久遠に言いつけると皐月は吐き捨てていたものの、千歳が久遠からなにかされることもなく、学校で千歳と行動することが多くなったミトは、無事にぼっちを卒業した。
 ミトが紫紺の王の伴侶だと周知されるようになった後は、今さらのように神薙科の生徒が世話係になりたいと言い寄ってきたが、すでに神薙の資格を持つ千歳がいるから必要ないと断れば相手はぐうの音もでないようだった。
 つけられる世話係はひとりと決まっているので、新しい世話係をつけるためには今いる千歳をやめさせなければならない。
 数少ない味方になってくれた人をやめさせるはずがないではないか。
 なので、自分の利になると思って、さぞ慌ててやって来たのだろうが、今さら来てももう遅い。
 世話係がひとりと決まっているのは、人数制限をなくしてしまうと、皐月やありすのような発言力のある生徒に集中してしまうのを避けるためだという。
 確かに、どうせ世話をするなら力のある人につきたいと思うのはおかしくない考えだ。
 なんにせよ、並み居る希望者は、千歳の名前を出して撃退していた。
 すると、数日も経てば誰も寄りつかなくなった。
 これでのんびりと静かに昼食が取れると気を抜いていたある日、ミトに声をかけてきたのはもうひとつの派閥のトップである桐生ありすであった。
「こんにちは、星奈さん」
「こんにちは……」
 やや警戒してしまうのは仕方がない。
 こんな風にありすがミトに話しかけてきたのはこれが初めてなのだから。
 皐月は相変わらず紫紺の王の伴侶と分かりつつも、ミトに暴言を吐きまくっていたが、ありすはずっと傍観者をきどっていた。
 他の生徒が皐月に絡まれた時には助けに入るのに、ミトが皐月に絡まれていても見ているだけで手も口も出してこない。
 まあ、ありすがなにもしなくとも、頼れる世話係の千歳が毒を吐いて退散させてしまうので、必要ないとも言う。
 だとしても、これまで接触をしてこなかったのに、どんな用があるというのだろうか。
 ありすはにこりと微笑みながらミトの向かいの席に座る。
 千歳は『なに勝手に座ってんだ』と言いたげな眼差しだ。
 皐月のように毒を吐かないか心配である。
 千歳いわく、ありすは『我儘女その二』らしいから。
 どんな我儘があったかはミトが転校してくる前のことだから知らないが、なにかしらのいざこざがあったのは確かのようだ。
「これまでなかなかお話ができずにいましたね」
「そう、ですね……」
「あなたのおかげで皐月さんに虐められる方が減って、お礼を言いたいと思っていたんですよ」
 これは嫌みか?と勘ぐってしまう。
 生徒の被害が減ったのは、矛先がミトに向かうことが多くなったからである。
 ミト自らがなにかしたわけではない。
「そうですか……」
 ありすがなにを言いたいのか分からずにモヤモヤしていると、同じく耐えかねた千歳が喧嘩腰でにらみつけた。
「なあ、言いたいことあるなら早くしたら? こっちはあんたにかまってられるほど暇じゃないだけど」
 龍神の伴侶にたいしてなんと強気な発言。
 ヒヤヒヤもするが、よく言ったと褒めたくもある。
 ありすは一瞬眉をひそめたが、すぐににこやかな顔に戻り、ミトに向かって告げる。
「あなたが紫紺様に選ばれた方ということは私の龍神様から確認が取れました。ということは、あなたはこの学校……いえ、この町で誰も逆らえない地位にあるということです。そこで、あなたには皐月さんに対抗する派閥のトップに立っていただきたいのです」
「は?」
 まさに目が点になる。
「皐月さんの行動は目に余ります。これまでは私が抑えていましたが、やはりお相手の龍神様の位が違い上手くいっていません。けれど、あなたのお相手は紫紺の王。久遠様より格上のお方です。あなたなら皐月さんを止めることができます」
 まるで自分に酔うようにとうとうと語るありすに、ミトの眼差しが冷たくなる。
