「俺も、先輩とお喋りしたいです」



その瞬間優しい風が吹く。

気のせいかもしれないけど、私には確かに感じられた。

軽くなる心。

弾む心臓。

滲む涙。

ついには目から涙が溢れ出した。



「せ、先輩?すみません!大丈夫ですか…?」

「ごめ、ん」



拭っても拭っても絶え間なく湧き出る。

九音ヒロくんは慌てて私にハンカチを差し出してくれた。

ちゃんとハンカチ持っているんだなって頭の中では冷静だったけど、体はどうにも冷静になれない。

有り難くハンカチを貸してもらい私は目に当てた。  



「どこか座ります?なにか飲み物買ってきましょうか?」

「だい、じょう、ぶ」


背中を優しく摩ってくれる九音ヒロくん。

呼吸も段々と落ち着いてきた。

私は目にハンカチを当てた状態で話し始める。



「もう、人がダメになると思った…」

「先輩…」

「でも、今、九音くんに話せてる…」

「はい。ちゃんと話せてます」

「沢山の人に迷惑かけてる、から」

「そんなことないです!俺には迷惑かかってません!」

「九音くん…」

「先輩は迷惑かける人じゃないです。その逆です。誰かを元気づけて救ってます」

「そんなことない。だって、」

「俺がその例えです!先輩の存在に救われてます!」



九音ヒロくんは私の前に来て肩に両手を乗せてそう言った。

それでも私は納得できない。

私が人を嫌ったから家族には迷惑かけた。

保健の紗凪先生も仕事や他の生徒のことで忙しいのに私のために時間を取ってくれてる。

担任の先生だって時間を割いて私の元へ来てくれた。

私は迷惑ばかりかけている。

全部、始まりは私の人嫌いだ。

首を横に振って否定する私に九音ヒロくんは頑固に説得する。



「俺は先輩とお喋りしたくてここ最近、凄く楽しかったんです。だってどうすれば楽しんでもらえるかとか、話題は何がいいのかとか…。考えている時はアイドルを見るよりも楽しかった」

「でも私は1回断ったし…」

「それでも…。いや、嘘は言いません。少し傷ついたところもあります。けれど先輩は俺と話したいって言ってくれた。もう数時間前のことは吹っ飛んでます」

「なんで、そんな…」

「鈴木先輩と仲良くなりたいからです」



言い終わったと同時に私の肩に置いていた両手が離れる。

するとお辞儀しながら九音ヒロくんは手を伸ばして私に差し出した。



「先輩!俺と友達になってください!」



まるで告白シーンだった。

小説やアニメでよく見る光景。

言葉と行動が合っていないけど、私はその言葉が嬉しかった。

私はハンカチを目から離してそっと差し出される手を握る。



「私も、九音くんの友達になりたい…です」



少し汗ばんだ手のひら。

どちらの熱さかわからない。

頭を上げた九音ヒロくんは嬉しそうな顔をして手を握ってくれた。

まるで欲しかったものが手に入った子供のように。

私も自然と笑顔になって九音ヒロくんを見る。

…眩しい。

それでも見たい。



「九音くん。ありがとう」

「ヒロで良いです。鈴木先輩、こちらこそありがとうございます」

「ふふっ。ヒロくん。それなら私も名前で呼んで良いよ。藍子って」

「え!?いや、流石に先輩呼び捨ては…」

「別に友達だからいいのに」

「んー、でも、今は藍子先輩で許してください」

「許してって…。でもわかった。これからよろしくね。ヒロくん」

「はい。藍子先輩」



私は今、どれだけ大きな1歩を踏み出したのだろう。

たった一言を言っただけでここまで進めるとは思わなかった。

私はまだ握られている手を見つめる。

熱さは私とヒロくん、2人の体温が合わさってまた上昇する。



「ヒロくんって手が大きいね。あと凄く指が綺麗」

「あっ!ごめんなさい!手を握っちゃって!」



パッと手と手は自分の元へ戻る。

顔を真っ赤にしているヒロくんを見てなんだか可愛いと心の中で思う。

まるで小さい弟を見ているようだ。



「家族以外で手を握ったの久しぶりかも。小学生の低学年が最後かな?」

「嫌でしたよね。勝手に手を握るなんて」

「大丈夫。握ったのは私からだから」

「あっ、そうか。いやでも…」

「本当に譲らないよね」



私は未だに譲らない精神を貫き通しているヒロくんに対して笑ってしまう。

でも嫌な頑固さではない。

相手の無くなった手の熱は段々と落ち着いてくるけど、ヒロくんの手の感触はまだ残っていた。

木曜日の午後15時。

誰も通らないカラオケ店の前では私達の笑い声が響き渡っていた。