次の日、僕はロックに連れられて、昨日と同じ広場にやってきていた。

 広場にはロックだけじゃなくて、メイや村の人々、レベッカ村長もいる。もちろん、僕の隣には、まるでボディーガードのようにアリス達も並んでる。

「なあ、イーサン? 確かめときたいんだけどよ、お前の魔法って何でも作れるのか?」

 急に肩を組んできたロックの問いに、僕は頷いて答えた。

「イメージできるものなら、だいたいはね。大まかな想像で、魔法の方が勝手に造り上げてくれるって言った方がいいのかな……昨日組み立てて、今は広場を歩き回ってるあれも、あくまで僕は自動で動いて戦える人形を想像しただけなんだ」

 そう言って僕が指さしたのは、昨日組み立てた鉄人形。

 てっきり一度発動してからは土くれに戻るのかと思ったけど、僕の意思を無視して存在し続けている。それに、村にも僕よりずっと馴染んでいるように見える。

「けど、見ての通り、あれはまだ動いてる。僕の指示を聞いて行動してくれるし、今は子供達と遊んでくれてるでしょ? 原理はさっぱりだけど、アリスは人形の中に魔法的な動力が仕組まれてるんじゃないかって」

「うーむ、俺はその辺りはちんぷんかんぷんなんだが、まあよしとすっか!」

 ロックにとって、僕の返答はあまり興味があるようじゃなかった。

「そんでさ、本題なんだけども……あれ、作れないかな?」

 彼の本当の関心は、彼が指さして、皆の視線が集まったあれにあるみたいだ。

「ほら、向こうにある家なんだけどよ。ならず者に襲われた時に壊れちまって、修復する暇がなかったんだよ。でさ、もしできるなら、昨日みたいに……な?」

 なるほど、確かに説明してくれた通り、家の様はひどいものだね。

 二階から上は火炎瓶を投げ込まれたみたいに黒く焦げていて、一階はハンマーで叩かれたように砕けてる。家としての形だけを保っている、と言った方がいい。

 あれを立て直そうとするなら、相当人員と手間がかかるんじゃないかな。

「も、もちろん、無理にとは言わないぜ!? あんなのが造れるのかも知らねえし……」

「分かった、試してみるよ」

 少し遠慮がちなロックに軽く手を振って、僕は家の前に立った。僕の魔法には素材が必要だけど、家そのものが素材になるし、近くの柵も使わせてもらおう。

 あとは、僕の体力が保つか。不安材料はそれだけだ。

「ご主人様、無理をなさらないでください」

 アリスとパトリシアも、そこがどうしても心配になるみたいだ。

「ありがとう、アリス。でも、無理かどうかは、やってみないとね」

 そんな二人に笑顔で応えてから、僕は昨日と同じように、家の壁に手をあてがった。

 想像するのは、昨日と同じように望んでいるもの。

 堅牢な木の壁は簡単に作れる。他の素材が必要なカーペットやソファー、家具は少しだけ難しいけれど、僕の変性魔法があれば問題ない。焼け焦げた物質が少しでも残っていれば、それを元手に同じような完成品を変形魔法で生み出せる。

 大まかに完成品のイメージを頭に浮かべた僕が右手に力を込めると、昨日と同様に光が迸った。そして僕や皆が少し廃屋から離れると、光が収まった壁を中心にたちまち黒い炭と汚れが取り払われ、凄い勢いで変形が始まった。

