下げてた頭をゆっくり上げると見覚えのある顔が私を見る。そこまで記憶を辿らなくてもわかった。

「あの、いつも試合に来てくれる人ですか?間違っていたらすみません」

私がそう彼女に伝えると顔を真っ赤にして肯定してくれた。そして私は彼女がバレーはやったことがないことを知り、少し気分転換に練習に誘った。彼女ら不審がらずに私の後ろをついてきてくれて先程通った広い芝生に連れて行った。その後はレシーブを教えて2人でボールを触る。本当に触ったことないんだなとわかるくらい初心者だった。それでも中学の時みたいにイライラしなくなったのは心が成長している証拠だろう。話しながら両手首にポンポンとボールを当ててると彼女が私のことを褒めてくれる。「上手」だと。その言葉に中学時代の先輩の姿が重なってついぶっきらぼうに返事してしまい、そこからは何を言っていいかわからずに黙ってしまう。その後、彼女は一生懸命に私を励ますと同時に私の事をずっと応援してくれると宣言した。

「……っ!」

何故かその言葉に涙が止まらなかった。今まで沢山の人に応援されてきた。身近な人にも知らない人にも。その度に感謝の言葉は投げかけたけど涙が出るほど嬉しいことはなかった。彼女の言葉で涙が溢れた訳は私にはわからない。そう考えていると、暖かい温もりが私を包み込む。
あの時の自分に聞いてみたい。
何故、抱きつかれたのに離そうとしなかったの?
何故、恋人がいるのにキスをしたの?
何故、キスをした瞬間、心が軽くなったの?
今なら答えがわかる。私は疲れてたんだと。それは勉強や部活の辛さではない。
私は先輩に……。


「疲れて、辛くて、苦しんでいた」
「え?」
「華さん…。どうすればいい?どうすれば疲れずに済む?」
「櫻…」
「わからないの。あんなに好きだったのに、愛おしいと思っていたのに。大切にしてたのに。今では一緒にいるととても辛い。苦しいよ…」

私を抱きしめる華さんの力が強くなる。あの時のように背中を摩ってくれる。私のこんな姿は先輩に見せたことはない。それ以前に、弱音なんて吐いたこともない。これまでの弱い姿が一気に出たかのように私は言葉を吐き捨てる。

「私は沢山の愛を先輩にあげたよ?それなのにまだ足りないからって…。先輩は愛してくれている。でもそれが辛い」
「うん」
「先輩が私の周りの人に手を出してしまうんじゃないのかと思うと怖くて仕方ない。だからと言って私は辞めたくないよ…」
「それは、バレーを?」
「昨日言われたの。バレー辞めてもっと一緒の時間作って欲しいって」
「……そっか」

ポロポロと出てくる涙が華さんの服を濡らす。申し訳ないと思っていても涙は止まらないし、離れるつもりもなかった。私の頭を撫でる華さんの温もりに目を瞑ると溜まっていた涙が頬を流れ、服にまた1つの点を作る。

「櫻…」
「何」
「今だけ忘れよう。そして落ち着いてから考えよう。大丈夫。私が一瞬だけ魔法をかけてあげるから」

華さんは少し体を離すと自分の涙で濡らした頬を撫でてそう言った。私を見つめる目は優しさと悲しさに満ちた目でとても綺麗見える。見つめていると、私の唇に柔らかいものが触れてゆっくりと目を閉じた。先輩とは違うキス。ゆっくりで味わうような動きは私を慰めてくれるようだった。華さんは私に魔法をかけてくれた。その魔法にまんまと取り憑かれた私は頭の中に先輩の言葉と顔は消えていて目の前にいる魔女に身を委ねた。







「ケーキありがとうね。夕飯のデザートに美味しくいただきます」
「こちらありがとう。少し、楽になった気がする」
「今日みたいに私の前では素直になっていいんだからね。弱い姿見たってなんとも思わないし…いや、愛おしく思えるから」
「ありがとう…」
「ねぇ、櫻」
「何?」
「貴方の彼女さんがもし一緒に死んでって言ったらどうする?」
「……わからない」
「うん。OK」
「え、何が?」
「んーなんでも〜」

魅力的な魔女に魔法をかけられて甘ったるい時間を過ごした後、私は帰る準備をしていた。今は既に魔法は解けているけどこの家に来た時よりは少しだけモヤモヤが消えたような感覚だった。華さんは玄関先まで一緒に来てくれて見送りをしてくれる。駅まで送っていくとも提案されたけど、もしもの時のために念のため断っておいた。

「華さん、もうリビング戻っていいよ」
「あ〜そうだね。それじゃあ気をつけて帰ってね。またなんかあったらいつでも言って!」
「うん。ありがとう」

華さんがリビングの扉を閉めたのを確認して私は玄関の扉を開く。これは私と華さんの作戦のようなものだった。華さんが玄関先にいて私が開けた時もし、先輩が見ていたら華さんが何かされてしまうかもしれない。だから華さんには帰る時に部屋の中に戻ってもらって私が扉を開けた時に華さんの姿が見られないようにする。そこまで厳重にしなくてもいいのではと華さんに言われたこともあったけど、もしもの時のためと私が頑固になって言い続けたら了承してくれた。そこからは私達の決まり事となっている。
私はオシャレな街並みを先程とは逆方向に歩いていく。途中に華さんにケーキを買ったお店の前を通って自分の大福の存在に気づく。鞄の中に入っていた大福は形は崩れていたけど、周りの粉は袋から出ていなくて安心する。帰ったらすぐ食べようと心の中で宣言してゆっくりになっていた歩く速度をまた普通速度に戻した。この大福は今日のうちに食べなければ。それは味の期限とかそういうのではなく、今日のラッキーアイテムだからと本心は結構気にしていた。今のところは占い通りにはなっていない。所詮占いだ。悪いことは信じない。それなのに何故このクリーム大福を買ったのだろうと疑問に思ってしまうけど、ややこしくなるため私は考えるのをやめた。
少し華さんの家に居すぎた。時刻は夕方の4時だった。今日の夕飯は何にしようか。先輩は来ているのだろうか。考え事をしている私は知らなかった。鞄の中で光ったスマホの画面の文字を。これから帰る場所は地獄と化していることを。
魔法という名の麻酔は切れつつあった。


【影月美湖さんからメッセージが届いています


今日、なんか七海がイライラして不機嫌だったんですけど何かありましたか?】