そして昼休み、教室で待っていると、約束通り千歳が迎えに来た。
「食堂行こう」
「うん」
 隣について歩くがどうもなにか変な感じだ。
 慣れないというか、違和感というか。
 まあ、今日初めて会った人なのだから同然と言えば当然だ。
 ふたりで歩いて食堂に入ると、周囲から視線を感じる。
「あの噂本当だったんだ」
「美波さんも桐生さんも断った、あの成宮君が転校生選ぶなんて」
「神薙の資格を持ってる成宮君は引く手あまただったのにね」
 周囲から聞こえてきた声にミトの注意が向く。
「千歳君って神薙の資格持ってたの?」
「うん。去年取った」
「ということは十五歳で?」
「そう。日下部んとこの蒼真さんと一緒。まあ、俺は蒼真さんみたいに誰か龍神の神薙はしてないけど。蒼真さんはサラブレッドで俺は雑種だから仕方ないけど」
 意味が分からなかったミトは首をかしげる。
「日下部家は代々龍花の町で神薙として、多くの龍神に仕えてきたんだ。でも俺は別に身内に神薙がいるわけでもないから、龍神のように大事な方の神薙をするには経験も年齢も若すぎるから、いざという時責任が取られないってさせてもらえてない。蒼真さんはおじいさんが保護者としてついてたから可能だったって話」
「千歳君も龍神のお世話をしたいの?」
「んー、よく分かんない。したい気もするけど、ちょっと怖い。だから、紫紺様に選ばれたミトの世話係を言い出すのはちょっと悩んだ」
 ミトは目を丸くする。
「千歳君は私が波琉のこと知ってたの? もしかして今朝登校する時見てた?」
「見てないけど、一応俺も神薙だから、情報は共有されてる」
「なるほど」
 確かに蒼真もそんなことを言っていた気がする。
 自分とは関わりがない皐月のことも知っていたし、同じ神薙なら千歳がミトを知っていてもおかしくない。
「神薙の資格持った生徒って学校内に他にいるの?」
「いない。俺だけ」
 それはかなりすごいことなのではないだろうか。
「千歳君って優秀なの?」
「んー、たぶん」
「たぶんって……」 
 大きなあくびをしながら空いた席を見つけると、ミトが座れるように椅子を引いてくれる。
「えっと、ありがとう」
「メニューなににする?」
「ラーメンにしようかな」
「分かった」
 そう言うと、ミトが止める前にさっさと注文を待つ列に並びに行ってしまった。
 追いかけようとも思ったが、席を取っておいてくれという意味かもしれないと、ミトは座り直す。
 少しして戻ってきた千歳は、当然のようにミトのラーメンも持ってきてくれた。
「ありがとうね」
「いいよ。これも世話係の仕事だから」
「そうなの?」
「うん。他の世話係は皆してるから気にしないで。ほらそっち見て」
 よくよく観察してみると、確かに特別科の子はテーブルで座っており、特別科ではない生徒が食事を持ってきたり飲み物を用意したりと甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
 それは男女変わらずだ。
「執事みたい」
 蒼真が執事の教育も受けると言っていたが、こういう時のためにあるのかもしれないなと考える。
「ねえ、千歳君はそんなに優秀なのにどうして私のお世話係になってくれたの? 私が波琉の伴侶だからかなとも思ったけど、その前に皐月さんや桐生さんからも申し出があったのに断ってるみたいだし。なにか他に理由があるの?」
 まだなにも知らない千歳のことをなにか知れるのではないかと、ミトは質問してみた。
「あんな我儘女たちは嫌だから」
 返ってきたのはなんとも歯に衣着せぬ発言。
「でもミトは、あの我儘女その一のせいで周りに無視されてても毅然としてた。それが格好よくて、仲良くしたくなった」
 千歳はまるで無邪気な子供のように笑った。
「我儘女その一に対して啖呵切ったのは見物だった。ナイスファイト」
 そう言って、ぐっと親指を立てたのである。
 もしや見られていたのかと、ミトは恥ずかしくなった。
 けれど、格好いいと言われて悪い気がするはずがない。
「私も千歳君と仲良くなれたらいいな」
「じゃあ、これからなればいいよ」
「うん。そうだね」
 互いにニコニコと笑っていると、ふと蒼真の言葉が頭をよぎる。
「蒼真さんが、千歳君はクセが強いとか言ってたけど、話してみると全然だね。どうしてそんなこと言ったんだろ」
「我儘女その一に要請された時に、自分が認めた奴以外には龍神だろうと仕えないって大衆の前で大見得切ったからだと思う」
「皐月さん相手にそんなこと言ったの? 度胸あるね」
 ミトには波琉という絶対的な盾があるが、ただの神薙である千歳には、守れる防具がないというのによく言えたものだ。
「ミトほどじゃないから」
 からかうように口角をあげる千歳をミトはじとっとにらむ。
