奥深い街。
山に囲まれる小さな街は、深緑の隠れ家とも言われている。
幼い頃から外で走り回っていた私は、街の人とはほとんど顔見知りで、両親のいない私にとても親切にしてくれていた。
私はこの街が好き。
中でも街の中心にある時計台からの眺めは絶景で、お気に入りの場所。街全体を見渡せて、この景色を独り占めしている気分になれるから。そこを囲うように植えられている大輪の花も魅力的で人気スポット。
そんな街で、私はお祖父ちゃんと二人暮しをしている。
草花が植えられた庭に、クリーム色の可愛らしい家。
一階にはお祖父ちゃんの作業部屋が、二階には私の部屋がある。
白いカーテンが揺れる風通りの良い場所で、作業台や本が積まれたテーブルがある小さな部屋。特に目を引くのが、お祖父ちゃん手作りのドールハウス。
小棚の上にある花の水を替え、ステンドグラスの小窓を見上げると今日の空が見えた。
「いい天気。時間もあるし、買い物に行こうかな」
私が生まれてすぐに亡くなってしまった両親の顔は知らないし、言葉も交わしたことはない。
それでも、とても優しくて素敵な人たちだったとお祖父ちゃんから聞いている。
「お祖父ちゃん、私買い物いってくるね」
「あぁ、気をつけてな」
お祖父ちゃんは明かりを灯す家具、ランタンを作る職人。
この街で暮らす人たちの家に必ずあるランタンは、どれもお祖父ちゃんの手作り。
家は先祖代々提灯職人で、それをお祖父ちゃんが引き継いでいる。
今では提灯からランタンと呼ばれるようになったが、紙と木でできている照明器具ということには変わりない。
本来ランタンは金属やガラスで作るものもだけれど、家で扱っているものは全て紙と木で作っている。洋風なこの街に和風のランタンが見合うよう、昔から作られていたものとは少し形を変え、色の種類も多く取り扱っている。
私も去年から一任されている仕事があり、その形跡が部屋の隅に寄せられている。
大きさの異なる紙や糊、ワイヤー、ロウソク。
子ども一人では扱えないから昔はお祖父ちゃんと一緒にやっていたけれど、今は十六。
細かい作業はお手の物で、お祖父ちゃんお墨付きの出来だ。
「いってきます!」
私はバスケットを持って、外へ出た。
❀.*・゚
街では来月行われる祭りの準備に追われている。
花提灯祭り。
何十年も前から行われている祭りで、そのメインとなる花提灯を作るのが私の役目。
別名フラワーランタン。普通のランタンではなく、花の形をしたランタンだからその名が付いた。
祭りというのは本来、出店や打ち上げ花火で盛り上がるものだけれど、ここ二十年、街ではある問題が起こっている。
「こんにちは」
行きつけの野菜屋に着くと、いつものように挨拶を交わした。
「エマちゃんいらっしゃい」
「お野菜ありますか?」
「それが今出てるので全部なんだ。毎年不作続きで困ったものだよ」
街を覆っている雲の動きが不安定らしく、雲一つない晴天が続いて水不足になる日もあれば、雨が降ったら降ったで大嵐になることもある。おかげで作物が育たないのだ。
出店に並ぶ商品も年々減っていき、打ち上げ花火も中止。盛り上がるはずの祭りとは縁遠くなっている。
「最近はどこの家も貧相で見てられないよ」
「それに後継者不足で使われていない畑は雑草だらけ。みすぼらしい」
「神様はこの街を見放されたのかね……今年は花提灯の祈りが届けばいいのだけど」
市場の店主も客も、口を開けば神様を恨み、街を蔑む。
何度朝が来ても、人々は暗くなっていく一方で、この街の緑の陰に埋もれてしまいそう。
昔は笑顔の絶えない街だったと、お祖父ちゃんは言っていた。街の人々の心を照らせるようにランタンを作り続けている、とも。
私も、嘆き悲しむ街と人々を放っておけなかった。
「その点、エドガーさんのところはエマちゃんがいるから安心ね」
