「……アリス、僕は戦争について学ばなかった。それはきっと、間違いだったんだ」

「全ての学びが、必ずしも正しいとは限りません、ご主人様」

 僕が静かに呟くと、アリスは僕の言い分を否定した。

「だけど、知っていれば何か、誰かを助ける手段も――」

 それでも反論しようとした僕に、アリスは顔を向けた。

「……ご主人様、どうか戦事で自ら心を痛めないでください。ご主人様が苦しみ、俯いてしまうと、私達は胸が張り裂けそうなほど辛いのです」

「アリス先輩がね、戦争の話をすると悲しそうな顔をするからって、屋敷でそんな話題を上げないように手を回してくれてたんだよ。イーサン君、先輩はキミが悲しい思いをしないようにって、だから……悪く言わないであげて」

 二人の話を聞いて、僕は心の中に残っていた台詞は、完全に行き場を失ってしまった。

 何年も前に僕が僅かに見せた曇り顔を、アリスはきっと、ずっと覚えていた。戦争の話をして、戦争について学ぶ度に心のどこかが傷つく姿を、きっと覚えていたんだ。

 だからアリスは、彼女なりの優しさで、僕が戦を学んで自ら傷つかないようにしてくれていた。万が一にも、僕を王家と貴族の争いに巻き込ませない為に。

 そんな彼女に、僕は自分の記憶も忘れて、無茶な注文をしてるなんて、最低だ。

「……ごめんね、二人とも。何度も言うけど、本当にありがとう」

 アリスの目を見つめて謝る僕に、彼女は眼鏡の奥を少しだけ潤ませて微笑んだ。

「言われたい人に言われるありがとうに、回数の限りなどございません。何度でも、私達はご主人様に仕える幸せを、言われる度に思い出すのです」

「良かったね、イーサン君。アリス先輩が、キミの専属メイドで」

「うん、でもアリスだけじゃないよ。パティも傍に居てくれて、僕は幸せだと思う」

 勿論、アリスだけじゃなく、パトリシアも大事なメイドだ。そういうニュアンスで告げたんだけれど、彼女は何故か頬を赤く染めた。

口をアヒルのように尖らせたパトリシアは、ちょっぴり明後日の方向を見つめてから、いつもの悪戯っぽい笑顔を僕に近づけてきた。

「……まだちっちゃいのに女の子を口説くなんて、イーサン君、いけないんだぁー」

「く、口説く!?」

 口説くなんて、いくらパトリシアが美人でも、十歳には早すぎる話だ。

 アリスが訂正してくれるかと思ったけど、彼女もパトリシアの後ろでくすくすと笑っている。こういう時、見た目が子供の僕はやっぱりからかわれる立場になっちゃうな。

「パティ、僕はそんなつもりで――」

 しどろもどろになる僕だったけど、運よく(運悪く?)会話は遮られてしまった。

「――イーサン、イーサン! やばいぞ、こっちに来い!」

 とんでもなく焦った顔をしたロックが、どたどたとこっちに駆けてきた。

「ロック? どうしたの、急に?」

 僕が聞くと、彼はぜいぜいと肩で息をしながら、村の外を指さして叫んだ。

「村の外に、『西部貴族連合』の兵隊共がうろついてるんだ! ここにいるとやられちまうぞ、早く近くの家の中に隠れろ! 皆もさっさと逃げるんだ!」

 彼がそう言った途端、明らかに村の空気が一変した。

 開いていた雑貨屋は乱暴に店の戸を閉めて、子供を抱えた親が家の中に戻ってゆく。中にはどこに逃げればいいのかわからず、狼狽する老人もいるくらいだ。

「あわわ、シェルターに避難しなくちゃ……!」

「女子供を奥に隠せ! 間に合わないなら、近くにいる奴が家屋に連れて行ってくれ!」

 僕も正直、どうすればいいか分からなかった。けど、アリスに襟首を掴まれて、近くの空き家に引きずり込まれたおかげて、どうにか逃げ遅れることはなかった。

 パトリシアとロックが同じ家の中に飛び込んできた頃には、もう村には人ひとりいないかのような空気が流れていた。畑仕事の道具はほっぽり出されて、食事の跡はそのまま。人が住んでいません、なんて言い訳は通じない、今隠れましたというのが見え見えだ。

