「カズ村の出身なのね。ルーベンの領主預かりになってる。この歳でお抱えの魔道士として、採用されたってことかしら?」

「さぁ」

 俺はその、白く簡素な椅子に腰掛ける。

女はようやく顔を上げた。

「本当に。あなたの目は、きれいな魔法の色ね。さ、始めましょう」

 その瞬間、椅子にかけられた呪いが発動した。

いつもは自分の意志で動かす魔法石の力が、ぐるぐると呪いにかき乱される。

俺の意志とは無関係に、それが全身を駆け巡る。

頭痛と吐き気と、めまいが襲ってきた。

「くっ……。あ……」

「分かってると思うけど、叫んでも助けは来ないわよ。ディータもお姉さんも、いま大変でしょうから」

 俺にとっては血液ともいえる魔力が、全身を駆け巡る。

心臓は脈打ち、汗が噴き出す。

体が熱い。

「血縁はないお姉さんと旅をしているのね。彼女の名前はフィノーラ。このルーベンの通行手形は散々調べたみたいだけど、本物に間違いないという結論が出ているわ」

 彼女はにっこりと笑みを浮かべた。

「どうやって手に入れたの?」

「さぁ……ね……」

「魔道士二人組の行く先といえば、やっぱりグレティウスかしら?」

「違うと言ったら?」

「フフ。ナバロは私が怖くないのね」

 コイツらの目的は、俺の魔力とその能力を見極めることだ。

それだけのことに、なにを恐れる必要がある。

いままでも何度も審査にかけられ、その全てをクリアしてきた。

モリーはテーブルに肘をつくと、じっと見下ろす。

「ねぇナバロ。ここに来た子供たちは、みんなお利口さんに決まった返事を返すわ。『お父さんとお母さんが大好きです。学校は楽しいです。友達も沢山います』って。ブルブル震えながらね、教えられた通りの言葉を話すの。『自分はこの大切な世界を、絶対に変えることはありません。将来は、聖騎士団に入れるくらいの凄い魔道士になりたいです』ってね。だけど私が本当に知りたいのは、そういうことじゃないの」

 魔力によって無理矢理開かれていた血管が、今度は末端から強引に閉じられてゆく。

体が内側から搾り取られている。

視界がぼやけ始めた。

突然の恐ろしいほどの寒さに、手足が震えだす。

少しでも動いたら、頭から床に転げ落ちそうだ。

「あなたはいま、どれくらい魔力を体内に貯めてる? これから先、どれくらいそれを拡大出来そう? そしてその能力を、何に使うつもりかしら?」

「エ……エルグリムの、生まれ変わりを探してるんじゃないのか?」

 思考が支配されている。

質問に対して、それだけに答えるよう、口が勝手に動き出す。

「君はエルグリムの生まれ変わりなの?」

「違う。ぜ……絶対に、違うって……答える……」

 モリーは、ふぅと退屈そうにため息をついた。

「かの大魔道士は、本当に生まれ変わりに成功したと思う?」

 舌が回らない。

口を動かすのに、こんな辛い思いをしたことなんて、ない。

「は……、し、知るかよ……」

 どうやって、この魔方陣から抜けだそう。

体内から奪われる魔力で、ここに吸い付けられているんだ。

その力が強ければ強いほど動けない。

どのタイミングで振り払う? 

全身にじっとりと汗が流れた。

「はや……く、この、くだら……ない、呪いを……解け」

「ふふ。自ら魔法の椅子に座っておいて、何を言ってるのかしら。試されに来たのでしょう?」

「こ、こんな……こと。ここ……に、連れてこられた……子供、全員……に、やってるのか」

「んん? そうね。これはキミだけ特別……、かな?」

 魔道士モリーは、にっこりと笑みを浮かべた。

「まだしゃべれるなんて、凄いわね。さぁ、そろそろ抵抗するなら抵抗しないと、もう二度と魔法を使えなくなるかもしれないわよ」

 吸い取られた魔力が可視化されている。

ぐるぐると渦を巻きながら、俺の頭上で球体を形作り始めた。

「なぜ……、こ、ここまでする?」

「ナバロは中央議会が、本当にエルグリムの生まれ変わりを信じてると思う? 私はそうだとは思わないわ。あなたのような、今後脅威となるような潜在能力の高い魔道士を、子供の時から把握し、飼い慣らすためじゃないかと思ってるの。一種のスカウト的な? まぁ、悪い芽は先に摘んでおいて、損はないじゃない?」

