確か鷹一郎から聞いた麗卿は12年も放置された死人だ。
 妻を失ったばかりの喬生は正月の灯籠祭りで麗卿に出会って恋に落ち、麗卿を自分の家に連れ帰って懇ろとなったところを隣人に妖だと告げられる。
 喬生は半信半疑に麗卿が暮らしていると言っていた湖西寺にいくと麗卿の棺を見て麗卿が死人であることを知り、魏法師にもらった札を門に貼ると麗卿は来なくなった。
 一月後に酔っ払って友人と飲んで行くなと言われていた湖西寺の前まで行って引きずり込まれて死んだ。
 それでその後3人で周辺の住民を祟ったために調伏された。

「変でしょう?」
「そうか? 祟ったんだろう?」
「12年も祟らなかったのに?」

 確かによくわからないな。
 麗卿が喬生を引きずり込んで本懐を得たならその後に他人を祟る必要はない、よな。喬生と会う前にもともと人を祟っていたわけでもなし。そうすると祟ったのは麗卿ではなく喬生なのか?
 ちろりと視線の端で髑髏を見るとそれはただふわふわと浮いていた。
 取り殺されそうという恐怖はさておき、髑髏はひたすらに俺に絡みつくだけだ。その世界に引きずり込もうとはしていたとしてもそれは俺を害をなそうというよりは単純に俺を求めているというような一途さを感じる。

「この剪灯新話は様々な話を集めたものをベースに書かれたものです。だからこの道士の活躍の下りに別の話を混ぜたのではないかと思います」
「別な話?」
「そう。剪灯新話の中で霊が愛する人を取り殺すのは牡丹灯記くらいでしょうか。それで瞿佑自身が序文で『|勧善懲悪や苦しんだ人を救うということも世間としては必要だろう《而勸善懲惡,哀窮悼屈,其亦庶乎言者無罪》』という趣旨のことを書いています。だから取り殺されたで終わらせないよう道士を出して調伏する話にしたんじゃないでしょうか」
「ふうん、するっていとどうなるんだ」
「誰にとって不条理かっていう話です」

 誰にとって不条理か。それは取り殺された喬生ではないのだろうか。
 喬生とはどんな男だったのだろう。妻をなくしたばかりで女を家に連れ込む。喬生のわからないところはせっかく札で来訪を防いだのにわざわざ本体のいる湖心寺に行ったことだ。
 そこまで考えて、俺も同じように髑髏の本体のところに向かっているのだなと思うと薄ら寒くは思えてくる。行きたくねぇ。けれども祓うには行くしかねぇ。
 うん?
 そもそも喬生は何故わざわざ行ったのだ。喬生は麗卿を祓えていたはずだ。近寄らなければ何も問題なかったはずだ。
 面白半分? 友人に話して酔ったついでに肝試しのつもりで?
 そんな馬鹿な。

「この話で調伏されたのは、つまり悪は3人です。喬生を取り殺した麗卿。その術具である従者金連。そして喬生」
「喬生が何をしたっていうんだ」
「妖とはいえ17歳の生娘を引っ掛けて半月ほど弄んで無残に捨てたんです。恨まれても仕方がないでしょう。喬生を取り殺すまで麗卿は人を殺したりなどしていなかった。だから瞿佑は懲悪のために被害者であるはずの喬生を祓わせたのです」

 弄んで無残に捨てた?
 隣人が麗卿が髑髏であることを見破ったんじゃないのか? うん? 死体は瑞々しかったのか? どういうことだ。

「結局ね、麗卿が骨だと言ったのは隣人だけで喬生は見ていないんですよ。隣人の嫌がらせや言いがかりを喬生が丁度いいと思って利用したのかもしれませんね。恐ろしい姿を見ていない喬生の主観に危機感はない。だからのこのこ酔った勢いで捨てた女の家の前までからかいに行った」
「おい」
「だってほら」

