ふと気がつくと、どうやら俺は、ディータの腕に抱かれているようだった。
荷馬車に乗せられているのか、ガタゴトと揺れている。
頭上では罵声が飛び交っていた。
「あんな魔剣で、子供に向かっていくヤツがあるか!」
「だったら、どうすればよかったんだ。お前こそ、ヘタな反射魔境かけやがって」
「死んだらどうするつもりだった!」
「そんな失敗をこの俺がするように見えるか。お前こそ、なんでちゃんと魔法の使い方を教えていない。その方が問題だ」
「これから教えるつもりだったんだよ」
「またそれか。お前はいつだってそうだ」
全身がダルくて重い。
魔力酔いだ。
わずかに体を動かす。
「うっ……」
「気づいたか? おい、ナバロ。俺が分かるか?」
目を開ける。
やっぱりディータだ。
俺は小さくうなずく。
「あぁ! よかった。お前はやりすぎだ。心配させるなよ」
男の腕に、ぎゅっと抱きしめられる。
それはそれで悪いとは思わないが、ちょっとうっとうしい。
聞き慣れない、大きなため息が漏れた。
「あぁ、助かった」
ディータの向かいには、あの魔剣を持つ聖剣士がいる。
その男の手が、俺の額に触れた。
「全く。生きた心地がしなかったぞ。熱はないのか? 水は?」
「ほしい」
起き上がる。
渡された皮袋に口をつけた。
いつの間にか辺りは、すっかり夜になっている。
「気分はどうだ」
「最悪」
俺はその水袋を聖剣士に戻した。
ディータの膝上に抱かれたまま、ぐったりとしている。
荷馬車は大きく傾いた。
どこかの敷地に入ったようだ。
懐かしいような臭いに混じって、吐き気がするほどの腹立たしい結界が張られている。
この聖騎士団の荷馬車で運ばれなければ、決して侵入出来なかっただろうし、しなかった場所……。
「着いたぞ。歩けるか」
「分からない」
「いいよ。俺が抱いていく」
荷台のホロが巻き上げられる。
踏み台が用意され、俺はディータに抱きかかえられたまま、そこに降りた。
ぐるりと高い城壁に囲まれた馬車寄せに、かがり火が焚かれている。
聖騎士団の剣士、魔道士たちが、ぎっしりと辺りを埋め尽くしていた。
「なんだここは」
その異様な光景に、思わず声が出る。
ディータは皮肉たっぷりの笑みを浮かべた。
「ナルマナの、聖騎士団本拠地だ。ナバロ。ここじゃ大人しくしとけよ」
俺たちは魔剣の騎士に誘導され、馬車寄せから城内へと向かっていた。
この城は知っている。
昔、俺の建てた城だ。
扉が開く。
「ディータ!」
女が飛び出してきた。
「今度は何をした!」
長い赤毛の波打つ髪に、同じ赤茶けた目をしている。
軍服と、胸に並んだ勲章の数は、ここの団長か?
靴音高らかに歩み寄ると、階段の上から俺たちを見下ろした。
「本当に子供と……。どうして連れてきた。知り合いなのか?」
「俺の子だ。イェニー」
「……。は?」
赤毛の女の赤い目と、俺の視線がぶつかる。
「こいつはいま、魔力酔いを起こして動けないんだ。ベッドを用意してくれ」
「お、お前……に……。こ、子供? 一体、いつ……」
魔剣の男は女の隣に並ぶと、彼女を見下ろした。
「イェニー団長。落ち着いてください。彼らの年齢を考えると、どうしてもおかしいでしょう」
ディータは女を無視して、そのまま城内に入った。
構わず歩き続ける俺たちを、女は追いかけてくる。
「待て、ディータ。なぜお前が、そんな子供を連れている?」
「いいから、ベッド用意しろよ。それとも医務室の方がいいか?」
「そ、そうだな。い。医務室なら……」
「団長。コイツには累積警告が溜まっています。子供はともかく、せめてディータは地下牢に」
「そ、そうだな。キーガン。ディータ、子供はこっちで預かる。お前は地下牢に……」
ディータは俺を抱きかかえたまま、団長と魔剣士を振り返った。
「こんな子供を、一人で置いておけるか!」
「し……、しかし……。そ、それは本当に、お前の子なのか?」
「それになんの問題があるんだ?」
女はよほど、俺のことが気になるらしい。
ディータは支離滅裂、意味不明ながらも、女に対して強気な姿勢を崩そうとはしない。
「い……、いつの間にそんな子供を……」
「イェニー団長。判断が難しいのなら、せめて結界を張った地下の個室に収監しては?」
「そ、そうだな。そっちに案内しよう」
ようやく女が、先になって歩き出した。
キーガンと呼ばれた魔剣士は、俺たちを見下ろし、ため息をつく。
「ついてこい。イェニー団長の温情により、お前たちは地下牢に繋がれることを免れたぞ」
「フン。当たり前だ! なんで俺が、そんなところに入れられなきゃならん」
ようやく移動先が決まった。
いくつもの廊下を渡り階段を下り、地下へ潜る。
内装はすっかり変えられているが、城の構造なら覚えていた。
やはりこの城はかつて、俺の建てた城だ。
この辺りに巣くう魔物たちに与えたら、よほど気に入ったのか、周囲を襲い奪いつくしたあとでも、長らく根城にしていた。
彼らは勝手に地下も掘り進め、そこはすっかりダンジョン化していたはずだ。
むき出しの地層をそのまま残した階段を下りていく。
灯りが灯されているのは、ここの魔道士たちの力か。
地下深くにまで及ぶ結界は、ずいぶんと根深い。
「ここだ」
団長のイェニーが、鉄格子の扉を開ける。
牢獄にしてはずいぶんといい造りだ。
ベッドにサイドテーブル、床にはラグマットが敷かれ、小さなもの書き物用の机と本棚まである。
俺を抱き抱えたままディータはそこに入ると、俺をベッドへ寝かせた。
この城に入った時から、ずっと気になっていた。
聖騎士団には魔道士も所属している。
その魔道士たちが何人も協力し、それぞれのやり方でこの城に強固な結界を張っていた。
地下ではそれが、より強固になっている。
この檻の鉄格子も、普通の金属などではない。
魔法の“臭い”を察知し、無効化する呪いをかけてある。
ここは、魔道士専用の牢獄だ。
「おい。コイツをここに寝かせるのはいいが、俺のベッドがねぇじゃねぇか」
「わ、分かった。あとでもう一つ持って来させよう」
「イェニー団長。コイツは床で寝たので十分です」
ディータは椅子をベッド脇まで引き寄せると、そこに腰掛けた。
なぜかイェニーとキーガンまで、牢の中に入ってきている。
むき出しの土壁に鉄格子と見張り番さえいなければ、普通に宿の一室だ。
「で……。この子供はなんだ」
「しつこいなイェニー。俺の子だって言ってんだろ」
女はビクビクしながら、俺の顔をのぞき込む。
「と、歳はいくつだ」
「……。十一」
「十一? だとすると……、ディータが十五の時の子か」
「ありえなくはないだろ」
突然、イェニーはもの凄い剣幕でディータの胸ぐらをつかむと、グイと引き寄せた。
「貴様、いつの間に! あれだけしておきながら、よくもそんなことが!」
「俺がどこで何をしようと、お前には関係ないだろ!」
「関係はないが、ないわけではないと言ってるだろう!」
「なにがどう関係あって、なにがどう関係ないんだ!」
そのディータの言葉に、急にイェニーは頬を染めうつむき、その手を緩める。
「そんな……ひど……。ち、違う。ほ、本当にお前の子供なら、まずはお祝いしないと……」
「は? なんでお前に祝われないといけないんだ」
「だ、だって、仮にもお前の血を分けた子供なら、私もそれを受け入れ、我が子として育てなければ。たとえそれが、他の女との間に出来た子でも、やはり……」
「団長。しっかりしてください。まずは騒動の取り調べを」
モジモジとはにかむイェニーに対し、キーガンは慣れっこなのか、表情一つ変えることなく、ごく冷静に対応している。
「え、えっと……。ディータは、いつになったら私にプロポーズと愛の言葉を……」
不意に、牢獄の入り口から強い魔法の臭いがした。
ディータもその気配に気づき、顔を上げる。
開け放しにされたままの牢の前に、その女は現れた。
「ほら。ソファを持って来てあげたわよ。どうせいるだろうと思って」
魔道士だ。
グレーの真っ直ぐな髪に、同じ色の法衣を纏っている。
やや灰色がかってはいるが、鮮やかに光る緑の目をしていた。
「モリー。あまり団長を甘やかすな」
「まぁ、キーガン。そんなことを言って、どうせイェニーに泣きつかれて、夜中に一人でこっそり運ぶはめになるのは、あなたよ」
魔力でソファ二台とそのセットになったローテーブルを浮かべている。
それを器用に傾け、牢獄の入り口をくぐり抜けると、ラグマットの上に並べた。
「はい。毛布も持ってきてあげたわ」
「やぁ、モリー。久しぶりだね」
「本当ね、ディータ」
灰色の魔道士から、ディータは毛布を受け取った。
この女からあふれ出る“臭い”は相当なものだ。
自ら魔法石を摂取するだけではない、他人から魔力を奪い取って力を増してきた魔道士だ。
ソファを並べる手際といい、ディータ以上に、よく出来る魔道士なのは間違いない。
「あなたのことは、いつも気にかけているわ」
「そうかい。ありがとう。おかげで苦労しているよ」
ディータとモリーは、にっこりと微笑みあう。
そのモリーは俺を見下ろした。
「この子は?」
「拾ったんだ」
「どこで」
「街中で歩いてるのを見つけた」
モリーはじっと俺の目をのぞき込む。
「まぁ、素敵な緑の目ね」
横で聞いていたイェニーが、悲鳴をあげた。
「さ、さっきは俺の子だって言ったじゃないか!」
「うるせぇ、お前は黙ってろ」
「イェニー団長。落ち着いてください。明らかに顔が違います。この男とは全く似ているところはありません。それに……」
キーガンはその目をディータに向けた。
「コイツの子が、あんな魔力を持っているはずがない」
キラキラと輝きを増した赤い目が、俺を見下ろす。
「え……? ほ、本当にディータの子供じゃないんだな?」
俺は仕方なくうなずく。
「そうかぁ! ようこそ我が団城へ! 歓迎するぞ」
思いっきり抱きつかれた。
こういうのは本当に、苦しいからやめてほしい。
イェニーは、まだ俺の頭をなで回している。
モリーが言った。
「あの地鳴りはこの子が?」
「そうだよ」
ディータはため息をつく。
「まさか本当に、現れるとは思わなかった」
イェニーはようやく俺を放すと、枕元に腰をかがめ、横になっている俺と視線を合わせた。
「もう体は大丈夫なの? 具合の悪いところはない? お腹は空いてないの? 困ったことがあれば、何でも言ってくれれば……」
「だめよ、イェニー。ちゃんと仕事して」
「小僧。どこから来た。家は?」
