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 ミトが学校にいる頃、波琉の屋敷には久遠が訪れていた。
 久遠は波琉の前に座るや、深く頭を下げた。
「私の選んだ伴侶が、ミト様に無礼なことをいたし、まことに申し訳ございません」
 波琉は片肘をついて頬を乗せる。
 久遠を見る目はひどく冷ややかだ。
 ミトの前では絶対に見せない、冷たい王の顔。
 温厚な波琉には滅多にお目にかかれない表情に、久遠にも冷や汗が浮かぶ。
「ちゃんと注意したの?」
「はい。しかし、皐月は長くこの町で大切に扱われすぎていたようです」
「ならそこは君が抑えるべきではなかったのかな?」
「……おっしゃる通りです」
 久遠は落ち込んだ様子で視線を下に向ける。
「私は……天界に帰ろうかと思います」
「伴侶の子はどうするの?」
「縁がなかったようです」
 久遠はひどく残念そうに続ける。
「皐月は、昔は明るく誰にでも分け隔てない純粋な少女でした。そんな彼女を好ましく感じていたのですが、どうやら多くの権力を手に入れ彼女は変わってしまったようです。最近では傲慢さが目立つようになりました。……今の彼女と永遠をともにする気にはなりません」
「そう。つまり、ひとりで戻るんだね?」
 久遠は苦悩した表情で静かに頷いた。
「紫紺様もお気をつけください。我らにとっては瞬きのような時間も、人間にとっては人となりが変わってしまうほどに長き時間です。紫紺様のお相手もそうならぬようお気をつけください」
「心配は不要だよ。僕にとってはどんなミトもミトであることに変わりはない。傲慢になったミトもさぞかわいらしいだろうね」
 くつくつと、波琉は楽しげに笑いながら言ってのけた。
 その目には愛おしさだけではない、激しい執着を目に宿している。
 自分の感情を揺さぶる唯一の存在。
 ミトの姿を思い浮かべるだけで、どうしようもない愛おしさが波琉を襲う。
「僕にたくさんの感情を与えてくれるのはミトだけだ。どんなミトだろうとね」
 変わってしまうならそれでもいい。
 ミトが自分のそばにいてくれるかが大事なことなのだから。
 波琉にある重い独占欲と執着心を感じ取った久遠は、やや寂しげに微笑んだ。
「私にはあなた様ほどの深い愛情を、皐月には見つけられなかったようです」
「ねらばその程度の縁ということだろうね」
 久遠は「ですね」と苦笑した。
「彼女の横暴でこれ以上周囲に迷惑をかけぬためにも、私は素早く去った方がいいでしょう」
「君が悩んだ上でそう決めたのなら僕はなにも言わないよ。僕にしてもミトを傷付けるあの娘には思うところがあったし、君から捨てられたなら大人しなるだろうからね。人間の言葉を借りるとざまあみろってところかな」
 こんな性格の悪さをミトが知ったら嫌われてしまうかなと思いつつ、波琉はうるさいハエがミトに絡まなくなるならそれでいいと考えた。
 常に波琉がここらを動かすのはミトにかんする物事だけなのだ。
「あっ、そうそう。君なら百年前に金赤に追放された星奈の一族を知っているかな?」
「百年前? いえ、金赤様からはなにもお聞きしておりませんが」
「なんだ。そっか……」
 波琉は少し残念そうにする。
「じゃあ、天界に帰ったら金赤に一度龍花の町に来るように頼んでよ。彼の口から、正確な星奈の一族の情報を知りたいんだ。百年前になにがあったか」
「承知しました」
 深く頭を下げ了承した久遠は、それからすぐに天界へと帰っていった。