「あなたも皐月さんに散々なことをされて腹立たしく感じているでしょう? 私も彼女には苦渋を飲まされ続けてきました。今こそ反撃の時です」
 反撃の時だなどと言われてもミトの心には欠片も届かない。
 ようは、ミトの後ろに控える波琉の力をあてにしているだけだ。
「あなたになら派閥のトップの座を明け渡してもかまいません」
「いえ、そんなの必要ありません。お断りしますから」
「えっ?」
「私は波琉の威を借りるつもりはさらさらありませんから」
 ただの学校の勢力争いに、波琉な力はもったいなさすぎる。
「でも!」
「派閥を作るのは勝手ですけど、それは私の関わりのないところでやってください。正直、私には皐月さんもあなたも同類にしか思えませんから、手を貸す気はないです。以上!」
 バンッとテーブルに手のひらを叩きつけて立ちあがる。
「ごちそうさまでした! 行こう、千歳」
「了解」
 千歳はニッと口角をあげて同じく立つと、ミトと自分の食器が乗ったトレーを返却棚に戻して一緒に食堂を出た。
「ついてきてる?」
「いや、来てない」
 それを聞いてほっと息をつくミトは、げんなりとした。
「なにあれ? ねえ、なに?」
「さっき言ってた通り派閥に引き入れたいんでだよ」
「迷惑でしかないんだけど」
「だよねー」
 気持ちは千歳も同じようだ。
 これで千歳も派閥のトップに立つべきだなんて言い出していたら世話係をやめさせている。
「なんか面倒なことになったなぁ。また来と思う?」
「さあね。でも次は俺が撃退してやるよ」
「千歳君がイケメンすぎて、波琉がやきもち焼いて町を半壊させそう」
「なにそれ、めっちゃ怖いんだけど」
 千歳が頬を引きつらせるが、実際にその危機にあったとは口にしなかった。

 放課後、さあ帰ろうと千歳も教室まで迎えに来てくれていた時、ホームルーム終わりの草葉がミトを呼び止めた。
「星奈さん、少し校長室に行ってもらえますか?」
「校長室ですか?」
「校長が話をしたいそうなんですよ。どうせくだらない世間話でしょうけど、年寄りの長話にちょっと付き合ってあげてくれませんか?」
 校長がいったいなんの用事なのか。心当たりがないミトは、千歳に目を向ける。
「どうしよう?」
「行ってきたら? 校長なら危険なこともないだろうし。俺は校長室の外で待ってるから」
 お言葉な甘えて千歳には外で待ってもらうことにして、校長室の前まで案内してもらった。
 ノックをして中に入る。
 木目調のデスクの前に、黒い革のソファーが向かい合わせで置いてある。
「よく来てくれた」
 ミトを迎え入れた校長は、柔和な顔立ちでとても優しそうな人だった。寂しい頭のせいで年を取って見えるが、まだ定年は迎えていないところを考えると思ったより若いのかもしれない。
「草葉先生からお呼びだと聞いてきたんですが、私なにかしましたか?」
「いやいや、なにもしておらんよ。どんな子か少し話をしたかっただけなんだ。お茶菓子を用意してるからそこのソファーで話そうか」
「お菓子」
 お菓子と聞いて目を輝かせるミトは、迷わずソファーに座った。
 ナッツの入ったクッキーを食べてお茶を飲んでひと息ついたところで、校長が本題に入る。
「今日、正式に神薙本部から苦情が来たんだ」
 なぜ自分に話す?と疑問に思っているのが顔に出ているミトに、校長はミトに指をさした。
「君についてだよ」
「私?」
 こてんと首をかしげるミトには覚えがない。
「神薙本部からではあるが、紫紺様の名代とした日下部家からだ。学校での君の扱いに紫紺様が遺憾に思っていることを伝えてきた」
「あー」
 そこまで言われれば覚えがありすぎる。
 学校でのあれやこれやをミトは虐めと思っていないが、波琉は大層怒っていた。
 もちろん蒼真と尚之も。
 学校に警告をした方がいいとも言っていたので、実行に移したのだろう。
「紫紺様ににらまれたら、私なんぞ木っ端微塵にされてしまう。紫紺様が学校に来られたことで無視や陰口はなくなったようだが、他になにか学校内で問題はないかね? あるなら早めに言ってくれるとありがたい。きちんと学校側で対処させてもらう」
