朝餉のあと、その日は出かけずに一助に会いにいった。「お早いね」と彼はいった。

 「今日は出かけないんだ」

 「見つかった、……というわけでもなさそうだけれども」

 「君にはやはり、両親の居所はわからないのだよね」

 「わからないね。もちろん、御両親を探し回る君をおもしろがっているのではなくてね」

 「疑ってはいないけれども、そういうことはあまり繰り返さない方がいい。私にも人の血が混ざっているものだからね、あまりいわれると疑いたくなる」

 「そういうものなのかい。やはり人とは不可思議なものだね」

 鳥の声が空を揺らし、私たちは庭の方を見た。ふと近くで鳥の声がしたかと思えば、目の前を小さな鳥が横切った。「おお、」と二人で声を上げた。

 「なにを運んできてくれるかな。どうせなら、寒菊の御両親、その居所の書かれたものでも持ってきてくれたなら嬉しいのだけれど」

 「家の材料じゃないかな」

 「この辺りに住もうっていうのかい。あまり賑やかにされては、この繚乱たる菊花の美しさが霞んでしまう」

 「新しい名物になる」

 「名物、」

 「確かにそう有名な寺ではないけれども。あまりそういうところに引っかかるんじゃないよ」

 改めて見れば、庭に藍さんがいるのが見えた。あちらも気がついたようで、こちらを振り返ると「寒菊さま、一助さま」と無邪気に手を振る。私もそれに応えた。

 「なにをなさっているのですか」と尋ねると、「藍一郎さまに贈るのです」と返ってきた。

 「藍一郎は菊に拘っているからね」と一助が私に説明するように静かに頷いた。なるほど、その菊を選んでいるらしい。

 彼女はこちらまで駆けてくると、廻廊にそっと腰を下ろした。

 「寒菊さま、一助さま。菊の花というのは、どうして藍色がないのでしょう。あったなら私、迷わず藍一郎さまに贈りますのに」

 「ほう、確かにそうだね」と一助が頷く。「藍色の菊花というのは見たことがない」

 「淋しいです。いっそ、染めてしまいたい。……藍色の菊を、作ってしまいたいです」

 冬の風が庭の花々を揺らす。藍さんは風に乗った長い髪を細い指先で押さえた。

 「寒菊、とは、不思議な御縁ですね」と彼女は庭の方を向き直った。「こんなにもたくさんの菊花の咲く屋敷に、寒菊さまは知らずにやってきたのです」

 「……実は、寒菊という名は久菊さまが下さったものなのです」

 藍さんは驚いた顔でこちらを振り返った。「そうなのですか、」

 「ええ。私には名前がありませんでしたから」

 「そう、なのですか……」

 私と同じですね、と彼女は懐っこく微笑んだ。

 「私も、名前がありませんでしたから。刀工は私に名をつけずに人へ渡したのです。

……ですが、それでよかったと、藍一郎さまにお会いしてからは強く思います。名前がなかったために、藍一郎さまから一字、分けて戴けたのですから」

 こんなにも幸せなことはございません、と藍さんは綺麗に笑った。

 「しかし旦那さまは、どうして寒菊さまに寒菊と名づけられたのでしょうか、」

 「冬に出会ったためかと思います」と私は答えた。今日はこれ随分寒いね、といった旦那さまの声が思い出される。

 「旦那さまは、本当に寒菊さまを息子として連れてきたのですね」

 菊臣さまの、お兄さまとして、と彼女は静かに哀しくいった。