村の再開発からしばらく経ったある日、事件が起きた。
「――大変だーっ! 国王軍の連中が、村に押しかけてきてるぞーっ!」
発端は、村人の慌てた調子の大声だった。
何が起きた、どうしたのかと村の皆は騒めいたけど、すぐに誰もが原因を察した。
前回からかなり間が空いてしまったけど、最初から起こりうると知っていた事態。それが発生しているんだって、何度目かになる悲鳴だけで村の誰もが嫌でも理解させられた。
これは――何者かの襲撃が起きた証拠だ。
「久々に来やがったか……様子を見に行くぞ、イーサン!」
ちょうど一緒にバリスタの組み立て作業をしていた僕は、ロックと顔を見合わせて頷くと、心配そうな調子の村人達に合流しようとした。
だけど、不意に服の裾を掴まれた。振り返った僕の視線の先にいたのは、不安を隠せずにいるアリスとパトリシアだ。
「ご主人様、私には何が起きているのか、何をしようとしているのか分かります。ご主人様の勇気は尊敬に値しますが、最前線に立つのはおやめください」
二人の頼みは察していたけど、今、それを承諾するわけにはいかない。
「アリスとパティのお願いでも、これだけはどうしてもね。トラブルが起きるかもって時に、僕は安全圏から眺めているだけなんて、領主としての在り方に関わるよ」
「でも、もしイーサン君に何かあったら、あたし達……」
「大丈夫、僕を信じて。代わりと言っちゃなんだけど、アリスには万が一の為に門の傍に居てほしい。パティは誰かが怪我をしたら、魔法で治療してあげて。お願いだ」
僕は精一杯、自分のできる範囲で、男らしい目つきで二人に言った。
いつもなら僕を子ども扱いしてくる二人だけど、今日ばかりは違った。アリスが、裾を掴むパトリシアの手に触れると、彼女は少しだけ迷ってから手を離した。
「……かしこまりました。では、不肖アリス、ご主人様の命を果たしてまいります」
「気を付けてね、イーサン君! 絶対怪我しないでね、約束だよ!」
アリスとパトリシアは、それぞれ僕の両頬にキスした。そして、それぞれが僕の指示した通りに、門の方へと走って行った。
――寝る前意外に、誰かにキスしてもらうなんて初めてかも。
ほんのちょっぴり体が熱くなったのを感じた僕だけど、直ぐに気合を入れるべく頬を軽くはたいた。それから近くのはしごを登って、やぐらにいるロックと合流した。
「村の外に誰もいない!? 逃げ遅れた人は!?」
「メイと男達で連れ帰ったわ! 外にもう、村の住人はいないわよ!」
下にいる皆に向かって、二人そろって声を上げると、メイが応えてくれた。
「よし、だったらハンドルを回して橋を上げてくれ! 門は絶対に開けないように!」
僕の号令で、オートマタと一緒に数人の村人がハンドルを力強く回した。すると、橋はぎぎぎ、と大きな音を立てて跳び上がる。僕の指示を聞いた、というわけじゃないにしても、村人が一致団結して行動してくれるのはとてもありがたい。
だけど、嬉しく思ってる場合でもない。
既に門と濠を挟んで、敵が外に到着していたんだ。
騎士甲冑を纏った兵隊は、合わせて十人。しかもその様子は、明らかに異様だった。
荷車ほど大きい、藍色の毛皮の首が二つある犬の魔物――オルトロスに搭乗して、長い槍を構えた騎士がいるんだ。僕が読んだ本には、あんな騎士は載ってなかったよ。
「ロック、あの魔物に乗ってるのも、騎士なのかな?」
「いや、俺は初めて見たぜ。騎士ってのは基本的に、馬かグリフォンに乗ってるってのが相場なんだよ。見てくれもなんだか、慣れない甲冑を無理矢理着てるって感じだ」
「戦争帰りかもしれないわね。それとも、騎士を装った何かなら、話は別だけど」
