「………ピ」

 すると、夕刻のオレンジが充たす空間で、小さく…本当に小さく鳴き声が聞こえる。

「っ!」
「ピィちゃん!?」
「ピィちゃん!!」

 僕ら3人がそれを聞き漏らすはずもなく、皆一斉に声の方へ首を向けて反応する。黙って目を閉じていた十鳥先生もこの時ばかりは目を開けてピィちゃんを見た。

「……」

 ピィちゃんは僕らの目線に反応しない。鳴いたのはその1度だけ。僕らに反応を示す代わりに、ピィちゃんの足がゆっくりと動きはじめる。
 横たえながらもピィちゃんは小さな足を前後に動かして、その爪と爪を擦れ合わせた。

 カチッ……カチッ…カチ…

 不規則に音を立てて足の爪が擦れる。弱々しく、かつ持てる力全てを使って、足をバタつかせて何度も爪をぶつける。

「ピィちゃん!無理に動かない方が!」
「足をバタバタさせてる」
「有真、このままじゃ体力使いきっちゃうよ!」

 ピィちゃんは頭のいい不死鳥だ。足をバタつかせてもがく行為が体力を奪うだけだとわからないわけがない。ただそれでもピィちゃんは足を動かすのをやめなかった。
 まるで命を失うことから抵抗するように。必死に何度も何度も。

 パチ……パチ…

 それは擦れ合う爪から小さな火花が散るほどに激しく。

「ピィちゃん、もうやめて」

 僕はその姿が痛々しくて見ていられなくなり、思わずピィちゃんの体を両手で包もうとした。

「っ!熱っ!」

 手がピィちゃんに触れた瞬間、まるで炎に触れたかのような熱さを感じ、僕は思わず手を離してしまった。

「赤翼くん、大丈夫?」
「はい、ピィちゃんの体が熱くて…」
「熱い?」

 十鳥先生の質問にそう返すと、先生は口元に手を当ててなにか考える素振りを見せた。僕はまだ熱の残る手のひらを見つめる。
 そういえば、ピィちゃんを拾った時も同じくらい熱を持っていた。

「不知火さん、さっき不死鳥は死に際になると灰になって生まれ変わるって教えてくれたよね?」

 なにか思いついたのか、十鳥先生が不知火さんにそう尋ねる。僕も初めにピィちゃんを拾った時、不知火さんにそう聞いた。

「は、はい」
「もしかして、ピィちゃんはまだ息があるうちに──」

 十鳥先生がそういった次の瞬間。

 パチッ…!パチパチッ…!

 爪と爪が擦れあって出た火花が大きく弾けてマッチ程度の炎がピィちゃんの爪先に灯った。
「うわぁっ!」
「わっ!」

 その炎に驚いて僕と翔が少し慄く。炎に見慣れているのか、不知火さんは少し驚きの表情を浮かべるだけでピィちゃんをじっと見つめていた。

「火が!」

 灯った炎はピィちゃんは命のように弱々しくゆらゆらと揺れていた。火が着いた後もピィちゃんは足をばたつかせるのをやめない。
 仄暗い夕焼けの部室に、爪の灯火がバタ足の軌跡を描く。僕らの瞳に蠢く炎による紫の残像が残る。火花を散らし、焔が揺れ、炎光が瞬く。まるで夏の夜に儚く舞う線香花火のよう。その光景を僕らはただ見守るしかできなかった。

 パチッ…ボウッ!パチパチッ…!

