちゃん、いい加減覚えて?」
「そうそう、特にうちのはね、特別な音がするんだよ」
「ああそうか、坊ちゃん地上に留学中だものね。というかちゃっちいってなに!」
「言い方に棘があるけど。ん? 今やどこの家でもこれだけど? 真似も工夫のうちだし」
 いろんな人から話しかけられて、それに素早く答えていく。
「ああカンザシ、それそれ。でも、コウガイと区別がつかないんだよね」
 ヘアアクセを売る綺麗なお姉さんには照れ笑いで応じて。
「本当だ。しゃらしゃら言ってる」
 風鈴を店先に飾るおじさんには驚いた顔をしてみせ。
「あ〜、ごめんごめん、つい本心が」
 あんたも遊んでたくせにとあかんべえをする女性には、お返しのようにぺろっと舌を出し。
「そ、そうだもんね、うんうん」
 細身のお兄さんでもすごまれたら慌てたようにうなずく。
 流れるような素晴らしい対応に、思わず目を見張る。どうやらここでは、『坊ちゃん』と呼ばれて慕われているらしい。
 元来、人と関わるのが得意なのだろう。怒ったり、睨んだりしながらも、それは振りだとわかる。全員目は笑顔を見せていた。
「あっ!」
 ぼんやりと感心していると、するり、と手首を掴まれていた感覚がどこかへ逃げていく。身長が大人よりわずかに小さいくらいの、特徴のない今光源氏の頭を見つけることは困難だった。
 どうしよう、はぐれてしまった。ここ、月の都で通用する携帯電話は持っていないし、待ち合わせ場所も決めていない。
 いろいろ考えたが、ひとまずど真ん中で立ち尽くしていたら邪魔になるとふらふらと人の波に合わせて歩き、小洒落た洋服店の前で、ぷっと吐き出された。
 どうしよう。ひとまず、この商店街から抜けようか。
 小さく靴音を鳴らしながら、石畳の道を戻る。何人も同じような年頃の女子が横を駆け抜けていく。思わず足元を見つめた。堂々と歩く自分が、恥ずかしくなったから。女子高校生が一人商店街を歩くなんて、陰キャ丸出しすぎだ。
 いや、それよりも、どこか、気後れというか、怖気というか、やましいような気持ちがあった。
 私は・・・・・・ここにいて、いい存在なんだろうか。月の都で生きる資格なんて、あるんだろうか、と。
 何度も、あの常軌を逸した劣悪な環境から逃げ出そうと試みて。六回くらい見つかって、最後、帝にツテを持つ院長がなんやかんや動いて地上に落とされた。
 鑑真かよ。歴史で習ったことをふっと思い出して、思わず笑いが込み上げる。しかも、脱出失敗だし。・・・・・・いや、ある意味成功かな。養父母は優しいし、八宵からも解放されたし。
 て、ことは。
 リアル鑑真じゃん。
 意味のわからないことばかりで頭の思考を濁して、足を止めずに歩き続ける。ちらちらと爪先が視線に入り、石畳に浮かぶ細かい粒がどんどん後ろに流れていく。
 そのとき。
 なにかとぶつかって、反動にたえきれず尻餅をついた。ずきん、と尻が痛む。でも、違う、先に謝らなきゃ、人とぶつかったんだもの、謝らなきゃ。
 ぱっと顔を上げて、声を発する。
「あっ、ごめんなさ・・・・・・いっ」
 思わず息を呑んだ。だって、だって。
 じりじりと、石畳をあとずさる。ますます尻が痛むけど、そんなの、構ってられなくて。
「は? なんて?」
「聞こえなかった」
「ていうか、なんでお前がここにいんの?」
 一気に太陽が陰った。着飾った四、五人の女子たちが、天を覆っていた。
 こつん、となにかに背中がぶつかる。ちらりと視線をやると、磨き込まれたショーウィンドウだった。きらきらと輝く雑貨が飾ってある。
 逃げられない・・・・・・っ。
 外から見れば、それは、着飾った女子が、身の丈に合うような可愛い雑貨を見ているようにしか見えない。中に怯えて座っている輝月の存在なんか、見向きもしないで。
「あ〜あ、やっといなくなったと思ってたのに」
「しかも、噂に聞いたところ、帰るのを拒んでるっていうもんね」
「やっと自分の立場わかったかって感じ!」
 八宵と、その取り巻きたちがけたたましい笑い声を商店街に反響させる。
 ぐっと下を向いて、唇を噛む。
 自分の立場ってなに? なにをこの人たちは言っているんだろう。幾度となく思った疑問はいつも、暴力によって霧散する。
 というよりは、なにかワケがあるんだろう、と思ってしまうような、尋常じゃないいじめ方なのだ。
「・・・・・・だったんだけど、な〜」
「なんで戻ってくるかなぁ」
「うわっ、なにこの髪の毛」
「ストレート。ダサ〜い」
「巻かないのー?」
 がっと自慢の髪の毛を掴まれて、強引に立たされる。頭皮がずきずきと痛い。