 それでもこうする他ないみたいで、住民はただじっと、ひっそりと息をひそめてた。

「この慌て方、まるで天災が来たみたいだね……」

「天災みたいなもんさ、俺達のような小さな村にしてみればな……シッ、静かに」

 ロックと僕がひそひそと話しているうちに、乱暴な声が村に響いた。

 柵や荷車を蹴飛ばしながら村の真ん中にやって来たのは、強面の兵隊が十人ほど。

 兵隊とは言ったけど、鎧は槌で殴られたかのようにぼろぼろで、風体から何日もお風呂に入っていないのが丸わかりだ。野生動物よりも荒んだ目つきと表情のまま、乱暴に剣や斧を振り回すさまは、村人を怖がらせるのには十分だ。

 生きる為なら何でもやる。そんな相手と戦えば、確かに村民では敵わない。

 だからディメンタ村では、こうして隠れることで難を逃れていたんだ。ロックが話していた通り、あれじゃあ過ぎ去るのを待つしかない天災と変わりないよ。

「あのさ、カーティス? どうして戦わないわけ?」

「見りゃ分かるだろ、あっちは敗残兵とはいえ武器を持ってる兵隊だ。どこぞの貴族の私設軍隊に、戦い慣れてない村人が襲いかかっても勝てる見込みなんてねえよ……実際、とてもじゃないけど太刀打ちできなかったからな」

「……村人を死なせるわけにはいかない。こうして黙っていれば、搾取はされるけど人的な被害は及ばない可能性が高い。そういうことかな、ロック?」

「ちっさいのに頭がいいな、イーサン。そうだ、お前の言う通りだよ」

 彼は諦めた調子で頷くと、割れた窓から、露店の商品を奪い漁る敗残兵を睨んだ。

「こうしてあいつらを放置しておけば、誰も傷つかない。食料や衣服、大事なものを取られていくのは癪だけど、村の皆の命が最優先だ」

「この村に誰もいないって、あの敗残兵連中が思ってるってわけ?」

「奴らだって察しはする。けど、こっちから手出しをしない限りは今まで犠牲者は出なかったし、誰も攫われなかったんだ。そもそもあのシンボルをつけた『西部連合』は民間人を巻き込まないって謳い文句を掲げてるんだよ――」

