そして、登校初日。
緊張で心臓が張り裂けそうになっているミトを、波琉と両親が見送ってくれる。
「気をつけてね、ミト」
「第一印象は挨拶が大事だぞ」
「うん。ありがと、お母さん、お父さん。たぶん大丈夫。今にも口から心臓飛び出しそうだけど……」
「それ全然大丈夫じゃないだろ」
ミト以上にオロオロとする昌宏を押しのけて、志乃がミトの背をさすってくれる。
「深呼吸よ、ミト」
言われるままに深呼吸をしてみたが、効果はあんまり出ていない。
「あー!」
突然大きな声をあげた昌宏にびくりとするミトと志乃。
「どうしたの、あなた?」
「カメラを忘れた! 記念すべき初登校を写真に収めないと。すぐ取ってくるから待っててくれ!」
バタバタと慌ただしく走ってどこかへ行ってしまった昌宏を、志乃はやれやれとこめかみを押さえる。
「まったく……」
気を取り直して、志乃はミトの両肩に手を置いてポンポンと軽く叩いた。
「制服がよく似合ってるわ。忘れ物はない?」
「うん、大丈夫」
「この町の学校は普通の学校とは少し違っているらしいから、困ったことがあったらすぐに周りに相談するのよ?」
「うん。今日は蒼真さんが一緒に行ってくれるらしいからたぶん大丈夫」
その言葉からは蒼真への信頼度が透けて見えたが、蒼真に信頼を寄せているのは志乃も同じようで、「蒼真さんが一緒なら大丈夫ね」と、安心した顔に変わった。
続いてミトは波琉を見つめる。
どことなく寂しそうにしているのはミトの気のせいではないだろう。
「学校が終わったらすぐに帰ってくるからね」
「本当は行かせたくないないけど、ミトのやる気を削ぎたくはないからね。でも早く帰ってきてね」
駄々っ子のように抱きしめて、ミトの存在を確かめるようにグリグリと頬ずりをする。
なかなか離してくれない波琉に、志乃に目を向ければ苦笑していた。
「波琉君のことは私たちに任せてちょうだい。私たちがいるから大丈夫……と言いたいところだけど、私と昌宏も明日から昼間は家にいなくなるからどうしようかしら」
龍花の町での生活の仕方を蒼真より教えてもらった両親は、蒼真に仕事の斡旋をしてもらい、明日から新たな仕事を始めることになったのだ。
昌宏は運送会社での配達。志乃は飲食店の接客。
村で搾取されていた時のようなこともなく、給料も大幅にあがって、文句のつけようがない職場だそうだ。
そもそも龍神の伴侶に選ばれた花印の者とその家族には、神の伴侶としてつつがなく生活を送れるようにと、毎月援助金という名目のお金が振り込まれることになっていた。
それはミト自身に払われるものとはまた別で、ミトと家族に支払われる援助金を合わせれば十分に生活ができるだけの金額だった。
なので、昌宏も志乃も働かずとも生活ができるのだ。
しかし、元来働き者のふたりは、健康な体でいるのだから援助金に頼ることをよしとせず、ちゃんと働いたお金で生活しようと話し合いが行われた。
援助金は万が一の時のために貯金に回すこととなった。
そこには、ミトの未来への心配が根底にある。
龍神に伴侶として選ばれているために多くの優遇がされているが、波琉が最後の時までミトを伴侶として望み続けてくれるとは限らない。
伴侶として望まれたにもかかわらず、相性が合わなくて途中で捨てられる花印の者も中にはいるという話を、蒼真から聞かされていた。
波琉の溺愛っぷりを見ていると可能性は低く感じるが、もしもの覚悟はしておいた方がいいという。
それは決して意地悪で言ったのではなく、蒼真なりの優しさだった。
龍神に依存しすぎるのはよくないと、忠告してくれているのだ。
よくも悪くも、龍神は人とは違う価値観の中で生きている別の存在だからと。
真摯に受け止めた両親は、万が一ミトと波琉が別れた時のために、お金はあった方がミトのためになるだろうと考えたようだ。