「私なんてまだまだですよ」
「今年の花提灯もエマちゃんが作るのかい?」
「はい!みなさんに喜んでいただけるよう頑張ります!」
「頼もしいね」
花提灯祭りは厄災を祓うために行われ、祭りの最後にロウソクを点したランタンを空へ舞い上げる。
この街では、恵まれない天候も、後継ぎの生まれない不運も、全てあやかしがもたらした厄災だと語り継がれていた。
それを祓うため、街の人々は毎年花提灯頼りに祈りを捧げている。
ものは違うけれど花提灯という名の提灯は昔からあり、それを空に飛ばしてみるのはどうかと提案したのは幼いエマだった。飛ばせる構造に作り替えてできたのが今の花提灯。
私の作る花提灯にそんな大層な力はないけれど、少しでも明日の励みになればと願いを込めて作っている。
「毎度あり。エドガーさんにもよろしくね」
「はい、ありがとうございました」
帰ったら作業の続きをして、その後夕飯の支度。
あ、庭の花の水やりもしないと。
そんなことを考えながら家に帰っていると、庭にある草花の一角が崩れていた。
しゃがみ込んで、生い茂っている草を除ける。
するとそこに、小さな人らしきものが倒れていた。
「……小人?」
恐る恐る手を伸ばし、手のひらに乗せた。
黒髪に黒い洋装を身に纏った男の子は、ぐったりした様子で動かなかった。
「大変……!」
急いで家へ入り、救急箱を取り出す。
小さな彼は頬に擦り傷を作ったまま眠っている。
消毒液を染み込ませたガーゼを当てると顔を歪ませた。
「ごめんね、すぐに終わるから」
小さめの絆創膏を選び、頬に貼り付けて応急処置は完了。他に傷は見当たらないから大丈夫だとは思うけれど。
「平気?」
「……」
返事が返ってくることはなく、穏やかな寝息を立てていた。
「あれ、首元に模様が」
よく見ると右の首元に刺青のようなものがあった。
何の印だろう。まぁ、いいか。
ひとまず私の部屋にあるドールハウスで寝かせてあげようかな。
彼くらいのサイズならちょうどいいだろうし、細部まで作り込まれた家だから居心地は良いはず。
自分の部屋に戻り、テーブルの上に置いてあるドールハウスの屋根を外すと、まず部屋の多さに驚く。
私が住んでる家よりも豪華で、普通の家と同じように小さな家具まで揃っていた。
いつかのプレゼントとしてお祖父ちゃんからもらったけれど、上手く遊べなくてお飾りになっていたドールハウス。ようやく使い時が訪れた。
ベッドルームにあるふかふかの布団の上に乗せてあげると、彼は気持ち良さそうに毛布に包まった。
「可愛い……」
思わず見とれてしまう可愛さに頬が緩んだ。
私はこんなことをしている場合ではない。
作業台に散らばる道具を見て焦った。
「早く作らないと!」
花提灯と言っても、その形は様々。
紙を重ねて作るバラ型。
小さな花が集まるアジサイ型。
星のような形をしたキキョウ型。
まん丸で可愛らしいスズラン型。
祭りではオレンジ色の灯りを灯した花が暗い空に放たれ、とても美しい姿を見せてくれる。
それを花かごをひっくり返したような景色と言う人もいれば、遠く離れていくから儚い絶景と表現する人もいる。
花提灯そのものには厄災を祓う意味があるけれど、それぞれの花にも意味がある。
スズランは幸せの再来、アジサイは家族団欒、キキョウは変わらぬ愛。
花言葉が同じ愛でも、近年では愛の象徴と言われるバラが人気傾向にある。それはきっと、街にバラ園ができたから。
見て分かるように簡単に作れるのはスズランとキキョウ。最も時間がかかるのはアジサイだ。
人気になったのがまだバラでよかったとほっとしている。
見本として去年自分の作った花提灯を置いてあるけれど、それよりも今年の出来はいいと思う。
我ながら腕をあげたな、さすがエマ。
自分を褒めながら作業を続けること数時間、各一種類ずつ仕上げた。