 やがて、生まれた炎は大きくなり、小さなピィちゃんの体を包み込むほどになった。

「燃えてる」
「ピィちゃんが燃やしてる?」
「自分の体を?」

 不知火さんから教えてもらった。不死鳥は死に際になると体を燃やして灰にする。きっとピィちゃんは…怪我で亡くなることよりも体を燃やして生まれ変わることを選んだんだ。轟々とピィちゃんが燃える。

「キュウッ!キュルルル!」

 今この時までほとんど鳴かなかったピィちゃんが燃え盛る炎の中でまるで押しつぶされるような声で呻き鳴いた。

「不知火さん、すごく苦しそう!」
「わ、私も初めて見る。でも私だって自分の出す炎は熱いのに、肉体全部を燃やすほどの炎なんて…」

 きっと熱くて苦しくて辛いに決まってる。それはピィちゃんの鳴き声が物語っていた。

「ギュウッ!ピキキィ!キュウウゥッ」

 まるで助けてと言うみたいに。辛い、苦しい、と言うみたいに。
 耳に残る、ピィちゃんの断末魔。生まれ変わるという結末を選ばなくてはならない状況までに僕らがピィちゃんを追い込んでしまった責任。その全てをこの場の人間全員が噛み締めた。

「……ピ」

 やがて、ピィちゃんの呻き声が弱くなる。骨も羽毛も嘴も何もかも炎の中で燃え尽きる姿を目にしながら、段々と小さくなる声に必死に耳を傾けた。ともすればグロテスクなその光景から、誰一人目を逸らさなかった。

「……」

 そしてついに鳥の姿の原型すらわからなくなり、全く声が聞こえなくなった。数分後、炎は静かに鎮火していく。シュウッと萎むように消えゆく炎。その場に残ったのは灰の山のみ。握りこぶし2つ分程度の小さな小さな灰の山。

「…ピィちゃん」
「そんな…」

 復活するから死んでも問題ない、ベニクラゲなどの不老不死の生態を知った時、心のどこかでそう思ってた自分がいた。
 でも違う。そうじゃない。実際に目にしてみてわかった。生まれ変わるのと、死にゆくのは別だ。今この瞬間、ピィちゃんは確実に命を失った。辛く苦しい業火の中、体を燃やしながら、苦しみながらこの世を去っていった。
 きっとこの灰から新しい命が生まれる。それは間違いなくピィちゃんだけど、そうじゃない。理屈ではなくそれを肌で感じ取った。
 死にたくて死んだわけじゃなく、自身の命を繋ぐための死。それを何度も何度も繰り返してこの子達は今まで生きてきた。個を殺し、種を存続させる。生物の存続としては正しくても、ピィちゃん自身としてはやりきれないことこの上ない。
 もっと生きたかっただろうなと、そう思うと悔やんでも悔やみきれない。

「……」
「……」
「……」

 死んだら消えていなくなってしまう。たとえ生まれ変わったとしても変わらない。個が1つの命を健全に全うする。それがどんなに難しく、幸せなことか。
 イタズラに奪われてはいけない。どんな条件でも軽く見てはいけない。命は想像するよりも遥かに重いんだと、僕らは今はっきりと理解した。
 そしてそれは僕らの心にぽっかりとした穴を空けるにはあまりにも充分すぎた。
……………
………


「おはよう、不知火さん」
「…おはよう」
「今日も早いね」
「…うん」

 夏の匂いが充ちる朝9時の部室。蝉の鳴き声が教室に染み入り、開けた窓からそよ風が吹き抜ける。
 灰の山はそんな風に煽られないように、透明なケースに入れられている。彼女は丁寧に盛られた灰の山に吊り上がった瞳を無感情に向けていた。
 ピィちゃんが体を燃やし尽くしてから1週間。まるで何事も無かったかのように学校生活は進んでいき、始業式を終えて夏休みになった。あの日から数日で夏休みになったが、学校があった数日は依然として、不知火さんへ嫌がらせが続いているようだった。見つけ次第、僕も助けようとフォローしたが、ピィちゃんの件も相まって、彼女の心が疲弊していく様が見て取れた。
 外傷はいくらでも治せる彼女でも、無数に切り裂く心の傷は癒せなかった。彼女の心を癒す炎はどこにもなかった。
 そんな彼女に僕は声をかけることしか出来なかった。無力ながら声をかけると、優しく「ありがとう」と力なく笑って見せた。僕よりも何倍も辛いのに、その姿に僕まで泣きそうになった。
 本当に見てていたたまれなかった。そして自分の無力さを悔やんだ。ただそれでも、不知火さんが辛いならそばにいたい。その一心で彼女に触れ続けた。