「やめて・・・・・・」
 そのとき、染めることさえ知らないくせにとか、制服クソダサいじゃんとか、そんなことを言い返せばいいものを、小さく声を上げることしかできず、そしてどうにもならないことは知っていた。ますますエスカレートすることも。でも、そんな小さな抵抗するしか術はない。
 ああ、今光源氏と初めて会ったときは、あんなに抗えたのに。この人たちは、抵抗しても無駄だと、体のあちこちに刷り込まれているから。
 案の定、輝月の困っている姿を見て、くすくすと嘲笑がもれる。
「ん〜? やって、って、言ってるけど、八宵」
 言ってない、そんなこと。
 追随するように、他の子も八宵に言う。
「どうする?」
「ふふっ、聞いてあげるよ。どうされたい?」
 逃がして欲しい。もう、あんなに痛い思いをするのは嫌だ。
 くい、と形の整った唇の端を持ち上げる八宵は、輝月の目にはなによりも怖く映った。
 殴られて蹴られて、踏まれて。あの日々を思い出しても、痛いことばかりで。白黒でがたがたにしたはずの思い出に、徐々に生々しい色がつけられていく。
 やめて・・・・・・。
 小さな抵抗はあっけなく蹴り飛ばされ、他の子も見て見ぬふりで横を通り過ぎてゆく。
 涙があふれた。
 しょうがない。八宵は孤児院の院長の娘。誰も逆らえなかったんだから。
 ダメ。泣いちゃダメ。泣いたら、もっと便乗して酷いことをしてくる。知ってるから。ぐっと唇を引き締めて、うつむいた。
「なんも言わないけど」
「おまかせだって〜」
「ふぅん、わかった。じゃあ・・・・・・」
 今回は、なにをされるんだろう。ぎゅっと目を閉じて、早くこのときが終わるのを待つ。いつかは、そう、いつかは終わる。
 そんなの、叶わないことは知っていたのに。叶わなかったから、逃げ出そうとしたのに。なのに、いつか終わると唱えることしか、輝月は精神安定の方法を持っていない。
 もしかしたら、連れ去られて孤児院に戻されるのかもしれない。永遠にも思える苦しみが、また始まるのかもしれない。
 どうしたらいいの? 体を強張らせて、拳を握る。
 どうしたらよかったの?
「なにしてるんだよ!」
 一喝。
 はっと顔を上げると、青ざめた八宵たちと、初めて見るほど厳しい顔をした今光源氏が立っていた。そのさらに奥には、小さな人だかりまでできている。
「今光源氏・・・・・・」
「姫、姫、大丈夫?」
 八宵たちに見向きもせず駆け寄ってきて、傷がないか、身体中を改められる。
「うん・・・・・・ありがとう」
 ふっと力が抜けて、こらえていた涙が頬を伝った。見られないように、顔をさりげなく背けて、礼を言う。
「坊ちゃん」
「知り合い?」
「ああ、探してた子なのね」
「大丈夫?」
 女性多めでいろんな人が、『坊ちゃん』の知り合いというだけで話しかけてくれる。はい、とうなずいて、髪を整えた。幸いまだ、大きな暴力は振るわれていない。
「坊・・・・・・ちゃん、って」
 そっと、取り巻きの一人が青ざめて、他の子と顔を見合わせ始める。
「もしかして、あの?」
「帝の、息子の・・・・・・」
「やばいよ八宵」
 帰ろう、と促されている当の本人の八宵は、輝月を介抱する今光源氏を見て、愕然とした表情になっていた。
「八宵っ」
「なにしてるの、帰ろう!」
 痺れを切らした仲間達に半ば引っ張られるようにして、八宵の背中は野次馬の間をすり抜け、商店街の人々に紛れ小さくなっていく。
 今光源氏は、その背中を忌々しげに見遣った。
「皆、心配かけてごめん。と、ありがとう」
 ぺこっと今光源氏が、声をかけてくれた人たちに向かって頭を下げる。輝月も慌てて倣った。
「ありがとうございました」
「いいのいいの」
「よかった。どこも怪我してないんだね」
「嫌ね、物騒だわ」
「昔もいじめとかあったけどねぇ」
「やっぱり女子って陰湿なのかしら」
「自分に帰ってくるからやめて〜」
 にこやかに言ってから、喧しく噂話に興じつつ後ろの店に入っていく。
 ああ、可愛い雑貨店のお客さんだから女性が多いんだ、と納得する。
「ごめん。はぐれちゃって」
「いいよ、俺も張り切りすぎたし。・・・・・・疲れただろ? 帰ろう。後で話は聞くから」
 すっと目の前に手を差し出され、戸惑った視線で今光源氏を見てしまう。
「もう、はぐれないように。ほら」
「うん。ありがとう」
 そっと握る。まるでエスコートされてるみたいだ。
 ちょっと、いやめちゃくちゃ恥ずかしいけど、はぐれるよりはマシだから。そう。はぐれるよりはマシなだけだから。
 心で唱えながら、輝月は歩き出した。