 ロックの言うシンボルはきっと、彼らが腰に巻いた布に刻まれた太陽の印章のこと。

 同時に僕は、彼の話の中で、犠牲者の存在を知った。反抗して失われた命が少しでもあるなら、これ以上誰も死んでほしくないという気持ちがあるのは当然だ。

「きゃああっ!」

 だけど、彼や僕の望みは、簡単に打ち砕かれてしまった。

 一番大きな家に隠れていたメイが、腕を掴んでならず者に引っ張り出されたんだ。

「おいおい、しょぼくれた村だからジジイとババアだけだと思ってたらよォ、若い女がいるなんて思ってもみなかったぜ! こりゃとんだ収穫だ!」

「いいねえ、いいねえ! おいらはこれくらいの歳のガキが一番好みなんだぁ!」

「離して! やだ、離しなさいよお!」

「やめな、その子に酷いことしたらただじゃ……うあぁッ!」

 村長のレベッカさんが飛び出してきて男の腕を引っ張ったけど、仮にも兵隊の腕力に、老婆じゃあ敵うはずがない。彼女は突き飛ばされて、ぐったりと動かなくなった。

「メイ! ばあちゃん!」

 隣で窓から身を乗り出そうとしたロックを、反射的に僕は引き留めた。

「ロック、ダメだ! 自分で言ってたじゃないか、あれだけの数の兵士を敵に回して、勝てるはずがない! 君も妹も、奴らに殺されてしまう!」

 僕は全力で彼を制止しようとしたけど、彼は十六歳ほどの村育ちの青年。僕はインドア派の十歳の子供だ。ばっと乱暴に振り払われてしまうのは、仕方なかった。

「あいつは俺の妹だ――兄貴はな、どんな時でも妹を守らないといけないんだよ!」

 言うが早いか、ロックは窓から外に飛び出していった。

 僕が彼を追いかけようとすると、隣にいたアリスが僕の腕を握って強引に引き戻した。

「いけません、ご主人様! 身を隠して!」

「ロック……!」

 歯痒く成り行きを見守るしかない僕の前で、ロックはならず者達に啖呵を切っていた。

「クソ野郎ども、俺の妹から手を離せ! じゃないと、お前らの喉を掻き切ってやる!」

 ロックは腰に提げた革製のポーチから、刃渡りの違うナイフを一対取り出して、両手で構えていた。逆手で握りしめた刃は日頃から研がれているのか、日を浴びて煌めいている。

 半泣きのメイを担いで連れて行こうとしていたならず者は、誰もが彼を見つめた。驚きだとか好奇心だとかではないというのは、僕には嫌でも理解できた。

 だって、その目がどれも、ロックをただの子供としか見ていないんだ。

「おっと、こいつの兄貴か? 大人がビビる中一人で英雄ヅラとは、泣かせるねえ」

「坊主、威勢はいいが足が震えてるぞ? 兵隊さん相手に戦って本気で勝てるわけないだろ、逃がしてやるからとっとと失せな」

「うるせえ、うるせえ! つべこべ言わずにメイを離せ、この負け犬連中!」

 だけど、ロックがじりじりと近づきながら怒鳴りつけると、彼らの表情も変わった。

「……んだと?」

 僕を憎んでいた時のケイレムのように、苛立ちと殺意を剥き出しにした顔だ。

「坊主、いいこと教えてやるよ。『西部連合』は人の命を重んじる、一般人に手を出さないなんて言い回ってるがな、お前の言う負け犬に理屈は通じねえんだよ」

「ククク、妹の前で首を刎ねて余興にでもしてやるか!」

 脅されても逃げないロックだけど、どう見ても多勢に無勢。

 メイは震えて動けないようだし、村の皆は村民を殺された光景を覚えているのか、誰も助力に行けない。第一、加勢したところで犠牲者が増えるだけかもしれない。

「どうすれば、どうしたら……!」

 アリスもパトリシアも、ただ最悪になりかねない事態を見つめている。

 僕はただ、人が死ぬのを眺めていることしかできないんだろうか。そんなのは嫌だ。

 ぐっと目を瞑る僕に、できることならなんだってやる。

 なんだって――。

『――大丈夫だよ』

「え?」

 不意に聞こえた声に、僕は思わず目を開いた。

 アリス達が声をかけたのかと思ったけど、彼女達は変わらず村の中心で起きるかもしれない惨事に視線を向けている。僕に声をかけた様子なんて、とても見受けられない。

 誰が僕を呼んだんだろう。荒くなる呼吸と共に考えていると、また声が聞こえた。

『君の魔法なら助けられる。どう使えばいいかは知っているはずだよ。学んできた知識と組み合わせれば、目覚めた魔法はもう、君の味方なんだ』

 分かった。この声は、僕を助けてくれた何かがかけてくれた声と同じだ。

 ――おばあちゃんの、あの声だ。口調は違うけど、確かにあの優しい声だ。

 そう気づいた時、僕は自分の体の中に、何かが巡るのを感じた。全身が温かくなるような、心臓を高鳴らせるようなそれの正体は、記憶と力、そして魂。自分が持っていないと思っていたけど、それは最初から僕の中にあったんだって、教えてくれている。

