ある冬の朝のことだ。

「はー、さみぃさみぃ・・・・・・はやく早苗ちゃんにくっついてあったまりたいぜ」

水明町の外れにひっそりと佇む「日和堂」という店の前で、青年が雪をせかせか退かしている。
昨夜は雪がたんと積もった。
この調子ではおそらく明日も明明後日も変わらないだろうが、彼にとっては、大好きな恋人のためのお手伝いなら気にならないことだった。
彼の名は時仁。
この「日和堂」の店主である早苗の助手兼恋人の青年だ。

そこへ、一人の女性が遠慮がちに声をかける。

「あのう、どんな病気でも治せる祓い師さんがいらっしゃる店は・・・・・・こちらでしょうか?」

縞模様の着物に羽織り姿の女性は怪訝そうな顔で、古びた外観に手作り感満載の手書きの暖簾という店に目をやる。
女性の手元には紙切れがあり、おそらくここの住所が書かれているものなのだろう。
しかし、本当にここで大丈夫なのかと疑っていて、どうにも足踏みしているといった様子。
そして、黒い着流し一枚という薄着で寒い寒いとぶつぶつ言っている大男が店先にいるのだから、尚更声をかけようにもかけずらい。
綺麗な顔をしているものの、鋭い目つきは凄味があって、この先にあるのが祓い屋というよりやくざ者の集まりと言われた方が納得できよう。

だが、時仁はそんな女性の疑いの目も気にせず、ぱあっと顔を明るくした。
道具を放り投げて一目散に店の中へ声をかける。

「早苗ちゃん早苗ちゃん!お客さん来たー!」

見た目は背の高いどことなく威圧感があるような青年だったのに、口を開けばこの様子だった。
大きな体で、子供みたいにはしゃいでいるものだから、女性は呆気にとられてしまっている。

「ようこそ、日和堂へ!外は寒いから、こっちであったまっててな!」

ぽかんとしている女性は、時仁に店の中へ連れられて、火鉢の前の座布団に座る。
手際よく、時仁が茶とお菓子を持ってきたので、居心地の悪さを感じつつもそれを味わいながら少しの間女性は店主が来るのを待っていた。

店内は四方を薬棚に囲まれ、何に使うのか分からないような道具が並んでいる。
祓い屋らしいお札や錫杖、裏表に鏡面がある鏡、妙な長さの定規など。
何のあやかしか分からないようなお面、天狗の扇のようなものまで。
中には舶来品と思しき珍しいものまであるが、店内の独特な雰囲気にのまれて、興味本位で迂闊に手を出すことははばかられた。

そうしているうちに、ふと、鈴の音が聞こえてきた。
しゃん、しゃん・・・・・・という音と共に現れたのは、一人の少女。
薄藤色の着物をまとった小柄な少女は、鈴の音を鳴らしながら女性の前に座る。

「ようこそお越しくださいました。本日は、どのようなご要件で?」

見た目は十六、七ぐらいだろうか。
幼さが少し残る顔立ちに似合わず、淡々とした口調で少しも笑うことなくそう言う。
先程から居所を示すかのように鳴っている鈴は、髪を左肩の下で緩く結わえており、その飾りに鈴がついていて、それがずっと鳴っているのだった。

「あなたが、祓い屋さんなの・・・・・・?お父上かお師匠さんはいらっしゃらなくて?」

女性はますます怪訝そうな表情になる。
風変わりな店内に、不思議な少女と傍らに寄り添う謎の男。
状況だけでも既に奇妙なことになっているのに、こんな年端もいかない娘が祓い師なんて言われても。
女性はそう言いたげに困り顔だ。

「お師匠は三ヶ岳の郷におります。父はおりません」

「あらあ、そうだったの、ごめんなさいね・・・・・・」

なんの感情もなくそう言った早苗だったが、気を悪くしてしまったのかと、女性は慌てて謝った。

「いえ、良いのです。私が本物の祓い師か疑っていらっしゃるのでしょう。そういうお客様はよくいますので、お気になさらず」

これは早苗にとっては毎度のやり取りなのだ。
初めて来るお客はいつも、父親か師匠か、誰でもいいから他の者はいないのかと尋ねてくる。
だが残念ながら、この店にいるのは早苗と時仁だけだ。
むしろ易々と信じてしまう方が不安になるので、これぐらい疑ってかかられるぐらいの方がちょうどいい。