甲冑を身につけたままのキーガンは、一人離れた位置で腕を組む。
「両親が心配しているだろう。連絡くらい入れておいてやる」
「はっ、だから言っただろう。この子の親は、今日から俺だ」
「そ、そうなのか? ディータ。分かった。だったらこんなところではなくて……」
「ふざけるな。そんな言い訳が通じるのは、うちの団長くらいだ」
「そうよ、イェニー。ちょっと落ち着いて」
モリーが呪文を唱える。
緑灰色の目が、妖しい光を放つ。
それはとても複雑で強力な呪文だ。
「そうね、ディータが見張っていてくれるというのなら、ここで任せておいてもいいわ。じゃなきゃ、本当に一番奥の地下牢に、鎖で繋いでおいたかも」
「おいモリー。やめろ」
ディータの言葉を、その魔道士の女は無視する。
「大地を揺るがすほどの魔力を、この体に貯め込んでたですって? ありえないわね。だけど信じるわ。だって私にも聞こえたんですもの、この子の声が」
封魔の呪文。
体がズシリと重くなる。
これは彼女の力だけではない。
長年にわたってこの城にかけられ続けている呪いのせいだ。
その魔法が、この結界の中にいる限り、魔道士たち個人の能力を、強く強く増長させている。
「辛いわよね。分かるわ。さっきあれだけの魔力を解放したんですもの、立ってもいられないのでしょう? タイミング良すぎて助かるわー。おかげで私の手間が省けたし、あなたに酷いことをしなくてすむ。悪いけどここにいる間は、ずっとその状態でいてね」
魔力を補給するには、原則として魔法石を摂取しなければいけない。
その力を魔力に変えて体に馴染ませ、蓄積する能力のある者だけが魔法使いになれる。
それでもなお、より多くの力を望むのなら、自らの体以上にその力を保有する『入れ物』を作るか、他から奪えばいい。
「一度貯め込んだ魔力はその人自身のもの。それを使って解放しない限りは、そこにとどまり続ける。その流れを止めたわ。枯渇寸前だもの、コップの上に蓋をするようなものね。喉が渇いても水は飲めない。つまり、あなたの魔力は今のまま、回復しないってことね」
魔道士モリーはにっこりと微笑む。
「大丈夫よ。止められはしても、なくなりはしないわ。魔力ってね、なくても案外、人って生きていけるものらしいわよ。私はやったことないから、知らないけど」
「これだから魔道士は嫌われるんだ」
キーガンはベッドに近寄ると、俺の腕を持ち上げた。
その手を放した瞬間、バタリと棒切れのようにマットへ落ちる。
「気力も体力もつかない子供に、本当にあんな力があるものなのか?」
「魔道士を甘く見ちゃダメよ、キーガン。あれはとても恐ろしい予兆なの。あなたたち剣士には、分からないでしょうけど」
そう言うとモリーは、くるりと背を向けた。
「さぁ、もう戻りましょ。時間外労働なんて、無能な人間のすることだわ」
俺はベッドの上で、何とか寝返りをうつ。
モリーのかけた呪文は、声まで塞いでいた。
「そ……、そうだ……。ふざけるのも……大概にしろ」
「まだしゃべれるの?」
かすれた声で呪文を唱える。
モリーのかけた呪いは解けた。
ふわりと体が軽くなる。
とどまっていた魔法石の力が、体を巡り始める。
「封魔の術が聞いて呆れる。これだから聖騎士団所属の魔道士なんて……」
ドンッと、体に重みが増す。
俺は再び、マットに叩きつけられた。
「か……、な……」
「やれやれ」
ディータがため息をつく。
「ここの魔法はな、魔力をそのまま返すタイプの封魔術なんだよ。強い魔法を使おうと思えば使うほど、圧力も強くなるってわけ」
「ゴメンね、坊や。ディータは置いてってあげるから、大人しくしていなさいね。それなら寂しくないでしょ」
久しぶりだ。
この感覚。
この鼻をつくムカムカとした臭いは、あのユファとスアレスに、その腐臭が近いせいだ。
『力よ、動け!』
衝撃魔法。
ドンと空気が震える。
この地下に流れる魔力の向きを変え、それを操る。
『ここに留まる全ての力よ、元の主の元へ帰れ!』
とたんに空気は、重く熱く熱を持ち始める。
抗いあう魔力と魔力が、せめぎ合う熱だ。
「俺自身の魔力じゃないのなら、それも可能なはずだ!」
「他人の魔法を、魔力で動かすですって?」
再び呪文を唱える。
ここに仕掛けられた魔法が、ゆっくりと、だが確実に動き始めている。
キーガンが吸魔の剣を抜いた。
古い魔法の残りだ。
どこからか飛んで来た、見えない刃が空を斬る。
キーガンの剣はそれを弾いた。
「ちょっと! ここは狭いんだから、暴れないでよ」
モリーの呪文。
再び抑えつけられるその強い重みに、俺はガクリと両手をついた。
これ以上は無理だ。
完全に動けなくなった俺の赤い髪を、モリーが掴む。
その親指の腹で、優しく目元を撫でた。
「今が勤務時間外でよかったわね。そうじゃなきゃ、キミは死んでたかも」
「お前が強がっていられるのは、この城の中だけだ。外に出れば、その能力の、半分も出せないだろう?」
「うふふ。確かにそうかもね。なら城外に出て試してみる? ……な~んて、言うと思ったのかしら」
モリーの呪文。
その言葉に、俺の全身の体液は逆流した。
「うっ……」
意識が飛ぶ。
一瞬、目の前が真っ黒になり、戻った時には鼻血が吹き出した。
棒きれのように、ベッドにバタリと倒れる。
「モリー、やり過ぎだ」
キーガンが動いた。
その拳は、ディータの腹をドンと殴りつける。
抵抗出来ない彼にさらに肘打ちを加え、地面に叩き落とした。
「お前はこの城の特殊性をよく分かっているだろ。この子にもそれを、ちゃんと教えといてやれ」
ディータの動きも鈍い。
ここでは結界の魔法が、見えない手かせ足かせとなって囚人の動きを封じている。
「今日はもう遅い。しっかり休んでおけ。そうじゃないと、明日から地獄を見るぞ」
三人はようやく牢を出て行く。
ふいにイェニーが振り返った。
赤らんだ頬で、はにかみながらディータを見つめている。
彼女はもじもじと、小さな声でつぶやいた。
「ほ、他になにか、用事はないか?」
「は?」
「な、何かあったら、いつでも私を……、その、頼ってもらってもかまわない」
「俺には、お前の顔を見られただけで十分だよ」
「そ、そうか」
イェニーは顔を真っ赤にして、そのままモジモジとしている。
「もう行くわよ、イェニー。しつこい女は、ディータは嫌いだってよ」
「イェニー団長。しっかりしてください」
モリーとキーガンは、それでも動こうとしない彼女を連れ、ようやく出て行った。
ブツブツと抗議を続ける彼女の声が、地下牢に響いている。
ディータはやれやれと首を横に振った。
彼らの気配が完全に消えるのを待って、俺はゆっくりと体を動かす。
起き上がろうにも、体がいうことを聞かない。
重厚な鎧を全身にかぶせられているようで、何をするにも体が重い。
「魔法を使おうとするな。自分の体が持つ、本来の筋力だけで動くんだ。そうすれば、普通に動ける」
ディータに言われ、俺は少し頭で考える。
誰にもその正体がばれないよう、ずっと姿を隠す魔法を自分自身にかけていた。
魔道士ならだれでも、自分の体に何らかの魔法はかけている。
これを解いていいものなのか?
ゆっくりと腕を曲げ、膝を動かし、腰を落とす。ようやく起き上がれた。
「魔力に似合わず、その体だけは本物なんだな」
その問いにだけは、答えない。
「その体が本物じゃなきゃ、誰も疑いやしないさ」
「ずいぶんと彼らと、仲が良さげじゃないか」
「腐れ縁だよ。しかも聖騎士団だぜ? 反吐が出る」
「仲間になれば、もっとラクに生きれるだろ」
ディータからの返事はない。
じっと自分の手を見る。
何の魔法もかかっていない、自分自身の手だ。
見慣れているはずのその手が、いま初めて見るもののような気がした。
「しかし、この結界のかけ方は異常だな」
「まぁな。聖騎士団の団城なんだ。こんなもんだろ」
ようやくディータと二人きりになった。
まぁ、見えない所に見張りはいるんだけど。
ディータはソファにドカリと腰を下ろす。
俺はベッドから立ち上がった。
「ふぅ。大丈夫か?」
「なんとか」
俺は、自分で自分の体を確かめている。
大きく息を吐き出し、そのまま目を閉じた。
「まぁ今日はゆっくり休め。ある意味ここは、世界で一番安全な場所だ。腹が減ってるなら、何か運んでもらうか?」
「いや、それは大丈夫」
改めて、ゆっくりと辺りを見渡す。
いつも何らかの魔法を自分にかけていたから、体一つで動くなんて、滅多にないことだった。
足の感触を確かめながら、一歩一歩を慎重に踏み出す。
魔力による灯りが消され、すっかり薄暗くなってしまった、地面に穴を掘っただけの天上を見上げる。
ふと自分の足元をじっと見つめた。
二本の足が、真っ直ぐに伸びている。
「どうした。そんなに自分の体が不思議か?」
「慣れないんだ。自分のものなのに、そうじゃない気がして」
「お前は魔力と体のバランスがおかしいからな。間違っているとも言っていい」
ディータはソファに寝転がると、ゆっくりと俺の全身を観察している。
「どこでそんな呪文を覚えた」
「……。覚えたんじゃない、自分で考えたんだ」
そんなこと言っても、この十一歳の見た目では誰も信じない。
エルグリムの時から、もう何百回何千回も繰り返し、聞き飽きた言葉だ。
「秘密の魔道書を拾ったわけでも、大魔道士の魂に触れたわけでもない。俺自身が、元からこういう奴だったってだけだ」
いつだって俺は、俺でありたかっただけなのに……。
「もしかしたら、もっと違うやり方があったのかもしれないな」
この薄暗い地下室は、押し込められていたあの牛小屋を思い出す。
今の方がずっと広く快適で居心地のいいのが、どうしようもなく不思議なくらいだ。
「ディータはなんで魔道士に?」
「俺? 俺は……。そうだな。俺がまだお前ぐらいだった頃は、大魔王エルグリムが幅を利かせてたんだ」
ディータはごろりと仰向けになると、目を閉じた。
「そりゃあ強かったぜ。誰も逆らえやしなかった。恐ろしかったし怖かった。今じゃ信じられないだろうけど、普通に魔物が空を飛び、路上で人を襲っていたんだ。それでもな、俺は……。俺は、嫌いじゃなかったんだよ。魔物もモンスターもね。賢くやる人間ってのは、どんな時代でもいるもんさ。それなりにたくましく生きてたんだ。ナルマナに来る前は……。まぁいいや。そんなこと」
彼は肩肘をつくと、そこに頭を乗せた。