 僕はそれを瞬く間に理解した。その力を、『魔法』を使って何ができるのかを。

『さあ、行って。私達が背中を押せるのは、これが最後だから』

 これから僕がやろうとしていることは、彼女達を人生で一番心配させる。

 でも――ごめん、アリス、パティ。僕は、行かなきゃ。

 二人に気づかれないように、僕はこっそりと後ろに二、三歩下がった。そして、開いたままの家の裏口に向かって駆け出し、家の外に出た。そのままぐるりと壁沿いに走ると、窓の内側から見ていた光景が、壁を挟まずに僕の視界に広がっていた。

 僕がきょろきょろと視線を動かして捜したものは、予想通り近くにあった。壁の外に積み上げられていたのは、沢山の、それも少し古びた丸太だ。

 小さく息を吸って、吐く。もう一度呼吸を繰り返して、自分の掌を見つめる。

 僅かな輝きを放つそれで――僕は、思いきり一番近くの丸太に触れた。

「――『変性』」

 無意識のうちに、僕は自分の力に名付けられた思いを呟いた。

 次の瞬間、掌から電撃かと見紛うほどの光が迸り、丸太が浮き上がった。そして光に包まれたまま、まるで蛇が脱皮していくかのように洗練されてゆく。穴があき、どこか崩れた丸太が、鉄の如き強度を誇る美しい角材へと変わりゆく。

 当然、木材じゃ敵を倒す力にはなりえない。だけど、僕の魔法はまだここからだ。

「――『変形』」

 僕がその名を口にすると、木材はひとりでに別の姿へと変貌した。

 切り込みを入れて歯車に。幾重にも重なってクロスボウの砲身に。細く無数に連ねてゴム状の紐に。木材は素材に作り変えられ、機械工場の如く構築してゆく。幼い頃に戦争を学ばなかった僕だけど、どんな武器があるかは屋敷で知っていたんだ。

 建築の木組みの要領で、ばらばらのパーツは一つの武器へと変貌する。釘を使わずとも強固で堅牢な造りとなったそれは紐を引き絞り、固定し、先端の鋭く尖った棒を設置して、そして簡易的な台座を最後に接続して、完成した。