 私とあなたは燈籠祭で初めて会って(妾與君素非相識,偶與燈下一見)
 あなたは私を好きになってくれました(感君之意)
 だから私はあなたに全てを捧げて(遂以全體事君)
 夜に来ては朝に帰りあなたに尽くしたのに(暮往朝來,於君不薄)
 それなのにおかしな道士の言うように(奈何信妖道士之言)
 急に私を疑ってそれっきりです(遽生疑惑,便欲永絶)
 あなたは何て酷い人とお恨みしました(薄倖如是,妾恨君深矣)
 けれどもやっとお会いできました(今幸得見)
 だからもう諦めることはできません(豈能相舍)

 なんだか急に、悲しくなった。
 麗卿は捨てられたのか。一途にすがりつくその姿が急に哀れに思えてくる。

「喬生が拒絶しなければ喬生は死ななかったのか?」
「少なくとも、麗卿にそのようなつもりはなかったように思われますねぇ。剪灯新話には恋人と1年暮らしてあの世に返ったり姿を消したりする幽霊の話もありますし。屑のような男は普通にいます。出会いが悪かったのでしょう」
「出会い、か」
「だから哲佐君は麗卿をすげなく扱わないであげてくださいね」
「うん」

 麗卿は同時に祓われる必要はあった、のかな。一緒にいたかっただけならば。
 そう話しながらも鷹一郎は手元を忙しく動かし、麗卿を祓うための術具を編んでいた。

「それで話は戻りますが麗卿の棺は湖心寺という湖畔の寺に安置されていました。極めて湿度が高い。だからその遺体は瑞々しかった」
「うん? 湿度?」
「そうです、湿度です。そろそろわかるでしょう? 大学で地質の教師が話していたやつです」
「……ひょっとして死蝋化したのか? けれどもそれなら何故俺や伊左衛門の元には骨の姿で現れる」

 死蝋化。
 高湿度や高乾燥等の理由で腐敗菌が繁殖しない中で脂肪が変性して蝋化や鹸化を引き起こす。日本でも沼地の底には古代の死体がそのままの形で埋まっていることがある。

「死蝋って環境変化に弱いんですよ。温度や湿度、掘り出すだけでも場所を移すだけでもすぐ崩壊する。そんな屍蝋が無事に日本海の荒波を渡ってこれるはずがありません。だから哲佐君や伊左衛門氏が見たのは髑髏という麗卿の残滓なのでしょうね」

 遠い海を渡ってその身を崩壊させながらも捨てた男を探している。何百年も昔から。
 東回り航路で那珂湊(なかみなと)まで至り、ここから更に水戸に向かう汽船に乗り換える。
 その度にふよふよと俺の隣に浮かびついて来る髑髏に昏い気持ちとともになんともいいようのない寂寞(せきばく)の念が浮かぶ。
 今、俺と鷹一郎は伊左衛門が仕事をした水戸に向かっている。東京の仕事と同じように、伝手を頼って依頼され、伝手によって水戸市街に売却された。

「伊左衛門はなんでそんな遠いとこから来たもんに引っかかったんだ」
「手に入れて売り払ったからです」
「何を?」
「棺桶を」

 棺桶を? そんなもんリサイクルするか?
 それにそんなことすりゃ取り憑かれて当たり前だ。馬鹿馬鹿しい。

「棺桶だと思わなかったのですよ。ほらここ、『女の死体と横たわり(與女之屍俯仰臥於內)』ってあるでしょう? 哲佐君は棺桶ってどういう形だと思います?」
「そりゃ桶だろ。座って埋める」
「日の本だと座棺ですよね。でも海の外では異なる。仰臥(ぎょうが)というのは仰向けに寝転がること。つまり中国の古典、この話は元代ということになっていますが元は火葬だそうですからその前の宋の文化が残っているのでしょう。それで宋の棺は寝棺です。人が寝転がって収まる大きさ。そんな大きさの家財、ありますよね」
「……長持(ながもち)か」

 つまるところ、伊左衛門は家財一式の売却を請負い、その中にその長持があったのだ。
 伊左衛門の仕事ぶりは極めて丁寧らしい。中古品というのはその使用感や見た目で大きく価格が異なる。伊左衛門はおそらくその棺桶を丁寧に扱ったのだろう。綺麗に拭いて、美しく飾り、だから取り憑かれた。
 不条理だな、本当に。