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「私の家、このマンションなんです」
「へぇ。結構綺麗な所だね」
「ええ。少し前に父が建てたものですから」
「そうなんだ、お父さんが……って、ええっ⁉」
突然聞こえた現実離れした言葉に、僕は勢いよく彼女を振り返る。どうやら驚いたのは僕だけで、朴念仁は知っていたらしい。苦笑いを浮かべる彼は、クスクスと笑う天使に代わって説明してくれる。
「彼女の父親は有名な資産家なんですよ」
「苗字を聞いて、気づきませんでしたか?」と問われ、僕は目を丸くする。……まさか名前が覚えられない障壁がここで出てくるとは。
(予想外過ぎて反応に困る……っ)
僕は額に手を当てると大袈裟にため息を吐いた。そんな反応に、彼女は楽しそうに笑う。——……その表情が見れただけ、良しとしようか。
「今日は送ってくださってありがとうございました。またいずれ」
「こちらこそ、道中楽しかったよ」
「ええ。お気をつけて」
「はい」
再び礼を告げ、マンションへと入っていく彼女の背を見送り、僕と朴念仁は並んで歩き始めた。どこかぎくしゃくしているような空気に、僕は何も言う事が出来ず空を見上げる。茜色と紺色が混ざり始めた空は、どこか妖艶で。
「綺麗ですね」
「……そうですね」
微笑む朴念仁に、僕はそう応えた。

それから数日間、僕たちは神社で出会う度に天使を送り届けていた。最初は渋っていた彼女も、最近ではその時間を楽しんでくれているようで、時折寄り道をしては流行りの飲み物なんかを買って帰る事もしばしば。そんな他愛もない時間を過ごしていた――そんな、幸せにも思える光景。しかしそれは長く続きはしなかった。
「危ない――ッ!」
「ッ!」
キキーッと甲高いブレーキ音が響く。——途端、体が凄まじい勢いで押しつぶされるのを感じた。体のあちこちから聞こえてはいけない音がし、足が尋常じゃない痛みを発する。前に突きだした腕が、変な方向に曲がる。激痛が走り、意識を無理矢理に刈り取っていく。体がコンクリートに叩きつけられ、息が詰まる。
最後に見えたのは驚く天使とこちらをみて叫ぶ朴念仁、そして――血のような真っ赤な車だった。