「ここには俺が許したモノしか入れない」

(それってどういう――)

 疑問を最後まで考えるより早く、千里の顔が見る見る近づいてきた。

 あと数ミリで唇が触れ合う――というそのとき。
 
「ごめんくださいましー」

 どこからともなく聞こえてきた鈴を転がすような声に、千里の動きがピタリと止まった。

「化け猫屋、というのはここですの?」
「化け猫屋じゃない。まねき亭だ」

 璃世から体を少し離した千里は、すぐ横の戸口に向かって答える。

「あら、お名前なんてなんでもよくてよ? それよりも早く中に入れてくださる? アタクシ、お客様でしてよ」

 背中を壁につけている璃世には、真横にある戸口の様子は見えない。声の感じからいって璃世と同年代の女性だろう。
 千里は、初対面の――しかも平々凡々の容姿である璃世に突然迫ってくるくらいなのだ。そんなに女好きなら、間違いなくそちらのかわいらしい(声の)女性客の方になびくに決まっている。

(そうだ。この隙に逃げるのよ)

 そう思った璃世は、千里に気付かれないようそうっと体を横にずらし、じりじりと千里から距離をとった――のだけれど。

「取り込み中なんだ。またにしてくれ」
「えぇっ!」

 予想と真逆の答えに、驚きの声が飛び出た。女好きうんぬんは置いておいても、どこの世界にやって来たお客を追い返す店主がいるというのだろう。
 自分も二週間前までは接客業の仕事をしていたせいで、思わず突っ込みたくなった。

 その場がシーンと静まり返る。肝心の女性客はなにも言わない。

(もしかしておとなしく諦めちゃったの⁉)

 そう思ったところで、千里の顔が再び璃世の方へ向けられた。

「邪魔ものはいなくなったようだな」

 大きなアーモンドアイを弓なりにし、口の両端をキュッと持ち上げた表情は、「狙った獲物は逃さない」とでも言うよう。璃世の背中にゾクッと悪寒が走る。

「さっさと夫婦(めおと)契約を済ませてしまおう。なに、心配するな。おとなしくしていれば一瞬だ」

(夫婦契約⁉ 一瞬ってなにが⁉)

 思いきり叫びたいのに、喉が張りついたように声が出ない。じりじりと顔が近づいてきて、今度こそ唇が重なると思ったそのとき。

 横から千里めがけて、なにか白い物体が飛んできた。直撃をくらった千里は、「ぐぅっ」と声を上げてよろめき、頭の横側を押さえながら悶絶している。

 千里の足元に落ちた白い物体を見て、璃世は驚愕した。