 まるで建物の建築動画を早回しで見るかのように、CG技術をこれでもかと使った映画のロボットの変身シーンを見るかのように、家がひとりでに組み立てられてゆく。

 外装だけでなく、内装も光に包まれて生成される。焦げた布の端が他の素材と交わって真紅のカーペットになり、溶けたガラスは元の美しさを取り戻す。

 そうして、一分もしないうちに、目の前には新築二階建ての家が完成した。

「……マジか……家が建った……!」

 誰もが唖然とする中、ロックは静かに新品の扉を開き、家の中に入っていった。ぴかぴかの窓に、ふわふわのソファに、大きな家具に、彼は感動しているようだった。

 僕と目が合うと、彼はどたどたと戻ってきた。

「イーサン、前みたいに疲れてないか? どうだ?」

「うん、大丈夫。昨日は覚えたてで体が馴染んでいなかったような感覚だけど、今日はまだまだ使えそうだよ。でも、流石にいくつも建設することはできなさそうだけどね」

 言葉に嘘偽りはなく、僕の体調は昨日よりも悪くなかった。

 バリスタと鉄人形を生成した時は肩で息をするほど疲弊していたけど、今は少し息が上がるくらいだ。前よりもかなり大きいものを作ったけど、

 つまり、僕の体が魔法に慣れてきた証拠、ってことかな。

「こ、これなら、村が復興できる!」

 近くにいたおじさんの声をきっかけに、皆がわっと盛り上がって僕のもとに押し寄せた。

「それに、前住んでたのよりもずっといい家に住めるわ!」

「そんなら次は俺だ、俺んちの畑の道具が……」

「何を言うとる! わしの荷車をじゃな……」

 これだけたくさんの人に頼られるのは嬉しいんだけど、その、潰れちゃう。

 僕って一応、十歳の子供だから。そこを意識してくれないと、困るんです。

「はいはい、それ以上イーサン君に近づいたらぶっとばすよー」

 幸い、パトリシアが割って入ってくれたおかげで、僕は圧死せずに済んだ。

 でも、これで今後の行動の方向性は決まった。村への恩返しで、村そのものを修復する。今よりももっと住みやすい家と施設、道具を提供するんだ。

 相変わらずアリス達は不安な面持ちだけど、そこは安心してほしいな。だって今も、魔法の反動はたいして受けていないどころか、まだまだ動けそうなんだから。

「坊ちゃん、気持ちはありがたいがね。メイドさんの言う通り、無茶はせんでおくれよ」

「ご心配ありがとうございます、村長さん。でも、僕ならまだまだ大丈夫ですから!」

 もっと仲良くなれるなら、笑顔になってくれるなら、なんだってやるさ。

 僕が笑顔で返すと、レベッカ村長も納得してくれたようだった。メイやロックも、少し離れたところで村人と相談しながら、僕の方に手を振ってくれた。

 こうして、僕の魔法を使った村全体のリフォームが始まった。



「よし、これで完成、っと」

「おおーっ、これは凄いな! こんなに上質な仕事道具は初めて見たぞ!」

 僕の変性魔法と変形魔法を使った恩返しを始めて、あっという間に三日が経った。

 その間に、ディメンタ村は僕が作ったアイテムや家屋で溢れかえってた。正確に言うと、溢れるというほどじゃないんだけど、それでも沢山の道具を生成したんだ。

 流石に家を一日で何戸も組み立てるなんて芸当はできなかった。だけど、代わりにぼろぼろになった鍬を造り変えたり、家具を造り直したりはしてあげた。

 反面、鉄人形やバリスタのような武器を造ってくれ、とは言われなかった。

「じゃあ今度は、俺の家のタンスを頼むぜ! 最近どうにもガタがきちまってな!」

「何言ってんだい! 次はあたしの家の屋根が先だよ!」

 皆の要望を聞きながら作業を続ける僕は、ほぼ丸三日、睡眠と食事のタイミング以外は村の修復にあたっていた。頼み込まれた道具を一つ修復すると、次は砕かれた壁を直す。それから屋根を取り換えて、荷車を新品にして、フォークとナイフを全て揃える。