波琉には内情は知らせていない。
ミトだけがこっそりと教えてもらった、両親の愛情。
ミトは波琉と離れるのは嫌だと思いつつも、絶対ではないと言い聞かせるしかなかった。
できうることならずっと、この先も、おばあちゃんになっても、彼のそばにいたい……。
寂しげに見つめるミトになにを思ったのか、波琉は頬を優しく撫でる。
「そんなに心配しなくても子供じゃないんだから留守番できるよ。尚之もいるしね」
「うん……」
ミトはもう一度ぎゅっと波琉に抱きついてから離れた。
廊下の向こうから昌宏が急ぐように走ってくる。
「カメラ見つけたぞー」
カメラを蒼真に渡して、ミトを真ん中に波琉と両親とともに写真を撮ってもらう。
そして、やや心配そうな両親に手を振ってミトは車に乗り込んだ。
学校までは毎日車で送迎してくれるらしい。
蒼真が付き添ってくれるのは、初日の今日だけ。
明日からはミトひとりで登校しなければならず、今日よりむしろ明日からの方が緊張してしまうかもしれない。
「着くまでに学校の説明しとくぞ。ちゃんと聞いてろよ」
「はい」
おもむろに蒼真による講義が始まった。
「この龍花の町にはだいたい二万人ぐらいの人間が生活している。けれど、全員が全員花印を持ってる奴の関係者じゃないぞ」
ミトはうなづく。
「花印を持ってる奴と身内はほんのひと握りで、花印とはまったく関わりもない、龍花の町を運営していくために必要とする人間とその家族がほとんどだ」
「そんなに割合としては花印の人は少ないんですか?」
「割合としたら九割以上無関係な人間だ。花印を持ってる奴はそれだけ少ない。その中で学生となればもっと少ないのは説明しなくても予想できるだろ?」
「はい」
「龍花の町で学校はひとつだけだ。小中高一貫教育で、ここには花印を持ってる奴だけじゃなくて、町で働いている人間の家族も同じように通ってる。けれど、龍神のためにあるこの町において、花印を持ってる奴は特別扱いだ。町と一緒で学校内も花印を持つガキを中心に回ってると思っとけ」
ミトは蒼真の説明を頭の中に叩き込もうと、必死に耳を傾けている。
「学校では大きく分けて、花印を持ってる特別科と神薙を目指してる奴がいる神薙科、それ以外の普通科という風に分かれてる。九割が普通科の連中だ」
すると、ミトが「はい!」と挙手する。
「友達はたくさんできますか?」
「それはあきらめろ」
ミトにとっては残酷な宣告がされ、顔を大きく歪める。
「ええー、どうしてですか?」
「さっきも言ったが、花印を持ってる奴はこの町では特別待遇だ。そして、生まれて間もない頃からこの町で暮らしてる奴らは、それを当然と享受していて、選民意識がとんでもなく強い。しかもその中でさらにランク付けをしてやがるからとんでもなく厄介なんだよ」
「ランク付け?」
首をかしげるミトに、蒼真は困ったように頭を掻く。
「それは学校に行けば嫌でも分かるだろう。そのために、お前にはやることがある」
そう言うと、蒼真は一枚の紙をミトに渡した。
紙には学年とクラス、そして誰の者か分からない名前がずらっと書かれていた。
「なんですか、これ?」
「この町の学校はちょっと特殊でな。花印を持ってる奴は、神薙科の生徒から世話係を指名できる決まりになってる」
「世話係って……いります?」
普通に学校に通うだけだというのに、どこに世話をされる必要性があるのか分からない。
「それがいるんだよ。なんせ物心着く前から、特別な子だとちやほやされて育ってきたガキどもだ。世話係という名のお目付役をつけとかないとどこでどんな面倒を起こすか分からんからな」
「悪いことをしたら先生が叱ったらいいのに」
