僕が村長さんに声をかけてからしばらくして、ディメンタ村の集会所の前に村人達が全員集まっていた。もちろん、僕やロック、メイ、アリス達もいる。
さほど広いとは言えない広場に、数十人の村人がぞろぞろと集まった理由は、ただ一つ。
「――皆に、二日後の夜明けに起きる出来事を話しておきたいんだ」
村に迫りくる、ケイレムの軍隊について説明する必要があったからだ。
今回の一件は「知らない人がいました」では済まされない。僕の一存でも決められないし、僕自身も現状を確かめておきたかったんだ。
「セルヴィッジ家の次男、ケイレム・ターン・セルヴィッジが、僕の命を狙って村にやって来る。魔法を使いこなす熟練の騎士を、百近く引き連れてくるんだ。当然、彼も炎を操る強力な魔法を使える」
一瞬で村が騒めいたのも無理はない。なんせ、魔法を使う敵は初めてだろうから。
僕の知る限り、ケイレムは『爆炎魔法』を用いる。火を自在に操って、敵を焼き尽くす魔法だ。屋敷で魔法を実演していたのを何度か見たことがあるけど、大木をたった数秒で炭にするくらいの破壊力を持ってる。
人間がもしまともに攻撃を受ければ、まず即死は免れない。
他にも、属性魔法を使う騎士は沢山いるし、体を強化するヴィンセントのそれに似た魔法の使用者も多い。しかも、誰もが騎士として訓練を受けているのだから、てきとうに人を襲う野盗とは比べ物にならない。
「彼らは人を殺すのを躊躇わない。逃げても、降参しても、最後の一人まで殺す。村を焼き払って、何もかもを消し去る気でいる貴族と、正面からぶつかり合わなきゃいけない」
何より、ケイレムの命令に従う騎士の行いは、残虐だ。
僕を殺すだけじゃ、彼は飽き足りない。僕を匿っていること、僕を逃がしていたこと、僕に関わった時点ですべての人間を敵とみなす彼は、村を消滅させるに違いない。
「正直に言うと、僕は……僕は、どうすればいいのか分からないんだ。自分一人を犠牲にしても終わる問題じゃない、でも……」
もう一つの提案を話すべきだとは思っていた。なのに、言葉にはしづらかった。
村を再興させるときの頼みとはわけが違う。彼らにそれを頼み込むというのは、死地に赴いてくれと言っているようなものだったからだ。どれだけ安全策を思いついたとしても、貴族が率いる騎士と戦うというのは、あまりにも危険すぎる提案なんだ。
「……でも、僕は……!」
言葉が紡げず、皆の前でうつむいてしまう。
どうすればいいんだろう、どうしたらいいんだろう。ただ何も言えないままに時間が過ぎ、思わず目を瞑ってしまいそうになった、その時だった。
「――領主さま、顔を上げてください」
誰かの声が聞こえた。
はっと顔を上げた僕の前に広がっていたのは、村の皆の笑顔だった。
怒りでも、ましてや恐怖でもない。二日後には死の軍勢が迫ってくると言ったのに、彼らは驚くくらいの笑顔で、僕を見つめてくれていたんだ。
それがどういう意味かなんて、聞きなおす方が失礼だ。
「俺達の答えは最初から決まってるぜ、イーサン!」
「あんたはこのディメンタ村の領主サマよ。村とメイを、皆をこんなにも変えてくれたじゃない。それを見捨てるなんて、できるわけないでしょうが」
ディメンタ村の総意は――僕を守るという決意だって、僕には分かった。
ロックやメイだけじゃない。レベッカ村長を含めた村の誰もが、僕がどうするべきかを話す前に、この結論を出してくれたんだ。
「領主さん、かつて村の男達は魔物を仕留めるほど剛毅だったよ。男衆の自信と熱意を取り戻してくれた今なら、恐れるものなんてないね」
「貴族連中が尻尾巻いて逃げ出す姿が、今から楽しみだぜ!」
「あんた、しっかりやってやりな! 村と領主様を守るんだよ!」
「やってやるぜ、おまえ! 貴族なんかに領主さまをやらせるかよっ!」
口々に想いを伝えてくれる皆の前で、申し訳ないと言うほど、僕に領主としての自覚がないわけじゃない。皆が僕を信じてくれるなら、僕も皆を信じなきゃ。
「……分かった。なら、領主として僕も約束するよ。ディメンタ村に、ケイレムの手の者は絶対に、一歩も踏み入れさせないって!」
僕がそう言うと、隣に立つアリス達を含めた、村の全員が深く頷いてくれた。
村と僕の気持ちが一つになってると思うと、それだけで勇気が湧いてくるようだった。そのおかげで、建設的な話ができるくらいの心の余裕も生まれてきた。
「ケイレムの進軍する方向は分かるかな?」
「ディメンタ村は……街道側以外が、川や森に挟まれているので……少数ならそちらから来るでしょうが……今回のような大人数なら……特定しやすいかと……」
「ま、ぶっ飛ばしてからセルヴィッジの本丸が押しかけてきたら、流石にやべえけどな!」
「ヴィンセントが言うには、連れてきたのはケイレムの私設軍隊みたいだ。それに彼は、僕を殺しに行くのを誰にも伝えてない。だから、報復の可能性は低いと思う」
セルヴィッジ家と全面戦争になると知っているなら、逃げるのが賢明だと思う。
だけど、ヴィンセントの言い分が確かなら、僕を殺す計画を誰にも教えてない。それに、戦争でぴりぴりしているご時世に、わざわざランカスター家と揉め事は起こさないはずだ。
目下敵として認識しないといけないのがケイレムだけというのは、ある意味幸運だった。
「問題は、相手が野盗なんかと比べ物にならないくらい強い、ってとこだね」
ただ、ケイレムが率いる騎士達と、彼自身が難敵という事実は変わらない。セルヴィッジのいずれかに仕えているというのは、つまり魔法を習得しているのと同義だ。魔法を使う騎士が強いなんて認識は、どこに行っても変わるはずがない。
「あの乱暴者に仕える騎士……剣技に優れるだけでなく……魔法まで用いる……相手にするには、かなり厄介な奴らです……」