 次から次へと魔法を使い続ける様は、まるで漫画で読んだ錬金術師みたいだ。そんな自分の魔法に調子が良くなったのか、僕は次第に疲れを感じなくなってきた。

 ただ、働き詰めの僕を見て、アリス達はしきりに声をかけてきた。

「ご主人様、少しお休みください」

「あのさ、イーサン君って最近、ちゃんと寝てる? 夜中にこっそり起きて、魔法の練習とか、頼まれた道具の生成とか、やってない?」

 パトリシアの問いに僕がぎくりとしたのは、全くその通りの隠し事をしていたからだ。

「もしもお断りされるのであれば、無理やりにでも静養していただきますが?」

 アリスとパトリシアに囲まれると、年上の女性二人とはいえかなりの威圧感がある。捕まってしまうと、間違いなく疲れが取れるまで膝枕で眠らされてしまう。

「だ、大丈夫! 全然疲れてないから、大丈夫だよーっ!」

 僕は二人の間をすり抜けて、さっと広場の方へと逃げ出した。

 アリス達が追いかけてこなかったのを確認しながら、僕はさっき頼まれていた家の建て直しをするべく、村の集会所から少し離れた家にやってきた。

「お待たせ、メイ。それで、ここが修復してほしい家かな?」

 村の中でも殊更大きな家の生成を頼んできたのは、他ならないメイだ。

「フン。ほどほどに期待してやるわ」

 正直なところ、僕はメイに嫌われていると思ってる。

 村の修復を始めた頃から、メイは一層僕と距離を取っているように見えた。それは僕がいろんなところで手伝いをすればするほど深くなっていって、なんだか説明のつかない複雑な感情を抱いている風に見えてならなかった。

 まるで、ぶつけたい怒りの矛先が見つからないような。

 でも、今日だけは話が別だ。こう言われれば、気合を入れないわけにはいかないね。

 本日最後の大仕事と言わんばかりに、僕はメイの前で気合を入れて、右手を崩れた家の壁にくっつけた。あとはイメージするだけで、魔法が発動する。

「……あれ?」

 ――はず、だった。

 僕の掌からは、何の光も出てこなかった。

 魔法の力どころか、魔法が発動すらしない。変性魔法で木材をより良いものにも代えられなかったし、ましてや変形もしなかった。ただただ、目の前には壊れた家があるだけだ。

 皆が違和感を覚えて集まってくる中、メイの顔が、たちまち喜びから怒りに変わった。

「ご、ごめん! すぐに魔法を使うから……お、おかしいな……」

 僕が右手を翳しても、何をしても、うんともすんとも言わない。

 あたふたしてばかりの僕の隣で、とうとうメイが冷めた声で翳した手を下させた。

「……あんた、もしかしてマナが尽きたんじゃないの?」

 マナが尽きた。その意味が分からないほど、僕も無知じゃない。

 魔法を用いるには、体内に秘めたエネルギーであるマナを消費する。その力が枯渇すれば、体力を使い切ったのと同じでひどく疲弊する。魔法が無尽蔵に使えるものではないのは、このマナに依存する要素が大きいからなんだ。