「そうもいかないんだよ。仮にだ、そいつを教育のために叱ったとして、恨みを買ってみろ。のちにそいつが神に選ばれでもして、神の不興を買うことになるだろう? そんなこと誰がしたがる?」
「なるほど。そう考えると確かに怖いですね」
間違いを正したことを怒るような理不尽さを、龍神が持っているとは思いたくはないが、人間にとって龍神とは未知の存在。
なにが龍神の勘気にふれるかわからないので、怖いという気持ちは理解できた。
「……蒼真さんも世話係してたんですか? 今神薙をしてるんですから、蒼真さんも神薙科だったんですよね?」
すると蒼真は得意げにふっと口角をあげた。
「俺はやってない。小学部には神薙科がないから、世話係をつけるシステムは中学部からなんだが、俺は中学部の時には神薙の試験に受かって、十五で紫紺様の神薙に任命されたからな。紫紺様の専属神薙を、龍神の伴侶にも選ばれていない奴が指名できるはずがないだろ。けれど、それでも世話係になってくれって奴が列をなしてたな」
ドヤ顔でふふんと胸を張り、「俺は天才だからな」と偉そうなことを言っているが、確か蒼真は神薙の試験に十回落ちたと聞いている。
尚之との初対面の紹介の後もなにかとネタにされ、「日下部家の長男たる者が……」うんたらかんたらと嘆かれていたので間違いない。
それで天才と言い切っていいものなのか、神薙の内情を知らないミトには分からないことなので下手にツッコめない。
だが、たとえ十回落ちたとしても、十五歳で試験が難しいとされる神薙になれたのなら、尚之が言うほど落ちこぼれじゃないのではないだろうか。
詳しく聞きたい気もするが、話が長くなりそうな予感がしている。
蒼真も今その話をする気はないようで、早々に打ち切った。
「まあ、その話は今度じっくりとしてやるから、問題はお前の世話係だ。町に来たばかりのお前に誰がいいかなんて分かるはずがないからな。紫紺様の伴侶に仕える者として不足のない奴をこちらでピックアップしておいてやったから、世話係を選ぶならその中から選んでくれ。逆を言うと、そこに名前がない奴は駄目だ。それなら世話係をつけない方がましだから絶対に選ぶなよ」
紙には十名ほどの名前が記載されていた。
「上から順番に優秀な奴だからな。上から声をかけてけ」
「優秀な人ならすでに声がかかってるんじゃないですか?」
「まあ、確かにそうだが、神薙科の生徒にも拒否権はあるんだよ。相手が嫌なら受けなくてもいい。それに神薙科の生徒より特別科の生徒の方が圧倒的に少ないから、余ってる神薙科の生徒は多いんだよ」
「じゃあ、私も拒否されるかもしれないんですね」
「その点は心配しなくてもいいんじゃないか? すでに紫紺様の伴侶に選ばれてるお前からの希望を拒否る肝っ玉の強い生徒はいないだろうからな」
くくくっと、悪い顔をして笑う蒼真は、どこから見ても堅気の人間ではない。
「そうそう、言い忘れてた。リストの一番最後に名前が載ってる奴がいるだろう?」
「はい。成宮千歳……女の子ですか?」
「女じゃない男だ。本人気にしてるから、本人の前で名前のこと言ってやるなよ」
「知り合いですか?」
蒼真からは彼への親しさのようなものが感じられた。
「知り合いっちゃあ知り合いだが、あんま知らん」
「いや、それどっちですか」
ミトの素早いツッコミも横に流し、蒼真は渋面を作る。
「そいつはいろいろとクセが強いから、ほんとに誰にも相手にされなかった時の最後の手段にしとけ」
「どんな人か知らないけど、蒼真さんには言われたくないと思いますよ?」
蒼真なんてクセの塊のような人間なのだから。
「おい!」
これには蒼真も黙っておらず、ミトの頭をチョップする。
けれど、全然痛くないのはミトが紫紺の王の伴侶だからだろう。
ちゃんと波琉の機嫌を損ねないように手加減がされている。
そうこうしていると、車は学校へ到着した。