龍神と許嫁の赤い花印二~神々のための町~


 昼休み、食堂へ行くと。
「あの子だよ。皐月さんからのお達しがあったやつ」
「いくら特別科だからって皐月さんに逆らうとか馬鹿なのか?」
「龍神に選ばれたありすさんならまだしもさぁ」
「あの子、消されるんじゃないの?」
 そんな陰口が聞こえてくる。
 聞こえてきている時点で陰口ではなくなっているが、それはまあいい。
 一限目の後、二限目の担当だった草葉がやって来るや、「あなたの噂が出回ってますよ」と教えてくれた。
 ミトに散々な言われようをした皐月が、ミトと仲良くしたら許さないという、まるで子供の癇癪のような話を流していたのだ。
 皐月の派閥の生徒により一気に拡散したこの話は、特別科だけでなく普通科にまで周知されてしまった。
 なので、昨日とは違う理由でミトは話題の的だった。
 それもあまりいい意味ではなくだ。
 今日は食堂でパンを買って席を探していると、雫と視線が合ったが、すぐさまそらされた。
 派閥への勧誘があったために雫を苦手だと思っていてなんだが、そんなあからさまにそらされると地味に傷つくというもの。
 ありす派と言い皐月に不満を抱きつつも、ありすのように皐月に逆らうことはできないらしい。
 まあ、仕方がないのだろう。
 反撃を恐れて我が身を守ってしまうことを責めることはできない。
 ミトとて、村長からの仕返しを恐れて、真由子には逆らえなかったのだから。
 ミトがなにかを言える立場ではない。
 でもなんとなく寂しい気持ちになり、無性に波琉に会いたくなった。
「早く授業終わらないかな……」
 そうすれば波琉が迎えに来てくれる。
 初めてのデートだ。きっと楽しいに違いない。
 食堂はなにかと視線を集めてしまうので、人のいない庭でひとり寂しく食べていると、遠くからなにやら小さい点がたくさん見えた。
「なんだろ?」
 青い空にある小さな点は次第に大きくなり、それとともに鳥のさえずりが聞こえてきた。
 それは一直線にミトのところまでやって来るではないか。
 よくよく見てみると、それはスズメの大群だった。
 ぎょっとするミトに向かってくるスズメの集団は、近くの大きな木にとまり、チュンチュンとさえずっている。
 その中から一羽がミトの座るベンチに下りてくる。
 それは村でなにかとお世話になったスズメだった。
『ミト~、やっと会えたわね』
「えー! どうしてここに?」
『あの村にはミトがいなくなっちゃったから、皆を連れて引っ越してきたのよ』
「引っ越しって……。ずっと暮らしてた場所を離れていいの?」
 まさかクロやシロのように、自分についてくるなんて思ってもいなかったミトは心底驚いた。
『いいのよ~、皆もミトと一緒がいいって言ってるから』
 そうだそうだと同意するように、そばの木からスズメたちのチュンチュンという合唱が聞こえてくる。
『それに、あの村のこともミトに教えたかったし』
「なにかあったの?」
 村は波琉により家が壊されたことしかしらない。
 その後のことはミトもすっかり頭の中から消えていたので、蒼真に確認したりもしなかった。
『なんか警察がいっぱい来てね、村長やミトの家族をハブってた大人たちを捕まえて連れていっちゃったのよ』
「そうなの!?」
『うん。なんか、花印を持った子供を隠して虐待してた罪だって。なんかいろいろ騒いでたけど、ほとんどの村人が逮捕されちゃったわ。残念なのが、真由子とかミトと同年代の子は逮捕されなかったことかしら。子供のしたことって判断されたみたい』
「じゃあ、真由子は変わらず村にいるんだ」
 一番真由子に虐められていた過去を思うと、罰がないのは少し複雑だった。
 けれど、スズメは否定する。
『変わらずってことはないわよ。だって家は半壊して、まともに住める状態じゃないし、頼れる大人は全員連れていかれちゃったんだもん。逮捕されるよりよっぽど罰になってるかもしれないわね。ざまあみろよ』
 スズメは楽しそうなチュンチュンと飛び跳ねる。 
「確かにそう言われてみればそうかもしれない」
 そうか、村長たちは人間の法でしかるべき罰が与えられるのかと、ミトはなんだか感慨深くなった。
 もう、すべてが終わった過去なのだと。
 感傷に浸るミトに、不快な声が耳に届く。
「あら、誰にも相手にされなくなって鳥とおしゃべりしてるわよ。あはは」
 馬鹿にするような笑い声に振り返ると、皐月が取り巻きと一緒になってこちらを見ていた。
「鳥に話しかけるなんて頭おかしいんじゃない?」
「やだ、皐月さんったら。皐月さんにあんなこと言う時点で頭がおかしいのは分かってるじゃないですか」
「ふふふっ、それもそうよね」
 クスクスとミトを見て嘲笑う皐月たちに、ミトは遠い目をした。
 懐かしいなと。村ではこんなやり取りは日常茶飯事だった。
 中心人物が真由子から皐月に変わっただけである。
 こういう輩の対処法は知っている。
 無視するのが一番相手に堪えるのだ。
 なにせ相手は反応を見たくてしているのだから。
 案の定、ミトが知らんぷりをしていると、皐月の怒った声が聞こえてきた。
「この私が話しかけてあげてるのに無視するなんて何様のつもりなの!?」
 知らんがなと、ミトは心の中でつぶやく。
「なんとか言いなさいよ!」
 ズンズン近付いてくる皐月に、ミトのそばにいたスズメの目が剣呑に光る。
「チュンチュン!」
 普通の者には鳴き声でしかなかったが、ミトには『一斉投下!』と聞こえていた。
 すると、木で休んでいたスズメたちが一斉に飛び立ち、皐月の上空からフンを落としていったのである。
「きゃあぁぁ!」
「やだ、なによ!」
「いやぁぁ!」
 阿鼻叫喚の皐月と取り巻きは、あっという間にフンまみれになり、騒ぎながら逃げるように行ってしまった。
 スズメは皐月たちを退場させると、どこかへ飛んでいってしまった。
「どこ行ったの?」
 その問いには、一羽残った馴染みのスズメが答える。
『ミトの暮らしてる屋敷に行ったのよ。そこは森みたいに木々もたくさんあるからそこを住処にすることにするわ』
「そっか。助けてくれてありがとう」
『それは別にいいけど、ミトったらここでも虐めに遭ってるのね』
「あはは……」
 ミトは返事に困り笑うしかなかった。
『でも私が来たからには大丈夫よ。ミトが虐められたら、今度は私が投下してやるんだから』
 意気込むスズメに、ミトはほっこりとした。
 頼もしい味方が増え、ミトの生活はさらに賑やかになりそうだ。