「そんなのが、揃いも揃って最低でも百人。イーサン、対策はあるのよね?」
こっちを苦い顔で見つめるメイに、僕は笑顔で返した。
「ああ、もう作戦は考えてあるんだ。僕のとっておきの作戦は――」
ここで初めて、僕はディメンタ村を守る最大の作戦について教えた。
集会所前に集まるまでの間に、僕は脳みそをフル稼働させて作戦を考えてた。まだ作戦としては八割ほどしか固まっていなかったから、さっきは何も言わなかった。
でも、もう秘密にしている理由はない。それに、僕が自信家ってわけじゃないにしても、今回の作戦は敵の度肝を抜いて、圧倒するに足りるって確信があったからね。
事実、誰もが僕の話を聞いて、驚いているようだった。そのどれもが「やってみる価値がある」という希望に満ちていて、わくわくしているようにさえ見えたんだ。
「……とんでもない作戦だね。イーサン君、本気?」
「うん、僕がもしケイレムじゃなくて、ケイレムに従っているだけなら、これを見せつけられれば逃げ出したくなるよ。戦うなんて、到底思いつきもしないね」
「確かにそうね。メイもドン引きするわよ、こんなのが出てきたら」
「これ以上ないほどに大胆な策です。ご主人様、自らの魔法を最大限に活かした奇策の発案、お見事でございます」
僕よりもずっと理知的なアリスやメイが肯定してくれたなら、一層自信に繋がるよ。
「良策になるかは結果次第だけど、やるしかない。人数差と戦力差を覆すには、こっちに圧倒的に強い味方をつけるか、相手の数を無理矢理減らすか、二つに一つだ」
「イーサン様の案は……そのどちらをも満たしております……流石、僕の主様……」
「ありがとうね、ヴィンセント。さて、皆、僕の作戦に乗ってくれないかな?」
きっと、僕の顔は今までにないくらいの大胆さを浮かべていたと思う(自分が鏡を見たら、それこそ似合ってなくて笑っちゃうくらいには)。
「わはははは! おもしれえ作戦じゃねえか、俺は乗るぜ!」
そんな気持ちが伝播したみたいに、最初に声を上げてくれたのはロックだった。
「メイも乗ったわ。分の悪い賭けってわけじゃないし」
「領主さんが村の皆を信じてくれているように、村人は誰もが領主さんを信じてるのさ。何でも相談しておくれ、村の総出で手助けするさね!」
全ての村人が僕を信じてくれた。一切の疑いなく僕を信じてくれるなら、何度も言うけど、領主は彼らに勝利と繁栄をもたらす義務がある。
何より、守ってくれるのなら、僕も全力で守りたい。
優しさで互いを信じられるのなら、きっと、優しさが魔法の力を上回るんだから。
「よし、戦いが始まる夜明けまでに準備を整えよう! ディメンタ村の総力で、ケイレムの軍隊を迎え撃つんだ!」
「「うおおぉぉーっ!」」
野盗を追い払った時よりもずっと大きな声が、村中に轟いた。
それから真夜中になるまで、僕達は一丸になって準備を始めた。
男衆とロック、メイは戦いに備えて、僕が作った武器の使い方を再確認しつつ、他に用意した白兵戦用の『奥の手』に試乗する。女性や子供は戦いに参加させるわけにはいかないけど、精一杯の豪勢な食事で村人の力を底上げしてくれてる。
準備とは言ったけど、武器は少し前から作っていて皆には周知してあったし、ロックを含めて使いこなしてくれているようだった。一からの用意というよりは、自分達にできることを確かめる作業、と言った方がいいのかな。
僕はというと、ケイレム軍団を追い払う奇策を魔法で作り上げたからか、アリスの膝を枕にして横になっていた。正確に言うと、まだまだ手伝いたいことは沢山あったんだけど、夜明けの戦いに備えて強制的に休まされていたんだ。
促されるままに眠りに就いて、目が覚めた頃には、もうすっかり辺りは暗くなってた。
村人は休息を取っていたけど、ヴィンセントとパトリシアが寝ずの番をしてくれていたおかげで、敵がまだ来ていないのは分かった。
でも、これ以上眠っているわけにはいかないと、誰もが分かっているみたいだった。
近くで寝転がっていたロックが目覚めると、皆が次々に目を覚ます。そして覚悟を決めた顔で、大きな門の向こう側から白んでくる暗黒を見つめていた。
ヴィンセントの情報通りなら、もうすぐ門の向こうから敵の姿が見えるはずだ。
僕が皆の顔を見回して頷くと、全員が頷き返し、応えてくれた。武器を手に取り、門に走り出す仲間と一緒に、僕はやぐらの方に駆け出した。
――さあ、ここからが僕とディメンタ村の正念場。
誰も想像できない『はったり』がどこまで通用するか、一世一代の大勝負の始まりだ。
【ケイレム】
夜の闇が少しずつ白んでいき、朝が迫ってくる。
静かな世界に、鎧が掠れ、馬が鳴く音だけが響く。
「まさか、ディメンタ村なんて辺境に隠れてるとは思わなかったぞ」
その中心で、この俺様――ケイレム・ターン・セルヴィッジの心は逸っていた。
いずれセルヴィッジを継ぐ完璧な人生に、恥の汚点を塗りたくった忌むべき弟、イーサンが隠れている場所をとうとう突き止めたからだ。
無論、居場所を見つけただけでここまで昂ぶりはしない。俺様の両端に並ぶ、総勢百を超える魔法騎士達による蹂躙と、殺戮を想像しているからに他ならない。
「野盗共の戯言かと、今の今まで完全には信用していなかったがな。ボジューダ渓谷からどうやってここまで来れたかは知らないが、俺様から逃げ切れると思うなよ。今日がお前の命日だ、イーサン!」
どうやら、薄汚い野盗というのも存外役に立つらしいな。
あいつらを谷から突き落としてやるのは、あっさりと失敗した。金を積まれれば何でもする、あさましい傭兵なんて使えない連中に任せたのが間違いだった。