残りは明日やろうかな。時間はまだあるし、雑になっちゃう方がだめだもんね。
夕飯の支度をしようと一瞬ドールハウスを覗いた。
「あっ……」
視線の先では、今まで眠っていたはずの彼が部屋の中を歩き回っていた。
覗き込んだ私に気づいて顔を上げ、じっとこちらを見つめている。
「怪我は大丈夫?」
「……」
赤色の瞳は確かに私を映しているけれど、彼は何事もなかったかのように無視した。
そうだよね。突然知らない家に連れ込まれて、見ず知らずの私と口聞いてくれるわけないか。
そう思って軽く自己紹介をした。
「私エマって言うの。その家は、私のお祖父ちゃんが作ったものだから好きに使っていいよ。何かあったら声かけてね」
当然返事が返ってくることはなかった。
もしかして嫌われてる?いやでも、嫌われるようなこと何かしたかな……。
そんなもやもやを抱えながら夕飯を作りにキッチンへ向かった。
「ねぇお祖父ちゃん。小人って見たことある?」
夕飯の並んだテーブル越しに訊ねると、お祖父ちゃんは驚くことなく答えた。
「この世に存在しない者などいない。出会ったのなら、もてなすのが良いと思うぞ」
「もてなす」
そう言われて余った食材を小さくカットし、お皿に盛り付け、自分の部屋へ運んだ。
食べてくれるかな。
不安に思いながら再びドールハウスにいる彼に声をかけた。見るとソファーに座ってくつろいでいる。
「夕飯作ったんだけど、食べる?」
ドールハウスの小さなテーブルに、持ってきたお皿を乗せる。
彼は何も答えなかったが、黙って料理の前に座ってくれた。
よかった、食べてもらえそう。
安心した私は後片付けをしに部屋を出ようとした。
その時。
「ゲホッ、ゲホッ……」
むせる声が聞こえて咄嗟に振り返った。
「どうしたの!?」
慌ててドールハウスの中を覗くと、顔色が悪くなった小人がこちらを睨んだ。
「おい!なんでサラダにトマト入ってんだよ!」
「えっ!?」
確かに今日のサラダにトマトは入れたけれど、もしかして嫌いだった!?
「ごめんなさい!苦手なもの知らなくて……」
迂闊だった。口を聞いてもらえなくても、とりあえず好き嫌いは確認しておくんだった。
これでまた嫌われたかもしれない。
「やっぱり人間なんて信用するんじゃなかった」
水を飲み干した彼は家から出て、テーブルの隅まで歩いて来た。
「俺をこんなとこに閉じ込めてどうするつもりだ。おまけにこんなもの食わせて、殺す気か!」
「いえいえそんな!怪我をしてたから手当して」
「そんなの放っておけば治る」
駄目だ。この子絶対機嫌悪いし、私の話を聞いてくれそうにない。
縮こまる私に容赦なく言葉が飛んでくる。
「いいか!そもそも人間共は俺たちのことなんにも分かっちゃいないんだ。毎年毎年うざったいお祈りごっこなんかしやがって、こっちは迷惑してんだよ」
「えっ……」
文句を言う彼の体が浮き上がっているように見えた。
今まで気づかなかったけれど、背中に羽が生えている。
「そもそも人間より俺たちの方が先に住んでたのに土地を奪いやがって、何様のつもりだ」
あっという間に私の目線と同じ高さになった彼は、ビシッと指さした。
「今すぐお祈りごっこを中止しろ。さもなくばお前を呪う」
「え!?ちょっと、何が何だかさっぱりなんだけど。さっきからなんなの?お祈りごっことか、土地を奪ったとか」
混乱している私を見た彼は、頭を抱えながらため息をついた。
「お前何も知らずにあれを作ってたのか?頭にお花でも詰まってるのかよ」
あれとは花提灯のことだろうか。
何も知らないと言えばこの子の正体もまだ知らない。
「そういう君こそ誰なの?飛ぶ小人なんて聞いたことない」
「俺は小人じゃない。あやかしだ」
「あやかし?」
街で噂の、あのあやかし?この小さいのが?
