後日、私は藍一郎さんと朝餉の支度をしながら、鍋に入っている糅飯の量が普段の半分ほどしかないのに気がついた。

 「藍一郎さん、」と声をかけると、なんでもないように「なんだ」と返ってくる。

 「飯が少ないのですが、」

 「夕餉は野菜を煮ることにする。その鍋を使うから、洗っておいてくれ。地火炉の出番だ」

 「野菜を、」

 「食ったことないのか」

 「野菜を煮たものといえば、味噌汁くらいしか」

 「まあ、どうせ味噌で煮るのだから大して変わらないが。なかなかうまいぞ」

 「そうですか。藍一郎さんはいろいろな料理を作りますね」

 「なに、」と彼はわかりやすく喜びながら笑った。「ただ手を抜くだけだ」

 その様子がなんとも子供のようで愛らしいのだが、いってはやはり痛い目に遭いそうなので黙っておく。

 「野菜を食うための味噌汁と思えばいい。野菜が多いから、ちと豪勢に見せられる」

 「そんなに使って今後に響きませんか、」

 「問題ないさ。寒菊がこの間、虫に食われた野菜を見つけただろう、そいつを使うんだ」

 「なるほど……」

 「しかし寒菊は知らないものが多いな」と藍一郎さんは笑う。「田舎暮らしってのはそういうものなのか」

 「私はちょっと特殊かもしれませんね」と私は笑った。こうして他人と暮らしてみると、確かに知らないことが多いように思う。

 「寒菊の家には地火炉はなかったのか」

 「ええ、本当に小さな家でしたから。山の中に建っている、茅葺の小屋のようなものでした」

 「そんなところで、冬はどうしていたんだ」

 「耐えていました」

 「え、」と藍一郎さんは本気で驚いているようだった。「根性でどうにかなるものなのか、」と。

 「ええ。狭いからでしょうか、それほど寒くないのですよ。あそこの地形も影響していたかもしれませんが。

ああ、なによりあれですね、時折迷い込んでくる動物、あれがあたたかいのですよ。野生のものなんですが、大人しくて、寄ってきてくれるようなのもいたのですよ。野菜を分けてやれば、その間抱かせてくれましてね、あたたかいんですよ」

 当時のことが鮮明に思い出され、豊かではなかったがそう悪い生活でもなかったと昔の感覚に浸っていると、ふと藍一郎さんが眼の横に、そこが痛むかのように指を当てているのが見えた。

 「寒菊よ、」と兄のような調子でいわれ、思わず「はい」と畏まる。

 「お前、幸せになれな」

 「え、幸せですよ。どうしたのです、」

 「あのな寒菊、屋敷の中に動物が入ってくるなんてことはないんだよ」

 「屋敷なんて立派なものでもなかったからでしょうかね」

 「ああ、やはりこの家は貴様にやるよ。父上も認めているんだろう、それがいいさ。そして寺なんて早々に辞めて、裏の畑でも使って、百姓でもやってな、そうだ、ここで幸せになれ」

 私は藍一郎さんの憐れむ当時の生活を哀しく思うより先に、彼の寺やあやかしへの情念を苦しく思った。奥さまの魂がここにあれば、彼がこんなにも寺やあやかしに拘ることはないのだろう。