薬品の臭いが充満する独特の空間は私は好きだった。でも今、目の前で寝ている人にそんなこと言ったら失礼だろう。嫌いな臭いが籠る部屋に強制的に居させられるのだから。現在時刻は午後の4時。大学に行ったり、買い物をしたりしてたらこの時間になってしまった。私は目の前で目を瞑って横になっている大道さんの頭をゆっくりと撫でる。すると振動で私が来たとわかったのか力無い瞳が私を見た。

「ごめんなさい。起こしちゃった?」

大道さんは小さく首を振って私に伝える。

「眠いなら寝ていいですよ?」

また大道さんは同じように首をゆっくりと振った。
私はそれを見て自分の鞄からタブレット端末を出して操作する。このタブレットは最近買った物で、新しく出た機種を選んだ。当然値段は私にとっては痛かったけど、大道さんのためならと惜しまずに私物にした。タブレットを操作してとある画像を大道さんに向けて見せる。まるで子供に絵本の読み聞かせをするみたいに胸の前でタブレットを持つ。すると大道さんの表情がパッと明るくなった。

「このスイーツは結構SNSで投稿されてるんです。インスタ映えってやつですね。切ったケーキの断面がすごく綺麗で、色んな種類があるんですよ。確かイタリアのスイーツらしいです。切る前は、これみたいに帽子の形をしてます」

タブレットに表示された画像をスライドしたりアップにしたりと美味しそうなスイーツの写真を大道さんに見せる。このスイーツは知らなかったようで興味津々にタブレットを見つめていた。そんな大道さんを見て私はまた違うスイーツの写真を見せる。SNSでスクショしたとても綺麗な画像はタブレットのおかげで1つ1つが細かく写ってくれる。大道さんの満足する顔を見て、高かったけど買ってよかったなと心の中で思った。
今日の分を全て紹介し終えた頃には午後の5時前になっていて少し喋り過ぎたかなと私は反省する。しかしそんな私の反省とは裏腹に大道さんは「もうないの?」と言うように目を輝かせていた。

「今日はおしまいです。また見つけたら報告しますね」
(ありがとう)
「大丈夫です。元気になったらまたスイーツ巡りに行くので、どれ食べたいか決めといてくださいね」
(うん。わかった)

目と首の動きで私に意思表示を伝えてくれる大道さん。私はどの動きがどんな意味を持つのかがわかってきたので今は、難なく会話することができている。それに大道さんもわかりやすい仕草をしてくれるので会話がしやすい。そして顔の表情をよく見るので大道さんの目をちゃんと見れるし、コロコロ変わる表情がとても可愛らしく思える。
……でも本心は声が聞きたかった。







お家デートをしたあの日、私達はどん底に落とされた。倒れた大道さんを見てテンパった私が救急車を呼び、大道さんの側にいるため病院に着いて行ったところ知らない事実が大道家族によって判明する。当時、待合室の椅子に座って待っていた私に近づいてきたのは大道さんの妹さんとお母さんだった。

「お久しぶりです。影月さん」
「あの、保那さんは…?」
「今、点滴をして寝ています。息子が色々とご迷惑をかけてすみませんでした」
「いえ、迷惑なんて…」
「影月さん、で良いんですよね?」
「はい。影月美湖です」
「娘から聞きました。保那と仲良くしてくれていると。昔から友達の話をしない子だったので心配していたんですが、影月さんのような素敵な方が友達で安心しました」
「そんな…」
「…単刀直入に言うと、保那は病気にかかっています。最近になって診断を受けたのですが、その、ALSでして」
「ALSって…あの?」
「はい。大体は50歳以上の人がなるらしいのですけど、保那は特別みたいで…」
「じゃあ、保那さんはどうなるんですか?」
「現在の医学では完治は難しいらしいです。奇跡的に回復する例もありますが、本当に奇跡というくらです。そして保那の場合、結構症状の進行が早いと先生は言っていました。もしかしたら…」
「………」
「なんで…!保那が…!」
「お母さん、大丈夫。落ち着いて」
「ごめんなさい…!でも、」

私に説明をした後泣き崩れる大道さんのお母さんを見て私は何も言えなくなってしまった。誰かに何かをされて病気になった訳ではない。だから誰も責めることができない。ただ、ハズレくじを引いてしまっただけ。そう、思ってるはずなのに私からも涙が出てきて手で顔を覆った。宥める妹さんの震えた声とお母さんと私の泣き声が、誰もいない待合室に音を生み出した。