 高速で矢を打ち放つ砲台式の弩弓――攻城兵器『バリスタ』だ。

 一つの魔法じゃ、片方しかできなかった。二つあるからこそ、武器が完成した。

 物質をより良いものへと変える魔法。物質を思い描いた道具へと形作る魔法。

 これが僕の魔法――『変性』魔法と、『変形』魔法だ。

 さあ、完成した武器をただ置いておくことなんてできやしない。

「射撃は一発だけ、冷静に、冷静に、できる、僕ならできる」

 自分を鼓舞させながら、僕は引き金となる紐を留めている杭に手をかける。この小さな杭を引き抜けば、ばねの如く、凄まじい勢いで矢が敵に放たれる。

 つまり、これから、人を殺す。最低でも一人、多ければ二人から三人。

 僕は傭兵でも、ましてや兵士でもない。人を殺す生業なんて就けるはずがないけど、ロックやメイを助けるんだ、守るんだと思うと、少しだけ手の震えが収まった。

 撃つなら今だ。こちらに気づいていない、ならず者が斧を振りかぶろうとする、今だ。

「そんなに死にてえなら、その頭をかち割ってやるぜ、クソガキぃーッ!」

 敵の声を聴いたのとほぼ同時に、僕の躊躇いは消えた――そして、杭を抜いた。

 紐が千切れて、風を切る音と共に矢は放たれた。

 ならず者に向かって吸い込まれていくそれは、僕の予想通りの結果をもたらした。

「――げッ」

「が、うぎッ」

 バリスタの矢は、ちょうど直線状に立っていた二人の兵隊の体を貫いた。

 ただ、その威力は僕の想像をはるかに超えていたんだ。僕は人間の体を貫く程度の破壊力を想定していたんだけど、まさか敵の体を真っ二つにするほどの力を秘めていたなんて。

 肉が飛び散り、宙を舞った上半身が地面にべちゃりと落ちる。血飛沫がならず者達を染め上げた時には、誰もが振り上げた手をそのままにして、唖然としていた。

「え、えッ?」

「おい、いったい、何が――」

 呆然とする面々の中で、人を殺めた僕の覚悟は、もう躊躇なんてさせなかった。

 何をするべきかは知っていた。僕は涙も拭わず、恐れもこらえずに、叫んだ。

「――アリス!」

 喉を壊すような、口の端を裂くような絶叫に、彼女は応えてくれた。

「ご主人様、あとでみっちりとお説教させていただきます」

 やっぱり。窓からスカートを翻して姿を見せたアリスは、少しだけ僕を睨んだ。

「ですが――魔法の覚醒とその勇気、大変美事でございます。あとは、私にお任せを」

 けど、直ぐに柔らかな笑顔を浮かべたかと思うと、一目散に敵に向かって突進していった。その過程で、彼女の姿はみるみるうちに変貌していった。

 メイド服が体にくっつき、黒い毛皮になる。耳を揺らして四足歩行になって、黄色い瞳をぎらつかせて長い牙と爪を唸らせる姿は、さながら巨大な漆黒の狼だ。

 これがアリスの魔法。己を獣へと変化させる、『獣化魔法』だ。

「なんだこの女、何を……ぎゅえッ」

 そしてこの姿のアリスに、並の人間が近接戦闘で敵うなんてありえない。

 敵がようやく我に返った時には、アリスの鋭い爪がならず者の顔面を引き裂き、肉諸共顔を剥ぎ取った。それだけじゃなく、次に近い男の喉元に噛みつき、首を千切り飛ばした。

「まさか、こいつ!? 魔法を使ってやがるのか!?」

「グウゥルルル……ガルアァッ!」

 返事の代わりに雄叫びを上げたアリスは、武器を振り回す敵などものともせずに突進してゆく。斧をひらりとかわし、すれ違いざまに爪で鎧を打ち砕く。

 確かにアリスは強い。だけど、敵の数がまだ多いなら、油断はできないな。

 僕は丸太を使わず、今度は地面に掌をあてがった。さっきの木材のような光を感じた僕が、ゆっくりと手を持ち上げると、まるで磁石のように土や石が吸い付いてきた。

 丸太を素晴らしい木材に変えられるなら、石を鋼材にだって変えられるはずなんだ。

 滅茶苦茶な理論だけど、変性魔法は僕の要望を全て叶えてくれた。ただの土くれはたちまち一つの球体となり、回転したかと思うと、つるつるとした鋼へと姿を変えた。

「頼む、僕の代わりに敵と戦ってくれ!」

 僕が声を張り上げると、球体は細長く伸びあがった。楕円形は次第に人の形を取り、手が生え、足が生え、僕を谷底で助けてくれた謎の人形のようになった。全ての理屈を無視しで、僕の思い描いた物体を作る魔法だからこそできる技だ。

 もっとも、今度はもっと精錬された形だった。SFアニメに出てくるアンドロイドのように鋭角的な姿をしたそれは、顔の中心部で橙色に光る丸い瞳を僕に向けたかと思うと、小さく頷いて、アスリートの如く走り出した。

