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検査入院を終え、自分の家に帰って来た僕は妻に頼み込んで神社の近くに来ていた。向かうのは土鳩殺害事件のあった場所。そこに供えられた花の安否が気になって仕方がなかったのだ。
「もう。無理しないでくださいね」
「わかってる」
再三言われる言葉に些か乱雑に言葉を返す。言われ過ぎてもう耳にタコが出来てしまいそうだ。松葉杖をつきながら、いつもより倍以上の時間をかけて進む。やっと見えてきた頃には額に汗が滲んでいた。汗を拭い、しゃがみ込む。いくつか供えられた花や木の実の中、視線を巡らせる。供えられているものを見れば、踏みつけられてしまった花はもうなかった。代わりに、黄色い押し花が栞の形をしてそこに置かれていた。
「ふふっ、可愛いお供え物ですね」
「……そうだな」
くしゃりとした花弁は伸ばされ、畝ってしまった茎は綺麗に伸ばされている。——僕の守った誰かの心は、どうやら誰かの手によってより美しく姿を変えたらしい。
「行こうか」
「もういいんですか?」
「ああ」
両手を合わせていた妻に支えられながら、ゆっくりと立ち上がる。足に痛みが走り息を詰めれば、妻の心配そうな顔が映る。しかし、彼女はもう何も言わなかった。家へと向かい歩き出す。松葉杖も、慣れれば簡単らしいがまだまだ慣れるには程遠そうだ。
「——あの!」
「えっ?」
掛けられた声に、僕は振り返る。聞き覚えのある――しかし、聞こえるはずのない声。けれど僕は惹かれるように振り向いてしまった。
「ありがとうございました」
艶やかな黒髪。華やかな笑顔。細い指先に持っているのは、小さな黄色い花で。
「僕が勝手にやった事だ。気にしないでくれ」
僕は綻ぶ口元を抑える事無く笑みを浮かべ、軽く手を振る。頭を下げる彼女に背を向け、歩き出す。妻の驚いた顔に込み上げてくる笑みを浮かべれば、むすっとされた。
「……浮気ですか」
「いやいや。ただの……教え子みたいなものだよ」
隣を歩く妻が、手を差し出してくる。その手を取り、僕は一歩、また一歩と足を進めた。歪でも進んでいる現状に、僕は満たされていた。