だから今度は、先んじてヴィンセントを送り込んだ。あいつはセルヴィッジ家が誇る最強の武器だが、まるで連絡がこない。信じられない話だが、あの愚図も何かしらの手段で処理されてしまったと思った方がいいな。
言っておくが、裏切りなんて決してありえない。何故なら俺様は、セルヴィッジ家の中で最も才能に溢れ、当主を継ぐのに相応しい男だからだ。
無能な兄なんて話にならない。人望とかいう何の価値もないものばかりを振りかざしていた、あんな村に隠れた卑怯者なんてのは論外だ。街も、屋敷も、人も、最期は武力で圧倒した者が頂点に立つんだよ。
「暗がりですが、バリスタらしい兵器は確認できます。回り込みますか?」
ちっぽけでつまらない村を俺が眺めていると、騎士の一人が俺に言った。
兜の中から俺様を見つめる目が示す通り、こいつも無能のカスだ。
「バーカ、こっちは全員が魔法を使えるんだぞ? 土属性の魔法で壁を作って、防御魔法で弾けば何の問題もない。第一、あんな辺境の村がバリスタなんて用意できると思うか?」
俺様が何のために、自分の直属の騎士を、全員魔法を使える人間にしたと思ってるんだ。
土属性の魔法は、こいつらほど強ければ多少の攻撃は簡単に防ぐ。もちろん、光の壁を発生させる防御魔法の使い手もいるし、矢を放たれても何の問題もない。第一、あんなしょぼくれた、防壁も完全に完成してない村に何ができるっていうんだ。
「俺様が思うに、あれはハリボテだな。防壁も、中から覗けばどうせスカスカだ!」
「そ、そうおっしゃるのであれば……」
騎士はへりくだりながら一歩退いたが、納得していないのが見え見えだ。
そんなことも分からないこいつは、戻ったら騎士の資格を剥奪してやる。
「門は風や火の属性魔法を持っている攻撃隊に破壊させて、一気に突撃するぞ。言っておくが、捕虜はいらないぞ。住民は女子供、老人まで一人残らず殺せ」
今更だが、俺様は直接でも、関節でも、一度でも逆らった人間を許すつもりはない。イーサンが生きているなら、あの憎らしいメイド達も生きているはずだ。なら、今度こそ完全に息の根を止めてやる。
命乞いも聞かない、体を突き出しても止めはしない。慰み者にしてから、あのガキを庇った村の連中諸共、首を野晒しにしてやる。屋敷の下にいる平民共の中も、俺様に刃向かった奴らの末路を見せれば、ザンダーより俺に従う気になるはずだ。
もっとも、イーサンが死ぬのは誰よりも最後になるな。
「ただし、絶対にイーサンだけは殺すんじゃないぞ。とどめをさすのは必ず俺様だ、あいつの絶望した顔を堪能してから、首を刎ねてやる!」
何故なら、あいつは俺様の手で、最も惨たらしい死にざまを晒して死ぬからだ。
「「はっ!」」
騎士の声を受け、俺は鎧を揺らして前進する。
村の戦力は知らないが、この圧倒的な武力に敵うはずがない。攻撃・防御問わず魔法を使える熟達の騎士が百名超、鍛えられた騎馬に、鍛冶に鍛えさせた硬い剣。
なにより、この俺様、ケイレム・ターン・セルヴィッジは武と知に優れ、勇猛さでいずれ名を馳せる未来の名将だ。全てを焼き尽くす『爆炎魔法』を操り、いずれは黒王すら超える器の持ち主だからな。
そんな軍勢を相手にもしも奴らが勝つなんて、巨人でも仲間に引き入れなければ不可能だ。あの防壁を越えるほどの巨体でも見えなければ、戦況がひっくり返せるわけがない。
さて、太陽が昇ってきた。あいつらの逃避行も、これで完全に終わりだ。
「もうじき完全に夜が明けるな! お前達、村を蹂躙する準備を――」
俺様の偉大な鬨の声で、一斉に騎士を進軍させようとした、その時だった。
「け、ケイレム様!」
素っ頓狂な騎士の声が、俺の耳に入ってきた。
思わずずっこけそうになりながら、声のした方を見ると、ひとりの騎士が村の方角を指さし、どういうわけかわなわなと震えていた。
「なんだ? 俺様の掛け声を邪魔するなんて、何を考えてるんだ?」
「それどころではありません! あれを、あれを……!」
「あれだと? 何を言って……」
苛立ちが頂点に達しそうな俺だったが、ふと、騎士どものおかしな様子に気づいた。
どいつもこいつも、村に視線が釘付けになっている。兜を被っている奴も、そうでない奴も、中には足が震えていたり、がくがくと体を揺らしてる奴までいる。
何をやっているんだ、何を見ているんだ。
すっかり呆れた気分のまま、俺もこいつらと同じように、村に目を向けた。
そして――俺様の瞳にも、『それ』が映った。
「な、ななな……」
最初に判別できたのは、防壁の上にしがみつく腕、だった。
間違いなく指としか形容できないものが、向こう側から防壁を掴んでいる。最初はただそこだけしか分からなかったが、日が昇り、空がだんだん明るくなってくると、その先にある、とんでもなく大きく長い腕が現れた。
影じゃない。間違いなく実体がある。人の姿を模した何かがのそりと見せた姿は、どう見積もっても、防壁の倍近い背丈を有している。そこまで村と距離のない俺達が、見上げて見上げて、ようやく視界に入るほどの巨躯だ。
奴は唸っている。大きな口から、白い息を漏らしている。
奴は見ている。橙色の丸い一つの瞳を、ぎょろりと光らせている。
そいつの目が俺達を捉えた瞬間、空気が張り詰めて、地震の如く揺れた。
『――オオオオオオオオォォォォォッ!』
巨人としか形容できない、見上げてなお高い背の怪物が――俺達の前で吼えた。
地を震わせて、鼓膜を破りかねない雄叫びだった。
「あれは……なんだああぁぁーっ!?」
俺が絶叫するのと、騎士達が一目散に逃げだすのは、ほぼ同時だった。
「イーサン、トレントからの報告よ! 騎士はほとんど逃げていったわ!」
「やったぜ、作戦は大成功だ! こっちからも、敵が慌ててるのがよく見えるぜ!」