「もしも騎士なら、話は決まってる。俺達をねぎらえ、或いは飯と女をよこせ、だな」
ロックの言う通り、相手が何者かはともかく、まずは狙いを知らなきゃ。
そんなことを話していると、騎士の方から大仰な声を張り上げてきた。
「我らはフォールドリア国王軍、魔物騎士遊撃隊である! 敵ではない、門を開けろ!」
敵ではないと宣言しているけど、信用していたらきりがない。
「聞いた事ねえよ、そんなの! 第一、国王軍ならどうしてこんなところにいるんだ! 王都への帰り道が知りたいなら、川に沿って東に進んで行けばいいだろ!」
騎士達がもしもはぐれたり、何かしらの事情で違う街道を走ってきたりという理由でディメンタ村に来たのなら、ロックが指さした北側に行けば、少なくとも川に沿って王都には辿り着く(だとしても、いきなり門を開けろと叫ぶのは矛盾してるんだけどね)。
「ここにいる理由を、貴様らに話す必要はない!」
「常に最前線に立ち、逆賊と戦う騎士をねぎらうのは国民の義務と知っているな! 抵抗するというのなら、貴様らも国王に刃向かう蛮族連中とみなすぞ!」
それもそうだ、なんて言って村を離れてくれるのが理想だったんだけど、魔物を唸らせて威嚇している騎士達の高圧的な態度は、一向に変わらなかった。
要するに、これまで村を襲ってきた連中と、目的は同じだというのは分かったよ。
「交渉決裂だな……だったら、対応は一つ。だろ、イーサン?」
「うん、やるべきことも一つだ。生まれ変わったディメンタ村の力を見せつけるんだ、もうおんぼろ村なんて誰にも言わせないよ」
ロックだけじゃなくて、やぐらの下にいる皆が僕を見ていた。
指示を待つだけじゃない、覚悟を後押ししてほしいという顔。そんな風に見えて、僕は領主がただ命令するだけの人間じゃないというのを、改めて実感した。
そして、彼らの望みを僕が叶えられる。そんな確信も、僕の中にあった。
「皆、配置について! バリスタの威力を試す時だよ!」
「「おおぉーッ!」」
僕が拳を掲げて叫ぶと、村のありとあらゆる人々の喚声が響き渡った。
そして、何かを見計らったかのように踵を返して街道沿いに駆けていく国王軍の騎士と思しき敵の背を見届けてから、一斉に村人達が動き出した。
「防壁を登ったら、まずはバリスタの状態を確かめて! 練習した通り、最低でも二人で動かすんだ! メイ、トレント達に操作の補助をしてもらって!」
「男衆は門の後ろに行け、イーサンが作ってくれた武器を持ってな! 残ったやつは俺と一緒に迎撃の準備だ! 女子供は集会所の奥に隠れてくれ!」
僕と、やぐらから飛び降りたロックが声を張り上げると、誰もが命令通りに走り始めた。
小さな村のただの村民のはずなのに、誰もが余計な動きをせず、パニックにもならず、互いに声を掛け合って武器を取り、老人や子供の避難誘導までしている。
実は、防壁やバリスタ関係の生成に関わり出した頃から、いざという時の為に何度か村人を集めてシミュレーションをしていた。実戦を想定した素人なりの指示だったけど、結果として大まかな動きやバリスタの使い方を皆が把握してくれた。
正直、実動時には多少なりの緊張や恐怖が起こすもたつきも予想していた。
だけど、まさか皆がこんなに迅速に動けるなんて、思いもよらなかった。
ロックは「僕が指揮しているから」なんて言ってくれたけど、きっと本当の理由は、誰もが強い勇気に突き動かされて動いてるからだ。
皆がここまで頑張ってくれているなら、僕も領主として、しっかり指示を出さないと。
「射撃準備ができた人から報告して! 慌てないで、確実に撃てるようにするんだ!」
僕の指示通り、皆が一斉にバリスタのセッティングを始めてくれた。
