意気揚々と草葉の後について別の教室にやって来た。
 誰もいないがらんとした部屋の中央にひとつだけ机と椅子が置かれている教室に、ミトは嫌な予感がした。
「星奈さん、ここがあなたが授業を受ける教室です」
 嫌な予感が的中してミトは顔を引きつらせる。
「あの……他の生徒は?」
「特別科の高校一年の生徒は星奈さんだけです。星奈さんは学校で授業を受けた経験がありませんし、教師とのマンツーマンは星奈さんにとってもちょうどよかったですね」
 ミトの気も知らない草葉は、好都合とばかりな表情で、教室のど真ん中にポツンと置かれた机を、黒板の見えやすい前の方に移動させる。
「さて、とりあえず時間割をお渡ししますね。今日の一限目は僕が担当する国語です」
 そう言って、草葉はがっくりとしているミトに用紙を渡した。
 正直ミトは授業どころではなかったが、肩を落としてただひとつの椅子に座った。
「授業を受ける時は、教科書とノートと筆記用具を机の上に置いておいて、他の余計なものは出さないようにしてくださいね」
 学校が初めてのミトに、当たり前すぎて普通では教えないようなことも草葉は一から丁寧に教えてくれる。
「先生が黒板に書いたものは、できるだけノートに書き写してください。学校では定期的に試験を行い、上位五十名の名前を張り出すことになっていますので、星奈さんも名前が載るように頑張ってくださいね」
「はい……」
「星奈さんは素直な方で先生は嬉しいですよ。他の特別科の生徒ときたら……」
 草葉はそれはもう深いため息をついた。
「星奈さんはひとりでの授業で本当によかったですね」
 草葉には悪いが、どこにもよかったと思える要素がないように思う。
 きゃっきゃと楽しくおしゃべりしたり、分からない問題を教え合ったりする。ミトの理想の学校生活がガラガラと崩れ去っていく。
 ひとりではおしゃべりも、勉強の教え合いっこもできないではないか。
 友人だってできるはずがない。なんてったってひとりなのだから。
 何故自分は特別科の生徒なのだろうか。
「先生、今から普通科に編入できませんか?」
「それは無理ですね。花印を持った特別な子を他の生徒と一緒にしてなにか問題が起きたら大変です。しかも、星奈さんは紫紺様の伴侶に選ばれているので、教師陣にもあなたの扱いには特に気をつけるように上から通達されています」
 なんてことのないように告げられた内容は、簡単に言えばミトを特別扱いしろと言っているようなものだ。
「えっ」
「驚くことではありませんよ。それだけこの龍花の町では龍神を中心に物事が動くんです。日下部君から聞いていませんか?」
「そうですね、何度も言われてます」
 それはもう耳にタコができるのではないというほどに。
 けれど外から来たミトには足りないぐらいなのだろう。
 草葉から言われても、まだ本当の意味では理解しきれずにいるのだから。
「私が波琉の伴侶に選ばれたことは学校の皆が知っているんですか?」
「いえ、今のところは教師だけでしょう。生徒にわざわざ伝えるものでもありませんし、花印を持った子の中には隠したがる子もいるんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ。目をつけられたくないという理由でね」
 なんだ、その不穏な理由は。
 聞きたいけど聞きたくないという、なんとも複雑な顔をしたミトを前に、草葉は眼鏡を指で押しあげる。
「まあ、紫紺様の伴侶であるあなたなら問題はないと思いますけど、生徒に知られていない現状では気をつけてくださいね」
「気をつけるってなにを?」
「まあ、学校にいれば嫌でも耳に入ってきますよ。じゃあ、授業を始めましょうか」
「ええー」
 そんな言い方をしたら余計に気になって仕方がない。
 草葉もそこまで言ったのなら、責任をもって最後まで教えてほしい。
 しかし、いくらミトが問いかけても、「授業に関係のない質問には答えません」と教えてくれなかった。
 そして一限目が終わり、休み時間を挟んで入ってきた教師は、ミトを見るなり怯えたようにビクビクしていた。
 もちろん初対面の相手である。
 そして次の時間に表れた教師も同じく、言葉遣いひとつにしても、どこか気を遣っているのを感じられる。
 その上、ミトと視線を合わせないようにしているのだ。目が合おうものならあからさまに背けられるのだから地味に傷つくではないか。
 そんな怯えられる理由が分からなかったが、草葉の言っていた、ミトの扱いに気をつけるように教師に通達されたという言葉を思い出し納得がいく。
 ミト自身にはなんの力もない……いや、動物と会話できるという能力はあるが、それ以外で教師になにかをできる立場も力もないのに、紫紺の王の伴侶というだけでここまで怖がられるとは。