「隣、いいかな?」
「…うん」

 不知火さんの隣に腰かける。彼女は少し腰を浮かして場所を作ってくれた。弱々しくか細い声。明らかに元気がなかった。
 あれから不知火さんは1日も休まず、ピィちゃんの燃えたあとの灰を見つめている。夏休みになる前も時間があれば部室に来て、夏休みになってからはこうして朝早い時間に誰よりも早く来て黙って見つめていた。ずっとこの調子で、朝から晩まで。
 きっといつ復活してもいいように、じっと見つめているのだろう。それは僕も同じだった。だから不知火さんがいる時は、黙って毎回付き合うことにした。
 翔はあれからいろいろと動き回っているようだ。何をしているかわからないが、部室にはほとんど顔を出せていない。十鳥先生もここに来る頻度が少し落ちた。
 ピィちゃんがいなくなってから、みんな少しずつ変わった。部室にみんなで集まることはなくなった。喪失感からなのか、罪悪感からなのか。
 人が少なくなって少し広くなった部室。聞き慣れた鳴き声が聞こえない部室。喧騒が無くなった部室。それが寂しかった。
………


 どれくらいの間、2人でそうしていただろうか?特にこれといった会話もなく、過ぎ行く時間。気まずいのではなく、ただ互いに言葉が見つからない。
 気がつけば部室の窓から鮮やかな西日が差し込んでいる。時間感覚なんてもの、そこにはなかった。ひぐらしの鳴き声が部室に木霊する。それはひどく悲しく聞こえた。

 こんなにも虚無を抱えていても、僕らはただ生きているだけでお腹が空く。持ってきたお弁当を食べたり、購買で飲み物を買ってきたり。時折、そうやって亡くなった命の灰の前で生きるために食事をとって時間を過ごした。
 ピィちゃんの復活を見守るためにする自分たちの生きるための行動が皮肉に感じた。

「どれくらい、かかるんだろうね」

 不死鳥が蘇るまでどれくらいかかるのか?ふと思った疑問を口にする。

「わからない。蘇りにどれくらいかかるか、私の持ってた文献には書いてなかった」

 僕の疑問には主語がないにも関わらず、まるで以心伝心しているかのように不知火さんが答えてくれる。

「…そっか」
「うん…」

 ピィちゃんが亡くなってから1週間。未だ灰の山はピクリとも動かない。不死鳥が蘇る姿を僕らはまだ1度も見た事がない。
 そもそも蘇れるのだろうか?もしかしたらこのまま命が終わってしまうのではないか?そんな風に感じてしまうほどに静かで、僕らの不安を大きく煽るばかり。
「赤翼くん」

 もしもこのまま…なんて嫌な想像と感情が頭を巡った時、すかさず隣から聞き慣れた声が聞こえる。
 不知火さんが僕をまっすぐ見ていた。髪色と同じ琥珀色の瞳がなにかを伝えるように僕の視線と交差する。

「私ね、嬉しかった。赤翼くんが…隣にいてくれたから」

 不知火さんからぽつりと言葉が紡がれる。

「っ!」

 直接的な表現に心が動く。夏風がサラサラと通り過ぎ、彼女の薄い茶髪を揺らす。その艶のある髪1本1本が夕陽を浴びて金色に輝いた。

「赤翼くん、あの日から私が嫌がらせ受けてるって知るとずっと気にかけて話しかけてくれたよね」
「そんなの当然だよ」

 僕は不知火さんの友達だから。
 僕の言葉に不知火さんは横に首を振るう。

「当然のことじゃないよ。見て見ぬふりをしなかった」
「するわけないよ。本当は無力感でいっぱいなんだよ。大丈夫?って聞くことしかできない」
「それが嬉しいんだよ。独りじゃないってことが、嬉しいんだよ」