「魔道士の王様がこの世を治めているのなら、魔道士になりたいと思うだろ? いつか沢山のモンスターたちを従えた、カッコいい魔道士になるんだって、そう思ってただけだ。なにをバカなことをって、いつも賢い大人には怒られていたけどな」
「エルグリムは嫌われ者だったから」
「それで、聖剣士に殺されちまったしな」
俺はベッドに寝転がった。
闇に慣れた目に、ぼんやりとディータの靴裏だけが見える。
「なんで俺について来た?」
その柔らかな闇の中で、彼はフッと鼻で笑う。
「聞きたいか? おっさんの戯れ言を」
俺はゴソゴソとベッドに潜り込む。
「今聞かないと、もう聞くことはないと思う」
彼の深いため息が、闇夜に響いた。
「そっか。まぁそれもそうだよな。……。俺は……、もう死のうかと思ってたんだ。こんな意味のない人生を送るなら。占い師が自分の未来を占うって、どういうことだか分かるだろ?」
「……。自分の死期をみること」
「そう。そうなんだ。俺は突然、自分の死ぬところが見たくなったんだ。お前と出会ったあの近くの橋の上でさ。ちょうどあの時、俺はそこで自分の最期を占ったんだ」
ディータは、自分のカードで自分を占った。
このまま川に飛び込んで死ぬと出たら、本当にそのままそこで、死ぬつもりだった。
「そしたらさ、裏路地へ行けって出たんだ。すぐに分かったよ。その瞬間、強い魔法の気配を感じたからな。俺はそこに、運命の女神でも待ち構えているのかと思って、行ってみることにしたんだ」
あのごちゃごちゃとした汚い路地裏で、俺たちは出会った。
「すんげー期待して行ったのにさ、居たのはお前みたいなクソガキで、がっかりだよ」
そう言って、ディータはクスクスと笑う。
彼はもう一度寝返りをうつと、今度は背を向けた。
「それだけのことだ。何度も言ってんだろ。ただの暇潰しだって」
「死ぬつもりだったのか」
「あぁ、もういいだろ。寝言みたいなもんだ。さっさと寝ろ。明日はここを抜け出すぞ」
「……。どうやって?」
「それを考えながら寝るんだよ。難しいこと考えてたら、すぐに寝られるだろ」
ディータの上着の内ポケットには、自分の魔力を封じ込めたカードが入っていることを、俺は知っている。
ディータの魔力はそれに分離して保管しているから、発動させなければここでも影響はないんだ。
「何もしないというのも、作戦の一つってこと?」
「当然だ」
だけど、あの連中との仲の良さなら、彼らも知ってはいるのだろう。
それでもカードは没収しないのか、していないのか……。
「おい、寒くねぇか?」
「うん。大丈夫。ディータのとこのベッドより、ずっといい」
ここは温かい。
誰かの魔法に包まれて眠るのも、悪いことではないのかもしれない。
見張られているんじゃなくて、見守られているんだ。
そんなことを、俺は生まれて初めて思っている。
それに何だかここは、懐かしい臭いがする。
昔訪れたことのある、よく知った城だからなのかもしれない……。
朝になって、食事が運ばれてきた。
囚人用とはとても思えない、随分と豪華な朝食だ。
大きな銀のプレートに乗せて運ばれてきたそれには、肉に魚、フルーツに野菜類、小さなクッキーにプリンやゼリーまである。
取っ手のついた壺には、水の他にも五種類の飲み物が用意され、飲み放題だ。
俺はスライスされた三種類のパンの一つに、ハムとチーズを挟んだ。
焼いた肉の塊もきれいに切り分けられ並べられている。
テリーヌを遠慮なくむさぼるディータを、番兵たちは妬ましげに見ている。
「何だよ。お前ら飯は食ったのか?」
「仕事中だ」
「何なら一緒に食うか? 入って来いよ」
「それは無理だ」
「だったらせめて、こっちに来い。そっからじゃ手は届かねぇだろ」
戸惑う番兵たちに、ディータは何でもないことのように言った。
「イェニーには、俺から言っておいてやるから」
これらは全て、イェニー団長からの差し入れだそうだ。
なかなかに愛されている。
「ナバロ。食い終わったら作戦会議だぞ」
「なんの?」
「脱獄計画だよ」
俺たちは牢獄の中にいて、檻の向こうにいる番兵二人と、一緒に飯を食っている。
「そうだよなぁ、番兵さん。入れられた牢からは、自力で脱出しないとなぁ」
「また団長が泣くぞ。いい加減諦めて、一緒になってくれ。俺たちのためにも」
「お前さえ犠牲になれば、他は全て上手くいく」
「俺は関係ねぇよ」
ふわりと魔法の臭いが漂ってきた。
それに気づいたディータも顔を上げる。
モリーだ。
「まぁ! 私はこの団城における服務規範の徹底について、いま一度審議会にかけなくちゃいけないわ」
そう言うと彼女はしゃがみ込み、檻の隙間からカボチャのパイを手に取った。
香ばしい焼き色のついたそれを、もしゃもしゃと食べ始める。
「あら、おいしいわね」
「主席魔道士さま自ら、何の用だ」
「ディータも食べた?」
「質問に答えろ」
「ふぅ。食べ終わるまでちょっと待ってよ。相変わらずせっかちね」
モリーは最後の一口を食べ終わると、指についたパイクズを舐めている。
「今朝一番に、女の子がお城に乗り込んで来たの。黒髪のとってもかわいい魔道士よ。ディータ、あなたの知り合い?」
「残念だが、かわいい女の子の知り合いは多くてね。もちろん君もその一人だよモリー」
「ナバロの姉だと名乗ったわ」
「お前、姉さんがいたのか!」
「……。あぁ、まぁ、うん……」
フィノーラか。
どうして追いかけて来た?
「もっと早く言えよ!」
「その様子だと、ディータも知らなかったみたいね」
俺は骨付き肉を手に取った。
丁寧に一口大にカットされたそれには、何かのソースがかかっている。
随分クセのある味だが、悪くはない。
「ルーベンの正式な通行許可証を持っていたわ」
「なんだよ。だったら何の問題もないじゃないか。さっさとここから出せ」
「いま、イェニーが丁寧に取り調べているわ。あなたと彼女の関係について」
ディータの手から、持っていたフォークがこぼれ落ちた。
盛大にため息をつく。
「またアイツか!」
俺はもう一本の、違う骨付き肉に手を伸ばす。
うん。
これは香辛料がしっかりきいているうえに、肉自体にもクセがなく美味い。
「いま上は、すっごいピリピリしてるわよ。あんたは早くそっちに行って、何とかしてきなさいよ。いつものことじゃない」
そう言いながらも、モリーは別のクッキーに手を伸ばす。
それを口の中に放り込むと、プレートに添えられていたナプキンで指先を拭った。
ディータは俺を振り返る。
「お前の姉ちゃんなんだろ? 一緒に行くか」
「あら、この子はダメよ、ディータ。あなたたち、中央議会から緊急通告が出てるって、知らなかったのね。とっても優秀な我がナルマナの聖騎士団は、手配書に描かかれた少年と、よく似た男の子を昨晩確保したわ」
モリーはにっこりと微笑んだ。
「だから私が、今から取り調べをするの。お迎えに来たのよ。さ、行きましょ」
差し出されたモリーの手を、ディータはパッと遮った。
「待て。どういうことだ」
「これはどれだけあんたが暴れても、イェニーに泣きついたってダメな話よ。ユファさまからのお達しだもの」
「ユファさまの?」
大魔道士エルグリムだった俺を、倒した勇者スアレス。
それに予言と加護を与え、最大攻撃魔法を与えたのが、ユファだ。
当時は五歳程度だったと聞いている。
今頃は十七になるかならないかの占い師だ。
ディータは呆れたように首を振る。
「ライノルトの大賢者さまは、なんて言ってんだ?」
「ユファさまは、エルグリムの悪夢を見たそうよ」
その言葉に、ディータはチラリと俺を見た。
一瞬目が合う。
「は? そりゃもう、とっくの昔に終わった話だろ」
「私たちにとってはね。だけど、エライ人たちはまだ、その存在を信じている。大魔王最期の地、グレティウスから遙か南西の方角に飛んだ魂は、そこで復活の時を待っているってね。どうもそれが、最近になって本当に蘇ったと考えてるみたい」
「面倒くせぇ年寄りどもだな。それで子供狩りとはね。頭大丈夫か」
「守りたいのよ。今の平和な時代をね。その気持ちは私も同じだから」
モリーの緑灰色の目が、深く強く輝く。
「だからゴメンね。私にはあなたが、今後エルグリムのようになりうる脅威かどうか、確かめて報告しなければならない義務があるの。来てくれる?」
俺はフウと一つため息をついてから、食べていたポテトパイのクズを払った。
どうせ拒否したくとも、出来ない話しだ。
だったら、さっさと済ませてしまった方がいい。
今後の手間が省ける。
「いいよ。いくらでも調べればいい。自分では手を下さず、他人に任せてその後ろに隠れているような連中に、何が出来る」
俺は立ち上がると、彼女に手を差し出した。
「行こう」
「あら、カッコいい。こういう人間は、大人も子供も大好きよ」
手を繋ぐ。
モリーはしっかりとそれを握り返した。
「さぁ、行きましょう。椅子に座っているだけの、簡単なお仕事だから」
モリーと檻をくぐる。
この地下牢に張られた結界の強さは、ただ捕らえられた囚人を拘束するためのものではないようだ。
「俺も行く」
ディータも立ち上がった。
「ナバロが本当にエルグリムの生まれ変わりとなる存在なのか、確かめたい」
「あら」
モリーが振り返った。
「あなたはそんなこと言ってる余裕、ないと思うわよ」
地下牢へと下る階段を、一人の聖剣士が駆け下りてきた。
「ディータ! 上で団長と、お前の知り合いだという女性が揉めている。何とかしろ!」
「知るか! お前らでカタをつけろ。俺はナバロの方に……」
その男はディータの胸ぐらを掴むと、思い切り引き寄せた。
「もうキーガンでは抑えられなくなってるんだよ。オマエが来い」
「だからなんで俺が、いつもアレの相手をしないといけないんだ」
もみ合う二人に、モリーはヒラヒラと手を振った。
「じゃ、そういうことで。よろしくね」
ディータはまだ何かを叫んでいたが、この城の結界とモリーの魔法のせいで、抵抗が出来ない。
階段を上がる俺たちの後ろを、聖剣士の男にそのまま引きずられていく。
「私たちはこっちよ」
廊下に出たところで、俺たちは二つに分かれた。
彼女の白く細い手に引かれ、赤い絨毯の上をゆっくりと歩いてゆく。
彼女の灰色の真っ直ぐな髪がサラリと流れた。
繋いだ手に導かれるまま、城の外へ出る。
小さな庭の緑の芝は、朝日にキラキラと輝いていた。
狭い庭をぐるりと囲む高い城壁からは、空しか見えない。
ここは、ナルマナ聖騎士団の団城だ。