「問題というかなんというか……」
 言っても学校側に解決できるのか疑問だったが、ミトは食堂でありすに派閥のトップに立ってくれと勧誘されたことを話した。
 途端に校長から深いため息が出る。
 口から魂まで出てきそうである。
「美波さんと桐生さんの派閥の対立は私も頭を悩ませておってなぁ。なんとかならんかね?」
 と、逆に相談され返してしまった。
「いや、私に聞かれても」
 ミトの方がどうにかしてほしい側なのだから。
「そこをなんとか、いい案はないかね。ほんとにほんとにふたりには困っておるのだ。相手は龍神の伴侶だし、腹の中では小娘どもが大人を舐め腐ってと悪態をついていても、こちらが下手に出るしかない」
 そんなことを思っていたのかと、なにやら校長が不憫に感じてきた。
「まあ、あの日下部君に比べればマシなのだがな」
 またもやため息をつく校長。幸せが逃げていかないか心配である。
 それよりも日下部とは蒼真のことではないのか。
「あいつはほんとにもう、問題児の中の問題児で、何度奴に泣かされたことか……。今思い出しても泣ける……くぅ」
 目頭を押さえて上を向く校長は本当に今にも泣きそうにしている。
 いったい蒼真はなにをやらかしたのか。
 怖くて聞くに聞けない。
「……で、いいアイデアは思いついたかね?」
 まだあきらめていなかったのか……。
「そりゃあ、波琉に出てきてもらうのが一番早い解決方法でしょうけど、私は波琉をこんなくだらない問題に関わらせたくありません」
 残念そうにがっくりする校長には悪いが、嫌なものは嫌だ。
 ありすとは違い引き際のいい校長は「仕方がない、私たち教職員がなんとかするしかあるまい」と納得してくれた。
「変わりと言ってはなんだが……」
 校長は背後から巨大なハリセンを取り出してミトの前に差し出した。
「これで私の頭を殴ってはくれまいか」
「へっ?」
「紫紺様にハリセンで叩かれると毛が生えるという話は聞いたことはないかな?」
 ずいっと身を乗り出してくる校長に気圧されながら、そんなことを蒼真が言っていたなと思い出して、「あります」と肯定する。
「私も紫紺様に叩いていただこうと尚之殿に何度もお願いしたんだが梨のつぶてだ。そこで私は考えた! 花印からは神と同じ質の神気がまとっている。ならば紫紺様と花印を同じくする君に引っ叩いてもらえば毛が生えるのではないかと!」
 校長は興奮のあまり鼻の穴を膨らませて、ミトにハリセンを渡す。
「さあ、受け取ってくれ。そして私の頭を遠慮なく叩いて欲しい!」
「えっ、えっ」
 戸惑うミトに校長はたたみかける。
「さあ、さあ、さあ! 遠慮はいらない。力の限り叩いてくれたまえ!!」
「ひっ!」
 思いっきり顔を引きつらせるミトは、ずいずいと近付いてくる校長への恐怖のあまり、ハリセンを奪い取りスパーンと頭を力の限りぶっ叩いた。
「おほー! これが毛生えの痛み! 念のためもう一度頼む!」
 ミトは怯えつつもう一度叩くと、逃げるように校長室から逃げ出した。
 外で待っていた千歳は、恐怖におののくミトの顔に焦りを見せる。
「なんだ、なにかあったのか?」
「毛が……。ハリセンが……」
 うまく説明できないミトは、その日の夜ハリセンを持った校長に追い回される悪夢を見たのだった。
 そして後日、校長室にはまたもやミトの姿があった。
 あれからちょくちょく呼び出されるようになり、お茶菓子を食べながら校長の愚痴を聞くのが日課となってしまった。
 愚痴の終わりになると、どこからともなく校長がハリセンを取り出すのである。
 そして遠慮なくスパーンと一発お見舞いして、その日の日課が終了するのだった。
「むふふふ、これで私もいつかふさふさだ」
 まだ生えていない頭を優しく撫でながら鏡を見つめる様子は、はっきり言って気味が悪い。