「あの……本当にこっちで合っているんですか?」
さっきから、行けども行けども道らしきものは見当たらない。草木に囲まれてかろうじて歩ける程度の場所を進んでいるうち、璃世は不安になってきたのだ。
そういえばアリスとはぐれてかれこれ三十分以上はたつ。それなのにこの夫婦以外には誰とも出会っていない。
山で遭難したわけでなし、まったくだれともすれ違わないなんてあり得ない。いくら繁華街ではないとはいえ、ここは京都市街なのだ。
そのことに思い至った瞬間、璃世の全身からサーっと血の気が引いた。
嫌な予感がする。それがなんなのか具体的にはわからないけれども、とにかくこのままではまずいと感じた。
「あのっ、私……」
急に声を上げた璃世に、数メートル先を歩いていた夫婦が足を止める。その背中に早口で言葉を投げる。
「忘れ物を思い出して、ちょっと取りに戻りま――!」
言い終わる直前、こちらを振り返った夫婦の顔を見た瞬間、息をのんだ。
のっぺりとした顔にくり抜かれたような黒い目。さっきまではこんな顔ではなかったと思うのに、その顔は思い出せない。
「あら。一緒に戻りましょうか?」
妻の方は言う。優しげな物言いとは逆に、口をへの字に下げて。
「忘れ物はまたにしなさい。もうすぐ通りに出るのだから」
夫の方が言う。唇の隙間から真っ赤な舌をチロリと出して。
(お……おばけっ!)
心の中では大絶叫だが、実際は喉が「ひゅうっ」と音を立てただけ。けれどこのままではまずいと思い足をジリリと後ろに引いたら、夫婦の姿が黒っぽくグニャリと歪んだ。
「け、けっこうですっ!」
そう叫ぶと同時にきびすを返し、全速力で駆けだした。
来た道をひた走る。行く手を阻むように伸びる枝葉を、必死に手で払いながら。
こんなにがむしゃらに走ったのは、高校の時以来。走るのは決して苦手ではないけれど、普段の運動不足がたたり、すぐに息が上がった。恐怖心も手伝ってたびたび足がもつれそうになりながら、後ろを振り向かず無我夢中で前だけを見た。
しばらくして少し開けた場所に出た。「はぁはぁ」という璃世の息づかいだけが耳に届き、ほかの音はいっさいしない。
(追って来なかったのかも……)
そう思って足を緩めかけたそのとき。
「また迷子になるわよぉ」
「そうだぞぉ」
両耳のすぐ近くでそれぞれ男と女の声が聞こえ、次の瞬間後ろから回り込むように黒いものが前を塞いだ。
璃世は悲鳴を上げることすらできず、その場に凍りつく。
「あと少しだったのになぁ」
「あと少しだったのにねぇ」
さっきまで男女のものに聞こえていた声は、もはやそのどちらでもなく、ひしゃげた音でしかない。
黒くてグニャグニャとした物体は璃世の背の倍ほどになり、穴が空いたようになっている目の中で眼球がギョロギョロと動いている。
(こ、怖い……)
バケモノとしか言いようがないふたつの塊を前に、足はすくみ、体は震えあがった。
「逃げても無駄だぁ諦めろぉ」
「そうよぉ、どうせ逃げられやしないのさぁ」
言いながら黒いバケモノがにじり寄ってくる。
璃世は震える足をどうにか動かし必死に後ずさったが、不意になにかが足に引っかった。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げながら転倒した璃世に、黒いバケモノたちがいっせいに飛びかかってきた。
「「おとなしく我々に喰われろぉ!」」
(誰か助けてっ!)
心の中で叫びながらギュっと固く目をつむった。
――そのとき。
さっきから、行けども行けども道らしきものは見当たらない。草木に囲まれてかろうじて歩ける程度の場所を進んでいるうち、璃世は不安になってきたのだ。
そういえばアリスとはぐれてかれこれ三十分以上はたつ。それなのにこの夫婦以外には誰とも出会っていない。
山で遭難したわけでなし、まったくだれともすれ違わないなんてあり得ない。いくら繁華街ではないとはいえ、ここは京都市街なのだ。
そのことに思い至った瞬間、璃世の全身からサーっと血の気が引いた。
嫌な予感がする。それがなんなのか具体的にはわからないけれども、とにかくこのままではまずいと感じた。
「あのっ、私……」
急に声を上げた璃世に、数メートル先を歩いていた夫婦が足を止める。その背中に早口で言葉を投げる。
「忘れ物を思い出して、ちょっと取りに戻りま――!」
言い終わる直前、こちらを振り返った夫婦の顔を見た瞬間、息をのんだ。
のっぺりとした顔にくり抜かれたような黒い目。さっきまではこんな顔ではなかったと思うのに、その顔は思い出せない。
「あら。一緒に戻りましょうか?」
妻の方は言う。優しげな物言いとは逆に、口をへの字に下げて。
「忘れ物はまたにしなさい。もうすぐ通りに出るのだから」
夫の方が言う。唇の隙間から真っ赤な舌をチロリと出して。
(お……おばけっ!)
心の中では大絶叫だが、実際は喉が「ひゅうっ」と音を立てただけ。けれどこのままではまずいと思い足をジリリと後ろに引いたら、夫婦の姿が黒っぽくグニャリと歪んだ。
「け、けっこうですっ!」
そう叫ぶと同時にきびすを返し、全速力で駆けだした。
来た道をひた走る。行く手を阻むように伸びる枝葉を、必死に手で払いながら。
こんなにがむしゃらに走ったのは、高校の時以来。走るのは決して苦手ではないけれど、普段の運動不足がたたり、すぐに息が上がった。恐怖心も手伝ってたびたび足がもつれそうになりながら、後ろを振り向かず無我夢中で前だけを見た。
しばらくして少し開けた場所に出た。「はぁはぁ」という璃世の息づかいだけが耳に届き、ほかの音はいっさいしない。
(追って来なかったのかも……)
そう思って足を緩めかけたそのとき。
「また迷子になるわよぉ」
「そうだぞぉ」
両耳のすぐ近くでそれぞれ男と女の声が聞こえ、次の瞬間後ろから回り込むように黒いものが前を塞いだ。
璃世は悲鳴を上げることすらできず、その場に凍りつく。
「あと少しだったのになぁ」
「あと少しだったのにねぇ」
さっきまで男女のものに聞こえていた声は、もはやそのどちらでもなく、ひしゃげた音でしかない。
黒くてグニャグニャとした物体は璃世の背の倍ほどになり、穴が空いたようになっている目の中で眼球がギョロギョロと動いている。
(こ、怖い……)
バケモノとしか言いようがないふたつの塊を前に、足はすくみ、体は震えあがった。
「逃げても無駄だぁ諦めろぉ」
「そうよぉ、どうせ逃げられやしないのさぁ」
言いながら黒いバケモノがにじり寄ってくる。
璃世は震える足をどうにか動かし必死に後ずさったが、不意になにかが足に引っかった。
「きゃあっ!」
悲鳴を上げながら転倒した璃世に、黒いバケモノたちがいっせいに飛びかかってきた。
「「おとなしく我々に喰われろぉ!」」
(誰か助けてっ!)
心の中で叫びながらギュっと固く目をつむった。
――そのとき。