 本日の授業を終えるチャイムが鳴る。
 待ちに待った瞬間にミトの頬は興奮でわずかに紅潮していた。
 ホームルームが終わるや、一番に教室から飛び出す。
 あまりの早さに皐月が難癖をつけてくる隙もない。
 玄関では特別科の生徒を迎えに来た車で列ができていたが、その一番前をミトの迎えの車が陣取っている。
 普段ならば、龍神に選ばれた皐月、ありすの車が格の順に玄関に近い位置に並んでいるはずだった。
 けれど、今日はミトの車が先頭に停まっている。
 理由は言わずもがな。
 現在、龍花の町で誰よりも尊い波琉が、車に乗っているからだ。
 けれど、その前におそらくなにかしらの問題があったのだろう。
 蒼真が車の外で目を光らせて、皐月とありすの車の運転手を威嚇していた。
 運転手はビクビク怯えているので、蒼真がヤンキーのごとく威圧したに違いない。
 運転手にはご愁傷様としか言いようがないが、神が乗っている車に喧嘩を売ったり文句をつければ処罰があってもおかしくないのだ。
 そうこうしていると他の生徒も車の順番の違いに気がついたようで、ヒソヒソと話している。
 なにを話しているかまで分からないが、皐月でもない、ありすでもない車の主は誰だと噂しているのだろう?
 ミトがそんな中で先頭の車に向かうと、多くの視線を感じる。
 注目される真っ只中を歩いてフルスモークの車に乗り込めば、視線は気にならなくなった。
 車の中にはミトが待ち望んでいた波琉がにこりと微笑んで、手を広げ待っている。
「ミト、お疲れ様」
「波琉」
 おいでと言われる前に波琉に飛び込めば、優しく腕に包まれ、ミトはほっとする。
 大きな巨木のようにどっしりとした安心感。
 神聖で、優しく、温かみのある波琉ならではの特別な空気は、誰にも真似できない。
 ミトは波琉でいっぱいにするように大きく息をした。
 香水などはなにもしていないのだが、なにかの花の香のような匂いが、いつもしていた。
 よくよく思い出してみると、それは夢の中に一面に咲いていた花の香りだったような気がする。
 夢を見なくなった今はもう確認しようにもできない。
 けれど、そんなものはどうでもいい。
 こうして夢ではなく、波琉が抱きしめていてくれるのだから。
「今日はミトが喜ぶところをいろいろ行ってみようね」
「どこに行くの?」
「行ってからのお楽しみ。蒼真、よろしくね」
 助手席に座っている蒼真に向かって、波琉はにっこりと笑う。
 どことなく圧を感じるのは気のせいだろうか。
「はいはい。ちゃんと手配は済んでますよ~」
 おざなりな返事をしながら、蒼真はなにやらスマホをずっとさわって文字を打ち込んでいるようだった。
 しばらくすると車が止まり、蒼真が先に出て、後部座席に座るミトがわのドアを開ける。
 その流れるような動作にミトは目をキラキラさせる。
「蒼真さん、執事みたい!」
 今日はいつもの神薙の装束ではなく、スーツを着ているから、なおさらそう感じる。
 燕尾服ならもっとよいのだが。
「神薙は一応執事の教育も受けるんだよ。龍神様方のお世話をするから似たようなものだしな。喜んでないでとっとと下りろ」
 動きは執事だが、口を開くとすべてが台なしなのが残念だ。
 まあ、口調はミトが丁寧にしないでくれと言ったせいなので仕方ない。
「はーい」
 蒼真に手を借りて車を降りると、なんともお洒落なお店の前だった。
 しかしなんの店かは分からないでいると、ミトに続いて車を降りた波琉がミトの手を引く。
「ここが波琉の行きたいお店?」
「うーん、正確にはミトを連れてきたかったお店かな」
 首をかしげつつ店の中に入ると、なんの匂いだろうか。香水のようなとてもいい香りが店中に満ちていた。
「いらっしゃいませ~」
 にこやかにお辞儀する店員の女性は「こちらへどうぞ」と店内にいくつもあった椅子にミトを案内するよ。
 戸惑うミトに波琉はにこりと笑い座らせると、店員はミトの肩周りを覆うようなケープを首に回しつけた。
「えっ、波琉? ここなんのお店?」
 どうしたらいいのかと困惑するミトは、未だになんの店か分からないでいる。
「美容室だよ」
 問いに対する答えを聞くと、途端にミトの目が大きく開き輝き始めた。
「ここが!?」
「ミト、来たいって言ってたでしょ」
 これまでミトの髪は母親である志乃が切っており、一度もお店で切ったことがない。
 切ると言っても志乃にプロのような技術があるはずもなく、長さを合わせる程度でしかなかった。
 それ故、野暮ったさのあるミトの髪。
 テレビで紹介される美容室などを見ながら、ミトは憧れを抱いたものだ。
 志乃に切ってもらうのが嫌というわけではないが、プロに切ってもらいたいと常々思っていたミトが、蒼真から渡されたガイドブックに美容室があるのを発見して目が釘付けとなっていた。
 しかし、波琉に興味があるとは思えず口には出さなかったのに、波琉はミトの小さな仕草に気づいたということか。
 美容室に来られたこともだが、ミトの心に気づいてくれたことがなにより嬉しい。
「デートの前にかわいくしてもらうといいよ。まあ、そうでなくてもミトは十分かわいいんだけどね」
「は、波琉」
 恥ずかしげもなく褒める波琉に、ミトは頬を染める。
 店員がなんとも微笑ましい眼差しを向けてくるのが、余計に気恥ずかしい。
「これからデートなんですね。精一杯頑張らせていただきますよ~。まずは、カタログを見ながらお好みのスタイルを探してみましょうか」
 店員はたくさんのヘアカタログを持ってきてくれた。
 それを見ながら、あれがいいこれがいいと話し込んでいるミトを、少し離れたところから波琉は嬉しそうに見つめていた。
 髪の長さはそれほど変えず、綺麗にまとまるようにカットしてもらい、最後にデートと聞いた店員が、編み込みをしてかわいらしくヘアアレンジをしてくれた。
「かわいい……」
 思わずそんな言葉が口から漏れた。
 全身が映る鏡の前で、右を向き合左を向き、後ろを向いたところでソファーに座って待っていた波琉と視線が合った。
「波琉、どう?」
「さらにかわいくなったよ」
 ミトははにかむように笑う。
 村を出てからそう日は経っていないのに、波琉はたくさんの経験をさせてくれる。
 ミトの心を満たすのは、大きな幸福感と波琉への感謝。
 この気持ちをどう伝えたらいいのだろうか。
 自分は波琉になにも返せないというのに。
 ミトは波琉に近付いて手を握った。
「波琉、私どうしたらいい? すごく幸せなの。髪を切ったぐらいって波琉は思うかもしれないけど、言葉で言い表せないぐらい嬉しくて仕方なくて……。それだけじゃない。スーパーに行けたのも、学校に通えるのも、全部波琉が村から助けてくれたからよ。どうやって波琉にお礼したらいいのか分からない……」
 波琉には手に入らないものなんてないのだろうし、自分ができることはないとミトは落ち込む。
「僕がしたいだけなんだから必要ないけど、もしお礼をしてくれるなら、ミトにはすごく簡単なことがあるよ」
「なに?」
「ずっとそばにいて。僕から離れないで。それがミトにしか与えられない僕の幸せだから」
「波琉……」
 波琉はソファーから立ちあがり、ミトを引き寄せるとおでことおでこをくっつける。
「ミト。感情に疎い僕に命を吹きこんでくれた大切な人……。君が笑っていると僕も嬉しいんだよ。だからたくさんのことをしよう。ミトがこれまでできなかったたくさんのことを、この町で実現しよう」
 軽く触れるキスを額に落とし、波琉は泣きたくなるほど優しい笑顔を浮かべた。
「デートはまだこれからだよ。次に行く場所も決めているんだ。ミトはケーキは好き?」
「好き!」
 ミトは期待に満ちた目をする。
「まさかっ」
 興奮を抑えきれない様子のミトに、波琉はクスクスと笑う。
「カフェの予約蒼真に頼んでおいたから今から行こうね」
「やったー。波琉大好き!」
 喜びを爆発させ波琉に抱きつく。
「僕も大好きだよ。早く行こうか」
「うん」
 店を後にする。カフェは現在地から近いということで、車には乗らず徒歩で向かう。
 腕を組んで歩く姿はデートそのものど。
 まあ、その周囲を蒼真やスーツ姿の男性たちが取り囲んでいるのでふたりきりとは言えないのだが、それでも波琉と出かけられるのは嬉しかった。
 たどり着いたお店はミト好みのかわいらしい内装のカフェで、ショーケースには宝石のように輝く色とりどりのケーキが並んでいた。
「どうしよう。どれも気になる~」
 両頬に手を当ててジタバタするミトを楽しげに見つめる波琉は、店員を呼ぶ。
「とりあえず全部持ってきて」
「えっ」
 ミトは『全部』という言葉にびっくりして目を丸くして固まったが、店員はご機嫌で「かしこまりましたぁ」と店の奥に消えていった。
「波琉、そんなに食べられないよ」
「食べられなきゃ残せばいいよ。蒼真たちもいるしね」
 確かに蒼真や護衛として近くのテーブルに座る護衛の人たちを含んだら、全部食べられなくはなさそうだ。
「とりあえずひと口ずつ食べて、気に入ったのだけ食べればいいよ。他は蒼真たちが食べてくれるから気にしないでいいからね」
 なんという金持ちの食べ方。
 蒼真が隣のテーブルから「紫紺様、俺甘い物嫌いなんですけど」なんて言っていたが、波琉は黙殺した。
「お待たせいたしました~」
 にこやかな顔で両手いっぱいにケーキの乗ったお皿を持ってきてくれた店員が、どんどんテーブルに載せていく。
 それはミトはひと口ずつ食べていき、それらは周囲のテーブルへと回されていく。
 どれも美味しく、ミトが人生で初めて食べたものばかりだ。
 これを自分だけで楽しむのは忍びない。
「波琉、テイクアウトしてもいい? お父さんとお母さんにも食べてもらいたいの」
「それもそうだね。じゃあ、全種類包んでもらおう」
「ふふっ、そんなにたくさん持ち帰ったらびっくりしちゃうね」
「ミトも一緒にまた食べればいいよ」
 嬉しそうにミトは頷いた。
 しかし、波琉が先ほどからひと口も食べていないことに気づく。
「波琉は食べないの?」
「あー、うーん」
 食への興味がほぼないと言っていた波琉だが、最近はミトの家で食事を共にするようになって変わってきた。
「ケーキも美味しいよ?」
「じゃあ、ミトが食べさせて?」
「えぇ」
 波琉はいたずらっ子のような顔で口を開けた。
 ミトの反応を楽しんでいるのが分かる。
 動揺しつつ、波琉にも食べさせたかったミトは、躊躇いがちに波琉の口にケーキをひと口差し入れた。
 もぐもぐと口を動かす波琉をうかがう。
「どう? 美味しい?」
「うん。初めて食べたけど結構美味しいね。ミトが食べさせてくれたからかな」
 なんとも嬉しそうに微笑む波琉に、ミトは言葉をなくしてしまう。
「じゃあ、次はそっちのがいいな」
「えっ、また?」
「ほら、あーん」
 こうして波琉が満足するまで食べさせることになった。
 端から見たらバカップルでしかない。
 あきれを含ませたなんとも言えない顔をしている蒼真の方が見られなかった。
 そうしてデートを終えたわけだが、ミト以上に波琉の機嫌がよくなっていた。


 デートを終えて屋敷に戻ると、その足で庭にあるミトの家へと向かう。
 もちろん波琉も一緒だ。
「ただいまー」
 しかし、家の中に人の気配はない。
「あっ、ふたりとも今日からお仕事だっけ。とりあえず冷蔵庫っと」
 買ってきたケーキを冷蔵庫に入れていると、コツンコツンと窓をスズメが突いていた。
 冷蔵庫を閉めて窓を開けると、スズメとともにクロも姿を見せる。
『ミト、待ってたのよ、どこ行ってたの?』
 お冠なクロは留守を責める。
「ごめんね。波琉とデートしてたの」
『じゃあ、仕方ないわね』
 あっさりと引き下がったクロだが、特大の爆弾を落としてくれた。
『そんなことより、スズメから聞いたわよ。あなた学校で虐められてるそうじゃない! せっかく村を出て真由子からも離れられたのに、真由子みたいな意地の悪い女に目をつけられてるんですって? まさか手を出されてりしてないわよね!?』
 憤慨するクロはミトに詰め寄る。
 端から見たらニャアニャアと叫んでいるようにしか聞こえないが、龍神である波琉はミトのように動物の話を理解できる。
 それまで青空が広がっていたかと思うと、急に空模様が悪くなり、突然ドシャーンと雷が近くに落ちるとともに土砂降りになる。
 ビクッと体を震わせ驚くミトの方を突然ポンと叩かれる。
 振り返ると、すごみのある笑みを浮かべた波琉がいた。
「ねぇ、ミト、どういうこと? 虐められてるってなに? 手を出されたの?」
 怒鳴られているわけではないのに背筋がヒヤリとするのはなぜだろうか。
「は、波琉……。えっと……」
「ごまかしたりしたら駄目だよ? ちゃんと説明してくれる?」
「は、はい……」
 今の波琉に逆らっては駄目だと勘が働く。
「学校で虐められてるの?」
「虐められていると申しますか、なんというか……」
 なぜかその場に正座して波琉の追求を受けていると、バタバタと玄関の方から足音が聞こえ、リビングに蒼真と尚之が飛び込んできた。
 ふたりは、正座しているミトとその前にいる波琉を見てなにかを察したようだ。
「紫紺様、ミト様になにかありましたか?」
 尚之が心配そうに近付いてくる。
 蒼真もやれやれという様子で後に続いた。
「おい、ミト。なにやりやがった?」
「なにゆえ私がなにかしたことになってるんですか。そもそも、どうして蒼真さんたちがここに?」
 蒼真は端からミトが悪いと決めつけている。ミトは不満げに唇を突き出す。
「外見て見ろ、この嵐を」
 確かに外を見ると、大雨の上に風も強いようで雨が斜めに降っていた。
 窓硝子に雨が当たって大きな雨音がしている。
 時々なる雷に、家の外で「キャイーン」と情けない叫び声が聞こえてくるが、きっとシロのものだろう。
 早くどこかに避難することを願うばかりだ。
「こんな嵐を突然引き起こせるのは紫紺様ぐらいだ。前に言っただろうが。紫紺様の機嫌がそのまま天候に影響するから怒らせるなと」
「そう言えばそんなこと言ってましたね。ってことはこの嵐は……」
 おそるおそる波琉に視線を向ける。
 にっこりと笑みを深くする波琉の笑顔が怖い。
「で、なにを怒らせたんだ?」
「わ、私はなんにもしてないですよ。ただ、学校で虐められてるって話をクロがしちゃっただけで……」
「ああん!?」
「ひゃうっ」
 今度は蒼真が怒りを露わにした。
 静かに怒る波琉とは違い、こっちは顔が般若になっている。
 思わずミトは頭を抱えた。
「どういうことだ? 説明しやがれ」
「私が悪いわけじゃないですよ! ただ、学校で派閥ができてることは波琉にも蒼真さんにも話しましたよね?」
 波琉は思い出すように一拍沈黙した後、頷いた。
「うん。確かそんなこと言ってたね」
「それがどうした」
「その派閥のどちらに入るのかって、派閥のトップにいる皐月さんて人に聞かれたけど、私はどっちも嫌だって言ったの。その上ちょっとばかし皐月さんに説教のようなこともしちゃって……」
 ミトは気まずそうに視線を彷徨わせながら続ける。
「そしたら皐月さんが私と仲良くしたら駄目だって学校中の生徒に言い回ったらしくて、無視されるようになったの。ちょっと陰口みたいなことはされたけど、手は出されてないし、真由子に比べれば全然問題ない……」
 その瞬間、蒼真にデコピンされる。
「問題大ありだ、馬鹿やろう! お前、村で虐められてたせいで、そういうところが麻痺してんだよ。手は出されてないだと!? 生徒全員でハブりやがって、問題ないわけないだろうが!」
「えと、ごめんなさい」
「お前が謝んな!」
「はいぃ!」
 ガンを飛ばしてくる蒼真にミトは身をすくめる。
 ならばどうしろというのか。
 蒼真がミトのために怒ってくれているのは分かるが、少々理不尽だ。
「皐月ってのは皐月美波のことか?」
「そうです。知ってるんですか?」
「俺を誰だと思ってるんだ。神薙だったら伴侶に選ばれた人間の情報は頭に入ってる。しかもお相手は金赤様の側近である久遠様で、紫紺様がいらっしゃるまでは、あの方が龍花の町で一番位の高い龍神だったんだからな」
「へぇ」
 波琉が龍神の王で、一番位が高いということは知ってはいても、それ以前は誰が一番かだなんてミトは知らない。
 会ったことがある龍神も、挨拶に来た久遠だけなのだから、情報が不足していた。
「にしても、久遠様のとこの伴侶か……」
 蒼真はチッと舌打ちした。厄介だと言いたげな表情だ。
「どうされるんですか?」
 蒼真はうかがうように波琉に目を向けると、波琉はがらりと窓を開ける。
「ちょっと出かけてくるよ」
 そう言うと、先ほどよりはやや落ち着いてきた雨の中に、白銀の龍の姿となった波琉が消えていった。
 蒼真は開いたままの窓をさっさと閉める。
 雨によりわずかに濡れたフローリングの床を、尚之が手ぬぐいで拭こうとしていたのに気づいたミトが止める。
「あっ、雑巾あります。ちょっと待ってください」
 急いで雑巾を持ってくると、濡れた床を綺麗に拭いた。
 そして改めて三人はソファーに座り、落ち着いてから話しを再開させる。
 蒼真も尚之も険しい顔をしていた。
「じじい、学校の方に警告をした方がいいんじゃないか?」
「奇遇だな。私もそう思っていたところだ」
「いやいや、警告なんて大げさな」
「お前はさっきの暴風雨を見てもそう言えるのか?」
 蒼真にそう問われ、ミトは言葉に詰まった。
「でも、些細なことだし……」
 陰口や無視なんて村では散々行われてきた日常の一部だ。
「確かに友達ができないのは寂しいですけど、それだけで大した問題じゃないですよ?」
「その考え方は違うぞ、ミト」
 蒼真は真剣な表情でミトをにらむように見つめていた。
「今やお前は最も尊い紫紺様の伴侶だ。この町に紫紺様を除いてお前以上に大事な存在はいない。そのお前を手は出していないとはいえ侮ることは、紫紺様を侮ることと同義だ。お前は紫紺様が学校の奴らに舐められて黙っていられるか?」
「……それはやだ」
「だろう? それにだ。この龍花の町で最も偉いのは紫紺様で、お前は紫紺様が待ち望んでいた相手だ。紫紺様がお前をとても大事にしているのはそばにいる俺とじじいが誰よりよく分かっている。お前が被害に遭っていて放っておくのは神薙としても恐ろしいんだよ」
 尚之を見れば、同意するように深く頷いた。
「でも、どうしたらいいんですか? あの人真由子に負けず劣らずの我儘娘だと思いますよ。言って聞く相手じゃないです」
 もしそうなら、とっくにありすが止められていたはずだ。
「一番いいのは世話係だ」
「ふむ、確かに。ミト様はまだ神薙をつけておらんかったですな。ミト様をお守りする世話係を早急に選ばれるのがよろしいでしょう。なにか起こる前にそばについていた方が我々としても安心でございます」
「お世話係は護衛もするんですか?」
「神薙科の生徒には必須科目です」
 執事の教育も行われるようだし、神薙科とはいったいどんな授業をしているんだと、謎が深まった。
四章