あちこちに武器や、呪いのかけられた道具が並べられている。
不意に、城門付近で爆発音が起こった。
振り返ると、団員たちは続々とそちらに集まっている。
「向こうは、あなたを助けにきたお姉さんの相手で精一杯よ。イェニーが疑ってるの。お姉さんとディータが付き合ってんじゃないかって。本当にバカよねぇ。ここにこんないい女がいるってのに。私には見向きもしないのよ、イェニーったら」
一旦庭に出たモリーは、再び南に位置した門から城内に入る。
「だから、邪魔が入らないうちに、さっさと済まそうと思って。そうすればあなたもお姉さんも、早く帰れるか一緒に捕まるか、はっきりするもの」
ここは魔法の臭いも剣士の臭いも、強すぎるそれぞれら全てが混ざりあって、息が苦しい。
「怖がることはないわ。ライノルトにある中央議会の、大賢者ユファさまの予言よ。間違えっこないですもの。あなたがそうじゃないってことを、ただ証明するだけ」
二人きりで通された部屋は、実に簡素な部屋だった。
テーブルに椅子、それと向かい合うように、一脚の椅子が置かれている。
シンプルな白木に青に濃く染められた皮が張られた、どこにでもあるような椅子だ。
「そこに座って」
モリーの手が離れた。
強い結界が張られたこの部屋では、体が動かせない。
呪文を唱えようにも、声すら出せない。
俺は白い椅子をにらみつけた。
「そうよ。それは呪いの椅子。分かってて座るのは、怖いわよね。だけど、それに座る前からそうと気がつくなんて、そんな子は初めてよ。やっぱりあなたは、ちょっと違うみたい」
モリーは向かいのテーブルに座った。
そこに置かれてあった書類を手に取る。
「魔法は使えないわよ。地下で散々味わったでしょ。自分の足で歩くのよ」
深い濃く緑灰色の目は、それなりの訓練を受け、しっかりと魔力を貯め込んだ者の目だ。
ここの主席魔道士というのも、うなずける。
その自信も、ハッタリなどではないのだろう。
俺はゆっくりと片足を動かす。
生身のこの体に宿る十一歳の筋肉だけを使っても、動けないわけではないのだ。
「そうよ。上手上手」
モリーの視線は、手元の書類に向いたままだ。
床にはべったりと魔方陣が書かれている。
見えないように小細工しているつもりだろうが、俺には分かる。
そこから椅子を引き寄せようとしても、この位置から動かせないのは、コイツのせいだ。
「カズ村の出身なのね。ルーベンの領主預かりになってる。この歳でお抱えの魔道士として、採用されたってことかしら?」
「さぁ」
俺はその、白く簡素な椅子に腰掛ける。
女はようやく顔を上げた。
「本当に。あなたの目は、きれいな魔法の色ね。さ、始めましょう」
その瞬間、椅子にかけられた呪いが発動した。
いつもは自分の意志で動かす魔法石の力が、ぐるぐると呪いにかき乱される。
俺の意志とは無関係に、それが全身を駆け巡る。
頭痛と吐き気と、めまいが襲ってきた。
「くっ……。あ……」
「分かってると思うけど、叫んでも助けは来ないわよ。ディータもお姉さんも、いま大変でしょうから」
俺にとっては血液ともいえる魔力が、全身を駆け巡る。
心臓は脈打ち、汗が噴き出す。
体が熱い。
「血縁はないお姉さんと旅をしているのね。彼女の名前はフィノーラ。このルーベンの通行手形は散々調べたみたいだけど、本物に間違いないという結論が出ているわ」
彼女はにっこりと笑みを浮かべた。
「どうやって手に入れたの?」
「さぁ……ね……」
「魔道士二人組の行く先といえば、やっぱりグレティウスかしら?」
「違うと言ったら?」
「フフ。ナバロは私が怖くないのね」
コイツらの目的は、俺の魔力とその能力を見極めることだ。
それだけのことに、なにを恐れる必要がある。
いままでも何度も審査にかけられ、その全てをクリアしてきた。
モリーはテーブルに肘をつくと、じっと見下ろす。
「ねぇナバロ。ここに来た子供たちは、みんなお利口さんに決まった返事を返すわ。『お父さんとお母さんが大好きです。学校は楽しいです。友達も沢山います』って。ブルブル震えながらね、教えられた通りの言葉を話すの。『自分はこの大切な世界を、絶対に変えることはありません。将来は、聖騎士団に入れるくらいの凄い魔道士になりたいです』ってね。だけど私が本当に知りたいのは、そういうことじゃないの」
魔力によって無理矢理開かれていた血管が、今度は末端から強引に閉じられてゆく。
体が内側から搾り取られている。
視界がぼやけ始めた。
突然の恐ろしいほどの寒さに、手足が震えだす。
少しでも動いたら、頭から床に転げ落ちそうだ。
「あなたはいま、どれくらい魔力を体内に貯めてる? これから先、どれくらいそれを拡大出来そう? そしてその能力を、何に使うつもりかしら?」
「エ……エルグリムの、生まれ変わりを探してるんじゃないのか?」
思考が支配されている。
質問に対して、それだけに答えるよう、口が勝手に動き出す。
「君はエルグリムの生まれ変わりなの?」
「違う。ぜ……絶対に、違うって……答える……」
モリーは、ふぅと退屈そうにため息をついた。
「かの大魔道士は、本当に生まれ変わりに成功したと思う?」
舌が回らない。
口を動かすのに、こんな辛い思いをしたことなんて、ない。
「は……、し、知るかよ……」
どうやって、この魔方陣から抜けだそう。
体内から奪われる魔力で、ここに吸い付けられているんだ。
その力が強ければ強いほど動けない。
どのタイミングで振り払う?
全身にじっとりと汗が流れた。
「はや……く、この、くだら……ない、呪いを……解け」
「ふふ。自ら魔法の椅子に座っておいて、何を言ってるのかしら。試されに来たのでしょう?」
「こ、こんな……こと。ここ……に、連れてこられた……子供、全員……に、やってるのか」
「んん? そうね。これはキミだけ特別……、かな?」
魔道士モリーは、にっこりと笑みを浮かべた。
「まだしゃべれるなんて、凄いわね。さぁ、そろそろ抵抗するなら抵抗しないと、もう二度と魔法を使えなくなるかもしれないわよ」
吸い取られた魔力が可視化されている。
ぐるぐると渦を巻きながら、俺の頭上で球体を形作り始めた。
「なぜ……、こ、ここまでする?」
「ナバロは中央議会が、本当にエルグリムの生まれ変わりを信じてると思う? 私はそうだとは思わないわ。あなたのような、今後脅威となるような潜在能力の高い魔道士を、子供の時から把握し、飼い慣らすためじゃないかと思ってるの。一種のスカウト的な? まぁ、悪い芽は先に摘んでおいて、損はないじゃない?」
体内の魔力が、高速で吸いあげられてゆく。
このままでは、自力で呪いを解くことも難しくなる。
「ふふ。さすがね。ルーベンの領主に、かわいがられるだけのことはあるわ。貯め込んだ魔力は底なしかしら? このまま封じ込めちゃうのも、もったいないわね。私とのパワーバランスが変わったの、分かるでしょ」
吸われた魔力を本人から切り離し、吸収すれば自分のものになる。
魔道士なら誰もが欲しがる力の塊が、俺の頭上で渦を巻いている。
「素敵。このまま食べちゃいたいくらい」
今までに何度も、こういった身体検査は受けてきた。
魔法石の力を吸収できる体質の子供なら、誰だってそうだ。
それでも、こんな屈辱的で過酷な試験は初めてだ。
他の子供もみんな、ここではこんな目にあわされてるのか?
これは審査なんかじゃない、拷問だ。
「子供の魔道士って、大好きよ。みんな、まだまだとっても大人しくて、従順なんだもの。素直に言うこときいて、それなのに能力は大人並み」
彼女は大きく息を吐き出すと、そのまま頬杖をついた。
「ね、どうしたらエルグリムみたいな、凄い大魔王になれるのかしら」
吸われ続ける魔力に、座っていることすら難しくなった。
ガクリと姿勢が崩れる。
脂汗が留まることなく流れ続けている。
それでも椅子から転げ落ちないのは、この椅子にかけられた呪いのせいだ。
意識が混濁している。
口から泡が吹き出す。
「ようやく尋問の準備が出来たようね。随分待たされたわ。ルーベンからここまで、どうやって来たの?」
「さ……山中を歩いて……」
「あの女の子と?」
歯を食いしばる。
これ以上魔力を吸い取られたら、本当に意識が飛ぶ。
言わなくていいことまで、しゃべらされてしまう。
「どうしてお姉さんとはぐれたの? ディータとはどこで知り合った?」
「街で……絡まれた時に……」
「そう、助けてもらったのね」
モリーはクスクスと笑う。
「ディータは、あぁ見えて優しいから。これからどこへ行くの? やっぱりグレティウス?」
足元から何かが上がってくる。
血管が順番に締め付けられる。
魔力が吸い上げられている。
「ま……、魔道士が……。グレティウスを目指して……、何が悪い……」
「あなたも『悪夢』がお目当て? だけど、エルグリムの残した悪夢は、きっととっても巨大なものよ。想像もつかないわ。それを誰かが手に入れたとして、私には扱える人がいるとは、到底思えないのよね」
『……。か……、ぐ……』
呪文を唱える。
今ならまだ、この椅子を壊せる。
「あら? こんな状態でも、まだそんな元気があるのね。素晴らしいわ」
モリーが呪文を唱える。
吸い上げる力の速度が増した。
頭上に渦巻くの緑の球は、ぐるぐるとその勢いを増す。
「い……、いいぞ……。このまま……」
「何を言っているのナバ……。ん? ちょ……、ちょっと待って!」
膨れ上がる力の根源が、呪いの力を凌駕した。
吸い上げられた魔力は一気に膨れ上がり、轟音を上げる。
この椅子では支えきれなくなった力に、ついにそれは破裂した。
「ど、どういうことなの!」
奪われた力を一気に取り戻す。
堰を切ったようにあふれ出したそれは、俺の体を通して呪いの椅子に逆流していく。
立ち上がった。
その瞬間、呪いの椅子は砕け散る。
「なによそれ! こんなこと、絶対にありえないわ!」
「俺のもつ魔力の方が、この椅子の許容量より大きかったってことだ」
顎を伝う汗を拭う。
こんなケチ臭いやり方で、計れるわけがない。
「待ちなさい。ここまでよ!」
モリーの攻撃魔法。
鋭い氷の刃が、何本も飛び交い突き刺さる。
まずはこの魔方陣を崩す。
話しはそれからだ。
『この地に描かれし呪いの証よ。解放されるときが来た!』
それだけで、白い床石に描かれた白い文字は、徐々にかすれその形を崩し変化してゆく。
「ちょっと、どういうつもり!」
モリーは呪文を唱える。
この俺に抵抗するつもりか?