バリスタは防壁上に設置された分だけじゃなく、門の傍からせり出した移動式のものも含めて、合計十門。木で作った矢の数は多いけど、同時射撃は十発が限界だ。だからこそ、確実に撃てるようにしないといけないんだ。
実際のところ、弦を引くのも矢をセットするのも、一人いれば事足りる。バリスタの機能はほとんどぜんまい仕掛けで完結していて、女性や子どもだと少しだけ難儀するかもしれないけど、男の力なら大丈夫だ。
それでも二人一組で行動させたのは、慣れない動きをさせることへの懸念に対する保険のつもりだった。でも、ロックはここでも予想外の大活躍をしてくれた。
「できたぜ、イーサン! いつでも撃てるぞ!」
ものの数秒で、ロックは他の人の分まで弦を引き絞り、矢を搭載してくれたんだ。
「凄いね、もうバリスタを使いこなせるなんて!」
「よせやい! 生まれつき手先が器用って、それだけだっての! ナイフさばきがちょっと上手なだけが取り柄の俺にも、活躍の場があってホッとしたぜ!」
とんでもない。話の呑み込みが早いのは知っていたけど、それは頭の回転の速さや器用さに直結してるんだから。やっぱりロックは、心から尊敬できる友人だよ。
「どうだ、メイ! バリスタは使えるか!?」
彼が声をかけた先には、木の魔物トレントと一緒に弦を引っ張るメイがいた。
「ちょっと重いけど、トレントに手伝ってもらえば引けるわ!」
『お、おいら! ひく、めいと、これ、ひく!』
本当ならシェルターに隠れているべきなのかもしれないけど、メイはトレントという力強い仲間を得て、あえて前線に残ってくれた。彼女を絶対に傷つけないというのは、僕とロックが固く結んだ、何よりも大事な約束だ。
「イーサン様! バリスタは準備完了ですぜーっ!」
「ありがとうーっ! 敵に動きがあるまで、一旦待機しておいてーっ!」
彼女が木の魔物に手助けしてもらいながら矢をセッティングした頃には、他のバリスタも撃てるようになっていた。僕の号令で、この矢が一斉に発射されるわけだ。
皆に軽く手を振ると、ロックが僕のいるやぐらまでもう一度登ってきた。
「あいつら、すっかり姿が見えなくなったな……諦めたのか?」
一緒に視線を向けた先には、もう敵はいない。ロックはできれば、敵が諦めて逃げたんだと結論付けたかったかもしれないけど、恐らくそうはいかないはずだ。
「ううん、隠れてる仲間達を呼んでるんだと思うよ。街道の向こうから出てくるはずだ」
「もしも敵の数が多くて、バリスタをかいくぐって、門を破ったらどうする?」
「周辺にはオートマタを配置させてるし、そこで必ず食い止める……来たよ、ロック!」
僕の予想通り、街道の遠く向こうから、砂埃と沢山の黒い影が迫ってきていた。
再びバリスタの方に戻ったロックは、僕の方からは表情が見えないけど、間違いなく目を見開いていると確信できた。だって、僕も、ほかの皆の顔も驚きに満ちていたんだから。
理由は当然、眼前の敵にあった。
双頭の犬に跨った騎士達が――さっきの何倍もの数で猛進してきていたんだ。
「なんだありゃ!? ひい、ふう、みい……三十はいるぞ!」
「残党って数じゃないわよ! しかも皆、魔物を乗りこなしてる!」
「いよいよ、王国軍かも怪しくなってきたね。魔物に乗っているだけの、鎧や紋章旗を奪った野盗の可能性もある……盗賊団、とでも言うべきかな」
自分で呟きながら、僕はもう一度迫ってくる敵を見据えた。
僕はそれほど目がいいわけじゃない。でも、何人かが兜を脱ぎ捨てて、ドレッドヘアーや奇抜な髪形を露呈させていた。もしも王族や貴族の配下の騎士団に属しているなら、もっと整然とした髪型にしないといけないはずだ。
