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 波琉は学校からほど近いビルの屋上にいた。
 屋上からはミトのいる教室がよく見える。
 それは龍神の優れた五感があってこそで、普通の人間に教室の中の様子までうかがうことはできないだろう。
 波琉の手には先ほどミトが窓の外で見た梟が捕まっていた。
 梟は逃げだそうとバタバタと暴れているが、強く握りしめている波琉の手から逃れることはできずにいる。
「僕のミトを狙うなんて命知らずだね」
 怒りをあふれさせたひどく冷淡な声で梟を掴む手の力を強める。
「僕に偽物の花印を散々送って寄越したのは君かな?」
 波琉は冷たい目をした笑みを浮かべ問い詰めると、梟はとうとうあらがうことをやめて静かになった。
『百年の恨みは忘れはしない』
 梟は波琉に向けて強い力をぶつけてきたが、それを軽くいなして、逆に梟の攻撃を上回る神気をぶつけた。
 すると、梟は煙のように消えてしまったのである。
 静寂に包まれる中、波琉はそこから見える教室へと視線を向ける。
 どうやらミトは元気な様子で動いており、波琉はほっとする。
「さて、どうしようかな……」
 波琉のつぶやきは、近くにいた蒼真にだけ聞こえていた。

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 気を失ったままの皐月は、千歳が呼んだ本部の神薙によって連れていかれた。
 しばらく呆然としていたありすだが、気分が悪くなったと保健室へ草葉がつき添っていった。
 残った生徒は燦々たる有様になった教室を掃除し、ほぼ元の状態に戻した。
 ほぼというのは、割れた花瓶や折れた椅子はどうしようもなかったからだ。
 まさか椅子が折れるとはと、壊れた椅子を見た全員が顔色を悪くする。
 先ほどの騒ぎは夢ではないのだと、その椅子が証明していた。
 ようやく落ち着きを取り戻した頃、別の騒ぎが起こる。
 なにやら怒鳴り声が聞こえて、今度は何事だと特別科の生徒が玄関ホールへ見に行くと、ミトは知らない龍神と思われる人が大声で騒いでいた。
「あれは我儘女その二の相手。位は紫紺様や久遠様に比べたらそれほど高くない」
 ミトの知らない情報を千歳がこっそり教えてくれる。
「へぇ」
 誰だかを知ることはできたが、なにをしに来たのかは、本人が叫ぶ言葉で察しがついた。
「皐月という女を出せ!」
「落ち着いてください」
「これが落ち着けるか! その女が私のありすを襲ったそうではないか。久遠様に捨てられ、気でも触れたのか? とりあえずその女を引き渡せ! 私直々に罰をくれてやるわ!」
 ありすが襲われたことを聞きつけてやって来たようだ。
 どうやら龍神との仲は良好らしい。
 しかし、それで教師たちを困らせるのは問題である。
 そもそも皐月はとっくに神薙本部に連れていかれてしまったのだから、引き渡せと言われても教師たちも困るだろうに。
 教師たちが必死で落ち着かせようと苦慮している時、「騒がしいよ」と、たったひと言で場を支配してしまう声が響いた。
 ゆったりとした様子で現れた波琉は、ありすの龍神に目を向ける。
「気持ちは分かるけど、彼らを困らせるのはよくないね」
「しかし、紫紺様っ!」
 波琉はありすの龍神の耳元でなにやら囁いた。
 ありすの龍神はなにかに驚き、目を大きくしている。
「それは本当ですか?」
「うん。だから今は引いてくれるね?」
 柔らかな声色で問う波琉に対して、ありすの龍神は深く頭を下げて「承知いたしました」と言って学校を去っていった。
 あからさまにほっとした表情をする教師たちは、波琉に平身低頭で何度も感謝を伝えている。
 軽く手をあげて挨拶してから、波琉はミトに向けて歩いてくる。
「ミト、怖かったでしょう?」
 まるですべて見ていたかのように話す波琉は、ミトを抱きしめてポンポンと背を軽く叩く。
「波琉」
 正直言うと怖かった。しかし……。
「大丈夫。千歳君が助けてくれたから」
 ミトは「ねっ」と、千歳に向かって笑いかけると、波琉も千歳をそこで初めて認識する。
「へぇ、君がミトの言ってた千歳君か。これからも“世話係”としてミトをよろしくね」
「は、はい。“世話係”として頑張ります」
 なにやら千歳は頬を引きつらせていたが、ミトにはふたりの間で行われた牽制を察するのは難しかった。
 その日はもう授業どころではないと、そのまま波琉とともに屋敷に帰ることになった。
 車の中で、ミトは波琉に問うた。
「皐月さんがどうして急にあんな風になったのか、波琉はなにか知ってるの?」
「……彼女は操られてただけだよ。龍神にね」
「えっ! 波琉と同じ龍神が!?」
「いや、同じではないよ。龍神は龍神でも、堕ち神となった龍神だ」
「堕ち神?」
 ミトはきょとんとした表情で首をかしげる。
「龍神でありながら天帝より天界から追放され神でなくなってしまった憐れな元龍神をそう呼ぶんだよ。とっくに消滅してしまったと思っていたけど、まだ存在を保っていたようだ」
 波琉は強い意思の籠もった眼差しを走る車の外に向ける。
 波琉の真剣な表情は、なにかとても理解しがたい大きなことが動き出しているように感じて不安になった。
 ミトの心配そうな顔に気づいた波琉は、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「そんな心配することでもないよ」
 一転してけろりとした表情になった波琉に、ミトはついていけなかった。
「大変なことが怒ろうとしてるんじゃないの? 元龍神だなんて……」
「あはは、ごめんね。無駄に不安にさせちゃったかな。全然たいしたことないよ。天帝から神の資格を取られちゃった半端者だからね。王である僕の敵じゃないから」
「そうなの?」
 それを聞いてようやくミトもほっとした。
「そうそう。それに、強かったとしても、僕がいる限りミトに手出しなんてさせないよ。だって、ミトは僕と一緒に天界に行くんだから。僕が守るよ」
「うん、行こう。約束ね」
「約束」
 なにがあってもこの絆が切れてしまわないように。
 どんなことが待ち受けていても一緒に乗り越えていけるように。
 ふたりの指は絡まった。