ここに来る前に、魔力を解放しておいたのは正解だった。
俺は壁に向かって手をかざす。
「狭いところは、嫌いなんだ」
モリーの攻撃魔法。
はね返されたその衝撃で、結界で守られていた壁が、ボロボロと崩れだす。
外の空気が流れ込んできた。
「それ私の魔法!」
かけられた魔法を解くには、施術者のものを使うのが一番だ。
「こんな結界だらけの城内で戦おうなんて、フェアじゃないだろ? お前たちこそ、なにを恐れている?」
胸の前で印を結ぶ。
これは強力な魔法だ。
『ここに留められしものたちよ、自らの元へ帰れ!』
ドンッ!
不意に、玄関ホールから盛大な爆発音が聞こえてきた。
「あっちはなに!」
「あぁ……」
フィノーラだ。
この城はそもそも、俺が造らせた城なんだから、本当はもうちょっと大事にしてほしい。
俺もたったいま自分で壁を壊したばかりで、こんなこと言うのも、なんなんだけど……。
入り口からディータが飛び込んで来た。
「ナバロ! 無事だったか!」
「ディータ! あんたも一体、どういうつもりよ!」
モリーの氷結魔法。
複数のつららが、ディータの足元に打ち込まれる。
「今度こそ抜け出すぞ!」
ディータの呪文。
火柱が上がった。
「なんだ。普通の魔法も普通に使えたんだ」
まぁ使い魔だなんて高等魔法を使ってるんだ。
考えてみれば当たり前か。
「あの姉ぇちゃんはどうする?」
「俺には関係ない」
モリーは氷の壁を張り巡らせる。
俺たちを閉じ込めるつもりだ。
ディータは再びそれを、炎で焼いた。
蒸気が巻き上がる。
ちょうどいい煙幕が出来た。
「ディータ! あんたもいい加減にしなさい!」
「悪いな、モリー。だけど俺には、もう止められねぇんだわ」
呪文を唱えようとして、モリーは思いとどまった。
歯をむき出しにして、俺をにらみつける。
「フッ。あぁ、やっぱりあんたは賢いね。この部屋じゃもう魔法は使えない。魔方陣がちゃんと読めるんだね」
「だって、これを描いたのは私だもの」
「そうか。なるほどね。だとしたら、もっと頑張らないと」
壁を崩したおかげで、この城の結界は壊された。
俺のかけた魔法が、徐々にその全体を崩してゆくだろう。
書き換えられた魔方陣は、元の主のところへ帰ってゆく。
「ここで奪った数多くの魔力が、元の持ち主に返される。どれくらい他の魔道士たちに、こんなことしたのか知らないけど」
自分の分は取り返した。
まぁ、そもそも奪われてもなかったんだけど。
「ここにあるのは、エルグリムの悪夢じゃなくて、ナルマナの悪夢だ」
「ふん。あんたの描いた魔方陣を解けばいいだけよ」
それはそうだけど、壊れたこの城の結界は、簡単には戻らない。
積み上げられた魔法が多ければ多いほど、崩れ始めたものを元に戻すのは難しい。
「あぁ、ヘタに動かない方がいいよ。分かってると思うけど。自分の体で動くんだ」
モリーは腕を上げた。
その動きがピタリと止まる。
「まぁ、頑張って。この部屋から出られるならね。壁に穴は開けておいたから、すぐだろうけどね」
「この団城の結界を壊すと、恐ろしいことが起こるわよ」
「そんなことはないさ。長い呪いが解かれるだけ」
「ここは魔法で守られた城。その意味が、あんたたちには分かるでしょ」
モリーは動けない。
城壁が壊れたことで、この城の結界がほころび始めている。
それは俺がここにいることも……。
ディータが俺を見下ろした。
「ナバロ。もう行こう。こっちだ」
その言葉に、俺はうなずく。
過去に囚われた土地に、もう用はない。
廊下へ飛び出す。
ディータと並んで走り出した。
「あの姉ぇちゃんも助けてやれ。知り合いなんだろ? 俺が援護する。お前を助けに来てくれたんだ」
行く手には聖騎士団の剣士と魔道士たちが、山ほど待ち構えている。
俺は呪文を唱えた。
『いまこの瞬間に我に向かうものよ、全て地に帰れ』
抜かれた剣や槍は、ピタリと床に張り付いた。
放たれた聖魔道士たちの呪文も、大地に向かって吸い込まれる。
ディータの呪文。
その火球は、団員たちを襲った。
「やめろよ、城が燃える」
「そう簡単には壊れねぇよ」
「違う。俺の城なの」
ロビーに出た。
フィノーラが暴れ倒したのか、あちこちが破壊されている。
彼女の動きを抑えるための結界が張られ、その中でキーガンとイェニーは剣を抜いていた。
キーガンの吸魔の剣は、すでにフィノーラの魔力を吸い尽くしている。
「ナバロ。助けに来たわよ!」
いや。
どっちかっていうとこの場合、俺たちが助けに来たんだけど……。
「ほらやっぱり。私と一緒にいて通行許可証がないと、捕まるんじゃない!」
肩で息をしている。
立っているのもやっとなのだろう。
心なしか涙目のようにも見える。
誰にやられた?
キーガンとイェニーの視線が、俺に向けられる。
「モリーは? もう審査は終わったのか」
キーガンは、フィノーラに向かって構えていた魔剣を下ろした。
「終わったよ。問題なしだ。姉さんと通行許可証を返してもらおう」
イェニーはディータに視線を移す。
彼はウンとうなずいた。
「そうか! ならば何の問題もない」
イェニーはうれしそうに、その紙を差し出す。
フィノーラはそれを受け取った。
ヘナヘナとその場に座り込む。
「……。もう。ホントどこ行ってたのよ。めちゃくちゃ探したんだから……」
白く細い腕で、自分より幼い、十一歳の俺を抱きしめる。
「お願い。私の側から離れないで……」
「まだ動ける?」
「なんとか」
回された彼女の腕を解く。
俺が気に入らないのは、すっかり姿を変えられてしまったこの城と、聖騎士団どもの臭いだ。
チラリと外を確認する。
城内の、半壊した正門と高い壁の向こうに、わずかに空が見えた。
「自分たちの結界の中で、ぬくぬくと守られているだけの連中とは、怠慢極まりないな」
まぁ団長が、全く魔法の使えない剣士だから、仕方ないのか。
俺はその隙間を縫うように垣間見える、わずかな空に向かって手を伸ばす。
「一度、この結界のありがたみを、嫌と言うほど味わってみるといい!」
真っ直ぐに伸びた光りが、結界の壁にぶち当たる。
それは城全体を覆い尽くすしていた結界に沿ってドーム状に広がり、緑に輝いた。
『古の呪いを解きほぐせ! この地に再び自由を!』
ゆっくりと、だが確実に、結界の強度が弱まっていく。
溶けるように消えていく光に、体が軽くなった。
大地が揺れる。
その轟に、俺はもう一度叫んだ。
『我らが根城を取り戻せ!』
幾重にもわたってかけられた、古い古い魔法。
その結界が、徐々に溶け始める。
魔道士たちは血相を変え、結界を維持する呪文を唱え始めた。
「そうはさせるか!」
一気に魔道士どもをなぎ払う。
吹き荒れた一陣の風は、玄関ホールごと全てを吹き飛ばした。
「ナバロ!」
「魔力が少し戻ってきたわ!」
ディータとフィノーラが駆け寄る。
「ここから出るぞ」
「了解!」
フィノーラの攻撃魔法。
その衝撃波はザコどもをなぎ倒し、次々と壁に穴を空ける。
ディータはカードを取り出した。
「やっぱり派手な姉ぇちゃんだなぁ」
「フィノーラ! あんまり城は壊さないで!」
「どうしてよ。そんなの無理!」
歯向かう魔道士たちの呪文は、全て俺のマジックバリアではね返す。
風を起こし、足元をなぎ払い、決して結界修復の呪文は唱えさせない。
かかってくる剣士たちの相手は、ディータが引き受けた。
飛び出した無数の獣や虫たちを操り、応戦している。
不意に、目の前を黒染め剣が横切った。
「なるほど。確かにお前たちの腕は確かなようだ」
キーガンだ。
俺の五倍はある巨体を見上げる。
「だけどな、少年。いくら正式な書類があっても、俺たちがここを通さないと決めたら、それは通れないんだよ」
振り下ろされた吸魔の剣が、マジックバリアをたたき割る。
「残念だが、俺たち剣士は結界がなくても、動けるんだ。そんなもんに守られてなくても、能力は変わらないんでね」
爆発音。
フィノーラの全くコントロールの効かない衝撃波が、天上に当たって破裂した。
崩れた石の破片が、バラバラと降りかかる。
「やれやれ。あのお嬢ちゃんも、元気を取り戻したのか」
四角く表情の少ない顔が、うんざりと眉根を寄せた。
真っ青な団服に身を包んだイェニーは、その剣を抜く。
「キーガン。あの子とこの子と、どっちがいい?」
「じゃあ、黒髪の元気な嬢ちゃんとディータで。子供の相手はやりにくい」
「怪我はさせるなよ」
「……。善処します」
吹き上がる爆風で、イェニーの赤く波打つ長い髪が舞い上がる。
「さて。モリーはどうした。君の審査をしていたはずだけど?」
呪文を唱える。
この剣士に魔法は通じない。
「モリーは強いね。頭がいいし、勘もいい。彼女の魔力は、どこから来てる?」
「私に聞かないでくれ。分かるわけがない」
手の平で空気の渦を作る。
それは丸い弾となり、弾け飛んだ。
無数の弾丸が、イェニーに向かう。
「君も魔道士なら、やはりエルグリムの悪夢を?」
「そうだ」
動きが速い。
俺の意のままに動くそれをすり抜け、さらに剣で切り裂く。
十二個あったその球を、もう二つも切り裂いた。
「聖騎士団に入ればいい。ルーベンの領主に、そう誘われたんじゃないのか?」
「お前らのことは嫌いだ」
「どうして?」
振り下ろされる剣に、さっと飛び退く。
この女、まともに俺と戦う気がない。
振り回す切っ先は、俺が避けようと避けまいと、鼻先をかすめるか、肌に当てる程度のものだ。
「どうして俺の力を認めようとしない。なぜ人の話を聞かない」
「それをモリーは、聞こうとしていたんじゃないのか?」
「あれは拷問だ」
爆発音。
フィノーラの誤爆だ。
それをキーガンは楽々と避ける。
だけどあっちはディータの居る分、彼らの本気度は高い。
衝撃で正門が半壊している。
外が丸見えだ。
「あぁ、あまり城を壊さないでほしいな。外に出よう」
そう言ったイェニーの手が、俺の襟を背後から掴んだ。
「なっ、いつの間に!」
その声に、フィノーラとディータが振り返る。
「ナバロ!」
「イェニー! その手を放せ!」
彼女は腕一本の力だけで、俺を投げ飛ばした。
呪文を唱えようにも間に合わない。
そのまま野外に叩きつけられる。
「まぁ気が済むまでやればいいさ。子供には時には、そんなことも必要だ」
イェニーの鋭利な剣先が振り下ろされる。
俺はゴロリと横に転がった。
「はは。上手いじゃないか」
溶け出していた結界が、再び盛り返している。
モリーとここの魔道士たちの仕業だ。
