「すみません。もう華さんとこういう関係は辞めます。自分勝手で本当にすみません」

松本櫻は本当に自分勝手だと思う。
人の恋心を知って関係を持って、強引に身体を重ねて、最終的には自分から別れを切り出す。クズだと自分でも思う。それプラス付き合っていた恋人までも裏切る。自分はこんな人間ではなかったはずだ。きっと私はあの人のせいで変わってしまった。浮気をしたのも、浮気相手を傷つけたのも全部先輩のせいだ。先輩が私を締め付けなければこんなことにはならなかった。
そんな風に別れた当初は思って自分を保っていた。でも、私は未練たらたらだった。家に帰れば未だに先輩が待っていると思ってるし、食事だって用意されてる気になっている。しかし実際帰っても部屋は暗いし、料理の香りさえしない。キッチンのゴミ箱にはエナジードリンクやゼリー飲料が埋め尽くされていた。寝る時にも浮かぶのは先輩の沢山の表情。あの時この時って思い出と共に蘇る。もう別れたんだからそんな思い出殺してしまえばいいのにと心で思っていても、記憶と本心が消えることはなかった。

「そっか。私は楽しかったよ。ありがとう」
「私も楽しかったです。華さんありがとうございました」
「………はぁ、櫻。あんたさ、それ辞めなよ」
「え?何がですか?」
「この際だから言うけどさ、気付いてないってことは今までそうしてきたんでしょ」
「華さん?」
「櫻。今、彼女さん以外で関わったことのある女性を思い出してみて。友達も先輩後輩も」
「なんで…」
「いいから」

私の前に座ってる華さんはいつになく真剣な顔で私にそう言う。
何回も来た華さんの部屋はいつも片付いている。ちゃんと整理整頓して、キッチンだってゴミ一つ見当たらない。私とは違う部屋だ。そんな部屋に来るのはきっと今日が最後だろう。綺麗に輝いているガラスのコップにはアイスコーヒーが入っていて私は華さんに言われた事を思い返しながら口につけた。
友達、先輩後輩。思い浮かぶのはだいたいバレー関連の人達だ。チームメイト、マネージャー、コーチ。他校の選手の人。ごくわずかに高校のクラスメイトで仲の良かった人も出てくる。あの子は今何をしているんだろうか。しかし思い出したところで何があるというのだろう。全く私にはわからなかった。

「これ何ですか?」
「浮かんでる人の中で櫻が言葉で傷つけた人は何人?」
「傷つけるって、そんなことする訳ないじゃないですか」
「0人?」
「…はい」
「優しいんだね」
「はい?」
「でもその優しさが彼女を傷つけたんじゃないの?」
「どういうことですか?」
「あのさ。人って好きな人には特別優しくして貰いたいし、愛して貰いたい生き物なの。櫻ってさ、誰でも平等に優しくするんじゃない?」
「それは当たり前じゃないですか。人に優しくするのは普通のことです」
「うん。それが普通。でもさ、実際に彼女を混ぜた10人の中で10人全てに平等の優しさを与えたら彼女はどう思う?私なら、好きな人に1番近い隣の位置に立ってるのに何であいつまで同じ優しさを与えられなきゃいけないのって思う。さっきも言ったけど人は好きな人間には特別の部類にされたいの。櫻。今のあんたの状態は国民的アイドルと同じじゃない?ファンを1人1人平等に愛する。そんなアイドルと一緒。
彼女さんきっと特別にされたかったんじゃない?だから櫻に喜ばれる事をしたかったし、膨大な愛を捧げた。それが私の考えだけどね」
「先輩が…」
「確かにみんなを優しくするのは普通のことだよ?でも世の中普通で回る事なんてない。恋愛だったら外れた常識の方が燃えられる。浮気も燃える恋の1つかもね」

部屋の空いている窓から暑い空気が入ってくる。この部屋は扇風機で涼しさを取っていた。私は反論することは出来なかった。全部納得してしまったし、当てはまったから。
『みんな平等に』
そう思って生きてきた19年間。それが正解だし普通だと信じてきた。でも華さんの言う通りそれが原因だとしたら、先輩が変わったのは私のせいになる。先輩を私は愛してきたけどきっと他の人と同じレベルで接していた。先輩はきっと私に特別視されたかったのか。

「どう、しよう…」
「私はもう答えは言わないよ?あとは櫻がちゃんと決めないと成長出来ないからね」
「…華さん。ありがとうございます。まだ答えはわからないけど気づけました」
「……私はこれからはバレーの松本選手を応援する。でも、もう会場には行かない。だから、さようなら」
「はい。すみませんでした。さようなら」

私は立ち上がって華さんの部屋を後にする。白い外装のアパートを背にして私が一人暮らしをしている家に向かう。途中でスイーツのお店の前を通るけど買う気も食べる気もなかったので素通りする。
今までおかしくなったのは先輩のせいだと決めつけて、悪者にしていた。でも本当は私がきっかけを作ったのかもしれない。事実は先輩に聞かないとわからない。けれど、先輩に対しての申し訳なさと自分の馬鹿らしさに目が潤んでくる。私は俯きがちに歩きながらこの街から離れるように駅に向かって行った。