 体内の魔力が、高速で吸いあげられてゆく。

このままでは、自力で呪いを解くことも難しくなる。

「ふふ。さすがね。ルーベンの領主に、かわいがられるだけのことはあるわ。貯め込んだ魔力は底なしかしら? このまま封じ込めちゃうのも、もったいないわね。私とのパワーバランスが変わったの、分かるでしょ」

 吸われた魔力を本人から切り離し、吸収すれば自分のものになる。

魔道士なら誰もが欲しがる力の塊が、俺の頭上で渦を巻いている。

「素敵。このまま食べちゃいたいくらい」

 今までに何度も、こういった身体検査は受けてきた。

魔法石の力を吸収できる体質の子供なら、誰だってそうだ。

それでも、こんな屈辱的で過酷な試験は初めてだ。

他の子供もみんな、ここではこんな目にあわされてるのか? 

これは審査なんかじゃない、拷問だ。

「子供の魔道士って、大好きよ。みんな、まだまだとっても大人しくて、従順なんだもの。素直に言うこときいて、それなのに能力は大人並み」

 彼女は大きく息を吐き出すと、そのまま頬杖をついた。

「ね、どうしたらエルグリムみたいな、凄い大魔王になれるのかしら」

 吸われ続ける魔力に、座っていることすら難しくなった。

ガクリと姿勢が崩れる。

脂汗が留まることなく流れ続けている。

それでも椅子から転げ落ちないのは、この椅子にかけられた呪いのせいだ。

意識が混濁している。

口から泡が吹き出す。

「ようやく尋問の準備が出来たようね。随分待たされたわ。ルーベンからここまで、どうやって来たの?」

「さ……山中を歩いて……」

「あの女の子と?」

 歯を食いしばる。

これ以上魔力を吸い取られたら、本当に意識が飛ぶ。

言わなくていいことまで、しゃべらされてしまう。

「どうしてお姉さんとはぐれたの? ディータとはどこで知り合った?」

「街で……絡まれた時に……」

「そう、助けてもらったのね」

 モリーはクスクスと笑う。

「ディータは、あぁ見えて優しいから。これからどこへ行くの? やっぱりグレティウス?」

 足元から何かが上がってくる。

血管が順番に締め付けられる。

魔力が吸い上げられている。

「ま……、魔道士が……。グレティウスを目指して……、何が悪い……」

「あなたも『悪夢』がお目当て? だけど、エルグリムの残した悪夢は、きっととっても巨大なものよ。想像もつかないわ。それを誰かが手に入れたとして、私には扱える人がいるとは、到底思えないのよね」

『……。か……、ぐ……』

 呪文を唱える。

今ならまだ、この椅子を壊せる。

「あら? こんな状態でも、まだそんな元気があるのね。素晴らしいわ」

 モリーが呪文を唱える。

吸い上げる力の速度が増した。

頭上に渦巻くの緑の球は、ぐるぐるとその勢いを増す。

「い……、いいぞ……。このまま……」

「何を言っているのナバ……。ん? ちょ……、ちょっと待って!」

 膨れ上がる力の根源が、呪いの力を凌駕した。

吸い上げられた魔力は一気に膨れ上がり、轟音を上げる。

この椅子では支えきれなくなった力に、ついにそれは破裂した。

「ど、どういうことなの!」

 奪われた力を一気に取り戻す。

堰を切ったようにあふれ出したそれは、俺の体を通して呪いの椅子に逆流していく。

立ち上がった。

その瞬間、呪いの椅子は砕け散る。

「なによそれ! こんなこと、絶対にありえないわ!」

「俺のもつ魔力の方が、この椅子の許容量より大きかったってことだ」

 顎を伝う汗を拭う。

こんなケチ臭いやり方で、計れるわけがない。

「待ちなさい。ここまでよ!」

 モリーの攻撃魔法。

鋭い氷の刃が、何本も飛び交い突き刺さる。

まずはこの魔方陣を崩す。

話しはそれからだ。

『この地に描かれし呪いの証よ。解放されるときが来た!』

 それだけで、白い床石に描かれた白い文字は、徐々にかすれその形を崩し変化してゆく。

「ちょっと、どういうつもり!」

 モリーは呪文を唱える。

この俺に抵抗するつもりか? 