 そういった事情を知っているということは、メイも魔法を使えるのかもね。

「メイも魔法が使えるもの、それくらい知ってるわ。というか、マナがないならなんであんたは平然としてるのよ。普通はへとへとになって動けなくなるわよ」

「なんでって…分からないけど、僕はまだ元気だよ?」

 でも、僕は今のところ、倒れ込むほど疲れちゃいない。どちらかといえばやる気は沢山みなぎっているし、眠る必要すら感じていないくらいだよ。

 だからこう言ったつもりなんだけど、メイの顔はますます不機嫌になっていく。

「……休みなさいよ。メイ達からのお願いくらい、今日はダメって言って休んだらいいじゃない! 我儘の一つくらい言えばいいのよ!」

「そうはいかないよ。皆の為に一日でも早く村を……」

 そう言いながらもう一度手を翳そうとした僕を見て、遂にメイは歯を軋ませて怒鳴った。

「いい加減にしなさいよ! なんでそんなにお人好しなのよ、あんたは!?」

「え、ええっ?」

 しかも、人が好いからだなんて、あまりに予想外な理由で。

 僕が魔法を使えないことに対して怒鳴るのなら、まだ理解できた。でも、僕がお人好しであることに対して怒るなんて、予想できるはずがないよ。

 どう反応すればいいかさっぱり思いつかない僕の前で、メイはずっと怒ってる。

「毎日、毎日、魔法で村の修理をさせられて! マナが尽きるくらいの無茶振りをされても笑顔のまんまで! なのに愚痴も言わないで、人の為にだなんて!」

 今まで溜め込んでいた何かを解き放つかのように、怒ってるんだ。

「あんたが間抜けな金持ちか、戦争しか頭にない悪党だったらどれほどよかったか! なのに、底抜けのバカみたいな善人相手に、メイはどうすればいいのよ!?」

「落ち着いて、メイちゃん!」

「ダメだ、それ以上は言っちゃ……!」

 村の皆が彼女を止めようと動き出す。メイの台詞も、僕でもわかるくらいにおかしくなっていく。聞いてもいない、でも聞いちゃいけない何かを話そうとしてるんだって。

「調子が狂うなんてもんじゃない、メイだってどうしたらいいか分かんないわよ! あんたみたいな奴から金をせしめるのも、使い潰すのも、お人好し相手にできるわけ……」

 とうとう一瞬、周りが騒めいた。

 メイも自分の発言に気づいて、口を塞いでいた。まるで、苛立ちのあまり感情を制御できないかのような調子の表情で、顔は青く染まっていた。

「メイ、今なんて……」

 そんな彼女の言葉の意味を僕は聞きたかったけど、できなかった。

 急に、僕の呂律が回らなくなった。というより、自分の意思で口が閉じられなくなってしまったんだ。まるで壊れたくるみ割り人形のように、だらんと開いてばかりだ。

「あ、え、あぁ……?」

 あまりに唐突な出来事に戸惑う僕の脳裏に、ある記述がフラッシュバックした。

 ――そういえば、読んだ覚えがある。

 本当に疲れてる人は、疲れに気づかないんだって。脳内麻薬が分泌されて、常にハイの状態で仕事ができるとか、スポーツに打ち込めるとか。

 体力がゼロになった状態でも体を動かせるその麻薬の力は、確かに凄まじい。でも、その麻薬が切れたなら、蓄積された疲れは全て戻ってくる。

 ――もしも、もうマナが残っていないのに気付かないほど、僕が疲れているとしたら。

「どうしたのよ、ちょっと!?」

「なんだろう、急に、アリス、パティ――」

 メイが、皆が僕を見ている。驚きと、恐怖と、困惑に満ちた目で。

 ぐらり、と視界と脳の一部が揺れた感覚と共に――三日間も魔法を頻発し続けた代償ともいえる、怒涛の疲れが押し寄せた。

 手足が痺れて、口も開かないほどの、耐えきれない苦痛が僕を呑み込んだ。

 そして、もう何度目になるか分からない世界の暗転で、僕の意識は途絶えた。



【ロック】

 ――イーサンが倒れた。

 村の皆からその報せを聞いたのは、俺が畑で野菜を集めている時だった。

 理由なんて分かりきってる。俺は魔法を使えないけど、妹のメイが魔法を使えるんだから、それを使いすぎればどうなるかを何度か見てきた。へとへとになって、半日はベッドの中にいることもあった。

 もし、三日間も使い続けた魔法の反動が、今のイーサンに来たならただじゃすまない。

 一瞬だけそう考えた俺は、気づけば野菜を投げ捨てて走り出していた。

 ディメンタ村の端から一番広い通りを駆け抜けて、村の皆が集まっている間を掻き分けて、蹴破るように扉を開けて、階段を飛び跳ねて、二階の部屋の扉に手をかけた。

「イーサン!」

 そして俺は、上ずった声でイーサンの名前を叫んだ。

 俺の目の前には、予想していた通りの光景が広がってた。

「お静かに。ご主人様のお体に障ります」

 奥のベッドに寝かされているイーサン。その傍に立って俺を睨みつけるメイドさん達。ここまでは予想できたけど、メイが一緒にいるのは予想外だった。

「メイ、どうして……」

「……倒れる前、傍に居たの。それだけよ」

「それだけ? 村の人から聞いたよ、イーサン君が倒れるまで無理な頼みごとをさせ続けて、金が必要だったなんて言い放って……それだけで済ませるわけ?」

「村の人々から丁寧に、ていねいにお話をお聞きしました」

 自分の計画がばれている。しかも、村人を巻き込んだのも。

 ツインテールのメイド、パトリシア(とか言ったはず)に痛いところを突かれたメイの顔がそんな風に言いたげに動揺していたけど、直ぐに平静を取り戻した。

「……戦争を始めた貴族に、被害者のメイが優しくする理由なんてないじゃない。それに、謝礼金だってけちけちしないで渡してくれたっていいものじゃないの?」

 メイはもう自分の狙いを隠すつもりがない。ばれているなら仕方ないって考えなのかもしれないけど、そんな口ぶりだと相手を怒らせるだけだ。

 そんでもって、妹の発現は間違いなく、メイドさん達を怒らせた。

「そういう問題じゃないんだよね、分かってないなあ……クソガキ」

「ご主人様に無理を強いるというのがどういう意味か、理解いただけていないようですね」

 見りゃ分かる、って話じゃないくらい、二人は怒ってた。

 こんなに美人で可愛らしいメイドからここまで殺気が放たれるなんて、信じられなかった。特に黒髪のメイドの方は、広場で見せた獣の目と爪を唸らせて、主人の命令も待たずに俺とメイを引き裂く気満々だって言える。

