先輩の気配が無くなった玄関に俺は立っていた。

初めて見た先輩の泣き顔。

俺の腕を握ってくれた細長い手。

静かに流した涙。

そしていつもより綺麗に感じた歌声。

全てがフラッシュバックする。

ここには居ない先輩に向かって俺は心の中で何度も謝った。

ごめんなさい。

泣かせてごめんなさい。

傷つけてごめんなさい。

夢を壊してごめんなさい。

届かないのはわかっていても、俺は謝る。

どれくらい過ぎただろうか。

また玄関先に気配を感じた。

俺は反射的に顔を上げると同時に扉が開く。



「なっ、びっくりするだろ。なに?お出迎え?キモいよ」



学ラン姿で嫌味を言ってくる弟が帰宅した。

未だにブカブカしている学ランは中2の弟が小学校卒業したてに見える。

身長が低いのがコンプレックスの弟。

家に上がると退いてと言葉にせず手を俺に向けて突き飛ばした。

当然俺の方が力があるので倒れることはないし、動くこともない。

嫌いな弟に突き飛ばされても俺はしばらく動くことが出来なかった。



ーーーーーー



次の日の学校の登校中。

いつも通りにイヤホンを付けて歩く。

しかし音楽は流れていなかった。

それじゃあ何のためのイヤホンなんだよと思うけど、最初は音楽を聴こうとしていた。

でも音楽を流そうとした瞬間に昨日の先輩の泣き顔が脳内に映る。

スマホをタップする手が止まってしまった。

イヤホンを外す気にもなれず、俺はただ足を進める。

今日は校門前に来ても先輩の姿は見つけられなかった。




教室に入ると1番に悟の席を見る。

今日は甲子園の予選会。

居ないのは当然だ。

ということは俺はボッチになる。

いつも悟と2人行動だから悟が居なければ1人だ。

多少話すクラスの人もいるけれど一緒に行動をしたことはない。

ボッチ確定だった。

俺は自分の席に座ってスマホを見る。

音楽アプリは既に閉じた。

なにもやる事がなくただホーム画面をスライドするだけ。

俺はふと、メッセージアプリが気になり開く。

昨日先輩に自分の連絡先を教えた。

先輩が登録してくれれば俺のアプリにも通知が届くはずなのだが……届いていない。

気分が落ち込んで出来ないか、連絡先を捨てられたか。

俺が思うにはたぶん先輩なら前者だと思う。

その後も何度更新したって先輩のアカウントは出て来なかった。



ーーーーーー



昼休みのチャイムが鳴ると俺は真っ先に教室を出る。

片手にはお弁当。

いつものように校舎の1階に向かった。

昨日までならこの瞬間が楽しみという感情で溢れていたのに、今日はそんな感情はない。

ただ、どうしようという迷いの感情だった。

1階の階段を降りて、保健室の目の前に来る。

しかし俺はそれを通り過ぎて職員室へと足を運ぶ。

保健の先生に会うために。



「失礼します」

「ん?九音どうした?」



職員室の扉を開けるとすぐ側に印刷機がある。

その前に立っているのは担任の先生。

手に持っているのは学級だよりだ。

きっと今印刷したばかりの出来立てほやほやだろう。

俺は担任の先生に保健の先生の居場所を尋ねる。



「紗凪先生は保健室じゃないのか?」

「いつもこの時間は職員室に行っているので…」

「それなら少し待ってろ。それでも来なかったら保健室に行けばいい」

「はい。ありがとうございます」

「お!九音!」

「田所先生」



職員室前で待っていようと扉に手をかけると後ろから田所先生の声が聞こえた。

今日はスーツではなくジャージ姿の先生。

音楽の先生ではなく体育の先生のようだった。



「時間あるか?聞きたい事があって」

「田所先生、九音は紗凪先生に用事があるようで」

「あっでも職員室前で待ってようと思ったので大丈夫ですよ」

「それならあっちのスペースで話さないか?そこなら椅子もあるし、紗凪先生が来た時にはすぐわかるよ」

「はい。わかりました」

「それじゃあ九音借りますね」



田所先生は担任の先生に挨拶をし、俺を連れて椅子とテーブルのあるスペースに連れて行く。

ここは保護者が来た時や、お客様が来た時に通される場所らしい。

これは悟情報だ。

と言っても大事なお客様は校長室だから、そこまで綺麗にはされてなかった。



「すまない。書類が散乱してるな…」

「大丈夫ですよ。座れますので」

「ああ。邪魔だったら退けてくれ」

「それで話ってなんですか?」

「この前の続きだよ。話したくないのであればそう言ってくれて構わない。九音が悩んでいたのって藍子さんのことか?」



田所先生は首を傾げながら俺に聞く。

俺は小さく頷きながらも話す。



「悩んでいたっていうか。今も悩んでいます」