大学に行くのにここまで憂鬱なのは初めてだった。今までも面倒臭いなとか休もうかなとか思うことは何回もあったけど完全なる拒否ではなかったため結局は大学に足を運んでいた。今日は七海に会って、目を見て話す。簡単そうなコミュニケーションだけど私にとっては難しい。元々の人見知りと現在の状況でコミュ力がガタ落ちする。それでも最終的には大道さんのためと意気込んで家の扉を開けて大学に向かって歩き始めた。
いつも朝だと大学内の廊下はうるさくて耳を塞ぎたくなる。「黙れ!」なんて言いたいけど私なんかが言えるはずもないし、そもそも言う人なんているのだろうか。でも今日は違った。変な緊張で周りがシーンと静かに感じる。聞こえてくるのは私の心の声と速くなる心音。大道さんといる時とは全く違う心音で心地悪い。なんで私はここまでしなくてはいけないかと若干キレそうになるけど大道さんのためと言い聞かせれば落ち着いてくる。私からの同情は大道さんにとって余計なお世話だとはわかっているけど同情は日に日に大きくなっていった。
教室に入ると数人の生徒がまばらに座っている。いつもと同じ時間に来たから大体同じ生徒が着席しているのはわかりきっていた。だから私はいつもと違う席に真っ直ぐに歩いて行く。小さな身体は私よりも5センチ程差がある。そんな小柄な女の子の隣に私は座った。思った通り驚いた表情をして私を一瞬だけ見てからすぐに視線を下に逸らした。私は自分の鞄からルーズリーフの紙を出して小さくちぎったらそこに殴り書きするようにボコボコした鉛筆を走らせる。書き終えた私は隣にいる女の子にさっと渡した。不審がりながら手に取って読んだのを確認して私はテキストやらを机に置き始める。手紙の返事は返ってこなかったけど、ここまでは予想範囲内なので私は気にせずに授業を受け始めた。



お昼の時間、私は食堂には行かず売店に足を運んだ。2人分のパンを買って来た道を引き返す。七海は指定した場所に来てくれているだろうか。不安な気持ちなってしまうけど、道は引き返せても気持ちは引き返せない。もう手紙は渡してしまったのだから行くしか選択肢はない。例え来ない場合があっても呼び出したのは私だから。気合を入れながら私は外を出て大学内の体育館周辺にあるベンチへと向かった。途中で速度が遅くなってしまったけど私は体育館周辺へと着いた。後は七海を探すだけ。キョロキョロと頭を動かすけど見当たらない。他の生徒に紛れてしまったのではないかと目を凝らすがそれらしき人は私の目に映らなかった。私はどうしようかと買ったパンのビニール袋を見る。とりあえず待ってみようと後ろのベンチへ座ろうと振り向くと人が立っていた。

「ひっ!」
「あっごめん。今話しかけようとして…」
「こっちも驚いてごめん!ちょっとびっくりしちゃっただけ」

気配を感じ取れずに後ろを向いたら七海が私に手を伸ばしていて反射的に声が出る。久しぶりに向かい合って顔を合わせたからなんだか恥ずかしい。七海の顔は前よりも痩せていてご飯を食べてないのか心配になる。私と七海は何も言わずに日陰に隠れているベンチに座った。

「はい。これ」
「カレーパン?」
「半分でもいいから食べて。それともこっちのサラダサンドイッチがいい?」
「…ううん。これがいい」

七海は私が差し出したカレーパンを手に取ると袋を破り一口食べた。私もサラダサンドイッチの袋を開けて食べ始める。七海がよく食堂でカレーを食べていたから選んだカレーパン。もしかしたら今、やつれている七海には重いかもしれない。私は一口食べた後七海の顔を見る。かけようとした言葉が止まってしまった。

「七海…?」
「ごめ、ん。ちょっと、待って…」

ポロポロと大粒の涙が七海の頬を流れる。私は周りに人が居ないのを確認して七海の背中を優しく摩る。カレーパンを無理矢理食べさせて泣かしたなんて噂になったらきっと立ち直れない。それでもどうしていいかわからず私は「大丈夫?」としか声をかけられなかった。大道さんの時もそうだけど、自分の前で何か起こると慌てるだけで何もできない自分が嫌になる。大道さんが目の前で倒れた時にその感情は十分味わったはずなのに、それでも背中を摩り声しかかけられないのは全く経験を活かしきれてないと実感する。七海は少し涙を流すと少し落ち着いたのか私を赤くなった目で見た。

