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むっとしているのがわかったのか、妻は更に笑みを深くすると茶を乗せた湯呑をぼんに乗せて持って来た。二つのうち、一つを僕の前に置き、彼女は自分の前に一つ置く。
「僕は君ほどうまく茶は淹れられない」
「慣れれば誰でもできますよ」
「そうじゃない」
妻の言葉に、僕は首を振る。驚いた彼女が小さく声を上げて首を傾げる。僕は湯呑を持ち、口元に寄せると香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「これだけ僕の好みの茶を淹れられるのは、君だけだという意味だよ」
「えっ」
「……うん、美味い」
ずずっと吸い上げるように茶を啜り、ほっと息を吐く。心の底から込み上げた感想を口にすれば、妻は顔を真っ赤に染め上げた。恥ずかしそうに視線が周囲を彷徨う。その仕草は出会った時と何一つ変わっておらず――。
「せ、洗濯物がまだでした! ちょっと行ってきますね!」
慌てて腰を上げ、早口で要件を告げた妻は湯呑もそのままに脱衣所の方へと向かってしまった。慌ただしい背中に、僕は首を傾げる。
(何か変な事を言っただろうか)
ただ自分の思った事を口にしただけなのに、まさかあんな反応をされるとは微塵も思っていなかった。僕はしばし考えたがわからないまま、湯呑を傾け再び茶を啜った。今度はちゃんと視線を新聞へと移し、頭に世の中の情勢を叩き込んでいく。
「……嗚呼、美味いな」
やはり、彼女の入れる茶が一番だと思いながら、僕は紙面を一つ捲った。

翌日。僕は神社に向かう為の準備をしていた。前作の波も収まりつつあり、そろそろ小説の執筆活動にも力を入れなければいけない時期だ。その前にせめて土鳩殺害事件の犯人の特徴や犯人像くらいは明確にしておきたいと思ったのだ。
「今日もお出かけですか?」
「ああ。事件のあった神社に行ってくる」
「そうですか……」
「何か用が?」
「……いえ」
「大丈夫です」と笑う妻。その笑みにどこか引っ掛かりを感じるものの、その正体に気づくことは出来なかった。差し出される鞄を受け取り、姿見で自身の様相を確認する。——よし。
「それじゃあ、行ってくる」
「はい。お気をつけて」
玄関先で見送ってくれる妻の言葉を受け取り、僕は街へと繰り出した。神社へと向かう道を歩く。足元を見ればあちこちにいる土鳩に視線が引かれる。僕の前を歩いていた土鳩は、僕の姿を見ると不用心にも立ち止まり、首を傾げる。自分たちの仲間が殺されているというのに、呑気な奴らだ。
「ここに居るとお前も危ないぞ」