(波琉だって怖い人じゃないのに……)
 と、そこまで考えて、波琉が怒って村の家々に雷を落として潰したことを思い出した。
(うん、ちょっとは怖いかも。ちょっとだけだけど)
 しかし、波琉を基本的に温厚な人だと思っているミトは、そこまで怖がられるのが少々腑に落ちない。
 波琉から怖がられるほどのことをされたならまだしも、まだなにもしていないのに、理不尽さを感じる。
 そして四時限目に表れた教師には、怯えられるのではなく媚びられた。
 小学生レベルの内容を解いて、天才だ!と言わんばかりに褒め称えるのである。
 清々しいほどの忖度に、ミトはあきれしかない。
 まだ草葉を含めて四人の教師にしか会っていなかったが、他の教師も同じようにミトに過剰な対応をしてくるのかとげんなりとしてくる。
 そう考えると、草葉はまともな教師だった。
 紫紺の王の伴侶に選ばれたミトにも普通に接するのだから、きっと他の生徒にも分け隔てなく接しているのだろうと思われる。
 草葉は特別科の担任であることを迷惑そうにしていたが、草葉の人柄による人選だったのかもしれない。
 少なくとも、草葉以外の授業を受けた教師ならば、生徒を怖がったり媚びたりで生徒に舐められるどころではないのではないだろうか。
 媚び媚びの教師の授業を聞きながら、心ここにあらずなら状態のミトに、四時限目の終了を告げるチャイムが鳴る。
 やっとかと、小さく息をついたミトから逃げるように教師はさっさと出ていってしまった。
 残されたミトは途方に暮れる。
「これからどうしたらいいんだろ」
 とりあえずその場で待っていると、草葉が教室の扉を開けて顔を覗かせた。
「やっぱりここにいたままでしたか。昼休みなので、食堂に行ってお昼ご飯食べてください。チャイムが鳴る前にこの教室に戻ってくださいね」
「はい……。あっ、でもお金持ってきてないです」
 学校に行けることを喜ぶばかりで昼食のことをすっかり忘れてしまっていたので、お弁当も持参していない。
「身分証は持っていますか?」
「はい」
 蒼真から屋敷の外に出る時は、学校でもプライベートでも関係なく身分証を持っておくようにとうるさいほどに言われていた。
「町で買い物をしたことはありますか?」
「はい。スーパーで」
「その時と一緒です。身分証を出せば金色のカードを持つ花印を持った子は無料で食堂を利用できますので、好きに使ってください」
「なるほど」
 学校でまで効力を発揮するとは、身分証はこの龍花の町においてとてつもなく大事なもののようだ。
 村長の命令で国への戸籍登録がなされなかったミトだが、龍花の町では必要ないと言われた。
 その代わりがこの身分証なのだ。
 ミトがミトであることを証明してくれる必需品で、龍花の町に住んでいる者は全員所持しているらしい。
 身分証がないと不便なことも多いと聞くが、食堂でも必要とするのだから、本当になくすと危険である。
 まあ、金色のカードは希少ゆえにすぐに足がつくので、誰かに盗まれても悪用されることはまずないだろうとのこと。
「早くしないと人気のメニューが売り切れになってしまいますから行きましょうか。食堂まで案内しますよ」
「あ、ありがとうございます!」
 元気よくお礼を口にして、草葉に食堂まで案内してもらう。
「ここです」
 食堂内にはすでに多くの生徒が集まっていた。
 草葉は食堂には入らずにミトを送り届けるときびすを返す。
「先生は食堂を利用しないんですか?」
「ええ。僕には愛妻弁当がありますからね。いつも職員室で食べてますよ。だからなにかあれば職員室に来てください」
 愛妻弁当と言う口元が緩んでいるのを見るに、草葉家の夫婦仲はとても良好なようだ。
「ありがとうございます」
 再度お礼を言ってから、ミトは食堂に入っていく。
 食堂の一番奥にカウンターがあり、そこに生徒が並んでいるので、周りに倣ってミトも最後尾に並んだ。
 食堂に入って右側にも人だかりができていて不思議に思ったが、どうやらそちらではパンを売っているようだ。
 列をかき分けて出てきた人が手にパンやサンドイッチを持っていたので確かだろう。
 今日はとりあえずカウンターの列に並ぶ。
 メニューは色々とそろっているようで、なににしようかと写真の載ったメニュー表を見ながらなにやらウキウキしてくる。
 初めて多くの生徒の中に埋没したことで、自分が学校にいるのだとひどく実感した。
 そして自分の番がやって来る。
「A定食お願いします」
「はいよ」
 他の生徒がそうしていたようにお盆を持つと、その上にエプロンを身につけた中年のおばさんが料理の乗ったお皿を置いていってくれる。
 メインのおかずに味噌汁とご飯の入った茶碗がそろう。