「言っておくが、これは俺の分身だ。本体は山にいる。俺は天狗だからな」
「天狗!?」
本で見たことはある。けれど、私が知っている天狗は顔が赤くて鼻が長い。彼のように羽が生えていることは知っているけれど、こんな可愛らしい顔はしていない。
「分かったよ。お前にも分かるように説明してやる。ありがたく思え」
そしてなぜこんなに偉そうなのか。
私は天狗と名乗る彼から話を聞かされることになった。
あやかしが住んでいる街では、あやかしの力がないと存続は不可能であると、昔誰かから聞いた。
けれど、そんな話はでまかせだと街の人々は言う。
あやかしの彼が言うには、昔の人間たちは今みたいにあやかしを嫌ったりせず、互いに尊重し合うものとして共存していたらしい。
その頃は趣のある建物が多く、和の文化を嗜む街だった。しかし、時が経つにつれ街の様子は変わっていった。
和を嗜む街から洋風な街並みに変わり、人々の服装や思想も移り変わった。
提灯からランタンへと名前が変わったのもこの時だったが、提灯職人は和の文化を継承していく責務があると、先祖は提灯の存在を残した。
そんな街の様子をずっと見ていたあやかしたちは、自分たちも街に溶け込まなくてはと思い、和の装いから洋装へ。
あやかしらしい羽や耳、角などは隠し、限りなく人間に近い姿で、以前と変わらず人間と共に生きていた。
「あやかしというのは、人間とは違う生き物だ。それでも俺たちの持っている力は人間の役に立っていた。天候を操って雨を降らせたり、子宝を恵む力を持っていたり、豊作をもたらすやつもいる」
それらの力を駆使して、あやかしたちは人間の知らぬ間に街を守っていた。
それがいつからだろう。あやかしは厄災を引き起こす者として見られるようになったのは。
「二十年ほど前に、あやかしが住んでいる山で火事が起きた。何者の仕業なのかは今も分からないが、人間たちはその山火事をあやかしのせいにした。そりゃあやかしが住んでいた場所だから疑われるのは仕方ないが、彼らはやっていない。焼け跡を見てもそれは歴然なのに、聞く耳を持たなかった人間は、あやかしを疑い、恐れ、嫌った」
その山火事で焼け焦げたのは山の一部で、街まで被害は及ばなかった。それも全て、早くに気づいたあやかしたちが対処したからであっても、人間たちは信じなかった。
あの火事で畑がだめになったら、街が焼けたらどうするのだと、考えるのは自分たちのことだけで。
今から二十年前。
あやかしと共に歩んでいた街の時間は止まってしまった。
あやかしは厄災を引き起こす。
そんな噂が広がり始め、花提灯に祈りを捧げるようになった。
「確かに全てのあやかしが善良だとは言い切れないが、少なくともこの街にいたのは有能で良い奴らだ。それは十八年見てきた俺が保証する。
なのに今の人間ときたら、何でもかんでも俺たちのせいにしやがって。そもそもな、お前らがやっている花提灯祭りとやらは、あやかしたちを追い出すものだ。厄災だと決めつけて街から追い払ったら、そりゃ雨も降らんわ、嵐は来るわで、当然のことなんだよ。
そうとも知らず空へ舞う花を見て綺麗だのお祈りだの、腹立たしい」
小さな羽で宙を舞いながら腕を組み、部屋の中を優雅に飛び回っている。
その様子を気にも留めず、エマはずっと考え込んでいた。
昔から築かれていた信頼関係が、たった一度の山火事で壊れ、あやかしたちを追い詰めてしまった。
それに未だ気づいていない私たちは、祭りであやかしを追い払おうなどと……。
彼の言うことが信用できるものかは分からない。
けれど、ここ二十年で起きた街の人々を悩ませている問題と時期が重なっているし、山火事が起きたことも聞いたことがあった。
「嘘だと思うなら今年も祭りをやればいいさ。今この街にいるのは天狗の俺だけ。最後の一人がいなくなったらこの街はどうなるんだろうな」
「……」
嘲笑うように話す彼に、何も言い返せない。
もしも私が花提灯を作れば、雨が降らず作物が枯れ果てる。後継者がいなければ、街の時間は止まり、完全に廃れる。
夜空を彩る花提灯が、この街を、あやかしたちを、苦しめていた。
私の、せいで……?