「お姉さん、一応言っとくけど、早苗ちゃんは凄腕の祓い師だよ。俺が保証する。心配しなくても大丈夫だって」

「あなたが保証したところでお客様にとって意味はありませんよ」

横からそう言った時仁を宥めると、彼は確かにと笑った。

「それで、要件を聞いても?」

「ああ、えっとねぇ・・・・・・」

戸は閉まっているので誰かに聞かれる心配は無いが、女性はそわそわしながら声を潜めてゆっくりと話をはじめる。

「うちの妹が、その・・・・・・変な病気にかかってしまってね。お医者様にかかろうにも、ちょっとあまりにおかしなものだから・・・・・・」

色々と言葉を濁しているが、彼女が求めているものは何か、それだけですぐに分かった。

「なるほど、奇病祓いですね」

日和堂は普通の祓い屋ではない。
呪詛、怨念、あやかし・・・・・・それらにまつわる奇妙な病。
早苗は、そういった不可思議なものを祓うことを生業としている。
その手の病なら医者を頼ることもできないだろうし、なにより見た目がおかしくなる場合が多いので、近隣に知られることさえはばかられるものだ。
それでも、彼女は妹の為にここまで来てくれた。

「一体誰に相談しようかと悩んでたんだけどねぇ、遠十郎(とおじゅうろう)さんから、あなたたちを紹介してもらったのよ。遠十郎さんが言うならって来てみたんだけど・・・・・・」

「遠十郎さんのご紹介でしたか。なら、お勘定は二割お安くしますよ」

遠十郎は反物屋の跡取りでありながら、祓い師の協会の運営に携わっている人物だ。
繊細な美しい顔立ちと対照的に男前な性格をしており、そういう対比が女性たちにとても人気がある。
早苗も昔から頼りにしている人で、あまり表立って活動しない日和堂に客を紹介してくれていたもする。

「まあそうなの?あっ、でもお値段って」

料金の話が出た途端、女性は不安げな顔になる。

「ウチはまともな料金でやってるから、安心してよ」

時仁がそう言うと、女性はようやくほっとする。
なんの霊力もないのに、祓い師を名乗り霊媒師気取りで詐欺まがいの商売をする人間が少なからずいるものだから、やはり料金は一番警戒するところなのだ。
しかし、日和堂は至って普通の代金しか貰わない。
日和堂だけ安く客を取れば他の祓い屋の客を取りかねないので迷惑になるし、逆に高く取っても同じことになる。
特殊な職種ゆえ、同業者との連携は大切だ。

「妹さんの症状について、教えていただけませんか」

「ええ・・・・・・ですが、これは直接診ていただいた方が良いかと思うんですよ」

言いたくない、というよりも、どう言い表すべきなのか分からないということらしい。

「それほど遠くないので、一度、うちに来て診ていただけませんか?」

「もちろんです。行きましょう」

早苗が鈴の音を響かせながら立ち上がる。
仕事道具を携え、女性の場合の案内で彼女の家まで行く。

が、その前に。

「あ、時仁・・・・・・その格好、どうにかならないかしら」

「どうって・・・・・・どう?」

首を傾げている時仁の手を引っ張り、奥に引っ込んでいく。

「だから、普通の人はこの季節にそんな格好してたら風邪ひいちゃうの。もっと温かい格好にしてちょうだい」

早苗は問答無用で時仁の着流しを剥ぎ取ると、ちゃんとした服装になるよう他の着物を持ってきて、せかせかと着付けている。

「別に早苗ちゃんがやんなくてもいいよ」

早苗が手ずから着替えさせてくれたことで、時仁は照れたように嬉しがっているが、こちらはそれどころじゃない。

「私がやった方が早い。お客様をおまたせしてはいけないわ」

黙っていれば風流な色男に見えるが、真面目な顔つきも一瞬のこと。
時仁はへらりと笑った。

「ちゃんと人に見える?」

「ええ。そのかわいい耳を出さなければね」

早苗は手を伸ばし、時仁の頭を撫でる。
彼の頭部には、ふさふさの毛が生えた犬の耳が現れていた。
早苗が優しく撫でると、それはすぐに引っ込んだが、時仁は早苗に触れられると気が抜けるのか、耳やしっぽを出してしまう。
時折、わざとなのかと思うくらいには。

時仁は人間ではない。
狛犬のあやかしである。
郷で早苗と出会って恋に落ち、以来彼女の助手として早苗の隣にいる。

「なんか、こうやって着替えさせてもらうのは、昔を思い出すな」

「昔も、よくやっていたの・・・・・・?」

時仁は早苗のことを愛している
例え、彼女が全てを忘れてしまったとしても。

「うん、まあな。そのうち思い出せるよ」

少し顔を曇らせた早苗を気遣うように、時仁は自分がしてもらったように、彼女の頭を撫でる。

早苗は過去の記憶がない。

一年前に全て、時仁に関する記憶だけを失ってしまった。
その経緯には深い理由と彼らの拗れた関係性があるが・・・・・・今は、深く語るべきことではない。

感傷もわずかな間のことだけだと、二人は颯爽と店を出て患者の元へ向かった。