四章
翌日、いつの間にか屋敷に帰っていた波琉とともに学校へ行く車に乗る。
昨日の嵐が嘘のように、今朝は青い空が広がっている。
波琉の機嫌が直ったということなのだろうか。
蒼真と尚之がどこかほっとした顔をしていたのが印象に残った。
そして、村から移動してきたスズメの集団だが、その中で特に仲がよかったスズメには。他と区別をつけるために『チコ』と名付けた。
チコはそれはもう喜んでチュンチュン鳴きながら家の中を飛び回っていた。
猫のクロには絶対に襲わないように注意しておいたが、何気にあの二匹は気が合うようで仲良くしていた。
村でも一致団結して動いたりもしていたので信頼関係ができあがったいたのだろう。
庭で遊んでいたシロは、どこで雨宿りをしていたのか、どろんこになって帰ってきたので、お風呂に入れたりと大騒ぎだった。
両親はチコが村から追っかけてきたと聞いて、たいそうびっくりしていたが、ミトの友人なら大歓迎だと、昌宏がリビングにチコが乗れる枝を設置してくれた。
これからはチコも一緒に暮らすことになった。
他のスズメはというと、町のいろんなところに自分の住みやすい場所を探して散っていったようだ。
しかし、自分の呼びかけにはすぐに駆けつけてくれるから安心してくれと、チコは得意げに胸を張った。
今も車から窓の外を見ると、チコが車を追いかけて来ているのが見えた。
昨日のように虐められても助けに入れるように学校に着いてきてくれるらしい。
なんとも頼もしい護衛だなと、ミトはクスリと笑う。
「今日のミトはご機嫌だね」
「そりゃあ、チコが来てくれたし、なにより昨日のデートが楽しかったもの」
「だったら今日も行こうか?」
「嬉しい! 行きたい」
と、その時、助手席から「ゴホンゴホン」とわざとらしい咳払いが聞こえてきた。蒼真である。
なにか言いたげな視線にミトははっとする。
「あー、今日は駄目だ。ごめんね、波琉」
「なにかあるの?」
「神薙科の人からお世話係を見つけておくように言われてるの。休み時間に行ってみるけど、放課後までかかるかもしれないから」
「そうか、それなら仕方ないね」
ミトは残念そうに「デートが……」とつぶやく。
そんなミトを見て、波琉はよしよしと慰めるようにミトの頭を撫でた。
「また機会はあるよ。町は逃げないし、僕との時間は無限にあるからね」
そう、死してもなお、天界で共に生きていくのだから。
それに比べた一日ぐらい瞬きのような時間だろう。
そっとどちらからともなく手を握る。
そのまま車は学校へと到着すると、先に波琉が降りる。
その瞬間、周囲がざわめいたのが分かった。
和物の服を身にまとい、銀の髪と紫紺の瞳をした波琉は、ひと目で龍神と分かる。
人間とは発する空気が違うのだ。
容姿もまた人間とは一線を画する。
「龍神?」
「龍神だよ」
「えっ、なんで?」
疑問が周囲を支配する中、波琉がミトに手を差し出す。
その手を取って車を降りれば、ざわめきは一層大きくなる。
「えっ!」
「あの子、特別科の転校生……」
「なになに? どういうこと?」
周囲はミトが龍神とともに現れた状況が上手く理解できないようだった。
かまわず波琉はミトを抱きしめて、額にキスをする。
その親密さは、ひとつの答えを与える。
花印を持ったミトに、龍神が親しげに触れている。
しかも、ミトの頬を撫でる波琉の左手には、同じ花の赤い印が浮かんでいるのだ。
よほど鈍い者でなければ、ミトが龍神に選ばれた伴侶なのだと嫌でも理解する。
「行っておいで。帰ってくるのを屋敷で待っているからね」
「うん、行ってきます」
まるでミトしかいないかのように見つめる波琉は、もう一度額に口付けてから車の中へと戻っていった。
走り去る車を見送ってからミトは特別科の教室へと向かった。
周りは困惑しているのが手に取るように分かったが、そんなものミトには関係ない。
教室に入れば、昨日と変わらずの無視状態だったが、ミトの登校時の様子を見たいただろう他の生徒から話が伝わり、おそるおそるミトに近付いてくる女子生徒がいた。
「ね、ねえ、あなた龍神様から迎えが来てるの?」