俺は起き上がると、塞がれる寸前の空に向かって手を伸ばした。
『力よ、我の元へ集え!』
稲妻が走る。
それは呼び寄せた魔力の塊だ。
この未熟な体に収まりきらない力を、ここに集結させる。
俺はその全てを、この城の地下に向かって叩き込んだ。
『大地を揺るがせ。もう二度と、何者にも囚われるな!』
「ナバロ、何をした!」
城と、その敷地である全ての輪郭が白く浮き上がる。
膨れ上がったその光りは、一度吸収されたかと思うと、すぐに炸裂した。
「なんだ! これは?」
無数の、本当に無数の光りが、足元の大地から湧き上がる。
白く透けるその儚い影は、魂の欠片だ。
人骨にドラゴン、牙を生やした猛獣たち。
怪鳥は羽ばたき、二つ首の犬の群れが駆け抜ける。
この地下に埋められ、封印されたモンスターたちの屍が、その呪縛から解き放たれ、天に還ってゆく。
声にならない雄叫びが、辺り一帯に響き渡った。
「イ……、イェニー。団城の封印が……解かれてしまったわ……」
モリーだ。
それを守ろうと力を使い果たし、足元がふらついている。
「モリー!」
崩れ落ちる彼女を、イェニーは抱き留めた。
「復活するわ。何もかもよ。解かれた封印は、私にはすぐに戻せない。死者の魂を留め続けた、古の呪文が……」
灰色の魔女は、ガクリと片膝をつく。
それを見届けた俺も、次第に朦朧としてくる。
「ナバロ!」
力を使い果たし、倒れた俺を支えたのは、フィノーラだった。
「だから、アンタは無茶しすぎ!」
俺はうっすらと目を開ける。
未だ大地から上り行く、無数の魂の影を見る。
それは絶え間なく地下から湧き上がり、空へと消えて行く。
あぁ、これはみんな、ここで死んだものたちだ。
この地に埋められ閉じ込められたたまま、ずっと眠っていたんだ。
かつて俺と共に戦い、敗れ去った仲間たち……。
ずっとここで、解放される時を待っていたんだ……。
ディータはフィノーラにささやく。
「おい、ナバロを抱いて走れるか?」
「走れなくても、走るわよ」
「よし。ここを出るぞ。街を出る街道まで行こう」
力を使い果たし、動けなくなった俺をフィノーラは抱き上げた。
「こっちだ」
瓦礫の山を越え、駆け出そうとする俺たちの前に、キーガンが立ち塞がった。
「おっと。そう簡単には行かせられないな」
吸魔の剣を鞘に収めたまま、真横に振る。
ディータの肘が、それを受け止めた。
カードの一枚を、キーガンの足元に滑り込ませる。
『伸びた蔓よ、剣士の足をつなぎ止めろ』
次の瞬間、赤黒く伸びる魔法の蔓が、キーガンに絡みつく。
「お前の手品も、ちゃんと動くようになったのか? ならもう遠慮はいらないな」
キーガンは剣を抜いた。
黒い剣を足元に突き立てると、それは瞬く間に姿を消した。
カードが二つに割れている。
キーガンはその剣を構え直した。
「さぁ、これ以上、手間をかけさせるな。一体これで何度目だ? 大人しく捕まっていた方が早く解放されるってのが、まだ分からないか」
素早いその一振りに、ディータは飛び退く。
フィノーラは俺を抱いたまま、パッと走り出した。
イェニーはそれに併走する。
「どこへ行こうというのだ? そんなに急がずとも、普通に歩いて行けばいいのに。通行許可証も返しただろう?」
すぐにキーガンが立ち塞がる。
「だめですよ団長。この子は普通じゃない」
「普通じゃないと、何が駄目なんだ?」
「中央議会から通達があったでしょ、エルグリムが復活してるって」
「それがこの子だと言うのか? 本当に? そんな風には見えないけどな」
フィノーラの腕に抱かれ、動けない俺をのぞき込み、彼女はニヤリと笑った。
フィノーラは周囲を見渡す。
俺は残った力を総動員し、この城の魔道士たちが再び強固な結界を張ろうとするのを、阻止し続けている。
「モリーが苦戦するなんて、ただ者じゃないですよ」
「そうか。朝の二度寝の時間が来たのかと思った」
「だったらいいんですけどね」
ディータは腰の短剣を抜いた。
それをキーガンに叩きつける。
刃と刃が重なりあった。
「おっと。お前が剣を抜くなんて珍しいな」
「素直に通してくれんなら、こんな苦労もいらねぇんだけどな」
慌てたイェニーが、割って入る。
「ディータ! どこに行くんだ? やっぱりグレティウスなのか?」
「そうだよ!」
「いつ戻ってくる?」
「もう戻らねぇ!」
ディータの剣は、キーガンの魔剣を弾いた。
「今度こそ本当にお別れだ。イェニー。俺はもう、ここには帰らない」
イェニーの動きが、ピタリと止まる。
燃えるような赤髪の、その前髪が揺れた。
「だから、これからもみんなと、仲良くやってくれ。お前が元気でいてくれたら、それだけで俺は安心できる」
ディータは瓦礫の上で、周囲を取り囲む聖騎士団たちを見渡した。
「キーガン。イェニーと、この騎士団をよろしく頼む。それと……。モリーにも、上手く言っておいてくれ」
結界を張り直そうという勢力が弱まった。
ついに諦めたか?
いや、違う。
崩れた城門付近で、ひときわ強い気配がよろめいた。
「まぁ、ずいぶんなお言葉じゃないの、ディータ」
灰色の、長く真っ直ぐな髪がサラリと流れた。
酷くやつれた魔道士が、よろよろと立ち上がる。
俺と目があった。
「イェニー! この男をたぶらかしたのは、その黒髪の魔道士じゃないわ。あんたと同じ髪色をした、この少年よ! ディータを取られたくなかったら、ナバロを引き留めて!」
「えっ?」
とたんにイェニーは震えだし、ガクリとその場に両膝をついた。
「つ……、ついに男の子にまで手を出すとは……。わ、私はどうすればいいんだ……」
モリーの呪文。
ディータはそれを弾き返す。
「そんなワケないだろ! 目を覚ませイェニー!」
フィノーラがつぶやく。
「結界の穴、まだ維持出来る?」
城の上空には、俺が空けた穴がまた残っていた。
「なんとか……」
とは言っても、明らかに分が悪い。
フィノーラは俺を抱いたまま、足元に向かって衝撃波を放つ。
空へ飛び上がった。
「そうはさせないわよ!」
モリーの風起こし。
突風に吹き飛ばされる。
たぐる風に操られ、その落下点にはキーガンがいた。
「どう受け止めればいいんだ? 二人まとめて?」
両腕を広げ待ち構えるその巨体を、ディータは体で突き飛ばした。
「ディータ!」
フィノーラが叫ぶ。
「いいから走れ!」
目の前を、無数の聖騎士団員が塞ぐ。
フィノーラはそれを呪文で吹き飛ばした。
俺は上空に空いている結界部分を、脱出出来そうな位置にまで、下ろそうとしている。
「全く! どこにそんな魔力が残ってるのよ!」
モリーは氷の壁を創り出した。
緑色にわずかに光る壁が、俺とフィノーラの行く手を塞ぐ。
ディータの投げたカードが、すぐさまそれを打ち崩した。
「少年とデキてるっていうのは、嘘なのか?」
砕け散るその破片を、イェニーは軽々と跳び越えてくる。
彼女の剣の一振りで、触れてもいない俺の頬が切れた。
「あぁそうだよ、イェニー! 俺が本当に愛しているのは、いつだって君だけだ」
イェニーの動きが止まる。
二人はじっと視線を合わせた。
「ディータ……。本当に行ってしまうのか?」
「あぁ、行くよ。今度こそ本当に本気だ。俺のことは、もう諦めてくれ」
「……。あ、あたしをおいて?」
「おいて」
「連れて行ってはくれないのか?」
「無理だ」
うつむいたイェニーの体が、小刻みに震えている。
周囲を取り囲む聖騎士団の連中が、じりじりと後ずさりを始める。
「そ……そんなこと、許されるわけないだろうが!」
イェニーの振るう剣が、空を切り裂いた。
「いったいいつになったら、私の気持ちを受け入れてくれるんだ!」
「お前の気持ちは知ってる!」
大乱闘が始まった。
イェニーの剣さばきは早すぎて、俺にも見えない。
ディータは防戦一方だ。
「……。なんだあれ?」
フィノーラは走り出す。
「あの団長が一番厄介よ。ディータが引きつけてくれてるうちに、ここを出なくちゃ」
目の前で、キーガンは吸魔の剣を構えている。
フィノーラは呪文を唱え……るのをやめ、軽やかに飛び上がった。
俺を抱いたままくるりと一回転し、その頭上を跳び越える。
「フン! のろまな聖剣士どもめ。いつまでもあんたたちのレベルに、合わせてやってらんないわよ!」
再び走り出した彼女を、氷の刃が襲う。
「ナバロさえここに置いて行くなら、一気に問題解決よ!」
モリーの鋭いつららが、フィノーラを襲う。
「その少年を置いていきなさい」
ディータと戦うイェニーの剣が、地面を割った。
ひび割れた地面の一部が、ドンと盛り上がる。
フィノーラは俺を抱いたまま飛び上がった。
「あの女は、とんでもない馬鹿力なのか」
「そうよ! 信じられないくらい、物理一択押し!」
キーガンとモリーの攻撃を避けるので、フィノーラは精一杯だった。
ディータはイェニーから逃げ回っている。
イェニーの一振りで、城の一部が崩れた。
「団長、やりすぎです。もっと手加減してください」
「三人とも逃がさなきゃいいんでしょ?」
キーガンの言葉に、イェニーはその剣を天高く掲げた。
「キーガン、修理代の予算編成よろしく!」
彼女はグッと腰を引き、剣を低く構え直す。
「みんな危ないから、頭隠しといてね!」
真横に振った剣は、俺たちの頭上をかすめた。
どこを狙っている?
と、思った瞬間、分厚い石造りの城壁が上下にずれたかと思うと、真っ二つに切断された。
「うわっ!」
崩れ落ちる壁に、飛び上がったフィノーラは、着地の足を捻る。
俺を抱いたまま体勢を崩した彼女に向かって、ディータはカードを投げた。
呪文を唱える。
『二人を乗せて飛び立て! 彼らの望むままに!』
巨鳥が飛び出す。
鷲に似たその鳥は、すばやく俺たちを背に乗せた。
空高く飛び上がる。
「ナバロを逃がしちゃダメよ!」
モリーの呪文。
彼女に突進していくディータの目の前に、イェニーの剣が振り下ろされた。
「キーガン!」
「お任せを」
モリーの魔法を借りたキーガンが、吸魔の剣を片手に飛び上がる。
頭上に空いた結界の穴は、今にも塞がりそうだ。
吸魔の剣が抜かれた。
ディータも飛び上がる。
「もう誰にも邪魔させねぇ!」
キーガンの刃は、ディータに向かった。
空中で交差する剣の上を、キーガンが取る。
吸魔の剣がその魔力を吸い取るのに合わせて、ディータの使い魔の力も消えてゆく。
徐々に薄れゆくその大鷲に、フィノーラは自分の残った魔力を注ぎ込んだ。
「お前は大人しく、ここで腐っていろ」
ドンッ!