 翌日、いつの間にか屋敷に帰っていた波琉とともに学校へ行く車に乗る。
 昨日の嵐が嘘のように、今朝は青い空が広がっている。
 波琉の機嫌が直ったということなのだろうか。
 蒼真と尚之がどこかほっとした顔をしていたのが印象に残った。
 そして、村から移動してきたスズメの集団だが、その中で特に仲がよかったスズメには。他と区別をつけるために『チコ』と名付けた。
 チコはそれはもう喜んでチュンチュン鳴きながら家の中を飛び回っていた。
 猫のクロには絶対に襲わないように注意しておいたが、何気にあの二匹は気が合うようで仲良くしていた。
 村でも一致団結して動いたりもしていたので信頼関係ができあがったいたのだろう。
 庭で遊んでいたシロは、どこで雨宿りをしていたのか、どろんこになって帰ってきたので、お風呂に入れたりと大騒ぎだった。
 両親はチコが村から追っかけてきたと聞いて、たいそうびっくりしていたが、ミトの友人なら大歓迎だと、昌宏がリビングにチコが乗れる枝を設置してくれた。
 これからはチコも一緒に暮らすことになった。
 他のスズメはというと、町のいろんなところに自分の住みやすい場所を探して散っていったようだ。
 しかし、自分の呼びかけにはすぐに駆けつけてくれるから安心してくれと、チコは得意げに胸を張った。
 今も車から窓の外を見ると、チコが車を追いかけて来ているのが見えた。
 昨日のように虐められても助けに入れるように学校に着いてきてくれるらしい。
 なんとも頼もしい護衛だなと、ミトはクスリと笑う。
「今日のミトはご機嫌だね」
「そりゃあ、チコが来てくれたし、なにより昨日のデートが楽しかったもの」
「だったら今日も行こうか?」
「嬉しい! 行きたい」
 と、その時、助手席から「ゴホンゴホン」とわざとらしい咳払いが聞こえてきた。蒼真である。
 なにか言いたげな視線にミトははっとする。
「あー、今日は駄目だ。ごめんね、波琉」
「なにかあるの?」
「神薙科の人からお世話係を見つけておくように言われてるの。休み時間に行ってみるけど、放課後までかかるかもしれないから」
「そうか、それなら仕方ないね」
 ミトは残念そうに「デートが……」とつぶやく。
 そんなミトを見て、波琉はよしよしと慰めるようにミトの頭を撫でた。
「また機会はあるよ。町は逃げないし、僕との時間は無限にあるからね」
 そう、死してもなお、天界で共に生きていくのだから。
 それに比べた一日ぐらい瞬きのような時間だろう。
 そっとどちらからともなく手を握る。
 そのまま車は学校へと到着すると、先に波琉が降りる。
 その瞬間、周囲がざわめいたのが分かった。
 和物の服を身にまとい、銀の髪と紫紺の瞳をした波琉は、ひと目で龍神と分かる。
 人間とは発する空気が違うのだ。
 容姿もまた人間とは一線を画する。
「龍神?」
「龍神だよ」
「えっ、なんで?」
 疑問が周囲を支配する中、波琉がミトに手を差し出す。
 その手を取って車を降りれば、ざわめきは一層大きくなる。
「えっ!」
「あの子、特別科の転校生……」
「なになに? どういうこと?」
 周囲はミトが龍神とともに現れた状況が上手く理解できないようだった。
 かまわず波琉はミトを抱きしめて、額にキスをする。
 その親密さは、ひとつの答えを与える。
 花印を持ったミトに、龍神が親しげに触れている。
 しかも、ミトの頬を撫でる波琉の左手には、同じ花の赤い印が浮かんでいるのだ。
 よほど鈍い者でなければ、ミトが龍神に選ばれた伴侶なのだと嫌でも理解する。
「行っておいで。帰ってくるのを屋敷で待っているからね」
「うん、行ってきます」
 まるでミトしかいないかのように見つめる波琉は、もう一度額に口付けてから車の中へと戻っていった。
 走り去る車を見送ってからミトは特別科の教室へと向かった。
 周りは困惑しているのが手に取るように分かったが、そんなものミトには関係ない。
 教室に入れば、昨日と変わらずの無視状態だったが、ミトの登校時の様子を見たいただろう他の生徒から話が伝わり、おそるおそるミトに近付いてくる女子生徒がいた。
「ね、ねえ、あなた龍神様から迎えが来てるの?」
 問いかけに対しなんと答えようかと思ったが、最終的には至極簡潔な答えが口から出た。
「そうだけど?」
 どこか突っぱねるような言い方になったのは仕方がない。
 昨日までは腫れ物のように近付いてこなかったのだから。
 だというのに、波琉という龍神がともにいただけでこの変わりよう。
 他の生徒もミトの返答に顔色を青ざめさせている者もいる。
 現在の学校内では、龍神の迎えがあったのは皐月とありすだけ。
 そう、このふたりだけであり、このふたりをトップとして物事は動いていたのだ。
 けれど、そこに現れた新たな龍神の伴侶。
 力関係が一気に変わる可能性があった。
 いや、実際に変わることだろう。
「おい! さっきの龍神様は紫紺の王らしいぞ!」
 教室に飛び込んでくるや大きな声で叫んだおかげで、教室内にいる特別科の生徒全員に聞こえた。
 幸いなのは皐月がまだ登校していないことかもしれない。
 きっといたら騒ぎ立てるに違いないから。
 しかし、ありすはすでに教室内におり、ミトがちらりと視線を向けると、驚いた表情をしているので、確実に紫紺の王の名を耳にしたようだ。
「それまじかよ?」
「先生らが話してるのたまたま聞いたからまじだよ」
「嘘……」
 恐れおののくように視線がミトに集まる。
 それまで皐月を恐れてミトを蔑ろにしてきた者たちは気が気でないだろう。
 耐えかねたのか、早速生徒がわらわらと集まってきた。
「あ、あのさ、星奈さん。昨日のことは悪かったよ。俺たち皐月さんに言われたら逆らえないからさ」
「そ、そう、そうだよ。ごめんね。よかったら仲良くしてね」
「あっ、今日はお昼ご飯一緒に食べない? 私がいい席取っておくから」
「悪気があったわけじゃないのよ」
 皆が皆声が震えていた。それほど紫紺の王は怖いということなのか。
 ミトには波琉をそこまで怖がる感情がいまいち分からないが、今はそれより急に馴れ馴れしくしてくる生徒たちが気持ち悪くて仕方なかった。
 昨日のことなど過去のように、手のひらを返してしゃべりかけてくる。
 それほど簡単に態度を豹変させる彼らとどうして仲良くできようか。
 龍神を相手にしているのだ。自衛だと言ってしまえば、確かに神がバックについていると思うと彼らの行動は間違ってはいないし、ミトも非難するつもりもない。
 けれど、簡単にコロコロ態度が変わってしまう友人など、ミトは必要としていなかった。
 なにを言われても、問われても、ミトは知らぬふりをし、ひと言も口を動かさなかった。
 そうしている間に皐月がやって来て、取り巻きから話を聞くと鬼の形相でミトをにらみつけてきた。
 しかし、その前に担任の草葉がやって来て早々にホームルームを終えると、「星奈さん行きますよ」と、ミトを連れだしてくれた。
「ありがとうございます」
「なにがです? あなたの一限目は国語だったのでついでに教室に行こうと思っただけです」
 素っ気なく感じる言い方だが、気遣いが含まれていた。
 よくよく思い返せば、この学校で態度が変わらないのは草葉だけだなと思った。
 すべての教師に会ったわけではないが、草場が担任でよかったと心から感じる。
 今のところ居心地の悪さしかない学校だが、草場といる間は学生らしい学校生活をしているように思えた。
「ありがとうございます」
「何度お礼を言ったとしても試験問題の横流しはしませんからね」
「普通そんなことお願いしませんよ」
「日下部君はしていましたよ。現在の校長がまだ一教師だった頃ですけどね。あれはもうほぼオヤジ狩りでした」
 蒼真ならやりかねないとミトは頬を引きつらせた。
「泣きながらも試験問題を死守した校長は、この学校では数少ないガッツのある教師なので、今度愚痴でも聞いてやってください。心労が多くて最近ハゲを気にしているようですから、ストレス発散させてあげないといけませんしね」
「機会があったら……」
 当たり障りのない返答をする。
 まさか本当にその機会があるとは、この時のミトは思いもしなかった。

