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「ちょっとぉ!」
「すまないが、仕事中だから」
しつこさに思わず口調がブレる。それすらも彼女にとっては関係がないのだろう。危なげなくヒールで着いてくる妖女は、僕の隣に並び立つと再び腕を組んでくる。再び振り払おうとして――目の前に紙が差し出された。
「……これは?」
「ふふふっ。ねぇ、これ、なんだと思う~?」
「……わからないですね」
「教えてあげよっかぁ?」
にやにやと笑みを浮かべる妖女。このシチュエーションを心底楽しんでいるのが分かる。しかし、チラチラと見せられる紙の内容が気になるのも確か。
(イタズラだと考えることもできるけど……)
僕を引き止めるのに、わざわざそんなことをするだろうか。それに……どこか彼女の持っている紙がただの紙きれに見えないのだ。これは小説家の勘とでも言うのだろうか。否、雑誌記者の勘かもしれない。どちらにせよ、そこに書いてあるものが自分に有用なものであることは確実だろう。
(彼女から、っていうのが気に食わないが……そんなことも言ってられないか)
「……何が条件だ?」
「うふふっ。話のわかる男は好きよぉ~」
「それはどうも」
それよりと口を開きかけ、唇に何かが押し当てられる。細く、白い指先だ。真っ赤に染められた爪先が僅かに視界に映る。
「今日一日、あたしに付き合って」
強請るような、甘い声。染められた長い髪がご機嫌に揺れるのを見て――僕は負けを悟った。
「……わかった」
「やったぁ~!」
「ただし、行く場所は公共の場に限らせて貰うよ」
「ちぇーっ」
先手を打つ僕に、唇を尖らせる妖女。彼女にはお気に召さなかった条件だが、当然だろう。
(これ以上、妻に隠し事はできない)
ただでさえ今でも天使の存在を隠していることが重荷であると言うのに、他の女と何かがあっただなんて、それこそ耐えられない。何とか納得したらしい彼女は、今度は僕の手を取って楽しそうに先導し始めた。何度目になるかわからないため息が落ちたのは、仕方がないだろう。財布に入っている今月の小遣いが無くなる予感を胸に、僕は妖女の後を追った。
「あたしぃ、コレ見たぁい!」
「……ラブストーリーか」
「ね、いいでしょぉ~?」
すりすりと腕に体を擦り寄せて来る妖女に、僕は眉を下げた。何度言ってもやめない行動に、もう注意する気力さえ無くなってしまっている。とはいえ、ここに来るのは久々であることも確かだった。
(まさか映画に誘われるとは)