問いかけに対しなんと答えようかと思ったが、最終的には至極簡潔な答えが口から出た。
「そうだけど?」
どこか突っぱねるような言い方になったのは仕方がない。
昨日までは腫れ物のように近付いてこなかったのだから。
だというのに、波琉という龍神がともにいただけでこの変わりよう。
他の生徒もミトの返答に顔色を青ざめさせている者もいる。
現在の学校内では、龍神の迎えがあったのは皐月とありすだけ。
そう、このふたりだけであり、このふたりをトップとして物事は動いていたのだ。
けれど、そこに現れた新たな龍神の伴侶。
力関係が一気に変わる可能性があった。
いや、実際に変わることだろう。
「おい! さっきの龍神様は紫紺の王らしいぞ!」
教室に飛び込んでくるや大きな声で叫んだおかげで、教室内にいる特別科の生徒全員に聞こえた。
幸いなのは皐月がまだ登校していないことかもしれない。
きっといたら騒ぎ立てるに違いないから。
しかし、ありすはすでに教室内におり、ミトがちらりと視線を向けると、驚いた表情をしているので、確実に紫紺の王の名を耳にしたようだ。
「それまじかよ?」
「先生らが話してるのたまたま聞いたからまじだよ」
「嘘……」
恐れおののくように視線がミトに集まる。
それまで皐月を恐れてミトを蔑ろにしてきた者たちは気が気でないだろう。
耐えかねたのか、早速生徒がわらわらと集まってきた。
「あ、あのさ、星奈さん。昨日のことは悪かったよ。俺たち皐月さんに言われたら逆らえないからさ」
「そ、そう、そうだよ。ごめんね。よかったら仲良くしてね」
「あっ、今日はお昼ご飯一緒に食べない? 私がいい席取っておくから」
「悪気があったわけじゃないのよ」
皆が皆声が震えていた。それほど紫紺の王は怖いということなのか。
ミトには波琉をそこまで怖がる感情がいまいち分からないが、今はそれより急に馴れ馴れしくしてくる生徒たちが気持ち悪くて仕方なかった。
昨日のことなど過去のように、手のひらを返してしゃべりかけてくる。
それほど簡単に態度を豹変させる彼らとどうして仲良くできようか。
龍神を相手にしているのだ。自衛だと言ってしまえば、確かに神がバックについていると思うと彼らの行動は間違ってはいないし、ミトも非難するつもりもない。
けれど、簡単にコロコロ態度が変わってしまう友人など、ミトは必要としていなかった。
なにを言われても、問われても、ミトは知らぬふりをし、ひと言も口を動かさなかった。
そうしている間に皐月がやって来て、取り巻きから話を聞くと鬼の形相でミトをにらみつけてきた。
しかし、その前に担任の草葉がやって来て早々にホームルームを終えると、「星奈さん行きますよ」と、ミトを連れだしてくれた。
「ありがとうございます」
「なにがです? あなたの一限目は国語だったのでついでに教室に行こうと思っただけです」
素っ気なく感じる言い方だが、気遣いが含まれていた。
よくよく思い返せば、この学校で態度が変わらないのは草葉だけだなと思った。
すべての教師に会ったわけではないが、草場が担任でよかったと心から感じる。
今のところ居心地の悪さしかない学校だが、草場といる間は学生らしい学校生活をしているように思えた。
「ありがとうございます」
「何度お礼を言ったとしても試験問題の横流しはしませんからね」
「普通そんなことお願いしませんよ」
「日下部君はしていましたよ。現在の校長がまだ一教師だった頃ですけどね。あれはもうほぼオヤジ狩りでした」
蒼真ならやりかねないとミトは頬を引きつらせた。
「泣きながらも試験問題を死守した校長は、この学校では数少ないガッツのある教師なので、今度愚痴でも聞いてやってください。心労が多くて最近ハゲを気にしているようですから、ストレス発散させてあげないといけませんしね」
「機会があったら……」
当たり障りのない返答をする。
まさか本当にその機会があるとは、この時のミトは思いもしなかった。
一限目が終わった休み時間。ミトは蒼真から与えられたミッションを行うべく、神薙科の教室を訪れていた。
神薙科は特別科よりは生徒が多いので、ちゃんと中学部と高等部とで分かれている。