俯く瞳に涙が滲む。
泣くな。まだ終わったわけじゃない。
拳を握り、唇を噛んで必死に止める。
「そんなの、だめだよ」
「あ?」
震える声に、舞っていた彼がエマの前でピタリと止まる。
顔を上げると不機嫌そうに眉をひそめた目と合った。
「どうにかならない?私にできることはなんでもするから。この街は私にとって大切な居場所だから、守りたい」
「だから祭りを中止しろと言っている」
「それは……無理だよ。それ以外のことならなんでもするから」
「なんでも……」
彼の望み通り祭りを中止することは難しい。
頼んだとしたとしても、街の復興を祈願する人々は止められない。
それがこの街にとっての最善だと考えているだろうし、街の人にあやかしの話をしたら相手にしてもらえないかもしれない。そうなれば本末転倒だ。
あやかしの存在を最も恐れているのは人間だから。
それでも私は、人間もあやかしも、みんなが安心して暮らせる街を取り戻したい。
私のせいで苦しんでいるのなら、私がなんとかしなきゃ。
「まずはあいつらを連れ戻さないことにはどうにもならないだろうな。
俺の他に天狗はまだ数人いるし、妖狐と鬼と……あいつは、まぁそのうち戻ってくるだろ」
最後は独り言のように言って聞こえなかったけれど、どうにかすることができるのは分かった。
何やら考え込んでいた彼は、エマの顔を見てニヤリと笑った。
「祭りを中止しないにしても、やるべき事はある。着いてこい」
家から出て歩き続けること数十分。
辺りは緑に囲まれている山の中。
あやかしは山に住んでいると言われた。もしかしてそこに連れて行かれているのだろうか。私、本当に呪われたり……。
前を飛ぶ小さな彼を追いかけながら、なんでもすると言ったことを後悔していた。
「ここを抜ければ到着だな」
木が重なり合ってできたトンネルを通り抜けると、そこには小さな家があった。
「山の中にこんなところがあったなんて」
街にある建物はレンガでできているのに対し、この建物は木材のようなものでできていた。
エマは見慣れない造りの家に目を輝かせていた。
「お前、神社を知らないのか?」
「神社?」
この建物、そういう名前だったんだ。
「一般的に、神社には神や霊が祀られていると言われている。この街では俺たちあやかしが使っているが」
「この中にいるの?」
「今は誰もいない。みんな出て行ったからな」
時の流れと共に、街も人もあやかしまでもが変わっていく中で、唯一変わらなかったのがこの神社。
普段は街から見えないように、木のトンネルで隠している。
「汚ねぇだろ。もう何十年も使われてないからな」
古びていて所々壊れている部分があり、建物全体は煤や埃を被っている。
「そこでお前に、ここの掃除を頼みたい」
「掃除?そんなことでいいの?」
「あぁ。まずはここを綺麗にしないと、あやかしたちが戻って来られないからな。それに、あのクソみたいなお祈りのせいであやかしは神社に近づくことができない」
「だから私が?」
「そうだ。人間に害のあるものもないし、当然断らないよな?」
人気が全くなく、暗く薄汚れた神社。どこか不気味な雰囲気が漂っている。