全ての力を奪われたディータは、地面に叩きつけられる。
「ディータ!」
フィノーラと俺は、結界の外へ飛び出した。
足元には半壊した団城と、その瓦礫に埋もれたディータの姿が見える。
「はは。やっぱ占い師の言う事なんて、アテにならねぇな。しかも自分で占った、どうしようもない未来だ」
彼との別れの言葉が、魔法の風に乗って耳元にささやく。
「お前についていけば人生が変わるって、そんな占いが出たんだ。そんなワケないのにな。やっぱダメな人間は、何やってもダメだ。お前たちはもう行け。こんなつまんない大人には、なるんじゃねぇぞ」
ディータはわずかに微笑むと、小さく手を振った。
その周囲を、聖騎士団たちが取り囲む。
「もうダメよ、ナバロ。私たちじゃこの使い魔は使えない。ディータの魔法だもの。彼の魔法が残っているうちに、行けるところまで、行くしかないわ」
大鷲の魔力が消えてゆく。
結界が完全に閉じてしまえば、もうディータはそこから抜け出せないだろう。
城を取り囲むドーム状の結界が、間もなく再形成される。
「短い間だったけど、楽しかったよ。最期にいい夢が見られた」
ナルマナ聖騎士団所属の魔道士たち総力によって、空けられた結界の穴は閉じられた。
ディータの魔力が尽き果てた証拠に、大鷲の姿も消える。
俺たちは落下を始め、フィノーラはその結界に向かって衝撃波を打った。
跳ね返ったその反動で、もう一度高く飛び上がる。
「行こう、ナバロ。私たちまで捕まってはだめよ」
再び結界に覆われた城は、淡い黄緑の光りに包まれ、たたずんでいた。
その閉じられた世界の中で、また新たな亡骸を抱え、永い眠りについてしまうのだろうか。
何者にもなれなかったものたちを封印し、全てをなかったことにして、消し去ってしまうのだろうか。
青く広がるその空の向こうに、ふと白い影が見えた。
「……いや。そんなこと、許していいわけがないだろう」
俺は何の為に生まれ変わった?
残された魔力はわずかだ。自分の力だけでは、さすがに勝算は低い。
「呪文を……。呪文を考えよう……」
フィノーラの腕に抱かれたまま、俺は空を見上げた。
そこにまだ、可能性はある。
印を結んだ。
『解き放たれし者たちよ。その恩に報いよ。再び閉じられようとする、呪われた世界を救え』
その声に、どこまで共鳴するのか。
どこまでも広がる空には、雲しか見えない。
もしそれが叶うのなら、俺もまたやり直せるのかもしれない。
「ナバロ!」
遠く、耳には聞こえない声が響いた。
この地下から蘇った、無数の白い影が集まってくる。
「戻っ……て、来た!」
かつてこの城で生まれ、根城としていた魔物たちだ。
白く魂だけと成り果てても、まだ俺の声を聞いてくれる。
それは大きな波となり、巨大なドームへとぶつかった。
フィノーラの体が、ふわりと浮き上がる。
実体を持つまだ若い小さなドラゴンが、俺たちを背に乗せた。
「な……、なんで……?」
あぁ、この子には見覚えがある。
俺が倒される直前に、ここで卵からかえり、祝福を与えた竜だ。
「お前、生き残っていたのか」
幽霊の群れと化した魔物の軍団が、結界を破ろうとしている。
黄緑のドームに取り憑き、ついにその殻を破った。
だとしたらまだ、望みはある。
もう一度、もう一度だけ。
それさえ叶えば、後悔はない。
ドラゴンに指示し、空に舞い上がる。
力を与えよう。
俺が今、こうして助けてもらったように……。
『我もその思いに答えよう! もう二度と、何者にも囚われるな! 再び囚われようとする者たちを、救い出せ!』
雷鳴が轟く。
魔力を呼び寄せ、解き放つ。
それは新たな光りの柱となって、古城へ落下した。
争う聖剣士たちの剣に、斬られては消えゆく魂に力を与える。
ドラゴンはその戦乱の渦中へと降下した。
俺は手を伸ばす。
「ついてこいよ、ディータ。お前の占いが間違っていなかったことを、この俺が証明してやろう」
崩れた瓦礫の上で、倒れたまま動かなくなっていた彼が、ニッと笑った。
腕を伸ばす。
指先が触れた瞬間、それをしっかりと握りしめた俺は、ディータを引き上げた。
「行こう。もう何者にも、囚われる必要はない」
飛び上がる。
地上から無数の矢が放たれた。
フィノーラの爆風が、ドラゴンの飛翔を助ける。
再び大空へと舞い上がった。
地上へ降りた亡霊たちが、歓声をあげ沸き立つ。
俺たちのあとを追いかけ、彼らも飛び上がった。
白い影となった人骨が、ドラコンたちが、最期の別れを惜しみながら挨拶を交わし、空に消えて行く。
魂の数だけ幾度も繰り返されるそれは、天からの祝福にも見えた。
「で、どこに行くんだ?」
ようやく静かになった空に、ディータは飛ばされないよう帽子を押さえた。
「グレティウス。エルグリムの悪夢を手に入れる」
「いいね」
「賛成よ!」
三人を乗せたドラゴンは、北の山脈へ向かい滑空を始めた。
山の奥深い崖上に舞い降りる。
いくらドラゴンとはいえ、これだけのチビ竜に三人も乗せて飛ぶことは、これ以上無理だった。
「ありがとう。助かったよ」
その鼻先を撫でてやる。
チビはうれしそうに目を閉じた。
「ねぇ……。どうやって懐かせたの?」
「お、俺も……、触っていいかな……」
気がつけば、フィノーラとディータはキラキラと目を輝かせ、こっちを見ている。
「……。まぁ、平気なんじゃない?」
途端に二人は、チビに飛びついた。
「キャー! かわいい! こういうの憧れだったんだよねー!」
「俺も俺も! やっぱドラゴンだよなぁ!」
チビはしばらく二人に撫でられていたが、突然嫌になってしまったのか、空へ飛び上がった。
「またな」
「え~! もう行っちゃうの?」
「な、また呼んだら来る? まだ呼んだら来てくれる?」
「さぁ。来るんじゃないのか?」
飛び去る姿に、二人はぴょんぴょんと跳びはねながら、盛大に手を振っている。
太陽は間もなく隠れようとしていた。
森の中へ入る。
「魔力はどれくらい残ってる?」
今晩はここで野宿だ。
フィノーラがたき火に火をつけ、ディータは仕留めてきた鳥の皮を剥いでいた。
「残ってるわけねぇだろ。もう全部使い果たした。フィノーラは?」
「私も。もうそんなに大きい魔法は使えない」
俺だってそうだ。
さすがに魔法石で補給しないと、ほぼ枯渇している。
簡単な魔法しか使えない。
「どっかで調達するかぁ?」
「どうやって稼ぐのよ」
魔法石はとても高価な品だ。
「あれ? ビビからもらった石がなかった?」
「あんなもんとっくに使い果たした」
「どうしてよ!」
「でかい魔法使ったんだよ。仕方ないだろ」
焼き上がった肉にかぶりつき、フィノーラの鞄に残っていた乾パンをかじる。
「目的地はグレティウスなんだろ?」
「着いたところで、どうすんのよ。ガッツリ監視がついてるわよ。魔王城の中なんでしょ、悪夢があるのって」
「そもそも悪夢ってなんだ?」
「え、大きな魔法石の結晶じゃないの?」
俺は焼けた肉の、最後のひとくちを飲み込む。
「石の結晶じゃない。力の根源だ」
フィノーラは、肉の刺さっていた小枝をくるくると回した。
「それってどういう仕組み? つーか、なんでナバロはそんなこと知ってるの?」
「本で読んだ」
「どんな本よ。そんなの、見たことないわ」
それには答えない。
呪文を唱える。
あちこちに転がる砂粒ほどの魔法石の欠片が、五つ、六つほど集まってきた。
それを二人に差し出す。
「私、石から直接は無理」
フィノーラは首を横に振った。
ディータは一粒だけそれをつまむと、口に入れかみ砕く。
「俺は嫌いじゃないけど、効率は悪いよな。美味いもんでもないし。薬剤化されている方が、ずっと飲みやすくて力が溜まる」
俺は手の平に残ったそれを、全て丸呑みにした。
ほんのりと甘い後味が舌に残る。
フィノーラはため息をついた。
「エルグリムの転生魔法についての、研究書は読んだわ。理屈は分からないわけではなかったけど、あれが本当に出来るとは思えない」
「で、そのエルグリムの力を集めた結晶とやらを他の魔道士が奪って、自分の物に出来るのか?」
「私は破壊しに行くのよ」
フィノーラは言った。
「私はそんなものが、この世に残されている方がおかしいと思ってるわ」
「だったら大人しく、聖騎士団に任せておけばいいじゃないか。そのために王城を探ってるんだろ?」
「あんな奴らの言うことを、そのまま信じられるの? 見つけ次第、自分たちのものにするつもりよ。そして第二の魔王が誕生する」
「ユファのこと?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。とにかく私は、もう誰かの言いなりになるのは、まっぴらゴメンなのよ。それは中央議会だって同じだわ。そんなヤツらは完全に排除して、好きに生きる。私を支配しようとする連中は、たとえそれが何者であっても、許しはしない。頂点に立とうなんて人間は、この世に必要ないものよ」
「ルールはあっても?」
「私がそのルールよ。排除されない程度に、上手くすり抜けてみせるから」
ディータはたき火の火を消した。
「なぁ、動物避けの結界くらいなら、張れるか?」
フィノーラの呪文が、俺たちを包む。
俺たちは毛布にくるまった。
「とにかく、グレティウスはまだまだ遠い。ドラゴンのおかげでナルマナの管轄地からは離れられたから、しばらく追いかけ回されることはないだろう。大人しくしていれば、そう目をつけられることもないだろうしな。明日からはもっと、地味に慎重に行こう。しっかり休んでおかないとな」
「そうね。もうしばらく、魔力は頼れないわね」
「おやすみ」
フィノーラも背を向けた。
翌日になり、俺たちは夜明けとともに山を下りた。
設定は仲良し魔道士三人組による、旅芸人一座だ。
フィノーラが客寄せをして回り、ディータのギターで俺が歌う。
「やってられるか!」
稼いだカネは、あっという間に飯代と宿代に消えた。
高価な魔法薬を買うなんて、夢のまた夢だ。
三人で入った大衆食堂で、頼める分だけ頼んだ料理をかき込む。
「だからそんなもん、魔法で石ころでも木の葉でも、コインに変えて誤魔化せばいいだろ! 俺は今までずっと、そうやってやって来たんだ!」
「だからダメだったのよ!」