ミトが蒼真から渡されたリストに載っていたのは、全員高等部の生徒だ。
一年から三年まで学年は様々だが、教室は隣同士なので回りやすい。
まずはリストの一番上に名前があった人物のいる三年生の教室から攻める。
「すみません、相沢さんいらっしゃいますか?」
道場破りをする気分で気合いを入れて、三年生の教室の扉から中に声をかける。
途端にミトに視線が集まるが、聞こえてくる声はあまりよろしくない。
「見ない顔ね」
「花印がある。あの子、皐月さんの言ってた子じゃない?」
「あー、皐月さんの不興を買った子か。なにしに来たんだ?」
「特別科の子が神薙科に来る理由って、あれじゃない?」
ミトが龍神とともに登校してきたという話は全校生徒に回ったかと思ったが、まだ一限目なので周知されるまではいっていないのかもしれない。
ミトに気を遣うことなくそんな声が聞こえてくる中、ひとりの男子生徒がミトに近付いてきた。
その顔は警戒心に満ちている。
「俺が相沢だけど、なんか用?」
「私のお世話係になってくれる人を探してるんです。それで相沢さんが優秀な方だと聞いたので、私の──」
「悪いけど、他を当たってくれるか? 俺には荷が重いから」
ひどく迷惑そうな顔で断られてしまった。
しかもミトの言葉を途中でぶった切ってである。せめて最後まで聞いてくれてもいいだろうに。
すると、彼を憐れむような声が教室内から聞こえてきた。
「そりゃそうだよね。皐月さんに目をつけられてる子なんて誰だって嫌でしょう」
「誰が世話係なんてやるんだよ」
「不良債権を受け取りたくないよなぁ」
なんとまあ、言いたい放題だ。
ミトが皐月から目をつけられた生徒としか思っていないからだろう。
どうやら紫紺の王だということは、まだ特別科の人間しか知らないらしい。
特別科の生徒もたまたま先生が話しているのを聞いたと言っていたから、波琉の話が回るまで時差がありそうだ。
「えっと、じゃあ、古谷さんと和泉さんは……」
教室内を見渡せば、それらしきふたりが立ちあがるが、返ってきたのは案の定というもの。
「勘弁してよ。あなたの世話係なんて冗談じゃないわ」
「俺もやだね」
三年生がこれで潰れてしまった。
しかし、まだ二年と一年が残っている。
ミトは隣の二年生の教室に向かうと、扉に張り紙がされていた。
そこには『世話係はお断り』と書かれている。
張り紙の前で言葉をなくして立ち尽くしているミトを、二年の生徒がクスクスと笑って見ていた。
ここまで嫌われるとはミトがなにをしたというのか。
皐月の影響力がそれだけ強いということなのだろうが、せめて話を聞いてから断ってほしい。
あきらめてさらに隣の一年生の教室へ。
張り紙はされていなかったが、歓迎されていないのは周囲の空気で分かった。
一年生生からも断られてしまったら世話係をつけることはあきらめるしかないだろう。
明日になれば紫紺の王のことが神薙科にも知れ渡るかもしれない。
けれど、波琉の存在を知ってからでは意味がない気がした。
今の学校中から嫌われているミトでも味方になってくれる人でなければ、ミトはその人を信頼できないと思ったのだ。
なので、その人となりを見極めるには、今の状況はある意味もってこいなのかもしれない。
だがしかし、一年生の中にもミトの世話係を買って出てくれる人物はいなかった。
がっくりと落ち込み、蒼真になんと報告しようかと言い訳を考えていると、ひとりの男子生徒が近付いてきた。
金髪に染めた明るい髪に、耳にはピアスをたくさんして、制服は着崩していた。
やんちゃそうな雰囲気で、少々目つきが悪く、正直あまり関わり合いになりたくないと感じてしまう男の子だ。
「なあ、あんた世話係探してんの?」
誰だろうかと不審に思いながらミトは頷く。
「そうです」
「俺、なってやってもいいよ」
「……えぇ!?」
一瞬言われている意味が分からなかったが、言葉を飲み込んだミトは大いに驚いた。
「本気で言ってます!?」
「ああ。それと同じ一年だから敬語はいいよ。で、どうする? 俺にしとく?」
「よろしくお願いします!」
ミトはこくこくと頷いて手を差し出した。
しかし、この男の子は誰なのだろうか。
