学校に続々と制服を着た生徒が歩いて通学している中、時々車が学校の玄関前に横着けしている。
一台二台ではないので、ちょっとした列になっていた。
ミトの乗る車も順番待ちの列に並んでいるので、まだ車から出られていない。
車からは制服を着た子たちが出てくるので、同じ生徒なのだろう。
「徒歩で通学してる子と車で通学してる子といるんですね」
「あー、車通学してるのは全員特別科の奴だ」
「そうなんですか?」
「お前だって現に今、車で来てんだろうが」
言われてみれば確かにそうだとミトは納得する。
「花印を持ってる奴は特別待遇って言っただろ。町から援助金が与えられるのと一緒で、使用人つきの豪邸を与えられるのが普通だ。運転手つきの車もな。だからほぼ車通学だ。特別待遇が許される立場だから学校もなにも言わねえ……というか、言えねぇんだな。正直、教師より立場的なものは上だから、文句を言える奴がいねぇのが問題っちゃあ問題か」
「蒼真さんたちが私にいろいろしてくれてたのは、波琉のお屋敷にいるからってだけじゃなかったんだ」
波琉の屋敷に住んでいると、上げ膳据え膳はもちろん、掃除洗濯から家事の一切をしてくれる使用人が数名、屋敷に住み込みで働いている。
買い物に行く時とて移動は車。運転手も常駐している。
それは龍神で紫紺の王である波琉の屋敷だからそれだけの厚遇なのだと思っていたが、花印を持っているとそもそもがあたりまえの待遇だったようだ。
「やりすぎな気がするのは、私が外から来たからかなぁ?」
ひとり言のようにつぶやく。
やりすぎの中にはミト自身への対応も含まれていた。
自分はそんな特別扱いをされるような人間ではない。ただの波琉のおまけでしかないのに、この町の人々はそれはもうミトに優しいのだ。
知らず知らずのうちにミトの眉間にはしわが寄っていた。
「だな。まあ、俺も神薙になって花印を持ってる奴の待遇を詳しく知る立場になった時には、伴侶にも選ばれてない奴にここまでやらなくてもいいんじゃね?って思ったが、よく考えてみろ。花印を持ってる奴は龍神の迎えが来るかもしれないんだ。そんな人間をこれまで大事にしてましたと言った方が神には好印象だろう?」
「確かに」
「だからこれはあくまで必要な措置なんだよ。花印を持ってる奴のためじゃない。来るかもしれない龍神のため、ひいては龍花の町のためにな。お前を特別に扱うのも、お前のためってより自分たちの生活のためだ。だから気にせず大手を振って受け入れればいい」
必要なことと言われても、ミトにはまだピンときていない。
これまで不遇な対応をされてきたせいか、丁寧に扱われるとすごく申し訳ないような気持ちになる。
蒼真はそんな気持ちになっているミトの心情に気づいていたから、罪悪感を持たないような言い方をしてくれているのだろうか。
真相は分からないが、案外人を見ている蒼真はすべてを理解した上で言葉をかけてくれているように感じた。
少し待てば、ミトたちが乗る車の順番が来たので、玄関前で降ろしてもらう。
降りたのはミトだけで、蒼真は車の中に残ったまま。
本当に学校まで送ってくれるだけだったようだ。
せめて職員室まで来てくれるものと思っていたのにと、不満そうに蒼真を見ていれば、後ろから声がかかる。
「星奈ミトさんですね?」
振り向いたミトの前に立っていたのは、ひょろりとした体格のなんとも気が弱そうな丸眼鏡の若い男性。
ミトは見覚えのない人物に疑問符を浮かべつつ返事をする。
「はい、そうです」
「はじめまして。あなたの担任の草葉です」
担任と聞いてミトは慌てて頭を下げる。
「星奈ミトです! よろしくお願いします!」
「…………」
返事のない沈黙が落ちたので、そらりと頭をあげると、草葉は驚いたように目を丸くしていた。
「あの、なにか変なことしちゃいましたか?」
登校初日。初めての学校で、初めて先生と対面する前で、なにか失態でも犯してしまったのだろうかと、ミトは不安顔になっていく。