おまけに、こちらのバリスタが見えているはずなのに、逃げないどころか、奇声を上げながら突進してくる。つまり、彼らには半端に組み上げられた防壁や、ハリボテのバリスタしかない村を蹂躙して、盗みと殺しを果たしてみせたという実績があるんだ。
だから彼らは、全く臆していない。オルトロスに乗って濠を跳び越え、まだ完成し切っていない門と壁をタックルで壊して、村人を皆殺しにする気だ。
「イーサン! トレント達が、あの魔物は濠を跳び越えてくるって言ってるわ!」
「まずいぜ、濠を跳び越えられたら、残ってるのは未完成の壁だ! 万が一壊されでもしてみろ、オートマタとアリス、男衆で迎撃しても村に被害が出ちまう!」
メイとトレントの報告で、いよいよ僕の疑念は確信になった。
だけど、ある意味ではチャンスだ。バリスタの実力を見せつけて、皆に村を防衛したという確かな自信を付けさせるならこれ以上の好機はない――成功すれば、だけど。
「そうはさせない! 皆、敵が濠の前まで来たら発射の合図をするよ!」
いや、だけどなんて、半端な言葉じゃだめだ。絶対に、防衛を成功させるんだ。
バリスタの引き金を全員が構えたのを見てから、僕は敵をしっかりと睨んだ。号令が早すぎれば最大の成果が得られず、遅すぎれば門に攻撃を仕掛けられる。
僕の声一つで、村の命運が決まる。
「近づいてるよ、イーサン様!」
「まだだよ!」
「領主さん、攻撃させてくれ!」
「まだだ、まだ!」
村人の声を制して、敵を限界まで引きつける。敵が油断して、バリスタで撃ってこないと思い込むほどに。本物の兵器を、偽物だと思い込むほどに。
一瞬が一秒、一秒が一分に感じられるくらい長い、長い刹那。
――僕は見た。
盗賊団の先陣を切るならず者の顔が、門の破壊を確信して嗤ったのを。
調子に乗った。避けることを考えていない。攻撃など予想もしていない。ならば、こちらが攻撃を叩き込んでやるのに、これ以上の機会は存在しない。
躊躇うな。声を上げろ。優しさの為に、甘さを捨てろ。
大事なものを守り抜くべく――やれ、イーサン・セルヴィッジ。
「――放てええぇッ!」
喉を震わせるほど大きな、僕の号令が轟いた。
全ての引き金が同時に引かれ、弦がしなり、木の杭を模した矢が放たれた。冷えた空気をたちまち斬り裂き、十本の矢は最も村に近づいていたオルトロスとその騎乗者に向かって、目にも留まらぬ速さで飛んでいく。
そして、それは盗賊や魔物の鎧や肌に触れたかと思うと、骨肉諸共貫通してみせた。鉄製の鎧を抉り取り、強固な牙をへし折り、騎乗者を(或いはその一部を)吹き飛ばし、バリスタの矢は一発につき一つの命を見事に奪った。
もちろん、あくまで素人の一斉射撃だから、全ての矢が命中したわけじゃない。でも、やぐらから顔を覗かせて見れば、射撃の効果はとても大きかった。
突如として広がった仲間の亡骸を目の当たりにして、盗賊連中が明らかに狼狽していたんだ。それこそ、魔物の足を止めて、少しだけ後方に退くぐらいにはね。
「効いてる、効いてるわ! 魔物が一発でくたばったわよ!」
「というかこれ、とんでもない威力だな!?」
「すげえ……こんなに簡単に、敵を倒せるのかよ……!」
メイや村人が威力に驚いて、成果に喜んでいたけど、まだ戦いは終わってない。
「油断しないで、矢の準備をお願い! 慌てないで、ゆっくりやればいいよ!」
その証拠に、盗賊は喚き声を轟かせて、もう一度突進を試みてきたからだ。
「結構な数を倒してやったのに、まだ攻撃してくるってのか!」
「むきになってるみたいだね……だったら、もう一度だ! 皆、構えて!」
敵が即座に攻撃してきたのは、次弾装填に時間がかかると踏んだからだろうか。
けど、もしそうなら、僕の作ったバリスタと村人の技量を甘く見てるよ。だって、また濠に近づいてくるよりも先に、誰もが二撃目の矢を番えていたんだから。