自分から世話係を売り込みにくるということは神薙科の生徒なのだろうが。
「私、星奈ミトです!」
「俺は成宮千歳」
「えっ、成宮千歳!?」
ミトは慌てたリストを見た。
リストの一番最後に載る成宮千歳の文字。
彼は確か、蒼真が最後の手段にしとけと言っていた人物ではないか。
少々クセがあるということらしいが、他の神薙科の生徒には断られてしまったのだから今がその最後の手段の使いどころで間違いない。
「なんか問題ある?」
「まったくありません! あなたは私のお世話係になってもほんとにいいんですか?」
おずおずとうかがうように見ると、彼は
「別に。いいと思ったから声かけたんだけど。嫌なら無視してる」
「ありがとうございます」
「敬語。いらないってさっき言っただろ」
「あ……。えと、じゃあ、成宮君ありがとう」
しかし、まだ不満そうな顔をしている。
「千歳でいい。同い年だし。俺もミトって言うから。いいよね?」
一見仏頂面のように見えるが、彼なりに気を遣ってくれるのだろうと思えた。
「うん。よろしく、千歳君」
「こっちこそ」
お互いぎゅっと手を握り合ったその姿を見た神薙科の一年から三年の生徒がざわついていた。
「うそ、成宮が世話係を受け入れたぞ!」
「おい、まじかよ!」
「だって、皐月さんやありすさんからの申し出にも断ってた奴だぞ」
「なんであんな面倒そうな奴の世話係なんてするんだよ」
などと、騒然としている。
誰もが信じられなく驚愕した顔をしていた。
クセが強いとは聞いていたが、皐月やありすを断っていたとは思わなかった。
「皐月さんと桐生さん断ってたの?」
「うん」
「どうして私は受けてくれたの?」
「そんなことより、チャイム鳴ってる」
指を上に向け指摘する千歳の言葉で、チャイムが鳴っているのに気づく。
「あっ、授業。あの、またね」
慌てて自分の教室に移動するミトに、千歳が声をかけた。
「昼休みに迎えに行くから」
「う、うん」
戸惑いを見せながら返事をして教室へと戻った。
なんにせよ、世話係が見つかってほっとしたミトだった。
翌日、いつの間にか屋敷に帰っていた波琉とともに学校へ行く車に乗る。
昨日の嵐が嘘のように、今朝は青い空が広がっている。
波琉の機嫌が直ったということなのだろうか。
蒼真と尚之がどこかほっとした顔をしていたのが印象に残った。
そして、村から移動してきたスズメの集団だが、その中で特に仲がよかったスズメには。他と区別をつけるために『チコ』と名付けた。
チコはそれはもう喜んでチュンチュン鳴きながら家の中を飛び回っていた。
猫のクロには絶対に襲わないように注意しておいたが、何気にあの二匹は気が合うようで仲良くしていた。
村でも一致団結して動いたりもしていたので信頼関係ができあがったいたのだろう。
庭で遊んでいたシロは、どこで雨宿りをしていたのか、どろんこになって帰ってきたので、お風呂に入れたりと大騒ぎだった。
両親はチコが村から追っかけてきたと聞いて、たいそうびっくりしていたが、ミトの友人なら大歓迎だと、昌宏がリビングにチコが乗れる枝を設置してくれた。
これからはチコも一緒に暮らすことになった。
他のスズメはというと、町のいろんなところに自分の住みやすい場所を探して散っていったようだ。
しかし、自分の呼びかけにはすぐに駆けつけてくれるから安心してくれと、チコは得意げに胸を張った。
今も車から窓の外を見ると、チコが車を追いかけて来ているのが見えた。
昨日のように虐められても助けに入れるように学校に着いてきてくれるらしい。
なんとも頼もしい護衛だなと、ミトはクスリと笑う。
「今日のミトはご機嫌だね」
「そりゃあ、チコが来てくれたし、なにより昨日のデートが楽しかったもの」
「だったら今日も行こうか?」
「嬉しい! 行きたい」
と、その時、助手席から「ゴホンゴホン」とわざとらしい咳払いが聞こえてきた。蒼真である。
なにか言いたげな視線にミトははっとする。
「あー、今日は駄目だ。ごめんね、波琉」
「なにかあるの?」
「神薙科の人からお世話係を見つけておくように言われてるの。休み時間に行ってみるけど、放課後までかかるかもしれないから」
