デートを終えて屋敷に戻ると、その足で庭にあるミトの家へと向かう。
 もちろん波琉も一緒だ。
「ただいまー」
 しかし、家の中に人の気配はない。
「あっ、ふたりとも今日からお仕事だっけ。とりあえず冷蔵庫っと」
 買ってきたケーキを冷蔵庫に入れていると、コツンコツンと窓をスズメが突いていた。
 冷蔵庫を閉めて窓を開けると、スズメとともにクロも姿を見せる。
『ミト、待ってたのよ、どこ行ってたの?』
 お冠なクロは留守を責める。
「ごめんね。波琉とデートしてたの」
『じゃあ、仕方ないわね』
 あっさりと引き下がったクロだが、特大の爆弾を落としてくれた。
『そんなことより、スズメから聞いたわよ。あなた学校で虐められてるそうじゃない! せっかく村を出て真由子からも離れられたのに、真由子みたいな意地の悪い女に目をつけられてるんですって? まさか手を出されてりしてないわよね!?』
 憤慨するクロはミトに詰め寄る。
 端から見たらニャアニャアと叫んでいるようにしか聞こえないが、龍神である波琉はミトのように動物の話を理解できる。
 それまで青空が広がっていたかと思うと、急に空模様が悪くなり、突然ドシャーンと雷が近くに落ちるとともに土砂降りになる。
 ビクッと体を震わせ驚くミトの方を突然ポンと叩かれる。
 振り返ると、すごみのある笑みを浮かべた波琉がいた。
「ねぇ、ミト、どういうこと? 虐められてるってなに? 手を出されたの?」
 怒鳴られているわけではないのに背筋がヒヤリとするのはなぜだろうか。
「は、波琉……。えっと……」
「ごまかしたりしたら駄目だよ? ちゃんと説明してくれる?」
「は、はい……」
 今の波琉に逆らっては駄目だと勘が働く。
「学校で虐められてるの?」
「虐められていると申しますか、なんというか……」
 なぜかその場に正座して波琉の追求を受けていると、バタバタと玄関の方から足音が聞こえ、リビングに蒼真と尚之が飛び込んできた。
 ふたりは、正座しているミトとその前にいる波琉を見てなにかを察したようだ。
「紫紺様、ミト様になにかありましたか?」
 尚之が心配そうに近付いてくる。
 蒼真もやれやれという様子で後に続いた。
「おい、ミト。なにやりやがった?」
「なにゆえ私がなにかしたことになってるんですか。そもそも、どうして蒼真さんたちがここに?」
 蒼真は端からミトが悪いと決めつけている。ミトは不満げに唇を突き出す。
「外見て見ろ、この嵐を」
 確かに外を見ると、大雨の上に風も強いようで雨が斜めに降っていた。
 窓硝子に雨が当たって大きな雨音がしている。
 時々なる雷に、家の外で「キャイーン」と情けない叫び声が聞こえてくるが、きっとシロのものだろう。
 早くどこかに避難することを願うばかりだ。
「こんな嵐を突然引き起こせるのは紫紺様ぐらいだ。前に言っただろうが。紫紺様の機嫌がそのまま天候に影響するから怒らせるなと」
「そう言えばそんなこと言ってましたね。ってことはこの嵐は……」
 おそるおそる波琉に視線を向ける。
 にっこりと笑みを深くする波琉の笑顔が怖い。
「で、なにを怒らせたんだ?」
「わ、私はなんにもしてないですよ。ただ、学校で虐められてるって話をクロがしちゃっただけで……」
「ああん!?」
「ひゃうっ」
 今度は蒼真が怒りを露わにした。
 静かに怒る波琉とは違い、こっちは顔が般若になっている。
 思わずミトは頭を抱えた。
「どういうことだ? 説明しやがれ」
「私が悪いわけじゃないですよ! ただ、学校で派閥ができてることは波琉にも蒼真さんにも話しましたよね?」
 波琉は思い出すように一拍沈黙した後、頷いた。
「うん。確かそんなこと言ってたね」
「それがどうした」
「その派閥のどちらに入るのかって、派閥のトップにいる皐月さんて人に聞かれたけど、私はどっちも嫌だって言ったの。その上ちょっとばかし皐月さんに説教のようなこともしちゃって……」
 ミトは気まずそうに視線を彷徨わせながら続ける。
