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あの時の切羽詰まった顔は、普通とはとても言い難かった。何か自分が彼のトリガーを引いてしまったのだろう。それに関して反省するとか、身を引くとかそういう事はないが、今回ばかりは違う。
「それでは、相手の方にも話を伺いに行きます。我々はこちらで失礼」
「あ、いえ。それには及びません」
「……と、いうと?」
「僕は事を大きくしたくないのです」
僕の言葉に、粗方を察した彼等は強面の顔を更に顰めさせ、浮かせかけた腰を再び椅子に下ろした。
「あのですね。事件として挙げられた以上、見て見ぬふりをするわけには……」
「でも、最初に手を出したのは僕ですし、何より今ここでマスコミに囲まれるわけにはいかないんです」
「ですが」
「お願いします」
引き下がらない警察に、僕は痛む首を動かして頭を下げた。慌てて顔を上げるよう警察に言われるものの、是を聞くまで上げる気はさらさらなかった。少しして彼等の狼狽える空気も落ち着いてきた頃、ため息と共に肩に手が置かれる。大きな手に反射的に肩が跳ねてしまったが、見て見ぬふりをして顔を上げた。
「……わかりました。このことは公にはしないで置きましょう」
「ありがとうございます」
「その代わり、慰謝料や入院費などを請求することは出来ませんからね。勝手にそれをすると今度は恐喝罪や詐欺罪などに問われる可能性もありますので、ご注意ください」
「わかっています」
警察の言葉に強く頷き返す。……貯金は減ってしまうが、景気が悪いわけではない。仕事もまだあるし、問題ないだろう。
「それでは、また何かあればご連絡ください」
「はい。ありがとうございます」
名刺を受け取り、二人を見送る。静かになった部屋で、僕はやっと落ち着いて息を吐くことが出来た。無理矢理動かした体が痛いが、鎮痛剤が効いているのかどこかその感覚もぼんやりとしている。
(まさか事件を解き明かそうとして事件を起こしてしまうとはな……)
しかも例の神社前で。自分の短絡的さに頭を抱えたくなってしまう。抱えられないけれど。緊張が解けたからか、うとうととする意識の中、妻が買ってくるデザートは何かと考える。プリンか、それとも杏仁豆腐か。
「どちらも……いいな……」
小さく呟いた言葉は、部屋の中に静かに響いて床に落ちていく。ころころと転がった言葉は誰に拾われるわけでもなく、僕の意識と共に宙に溶けていった。——神社で笑う天使に、迷惑にならなかったかと心配をしながら。