「そうか、それなら仕方ないね」
ミトは残念そうに「デートが……」とつぶやく。
そんなミトを見て、波琉はよしよしと慰めるようにミトの頭を撫でた。
「また機会はあるよ。町は逃げないし、僕との時間は無限にあるからね」
そう、死してもなお、天界で共に生きていくのだから。
それに比べた一日ぐらい瞬きのような時間だろう。
そっとどちらからともなく手を握る。
そのまま車は学校へと到着すると、先に波琉が降りる。
その瞬間、周囲がざわめいたのが分かった。
和物の服を身にまとい、銀の髪と紫紺の瞳をした波琉は、ひと目で龍神と分かる。
人間とは発する空気が違うのだ。
容姿もまた人間とは一線を画する。
「龍神?」
「龍神だよ」
「えっ、なんで?」
疑問が周囲を支配する中、波琉がミトに手を差し出す。
その手を取って車を降りれば、ざわめきは一層大きくなる。
「えっ!」
「あの子、特別科の転校生……」
「なになに? どういうこと?」
周囲はミトが龍神とともに現れた状況が上手く理解できないようだった。
かまわず波琉はミトを抱きしめて、額にキスをする。
その親密さは、ひとつの答えを与える。
花印を持ったミトに、龍神が親しげに触れている。
しかも、ミトの頬を撫でる波琉の左手には、同じ花の赤い印が浮かんでいるのだ。
よほど鈍い者でなければ、ミトが龍神に選ばれた伴侶なのだと嫌でも理解する。
「行っておいで。帰ってくるのを屋敷で待っているからね」
「うん、行ってきます」
まるでミトしかいないかのように見つめる波琉は、もう一度額に口付けてから車の中へと戻っていった。
走り去る車を見送ってからミトは特別科の教室へと向かった。
周りは困惑しているのが手に取るように分かったが、そんなものミトには関係ない。
教室に入れば、昨日と変わらずの無視状態だったが、ミトの登校時の様子を見たいただろう他の生徒から話が伝わり、おそるおそるミトに近付いてくる女子生徒がいた。
「ね、ねえ、あなた龍神様から迎えが来てるの?」
問いかけに対しなんと答えようかと思ったが、最終的には至極簡潔な答えが口から出た。
「そうだけど?」
どこか突っぱねるような言い方になったのは仕方がない。
昨日までは腫れ物のように近付いてこなかったのだから。
だというのに、波琉という龍神がともにいただけでこの変わりよう。
他の生徒もミトの返答に顔色を青ざめさせている者もいる。
現在の学校内では、龍神の迎えがあったのは皐月とありすだけ。
そう、このふたりだけであり、このふたりをトップとして物事は動いていたのだ。
けれど、そこに現れた新たな龍神の伴侶。
力関係が一気に変わる可能性があった。
いや、実際に変わることだろう。
「おい! さっきの龍神様は紫紺の王らしいぞ!」
教室に飛び込んでくるや大きな声で叫んだおかげで、教室内にいる特別科の生徒全員に聞こえた。
幸いなのは皐月がまだ登校していないことかもしれない。
きっといたら騒ぎ立てるに違いないから。
しかし、ありすはすでに教室内におり、ミトがちらりと視線を向けると、驚いた表情をしているので、確実に紫紺の王の名を耳にしたようだ。
「それまじかよ?」
「先生らが話してるのたまたま聞いたからまじだよ」
「嘘……」
恐れおののくように視線がミトに集まる。
それまで皐月を恐れてミトを蔑ろにしてきた者たちは気が気でないだろう。
耐えかねたのか、早速生徒がわらわらと集まってきた。
「あ、あのさ、星奈さん。昨日のことは悪かったよ。俺たち皐月さんに言われたら逆らえないからさ」
「そ、そう、そうだよ。ごめんね。よかったら仲良くしてね」
「あっ、今日はお昼ご飯一緒に食べない? 私がいい席取っておくから」
「悪気があったわけじゃないのよ」
皆が皆声が震えていた。それほど紫紺の王は怖いということなのか。
ミトには波琉をそこまで怖がる感情がいまいち分からないが、今はそれより急に馴れ馴れしくしてくる生徒たちが気持ち悪くて仕方なかった。
昨日のことなど過去のように、手のひらを返してしゃべりかけてくる。
それほど簡単に態度を豹変させる彼らとどうして仲良くできようか。