 一限目が終わった休み時間。ミトは蒼真から与えられたミッションを行うべく、神薙科の教室を訪れていた。
 神薙科は特別科よりは生徒が多いので、ちゃんと中学部と高等部とで分かれている。
 ミトが蒼真から渡されたリストに載っていたのは、全員高等部の生徒だ。
 一年から三年まで学年は様々だが、教室は隣同士なので回りやすい。
 まずはリストの一番上に名前があった人物のいる三年生の教室から攻める。
「すみません、相沢さんいらっしゃいますか?」
 道場破りをする気分で気合いを入れて、三年生の教室の扉から中に声をかける。
 途端にミトに視線が集まるが、聞こえてくる声はあまりよろしくない。
「見ない顔ね」
「花印がある。あの子、皐月さんの言ってた子じゃない?」
「あー、皐月さんの不興を買った子か。なにしに来たんだ?」
「特別科の子が神薙科に来る理由って、あれじゃない?」
 ミトが龍神とともに登校してきたという話は全校生徒に回ったかと思ったが、まだ一限目なので周知されるまではいっていないのかもしれない。
 ミトに気を遣うことなくそんな声が聞こえてくる中、ひとりの男子生徒がミトに近付いてきた。
 その顔は警戒心に満ちている。
「俺が相沢だけど、なんか用?」
「私のお世話係になってくれる人を探してるんです。それで相沢さんが優秀な方だと聞いたので、私の──」
「悪いけど、他を当たってくれるか? 俺には荷が重いから」
 ひどく迷惑そうな顔で断られてしまった。
 しかもミトの言葉を途中でぶった切ってである。せめて最後まで聞いてくれてもいいだろうに。
 すると、彼を憐れむような声が教室内から聞こえてきた。
「そりゃそうだよね。皐月さんに目をつけられてる子なんて誰だって嫌でしょう」
「誰が世話係なんてやるんだよ」
「不良債権を受け取りたくないよなぁ」
 なんとまあ、言いたい放題だ。
 ミトが皐月から目をつけられた生徒としか思っていないからだろう。
 どうやら紫紺の王だということは、まだ特別科の人間しか知らないらしい。
 特別科の生徒もたまたま先生が話しているのを聞いたと言っていたから、波琉の話が回るまで時差がありそうだ。
「えっと、じゃあ、古谷さんと和泉さんは……」
 教室内を見渡せば、それらしきふたりが立ちあがるが、返ってきたのは案の定というもの。
「勘弁してよ。あなたの世話係なんて冗談じゃないわ」
「俺もやだね」
 三年生がこれで潰れてしまった。
 しかし、まだ二年と一年が残っている。
 ミトは隣の二年生の教室に向かうと、扉に張り紙がされていた。
 そこには『世話係はお断り』と書かれている。
 張り紙の前で言葉をなくして立ち尽くしているミトを、二年の生徒がクスクスと笑って見ていた。
 ここまで嫌われるとはミトがなにをしたというのか。
 皐月の影響力がそれだけ強いということなのだろうが、せめて話を聞いてから断ってほしい。
 あきらめてさらに隣の一年生の教室へ。
 張り紙はされていなかったが、歓迎されていないのは周囲の空気で分かった。
 一年生生からも断られてしまったら世話係をつけることはあきらめるしかないだろう。
 明日になれば紫紺の王のことが神薙科にも知れ渡るかもしれない。
 けれど、波琉の存在を知ってからでは意味がない気がした。
 今の学校中から嫌われているミトでも味方になってくれる人でなければ、ミトはその人を信頼できないと思ったのだ。
 なので、その人となりを見極めるには、今の状況はある意味もってこいなのかもしれない。
 だがしかし、一年生の中にもミトの世話係を買って出てくれる人物はいなかった。
 がっくりと落ち込み、蒼真になんと報告しようかと言い訳を考えていると、ひとりの男子生徒が近付いてきた。
 金髪に染めた明るい髪に、耳にはピアスをたくさんして、制服は着崩していた。
 やんちゃそうな雰囲気で、少々目つきが悪く、正直あまり関わり合いになりたくないと感じてしまう男の子だ。
「なあ、あんた世話係探してんの?」
 誰だろうかと不審に思いながらミトは頷く。
「そうです」
「俺、なってやってもいいよ」
「……えぇ!?」
 一瞬言われている意味が分からなかったが、言葉を飲み込んだミトは大いに驚いた。
「本気で言ってます!?」
「ああ。それと同じ一年だから敬語はいいよ。で、どうする? 俺にしとく?」
「よろしくお願いします!」
 ミトはこくこくと頷いて手を差し出した。
 しかし、この男の子は誰なのだろうか。
 自分から世話係を売り込みにくるということは神薙科の生徒なのだろうが。
「私、星奈ミトです!」
「俺は成宮千歳」
「えっ、成宮千歳!?」
 ミトは慌てたリストを見た。
 リストの一番最後に載る成宮千歳の文字。
 彼は確か、蒼真が最後の手段にしとけと言っていた人物ではないか。
 少々クセがあるということらしいが、他の神薙科の生徒には断られてしまったのだから今がその最後の手段の使いどころで間違いない。
「なんか問題ある?」
「まったくありません! あなたは私のお世話係になってもほんとにいいんですか?」
 おずおずとうかがうように見ると、彼は
「別に。いいと思ったから声かけたんだけど。嫌なら無視してる」
「ありがとうございます」
「敬語。いらないってさっき言っただろ」
「あ……。えと、じゃあ、成宮君ありがとう」
 しかし、まだ不満そうな顔をしている。
「千歳でいい。同い年だし。俺もミトって言うから。いいよね?」
 一見仏頂面のように見えるが、彼なりに気を遣ってくれるのだろうと思えた。
「うん。よろしく、千歳君」
「こっちこそ」
 お互いぎゅっと手を握り合ったその姿を見た神薙科の一年から三年の生徒がざわついていた。
「うそ、成宮が世話係を受け入れたぞ!」
「おい、まじかよ!」
「だって、皐月さんやありすさんからの申し出にも断ってた奴だぞ」
「なんであんな面倒そうな奴の世話係なんてするんだよ」
 などと、騒然としている。
 誰もが信じられなく驚愕した顔をしていた。
 クセが強いとは聞いていたが、皐月やありすを断っていたとは思わなかった。
「皐月さんと桐生さん断ってたの?」
「うん」
「どうして私は受けてくれたの?」
「そんなことより、チャイム鳴ってる」
 指を上に向け指摘する千歳の言葉で、チャイムが鳴っているのに気づく。
「あっ、授業。あの、またね」
 慌てて自分の教室に移動するミトに、千歳が声をかけた。
「昼休みに迎えに行くから」
「う、うん」
 戸惑いを見せながら返事をして教室へと戻った。
 なんにせよ、世話係が見つかってほっとしたミトだった。

 そして昼休み、教室で待っていると、約束通り千歳が迎えに来た。
「食堂行こう」
「うん」
 隣について歩くがどうもなにか変な感じだ。
 慣れないというか、違和感というか。
 まあ、今日初めて会った人なのだから同然と言えば当然だ。
 ふたりで歩いて食堂に入ると、周囲から視線を感じる。
「あの噂本当だったんだ」
「美波さんも桐生さんも断った、あの成宮君が転校生選ぶなんて」
「神薙の資格を持ってる成宮君は引く手あまただったのにね」
 周囲から聞こえてきた声にミトの注意が向く。
「千歳君って神薙の資格持ってたの?」
「うん。去年取った」
「ということは十五歳で?」
「そう。日下部んとこの蒼真さんと一緒。まあ、俺は蒼真さんみたいに誰か龍神の神薙はしてないけど。蒼真さんはサラブレッドで俺は雑種だから仕方ないけど」
 意味が分からなかったミトは首をかしげる。
「日下部家は代々龍花の町で神薙として、多くの龍神に仕えてきたんだ。でも俺は別に身内に神薙がいるわけでもないから、龍神のように大事な方の神薙をするには経験も年齢も若すぎるから、いざという時責任が取られないってさせてもらえてない。蒼真さんはおじいさんが保護者としてついてたから可能だったって話」
「千歳君も龍神のお世話をしたいの?」
「んー、よく分かんない。したい気もするけど、ちょっと怖い。だから、紫紺様に選ばれたミトの世話係を言い出すのはちょっと悩んだ」
 ミトは目を丸くする。
「千歳君は私が波琉のこと知ってたの? もしかして今朝登校する時見てた?」
「見てないけど、一応俺も神薙だから、情報は共有されてる」
「なるほど」
 確かに蒼真もそんなことを言っていた気がする。
 自分とは関わりがない皐月のことも知っていたし、同じ神薙なら千歳がミトを知っていてもおかしくない。
「神薙の資格持った生徒って学校内に他にいるの?」
「いない。俺だけ」
 それはかなりすごいことなのではないだろうか。
「千歳君って優秀なの?」
「んー、たぶん」
「たぶんって……」 
 大きなあくびをしながら空いた席を見つけると、ミトが座れるように椅子を引いてくれる。
「えっと、ありがとう」
「メニューなににする?」
「ラーメンにしようかな」
「分かった」
 そう言うと、ミトが止める前にさっさと注文を待つ列に並びに行ってしまった。
 追いかけようとも思ったが、席を取っておいてくれという意味かもしれないと、ミトは座り直す。
 少しして戻ってきた千歳は、当然のようにミトのラーメンも持ってきてくれた。
「ありがとうね」
「いいよ。これも世話係の仕事だから」
「そうなの?」
「うん。他の世話係は皆してるから気にしないで。ほらそっち見て」
 よくよく観察してみると、確かに特別科の子はテーブルで座っており、特別科ではない生徒が食事を持ってきたり飲み物を用意したりと甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
 それは男女変わらずだ。
「執事みたい」
 蒼真が執事の教育も受けると言っていたが、こういう時のためにあるのかもしれないなと考える。
「ねえ、千歳君はそんなに優秀なのにどうして私のお世話係になってくれたの? 私が波琉の伴侶だからかなとも思ったけど、その前に皐月さんや桐生さんからも申し出があったのに断ってるみたいだし。なにか他に理由があるの?」
 まだなにも知らない千歳のことをなにか知れるのではないかと、ミトは質問してみた。
「あんな我儘女たちは嫌だから」
 返ってきたのはなんとも歯に衣着せぬ発言。
「でもミトは、あの我儘女その一のせいで周りに無視されてても毅然としてた。それが格好よくて、仲良くしたくなった」
 千歳はまるで無邪気な子供のように笑った。
「我儘女その一に対して啖呵切ったのは見物だった。ナイスファイト」
 そう言って、ぐっと親指を立てたのである。
 もしや見られていたのかと、ミトは恥ずかしくなった。
 けれど、格好いいと言われて悪い気がするはずがない。
「私も千歳君と仲良くなれたらいいな」
「じゃあ、これからなればいいよ」
「うん。そうだね」
 互いにニコニコと笑っていると、ふと蒼真の言葉が頭をよぎる。
「蒼真さんが、千歳君はクセが強いとか言ってたけど、話してみると全然だね。どうしてそんなこと言ったんだろ」
「我儘女その一に要請された時に、自分が認めた奴以外には龍神だろうと仕えないって大衆の前で大見得切ったからだと思う」
「皐月さん相手にそんなこと言ったの? 度胸あるね」
 ミトには波琉という絶対的な盾があるが、ただの神薙である千歳には、守れる防具がないというのによく言えたものだ。
「ミトほどじゃないから」
 からかうように口角をあげる千歳をミトはじとっとにらむ。
「ブサイクな顔になるよ」
 千歳に鼻をつままれてミトは慌てて顔を後ろに背ける。
「波琉はかわいいって言ってくれるもん」
「紫紺様は目が悪いのか?」
「そんなことない!」
「だって……なあ?」 
 意地が悪そうに笑う千歳に、ミトの眉間に青筋が浮かんだ。
「千歳君!」
 肩を震わせた千歳は声を押し殺して笑う。
 この少しの間にずいぶんと打ち解けたような気がする。
 見た目に反して千歳はなんとも気安い性格をしていたのもあるだろう。
「あんまりからかってると、クロに言いつけてやる」
「クロ?」
「我が家に居着いてる黒猫」
「猫っ」
 なにが面白いのか笑いが止まらないようだ。
 もしや笑い上戸なのか。
 すると、嫌みな声で割って入る者がいた。
「あら、ずいぶんと楽しそうじゃない」
 ミトの前に立ったのは、皐月だった。
 相変わらず取り巻きを連れている。
「小娘が生意気にも神薙科で世話係を探しに行ったそうじゃない。全員に断られたらしいけどね」
 クスクスと示し合わせたように取り巻きたちが笑うが、その笑い声には力がなく、顔色もあまりよくない。
 ミトが龍神に選ばれた伴侶の上、皐月の龍神よりも位の高い紫紺の王だと知っているからだ。
 知ってなお、ミトに相対するとはかなりの愚か者だ。
 皐月も紫紺の王のことは他の生徒から聞いていたはずなのによくミトに突っかかってきたものである。
 なにかしようともミトは皐月のように波琉の名前を利用しようとは思わないが、話を聞いた波琉が勝手に動くことはあり得る。
 また嵐にならないといいなと、別の心配をしていると、皐月の矛先は千歳へと向いた。
「ねえ、成宮君。今からでも遅くないから私の世話係になりなさいよ。そんな女よりよっぽど言い思いができるわよ?」
「いらない」
「私は久遠様に選ばれた人間よ!」
「それで言うならミトは紫紺様に選ばれた貴い人ってことになるよ。それに、龍神を笠に着て好きかってする我儘女に誰が仕えたいと思うんだよ。俺はごめんだね」
 そう、千歳はぴしゃりと切って捨てた。
 思い通りにいかない千歳に、唇を引き結び怒りに震える皐月。
「どいつもこいつも私を馬鹿にして……っ。久遠様に言いつけてやるわ! 今度は警告なんかじゃない。本当に久遠様が動くことになるから覚悟しておくことね!」
 そう言うと背を向けて行ってしまった。
 なにをしに来たのかさっぱり分からない。
 ミトと千歳は顔を見合わせて苦笑する。
「千歳って怖いもの知らずね。皐月さんにあんな風に言って大丈夫なの? ほんとに久遠様が出てきたら大変なことになるのに」
「たぶん大丈夫。久遠様は温厚な方って、神薙では有名だから」
 それならいいのだが、万が一の時は波琉に助けを求めるしかない。
 波琉に頼りたくないと言っておいてずるいが、龍神には龍神に相手をしてもらわなくては、人間は神の前では脆く脆弱だから。
「龍神の位が自分のものと勘違いしている馬鹿が多いから困るよね」
 ありすも聞こえる位置にいるのに、平然と言ってのける千歳には頼もしさしかない。