足を踏み入れただけで床が抜けてしまいそうな気もするけれど、断るわけにはいかない。
「やります」
覚悟を決めて返事をしたエマの目に若干不安はあるものの、やる気はあるようだった。
「よし、じゃあまずは鍵を開けないとな。……その前に」
「わっ!」
彼が勢いよく木の上に飛んでいった。
そして次の瞬間、別の人が上から飛び降りてきた。
人……人間だ。私よりも背が高い男の子。
「やっぱこっちの方が動きやすい」
大きさは変わっても、髪や目の色、着ている服は先程までと同じだった。
「さっきまでの天狗の小人さんですか?」
「そんなダサい名前で呼ぶな。俺はコクトだ」
今までの姿は分身で、これが小人の正体。
サラサラの黒髪に、キリッとした赤い瞳。整えられた黒のジャケットにはシワひとつない。深紅色のアスコットタイに、綺麗に磨かれた靴。
どこかの国の貴族なのではないかと思ってしまうほど美しく、立ち姿が絵になる。
とても綺麗だ。
今まで出会った誰よりも魅惑的で、なぜか見惚れてしまう。強く惹きつけられるのは、彼があやかしだからだろうか。
可愛らしかった小人姿から一変、今は爽やかな青年姿のコクト。
「あ?何見てんだよ」
「……」
口を開かなければ、普通のイケメンだ。
サイズが変わっても性格が変わるわけではないみたい。
「見惚れてたのか?」
「違うし!」
咄嗟に否定してしまったけれど、間違ってはいない。ただ、認めることが悔しいだけで。
私は顔を逸らした。
それを見たコクトはエマに近づき、からかうように顔を覗いた。
「ふーん。お前見た目は悪くないし、嫁にしてやってもいいぜ?」
「は!?何言ってるの!」
たった一度の人生、大切な相手をそんなあっさり決めるなんて信じられない。
こんな人と結婚するなんて、絶対に嫌だ。
「喚くな、騒がしい」
内ポケットから鍵を取り出したコクトは扉の前へ近づき、エマもそれに着いて行った。
古くなった鍵穴にコクトが手を伸ばした瞬間。
バチンッ!
軽く火花が飛び散った。
「えっ、大丈夫?」
「これくらい平気だ。入口でこれだから、中には入れないな」
鍵を開けただけで少し手が焦げてしまった。
そんな彼を見て、代わりにエマが扉を開けた。
開いた場所から外界の光が入り込み、中を照らす。
「あ……」
外から見えた内装に二人は唖然とした。
どこもかしこも煤まみれで、部屋の隅には蜘蛛の巣が張られている。
このキラキラ光って見えるのは舞っている埃で、昨日降った雨のせいで天井からは水が零れ落ちている。おまけに柱は傷だらけ。
「屋根は他のやつが帰ってきてからでいいと思っていたが……これは想像以上だな」
「せめて毎日空気の入れ替えくらいしていれば」
「こんなところ開けたくもないわ」
試しに一歩踏み入ると、床がギシィと音を立てる。
埃の道に足跡が残るくらいには汚れていた。
気が重い。
しかし、このまま眺めてるだけでは何も進まない。
「やろう」
持っていたスカーフで口元を覆い、神社にあった箒で掃き掃除から始めた。
❀.*・゚
これ、一日じゃ終わらない。
床の埃や煤の汚れを取るだけでかなりの時間と労力を消費した。
明日以降も掃除しに来ていいか聞いてみよう。