龍神を相手にしているのだ。自衛だと言ってしまえば、確かに神がバックについていると思うと彼らの行動は間違ってはいないし、ミトも非難するつもりもない。
けれど、簡単にコロコロ態度が変わってしまう友人など、ミトは必要としていなかった。
なにを言われても、問われても、ミトは知らぬふりをし、ひと言も口を動かさなかった。
そうしている間に皐月がやって来て、取り巻きから話を聞くと鬼の形相でミトをにらみつけてきた。
しかし、その前に担任の草葉がやって来て早々にホームルームを終えると、「星奈さん行きますよ」と、ミトを連れだしてくれた。
「ありがとうございます」
「なにがです? あなたの一限目は国語だったのでついでに教室に行こうと思っただけです」
素っ気なく感じる言い方だが、気遣いが含まれていた。
よくよく思い返せば、この学校で態度が変わらないのは草葉だけだなと思った。
すべての教師に会ったわけではないが、草場が担任でよかったと心から感じる。
今のところ居心地の悪さしかない学校だが、草場といる間は学生らしい学校生活をしているように思えた。
「ありがとうございます」
「何度お礼を言ったとしても試験問題の横流しはしませんからね」
「普通そんなことお願いしませんよ」
「日下部君はしていましたよ。現在の校長がまだ一教師だった頃ですけどね。あれはもうほぼオヤジ狩りでした」
蒼真ならやりかねないとミトは頬を引きつらせた。
「泣きながらも試験問題を死守した校長は、この学校では数少ないガッツのある教師なので、今度愚痴でも聞いてやってください。心労が多くて最近ハゲを気にしているようですから、ストレス発散させてあげないといけませんしね」
「機会があったら……」
当たり障りのない返答をする。
まさか本当にその機会があるとは、この時のミトは思いもしなかった。
一限目が終わった休み時間。ミトは蒼真から与えられたミッションを行うべく、神薙科の教室を訪れていた。
神薙科は特別科よりは生徒が多いので、ちゃんと中学部と高等部とで分かれている。
ミトが蒼真から渡されたリストに載っていたのは、全員高等部の生徒だ。
一年から三年まで学年は様々だが、教室は隣同士なので回りやすい。
まずはリストの一番上に名前があった人物のいる三年生の教室から攻める。
「すみません、相沢さんいらっしゃいますか?」
道場破りをする気分で気合いを入れて、三年生の教室の扉から中に声をかける。
途端にミトに視線が集まるが、聞こえてくる声はあまりよろしくない。
「見ない顔ね」
「花印がある。あの子、皐月さんの言ってた子じゃない?」
「あー、皐月さんの不興を買った子か。なにしに来たんだ?」
「特別科の子が神薙科に来る理由って、あれじゃない?」
ミトが龍神とともに登校してきたという話は全校生徒に回ったかと思ったが、まだ一限目なので周知されるまではいっていないのかもしれない。
ミトに気を遣うことなくそんな声が聞こえてくる中、ひとりの男子生徒がミトに近付いてきた。
その顔は警戒心に満ちている。
「俺が相沢だけど、なんか用?」
「私のお世話係になってくれる人を探してるんです。それで相沢さんが優秀な方だと聞いたので、私の──」
「悪いけど、他を当たってくれるか? 俺には荷が重いから」
ひどく迷惑そうな顔で断られてしまった。
しかもミトの言葉を途中でぶった切ってである。せめて最後まで聞いてくれてもいいだろうに。
すると、彼を憐れむような声が教室内から聞こえてきた。
「そりゃそうだよね。皐月さんに目をつけられてる子なんて誰だって嫌でしょう」
「誰が世話係なんてやるんだよ」
「不良債権を受け取りたくないよなぁ」
なんとまあ、言いたい放題だ。
ミトが皐月から目をつけられた生徒としか思っていないからだろう。
どうやら紫紺の王だということは、まだ特別科の人間しか知らないらしい。
特別科の生徒もたまたま先生が話しているのを聞いたと言っていたから、波琉の話が回るまで時差がありそうだ。
「えっと、じゃあ、古谷さんと和泉さんは……」
教室内を見渡せば、それらしきふたりが立ちあがるが、返ってきたのは案の定というもの。