「いえ、こんなにも腰の低い花印の方にお会いしたことがなかったもので、少し驚いてしまいました。しかし、あなたはこれまで外で生活してこられたのですから当然かもしれませんね。こちらこそよろしくお願いします」
丁寧にお辞儀をした草葉は、満面とは言えない小さな笑みを作った。
「ほんじゃあ、任せたぞ、草葉。そいつなんも知らねえから、適当にいろいろ教えてやってくれ」
車の中から蒼真は草葉にそう言って、だるそうに手を振る。
「……相変わらず日下部君は大雑把ですねぇ。そんな調子で本当に紫紺様の神薙をやれているのか疑問です」
草葉はわずかにあきれたような声色で、ズレかけた眼鏡を指で押しあげる。
「うっせえよ。じゃあ、ミト、俺は帰る。授業が終わったら迎えに来るから、またこの玄関で待ってろよ」
それだけ言うと、蒼真を乗せた車は窓を閉めて走り去っていった。
「神薙になっても日下部君は変わりませんねー」
その言葉は、古くからの知り合いのように聞こえた。
「先生は蒼真さんと知り合いなんですか?」
「腐れ縁ですね。小中高とずっと同じクラスだったんですよ」
「ということは、先生は神薙科の生徒だったんですか?」
「ええ。しかし、日下部君のように試験に受かることができず、神薙をあきらめて、今はこうして教師をやっています」
神薙の試験に落ちたという人物に初めて会ったミトが聞きたかったこと。
「神薙の試験ってそんなに難しいんですか?」
「ええ。それはもう。必要とされる知識は多岐にわたり、神薙科で散々勉強の日々を過ごしましたが、それでもなぜか遊びほうけている日下部君の成績を上回ることができませんでしたよ。教科書を開いているところすら見たことがないあんな不真面目な人が、毎回学年一位を取ってたものですから、カンニングしているんじゃないかと騒ぎにまで発展しましてね。疑惑の本人は、それを言い出した生徒をおちょくって煽るものだから、それまで彼に不満を抱いていた子たちと拳で語り合い始めまして、神薙科の教室はカオスと化しました」
どこか遠い目をしながら「懐かしいですねぇ。私にも椅子が飛んできたんですよー」と口にする草葉からは、あまりいい思い出のようには感じられなかった。
「彼のおかげで大抵のことには動じなくなったので、今では問題ばかりの特別科の担任を押しつけられてしまいました」
草葉からはなにやら哀愁が漂っている。
蒼真の学校時代の光景が目に浮かぶようだ。
きっと彼が起こした問題はそれだけではないはずだ。ミトは確信を持った。
ミトはなんと声をかけたらいいものか悩んでいると、先に草葉が動いた。
「では、教室に案内しますね。ついてきてください」
「は、はい!」
学校の校舎は、小学部と、中高の学年とで校舎が分かれているらしい。
十六歳になるミトは小学校にも行ったことがないので、もしや小学部から始まるのかと心配になったが、どうやら年相応に高校生として入学できるようだ。
担任となる草葉にはある程度ミトの生い立ちが伝えられているようで、学校に通った過去がないことも知っていた。
「星奈さんには数日前にいくつかの教科の試験をしてもらったと思いますが、覚えていますか?」
「はい」
学校入学の手続きが終わったと言い渡された少し前に、蒼真から実力テストだと国語、数学、化学、英語、社会とういう基礎となる教科の問題を解かされた。
きっちり時間まで計って行われたテストは、ミト的には上々の結果を出せただろうと自負していた。
「小学校にも通ったことのないあなたの学力がどれほどあるかの確認のためにしてもらったんですよ。結果は中学卒業レベルの知識はお持ちということで高等部の入学が認められました。そうでなかったら、小さな子たちと交じって足し算からすることになってましたよ」
「よ、よかった……」
小さな子に囲まれて勉強なんて居たたまれなくてしかたない。
村で最低限の勉強をしていて助かった。