ここに来る前に、魔力を解放しておいたのは正解だった。

俺は壁に向かって手をかざす。

「狭いところは、嫌いなんだ」

 モリーの攻撃魔法。

はね返されたその衝撃で、結界で守られていた壁が、ボロボロと崩れだす。

外の空気が流れ込んできた。

「それ私の魔法!」

 かけられた魔法を解くには、施術者のものを使うのが一番だ。

「こんな結界だらけの城内で戦おうなんて、フェアじゃないだろ? お前たちこそ、なにを恐れている?」

 胸の前で印を結ぶ。

これは強力な魔法だ。

『ここに留められしものたちよ、自らの元へ帰れ!』

 ドンッ! 

不意に、玄関ホールから盛大な爆発音が聞こえてきた。

「あっちはなに!」

「あぁ……」

 フィノーラだ。

この城はそもそも、俺が造らせた城なんだから、本当はもうちょっと大事にしてほしい。

俺もたったいま自分で壁を壊したばかりで、こんなこと言うのも、なんなんだけど……。

入り口からディータが飛び込んで来た。

「ナバロ! 無事だったか!」

「ディータ! あんたも一体、どういうつもりよ!」

 モリーの氷結魔法。

複数のつららが、ディータの足元に打ち込まれる。

「今度こそ抜け出すぞ!」

 ディータの呪文。

火柱が上がった。

「なんだ。普通の魔法も普通に使えたんだ」

 まぁ使い魔だなんて高等魔法を使ってるんだ。

考えてみれば当たり前か。

「あの姉ぇちゃんはどうする?」

「俺には関係ない」

 モリーは氷の壁を張り巡らせる。

俺たちを閉じ込めるつもりだ。

ディータは再びそれを、炎で焼いた。

蒸気が巻き上がる。

ちょうどいい煙幕が出来た。

「ディータ! あんたもいい加減にしなさい!」

「悪いな、モリー。だけど俺には、もう止められねぇんだわ」

 呪文を唱えようとして、モリーは思いとどまった。

歯をむき出しにして、俺をにらみつける。

「フッ。あぁ、やっぱりあんたは賢いね。この部屋じゃもう魔法は使えない。魔方陣がちゃんと読めるんだね」

「だって、これを描いたのは私だもの」

「そうか。なるほどね。だとしたら、もっと頑張らないと」

 壁を崩したおかげで、この城の結界は壊された。

俺のかけた魔法が、徐々にその全体を崩してゆくだろう。

書き換えられた魔方陣は、元の主のところへ帰ってゆく。

「ここで奪った数多くの魔力が、元の持ち主に返される。どれくらい他の魔道士たちに、こんなことしたのか知らないけど」

 自分の分は取り返した。

まぁ、そもそも奪われてもなかったんだけど。

「ここにあるのは、エルグリムの悪夢じゃなくて、ナルマナの悪夢だ」

「ふん。あんたの描いた魔方陣を解けばいいだけよ」

 それはそうだけど、壊れたこの城の結界は、簡単には戻らない。

積み上げられた魔法が多ければ多いほど、崩れ始めたものを元に戻すのは難しい。

「あぁ、ヘタに動かない方がいいよ。分かってると思うけど。自分の体で動くんだ」

 モリーは腕を上げた。

その動きがピタリと止まる。

「まぁ、頑張って。この部屋から出られるならね。壁に穴は開けておいたから、すぐだろうけどね」

「この団城の結界を壊すと、恐ろしいことが起こるわよ」

「そんなことはないさ。長い呪いが解かれるだけ」

「ここは魔法で守られた城。その意味が、あんたたちには分かるでしょ」

 モリーは動けない。

城壁が壊れたことで、この城の結界がほころび始めている。

それは俺がここにいることも……。

ディータが俺を見下ろした。

「ナバロ。もう行こう。こっちだ」

 その言葉に、俺はうなずく。

過去に囚われた土地に、もう用はない。

廊下へ飛び出す。

ディータと並んで走り出した。