ディメンタ村の防壁の上で、カーティス兄妹の報告が聞こえた時、僕の作戦は成功した。
ロック達が立つ防壁の傍のやぐらで、僕もケイレム軍の動きを見てた。空が白んできて、近づいてきていた敵の動きは面白いくらい良く見えた。
中央にいる豪奢な鎧をまとったケイレムが慌てふためくのもそうだけど、さっきまで百以上いたはずの騎士の数は、既に半分を下回っていた。いや、今もまだ、背を向けて街道のはるか向こうまで走り去っていく騎士がいる。
日光が射しこみ、怪物の姿が露になればなるほど、逃げる数も増えていってるね。
「よかった! 『巨人ドッキリ作戦』は大成功だね!」
ロックとメイ、トレントと目が合って、僕は歯を見せて笑った。
これが僕のとっておきの作戦――圧倒的な物量の差を見せつけ、戦意を削ぐ作戦だ。
『圧倒的な物量差で敵を倒す』って作戦自体は、早いうちから出ていた。けど、無数の武器を作っても使い手がいないし、オートマタだって消費するとなれば、マナが足りなくなる。そこで一つの大きい武器を生成しようとしたけど、別の問題もあった。
プレッシャーを与えるほどのサイズの物体を生成するのは、正直なところ不可能なんだ。多分、僕が三日ほど寝込むか、命を損なうほどの力のを代償にすれば可能かもしれないけど、確証はないし、僕が死ねば作ってきたものが崩れ去る、そんな気がした。
そこで、僕は別のプランを選んだ。武器を使わない、はったりを利かせた作戦だ。
「家屋をいくつも繋げて、巨人に見立てて立ち上がらせる……中身ははりぼてですが、敵からすればとてつもなく巨大な怪物が顕現したように見えるでしょう」
「元の物質さえあれば何でもできる、イーサン君だからこそできるはったりだね!」
アリス達の言う通り、僕は元ある素材で巨人を作ることにしたんだ。
魔法による変形は簡単だった。まだ修復の済んでいない複数の家屋を繋ぎ合わせて、一つの大きなオートマタに見立てて変形させた。瞳は光るようにして、サイズは村を超えるほどにすると、とんでもない威圧感を村人にすら与えたよ。
ただ、変性魔法で材質は比較的硬い物質にしたけど、やっぱり攻撃に使えるほどの強度は得られなかった。それに、今は壁にもたれかからせてるけど、これ以上の動きはできない。だから、攻め込まれたならひとたまりもない。
でも、そんな心配は杞憂だった。ハリボテの巨人は、凄まじい成果を挙げてくれたんだ。
ついでに、武器や盾を捨てて、すたこらさっさと逃げる騎士を見て、僕は確信した。
ケイレムが率いている騎士に、彼への忠誠心はない。
この世界の騎士は、元居た世界の武士のように、忠義を食べて生きているといっても過言じゃない。主君の命令が絶対であるのは当然として、その忠誠心は異常の域だ。だからこそ、ヴィンセントだって何年も影の仕事をこなせていたんだ。
はっきり言って、死ねと命令されれば、命を捨てる誓いを立てずとも死ぬ騎士だっている。最後の一人になっても、忠臣であることを捨てて生きる道を選ぶ者はいない。
なのに、敵は巨人を見るや否や、一目散に逃げだした。つまり、ケイレムと一緒に戦うことはできても、ケイレムの為に死ぬのはごめんだというわけだ。
あの敵の総数は、見た通りじゃない。上手くやれば、もっと戦力差は拡げられる。
「よし、敵の数は半分以下だ! 更に数を減らすよ――バリスタ第一射、撃て!」
僕の号令で、村人が一斉にバリスタから矢を放った。
暗闇で敵を狙えと言われれば苦しかったかもしれない。でも、日はかなり昇っているし、逆光にもなっていない。何より、初めての戦いの後、皆は射撃の訓練をしたんだ。バリスタだって、もうオートマタに頼らなくたって使えるんだよ。
だから、精度についてはもう心配しなかった。僕がバリスタを使うよりもずっと上手に、十発のうち半分以上の矢が敵の鎧に風穴を開けた。
「命中した! よし、そのまま第二射……撃て!」
この調子でいけば、ケイレムの軍隊を一桁まで減らせるかもしれない。
だけど、僕の予想は早くも外れることになった。敵の中心にいたケイレムの手から放たれた炎が、飛来する木の矢をことごとく焼き払ったからだ。
あれがケイレムの魔法、『爆炎魔法』。掌から溢れる炎が敵を焼き尽くす、四大元素を操る珍しい魔法だ。ああいった魔法を使いこなせるのが当主の座を継ぐ条件だとするのなら、ケイレムは間違いなく満たしていると言えるくらい、魔法の熟達者だ。
離れたやぐらの上からでも、野火の如く解き放たれた炎の壁が見える。そんな相手に、これ以上バリスタで射撃をしても防がれてしまうだけだ。
「二射目は防がれたか……仕方ない、白兵戦を仕掛けよう!」
なら――あまり望ましい進展じゃないけど、作戦を第二段階に移さなくちゃ。
僕が皆に聞こえるような大声で指示を出しながら、やぐらから降りると、もう男衆とロック、メイ、アリス達とヴィンセントが門の前で待機していた。
十数人の村人には、僕が生成した鋼の槍と盾を装備してもらった。
ロックはいつも通り膝や腰に大量のナイフを仕込み、メイはトレントを三匹も従えてる。アリスはもう漆黒の巨大な獣に体を変貌させていて、ヴィンセントは来訪した時とは違う無骨な大剣を背負っている。これは、僕が作った特殊な武器だ。
この秘密はまだ話せないけど、門の前に並べられた新たな武器については話せるよ。
車輪のついた船のような、機械的な乗り物『騎馬オートマタ』だ。これも巨人と同じで、一から作り上げたわけじゃない。普段村の仕事を手伝ってくれているオートマタを、二つ一組にして変形魔法で合体させたんだ。
四本足を器用に動かして高速で奔走するうえに、回避までこなしてくれる。これに乗って一撃離脱を繰り返すのが、ディメンタ村の基本戦法だ。