「……!」

 ぎろりと獣に睨まれて、メイはたじろいでた。どれだけ強がったって、本物の殺気を直に受けたら、俺だって怖いんだ。メイが耐えられるはずがない。

 このままじゃ、メイは半殺しじゃすまない。

 どうすればメイを助けられる。どうしたら彼女への怒りの矛先を変えさせられる。

 ない頭を捻って、小刻みになる呼吸を抑えて――俺は、冴えない答えを導き出した。

「――すまんっ! イーサンに無茶をさせたのは、俺が原因なんだ!」

 こうするしかなかった。俺が主犯になって、メイを庇うしか。

 俺みたいな村育ちのバカには、こんなことしかできなかった。

「イーサンを看病して謝礼をせしめようとして……魔法を知ってからは、村を復興させる為に使い潰そうとした! こんなことやめようって言ってくれたメイに、無理矢理協力させたのも……全部、俺なんだよ! あいつのさっきの言い分は、俺を庇ってるだけだ!」

「兄貴、何言って……」

「でも、まさかこんなことになるなんて……本当に、すまなかった!」

 頭を下げた俺の方からメイの顔は見えなかったけど、愕然としているのは察せた。

「すまなかった、で済むとお思いですか」

 メイド達のため息から、俺の謝罪なんてのがまるで意味を持っていないのも察せた。

「言っとくけど、イーサン君をここまで追い込んだ村の手助けなんて、金輪際お断りさせてもらうからね。あたし達、はらわたが煮えくり返りまくってるし」

「ご主人様が目覚められたら、その日のうちに村を出ます。止めようというなら……」

 駄目だ、二人を止めるなんてできない。

 じりじりとにじり寄ろうする二人を前にして俺が息を呑んだ時、唐突に誰かが叫んだ。

「違う、そうじゃない! 貴族を利用しようって企んだのは、メイの方なの!」

 拳を握り締めて、目を瞑って喚くように声を上げたのはメイだ。

「兄貴を脅して、村の皆になるべく多く道具を作ってもらおうって言いだしたのは自分だし、何でもしてくれるって言葉に付け込んだのも自分よ! でも、本当は……」

 どうして自分のせいにするんだって、俺の疑問は直ぐに解消された。

「本当は、貴族連中の戦争のせいで村を壊されたから……仕返ししたかったのよ!」

「メイ……!?」

「村が焼かれて、物が奪われて、人が死んで、ずっとずっと憎かった! 戦争のせいで死んでいく皆のことなんて気にも留めずに、乱暴者の兵隊が何をしてるのかも知らずに綺麗事をぬかす貴族なんて、死んでもいいって思って、そいつをそそのかした!」

 目を見開いて憎しみをぶつける顔は、俺より年下の女の子がしていい顔なんかじゃない。

 もしかすると、メイの本性は俺の知らない邪悪なんじゃないかと、僅かに妹を疑った。

「けど……けど、もう、もう無理よ……だって、こいつ……」

 それのは、俺の疑心が生んだ妄想だった。

 力なくへたり込んだメイは、目に涙を溜めながらイーサンを見つめてた。

 ああ、俺は分かる。兄貴だから分かる。

「……分かるよ。俺も、イーサンは他とは違うって分かるよ」

 メイの肩に手をかけて、震える体をさすって、俺はメイの心の真意を代弁した。

「俺達の為に、心の底から恩返ししてくれた。いつでも笑顔で応えてくれた。自分が倒れる瞬間まで人の為に尽くしてくれる奴を憎めるわけ、ないもんな」

 他の貴族達と違って、勘繰りも何もせず、イーサンは俺達に当たり前のように接してくれた。メイが邪険にしても、俺が裏で酷い企みをしていても、メイドさん達に忠告されても、あいつはずっと笑っていた。