 優しい言葉が心に染入る。独りじゃないことが嬉しい。その言葉が彼女の口から出るのは新鮮だった。
 僕は不知火さんを独りにはしたくない。不知火さんのお母さんに頼まれたのもある。でもそれ以上に彼女と過ごしてきて人となりを知り、優しさを知り、純粋な気持ちで彼女と一緒にいたいと思った。友達として、一緒に。

「だって…」

 不知火さんが目を閉じ、一息入れる。次の言葉を紡ぐための深呼吸。夏の空気が肺に入って彼女の制服が膨らんだ。

「私だって人間だから。独りは寂しいって気づいた」
『人間だから』

 彼女の言葉はとても柔らかく、同時に僕は少し驚いた。
 以前、不知火さんは自分のことを不死鳥としても人としても、中途半端な存在だと言っていた。
 彼女の中で何かが変わった。それが感じられる言葉だった。

「独りじゃないっていうのは安心するんだって。孤独に死んで生まれ変わる、不死鳥とは違う。それを教えてくれたのは赤翼くんだよ。私は独りにならなかった。赤翼くんが隣にいてくれたから、赤翼くんが一緒に痛がってくれたから。私、今も心が折れずに済んでるんだと思う」
「…ぁ」

 彼女が座ったまま、僕の手を取る。

「今日だって…ううん、昨日も一昨日も。私がここに来る時はいつも、同じくらいの時間に来てくれる。何も言ってないのに、私と一緒にいてくれる」
「僕も心配だからだよ」
「それはね、優しいっていうんだよ」

 不知火さんが少し、本当に少しだけ微笑んだ。

「…っ!」

 夕焼けに映える微笑。それは息を飲むほど綺麗だった。茜を反射する茶髪、対照的な白い肌、ふっと漏れた息遣い。
 嫌がらせを受けたうえに、ピィちゃんはいなくなってしまった。笑えるような精神状態ではないはずなのに。
 僕が無力だと思っていた行動と気持ちが、彼女の心を溶かしてあげられたのなら。そう思うと胸がいっぱいになった。不知火さんが僕を支えにしてくれた。そばにいてよかったと本気で思えた。
 どうしてこんなにも彼女に必死になるのか。もしかしたら僕は──

「世の中の人がみんな、赤翼くんみたいに優しかったらいいのに」
「僕にとっては不知火さんも十分過ぎるほど優しいと思うよ」

 ピィちゃんを助けようと強く思ってくれたり、僕の強引な行動にも付き合ってくれたり、そんな不知火さんは間違いなく優しい人だ。

「ありがとう。でも、世の中にはそんな人たちばかりじゃないから」
「…それって」

 不知火さんは僕の言葉に俯きで反応した。それが嫌がらせをする人たちを指すのかはっきりと口にしなかったが、不知火さんは自分の肩を抱いて少し体を強ばらせていた。その姿が、全てを物語っていた。
「……」

 彼女の鞄に目をやる。僕と同じ形のスクールバッグ。ただ一つ僕のとは違い、上靴の底のような模様の踏み跡がついていた。
お世辞にも綺麗とは言えないその跡。それはまるで心の傷のようだった。

「嫌がらせでつけられちゃったの」

 僕の目線に気づいた不知火さんが弱々しい声色で教えてくれる。怒りも当然覚えるが、それ以上に不知火さんのことを考えると辛さ、悔しさ、痛さが勝る。

「どうして、こんなことまで…」

 その声色に感化されるように、僕の声まで涙声に近い震えを帯びた。
 不知火さんが俯き、彼女の指が鞄を撫でた。鞄の布地と指がサラサラと、小さな衣擦れの音色を立てる。小さな小さなその音は、夕刻のひぐらしと橙色に溶けていく。

「独りは寂しい、だから人は弱いんだって思った。こうしてみんなで嫌がらせをすることで、彼女たちは独りじゃなくなるんだよ」
「それはっ!」

 そんなのは寂しさじゃない。僕の言葉に彼女が寂しげな目線を向ける。

「…っ」

 僕は言葉に詰まった。彼女の瞳は、寂しさじゃないとしたら何なのかと問うているかのよう。
 妬みや僻みは原因かもしれないが、一連の行為の根幹は孤立を恐れる寂しさであることは否定できない。