「皆、二人一組で『騎馬オートマタ』に乗って! アリス、僕とパティをお願い!」
「かしこまりました、ご主人様」
といっても、僕とパトリシアが乗るのはアリスなんだけどね。オートマタも強力だけど、命を預ける信頼において、彼女に勝る相手はいないよ。
「ロック、メイの二人はトレントと一緒に! あとは……ヴィンセント、頼むよ」
「お任せください……このヴィンセント・ロージア……命に代えても、成し遂げます」
カーティス兄妹をトレント達が背負い、皆がオートマタに乗り、準備は整った。
「騎馬隊は攻撃を回避しつつ、正面から攻撃! 僕とアリス、トレント隊は避けようとした敵を左右から挟み込む! 槍は予備を搭載してるから、遠慮なく捨てていって!」
大きな音を鳴らして、門が開いてゆく。
皆の視線が、開きゆく外の世界と、まだ残る敵の姿に集中する。
「オートマタは攻撃を勝手にかわしてくれるから、皆は敵に攻撃を当てることだけに集中してくれ! もしも落馬したら、もう一人が盾で攻撃を弾きながら退くんだ! いいかい、絶対に、絶対に無理だけはしないでね!」
「分かってるっての! そんじゃ、行くぜええっ!」
そして、完全に門が開き、橋が下りた時――僕達は一斉に、村から飛び出した。
足を止める人がいてもおかしくないと思ったし、怖気づいても仕方ないと思ってた。でも、誰も逃げなかった。それどころか、誰もが意気揚々と敵に突進していったんだ。
勇猛なのは凄いけど、なるべく傷つかないようにだけ気を付けてほしいな。
そんなことを考えているうち、僕を乗せたアリスが右方に、トレント達が左方に分かれた。僕らはどちらも、騎馬オートマタと比べて速度が遅いけど、これも作戦のうち。しかも『本丸』は敵にバレずに動けているから、出だしは上々。
さて、いよいよケイレム達が僕らに気づいた。でも、もう手遅れだ。
「ぎゃあああ!」
村人を乗せたオートマタの突撃は、いまだに狼狽していた騎士の鎧を容易く貫いた。それどころか、後方に吹っ飛ばしただけでなく、一撃で死に至らしめたんだ。
そうなったら、もうペースはこちらのもの。超高速で突進する槍が、次々と騎士を貫いていく。魔法を使える騎士が、強烈な水や突風といった様々な属性魔法の攻撃を繰り出しても、高速移動でかわしてしまえばどうということはないよ。
こうして反撃させる隙も与えず、村人は順調に敵の数を減らしてゆく。
「早い、それに魔法を避け……うぎゃあ!?」
「落ち着け! 散開して、横から魔法攻撃を当ててやれば撃ち落とせるはずだ!」
やっと我に返ったらしい騎士達が、正面からの攻撃を警戒して散開し始める。
正しい判断だとしても、もう手遅れだと言わざるを得ないね。
「そうはさせねえよ! メイ、トレントから絶対に降りるなよ!」
「兄貴こそ、ヘマするんじゃないわよ! トレント、手あたり次第奴らをぶん殴っちゃって! もうこれまでみたいに、我慢する必要なんてないわ!」
『おいら、なぐる、な、な、なぐる!』
何故なら、遅れてやってきた僕とロック達が、彼らを取り囲んでいるからだ。
アリスの強烈な跳びかかりと爪での連撃も相手にとっては脅威だけど、トレントの存在はもっと危険だ。なんせ、大きな木の魔物が、たちまち手を伸ばしてくるんだから。
「なんだ、木の魔物か!?」
「うごおおお!? 鎧ごと、体を、げええ!」
長い枝を集めた腕で締め付けられた騎士は、たちまち鎧ごと体中の骨をへし折られる。そうじゃなければ、硬い木の瘤で滅茶苦茶に殴打される。
「気を付けろ! ナイフが四方八方から飛んできて……腕がああああぁッ!?」
どうにか逃げ切った敵も、ロックが投げつけたナイフで、鎧の継ぎ目を斬り裂かれる。どれだけ硬い装甲でも、接続部分を攻撃されれば、内側の柔らかい肉が負傷するのは当然だ。ましてやそれが、ロックが毎日手入れした武器なら猶更だ。
左右に散った敵がやられたタイミングで、今度は走り抜けた騎馬オートマタ隊が戻ってくる。今度同じ攻撃を叩き込めたなら、もう勝利は目前だ。
「ケイレム様、このままでは全滅します! 指示を、早くご指示を!」
「指示だと!? そんなものは必要ない、俺様が魔法を使えばいいだけだ!」
ただ、予想はしていたけど、ケイレムはそこまで間抜けじゃなかった。
騎士達を自分の回りに集めて、掌に炎を集中させている。
「田舎者が、俺様の『爆炎魔法』をなめるんじゃねえぞぉッ!」
そして一気に解き放たれた炎は、舐め回すように村人に迫った。
まずい、あれだけの勢いと範囲を保った攻撃を、騎馬オートマタじゃ避け切れない。
僕が逃げるよう叫ぶのは、僅かに遅かった。まだ明るく染まりきっていない視界を埋め尽くすかのように広がる炎が、たちまち村人達を乗り物ごと横転させてしまった。
「ぐわあああ!」
「こっちに来い! 盾の後ろにいれば、火も届かないはずだ!」
幸い、村人達に死人はいなかった。それに、盾を持った男同士が集まって、防御策のない仲間を守るように囲んだことで、うまい具合に後退もできてるみたいだ。
でも、放っておくわけにはいかない。ケイレムは騎士と一緒にもう一度攻撃しようとしてる。オートマタもない状態で火を浴びれば、大火傷は免れない。
「アリス、少し危ないけど、敵に近づけるかな!?」
「承知いたしました!」
こんな時に、僕がみんなを守らないでどうするんだ。
「こっちだ、ケイレム! 僕はこっちだよ!」
アリス、パトリシアと一緒に敵の前に躍り出た僕が叫ぶと、ケイレムはこっちをぎろりと睨んだ。無視されないかと一瞬だけ不安になったけど、その心配はなかった。
「馬鹿野郎、平民のカスなんかに構うな! イーサンを狙え、狙うんだよ!」