 ミトは自分の身分証でもある金色のカードを出して、小さな四角い機械に押し当てると、ピピッと音がした。
 他の生徒も同じようにしていたので、支払いの仕方はこれで間違っていないはずだ。
 すると、おばさんがひどく驚いた顔をしていた。
「あんた新入りの特別科の子かい?」
「はい、そうですけど……。支払い方間違ってました?」
「いやいや、合ってるよ。なるほどねぇ。その年まで外で暮らしてると、普通の子と同じようにまともに育つんだねぇ」
 しみじみとしたようなおばさんの言葉は、ミトには意味不明だ。
「いや、こっちの話さ。冷めないうちにおあがり」
「はい。ありがとうございます」
「特別科の子にお礼を言われたのなんて初めてだよ。こりゃ今日はいい日になるね」
 おばさんは豪快に笑って、次の生徒の注文を聞いていた。
 ミトはよく分からないまま空いた席を探すが、その間周囲からジロジロ見られているのを感じる。
 決して気のせいではない。確実にミトを見ている。
 こっそり見ている者もいれば、遠慮なく視線を向ける者と様々だ。
 ホームルームでも感じたような不躾な視線にあんまりいい気分にはならなく、周りに誰も座っている人のいなかったテーブルに座る。
 誰に声をかけられるわけでもないなに、よくよく耳を澄ませてみると……。
「あの子が転校生?」
「あの歳で見つかるなんてまともじゃないよね」
「どこの派閥に入るんだろ?」
「派閥のことなんて全然知らねぇんじゃないか?」
 などと、声を抑えているがバッチリ聞こえている。
 しかし、『派閥』とはいったいなんのことだ?と首をひねっていると、ミトの隣の席誰かが座った。
 目を丸くして隣を見ると、栗色の髪をしたショートカットの女の子だった。
「ここ座っていい? って、もう座っちゃってるけど」
 ニコニコと微笑む彼女に、ミトは警戒心よりも驚きの方が先立ち、「どうぞ」と了承してしまった。
「私は如月雫。特別科の高校二年よ。朝ホームルームの時にいたんだけど、覚えてないわよね?」
「ごめんなさい」
 ミトの記憶にはまったくなかった。
「いいのよ。人数が少ないとはいえ、あんな短時間で覚えきれるものじゃないもの、気にしないで。私のことは雫って呼んでくれていいからね。その代わり私もミトって呼んでいい?」
「あっ、はい……」
 予想外に気さくな雫にミトは思うように言葉が出ないほど戸惑っていた。
 しかし、動揺してる場合ではない。これは友人を作るチャンスではないのかと活を入れる己が存在していた。
「ミ、ミミミミミトです! 仲良くしてください!!」
 少々ボリュームの大きすぎた声に、雫は一瞬目を丸くしたが、次の瞬間には声をあげて笑った。
「あはははっ、ミミミミミトって。どもりすぎ」
 ミトは恥ずかしさで顔を赤くする。
「まあ、でも仕方ないわよね。転校初日だもん」
「すみません……」
「ほら、敬語は禁止。仲良くしましょう」
 差し出してきた雫の右手を、ミトは逃がすまいとするように両手で握った。
 これは千載一遇のチャンスである。
 友達百人などと我儘は言わない。せめて学校を楽しいと思える友人が欲しい。
 ミトの想いは切実だった。
「授業がひとりだったからこのまま友達もできずに時間が過ぎちゃうと思ってて。だから声をかけてくれて嬉しい」
 はにかむミトを見る雫は渋い顔をしていた。
「あー、ホームルームの時よね。基本的に皆自分のことが第一だから。授業がひとりなのは仕方ないわよ。見て分かったと思うけど、これだけ広い食堂にあふれるほど生徒がいるのに、特別科の子は本当に少ないから」
 特別科の人数の少なさは蒼真からも聞いていたが、予想以上だった。
「うん。中高合わせてひとクラスにも満たない人数とは思わなかった。しかも高等部の一年生が私だけなんて……」
 今後も変わることがないだろうひとりぼっちの授業に心が折れそうだ。教師は教師で怖がられているし、仲良くなんてできそうもない。
「皆興味なさそうにしてるけど、実際は興味津々よ。特に普通科の子たちはね。今もすごい見られてるでしょ?」
「うん」
 先ほどから痛いほどに視線を感じている。
「転校してくる子は時々いるから珍しくないんだけど、特別科に転校してくる子なんていないからね。だって大抵赤ちゃんの頃にこの町に連れてこられてくるから、十六歳までどうやって外で過ごしてきたのか聞きたくてならないのよ」
「雫も気になるの?」
「そりゃあね。でもそれ以上に気になってるのは、どの派閥に入るつもりなのかってことよ。ありすさんに聞いてこいって言われたから話しかけたってわけ」
 肩をすくめる雫からは、ミトには理解できない言葉がいくつも出てきた。
「派閥? ありすさん?」
 すると、ミトの問いかけを邪魔するように甲高い声が食堂内に響いた。