 放課後、迎えに来た車まで千歳が案内してくれた。
 明日からは出迎えもするからと口角をあげる千歳は、面倒な仕事が増えたにもかかわらず楽しそうだった。
 理由は分からないが、世話係という役目を負担に思っていないならいい。
 屋敷に帰宅するや、波琉より先に蒼真に会いに行く。
 そしてリストの一番最後にあった千歳が世話係になってくれることになったと告げると、蒼真は大層驚いた。
「千歳君はすでに神薙の資格を持ってるんですね。そんなに優秀なのにリストの最後だったのはどうしてですか?」
「言っただろう。クセが強いって。誰でもやりたがる龍神に選ばれた伴侶からの要請を断るような奴だ。一筋縄じゃいかない奴なんだよ。だからミトが頼んでも絶対に断ると思ってリストの最後にとりあえず入れておいたんだ。それなのに、まあ、よくあいつを釣りあげたもんだ」
 わしゃわしゃとミトの頭を撫でる蒼真はどこか嬉しそう。
「あいつはちょっとどこか昔の俺に似て排他的なとこがあるからなぁ。仲良くしてやってくれや」
「はい」
 蒼真に言われなくとも仲良くする気満々だ。
 蒼真との話を終えると、早速波瑠にも世話係ができたことを伝えに行く。
「波琉~」
 どこか上機嫌で波琉の部屋を訪れると、いつもの優しいほわほわと温かくなるような笑みで迎えてくれる。
「ミト、おかえり」
「ただいま。聞いて、波琉。私にお世話ができたの。千歳っていう子でね、蒼真さんみたいに怒らせたら怖そうな男の子なんだけど、話しやすくていい人そうなの」
「男……なの?」
「うん。そうどけど?」
 すると、波琉から笑みが消える。
「どうして男なの? 同性で選ばなかったの?」
「確かに女の子もいたけど、千歳君以外の子には断られちゃったんだもん。でも、千歳君でよかった」
 千歳ならば対等に付き合っていけると思えた。
 機嫌のいいミトは、ふと波琉の表情が曇っているのに気づく。
「波琉、どうしたの?」
 波琉はそれにすぐには答えず、ミトをぎゅっと抱きしめた。
 様子のおかしな波琉に不安を感じたミトも抱きしめ返す。
「波琉?」
「ミトは、あんまりその子と仲良くしないでって言ったら怒る?」
「理由によるかな。仲良くしたら駄目なの?」
「駄目なわけではないよ。ただ……。これは僕の我儘かな。心配なんだよ」
 波琉は「はあ……」と、深く息を吐き、ミトを横抱きに抱き直す。
 そうすれば先ほどよりお互いの顔がよく見えた。
「ごめんね。ちょっと心配になっちゃっただけなんだ」
「どういうこと?」
 いったい波琉になにが起こったのかミトには理解できないでいた。
「うーん、あんまり言いたくないけど、簡単に言うとやきもち焼いちゃっただけなんだ」
「波琉が?」
 誰にとはわざわざ聞かずとも分かるだろう。千歳の話をしていたのだから。
「花印を持った子が絶対に龍神に選ばれるとは限らないって話したよね?」
「うん」
「それはね、人間の方だってそうだよ。もし龍神が気に入らなければ断ったっていいんだ。そこはお互いの気持ちが大事だからね」
「そうなんだ」
 ミトは少しびっくりした。
 誰も彼も龍神に選ばれるのはとても素晴らしいことだと言わんばかりの態度でいる上、龍神を崇めている。
 そんな龍神から伴侶に求められて断るという選択肢が人間側にもあるのだとは思わなかった。
 まあ、あったとしても、ミトが大好きな波琉からの求めに応じないはずがないのだが。
「それがどうかしたの?」
「花印を持った子には世話係がつけられるでしょう? それは成人してからも花印の子のそばで尽くすことが許されるんだ。それだけずっと一緒にいたら情が生まれてもおかしくないと思わないかい?」
「波琉は私が波琉じゃなくて千歳君を好きになるかもしれないって思ってるの?」
 わずかにミトの眼差しがきつくなる。
 浮気相手もいないのに浮気を疑われたら当然だ。
「別にね、神薙と恋に落ちるのが悪いわけじゃないよ。実際に迎えに来た龍神の求めを拒否して、天界に渡ることよりも神薙と人間の生を生きることを決めた花印の子もいるにはいるんだ」
「そうなんだ」
 それは初めて聞いた話だ。
「だからってわけじゃないけど……。もしミトがそんな風に神薙に恋をしたら、僕はこの町を半壊程度じゃ済ませられそうにない」
 何気に怖いことを言っている。
「ごめんね。ミトが心移りしないか心配だったんだよ」
 しょぼんとする波琉の様子に、ミトはなんとも言えない母性が刺激された。
 思わすかわいい……と思ってしまったのである。
「私には波琉が一番だから。千歳君と仲良くなりたいとは思うけどそこに恋とか愛とかはないから安心して」
 これで納得してくれるかは分からないが、ミトは精一杯の気持ちを伝えると、波琉はスリスリと頬を寄せてくる。
「そうだよね。ミトを信じるよ」
「うん」
 これで問題は解決。
 しかし、ミトには気になることができた。
「ねえ、波琉。神薙と恋に落ちる人もいるって言ってたけど、花印を持った子の恋愛事情とかどうなってるの?」
 学校でも、花印を持った生徒のほとんどが龍神の迎えが来ていない。
 伴侶に選ばれたのは皐月とありすのふたりだけ。
 その外の人たちは今後どうなるのだろうか。
「その辺りは蒼真の方がよく知ってると思うから今度詳しく聞いてみるといいよ。僕が知ってる限りだと、花印が現れて龍花の町に降りてきても、龍神がその相手を選ぶとは限らないってこと。気に入らなくて帰ってしまえば、もうその花印の子が龍神に選ばれることはないわけだ」
「うん」
「正直、まだ迎えに来ていない花印を持った者の方が立場は強い。今後迎えが来る可能性があるんだからね。けど、龍神から拒否されれば、花印を持っていてもただの人間と変わらない。龍神と縁を持つことは絶対にあり得ないんだからね。この町での立場は、まだ迎えが来ていない子よりかなり弱くなるんじゃないかな」
「龍神の伴侶になって、その後縁が切れることはあるの?」
「当然あるよ。人間同士でも離婚するように、やっぱり気が合わないってなるのは仕方のないことだからね。誰が悪いわけではないんだけど。まあ、基本的に人間は龍神に選ばれることを望んでいる方が圧倒的に多いから、さっき言った人間側から断られるってのは稀な例だよ」
 その稀な例ということは、その例になった龍神が存在するということだ。
 少しかわいそうな気がする。
「だから僕を稀な男にしないでね」
 波琉は茶目っ気たっぷりな笑顔でミトの頬にキスをした。