ケイレムは憤怒の形相で、僕達めがけて魔法を使ってきたからだ。
どれだけ攻撃範囲が広いといっても、ケイレム一人の魔法ならアリスが簡単に回避してくれる。そうすれば、むきになってケイレムは僕しか見なくなる。
「で、ですが! 魔法を使う村人と、あの乗り物は脅威です! 先にそちらを……」
「騎士風情が、俺様に逆らうってのか!? イーサンさえ仕留めれば、この戦いには勝つんだ! 黙って、イーサンを半殺しにして俺の下に連れてこい!」
騎士の忠言も聞かないどころか、ケイレムは彼らにも揃って、自分と一緒に僕を集中攻撃するように仕向けた。その間に、村人が撤退しているのにも気づいていない。
やっぱり。僕の予想通り、ケイレムは大きな勘違いをしてる。
彼は僕を倒すのが勝利の条件で、僕こそが最大の障害だと思い込んでるみたいだけど、実際のところはそんなはずがない。むしろ、村人やロック達の方が戦闘力はずっと高いし、アリスを除けば僕に戦闘能力はないから、邪魔にはなりえない。
つまり、ケイレムが勘違いしてくれている間、僕が囮になり続ければいい。仲間達に危害は加えられないどころか、上手くいけば戦況を立て直す猶予まで生まれるんだ。
とはいえ、攻撃を全て避け切るのは難しいと、僕は思い知らされた。
「ぐっ……!」
「イーサン君!?」
僕の肩を、騎士が撃った魔法の水流が掠めた。水なのにその勢いは刃のようで、服ごと僕の肩が裂け、血が噴き出した。
パトリシアの目が見開き、アリスが足を止めそうになったけど、僕は痛みをこらえた。
「パティ、修復魔法を! なるべく長く動いて、騎士達の気を引き付けるよ!」
僕が肩を突き出すと、パトリシアの光る掌が触れた部位の傷が閉じていく。衣服まで元に戻って、何も起きていないように見えるけど、痛みまでは引いてくれない。
それでも、僕と一緒になって囮になるのを許してくれた二人も、覚悟は決まってる。
「……オッケー! アリス先輩は『彼女』がケイレムに近づくまで、ジグザグに走って! 敵の攻撃が当たりにくくなるはずだから!」
「分かっています! もうこれ以上、ご主人様を傷つけさせない!」
様々な魔法攻撃が押し寄せる隙間を、アリスが駆け抜けてゆく。不用意に近づいた騎士を爪で斬り裂きながら、ケイレムの視線を僕にくぎ付けにさせる。
こうなれば、もう彼の考えは一つだ。僕を殺すことしか考えられない。
もはや部下の安全すら頭に入っていない彼は、そのせいでまるで気づけなかった。
「とことんムカつく奴だ、ちょこまかと……うわあぁッ!?」
彼の背後から巨大な剣を振り下ろした、ヴィンセントの姿に。
だけど、彼女の放った一撃は致命傷を与えられなかった。傍にいた騎士がケイレムを突き飛ばしたせいで、彼は間一髪のところで真っ二つにはならなかった。
「……外した、か……」
代わりに、鎧ごと一刀両断された騎士の亡骸を蹴飛ばしたヴィンセントが敵の親玉の前に立ってた。転んだケイレムを親の仇の如く睨む姿は、僕が見てもちょっぴり怖いかな、
「挑発に乗って……騎士達を散開させてくれたおかげで……ここまで、近寄れました……イーサン様の将来は……軍師か、将軍でしょう……」
ケイレムの炎がやんだおかげで、アリスはようやく立ち止まれた。このまま逃げ続ければ彼女のスタミナが切れるのが先だったから、ヴィンセントが回り込んで不意打ちを仕掛けるのは、ベストなタイミングだったといえるね。
ちなみに彼は気づいていないけど、素人の僕から見ても分かるくらい、軍団の指揮系統はめちゃくちゃだ。騎士は自分の判断でどうにか動こうとしてるけど、騎馬オートマタとロック達の攻撃にただ蹂躙されるばかりだ。
「ヴィンセント! まさか、この俺様を裏切ってくれるとはな!」
そんなことなんて微塵も気づかないケイレムは、ヴィンセントに向かって吼えた。
「……裏切ったつもりはない……僕はあの時から、イーサン様だけの忠実なしもべだ」
「はん、随分とムカつく態度だな! だけどな、何を言おうとも俺様はお前の雇い主だ! 実力はよく知ってるんだよ、爆炎魔法をそんな剣じゃ斬れないってのもな!」
実際、ケイレムの言い分は正しい。いくらヴィンセントの強化魔法があっても、広い攻撃範囲と威力を誇る彼の炎を防ぎきるのは難しいはずだ。
それでもヴィンセントが逃げないのは、彼女自身の強い意志も理由の一つだけど、僕が用意した秘策があるからだ。つまり、彼女が握っている漆黒の大剣が。
「……イーサン様を、あまり見くびらない方がいい」
ヴィンセントが剣をもう一度握りしめたのを見て、ケイレムは怒りの炎を強めた。
「だったらそれが、最期の言葉でいいってことだなぁーッ!?」
まるで彼の憎悪が集約されたかのような轟炎が、ヴィンセントに襲い掛かった。
炎の勢いは、さっきの比じゃない。裏切られたと思い込んだ事実が、彼の怒りに一層火をつけたんだろうか。どちらにしても、あの炎を避けるのは至難の業だ。
普通なら、彼女が焼き殺されると心配する。
僕はというと、彼女が火傷を負わないかとだけは心配していた。
「もちろんだとも――お前がいいのなら、な」
「え?」
何故かって、彼女が『負ける』とは、微塵も思って言からだよ。
一瞬だけ、ヴィンセントの周囲が炎に包まれた。でも、勝ち誇ったケイレムの眼前の炎が斬り払われて――大剣を構えて突進する彼女が姿を現した。
なんで、どうしてなんて疑問すら浮かばせないほどの勢いで剣を振り上げたヴィンセントの漆黒の刃が、マナを纏って青白く輝く。彼女の衣服に隠れた肌から電撃の如く魔法が迸り、その筋力を限界まで引き上げる。
「――ば、か? な?」
触れた炎が消失するほどの斬撃をまともに受ければ、どうなるか。