村長は勉強することすら気に食わないようだったが、両親が粘って最低限の勉強ができるように取り計らってくれたのが今に生きている。
両親には帰ったら改めてお礼を言わなければならないかもしれない。
問題なく年相応の学力がついたのは間違いなく両親のおかげなのだから。
「学校内のことを簡単に説明させていただきますが、花印を持った子が集まる特別科は他の科に比べると圧倒的に人数が少ないです。そのため、中高の特別科がひとつの教室で集まって、ホームルームなどを行っています。しかし学ぶ内容は学年により違いますので、体育など合同で行う授業もありますが、ほとんどの授業は分かれて行います」
「そんなに特別科の生徒は少ないんですか?」
「そうですね。まあ、見ていただいた方が一番分かりやすいでしょう」
草葉は特別科と書かれた教室の前で立ち止まり、すーはーすーはーと深呼吸をしたかと思うと、気合を入れるようにぐっと拳を握ってから、教室の扉を開いた。
その様子をきょとんとしながら見ていたミトは、草葉の後ろについて教室に入った。
ざわざわと騒がしかった教室は、草葉が入ってきても静かになる気配はなく、草葉が必死に「静かに! 静かに!」と叫んでいるが、誰も聞いていない。
これは完全に生徒から舐められているなと、ミトは困惑したまま立ち尽くすしかない。
草葉は場を沈めるのを早々にあきらめたところを見るに、きっと日常茶飯事なのだろう。
草葉はため息をつくと、ミトを呼んだ。
「星奈さん。こちらに来てください」
教室の入り口で戸惑っているミトが、呼ばれて草葉の立つ教卓の横に立つと、それまで騒がしかった教室が一気に静まりかえった。
そして一心に向けられる生徒たちの視線にミトはたじろぐ。
「今日から特別科の仲間になりました星奈ミトさんです。皆さん仲良くしてあげてください」
生徒は皆、検分するようにじろじろと不躾な眼差しをミトにぶつけていた。
ミトは負けじと声を張る。
「星奈ミトです。よろしくお願いします!」
簡単な自己紹介を終えて、パチパチと拍手するのは草葉だけである。
あまり歓迎はされていないのだろうか。
特別科の生徒は中高の学部が合同だと聞いたが、教室の半分も埋まらないほどの人数しかいない。
それだけ花印を持って生まれる人間というのは少ないのだと実感させられる。
中学部と高等部とではブレザーの色が違っているのですぐに見分けがついた。
高等部はミトが着ているのと同じ紺色だが、中学部はえんじ色をしている。
だいたい割合としては半々ぐらいだろうか。
いや、若干中学部の方が多いようだ。
花印を持つ者に女性と決まったわけではない。
なので、教室内にいる生徒にも複数の男の子が含まれていた。教室内の生徒を見た限りでの判断になってしまうが、特に男女どちらが多いとかあるわけではないようだ。
実際の花印の男女比率はどうなのだろうか……。
今度蒼真に聞いてみてもいいな。などと余計なことを考えている間にホームルームは終わってしまった。
そして各自が授業を受けるために教室を出ていく。
オロオロするミトの肩を草葉が叩いた。
「中高合同のこの教室では主に授業の最初と終わりのホームルームの時ぐらいしか使わないんですよ。皆各学年の授業を受ける教室に移動するんです」
「そういうことですか」
あっという間に誰もいなくなってしまった教室で、ミトはちゃんと友人ができるだろうかと心配になってきた。
なにせ誰ひとりとしてミトに話しかけてきてはくれなかったのだから。
こういう時、転校生というものは質問攻めに遭うものではないのか。
もう少し興味を持ってくれてもいいのではないかと苦言を呈したくなるほどに、ミトを避けるように行ってしまった。
「では、星奈さんも授業を受ける教室に移動しましょうか」
「はい!」
一緒に授業を受けていたら他の子と話をする機会も巡ってくるはず。
その過程で仲良くなれたら儲けものだ。
ミトは気を表情を明るくして草葉の後について移動した。