エマは暗がりの中から出て、夕日の照らす地面へ足をつけた。
うわ……さっきまで暗かったから分からなかったけれど、洋服が汚れてる。これは帰って洗濯しなきゃ。
顔を上げると、神社周りの掃き掃除をしているコクトを見つけた。
面倒だと言ってサボるかと思っていたけれど、ちゃんとやるんだ。
そんなことを考えていると、彼と目が合った。
「ん、終わったのか?」
箒を持ったままこちらに近づいてくる。
掃除をするからジャケットを脱いだんだろうけど、その格好に箒は似合ってなくて、なんだか笑えてしまう。
「それが今日中に終わりそうになくて。明日も来ていいかな?」
「もう嫌だって言うかと思ったけど」
「大変ではあるけど、掃除なら私にもできるし。あやかしたちが帰ってこられるようにしたいって思ってるのは本心だから」
そう言った私を意外そうに見つめてきたコクト。
家にいた時は偉そうな態度をとっていたけれど、ここへ来てからはやけに落ち着いている。人の姿になったからなのか、それとも仲間がいなくて寂しいからなのか。
どちらにしても、その差に驚いたことには変わりない。
「お前さっきからこっち見すぎ」
「あたっ」
一瞬何が起きたのか分からなかったけれど、額に残る痛みで理解した。
「なにするの!」
「間抜けな顔してるお前が悪い」
コクトは私の手にあった箒を奪い取り、自分のと合わせて壁に立てかけた。
「作業は終わりだ。帰るだろ?送ってく」
「あ、ありがとう」
さり気なくそう言ってくれる優しさが、容姿と相まって余計に紳士的に見える。
花提灯の影響で今はまだ神社に入ることができないけれど、掃除すれば触れられるようになるのだろうか。
私はコクトの代わりに扉の鍵を閉めた。
「あれ、コクト?」
一瞬の隙に姿を晦ました彼を探していると、
「おい、帰るぞ」
後ろで声がして、振り向くとミニコクトが宙に浮いていた。
「また小さくなったの?」
「山から離れるとあやかしの力は弱まるからな。街に下りる時、人間の姿だと一分もたない」
私は、小さな羽をひらつかせているコクトの分身と山を下りることになった。
佇む木々の隙間から夕焼けの光が差し込み、優しく照らされた山道を踏みしめる足音がひとつだけ響く。
「コクトは普段山で寝てるの?」
「あぁ。あそこ以外に行くとこないからな」
それでちゃんと休めるのかな。
……あの場所で休まなければならない理由を作ったのは私の花提灯なのだけれど。
私に何かできることはないだろうか。
思い出すのは、部屋にある家のこと。
「あのドールハウスなら自由に使ってくれていいよ」
「人間と同じ家に居ろって?それはごめんだね」
「どうして?」
私の問いに顔だけ振り向かせたコクトは真顔で答えた。
「俺は人間が嫌いだからな」
「……!」
そうだよね。私は何を勘違いしていたのだろう。
あやかしを嫌っているのは人間の方なのに。
話を聞かず、厄災と決めつけ追い払っている。それだけで、人間を嫌う理由には十分だ。
それなら、なぜ人間嫌いの彼は今私と一緒にいるのだろう。嫌いならそもそも街にも下りてこないはず。
もしかして、花提灯を作らせないようにするために絡んでるとか?
ん……?花提灯を作らせないように?
