「美湖ちゃん、おはよう」
「おはよう。七海」

眠い目を頑張って開けながら教室に向かって歩いていると、よく話す小日向七海(こひなたななみ)が後ろから話しかけてきた。人懐っこい性格の七海は誰とでも仲良くなれるコミュ力を持っている。私が1人で大学にいないのもこの子が話しかけてくれるからだ。

「もしかして一緒の講義かな?」
「前回会った時に、今日は講義一緒だって言ってなかったっけ?」
「あれ?そうだっけ?普通に忘れてた」

私達はたわいもない話をしながら教室に入って行く。座る席も場所は適当に決めて隣同士で座る。私自身七海との関係は友達と言えるのかわからない。今までも友達という存在は居たかもしれないけど、私はどこか一歩引いて接している。だから親友と言える人はいないはず。七海も私のことを友達と思っているとは言い切れない。数ある話し相手の1人に過ぎないから。でも別にそれでいい。『青春』の言葉のない18年間を歩いてきたのだ。今更、友達との青春を取り戻そうなんてことはしようとも思わなかった。

「あれ?美湖ちゃん。鉛筆どうしたの?」
「え?鉛筆?」
「なんかボロボロな気がして…。少し上の方は凹んでいるし、真ん中割れてない?」
「え……ああ!ペットがいてね。犬なんだけどよく物を噛むんだよね。でも私は鉛筆派だし、変えるのもめんどくさいから」
「なるほどね!たまたま鉛筆見たらボロボロでびっくりしちゃった。わんちゃんいるんだ〜。いいな〜」

七海は納得したような顔で頷く。この笑顔の前では言えないし言うつもりもないけど嘘をついた。私が今住んでいるところはペット禁止だし実家でも飼っていない。飼いたいとも思わない。この鉛筆の傷は私がつけたものだ。噛み跡のような傷や引っ掻いたような線が付いている。一昨日付けた傷だってあった。鉛筆を使っている理由だって削ればわからないという単純な理由で使っている。結局、七海にはバレてしまったのだが。


少し経てば講師の先生が教室に入ってくる。ペンを持ち紙に板書する人や、つまらなそうにしている人に分かれていた。私はボコボコした指触りの鉛筆を持って紙に文字を走らせている。親の金で通えている大学。勉強を疎かにしないこと。自立することを約束して一人暮らしまでさせてもらっている。
両親も、家族も私の壊し癖は知らないだろう。物を壊す時は家族の目に付かない部屋で、耳に入らない音で壊していた。もし家族が私の壊し癖を知ったらどうなるんだろうか。拒絶されるか、泣かれるか。それとも、変わらず愛してくれるか。悩んでも答えの出ない問題を頭の中でグルグルと考える。チラッと隣を見ると七海は一生懸命にペンを動かしている。それを横目で見ていると無性にペンを壊したくなってしまう。私は鉛筆を持った右手を半分の力で握りしめた。

「ーーーーー」

先程までは意味のわかっていた講師の言葉も今は耳の中を過ぎて消えていくだけになっている。

(壊したい、壊したい…)

手には汗が滲んでしっとりしていた。難しい考え事をしたせいで壊したい欲が出てきてしまった。私はただ壊す。今はそれだけでいいのに、家族の視線というめんどくさい考えをしたのが悪かった。

(ああ、壊したい…。スッキリしたい…)

私は残りの時間は勉強どころではなく、自分の欲を抑えるのに集中していた。紙に書かれていた文字は途中で終わっており、1時間の勉強を無駄にしてしまった後悔が襲ってきた。我に帰ったのは七海が話しかけた時で、息が上がりそうになるのを抑える。

「いや〜苦手な科目は難しいね」
「そうだね」
「途中からペンが動くのを拒否してたよ」
「私も……」

七海とは違う意味で鉛筆が動かなかった。
少し話をした後、私達は教室を出て食堂に向かう。お昼近い授業の時は大学の食堂で済ませることが多い。誰かの手で作られて暖かい状態で食べる食事は一人暮らしをしている私にとって幸福そのものだった。大学に通えるのも、もしかしたら食堂があるからかもしれない。私は毎回うどんを頼む。七海はカレーを頼むのも最近覚えてきたことだ。いかにも大学生の食堂らしい食事は朝から何も食べてない胃を起こしてくれる。

「いただきます」
「いただきます!」

スルッと入ってくるうどんは凄い。なんとも重たく感じないから家にも冷凍保存するくらいだ。七海が食べているカレーも美味しそうに見える。もし、夕食を作る気力があったら次のメニューはカレーにしようと心の中で予定を決める。すると私がカレーをじっと見ていたのに気づいたのか七海は目の間に皺を作る。

「これは譲れないよ」
「はいはい。でも大丈夫?それ一人前でしょ?」
「平気!今回こそ完食するの!」

好き嫌いはないものの、食べる量が極端に少ないという七海は一人前の量でも食べるのが大変らしい。普段はミニメニューを頼むのだが、たまに完食チャレンジをしたがる。しかし結局食べれなくて友達の誰かに食べてもらうのがオチだとこの前言っていた。もしかしたら今回は私が完食の手伝いをすることになるかもしれない。まぁ、朝食べてないから大丈夫だろうと七海のカレーを見ながらそう思った。