「勘弁してよ。あなたの世話係なんて冗談じゃないわ」
「俺もやだね」
三年生がこれで潰れてしまった。
しかし、まだ二年と一年が残っている。
ミトは隣の二年生の教室に向かうと、扉に張り紙がされていた。
そこには『世話係はお断り』と書かれている。
張り紙の前で言葉をなくして立ち尽くしているミトを、二年の生徒がクスクスと笑って見ていた。
ここまで嫌われるとはミトがなにをしたというのか。
皐月の影響力がそれだけ強いということなのだろうが、せめて話を聞いてから断ってほしい。
あきらめてさらに隣の一年生の教室へ。
張り紙はされていなかったが、歓迎されていないのは周囲の空気で分かった。
一年生生からも断られてしまったら世話係をつけることはあきらめるしかないだろう。
明日になれば紫紺の王のことが神薙科にも知れ渡るかもしれない。
けれど、波琉の存在を知ってからでは意味がない気がした。
今の学校中から嫌われているミトでも味方になってくれる人でなければ、ミトはその人を信頼できないと思ったのだ。
なので、その人となりを見極めるには、今の状況はある意味もってこいなのかもしれない。
だがしかし、一年生の中にもミトの世話係を買って出てくれる人物はいなかった。
がっくりと落ち込み、蒼真になんと報告しようかと言い訳を考えていると、ひとりの男子生徒が近付いてきた。
金髪に染めた明るい髪に、耳にはピアスをたくさんして、制服は着崩していた。
やんちゃそうな雰囲気で、少々目つきが悪く、正直あまり関わり合いになりたくないと感じてしまう男の子だ。
「なあ、あんた世話係探してんの?」
誰だろうかと不審に思いながらミトは頷く。
「そうです」
「俺、なってやってもいいよ」
「……えぇ!?」
一瞬言われている意味が分からなかったが、言葉を飲み込んだミトは大いに驚いた。
「本気で言ってます!?」
「ああ。それと同じ一年だから敬語はいいよ。で、どうする? 俺にしとく?」
「よろしくお願いします!」
ミトはこくこくと頷いて手を差し出した。
しかし、この男の子は誰なのだろうか。
自分から世話係を売り込みにくるということは神薙科の生徒なのだろうが。
「私、星奈ミトです!」
「俺は成宮千歳」
「えっ、成宮千歳!?」
ミトは慌てたリストを見た。
リストの一番最後に載る成宮千歳の文字。
彼は確か、蒼真が最後の手段にしとけと言っていた人物ではないか。
少々クセがあるということらしいが、他の神薙科の生徒には断られてしまったのだから今がその最後の手段の使いどころで間違いない。
「なんか問題ある?」
「まったくありません! あなたは私のお世話係になってもほんとにいいんですか?」
おずおずとうかがうように見ると、彼は
「別に。いいと思ったから声かけたんだけど。嫌なら無視してる」
「ありがとうございます」
「敬語。いらないってさっき言っただろ」
「あ……。えと、じゃあ、成宮君ありがとう」
しかし、まだ不満そうな顔をしている。
「千歳でいい。同い年だし。俺もミトって言うから。いいよね?」
一見仏頂面のように見えるが、彼なりに気を遣ってくれるのだろうと思えた。
「うん。よろしく、千歳君」
「こっちこそ」
お互いぎゅっと手を握り合ったその姿を見た神薙科の一年から三年の生徒がざわついていた。
「うそ、成宮が世話係を受け入れたぞ!」
「おい、まじかよ!」
「だって、皐月さんやありすさんからの申し出にも断ってた奴だぞ」
「なんであんな面倒そうな奴の世話係なんてするんだよ」
などと、騒然としている。
誰もが信じられなく驚愕した顔をしていた。
クセが強いとは聞いていたが、皐月やありすを断っていたとは思わなかった。
「皐月さんと桐生さん断ってたの?」
「うん」
「どうして私は受けてくれたの?」
「そんなことより、チャイム鳴ってる」
指を上に向け指摘する千歳の言葉で、チャイムが鳴っているのに気づく。
「あっ、授業。あの、またね」
慌てて自分の教室に移動するミトに、千歳が声をかけた。
「昼休みに迎えに行くから」
「う、うん」
戸惑いを見せながら返事をして教室へと戻った。
なんにせよ、世話係が見つかってほっとしたミトだった。