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女性を落とすことに命をかけて居るような人間だ。女性の好きなことなんて、理解し尽くしているだろうに。
「……取材をしに行ってくる」
「もうですか?」
「嗚呼」
強く頷いて、僕は支度をすると靴を履くために玄関へと向かった。──刹那、トンと背中に伝わる振動と体温に、僕は動きを止める。
「どうしたんだい、急に」
「……」
「黙っていちゃ、分からないよ」
可愛らしい妻の行動に、僕は苦く笑う。彼女から甘えられるなんて。僕は抱きつく妻を抱きしめるように、後ろへと手を回す。細い背中をポンポンと叩けば、彼女は堰を切ったように話し出す。
「もう、あんな思いはしたくないんです」
「……すまなかった」
「ダメです。もう、ダメです」
額を擦り付けるように僕の背中で駄々をこねる妻。その行為に少し嬉しさが込み上げてくるが、彼女の言いたいことを思えばそれも堂々とできない。
「これ以上、あなたの優しい心を誰かのために使わないで……」
「それは」
「お願いよ……」
懇願する声に、僕は嬉しさを感じる反面、彼女に言わせてしまったことに大きなショックを受けた。
(……僕はどれだけ独り善がりなことをしてしまっていたんだろう)
後悔と懺悔と、そして少しばかりの悦び。歪んだ感情の裏にある本心に気づかれないよう、僕は一つ深呼吸をすると妻に向き合う為、後ろを向く。俯いた妻の今にも泣きそうな頬に手を伸ばし、小さくキスを落とした。
「出来るだけ、君に心配はかけないようにするよ」
「っ……」
「だから、僕を信じて待っててくれ」
僕はそう告げると彼女の頭をひと撫でし、玄関の扉に手を掛けた。気休めの言葉にしかならないかもしれないが、それで妻が安心できるのであれば、それでいい。
(まるで詐欺師だな)
嘘を吐く気は毛頭ないものの、僕のやっている事は詐欺師紛いの事であることに変わりはない。頷く彼女に内心申し訳なさを感じつつ、僕は家を後にした。
神社に向かう道すがら、目の前を通った男に僕は目を奪われる。どこか上機嫌で、しかし頬に真っ赤な紅葉が付いているのは――プレイボーイだった。清々しい顔をした彼は、どこか浮足立つ足で僕に最後まで気が付くことなく駅の方角へと歩いていく。
(何かあったのか?)
彼が上機嫌になるような、そんな事が。僕はその様子を不思議に思いつつも、足を進める。あの表情といい、足取りの軽さといい、本当に彼は土鳩殺害事件に関わりはないのかもしれない。