「ブサイクな顔になるよ」
 千歳に鼻をつままれてミトは慌てて顔を後ろに背ける。
「波琉はかわいいって言ってくれるもん」
「紫紺様は目が悪いのか?」
「そんなことない!」
「だって……なあ?」 
 意地が悪そうに笑う千歳に、ミトの眉間に青筋が浮かんだ。
「千歳君!」
 肩を震わせた千歳は声を押し殺して笑う。
 この少しの間にずいぶんと打ち解けたような気がする。
 見た目に反して千歳はなんとも気安い性格をしていたのもあるだろう。
「あんまりからかってると、クロに言いつけてやる」
「クロ?」
「我が家に居着いてる黒猫」
「猫っ」
 なにが面白いのか笑いが止まらないようだ。
 もしや笑い上戸なのか。
 すると、嫌みな声で割って入る者がいた。
「あら、ずいぶんと楽しそうじゃない」
 ミトの前に立ったのは、皐月だった。
 相変わらず取り巻きを連れている。
「小娘が生意気にも神薙科で世話係を探しに行ったそうじゃない。全員に断られたらしいけどね」
 クスクスと示し合わせたように取り巻きたちが笑うが、その笑い声には力がなく、顔色もあまりよくない。
 ミトが龍神に選ばれた伴侶の上、皐月の龍神よりも位の高い紫紺の王だと知っているからだ。
 知ってなお、ミトに相対するとはかなりの愚か者だ。
 皐月も紫紺の王のことは他の生徒から聞いていたはずなのによくミトに突っかかってきたものである。
 なにかしようともミトは皐月のように波琉の名前を利用しようとは思わないが、話を聞いた波琉が勝手に動くことはあり得る。
 また嵐にならないといいなと、別の心配をしていると、皐月の矛先は千歳へと向いた。
「ねえ、成宮君。今からでも遅くないから私の世話係になりなさいよ。そんな女よりよっぽど言い思いができるわよ?」
「いらない」
「私は久遠様に選ばれた人間よ!」
「それで言うならミトは紫紺様に選ばれた貴い人ってことになるよ。それに、龍神を笠に着て好きかってする我儘女に誰が仕えたいと思うんだよ。俺はごめんだね」
 そう、千歳はぴしゃりと切って捨てた。
 思い通りにいかない千歳に、唇を引き結び怒りに震える皐月。
「どいつもこいつも私を馬鹿にして……っ。久遠様に言いつけてやるわ! 今度は警告なんかじゃない。本当に久遠様が動くことになるから覚悟しておくことね!」
 そう言うと背を向けて行ってしまった。
 なにをしに来たのかさっぱり分からない。
 ミトと千歳は顔を見合わせて苦笑する。
「千歳って怖いもの知らずね。皐月さんにあんな風に言って大丈夫なの? ほんとに久遠様が出てきたら大変なことになるのに」
「たぶん大丈夫。久遠様は温厚な方って、神薙では有名だから」
 それならいいのだが、万が一の時は波琉に助けを求めるしかない。
 波琉に頼りたくないと言っておいてずるいが、龍神には龍神に相手をしてもらわなくては、人間は神の前では脆く脆弱だから。
「龍神の位が自分のものと勘違いしている馬鹿が多いから困るよね」
 ありすも聞こえる位置にいるのに、平然と言ってのける千歳には頼もしさしかない。

 放課後、迎えに来た車まで千歳が案内してくれた。
 明日からは出迎えもするからと口角をあげる千歳は、面倒な仕事が増えたにもかかわらず楽しそうだった。
 理由は分からないが、世話係という役目を負担に思っていないならいい。
 屋敷に帰宅するや、波琉より先に蒼真に会いに行く。
 そしてリストの一番最後にあった千歳が世話係になってくれることになったと告げると、蒼真は大層驚いた。
「千歳君はすでに神薙の資格を持ってるんですね。そんなに優秀なのにリストの最後だったのはどうしてですか?」
「言っただろう。クセが強いって。誰でもやりたがる龍神に選ばれた伴侶からの要請を断るような奴だ。一筋縄じゃいかない奴なんだよ。だからミトが頼んでも絶対に断ると思ってリストの最後にとりあえず入れておいたんだ。それなのに、まあ、よくあいつを釣りあげたもんだ」
 わしゃわしゃとミトの頭を撫でる蒼真はどこか嬉しそう。
「あいつはちょっとどこか昔の俺に似て排他的なとこがあるからなぁ。仲良くしてやってくれや」
「はい」
 蒼真に言われなくとも仲良くする気満々だ。
 蒼真との話を終えると、早速波瑠にも世話係ができたことを伝えに行く。
「波琉~」
 どこか上機嫌で波琉の部屋を訪れると、いつもの優しいほわほわと温かくなるような笑みで迎えてくれる。
「ミト、おかえり」
「ただいま。聞いて、波琉。私にお世話ができたの。千歳っていう子でね、蒼真さんみたいに怒らせたら怖そうな男の子なんだけど、話しやすくていい人そうなの」
「男……なの?」
「うん。そうどけど?」
 すると、波琉から笑みが消える。
「どうして男なの? 同性で選ばなかったの?」
