燃えるような、とはよく言ったものだ。天からこの山を見下ろせば、それこそ山が燃えていると錯覚してしまうかもしれない。それほどまでに山は立派に紅く色づいた木が多く並び、その頭を飾っている葉が、頭だけでなく足元も染めてしまう。
「今度烏天狗さんに頼んでみようかな」
「何を頼むんです?」
 見上げて山の紅葉を眺めていると、隣から声を掛けられた。
 振り向いた先には、綺麗な和服を身に纏っている男性が一人。
 ふわふわな茶色の髪に、黒瞳を持つ目尻は垂れていて、優し気な雰囲気を感じさせていた。
 着物も、最近流行の柄をチョイスして、小物も使って良いアレンジ具合だ。人間たちのファッション雑誌はとても参考になるし、それを実際に自身に取り込むのも中々悪くない。
「うんとね、この山を上から眺めてみたいなあって。そうしたら綺麗だろうなあって」
「成程。でも、ヌイさんに何かあったら怒られるのは自分なので止めてください」
「リツは悪くないのにねえ」
 ふふふ、と口元に手を添えて笑みがこぼれた。そんな私を見て、彼は小さく溜息を吐きながらも笑みを浮かべる。
 私がリツと呼んだ男性。彼こそ、私が拾ったあの狸君なのだ。
 あの時助けて、手当てをして、一緒に暮らす事何年か。彼は自然と私に懐いてくれた。最初こそ少し警戒の目を向けていたが、母も数日で何も気にしなくなったし、私がずっと構っていたのもあって、彼は自然と己の警戒心を解いたようだ。嬉しい限り。
 家族に捨てられたという彼だからこそ、新しい家族に抵抗はあるんじゃないかとは思ったけれど、母とも私とも仲良くなれてうれしいのだ。
 それに、母曰くの化け狸の彼はその名に恥じず、人型に姿を変える事が出来る。それも見目麗しい男性になるのだ。元々狐や狸は変身は得意としているが、彼は大層得意なのだろうなあ。
 出会った時は小さい男の子だったのに、気が付けば私より大きくなる。男という生き物はすぐに大きくなるのだからズルい。
「それでも、今年の紅葉は立派だよ。だから、ほら。祭りに参加する人達も活気がある」
 私達の進む先から聞こえるのは、屋台を楽しむ子供を中心とした人間の楽しげな声と、屋台を構えている人々の掛け声。そして祭囃子。
「今年は天気も良いし祭日和だ」
「そうですね」
「うん。やっとリツと一緒に楽しめるね」
 彼と初めて出会ったのは、残念ながら雨が降ってしまった祭りの後。その後も何度か祭りは開催されたが、雨が降ることが多くて参加が出来なかったのだ。秋は、更に山は天気が変わりやすくて困る。私は別に雨でも気にしていなかったが、母とリツに止められていた。
 なので、久しぶりに人間たちと共に祭りに参加できるのだ。
 あやかしは人間を嫌うのも多いけれど、私は好き。私達には持っていない何かを、彼等は持っていると思うから。ていうか、好きじゃなかったら普段から人の姿になったりしないって。
 それに、ほら。作る食べ物はとてもおいしいし。

 浮かれた気分で祭り会場に近付いて行くと、リツが私の手を握ってきた。
 突然の事に少し驚いて隠していた尻尾が出そうになったが、必死に堪えた。リツの方に顔を向ければ、彼は真っ直ぐと私を見ている。
「人が多いですし、はぐれない様に」
「成程。それは確かに大事だね」
「ええ。後は単純に、ヌイさんと手をつなぎたかったので」
「え?」
 つないでる手を少し持ち上げて、ふふ、と彼は笑みを浮かべる。
 綿菓子のような甘さを隠そうとしない瞳の揺らぎと彼のとる動作は、正しく先日見た雑誌に書かれていた「カップル」というやつの、男側の立場のように思えて。自分の顔が少し赤くなったかと思うと、彼はさらに満足そうに笑みを浮かべた。
 会場に辿り着くと、例年より人が多い気がする。ここ暫く、ずっと雨だったからだろうか。素晴らしい天気の中で行われる祭りは、とても魅力的だった。
 人混みの中に混じって、私達は歩く。彼の言う通り、手を繋いでいたのは正解だっただろう。下手をすれば、はぐれてしまったかもしれない。
「手を繋いでくれてありがとね。助かった!」
「いえいえお気になさらず。それじゃあ、お礼と言ったらあれですが、近々、ヌイさんにお願いごとをするかもしれません。聞いてくれますか?」
 彼からお願いをされるのは珍しい。それに、今回はこうして守ってくれているわけだし、お礼を聞かないという選択肢はないだろう。
「もちろん!」
「その言葉、忘れないでくださいよ」
 にこり、と笑ったのだけれど、その笑い方は狸……というよりは、我々狐寄りだったんじゃないかと思う。一緒に暮らして、影響でもされたのだろうか。

「あ、ねえ和服のカップルだ」
「ね? すごい可愛いね」
 若い女性の声が私達に向けられているのだと、自然と察した。何故なら、私達のように着物を着ている男女ペアはあまりにも少ない。
 カップル、だって。
 脳裏に過るのは、人間の読む雑誌に書かれていた事実。我々、動物に関するモノで言えば番の様なもの。そして、先程の甘くて、少し熱のこもった目で見つめてきたリツの顔。
 少しだけ顔が熱くなったのは、きっと人混みの中だからだ。そしてリツが笑ったのは、きっと私の変化が面白かったからだ。きっとそうに違いない。


 違いない、と当時は思ったのだ。
 狐の家に狸がやって来て年数を重ねた時。化け狸と化け狐の夫婦が誕生した、というあやかしの噂が山中に広がったのは、それからそう遠くない先の話だ。

 因みに、その狐の母が報告を受けた時に悲鳴を上げたのは、ここだけの話。