「頑固だな。観念して俺の嫁になればいい。知らないのか? なってみれば案外いいものだぞ、夫婦というものも」
「断固としてお断りいたします!」

 さっきからずっとこのやり取りを続けている。さっきというのは、目が覚めたときから。しかも布団の上にあおむけの状態で。

 長い腕と足、そしてたくましい体に動きを封じられるなんて初めてなのだ。これが世に言う“床ドン”というやつか。

 さすがに璃世だって、出会ったばかりの――それも人外の男性宅に泊まることになんの警戒もしなかったわけじゃない。むしろ夜通し気を張っていたのだ。

 だがそれが裏目に出てしまった。朝方になって滑るように深い眠りに落ちたせいで、千里が来ても目が覚めなかったのだ。
 いったん眠るとちょっとやそっとのことでは起きないのは長所だと思ってきたが、これからは短所にも加えよう。

 そんなどうでもいいことを頭の片隅で考えるのは、決して余裕があるからではない。そうでもしないと正気を保っていられないからだ。

 どうやったらここから逃げ出せるのか。それを必死に考えていたら、突然千里が眉を下げた。

「嫁が来ないと俺は猫生(じんせい)を終える。俺が死んでもおまえの胸は痛まないのか?」
「そ、そんなこと言われても……」

 良心の呵責につけ込むなんてずるい。「私には関係ない」と即座に突き放さなかったせいで、千里がたたみかけてくる。

「別になにも特別なことはない。ただこの店を手伝いながら“普通に”暮らすだけでいいんだぞ?」
「普通にって……夫婦としてなんでしょう⁉」

 そこが問題なのだ。
 すると千里は形のよいアーモンドアイを弓なりに細め、意味ありげな笑みを浮かべる。

「なにを期待したかしらないが、夫婦(めおと)になるために必要なのは、たった一回、互いの生気を交換することだけだ。一瞬で終わる」
「せ、生気⁉」

 なんだかとても恐ろしいことを聞いた気がして、血の気がサーっと引いていく。そんな璃世を見て千里が「ふっ」と息を吐くように笑った。

「人でいう“接吻”というやつだ」
「せっ……ぷん⁉」
「したことないのか?」

 平然と聞かれて、璃世は絶句する。

(あるわけないでしょ!)

 心中で思いきり叫んだ。男女交際をしたこともないのに、そんなものあるわけない。
 すると千里は満足げに口の端を持ち上げた。

「情報屋の言った通りだな」

 千里がつぶやいた声は、璃世の耳にハッキリ届いた。なにせこの距離だ。

「情報屋って……」
「細かいことは気にするな」

 そう言った千里が顔を近づけてくる。顔を背けようにも、千里の手によって固定されていて無理。
 心臓が早鐘を打ち、耳の奥でドクンドクンと血液の波打つ音がする。

(もうダメだ……!)

 唇があと数ミリで触れ合う――というそのとき。

「いつまで寝ていらっしゃるの⁉ アタクシ待ちくたびれましてよーー!」

「スパーン」と勢いよく襖が開く音と同時に、威勢のよいその声が入ってきた。声のする方に視線を向け、璃世は目を丸くする。

「え、外国人⁉」

 そこにはまるでおとぎ話から抜け出してきたかのような、金髪赤眼の美少女が立っていた。