「確かに女の子もいたけど、千歳君以外の子には断られちゃったんだもん。でも、千歳君でよかった」
 千歳ならば対等に付き合っていけると思えた。
 機嫌のいいミトは、ふと波琉の表情が曇っているのに気づく。
「波琉、どうしたの?」
 波琉はそれにすぐには答えず、ミトをぎゅっと抱きしめた。
 様子のおかしな波琉に不安を感じたミトも抱きしめ返す。
「波琉?」
「ミトは、あんまりその子と仲良くしないでって言ったら怒る?」
「理由によるかな。仲良くしたら駄目なの?」
「駄目なわけではないよ。ただ……。これは僕の我儘かな。心配なんだよ」
 波琉は「はあ……」と、深く息を吐き、ミトを横抱きに抱き直す。
 そうすれば先ほどよりお互いの顔がよく見えた。
「ごめんね。ちょっと心配になっちゃっただけなんだ」
「どういうこと?」
 いったい波琉になにが起こったのかミトには理解できないでいた。
「うーん、あんまり言いたくないけど、簡単に言うとやきもち焼いちゃっただけなんだ」
「波琉が?」
 誰にとはわざわざ聞かずとも分かるだろう。千歳の話をしていたのだから。
「花印を持った子が絶対に龍神に選ばれるとは限らないって話したよね?」
「うん」
「それはね、人間の方だってそうだよ。もし龍神が気に入らなければ断ったっていいんだ。そこはお互いの気持ちが大事だからね」
「そうなんだ」
 ミトは少しびっくりした。
 誰も彼も龍神に選ばれるのはとても素晴らしいことだと言わんばかりの態度でいる上、龍神を崇めている。
 そんな龍神から伴侶に求められて断るという選択肢が人間側にもあるのだとは思わなかった。
 まあ、あったとしても、ミトが大好きな波琉からの求めに応じないはずがないのだが。
「それがどうかしたの?」
「花印を持った子には世話係がつけられるでしょう? それは成人してからも花印の子のそばで尽くすことが許されるんだ。それだけずっと一緒にいたら情が生まれてもおかしくないと思わないかい?」
「波琉は私が波琉じゃなくて千歳君を好きになるかもしれないって思ってるの?」
 わずかにミトの眼差しがきつくなる。
 浮気相手もいないのに浮気を疑われたら当然だ。
「別にね、神薙と恋に落ちるのが悪いわけじゃないよ。実際に迎えに来た龍神の求めを拒否して、天界に渡ることよりも神薙と人間の生を生きることを決めた花印の子もいるにはいるんだ」
「そうなんだ」
 それは初めて聞いた話だ。
「だからってわけじゃないけど……。もしミトがそんな風に神薙に恋をしたら、僕はこの町を半壊程度じゃ済ませられそうにない」
 何気に怖いことを言っている。
「ごめんね。ミトが心移りしないか心配だったんだよ」
 しょぼんとする波琉の様子に、ミトはなんとも言えない母性が刺激された。
 思わすかわいい……と思ってしまったのである。
「私には波琉が一番だから。千歳君と仲良くなりたいとは思うけどそこに恋とか愛とかはないから安心して」
 これで納得してくれるかは分からないが、ミトは精一杯の気持ちを伝えると、波琉はスリスリと頬を寄せてくる。
「そうだよね。ミトを信じるよ」
「うん」
 これで問題は解決。
 しかし、ミトには気になることができた。
「ねえ、波琉。神薙と恋に落ちる人もいるって言ってたけど、花印を持った子の恋愛事情とかどうなってるの?」
 学校でも、花印を持った生徒のほとんどが龍神の迎えが来ていない。
 伴侶に選ばれたのは皐月とありすのふたりだけ。
 その外の人たちは今後どうなるのだろうか。
「その辺りは蒼真の方がよく知ってると思うから今度詳しく聞いてみるといいよ。僕が知ってる限りだと、花印が現れて龍花の町に降りてきても、龍神がその相手を選ぶとは限らないってこと。気に入らなくて帰ってしまえば、もうその花印の子が龍神に選ばれることはないわけだ」
「うん」
「正直、まだ迎えに来ていない花印を持った者の方が立場は強い。今後迎えが来る可能性があるんだからね。けど、龍神から拒否されれば、花印を持っていてもただの人間と変わらない。龍神と縁を持つことは絶対にあり得ないんだからね。この町での立場は、まだ迎えが来ていない子よりかなり弱くなるんじゃないかな」
「龍神の伴侶になって、その後縁が切れることはあるの?」
「当然あるよ。人間同士でも離婚するように、やっぱり気が合わないってなるのは仕方のないことだからね。誰が悪いわけではないんだけど。まあ、基本的に人間は龍神に選ばれることを望んでいる方が圧倒的に多いから、さっき言った人間側から断られるってのは稀な例だよ」
 その稀な例ということは、その例になった龍神が存在するということだ。
 少しかわいそうな気がする。
「だから僕を稀な男にしないでね」
 波琉は茶目っ気たっぷりな笑顔でミトの頬にキスをした。