 そんな奴を、どうして憎めるんだよ。貶められるってんだよ。

 自分の犯した罪の重さを再確認させられた俺は立ち上がって、メイドさんを見つめた。

「ごめんな、メイドさん。どんな罰でも受けるから、メイだけは――」

 メイの代わりに、何をされたっていい。殺されたっていい。

 そう言おうとした俺の声は、また遮られた。

「……罰なんて……与えないよ」

 腹を括った自白に割って入ったのは、イーサンだ。

「イーサン!」

 驚いた俺とメイの前で、イーサンは体を起こそうとした。けど、まだ体力が回復してないのか、アリスに抱きかかえられて上体を起こすのがやっとみたいだった。

「ご主人様、起き上がってはいけません。安静になさってください」

「心配ないよ、アリス。ちょっと立ちくらみがしただけだから……それよりもロック、話は全部、聞かせてもらってたよ」

「き、聞かせてって……いつから!?」

「いつから……ロックがメイを庇って、僕を利用していたってのを自分の罪にしようとしていたあたりから、かな。ごめんね、途中で起きるのもよくないって思ったんだ」

「こっそり起きてたんだね、イーサン君。まったく、抜け目ないなあ」

「こっそり、というなら僕だけじゃないよ。部屋の外にいる皆も、そうじゃないかな?」

 イーサンが俺の後ろ、僅かに開いたままの扉に目を向ける理由はすぐに分かった。

「随分と馬鹿なことをしたもんだね、ロック、メイ。皆にもきっちり説教したよ」

「ば、ばあちゃん! それに村の皆も!」

 俺の目に飛び込んできたのは、険しい顔をしたばあちゃんと皆だ。

 廊下がぎゅうぎゅう詰めになるほど押し寄せてきた村の仲間達は、皆が揃ってしょぼくれた顔をしてる。俺はそいつら全員に見覚えがあって、俺とメイから、イーサンになるべくたくさん派手なものを作ってもらおうって相談してた面子だ。

 老若男女、合わせて十数人がこっちを見つめながら反省した面持ちなのは、どう考えてもばあちゃんに怒鳴られたからだ。だって、俺もあんな顔になるんだよな。

「……お婆ちゃん、その、メイは……!」

「分かってるよ、村の為にって言いたいんだろう。村長として、お前達の行動を咎めるわけはないよ。けどね、人としてはしっかり言っておかないといけないんだよ」

 渋い顔をするメイよりもずっと渋い顔で部屋に入ってきて、ばあちゃんは俺と妹をぐい、って引き寄せた。それから、言い聞かせるようにあの言葉を口にした。

「いつでも人に優しくする。それが、一番大事なことだって、教えたはずだろう?」

「……!」

 俺とメイの情けない顔が、しっかと見つめるばあちゃんの目に映った。

 ――そういえば、最後にばあちゃんからそう言われたのはいつだっけか。

 人に優しくするんだって、物心ついたころから、口酸っぱく教えられてきた。ディメンタ村に来た旅人にも、たまたま立ち寄っただけの商人にも、誰にでも優しくするのは当たり前で、相手が笑ったり喜んだりするとこっちまで嬉しくなったはずなのに。