「なん、で? おれさまの、ほのお、を?」
雲散霧消する炎ごと斬り裂かれたケイレムの鎧は弾け飛び、血が噴き出した。
「イーサン様の魔法を知らないのなら、分からないだろうな……あのお方は、僕に新たな剣をくれた……僕の魔法と併せて、強烈な力と硬さで……炎もろとも敵を斬り裂く剣を」
剣を振り下ろした彼女の説明通り――僕は、ヴィンセントが持っていたボロボロの剣を、魔法で超強力に再構築した。他の武器に対する費用とマナを節約してでも、彼女が一撃でケイレムを倒せるようにしておく必要があったんだ。
ディメンタ村の力を知らないなら、ケイレムは警戒する。僕の力を知っているから慢心するとしても、アリス達が常に傍にいる以上は油断しない。だけど、騎士として、始末屋としてのスペックを知っているヴィンセントなら、話は別だ。
爆炎魔法で制圧できると知っていれば、一層彼女にだけは強く出られる。
だったら、最も隙が生み出せるのは、彼女とケイレムが一騎打ちする時だ。
「僕の力を知って慢心しているケイレム、貴様が……攻撃を防げないと思い込んでいるからこそ……僕にしかできない役割が与えられた……一撃で、再起不能にする役割を……」
ヴィンセント曰く、これまでケイレムの魔法で発生した炎は、とても斬れるものではなかったらしい。ならばとばかりに、僕はヴィンセントの大剣を、より強くした。
変性魔法で特殊な魔法に対する耐性を持つ鉱物に変えてから、変形魔法で剣へと変えた。ヴィンセントの強化魔法に適応して、燃え盛る炎すら斬り伏せるほどの切れ味を与えた。
「言ったはずだ……イーサン様を……愛する主を、見くびるなと……!」
そして、結果は見事にもたらされた。
ケイレムは大の字になって、仰向けに地面に倒れ込んだ。そこまで深い傷は負っていないようだけど、自身の意志に反して魔法が消えたのは、相当なダメージを受けた証拠だ。
もう立ち上がれないと判断した僕は、アリス達と一緒にヴィンセントに駆け寄った。
「ヴィンセント! 大丈夫、怪我はない!?」
「イーサン様……ああ、僕を心配していただけるなんて……」
炎で火傷していないかが心配だったけど、どうやら怪我はないみたいだ。
剣を地面に突き刺して、なんだか恍惚の表情を浮かべる彼女のまわりに、ロック達や男衆も集まってくる。皆、どこかしらは怪我をしてるけど、重傷者や死人はいないようだ。
その事実が、僕にとっては何よりも嬉しくて、安心できた。
「敵はあらかた倒したぜ、イーサン! 残ってる連中からも、武器を剥ぎ取ってやった!」
「抵抗なんてしない方がいいわよ。下手に動けば、トレントが首を捻じ切るわ」
トレントがケイレムの傍に放り投げたのは、鎧と武器を剥ぎ取られた三人の騎士。
あれだけの数のケイレム軍団がたった三人しか残っていない。他はすべて逃げたか、死んでしまった。それはつまり、一つの結果を意味していた。
「ぐ、うぅ……!」
「勝負あったね――僕達の勝ちだ、ケイレム」
ディメンタ村が、ケイレム軍団に完全勝利したという結果を。
「聞いてねえぞ……お前が、こんな強い魔法を持ってるなんてよ……!」
「僕の魔法が強いんじゃない。皆の知恵と、手助けがあったから勝てたんだ。皆を信じて、絶対に勝つんだって約束したから勝てたんだ」
僕はこの戦いを、僕の魔法による勝利だなんて思っていない。皆が僕を信じてくれたからこそ、僕と一緒に戦ってくれると言ってくれたから、勝利できたんだ。
ついでに言うなら、相手の首を取って戦いを終わらせるつもりも毛頭ない。ロックやアリスは代わりに自分が殺すとまで言ったけど、ケイレムは一応、僕の兄弟なんだ。
「ケイレム、二度と僕達に関わらず、ここに近寄らないって約束してくれ。そうしたら、君と生き残ってる騎士の命までは取らないよ。だから……」
僕はケイレムを逃がすつもりでいた。命を奪う気なんてなかった。
彼がどれだけ悔しがっても、諦めてくれればいいと思ってた。
「……ふざけるな……ふざけるなよ!」
だけど、体を起こしたケイレムは、凄まじい形相で僕を睨み、吼えた。
「お前ばかりがなんでそんなに恵まれるんだ!? 強え魔法を持って、有能なしもべを従えて、人に愛されるんだよ!? なんで俺様のもとに誰も来ないんだよ!? 俺様はセルヴィッジ家の次男で、爆炎魔法の使い手だ、他の人間よりずっと優れてるんだぞ!」
目を血走らせて、傷も塞がずに絶叫する彼が、僕には理解できなかった。
僕を諦めればいい。セルヴィッジ家で生きればいい。ただそれだけだというのに、なんでここまで僕に執着するのか、僕を殺すとするのかが分からなかった。
しばらく前の問答一つが、これほどの執念を生み出したなんて。
「そんなところは大事じゃないんだよ、本当に必要なのは……」
「イーサン、何も言わなくていい。どれだけ話しても、こんな奴が理解するわけねえよ」
僕はまだケイレムを説得しようとしたけど、ロックに遮られた。彼の目は邪念が滾るケイレムと違って、どこまでも冷めていて、ほとんど無に近かった。
いいや、彼だけじゃない。メイも、アリス達も、誰もがケイレムに呆れていた。
そんな視線を感じ取ったのか、彼は一層感情を爆発させて喚き散らした。
「そうだ、俺様のせいじゃない、何の役にも立たないこいつらが悪いんだ!」
でも――駄目だ、それだけは言っちゃ駄目だ。
僕は彼の口を塞ぎたかったけど、もう遅かった。
忠誠心はともかく、自分の為に戦ってくれた人達を侮辱すればどうなるか。必死に戦った人達を侮辱すればどうなるか、火を見るより明らかだ。
まだ燻っている闘志がどこに向かうかは、決まってるんだ。
「魔法だってろくに使えない、何の価値もない、勝手に死んでいった無能の――」