 久遠に言いつけると皐月は吐き捨てていたものの、千歳が久遠からなにかされることもなく、学校で千歳と行動することが多くなったミトは、無事にぼっちを卒業した。
 ミトが紫紺の王の伴侶だと周知されるようになった後は、今さらのように神薙科の生徒が世話係になりたいと言い寄ってきたが、すでに神薙の資格を持つ千歳がいるから必要ないと断れば相手はぐうの音もでないようだった。
 つけられる世話係はひとりと決まっているので、新しい世話係をつけるためには今いる千歳をやめさせなければならない。
 数少ない味方になってくれた人をやめさせるはずがないではないか。
 なので、自分の利になると思って、さぞ慌ててやって来たのだろうが、今さら来てももう遅い。
 世話係がひとりと決まっているのは、人数制限をなくしてしまうと、皐月やありすのような発言力のある生徒に集中してしまうのを避けるためだという。
 確かに、どうせ世話をするなら力のある人につきたいと思うのはおかしくない考えだ。
 なんにせよ、並み居る希望者は、千歳の名前を出して撃退していた。
 すると、数日も経てば誰も寄りつかなくなった。
 これでのんびりと静かに昼食が取れると気を抜いていたある日、ミトに声をかけてきたのはもうひとつの派閥のトップである桐生ありすであった。
「こんにちは、星奈さん」
「こんにちは……」
 やや警戒してしまうのは仕方がない。
 こんな風にありすがミトに話しかけてきたのはこれが初めてなのだから。
 皐月は相変わらず紫紺の王の伴侶と分かりつつも、ミトに暴言を吐きまくっていたが、ありすはずっと傍観者をきどっていた。
 他の生徒が皐月に絡まれた時には助けに入るのに、ミトが皐月に絡まれていても見ているだけで手も口も出してこない。
 まあ、ありすがなにもしなくとも、頼れる世話係の千歳が毒を吐いて退散させてしまうので、必要ないとも言う。
 だとしても、これまで接触をしてこなかったのに、どんな用があるというのだろうか。
 ありすはにこりと微笑みながらミトの向かいの席に座る。
 千歳は『なに勝手に座ってんだ』と言いたげな眼差しだ。
 皐月のように毒を吐かないか心配である。
 千歳いわく、ありすは『我儘女その二』らしいから。
 どんな我儘があったかはミトが転校してくる前のことだから知らないが、なにかしらのいざこざがあったのは確かのようだ。
「これまでなかなかお話ができずにいましたね」
「そう、ですね……」
「あなたのおかげで皐月さんに虐められる方が減って、お礼を言いたいと思っていたんですよ」
 これは嫌みか?と勘ぐってしまう。
 生徒の被害が減ったのは、矛先がミトに向かうことが多くなったからである。
 ミト自らがなにかしたわけではない。
「そうですか……」
 ありすがなにを言いたいのか分からずにモヤモヤしていると、同じく耐えかねた千歳が喧嘩腰でにらみつけた。
「なあ、言いたいことあるなら早くしたら? こっちはあんたにかまってられるほど暇じゃないだけど」
 龍神の伴侶にたいしてなんと強気な発言。
 ヒヤヒヤもするが、よく言ったと褒めたくもある。
 ありすは一瞬眉をひそめたが、すぐににこやかな顔に戻り、ミトに向かって告げる。
「あなたが紫紺様に選ばれた方ということは私の龍神様から確認が取れました。ということは、あなたはこの学校……いえ、この町で誰も逆らえない地位にあるということです。そこで、あなたには皐月さんに対抗する派閥のトップに立っていただきたいのです」
「は?」
 まさに目が点になる。
「皐月さんの行動は目に余ります。これまでは私が抑えていましたが、やはりお相手の龍神様の位が違い上手くいっていません。けれど、あなたのお相手は紫紺の王。久遠様より格上のお方です。あなたなら皐月さんを止めることができます」
 まるで自分に酔うようにとうとうと語るありすに、ミトの眼差しが冷たくなる。
「あなたも皐月さんに散々なことをされて腹立たしく感じているでしょう? 私も彼女には苦渋を飲まされ続けてきました。今こそ反撃の時です」
 反撃の時だなどと言われてもミトの心には欠片も届かない。
 ようは、ミトの後ろに控える波琉の力をあてにしているだけだ。
「あなたになら派閥のトップの座を明け渡してもかまいません」
「いえ、そんなの必要ありません。お断りしますから」
「えっ?」
「私は波琉の威を借りるつもりはさらさらありませんから」
 ただの学校の勢力争いに、波琉な力はもったいなさすぎる。
「でも!」
「派閥を作るのは勝手ですけど、それは私の関わりのないところでやってください。正直、私には皐月さんもあなたも同類にしか思えませんから、手を貸す気はないです。以上!」
 バンッとテーブルに手のひらを叩きつけて立ちあがる。
「ごちそうさまでした! 行こう、千歳」
「了解」
 千歳はニッと口角をあげて同じく立つと、ミトと自分の食器が乗ったトレーを返却棚に戻して一緒に食堂を出た。
「ついてきてる?」
「いや、来てない」
 それを聞いてほっと息をつくミトは、げんなりとした。
「なにあれ? ねえ、なに?」
「さっき言ってた通り派閥に引き入れたいんでだよ」
「迷惑でしかないんだけど」
「だよねー」
 気持ちは千歳も同じようだ。
 これで千歳も派閥のトップに立つべきだなんて言い出していたら世話係をやめさせている。
「なんか面倒なことになったなぁ。また来と思う?」
「さあね。でも次は俺が撃退してやるよ」
「千歳君がイケメンすぎて、波琉がやきもち焼いて町を半壊させそう」
「なにそれ、めっちゃ怖いんだけど」
 千歳が頬を引きつらせるが、実際にその危機にあったとは口にしなかった。

 放課後、さあ帰ろうと千歳も教室まで迎えに来てくれていた時、ホームルーム終わりの草葉がミトを呼び止めた。
「星奈さん、少し校長室に行ってもらえますか?」
「校長室ですか?」
「校長が話をしたいそうなんですよ。どうせくだらない世間話でしょうけど、年寄りの長話にちょっと付き合ってあげてくれませんか?」
 校長がいったいなんの用事なのか。心当たりがないミトは、千歳に目を向ける。
「どうしよう?」
「行ってきたら? 校長なら危険なこともないだろうし。俺は校長室の外で待ってるから」
 お言葉な甘えて千歳には外で待ってもらうことにして、校長室の前まで案内してもらった。
 ノックをして中に入る。
 木目調のデスクの前に、黒い革のソファーが向かい合わせで置いてある。
「よく来てくれた」
 ミトを迎え入れた校長は、柔和な顔立ちでとても優しそうな人だった。寂しい頭のせいで年を取って見えるが、まだ定年は迎えていないところを考えると思ったより若いのかもしれない。
「草葉先生からお呼びだと聞いてきたんですが、私なにかしましたか?」
「いやいや、なにもしておらんよ。どんな子か少し話をしたかっただけなんだ。お茶菓子を用意してるからそこのソファーで話そうか」
「お菓子」
 お菓子と聞いて目を輝かせるミトは、迷わずソファーに座った。
 ナッツの入ったクッキーを食べてお茶を飲んでひと息ついたところで、校長が本題に入る。
「今日、正式に神薙本部から苦情が来たんだ」
 なぜ自分に話す?と疑問に思っているのが顔に出ているミトに、校長はミトに指をさした。
「君についてだよ」
「私?」
 こてんと首をかしげるミトには覚えがない。
「神薙本部からではあるが、紫紺様の名代とした日下部家からだ。学校での君の扱いに紫紺様が遺憾に思っていることを伝えてきた」
「あー」
 そこまで言われれば覚えがありすぎる。
 学校でのあれやこれやをミトは虐めと思っていないが、波琉は大層怒っていた。
 もちろん蒼真と尚之も。
 学校に警告をした方がいいとも言っていたので、実行に移したのだろう。
「紫紺様ににらまれたら、私なんぞ木っ端微塵にされてしまう。紫紺様が学校に来られたことで無視や陰口はなくなったようだが、他になにか学校内で問題はないかね? あるなら早めに言ってくれるとありがたい。きちんと学校側で対処させてもらう」
「問題というかなんというか……」
 言っても学校側に解決できるのか疑問だったが、ミトは食堂でありすに派閥のトップに立ってくれと勧誘されたことを話した。
 途端に校長から深いため息が出る。
 口から魂まで出てきそうである。
「美波さんと桐生さんの派閥の対立は私も頭を悩ませておってなぁ。なんとかならんかね?」
 と、逆に相談され返してしまった。
「いや、私に聞かれても」
 ミトの方がどうにかしてほしい側なのだから。
「そこをなんとか、いい案はないかね。ほんとにほんとにふたりには困っておるのだ。相手は龍神の伴侶だし、腹の中では小娘どもが大人を舐め腐ってと悪態をついていても、こちらが下手に出るしかない」
 そんなことを思っていたのかと、なにやら校長が不憫に感じてきた。
「まあ、あの日下部君に比べればマシなのだがな」
 またもやため息をつく校長。幸せが逃げていかないか心配である。
 それよりも日下部とは蒼真のことではないのか。
「あいつはほんとにもう、問題児の中の問題児で、何度奴に泣かされたことか……。今思い出しても泣ける……くぅ」
 目頭を押さえて上を向く校長は本当に今にも泣きそうにしている。
 いったい蒼真はなにをやらかしたのか。
 怖くて聞くに聞けない。
「……で、いいアイデアは思いついたかね?」
 まだあきらめていなかったのか……。
「そりゃあ、波琉に出てきてもらうのが一番早い解決方法でしょうけど、私は波琉をこんなくだらない問題に関わらせたくありません」
 残念そうにがっくりする校長には悪いが、嫌なものは嫌だ。
 ありすとは違い引き際のいい校長は「仕方がない、私たち教職員がなんとかするしかあるまい」と納得してくれた。
「変わりと言ってはなんだが……」
 校長は背後から巨大なハリセンを取り出してミトの前に差し出した。
「これで私の頭を殴ってはくれまいか」
「へっ?」
「紫紺様にハリセンで叩かれると毛が生えるという話は聞いたことはないかな?」
 ずいっと身を乗り出してくる校長に気圧されながら、そんなことを蒼真が言っていたなと思い出して、「あります」と肯定する。
「私も紫紺様に叩いていただこうと尚之殿に何度もお願いしたんだが梨のつぶてだ。そこで私は考えた! 花印からは神と同じ質の神気がまとっている。ならば紫紺様と花印を同じくする君に引っ叩いてもらえば毛が生えるのではないかと!」
 校長は興奮のあまり鼻の穴を膨らませて、ミトにハリセンを渡す。
「さあ、受け取ってくれ。そして私の頭を遠慮なく叩いて欲しい!」
「えっ、えっ」
 戸惑うミトに校長はたたみかける。
「さあ、さあ、さあ! 遠慮はいらない。力の限り叩いてくれたまえ!!」
「ひっ!」
 思いっきり顔を引きつらせるミトは、ずいずいと近付いてくる校長への恐怖のあまり、ハリセンを奪い取りスパーンと頭を力の限りぶっ叩いた。
「おほー! これが毛生えの痛み! 念のためもう一度頼む!」
 ミトは怯えつつもう一度叩くと、逃げるように校長室から逃げ出した。
 外で待っていた千歳は、恐怖におののくミトの顔に焦りを見せる。
「なんだ、なにかあったのか?」
「毛が……。ハリセンが……」
 うまく説明できないミトは、その日の夜ハリセンを持った校長に追い回される悪夢を見たのだった。
 そして後日、校長室にはまたもやミトの姿があった。
 あれからちょくちょく呼び出されるようになり、お茶菓子を食べながら校長の愚痴を聞くのが日課となってしまった。
 愚痴の終わりになると、どこからともなく校長がハリセンを取り出すのである。
 そして遠慮なくスパーンと一発お見舞いして、その日の日課が終了するのだった。
「むふふふ、これで私もいつかふさふさだ」
 まだ生えていない頭を優しく撫でながら鏡を見つめる様子は、はっきり言って気味が悪い。