「撃て!」
二度目の号令で、再び十本の矢が敵を貫いた。
皆も慣れてきたのか、さっきよりも正確に、矢がならず者か魔物のどちらかを確実に死に至らしめてた。敵が怒りや戸惑いで、直線的な動きをしていたのも理由かもね。
いずれにせよ、村を狙う驚異の数は、たちまち半分以下に減った。斃れた敵の中には、まだ息があるのもいたけど、もう立ち上がることは叶わないみたいだ。搭乗者がいない獣はうろつくだけだし、獣が息絶えたならず者も転落して、少なくとも怪我を負っている。
「イーサン、敵の動きが完全に止まったぜ! もう一度、矢を撃ち込むか!?」
「いや、様子を見る! だけど、いつでも撃てるようにはしておいて!」
さて、状況はどう転ぶかな。
十を超える死体を見て、まだ略奪を諦めないのなら、もう次からは射撃を途絶えさせない。魔物も盗賊も死ぬまで、バリスタの矢の雨を降らせる気でいる。
だから、この間は敵への最終通告のつもりだ。できれば、大人しく従ってほしい。
じりじりと後退しつつある盗賊達の目は、ありがたいことに恐怖に染まっているようだった。中には魔物の尻を叩いて前進させようとしてるのもいたけど、オルトロスは二つの首を横に振って、死にたくないと拒絶しているみたいだ。
これまで当たり前のように蹂躙してきた辺境の村が、いきなり装備を整えて反撃してきた上に、同胞を半分も殺したんだ。魔物の反応も、当然ともいえるかな。
そんなやりとりをしばらく続けているうち、とうとう盗賊団に変化が起きた。
「おい、見ろ! あいつら、逃げてくぞ!」
残された盗賊が背を向けて、街道を外れた森の方へと走って行った。
「……森の方に退いていく……ってことは……!」
僕はもう、小さくなっていく盗賊なんて見てなかった。
彼らの行動はすなわち、一つの結果を意味してたからだ。
「――俺達の、ディメンタ村の勝利だぁーっ!」
そう、ディメンタ村の勝利という結果を。
ロックの雄叫びが、たちまち村全体の歓声へと変わった。避難所から様子を見に来ていた女性や子供、老人老婆も家屋を飛び出して、門の回りにいる勇士達と抱き合って、何も奪われなかった初めての反撃の成功を喜んでる。
僕はというと、正直喜びよりも安心感の方が勝って、やっと肩の力が抜けたよ。
一度の勝利ですべてが終わったわけじゃないけど、ひとまずは敵を退けた皆と、自分を褒めてあげてもいいかな。こんなに上手くいくなんて、思ってもみなかったけど。
そんなことを考えながらやぐらを降りた僕は、急に視界が真っ暗になった。
「んぶっ!?」
最初は何事ごとかと思ったけど、この匂いには覚えがある。ほんの少しだけ考えてから、僕は今、アリス達の胸に抱きしめられているんだって分かった。
「ご主人様! 見事、お見事にございます……!」
今回ばかりは、涙声のアリスとパトリシアを引き剥がすわけにいかなかった。
だって、心配をかけたんだもの。僕が無事だって安心感で胸を満たしてくれるなら、しばらくは強すぎる力にも、柔らかすぎる感触にも成すがままにされるしかないね。
そんな僕が解放された時、ロック達村人がぞろぞろと僕の方に集まってきていた。
「やったぜ、イーサン! よっ、ディメンタ村の救世主!」
「救世主だなんて、大袈裟だよ」
肩に手をかけて頬ずりするロックに、僕は至極当然の感想で答えた。
「この村を救ったのは、村の皆の勇気だよ。盗賊相手にも臆さずに、しっかり学んだバリスタの使い方を活かしてくれた。僕がいても、皆がいなかったらこうはならなかった」