 恥ずかしくて、情けなくて、俺は俯くしかなかった。とことん善意だけで接してくれてるイーサンに、俺の間抜けな顔なんて見せられるはずがないって心底思った。

 なのに、あいつの声は、弱弱しいのにまだ透き通ってた。

「レベッカ村長、二人は十分、僕に優しくしてくれました。悪いのは僕です、魔法を使うのが楽しくなって、アリス達や村長の忠告を無視した僕のせいなんです」

「ご主人様……」

 メイドさんの寂しげな声を聞いて、俺は顔を上げた。上げずにはいられなかった。

「イーサン、そんなことない! お前だって分かってたろ、俺はお前を騙して……」

 こんな俺を、どうして許してくれるんだって叫びたかった。罰を与えてくれって言いたかったし、許してなんてくれない方がいいって吼えたかった。

 けど、けどイーサンは、まだ俺に笑顔を向けていたんだ。

「……違うよ、ロック。僕は嬉しかったんだ」

 いつもの笑顔じゃない。痛みとか苦しみを押し殺した、必死の笑顔だ。

「貴族の世界じゃ、同じ年ごろの相手は、僕を殺そうとした兄だけだった。だから、ロックもメイも、僕にとって同じ立場で話せる……初めての友達だって、思ってたんだ」

 兄弟に殺されかけた。そんなとんでもない事情、初めて知った。行くあても戻るあてもない貴族の、十歳ちょっとの子供から、俺達は謝礼金をせしめようとしてたんだ。

 都合のいいことばかりを考えていて、俺達はただ、知らなかったんだ。

「勝手に、思ってたんだ……!」

 大粒の涙を零して、笑ったまま泣くイーサンのことを知ろうともしなかったんだ。

 ぼろぼろの貴族が、本来いるべき領地からずっと離れたところで倒れているのに、まともな理由があるわけがない。俺達の想像なんて及ばないほどの凄絶な理由があるんだ。

 なのに、あんなひどい姿になっていた子の信頼を、俺は簡単に裏切り、踏みにじった。まだ小さい子の胸が苦しくなるのは当たり前なんだ、泣かないはずがないだろうが。

 俺がどれほど残虐な仕打ちをしたのか、なんで気付けなかったんだ。

「……イーサン……!」

 掠れた声で呟いて、俺は彼に歩み寄った。メイドさんが俺を突き飛ばしちまうかと思ったけど、二人とも白い目で見てくるだけで、何もしなかった。

 目を閉じて静かに涙を流すイーサンを、俺は震える手で抱きしめた。

「イーサン、ごめん……本当に、ごめんな……!」

 俺は詫びた。最低な俺は、詫びるしかできなかった。

「うう……う、ううぅ……!」

 俺の後ろで、メイが泣き崩れてた。

 良心の呵責とか、後ろめたさとか、全部に圧し潰されてるってのは、俺にも分かった。

「ばか、ばか、ほんとに、ばか……わああああああぁんっ!」

 メイの泣き声がずっと大きくなって、俺の心臓に突き刺さった。

 俺も妹も、痛くて辛くて、悲しかった。惨めで、虚しかった。

「……ごめんね……ロック……」

 イーサンの手が、俺を抱きしめてくれた。

 やめてくれよ、俺にそんな資格なんてないんだって言いたかった。

 なのに、俺の手はイーサンの肩をぎゅっと強く握ってた。

 ――お前はどれだけ優しいんだよ。どれだけ甘くて、どれだけ正しい人間なんだよ。

 ――俺みたいな人間を許してくれるなんて、そんなの、ずるいだろうがよ。

「うう、ううう……!」

「ごべん……いーざん、ごべんなぁ……」

「うわああああん! ああああーんっ!」

 俺達三人の泣きじゃくる声はずっと、部屋の中に響いてた。メイドさんやばあちゃん、村の皆が見てる中で、子供みたいに泣いてた。

 涙が枯れるまで、喉が枯れるまで、俺達は泣き続けてた。



 魔法の使い過ぎで倒れてから二日が過ぎた頃、僕は村の変化に気づいた。

 ディメンタ村の皆が、僕を貴族や客人扱いしなくなったんだ。

 体力が回復して外に出た時には「よう、イーサン」とか「調子はどうだい」とか、ごくごく普通に声をかけてくれた。まるで僕が村の一員になれたみたいで嬉しくて、その時は思わずありがとうなんて言っちゃった。

 アリスとパトリシアは、僕が説得するまで事件のことで苛立ってたみたいだけど。

 魔法を使うのをしばらく禁止された上に、今でもつかず離れず僕の隣を歩いてる。たまには一人にしてほしいなんて言ったって、今のアリス達は聞いちゃくれない。

 ただ、二人が許してくれたこともある。

 僕がまだ村に残ること――そして、カーティス兄妹と一緒にいることだ。

 ロックはあれから、以前よりずっとスキンシップが多くなった。メイは変わらず毒舌で皮肉っぽいけど、なんとなく物腰が柔らかくなったのが分かる(そんな話をしたら、きっと蹴っ飛ばされるだろうけどね)。