「そしたら皐月さんが私と仲良くしたら駄目だって学校中の生徒に言い回ったらしくて、無視されるようになったの。ちょっと陰口みたいなことはされたけど、手は出されてないし、真由子に比べれば全然問題ない……」
 その瞬間、蒼真にデコピンされる。
「問題大ありだ、馬鹿やろう! お前、村で虐められてたせいで、そういうところが麻痺してんだよ。手は出されてないだと!? 生徒全員でハブりやがって、問題ないわけないだろうが!」
「えと、ごめんなさい」
「お前が謝んな!」
「はいぃ!」
 ガンを飛ばしてくる蒼真にミトは身をすくめる。
 ならばどうしろというのか。
 蒼真がミトのために怒ってくれているのは分かるが、少々理不尽だ。
「皐月ってのは皐月美波のことか?」
「そうです。知ってるんですか?」
「俺を誰だと思ってるんだ。神薙だったら伴侶に選ばれた人間の情報は頭に入ってる。しかもお相手は金赤様の側近である久遠様で、紫紺様がいらっしゃるまでは、あの方が龍花の町で一番位の高い龍神だったんだからな」
「へぇ」
 波琉が龍神の王で、一番位が高いということは知ってはいても、それ以前は誰が一番かだなんてミトは知らない。
 会ったことがある龍神も、挨拶に来た久遠だけなのだから、情報が不足していた。
「にしても、久遠様のとこの伴侶か……」
 蒼真はチッと舌打ちした。厄介だと言いたげな表情だ。
「どうされるんですか?」
 蒼真はうかがうように波琉に目を向けると、波琉はがらりと窓を開ける。
「ちょっと出かけてくるよ」
 そう言うと、先ほどよりはやや落ち着いてきた雨の中に、白銀の龍の姿となった波琉が消えていった。
 蒼真は開いたままの窓をさっさと閉める。
 雨によりわずかに濡れたフローリングの床を、尚之が手ぬぐいで拭こうとしていたのに気づいたミトが止める。
「あっ、雑巾あります。ちょっと待ってください」
 急いで雑巾を持ってくると、濡れた床を綺麗に拭いた。
 そして改めて三人はソファーに座り、落ち着いてから話しを再開させる。
 蒼真も尚之も険しい顔をしていた。
「じじい、学校の方に警告をした方がいいんじゃないか?」
「奇遇だな。私もそう思っていたところだ」
「いやいや、警告なんて大げさな」
「お前はさっきの暴風雨を見てもそう言えるのか?」
 蒼真にそう問われ、ミトは言葉に詰まった。
「でも、些細なことだし……」
 陰口や無視なんて村では散々行われてきた日常の一部だ。
「確かに友達ができないのは寂しいですけど、それだけで大した問題じゃないですよ?」
「その考え方は違うぞ、ミト」
 蒼真は真剣な表情でミトをにらむように見つめていた。
「今やお前は最も尊い紫紺様の伴侶だ。この町に紫紺様を除いてお前以上に大事な存在はいない。そのお前を手は出していないとはいえ侮ることは、紫紺様を侮ることと同義だ。お前は紫紺様が学校の奴らに舐められて黙っていられるか?」
「……それはやだ」
「だろう? それにだ。この龍花の町で最も偉いのは紫紺様で、お前は紫紺様が待ち望んでいた相手だ。紫紺様がお前をとても大事にしているのはそばにいる俺とじじいが誰よりよく分かっている。お前が被害に遭っていて放っておくのは神薙としても恐ろしいんだよ」
 尚之を見れば、同意するように深く頷いた。
「でも、どうしたらいいんですか? あの人真由子に負けず劣らずの我儘娘だと思いますよ。言って聞く相手じゃないです」
 もしそうなら、とっくにありすが止められていたはずだ。
「一番いいのは世話係だ」
「ふむ、確かに。ミト様はまだ神薙をつけておらんかったですな。ミト様をお守りする世話係を早急に選ばれるのがよろしいでしょう。なにか起こる前にそばについていた方が我々としても安心でございます」
「お世話係は護衛もするんですか?」
「神薙科の生徒には必須科目です」
 執事の教育も行われるようだし、神薙科とはいったいどんな授業をしているんだと、謎が深まった。