不知火と呼ばれた彼女は特に気にする様子を見せず無言で立つ。萎縮しながら座ろうとする僕と、静かに立ち上がる彼女。入れ違うように彼女に目を向けると、彼女もこちらのことを冷たく見ていた。とばっちりを喰らったことに対する抗議の視線かと思ったが、その視線からは特に何も感じない。
 僕と彼女の視線が虚空で交差する。

「現代社会において、所得格差や少子高齢化といった様々な──」

 そんな視線の交差は一瞬。彼女は教科書に目を通して澄んだ声で読み始める。怒るでもなく呆れるでもなく、本当に興味が無いと言った様子の視線は、心にくすんだ感情を生むのには十分だった。
 隣の席なんだから、呼ばれてるのわかってるなら声をかけてくれてもいいじゃないか。
 心の中で悪態をつくも、怒られた事実を他人に押し付けているに過ぎない。程なくしてそんな自分が嫌になった。

「──社会全体で解決すべき問題です」
「よし、座っていいぞ。今しがた不知火が言ったように──」

 座る彼女を今度は横目で盗み見る。
 日本では珍しい琥珀色の瞳。色素の薄いショートカットの茶髪。小柄な体に、きめ細やかな白い肌。
 目に映る姿は美少女そのものなのだが、いかんせん彼女は無愛想であった。隣の席だが話したことはない。いや、そもそも学内の誰かと話している姿を見た事がない。

「……」

 いや、それに関しては変人扱いされている僕も似たようなものか。
 怒られた気持ちを落ち着かせるためにここから見える窓の外に目をやる。瞬間、1羽の鳥が空に飛び立つのが見えた。昨日訪れていた夏の嵐は過ぎ、綺麗すぎる青空に花のように舞う鳥の羽毛。
 いいなぁ。僕も鳥になれたらこんな風に怒られなくて済んだのかな?
 懲りずに上の空で黄昏ながら、僕を置いていくかのように授業はつつがなく進んでいった。