「なんで私なんだろうって。考えても答えは出ない」

 彼女の柔らかくも重たい声。その裏には怒りの感情をはらんでいる。

「私が生駒くんといたから?みんなで部活を作って楽しそうにしたから?」

 立て続く疑問。語気は徐々に強くなっていく。ひぐらしの鳴き声を消すように、彼女の声が空気に混ざる。

「どうしてピィちゃんは死んでしまったの?誰のせいなの?私?生駒くん?赤翼くん?羽折さんたち?」
「そんなの…」

 喉を傷つけるような痛々しい声。そんなの決まってる、悪いのは羽折さんたちだ。でもきっと、彼女の求める答えはそれじゃない。僕ら人間が持つ、根っこの部分。

「何がピィちゃんを殺したの!?輪から外れて独りになるのを嫌った、人間の寂しさや弱さなんじゃないの!?」

 不知火さんが立ち上がり僕の制服を掴む。彼女の白い手が弱々しくシャツを握りしめた。僕は黙って、不知火さんの掴む力を受けた。

「人間の都合で亡くなってしまった、そんなのってないよ!焔消山で見た命のやり取りとは違う!ねぇなんで!?どうしてよ!」

 溜まっていた淀みが開放されるように、強く、強く、彼女の声が響いた。悲痛な叫びが部室を満たす。ひぐらしの鳴き声はもう聞こえない。
「命は平等なんじゃないの!?なんで私たちは止められなかったの!?」
「……」
「私たちの先祖は…生き残るために人間になったのに。こんなことするためじゃないはずなのに!」

 蹴落とすための排他的な感情とそれを叶える組織的な行動において、人間の右に出る者はいない。だから人間はこの星の生物の頂点に君臨できている。昔からこの星で生き残るため、木々を切り、地を拓き、海を侵した。不死鳥だけじゃない。どんな命でも犠牲にしてきた。これが人という生物の根幹だ。
 そんな繁栄という喰い合いに勝つ人の本能は、同族(人間)同士にさえ向けられる。敵なしとなった今でも、我欲と排斥されないための同調へと姿を変えて残っている。自分がより生きやすくなるために群れて、合わないものを弾く。道中どんな犠牲が存在しようとも…。だから巻き込まれた者だけがいろんなものを失うんだ。

「っ!」

 彼女の言葉に息が詰まる。喉につっかえがあるかのように言葉が出ない。
 もしも僕が、人間と『別の生き物』との混血だとしたら。その『別の生き物』に肩入れしてしまうだろう。そんな『別の生き物』が、人間の都合で死んでしまったとしたら。
 鳥一匹が命を失っても何事もなく回る世界。人以外の命が軽いこの世界は、不知火さんの立場では残酷以外の何者でもない。喰い合いの果て、自然界の掟とは違う。理不尽な残酷さ。

「ねぇ教えてよ!命ってなに?平等ってなに?人間ってなんなの!?」

 鬼気迫る彼女に思わずのけ反り、その気迫が夏の夕空とともに僕を呑み込む。窓から射す夕焼けの淡い光が僕の視界を橙色に塗りつぶしていく。
 僕の目に映る不知火さんはボロボロと大粒の涙を流していた。

「…答えなんてないよね」

 言い淀む僕を見て不知火さんが悲しげに言う。

「困らせてごめん。でも、そういうことだよね」
「そうじゃ、ない」

 人間がいたずらに命を奪うのは間違ってる。人間だけが特別なわけじゃない。僕が月並みにそう返そうとすると、不知火さんは大きく頭を振った。

「私、人間だけど…人間なんて大嫌い」

 震えたような、掠れたような涙声。彼女の茶髪が悲しげに揺れる。橙に光る彼女の涙が頬を伝い、部室の床にポタリと雫を落とした。
 その刹那。

 シュッ…ボウッ…!

 夏の夕空のような淡くも激しい、爆炎のような炎が彼女の体から噴き出した。