 とにかく、僕はもう少しだけディメンタ村に残ることを決めた。

 そんな折、ロックがある提案をしてきたんだ。

「――僕を、領主に?」

 僕に、ディメンタ村の領主になってほしい。

 ロックが僕にそう言ったのは、ある日の昼食時だった。アリスとパトリシア、ロックとメイ、そして僕が一緒に食事を摂るのは、もうさほど珍しくなくなっていた。レベッカ村長も一緒にと誘ったんだけど、「邪魔するのはよくない」といって遠慮されちゃった。

 そんな事情もあって、テーブルを囲んで五人で昼食のスープを飲んでいた時に、ロックが言ったんだ。僕がこの周辺の領地を治めるといい、って。

「ああ、イーサンみたいな貴族がディメンタ村にいてくれたらいいなって思ってさ。ま、もちろん俺やメイが、勝手に考えてるだけなんだけどな」

「……メイはそんなこと、一言も言ってないわよ……ま、まあ、悪くはないけど……」

 ロックは明るい顔で、メイはそっぽを向いていたけど、考えは同じみたいだ。

 一方で、アリス達はじろりと二人にきつい視線を投げかけてた。

「そーんなこと言って、また悪だくみしてるんじゃないのー?」

「なっ、俺達はもう、イーサンを利用しようなんて思わねえよ!」

 慌てた調子で手を振るロックだけど、大丈夫だよ。僕はちゃんとわかってるからね。

「それに、ここの領主は、いていないようなもんだぜ。ディメンタ村は領地の中でも端の端、来たところでうまみはないし、足を運ぶ理由はねえよ」

「本当なら村を守ってくれるはずの騎士団だって、他の街にかまいっぱなしよ。うちは優先順位も低いし、沢山の騎士の面倒も見れないし……見放されたようなものね」

 とはいえ、二人はやや真面目な口調で話してるんだけど、いざ本当に領主になりたいなんて言っても、簡単になれるものじゃないのは当然だ。

「気持ちは嬉しいけど、そんな簡単な話じゃないよね? もしも僕が勝手に領主を名乗れば、きっと本来の土地の持ち主はとても怒るはずだよ。勝手に領地を奪われるんだから」

「だいたい、領主なんて勝手な話、あたしは認めないけど? 散々イーサン君を利用しようなんて企んでた奴らの村に居座らせようなんて、ね、アリス先輩?」

「私も容認しかねますが……全ては、ご主人様がお決めになることです」

「ま、先輩がそういうならいいかな。イーサン君はどうするの?」

 パトリシアに問われた僕は、少し考えてから答えた。

「僕は、できるならここに留まりたい。村の復興するのは、ロック達だけじゃなくて、僕の願いでもあるから。でも、それなら領主じゃなくてもいいんじゃないかな」

 僕の返事を聞いて嬉しそうにするロックにしても、半分冗談だったみたい。

 だから天井を仰いで、スプーンを揺らしながらため息交じりに言ったんだ。

「まあ、それもそうか。あーあ、イーサンなら――卿より、いいと思ったんだがなあ」

 本来いるべき、ディメンタ村を治める領主の名前を。

 ロックの話を聞いた途端、僕とアリス達は思わず、スプーンを床に落とした。いつもなら行儀が悪いなんて窘められるんだろうけど、今はそれどころじゃない。

「……誰だって?」

「誰って……村の領地を治めてる、――卿のこと?」

 メイも、ロックの同じように領主の名前を告げた。

 驚く僕達だけど、そういえばそうだ。どれだけボジューダ渓谷からディメンタ村が離れていても、そこにいた時点で僕らはその人の領地にいたんだ。だったら、ここを取り仕切っている人が誰かだなんて、考えるまでもない。

 これまで忙しかったり、トラブルが起きたりで思いつきもしなかったけど、知ってしまった以上は話が別だ。この最高のチャンスを、活用しない手はない。

「……ご主人様、これは……」

「うん、アリス。僕も、同じ考えだよ」

 僕とアリスは頷き合って、ロック達に言った。

「ロック、メイ。その人に、村長さんからの手紙を送ってもらえないかな?」

 ――一カ月前の僕に今の事態を話したって、きっと信じてはくれないだろうね。

 イーサン・セルヴィッジは本当に領主になるのかもしれない、って。