「今度はなんだ!?」

 ならず者の疑問に、鋼の人形は応えない。ただ、無言で鉄の拳を振るうだけだ。

 勢いをつけた拳は、人間の顔をたちまちミンチへと変えてしまった。残った数少ない男達が揃って斧を振り下ろしたけど、鋼の兵隊に命中しても無意味だ。

 当然だよ、ぶつかった斧が刃毀れするくらいの硬度で作り上げたんだから。

「嘘だろ、なんて斧で切れねえんだ、ひいいいっ!」

「やべえぞ、こんなのがいるなんて! さっさとずらかろうぜ!」

 残された二人はまだメイを抱えていたけど、もう僕が手を出す必要はないね。

「逃がすわけねえだろ!」

 何故なら、まだロックが逃げていなかったから。

 ナイフを握りしめて、ぎろりと妹を攫うならず者を睨むロックがいるからだ。

「メイから手を離せって言ってんだよ、この下衆野郎!」

 さっきまでは数の勢いに圧されていたロックだけど、フェアな状況に持ち込まれた彼は、僕の助けなんていらないんじゃないかと思えるほど強かった。

 刃の長さが違うナイフを、彼はまるで手足のように扱って、敵の顔や腕を切り刻んだ。

 何年か前に屋敷に曲芸師がやってきたけど、動きは彼に近い。踊るような、だけど目一家うな力強さを感じさせる彼の技量に、ただの兵隊が勝てるはずがないって確信できる。

「ぎゃああ!」

「このガキ、よくも、っひぎいぃ!」

 アリスと鉄人形(暫定的にこう呼んでる)の助力もあって、敵は瞬く間に斃れた。

 どれもこれも無残な死にざまだったけど、村人は誰も気味悪がってはいなかった。というより、目の前で起きていることが事実なのか、夢でも見ているような顔をしている。

 ただ一人、ならず者の死体から手を振り払ったメイだけが、ロックに飛びついた。

「兄貴!」

「無事か、メイ! 怪我はないか!?」

「う、うん、ちょっと擦りむいたくらいだけど……さっきのは、何なの?」

「さあな。分かるのは、イーサンがやってのけたってことだけだ」

 ロックとメイの二人が僕をじっと見つめているのに気付いた時、どっと汗が体から噴き出した。それから急に疲れが足を伝い、膝に手をついた。

「ハァ、ハァ……」

 屋敷で勉強した内容が正しいなら、魔法は体内のエネルギーを消耗して発動する。体に馴染むにつれて消耗量は少なくなるけど、慣れていない間は体力を激しく消費してしまう。僕の場合は、いきなり魔法を二つも使ったんだから、当然か。