「あー!」
「なんだよ、うるさいな」
「花提灯!神社の掃除してたら忘れてた!」
このまま明日も明後日も掃除を続けていては花提灯が祭りまでに仕上がらない。かと言って掃除を途中で投げ出すわけにもいかない。
どうしよう。あれ作るの一人だと一ヶ月はかかるんだよね。
仕事があるお祖父ちゃんに手伝ってもらうのも申し訳ないし、帰って作業の続き……をする体力はもう残っていない。
頭を抱えるエマを見たコクトは軽くため息を吐いた。
「手伝ってやるよ」
「え、なにを?」
「お前の仕事をだよ」
舌打ち混じりに言われても、私は混乱したままだった。
「コクトはお祭りを中止させたいんじゃなかったの?」
「俺が言ったのは、祈ることを止めろという意味だ。それをしないのなら祭りをやったって問題ない」
思い返してみると、確かにお祈りごっこを中止しろと言われていた気がする。あれ、でもその後はやっぱり祭りを中止しろって……。
「手伝ってほしいのかほしくないのか、どっちだ!」
「手伝ってほしいです!」
勢いのまま返事をしてしまった。
手伝ってもらえるのはありがたいけれど、本当にいいのかな。
ここにきて益々彼のことが分からなくなった。
人間嫌いなのに私といるし、祭りを中止させたいのに花提灯作りを手伝ってくれると言うし。
「ほら、着いたぞ。さっさと帰れ」
結局詳しい話は聞けないまま、明日から花提灯を作ってもらうことになった。
次の日、花提灯の材料を持って山に来た。
道は昨日覚えたし、わざわざ迎えに来てもらうのも申し訳ないと思ったからコクトには神社で待ってもらっていた。
「これが一応お手本なんだけど、作り方を」
「いい。もう知ってる」
「え?」
エマの手から材料の入った袋を取り、紙を折り始める。
「前に作ってただろ?それ見て覚えた」
前に……あ、コクトがドールハウスで休んでいた時に近くで作業してたっけ。あの時、起きて見てたんだ。
でも本当にあれだけで?私でも覚えるのに丸一日かかったけど。
迷いなく進めるコクトの手元を見ていると。
「ほら、こんな感じだろ?」
「うん、合ってる」
スズラン型を作ってくれたけれど、私が作るより数倍早い。それでいて丁寧だし、手際が良い。
「私が作るより全部コクトに任せた方がいいのかも」
「お前どんくさそうだもんな」
「そんなことないよ!?」
「分かったから早く掃除しろ」
コクトは私に背を向けたまま手で追い払う仕草をしてみせる。
私が自慢できる唯一の特技だったのに、こうも簡単にこなされると、なんだかショックだ。
その悔しさを晴らすべく、私はひたすら壁の煤を落とした。
❀.*・゚
それからは毎日、私が神社の掃除をしている間、コクトは花提灯を作ってくれた。
「へー、だいぶ綺麗になったじゃん」
「中はね。所々抜けそうな床とか雨漏りしてる屋根以外は一通り磨いたよ」
入口から見ても以前より綺麗になったのが一目で分かる。
キラキラ光って見えているのは間違いなく、太陽の日差しだ。
そして今日からは外の壁を磨いていく。
ずっと暗くて汚れの溜まった重たい空気の中にいたせいか、久しぶりの外での作業で開放的になれる。
それに、同じく外で花提灯を作ってくれているコクトとも距離が近くなるし、自然と心が軽くなった。
「それにしても、どうしてコクトは一人で残ってたの?」
壁に布を押し当てて拭き掃除をしながら、日陰で作業をしていたコクトに声をかけた。
すると動かしていた手が止まり、コクトは小さい声で何かを言っていた。
「え、ごめん聞こえなかった」
「たから!じゃんけんで負けたんだよ」
「じゃんけん?」
「そうだよ、悪いか」
最後に誰が残るかをじゃんけんで決めるたんだ。
それにしてもトマト以外にも弱点があったなんて。
「弱いの?じゃんけん」
「あの時はたまたまだ」
ここまで言われて試さないわけにもいかないと思ったエマは、コクトの前に回り込んだ。
「じゃーんけーん」
ぽい。
私はパーで、コクトはグー。
「……たまたまだ」
その後三回やって、三回とも私が勝った。
「もう一回やっとく?」
「いいよもう!」
コクトはエマに背を向けて再び花提灯を作り始めた。
じゃんけんに関して、私も特別強いわけではないけれど、コクトがここまで弱いとわざと負けているようにも思える。でも、反応を見る限り本当に弱いんだろうな。
「あ……」
エマは後ろから見えたコクトの耳が赤くなっていたことに気づいた。
今までなにかと言い負かされていたから、初めて勝てた気がして優越感に浸っていたけれど、このギャップには少しだけ胸をくすぐられた。