そんな僕の考えなんて知らないケイレムはまだ暴言を吐き続けていたけど、とうとう近くにいた騎士の一人が、兜を脱ぎ捨てながら彼を睨みつけた。
「――もういいでしょう。貴方の悪逆に付き合うのは、うんざりです」
彼の言葉には、もう忠誠心も義務感も、何もなかった。
僕らが息を呑む中、ケイレムだけが現状を理解しない顔で騎士に喚いた。
「……なんだって? 何と言ったんだ、もう一度言ってみろ、平民上がりの騎士風情が!」
「何度でも言わせてもらいます。我々を無価値の道具として扱い、ただ己の怨恨で人を殺める為だけに争いを起こす者を、自分達は主とは認められません」
主の罵倒に、騎士はまるで動じなかった。それは彼だけじゃなくて、同じようにうんざりだと言いたげに兜を脱ぎ、鎧を捨てた他の騎士もそうだった。
「もはや我慢の限界です。イーサン様ほど優しいお方を、私欲の犠牲になどさせません」
三人の冷たい声を聞いて、僕にはなんとなく分かった。
逃げなかったのは騎士の務めに従っただけで、忠誠心なんて最初からなかったんだ。
「クソ共が、言わせておけば……!」
ただ義務だけで戦った人達に罵詈雑言をぶつければどうなるか。ケイレムだけが、この場にいる者達の中で理解できていないようだった。
「イーサン様。我々はこの男の首を持ち、反逆者として領地に帰ります」
「な、なんだとぉ!?」
騎士の一人が、彼の首を刎ねると言い出すまでは。
ここまで言われれば、流石のケイレムも自分がどんな立場に置かれているのか、嫌でも分かってしまったようだった。彼は自らの罵倒と心無い発言で、自分が生き残る最後の機会を損ねてしまったんだ。
「ケイレム様の横暴に耐えかね、遠出したところを襲ったとお伝えします」
「死罪は免れないでしょうが……どのみち、主を失えば、帰る場所などありません。先に逃げてしまった連中も、主を守れなかった罰を恐れて、領地には戻らないでしょう」
「……貴方達も……遅くは、ないでしょう……イーサン様と、共に……」
「いいや、従者として、騎士として為すべきことは果たさないといけないんだ」
「どれだけ非道だとしても、彼は我らの主だ。なら、責務を全うするのが、部下の務めだ。そこのお嬢さん、剣を返してはくれないか」
ヴィンセントが生きる道を提示しても、立ち上がる騎士達の気持ちは変わらなかった。
誰もが、彼らを止めようとはしなかった。反撃の意思を見出さなかったからか、メイはトレントに没収させていた剣を三振り、それぞれ騎士に手渡した。
「ご主人様、見てはいけません」
騎士が立ち上がると、アリスが僕の目を塞いだ。
弱い僕は、彼女の優しさを選んだ。掌の内側で、ケイレムの声だけを聴いた。
「や、やめろ! 俺様を誰だと思ってるんだ……ひっ!?」
剣が地面と擦れる音が聞こえる。ケイレムの震える声が、次第に慄きと恐怖に変わる。
「待て、待て! 戦いを頑張ったお前らには褒美をやろう! 豪邸がいいか、金がいいか!? 女も用意してやるぞ、口利きで重役にも就かせてやる! だから、な、主に刃向かうなんて考えはやめて、俺を屋敷まで――」
初めて聞いた命乞いも、嘔吐しそうなくらい狼狽した声も、何も意味はなかった。
僕の耳が捉えたのは、刃が空気を裂く音。
「我らが求めていたものは――無償の優しさ、それだけだ」
そして、何かを斬り落とす音だけだった。
「がぎっ」
奇妙な声を最期に、ケイレムは何も喋らなくなった。
どさり、と重たいものが落ちるのを、僕は確かに感じた。ぐっと拳を握り締めて恐怖を誤魔化していると、パトリシアが僕の手を上から握ってくれた。
誰も、何も言わなかった。
ただ静かに、ものを包む音だけが聞こえた。しばらく彼らがごそごそと作業を済ませてから、僕の視界はやっと開かれた。
そこにあったのは、騎士が纏うマントに覆われた胴体と、破かれた腰布に包まれた丸い物体。中身は、赤く染み込んだ液体が示していた。
騎士は赤く濡れた剣を鞘にしまうと、丸い包みを縛り、腰から提げた。
「体はこっちで預かるよ。騎士の死体と別のところに埋めておくが、いいよな」
「頼む……では、イーサン様。我々は、これで」
僕は静かに頷いた。
「……君達に、手を汚させてしまったね」
「とんでもない。最期に正しい行いを気づかせてくれたこと、感謝します」
騎士達は小さく微笑むと、くるりと背を向けて、そのまま歩き去っていった。
残されたのは、騎士達の亡骸とマントで隠された死体。
「……行っちまったな」
ロックが呟くと、メイがやっと我に返ったようだった。
「これってつまり、貴族に勝った、ってことよね……正直、今でも信じられないわ」
「信じられないなら、ほっぺでもつねってあげよっか?」
「い、いいわよ、別に……どうしたの、イーサン?」
軽口をかわすメイとパトリシアの傍で、僕は勝利とは別の感情に浸っていた。
誰も失わなかった喜びと安心が、僕の中を満たしていた。死地を乗り越えた安堵が溢れかえった時には、僕の両目からそれがとめどなく流れていた。
「……無事でよかった。誰も欠けなくて……本当に良かった……!」
領主なのに涙ぐむ僕の肩を、アリスやヴィンセントが抱いてくれた。
二人だけじゃなかった。僕を囲むように、皆が傍にいてくれた。
「……イーサン、皆のところに帰ろうぜ。無事だって、元気だって伝えに行こうぜ」
ロックの言葉に、僕はしゃくりあげながら何度も頷いた。皆に背を叩かれ、温かい言葉をかけられながら、僕は門の中の村へと戻っていった。
――こうして、ディメンタ村は最大の危機を撥ね退けて、朝を迎えることができた。
それはまた、セルヴィッジ家との決別でもあった。
だけど、後悔も未練もない。
僕には大事な仲間と――帰るべき場所が、あるのだから。