ロックは僕のおかげだなんていうけど、そんなわけがない。僕はあくまで、手段を提供しただけだ。村人が手伝ってくれなければ、オートマタがいても攻撃を防げなかったかもしれないし、防壁の建築も間に合わなかったかもしれない。
だから、お礼を言うのは僕の方だ。優しさを守る機会を貰えた、僕の方なんだ。
「ありがとう、皆……本当に、ありがとう!」
僕が深く頭を下げると、皆は少しだけ戸惑ったようだった。
「ったく、領主サマがぺこぺこ頭を下げてたら、威厳もへったくれもないじゃない」
ちょっぴり尖った声を聞いて顔を上げると、ロックの隣に立つメイが、僕の方をじっと見つめてた。今まで一度だって見たこともない、朗らかな表情で、彼女は――。
「お礼を言うのはメイ達の方よ……こっちこそ、ありがとう」
笑った。僅かに尖った口で、慣れてない目つきで、それでも笑った。
僕も、多くを話さなかった。ただ、彼女に微笑み返した。それだけで十分だった。
さてと、皆で肩を叩き合って、勝利に酔いしれるのもいいけど、まだやるべきことは終わっていない。かじった知識だけど、やらなきゃいけない事柄は残ってる。
「敵の死体は一か所に集めて、焼いて埋めてあげよう。犬は……流石に食べられそうにないかな。同じように処分しようか。武器は貴重な資源だから回収しておかないとね」
まずは、門の外に転がる死体をきっちりと弔ってあげること。
「それから――作業が終わったら、どうかな、勝利を祝って宴なんてのは!」
そして、村の初勝利を祝う時間を作ることだ。
僕の提案を聞いて、ロックやメイどころか、村人とアリス達まで盛り上がってくれた。
「サイコーだな、その提案! 自然の恵みだけはたっぷりあるのがディメンタ村の特徴だからな! とっておきの肉料理も煮込み料理も、なんだって振舞うぜ……メイが!」
「任せときなさい。だけど兄貴、あんたも手伝うのよ?」
「それこそ任せとけって! 試食担当は大の得意だからよ、痛でっ!」
「ご主人様、私達もご助力いたします」
「久々に、メイドの腕の見せ所って感じかな!」
村中が熱気を帯びて、戦いとは別の盛り上がりを見せてゆく。
緊張が解れて、別の意味での笑顔が伝播していく。ああ、皆に一番して欲しい表情をこんなところで見られるなんて、幸せだなあと思えるよ。
「じゃあ、早速準備を始めよっか!」
それから間もなくして、村を上げた宴の準備が始まった。
「かんぱーいっ!」
「「かんぱーいっ!」」
――その日の夕方から、ディメンタ村の広場は信じられないほど盛り上がった。
集会所とその前の広場には、僕が生成したテーブルと椅子、周囲を明るく照らすカンテラが所狭しと並べられて、ディメンタ村の女性達が総出で作った料理が振舞われた。準備が済んだ頃にはもう日が暮れかかっていたけど、村人が全員来てくれていた。
村長さんに、僕が乾杯の音頭を取るように言われたのは少し驚いたけど、カーティス兄妹にも背中を押されて、壇上で大きな声を上げて場を盛り上げて見せた。やったぞ、僕。
そこから先は、もう飲めや歌えの大騒ぎだ。
ちょっとはしゃぎすぎなんじゃないかって心配したけど、レベッカ村長が言うには、元々ディメンタ村はこれくらい騒がしい村なんだって。近頃は事情が重なって陰気な調子になっていたらしくて、元はこれくらいの陽気さがあったんだって。
「ほらほら、イーサンも食え食え! 肉ならいくらでもあるぜ!」
「うん、それじゃあフォークを持ってくる……」
「何言ってんだよ! 串を持って、こうやって、がつがつ食っちまうんだよ!」
ロックに言われるがまま、村の警備はオートマタに任せてあるからと、僕も久しく羽目を外してみた。といっても、喋りながら手づかみで料理を食べてみたくらいだけど。