***

 ミトが学校にいる頃、波琉の屋敷には久遠が訪れていた。
 久遠は波琉の前に座るや、深く頭を下げた。
「私の選んだ伴侶が、ミト様に無礼なことをいたし、まことに申し訳ございません」
 波琉は片肘をついて頬を乗せる。
 久遠を見る目はひどく冷ややかだ。
 ミトの前では絶対に見せない、冷たい王の顔。
 温厚な波琉には滅多にお目にかかれない表情に、久遠にも冷や汗が浮かぶ。
「ちゃんと注意したの?」
「はい。しかし、皐月は長くこの町で大切に扱われすぎていたようです」
「ならそこは君が抑えるべきではなかったのかな?」
「……おっしゃる通りです」
 久遠は落ち込んだ様子で視線を下に向ける。
「私は……天界に帰ろうかと思います」
「伴侶の子はどうするの?」
「縁がなかったようです」
 久遠はひどく残念そうに続ける。
「皐月は、昔は明るく誰にでも分け隔てない純粋な少女でした。そんな彼女を好ましく感じていたのですが、どうやら多くの権力を手に入れ彼女は変わってしまったようです。最近では傲慢さが目立つようになりました。……今の彼女と永遠をともにする気にはなりません」
「そう。つまり、ひとりで戻るんだね?」
 久遠は苦悩した表情で静かに頷いた。
「紫紺様もお気をつけください。我らにとっては瞬きのような時間も、人間にとっては人となりが変わってしまうほどに長き時間です。紫紺様のお相手もそうならぬようお気をつけください」
「心配は不要だよ。僕にとってはどんなミトもミトであることに変わりはない。傲慢になったミトもさぞかわいらしいだろうね」
 くつくつと、波琉は楽しげに笑いながら言ってのけた。
 その目には愛おしさだけではない、激しい執着を目に宿している。
 自分の感情を揺さぶる唯一の存在。
 ミトの姿を思い浮かべるだけで、どうしようもない愛おしさが波琉を襲う。
「僕にたくさんの感情を与えてくれるのはミトだけだ。どんなミトだろうとね」
 変わってしまうならそれでもいい。
 ミトが自分のそばにいてくれるかが大事なことなのだから。
 波琉にある重い独占欲と執着心を感じ取った久遠は、やや寂しげに微笑んだ。
「私にはあなた様ほどの深い愛情を、皐月には見つけられなかったようです」
「ねらばその程度の縁ということだろうね」
 久遠は「ですね」と苦笑した。
「彼女の横暴でこれ以上周囲に迷惑をかけぬためにも、私は素早く去った方がいいでしょう」
「君が悩んだ上でそう決めたのなら僕はなにも言わないよ。僕にしてもミトを傷付けるあの娘には思うところがあったし、君から捨てられたなら大人しなるだろうからね。人間の言葉を借りるとざまあみろってところかな」
 こんな性格の悪さをミトが知ったら嫌われてしまうかなと思いつつ、波琉はうるさいハエがミトに絡まなくなるならそれでいいと考えた。
 常に波琉がここらを動かすのはミトにかんする物事だけなのだ。
「あっ、そうそう。君なら百年前に金赤に追放された星奈の一族を知っているかな?」
「百年前? いえ、金赤様からはなにもお聞きしておりませんが」
「なんだ。そっか……」
 波琉は少し残念そうにする。
「じゃあ、天界に帰ったら金赤に一度龍花の町に来るように頼んでよ。彼の口から、正確な星奈の一族の情報を知りたいんだ。百年前になにがあったか」
「承知しました」
 深く頭を下げ了承した久遠は、それからすぐに天界へと帰っていった。


五章

 朝、ミトは波琉から突然に、久遠が天界に帰ったことを教えられる。
「えっ、久遠さん帰っちゃったの?」
「うん、そうだよ」
「でも、皐月さんは?」
 彼女は相変わらず絡んでくるが、昨日も変わった様子はなかった。
「久遠ひとりで帰ったよ。伴侶の子とは関係を解消することにしたようだ。あの子の我儘に耐えられなくなったみたい」
「えー」
 ミトはひどく驚いた。
「いや、まあ、確かに我儘がすぎるだろうかど……」
 なにかというと久遠の名前を出して他者を脅すのだから、我儘で片づけられなくなったのだろうか。
「久遠にも傲慢さが目立つようになったらしいからね。自業自得ってことだよ」
「久遠さんから愛想を尽かされちゃったの?」
「まあ、そういうことだね。久遠のように心の広い龍神でも、ぞんざいに扱われたら愛情も消え失せていくってことだよ。久遠だからここまで我慢できたんだろうね」
「そっか……」
 ミトはなんだか複雑な気分だった。
 その一方で、話を聞いていたクロとチコはご機嫌だ。
『龍神の後見がなくなってどうするのかしらねぇ』
『何度チコの話を聞いて引っかいてやろうと思ったか。これで大人しくなるんじゃない?』
 お互いにチュンチュン、ニャンニャンと笑うように鳴いている。
『チコ、その女がどんな顔してたか教えてよね』
『了~解。いっそクロも来たらいいのに』
『前に試したけど、用務員に見つかって外に放り出されたのよねぇ』
 クロはいつの間に来ていたのか。用務員に見つかったと言っているが、なにもなくて幸いだった。
「じゃあ、私学校行ってくるから、クロはちゃんとお留守番ね」
『分かってるわよ。シロも目を離すとなにするか分からないからね』
 先日も蝶々を追いかけたまま外に出てしまい、町の中で迷子になって泣いていたのを、チコが見つけクロが連れ戻したという事件があった。
 あれからシロにはGPSつきの首輪をするようになったのだ。
 アホかわいいとはまさにシロのためにあるような言葉である。
 車に乗って学校へ行くと、千歳がすでに待ちかまえていた。
「おはよう、千歳君」
「おはよう。今日は朝から大騒ぎになってる」
「なんで?」
「我儘女その一の話」
 それで伝わってしまうのが切ないが、皐月のことだ。どうあっても名前を言いたくないらしい。
「それって、久遠さんの?」
「そっ。我儘女その一を捨てて天界に帰ったって皆言ってるよ」
「もう話が伝わってるの?」
 ミトでも今朝波琉から教えられたところだというのに。
「おかげで我儘女その二の派閥の奴らがいきり立ってるよ」
 これまで散々皐月に煮え湯を飲まされ続けてきたありすとありすの派閥の生徒。
 これまでは久遠という盾が皐月を守っていたが、久遠はもういない。
 ありすの派閥が調子づくのも仕方がないのかもしれない。
 一時はミトを派閥のトップにして皐月に対抗しようとしたほどだ。
 けれどミトはきっぱりと断り、その後すぐにはあきらめないだろうと思っていたが、接触してくることはなかった。
 千歳いわく、しつこくして波琉が出てくるのを警戒したんだろうという。
 あっさり引き下がるとは思わなかったので、少々消化不良気味だ。
 まあ、しつこくつきまとわれないで、よかったのはよかったのだが。
「じゃあ、昼に」
「ありがとう」
 ミトを特別科の教室まで送り届けて、千歳は自分の教室に向かった。
 中に入ると、予想外にも皐月が来ていたのである。
 プライドの高い皐月なので、きっと周りから揶揄される事態を恐れて、学校には来ないだろうと思っていたのだ。
 しかし、変わらぬ様子で自分の席に座っている。
 すると、ありすの派閥の生徒が数名近寄っていった。
「皐月さーん。よくのこのこ学校に来られたよね? 私だったらショックで寝込んじゃうのに、さすが面の皮が厚い皐月さんね」
 皐月は反論はしなかったが、ギッと相手をにらみつけた。
 けれど、久遠がいない今、恐れる者はほとんどいないだろう。
「にらんだって怖くないわよ。無様よねぇ。散々偉そうにしていて、最後は捨てられちゃうなんて」
「でも、久遠様だってあなたみたいな人、嫌に決まってるもの。いろんな人から嫌われてるんだもの。ざまあみろだわ」
 ミトは皐月を責めるひとたちにも不快感を覚えたが、これまで皐月の取り巻きをしていた生徒の誰もが助けに入らない姿が余計に不快だった。
 金魚のフンのごとく皐月の後ろをついて回っていたのに、結局は皐月といることで得られる甘い蜜を吸っていただけ。
 得られないと分かれば、蜘蛛の子を散らすように逃げていってしまうのだ。
 それは皐月に人望がないからで、日頃の行い故の自業自得かもしれないが、そんなに手のひらを返してしまうなんてひどいとも思う。
 派閥の子たちも、誰も助けに入らないのを見てニヤリと笑う。
「もうあなたは終わりよ。龍神に捨てられた花印なんて憐れなものよね。私たちにはまだ龍神様が迎えに来てくれる可能性があるけど、あなたには絶対にあり得なくなってしまった。格で言えば私たちよりずっと劣ったことになるの。ちゃんと理解してる?」
 ひとりが皐月の机をガッと蹴りつける。
「これからはありすさんに逆らわないことね。あなたとじゃ立場が違ってしまったんだから」
 皐月は必死で耐えるようにしている。
 そして、最後まで口を開くこともなかった。
 いつの間にか教室に入ってきていたありすも、派閥の子を止めるでもなく、それまで皐月の派閥にいた子たちが皐月を見捨ててご機嫌うかがいをしてくるのを、微笑んで見ているだけだった。
 ありすありすと、派閥の人たちは崇めるようにありすを立てるが、皐月と一体なにが違うのだろうか。
 久遠がいるかいないかだけでこんなにも違ってくる状況にも我慢がならない。
 人間の愚かさと醜さを見てしまったようで気分が悪くなった。
 そんなホームルーム前の出来事を、校長室で校長に愚痴っていると、校長も頭を悩ませているようだった。
「本当に悩ましい状況だ」
「なんとかならないんですか? 教室の空気が悪くてかないません」
「それができたら私の頭は最もふさふさだ。まあ、星奈さんのおかげで毛に元気が戻ったようでな。肌の調子もバッチリだ。やはり紫紺様の神力とハリセンは最強の組み合わせらしい」
 上機嫌でハリセンをペシペシと手に叩きつけている校長は、以前よりも肌のつやがよくなっている気がする。
 自分にそんな力があるとは思っていないが、校長は信じているようだ。
 まあ、本人が納得していてるなら別にいいのだが、校長が言いふらしているらしく、ハリセンで叩いてくれとマイハリセンを持ってミトに頼みに来る先生ご増えたのが問題だ。
 それまで紫紺の王の伴侶ということで恐怖と怯えの眼差しで見られていたが、今では尊敬が含まれるようになったのは気のせいではない。
 主に、頭にコンプレックスを持っている中年男性と、美意識の高い女性からの支持率があがっている。
 怖がられるよりマシだが、これでいいのかと判断に困る。
 校長は一旦ハリセンを置いて真剣な表情で話し始める。
「皐月さんもなぁ。これまでの行いがあまりに悪すぎた。そうでなかったらここまで非難されることもなかっただろうに……」
 それはミトも深く同意する。
 久遠に選ばれた特別な人間だと我儘がすぎた。
「花印を持った子たちはよくも悪くも上下関係に敏感だ。龍神に選ばれた子を頂点とし、龍神に捨てられた子は、龍神を待つ子たちより立場が一番下に転がり落ちてしまったと言っていい。皐月さんはこれまで好きかってしていた分、ひどいことにならないか心配だ。星奈さん。少し気をつけて見てやってはくれまいか? 少し助け船を出すだけでいいんだが……」
 ミトの顔色をうかがうように校長は懇願する。
 頼まれてもミトは皐月にもありすにもできるだけ関わり合いになりたくないというのが正直なところだ。しかし……。
「進んで関わったりはしないですけど、あまりにもひどくて目についた時には」
 明言しなかったが、校長は「それでかまわない」と、ミトに感謝の言葉を口にした。
「では、これで失礼します」
 用も終わったのでさっさと出ていこうとしたが、ミトをの手を校長が掴む。
「待ちなさい」
「なんですか?」
「今日の日課がまだではないか!」
 そう言ってハリセンを差し出すので、ミトはいつもより力を込めてぶっ叩いた。