 それにしたって、正直なところ、こんなに疲れるなんて思ってもみなかったよ。

「イーサン君、大丈夫!?」

「ご主人様、ご無事ですか!?」

 パトリシアにどうにか起こされた僕のもとに、アリスも駆け寄ってきた。開口と一緒に拳骨の一発でも貰うかと思ったけど、代わりに二人は僕を抱きしめてくれた。

 普段よりずっと強く抱きしめられた僕は、言葉も出ないほど二人が心配してくれるのを嬉しく思う反面、ちょっぴり反省させられた。やっぱり、相談するべきだったかな。

 そんなことを考えながら二人を抱き返して、僕はやっと周りの変化に気づいた。

「……やった、やったぞ! 初めて兵隊を追っ払えたんだ!」

 ディメンタ村の皆が、嬉しそうな顔で僕に向かって押し寄せてきていたんだ。

 蛮族の死体なんてそっちのけで、まるで僕が村の救世主かのように囲んでる。しかもアリスとパトリシアから僕が離れたのを見るや否や、さらにどっと詰め寄ってきた。

「凄い……凄いな、坊ちゃん! あんた、さっきのはどうやったんだ!?」

「どこに武器なんか隠し持ってたの!?」

「鉄みたいな人形まで……そういえば貴族の生まれだったわね、あれが魔法なのね!」

「まったく、イーサン君は疲れてるんだよ? デリカシーってのはないわけ?」

 メイド達がむすっと顔をしかめている隣で、どうやって休む間もなく浴びせかけられる質問に答えていこうかと困っていると、はっきりした女性の声が聞こえてきた。

「こら、子供を囲むもんじゃないよ」

 一言で皆を静かにさせたのは、僕を囲む村人達を二分して歩いてきたレベッカ村長だ。

 さっき兵隊達に突き飛ばされたからか、頭に包帯を巻いているけど、それでも歩き方はしっかりしている。多分、村長というだけあって、見た目よりもずっと強い女性なんだ。

「レベッカ村長、お怪我はありませんか?」

「いいや、わたしなら大丈夫さ。それよりも、イーサンだっけかい」

 村長は深々と頭を下げてから、僕を見ながら顔を綻ばせて言った。

「メイを助けてくれてありがとうね。あんたさんがいなかったら、今頃メイは連れてかれてたし、ここにいる命知らずの大バカは死んじまってたよ」

「大バカって、ひでえ言い方だよ、ばあちゃん!」

 メイと一緒に歩いてきたロックが頬を膨らます傍で、僕は小さく笑った。

「いえ、ロックがあの時兵隊に立ち向かっていなければ、僕も動けませんでした。それに、僕はメイド達と一緒に、ディメンタ村に助けられた身です。僕なんかにできることがあれば、何でも言ってください」

 そう言いながら、僕はもう一度自分の力を確かめるように、足元の石を拾った。

 ちょっぴり力を込めれば、石はたちまち鉄になり、掌の上で小さな人形になった。今度はあまり体力を消費した感覚はなかったので、やっぱり構築する物体のサイズ、次に複雑さで力の消耗度合いは変わるみたいだ。

「僕の魔法は、物質をより良いものに変えて、組み立てる魔法です。まだ何ができるかは分かりませんが、きっとお役に立ってみせます」

 僕が人形を見せると、周りの人達の目つきが変わった。

「何でも……」

「何でもって言ったわよね……」

「お前達、何を考えてるんだい! いい大人がみっともない!」

 ぎらりと光る眼に少し僕が委縮してしまうと、生唾を呑み込むような声を出す皆をレベッカ村長が諫めた。彼女の一喝だけで、皆はぎくりと身を縮こまらせてしまった。

「イーサン坊ちゃん、そんなの、今はいいんだよ。さ、家に寄って、お礼をさせとくれ」

 村長に背中を押されて、僕は広場の奥に見える集会所へと急かされた。村の皆も魔法が気になるのか、僕の後ろについてくる。

 ただ、ロックとメイだけは違った。

「……修復させて……使い潰す……」

「あいつは……奴じゃ、だから……」

「関係ない……村の為に、メイは……なんでも……」

 僕から少し離れたところで話している二人の会話は、あまり聞き取れなかった。

「……ごめん、お婆ちゃん。メイ、兄貴とちょっと話があるから!」

 二人はどこか焦った調子で大袈裟なほど頷いてから、どたどたと駆け出して行った。

 ロック達が何を話しているのかが気になったけど、アリスに手を回された僕は二人を追えなかった。なんだか、僕を二人がじっと見ていたように思ったのは考え過ぎかな。

「それにしても、不思議だよね。あの魔法、どう見たって一つの力じゃなくて、二つの魔法が発動してるように見えたんだけど……そんなの、ありえないよね?」

「私も気になりました。ご主人様、何かお心当たりはございませんか?」

 彼らを僕が追いかけるよりも先に、パトリシアが僕に聞いてきた。

 確かに、パトリシアの言う通り、魔法は一人の人間につき一種類。それは魔法そのものに対するルールだけど、僕に宿っているのは間違いなく二つの魔法だ。そりゃあ、アリスもパトリシアも疑問に思うだろうね。

 アリス達に問われて、僕は少しだけ考えて――あっさりと結論を出した。

「きっと、僕が二人分の人生を歩んでるからだよ」

 僕の人生は、僕のものであって、僕だけのものじゃない。前世で生きていた僕の魂と、この世界で生きている僕の体。僕は一人で二人分の人生を送ってる。

なら、二人分の魔法を持っていてもおかしくない。

 おかしな理屈だけど、僕だけが分かっていればいいや。

「……?」

 顔を見合わせる二人を見た僕は、少しだけ意地悪く笑ってみせた。