串焼き肉を両手で掴んで、がつがつと頬張るなんて、屋敷じゃ絶対許されなかったね。ついでに言うと、流石に発泡酒を飲むのはアリス達が許してくれなかった。
「ご主人様、羽目を外しすぎませんよう」
「アリス先輩、口に鳥の丸焼きを突っ込んで言っても説得力ないよー?」
「……ごくん。まあ、ほどほどに。ほどほどに、でございます」
二人もはしゃいでくれていて、主人冥利に尽きるよ。
それに、森で採れたブドウを潰したジュースを飲むのは許してくれた。僕のとなりで、ロックがこっそり耳打ちした「これもお酒みたいなもんさ」って言葉を聞いた時は、吹き出しそうになったけどね。
男衆はテーブルの上で踊り出し、子供を連れた母親は椅子に座って語らい合う。まだまだ修復途中の村だけど、この雰囲気だけは、栄えた商業都市のようだ。
「フン。村の再興の立役者が、おっさんみたいな顔で空なんて眺めちゃってどうしたのよ」
そんなことを考えながら木の実をつまんでいると、メイが隣に座ってきた。
というか、僕は一応おっさんだったんだけど(三十代をおっさんとするならね)。
「なんだか、嬉しくなっちゃったんだ。村長さんに、これが村の本来の姿って聞いてね」
「毎日こんな調子じゃないわよ、たまにってだけ。でも、久々にこれだけ騒いでるバカ男どもを見るのは、悪い気はしないわ……そんな村に戻してくれたのは、あんたよ」
少しだけ、僕の傍にメイが寄ってくれた。
「……こう見えて、感謝してんのよ。それだけは、言っとくから」
ふと顔を見合わせると、メイの頬が、どうしてか暗いのに赤く染まっていた。
何というか、その、僕は少しだけ彼女に見とれていたのかもしれない。
「なんだなんだ、いい雰囲気で話しちゃってよーっ!」
すっかり出来上がった調子のロックが、僕とメイの間から顔を覗かせるまでは。
「兄貴!? なによ、いい雰囲気って!?」
「ははは、お似合いじゃねえか! イーサン、俺の妹をよろしく頼むぜ! 口が悪くて怒りやすい上にお前のメイドさんと比べて乳も尻も小さいが、いい女――おごっ」
メイの後ろから出てきたトレントが、ロックの脇腹にボディブローを叩き込んだ。あの一撃じゃあ、ぐったりしたまま半日は起きられないだろうね。うん、合掌。
「急用ができたわ。トレントと一緒に、兄貴を村の外に放り出してくる」
「家に寝かせてあげてね、悪気があったわけじゃないだろうし……」
「……考えとくわ、それじゃ。あと、兄貴の言ったことは全部忘れなさい」
ロックを引きずって去っていくメイと入れ替わるように、アリスがやってきた。
「ご主人様、何か良いことがありましたか? 顔がほころんでいますよ」
彼女の問いかけに、僕はちょっと悪戯っぽく、含んだ笑みで返した。
だけど、アリスの疑問は他のところにもあるようだった。
「……ところでご主人様、ライド男爵が仰っていた、ケイレム様についてですが」
「ケイレムが、どうしたの?」
「あの方は、いずれご主人様を見つけるでしょう。執念深く探し続け、蛇の如く村に迫り来ます。その時は、ご主人様を逃がさなければと……」
アリスの言いたいことは、分かる。
有事の際には、彼女は僕が拒もうとも、命を守るべく僕を村の外に逃がす。言いづらいからこそ、今言っておかなきゃいけないんだっていう、アリスの気持ちも分かる。
それに、僕も忘れていない。僕を殺そうとした張本人がまだ、僕を狙っていることを。ライド叔父さんの言う通り、彼が諦めるはずがないってことも。
だけど、僕の答えは決まってる。
「僕は逃げない――戦う。皆を、守る為に」
「……最期までお供いたします、ご主人様」
アリスが僕に微笑みかけてくれた顔は、いつもよりずっと朗らかだった。
僕と彼女の前で、夜が明けるまで続いた宴は、人生で一番楽しい時間になった。