防壁の前でケイレムを撃退してから、一晩が明けた。

「……ん……」

 僕はすっかり広場の端にある長椅子に寝転がって、眠っていたみたいだ。目をこすりながら体を起こすと、視界はほんのり暗く、だけど夜ではないようだった。

 どうして僕が自分の家のベッドで寝ていないのかというと、目の前の光景が答えだ。

 初めて貴族を、それもセルヴィッジ家の騎士団を追い返した村人は浮かれに浮かれて、野盗を撃退した時よりもずっと盛大な宴を開いたんだ。

 戦いのすぐ後だって言うのに、とんでもなく元気な皆は山盛りの食事とお酒を準備して、昼間にはあっという間にパーティーが始まった。僕もなんだかいつになく心がはしゃいじゃって、ロックや男衆に混じって、串焼き肉を頬張って騒いだ。

「ほらイーサン、飲め飲め! メイドさんよ、ぶどうジュースは酒じゃねえぞーっ!」

「あ、ありがとう、ロック! ごくごく……ぶはぁー!」

「……ご主人様……清純なご主人様が、中年男性のような飲み方を……」

「あれが男の子の成長ってやつなんだよ、アリス先輩! よく知らないけど、そんながっかりしないでいいんだって!」

 きっと――どんな形であれ――ケイレムが二度とここに来ない安心感もあったのかも。

「わっははは……!」

「がはははは……!」

 そんな宴が夜通し続いて、僕だけが先に起きちゃって、今に至るというわけだ。

 オートマタの警備がないと、これだけ安心して騒げなかったかもしれない。そんなことを考えながら、僕はふと、防壁の向こうから朝日が昇ってきているのに気付いた。

 暖かい光が射しこむのを目の当たりにして、僕はふと、光を直に見たくなった。

 どうしてそんな気分になったのかさっぱりだけど、無性に見たくなったんだ。

「よっと……足を、踏まないように、っと……」

 皆を起こさないようにこっそりと歩いていくと、警護用のオートマタがうろついていた。僕が彼らに一礼すると、彼らも当然のように頭を下げて、村の警備に戻っていった。

 少しだけ彼らの後ろ姿を眺めてから、防壁を登る。十歳の体でゆっくりと、落ちないように気を付けながら梯子を登りきった僕の目に、広い広い世界が広がっていた。

 地平線の遥か向こうからやって来る朝日が、暗い闇を光で照らした。

 ケイレムが来た時とはまるで違う、希望に満ちた光だった。

 村を目覚めさせる奇跡を、僕はただ心を奪われたかのように見つめてた。

 こんなに美しい景色があるだなんて、僕は知らなかった。

「どうしたんだ、カッコつけて朝焼けなんて見つめちまってよ?」

 ただただ前を見つめる僕の耳に、ロックの声が入ってきた。

 いや、ロックだけじゃない。

 メイも、アリスも、パトリシアも、ヴィンセントもいた。

 ライド叔父さんや村の皆も含めて、僕が誰よりも信頼する人達。何よりも守りたい、自分の傍に居てほしいと思える人達。

 そんな彼らだからこそ、僕は今、僕の胸に秘める想いを聞いてほしかった。

「……ロック、皆。これから僕の夢を話すから、笑わないで聞いてね」

 皆の方を見なかったのは、ちょっぴり恥ずかしかったから。

 声がちょっぴり震えているのは、こんなことを話すのは初めてだから。

「安心しな。お前の夢を嗤うような奴は、俺がぶっ飛ばしてやるよ」

 からからとロックが僕を肯定してくれるのが、嬉しかった。

 だから、躊躇いなく僕は僕の想いを伝えられた。

「……僕は、この村を大きくしたい」

 僕の望みは、ただ一つ。

 これ以上の望みも、これ以外の願いもなく、ただ一つ。

「通り行く人が笑顔になれるような村に、ここに住みたいって思えるような村に、住んでる皆に優しい村に――村に、街に、都市にしていきたい。それが、僕の夢だよ」

 生まれ変わる前の世界で成せなかったことを、今度こそ信じてみたいんだ。

「……変、かな?」

 ちょっとだけ気恥ずかしい調子で、僕は笑われるとすら考えながら振り向いた。

 だけど、僕はそんな未来予想を恥じるべきだった。

 僕を見ていた皆の顔は――朝日に照らされた顔は、温かい笑顔だったんだ。

「奇遇だな。俺もちょうど、お前と同じ目標を考えてたとこだぜ! このディメンタ村をもっともっと大きくして、もっとずっと住みやすくするんだ!」

「イーサンならともかく、兄貴が言っても説得力ないでしょ」

「そ、そりゃないぜ、メイ! 俺だって、結構真剣なんだからよ!」

「冗談よ。メイも、二人の信じる夢について行くわ」

 歯を見せて頷くロックと、彼を肘で小突きながら微笑むメイ。

「ご主人様となら、この世の果てまでお供いたします」

「屋敷での恩を、あたしは一生かけて返すつもりだよ。イーサン君」

 優しい笑顔で僕を見つめてくれる、アリスとパトリシア。

「……貴方を永遠にお守りする……それが、僕の役目です……」

 手をもじもじさせて、少しだけ慣れてない様子の笑顔を返したヴィンセント。

 五者五葉の反応だったけど、共通して言えることが一つ。

 皆が、僕を信頼してくれているって。一緒の夢を抱いてくれているってことだ。

「みんな……!」

 目じりから涙が溢れてきたけど、僕はぐっと涙をこらえた。

 嬉しい時の涙は流すべきだなんていうけど、今の僕が皆に見せたいのは、無償の優しさに応える、領主としての笑顔だったから。

 へたっぴな笑顔だとしても、今見せられる一番素敵な笑顔で、頷き返した。

「行くぜ、イーサン! 宴の片づけをしたら、早速村づくりだ!」

「――うん!」

 朝日がすっかり街を染めゆく中、僕は仲間達のもとに歩み寄った。



 さあ、これから始まるのは、僕と仲間達と、一つの村の物語。

 世界でいちばん優しい場所――ディメンタ村の物語だ。