 校長室を出て、外で待っていた千歳と食堂へ行くと、ゴミ箱を持って中のゴミを頭からぶちまけられている皐月の姿があった。
 我が目を疑うほどの光景。
 座り込み、俯いている皐月の表情は分からない。
 ゴミをかけたのは、昨日まで皐月の取り巻きをしていた派閥の生徒だ。
 久遠が天界に帰ったと知り、さっさとありすに鞍替えをしていたので記憶にもよく刻まれていた。
 ゴミをかけた生徒は若干気まずそうな顔をしながら、そばにいるありすをうかがうよに視線を向けた。
 ありすは腕を組みながらぞくりとするような微笑みを浮かべている。
 そして、ゴミにまみれた皐月に向けて告げる。
「皐月さん、これは皐月さんがこれまでしてきたことの行いが返ってきただけんですよ。これでやっとやられた者の気持ちが理解できましたか?」
 自分は間違っていないと自信にあふれた声で、皐月さんに説教を垂れる。
 ありすに呼応されるように、周囲からヤジが飛ぶ。
「俺たちの気持ちが分かったか!」
「これまで散々下に見やがって」
「いい気味よ。当然の報いだわ」
「もう学校に来なきゃいいのに」
  中には皐月に媚びへつらっていた生徒も混じっており、態度の変わりようにミトを不快感が襲う。
 なんなのか、これは……。
 ありすは正義感から被害に遭った生徒を守っていたのではないのか。
 皐月は確かに多くの生徒をもてあそんでいて、被害者は多いが、これは違うだろう。
 ありすのやっていることは皐月と同じではないか。
 これのどこに正義があるのか。
 見ていられなくなったミトは、一直線に皐月の元へ向かう。
 後ろから千歳がやれやれという様子でついてきてくれた。
 止めるつもりはないらしい。
 ミトは再度別のゴミ箱を皐月にかけようとしたいる生徒の前に立ち皐月を庇う。
 これまで介入してこなかった紫紺の王の伴侶であるミトの登場に、ヤジも止まる。
 ありすもわずかに動揺した顔をした。
「やりすぎよ」
 ありすに向かって告げるが、ありすは強気な表情を取り戻す。
「そんなことないわ。これは因果応報。彼女の悪事が返ってきただけのことよ」
「それを指示してるのはあなたじゃない。それは因果応報とは言わないわ。ただの虐めよ」
 逆らえないと分かって集団で攻撃するなんて……。
 ミトに、村での記憶が脳裏をよぎる。
 逆らいたくても逆らえない、あの頃の嫌な記憶が今とリンクする。
「あなたは今までなにもしてこなかったのに、皐月さんのことは庇うの? それならもっと早く動いてくれればよかったじゃない」 
「龍神を笠に着てやりたい放題してるあなたたちがどっちもどっちだったから、関わりたくなかっただけ。けど、今のこの状況は見ていられない。やり方が汚いもの。理由なんてそれだけで十分よ。正義感気取ってやってるのは皐月さんと同じじゃない」
 ミトとありすの視線が交差する。
 ミトは振り返ると皐月に手を伸ばした。しかし、その手は皐月に振り払われる。
 叩かれるように振り払われたので痛みが走ったが、ミトは気にしていない。
「なんなのよ。同情のつもり? 紫紺の王っていうバックがいる者の余裕ってわけ? あんたに助けられるぐらいなら、こいつらに殴られた方がずっとましよ!」
 そう叫ぶや、皐月は立ちあがって食堂から走って出ていった。
 ミトは周囲を威嚇するように見回す。
「最低ね。あなたたち」
 何名かは気まずそうに視線を逸らしたが、ほとんどの生徒は自分が悪いと思っていない様子だった。
「学校がこんな大変なところだって思わなかった……」
 ぽつりとつぶやいた言葉は千歳だけが拾い、ミトの頭を労るようにポンポンと優しく撫でた。
 翌日から皐月は学校を休むようになった。

 一週間経っても、二週間経っても学校に現れない皐月を、さすがのミトも心配になってきた。
「蒼真さん。なにか知らないんですか?」
 花印を持った子の管理は神薙がしている。
 千歳は知らないようだったが、蒼真ならもしやと思って聞いてみたら、言葉を濁された。
「いや、まあ、なんだ……」
 はっきりとしない蒼真にミトは不審がる。
「蒼真さん、なに隠してるんですか?」
 じとっとした目を向けるミトに、蒼真は観念したように話し始める。
「実はな、ミトの言ってる美波皐月が行方不明なんだよ」
 衝撃の言葉を発した蒼真に、ミトは目を見開く。
「どういうことですか!?」
 ずいっと身を乗り出すミトを「落ち着け」と窘めて、頭を掻く。
「俺たちにも分からねぇんだよ。神薙本部がその行方を捜してるけど、所在を確認できないんだ。久遠様との関係が解消されたから、神薙本部もそいつのことは特に動向を注意してたはずなんだが、二週間前から忽然と姿を消しちまったんだよ」
「なんでですか!」
「俺に言うな。神薙たちも困ってるんだから。久遠様の元とはいえ伴侶だった人物が消えたんだから、本部は大騒ぎだ。町から出てはいないはずなんだけどなぁ」
 二週間前というと、皐月が学校に来なくなった頃だ。
「波琉なら……」
「あー、それは無理だな」
「どうしてですか?」
「とっくに頼んだ後だ。お前を虐めてた奴をどうして探す必要があるんだって断られた。紫紺様にとってはあの女は大事な伴侶を傷つける敵っていう認識だから仕方ないだろ」
 まだ怒っていたのかと、ミトはちょっとあきれてしまう。
 虐められたといってもたいしたことはされていないのだが、それでも波琉には許しがたい子とだったのだろう。
「それに、紫紺様は別のことで忙しいらしいからな」
「別のこと?」
「こっちの話だ。お前は気にするな」
 よく分からないが、波琉の協力を得られないとなると、ミトにできるのはひとつだけ。
「チコに頼んでみましょうか?」
「あ?」
「チコと町にいるたくさんのスズメたちなら、彼女がどこにいるか知っているかもしれませんよ。もし知らなくても、探すのを手伝ってくれるかも」
「その手があったか」
 蒼真は表情を明るくしてミトの両肩を叩く。
「よし、なら頼んだぞ。いろいろと手を尽くした後だから、打つ手がなくなってたところなんだよ。鳥ならもっと多くの情報が得られるかもだな」
 ということで、スズメたちによる龍花の町の大捜索が始まった。
 ミト自身は捜索の役には立たないので、手を貸してくれるスズメたちのために、スーパーに行って一番値段の高いお米を買い、スズメたちに英気を養ってもらう。
 スズメたちはお米をたらふく食べてから次々に町に散っていく。
 捜索の指揮はチコが取っていた。
 町の地図を見ながらスズメたちにどこどこを探すように指示しているのである。
 なんと頼もしいのだろうか。
 ミトは村でも動物たちに助けられてきたので違和感はなかったが、動物たちがミトに従って動いている様子を目にした蒼真はあっけにとられていた。
「話には聞いてたけど、マジか……」
 どうやら蒼真はミトの能力には半信半疑だったようだ。
 これまで蒼真の前でもクロやシロと話をしていたのに、信じられていなかったたは。
 まあ、普通の人間に動物の言葉を理解できないので仕方がない。
 スズメたちだけでなく、クロも町にいる野良猫に頼んで情報集めてくれているようだ。
 しかし、動物たちの情報網を持ってしても、皐月を見つけることはできなかった。
 無為に時間がすぎていくのを歯がゆく思っていると、事態が一変する。
 ある日何事もなかったかのように皐月が学校に登校してきたのだ。
 これには見つからないと頭を悩ませていたミトもびっくりする。
 だが、様子がおかしい。
 制服ではなく私服であり、その服も泥で汚れている。
 いつも綺麗にセットされた髪も艶がなく、ところどころ汚れざんばら状態。
 なによりおかしいのはその表情。
 目に生気がなく、人形のように表情が抜け落ちていた。
 明らかに異様なその姿に、特別科の生徒は騒然となる。
「えっ、なに? 皐月さん……よね?」
「どうしたんだ?」
「なんかおかしくない?」
 驚く生徒たちの声など耳に入っていないように、ゆらりと動いた皐月は、その目にありすの姿を映す。
 ありすに目を止めた皐月は突然豹変したように敵意を剥き出しにありすに襲いかかった。
「きゃあぁぁ!」
「ぐあぁっ!」
 まるで獣のような咆哮をあげありすの肩を掴み、噛みつこうとする。
 慌てて周囲の男子生徒が押さえ込もうとするが、目を血走らせて手負いの獣のように暴れる皐月に、多くの悲鳴が教室に響く。
 数名の男子生徒に捕まえられているにもかかわらず、皐月はそれを振り払っていく。
「ああああぁぁ!」
 皐月の迫力と人間のものとは思えない威圧感に、近付けなくなる。
 誰も動けなくなった中、再びありすに向かっていく皐月を、唯一動けたミトが飛びかかるように押さえつけようとした。
 しかし、男子生徒数名をもってしても押さえきれなかった皐月を、ミトひとりで大人しくさせられるはずがなく、恐ろしいほどの怪力で投げ飛ばされる。
 じりじりとありすに近付いていく皐月。
 ありすは恐怖で足が動かない様子で、震えているしかなかった。
 その時……。
『そいつじゃない』
 どこからか聞こえた、男性のような低い不思議な声。
 出所を探し、ふと窓の外を見ると、梟が木にとまってじっとこちらを見ていた。
 どこか梟に違和感を覚え、目が離せないでいると、皐月がありすから矛先を変えて襲ってきた。
 必死になって抵抗するが、皐月の手がミトの頬や腕に当たり引っかかれる。
 赤く爪痕がつき、ところどころ血がにじむ。
 痛みに顔をしかめながら皐月を遠ざけようとミトも暴れるが、とうとう押し倒されてしまう。
 まずい!と覆い被さってくる皐月の攻撃に身をすくめるところで、皐月の体が横に吹っ飛んだ。
 椅子や机に体を強くぶつけた後、皐月は動かなくなった。
 ミトが目を丸くして驚いていると、手を差し出してくれる人がいた。
「大丈夫?」
「千歳君……」
 千歳は怪我をしたミトの頬や腕を見て、チッと舌打ちをする。
「ごめん。もっと早く気づいてればよかった」
「ううん。助けてくれてありがとう。……皐月さんは?」
 千歳に手を借りながらよろよろと起きあがり、千歳が皐月の様子を確認する。
「気を失ってるみたいだ。念のために拘束しておこう」
 教室内にあったガムテープで、皐月の両手と両足をグルグル巻きにする。
「すぐに本部に連絡するよ。一体なにがどうしたんだ……」
 千歳はスマホを取り出して電話をし始めた。ほっとひと息ついたミトが窓の外を見ると、先ほどまでいた梟の姿はなくなっていた。