「美湖ちゃん、私、久しぶりに嬉しいって思っちゃって…」
「そう、なの?」
「美湖ちゃんが話したいって手紙くれたから来たけど最初に私の話を聞いてほしい」
「うん。勿論いいよ」

七海は一回下を向いて息をついて呼吸を整えるとまた少し赤く染まった目を私に向けて来た。私もそれに応えるように七海を見る。

「私、櫻ちゃんに振られたの。美湖ちゃんとちゃんと話したあの日の数日後に。もう私と居るのが疲れたって言われた。私その日からおかしくなっちゃって。…ううん。おかしかったのは前からだよね。美湖ちゃんが私と距離を置いた理由も今の私ならわかる気がする。今日までずっと1人だった。隣には誰も居なくて…。でも頭冷やせたんだ。最初はよくわからなくて暴れたりしてた。でも日が経つことにつれて自分がした行動や口から出した言葉は普通じゃなかったって思う。
だから、美湖ちゃん。本当にごめんなさい。美湖ちゃんにも沢山迷惑かけたし沢山傷つけた。謝っても美湖ちゃんは許さないかもしれないけど、今の私にはこれしか出来ないから。ごめんなさい」

私に向かって頭を下げる七海。また涙が出て来たのか肩が震えている。私は一旦目をギュッと瞑ってまた開けた。七海の下がった肩を掴んで無理矢理起こす。さっきよりも流れる涙の量は増えていて目ももっと赤くなっていた。私は一回微笑むと鞄に入ってる筆箱から鉛筆を取り出した。

「これ私の鉛筆。いつも使ってるから分かると思うけど、全体がボコボコしていて所々噛み跡見たいのがあるのがわかるよね?
…私、七海に嘘ついたし隠していた。これは犬がやったんじゃないの。全部私が傷つけた」

鉛筆を私と七海の前に持ってきて見せながら話すと、驚いたように七海は鉛筆を見つめる。

「私は壊し癖があるの。高校生の時からずっと。何かあると壊したくなって噛んだり、引っ掻いたりする。それは鉛筆だけじゃなくて自分の部屋の家具にもした。だから今の私の部屋は廃墟みたいだけどね。こんな癖誰にも理解されないし、ましてや引かれて私から離れてしまう。だから今まで隠し通してきた。でも今日、七海は私に自分のことを伝えてくれたから…。あのね、私はきっとこの癖が始まった時から人の流れから外れてた。
七海、普通じゃないのは私も同じ。だからお揃い」

ニコッと笑ったつもりなのに私の頬にも温い水が伝う。鉛筆を持つ手は震えていたけど、私は七海に見せ続けた。

「美湖、ちゃん、も、同じ…?」
「うん、同じだよ」

七海は私の持つ鉛筆をギュッと握りしめた。そしてまた静かに涙を流す。私は鉛筆を握りしめる七海の手をそっと優しく握った。大学内のベンチに座り2人で泣いた。もし、こうなる前に私が癖の話をしたらどんな結末になっただろう。過ぎたことを考えるのは無駄なことだけど、また違った答えが見つかったのかもしれない。でも私達は今のタイミングが正解だった。お互いに外れ同士とわかった今なら、また隣で話すことが出来る。ひょっとして大道さんは仲直りさせるために七海に会いたいと言った可能性もある。そうだったら後でお礼を言わないと。勿論、友達の七海と2人で。

「そうだ、美湖ちゃん、」
「何?」
「さっきの手紙の返事…」
「えっ、ただ授業終わったらここに来てって書いただけだよ?もう返事貰ったようなものだけど」
「いいからもらって!」

七海は服のポケットからビリビリに破れた1枚の小さな紙を私に押し付けてきた。それを取って確認するとどうやら私が七海に渡した紙に何かを書き足したようだった。

【授業終わったら休育館前のベンチに来てほしい。     ↑体だよ 七海】

私は殴り書きしたとはいえ恥ずかしくて俯いてしまった。