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返事をしたのは男で朴念仁であることはわかっているが、声を掛けてきたのは女性——カウンターで寝ていた人間からだった。ぼさぼさの前髪を掻き上げ、不機嫌そうに珈琲を飲んでいる。化粧は僅かに崩れているのか、赤が似合いそうな唇は少しくすんでいた。
「あのやろー、絶対許さなぁ~い」
「言葉が悪いですよ」
「いいじゃなぁい、少しくらぁ~い!」
バタバタと足を揺らして再び机に突っ伏した女性は、不貞腐れたようにぶつぶつと何かを呟いている。その行動に見覚えを感じた僕は、女性をじっと見つめた。カレーが置かれたのにも気づかないくらい見ていた僕は、彼女の足元に真っ赤なヒールが脱ぎ捨ててあるのを見て――思い出す。
「……妖女」
(まさか、こんなところで再び会う事になるなんて)
僕は驚きに目を見開く。女性——妖女は一通り騒いだのか、突っ伏したままその肩を静かに上下させている。寝ているのだろうか。というより、何故彼女が朴念仁の店に来ているのか。彼女の働く場所は隣町じゃなかったか。
いろいろな事が頭を過るが、流石に起こしてまで聞くわけにはいかない。かなり酔っているらしいし、絡まれるのも面倒だ。僕は視線を切ると自分のカレーライスに目を落とした。何の変哲もないカレーライス。スプーンを取り、食事を始めた。しかし、意識は妖女と朴念仁の方へと向いている。どんな関係なのか、妖女は相手が朴念仁だと知っているのか。
(聞きたい事が多すぎる……!)
思考ばかりが回って、頭が割れそうだ。カレーの味もわからないまま平らげてしまった昼食は、ひどく味気ない。だが、それよりも二人の事が気になって仕方がない。このままでは執筆すらもままならないと思った僕は、食後の珈琲を持ってくる彼に聞くべく冷や水を煽った。
「お待たせいたしました。珈琲です」
「あ、ありがとう」
「いえ」
「こちらお下げしますね」と下げられる皿を見つめ、僕は震える声を発した。
「あ、あのっ」
「どうかされましたか?」
「ああ、いや……」
聞きたい事が定まらず、歯切れの悪い言葉を繰り返してしまう。そんな僕を見た朴念仁が、不思議そうに首を傾げた。
(こういう時、何から聞いたらいいんだ……?)
「え、ええっと……あの、女性……」
「女性? ああ、あちらの方ですね」
「は、はい。ええっと……仲がいいんですか、ね?」
やっと口から出た言葉に、僕は安堵する。しかし、朴念仁は僕の問い掛けに首を傾げた。