ホワイトソースの絡みついた細長いパスタをかき込みながら、フィノーラが怒鳴る。
「だからアンタはカズの村で悪童で通ってたし、ルーベンでもマークされたんだって! 今時魔法で誤魔化したお金なんて、みんな見破るアイテム持ってるんだから!」
「そうかぁ~。ナバロは、カズ村の出身なのかぁ~」
「だけど、こんなやり方じゃ時間がかかって仕方ないだろ!」
「私はこうやって、地道に稼いでここまで来たのよ!」
「あ、二人とも、パンのおかわりもらうかぁ?」
「なんでここで、いつものガサツさを発揮しない!」
「なんですって?」
俺のお気に入りのサラダボウルを、フィノーラが取り上げた。
フォークを突き刺しそれをむしゃむしゃと咀嚼すると、ゴクリと飲み込む。
ナルマナを出てから、もう三ヶ月近くが過ぎていた。
「そもそもアンタが考えなしで魔力ぶっ放すおかげで、こんな苦労させられてるんですけどね」
ディータは店に置かれていた新聞を広げた。
「派手な記事になってるなぁ~。 『ナルマナでエルグリムの古城にかけられた封印が解かれる。魔王復活の予兆か?』 だって」
「じゃなきゃ、あそこから抜け出せなかっただろ!」
「そもそも、一番最初に、捕まらなければよかっただけの話しでは?」
フィノーラの持つ木製ボウルに指をかける。
奪い返そうと引き寄せるも、腕力では敵わない。
「大体、なんであんたの呪文で、エルグリムの亡霊どもが言うこと聞いたのよ」
「俺の呪文構文が、エルグリムと同じだからだよ」
「だから、その誰もが知りたがるその秘密の構文を、どこで知ったのかって聞いてんの」
「その呪術書は、燃やされてしまったんだ」
「本当に?」
「絵本と一緒に。家のかまどで」
フィノーラからサラダボウルを奪い返す。
これにふりかけられた、魚のチップが美味いんだ。
「エルグリムが本当に生まれ変わっていたら、こんな平和はないだろぉー」
ディータは読んでいた新聞を閉じ、コーヒーをすする。
「エルグリムの世が続いていたら、仲間になってたんじゃなかったのか?」
「そりゃもちろん、長いものには巻かれるさ」
ディータは言った。
「だけど、もうそんな時代は終わったからねぇ。エルグリムは死んで、もう戻ってはこない」
「悪は倒されるのよ。誰もそんなもんの復活なんて、望んでないわ」
フィノーラはテーブルの皿に残っていた、最後の肉の一切れにブスリとフォークを突きたてる。
「そのために私は旅に出たの。悪だろうが善だろうが、もう二度と、中央議会にだって、誰かに支配される世界になんて、絶対にさせない」
彼女が豪快に肉を喰らったところで、食事は終わった。
「さぁ、出るか」
俺たちが立ち上がろうとした時、店の中にいた客の一人が声をかけてきた。
「あんたたち、グレティウスを目指してんだろ?」
「あぁ、そうだ。そこで一発、のし上がろうって手はずだ」
ディータが答える。
「エルグリムの復活に供えて、悪夢を探す聖騎士団の、臨時調査団員募集広告は見たのか?」
その男は、新聞の求人広告を指さした。
「グレティウスに向かう、特別な駅馬車が出てるってよ」
「それはいつだ?」
「さぁね。停留所はこの大通りの先だ。行ってみろよ。調査団に入るなら、タダで乗せてもらえるはずだ」
店を出る。
大通りの人混みを前にして、ディータは立ち止まった。
「さて、どうする? 選択肢は二つだ」
「タダよ、タダ。背に腹はかえられないでしょ」
「本気でそこに行くのか? 聖騎士団だぞ」
「当たり前でしょ。見に行くだけは行ってみましょ」
フィノーラは歩き出す。
「やれやれ。お前の姉ちゃんは元気だな」
その建物は、すぐに見つかった。
四頭、六頭立ての馬車が何台も交差する、随分賑やかな停車場だ。
「ほら、よそ見してると馬車に引かれるぞ」
ディータが俺に手を伸ばす。
さすがにそれにはムッとしたが、黙ってその手を繋いだ。
フィノーラと三人、待合室へ入る。
ディータは俺たちを残し、ごった返す人の波を泳いで、受付らしき場所に並んだ。
あまりの狭さと人の多さに、フィノーラは俺を抱き上げる。
「おい。あまり俺を子供扱いするな」
「まぁ。みんな子供はそう言うものよ」
「バカにしてんのか?」
「してないって。子供ほど大人になりたがるもんだから」
受付でディータが騒いでいる。
何やら揉めていると思ったら、案の定怒りながら戻ってきた。
土埃舞う喧騒の中に、ディータの声が混ざる。
「くそっ。もうグレティウスへ向かう特別便は出た後だってよ。次の便は志願者が集まってからだそうだ。そもそも、聖騎士団の審査に合格したものだけが乗れるってよ」
「じゃあ無理じゃない」
「そうだな。そこにだけは世話になれない」
「ちっ。聖騎士団っていうだけで、うんざりするぜ。やっぱ地道に稼いで歩くかぁ~?」
しかしそれでは、あと何ヶ月かかるか分からない。
ふとこちらに向かって歩いてくる、がたいのいい男と目があった。
「こんなところにいたのか」
「イバン!」
白金の髪にブルーグレイの瞳。
いつだって上品めかしたその立ち居振る舞いは、この喧騒と土埃の中でもひときわ目を引いた。
「たまには連絡しろ。ビビさまが心配している」
「あんたこそどうしたのよ。ここで何してんの?」
「私か? 私はこれから、エルグリムの悪夢を探す調査隊に……」
「それだ!」
俺たちは、同時に声を上げた。
「確かに私は、調査隊に志願して行くが、それは聖剣士として参加するんじゃない。あくまで休暇中の暇潰しだ」
場所を移した俺たちは、駅馬車の行き交う大通りを見渡す、テラス席に腰を下ろした。
「は? なんで休暇中に行くんだ?」
ディータは眉をしかめる。
「仕事中じゃないんなら、仕事すんなよ」
「他にすることもないからな」
「休みがたまってたんでしょ? 石頭イバンさまっぽい」
フィノーラの言葉に、彼は頬を赤くする。
「いいじゃないか別に。これが私にとっての、余暇の過ごし方だ」
「グレティウスに行くのか?」
「そうだよ」
俺の言葉に、イバンは静かに視線を向けた。
剣を教えると言った、その時の彼が頭をよぎる。
「確か君たちも、グレティウスを目指しているんだったな。一緒に行くか?」
「それは助かる!」
声をそろえた俺とフィノーラに対し、ディータは明らかに不満気な表情を浮かべた。
「冗談じゃない。だれが聖剣士なんかと……」
「確かに私は聖騎士団の一員だが、今は休暇中だぞ」
「バカねディータ。これからどうやってグレティウスまで行くつもりよ」
「地道に日銭を稼いで行くんだろ?」
「ねぇ、イバン?」
フィノーラは、キラキラと輝く目でじっと彼を見上げた。
「私たち三人分の、駅馬車代出せる?」
「はい?」
「それは違う。俺は子供料金で大丈夫だ」
「……。ちょ、ちょっと待て。君たちは一体、どうやって旅をしてきたんだ? ビビさまから、ちゃんとまとまった金額を……」
「色々あって、没収されちゃったのよ。きっとナルマナの聖騎士団のところに行けば、預かり分があるわ」
イバンは大きくため息をつくと、その頭を抱えた。
「君たちはまた何かやらかしたのか。そういえば、ナルマナ聖騎士団の団城が最近……」
「ね! イバンなら同じ聖騎士団だもの、すぐに話しがつくでしょ。お金がないワケじゃないの。イバンならそれを知ってるじゃない?」
彼はその青い目で、指の隙間からじっとフィノーラを見た。
その視線は、今度は俺に注がれる。
フィノーラはディータを振り返った。
「ほら。この騎士さまが私たちの駅馬車代を立て替えてくれるってよ。一緒に行きましょう?」
「信頼できるのか」
「それはもう!」
ディータはかなり不満げだったが、その顔を背けて言った。
「……。まぁ、そういうことなら……。仕方ない、かな……」
「これで決まりね!」
結局フィノーラの一言で、イバンは三人と一人分の切符を購入した。
ナルマナからダラダラと歩いてたどり着いたこの街からも、グレティウスはまだ遠い。
そこへ直接向かう定期便の駅馬車はなく、近くのチェノスまで行く便に空きを見つけた。
「グレティウスの手前の街だ。そこから入るより他ないな」
イバンの言葉に、ディータはフンと鼻を鳴らす。
「聖剣士さまっつっても、こんなもんか。直行便に空きを作れるかと思ったぜ」
「私は今、休暇中だと言っただろ」
イバンは俺とフィノーラに切符を渡すと、最後にディータにそれを差し出した。
「嫌ならどうする?」
「お前にコイツらを任せられるかよ」
「ならよかった」
乗客は俺たちの他に八人。
二人の御者を含めると、十四人のパーティーだ。
四、五十代の女性の一人客もいれば、まだ若い男もいる。
その中でも、俺は最年少のようだった。
特に剣士だと思われるような連中も、魔法の臭いを漂わせる者もいない。
ごく一般的な乗客たちだ。
聖剣士と一目で分かるイバンと同行していることで、俺たちは多大な信用を得ていた。
なんとも理不尽な世の中だ。
停車場の隅に停まっていた駅馬車の、木箱のような荷台に直接腰を下ろす。
人を乗せて運ぶ馬車としては、最低ランクだ。
「こんな安っすい馬車で荷物のように運ばれて、二十日以上の旅をしろって?」
「一番早いものを言ったのは、君たちだが?」
「お前が急ぐんだったろ?」
「私はこれで十分だ」
狭い木箱の中に、ぎゅうぎゅうに詰め込まれる。
ディータはそれを見て、木箱の屋根に飛び乗った。
「俺はここでいい。雨さえ降らなきゃ、ここが一番だ」
「好きにしろ。振り落とされるなよ」
俺はフィノーラとイバンに挟まれて、居心地がいいのか悪いのか分からない。
「ナバロは……。元気にしていたのか?」
不意に、イバンが声をかけた。
「ビビさまがとても心配していた。おかげで随分と元気になられて。みな感謝している」
「……。魔法石の礼だ」
「フフ。そういうことだったのか……」
イバンは木の板に背を預けると、顔を上げ目を閉じた。
「魔法が使えるというのも、いいもんだな。私自身は、それを不便に思ったことはあまりないが」
「お前は、簡単な魔法しか使えないからだ」
「きっと魔道士になれる体質だったとしても、私は剣士になっただろうよ」
御者の合図で、馬車は動き出した。
乗り心地もクソもあったようなものじゃない馬車だが、文句は言えない。
長い道のりが始まった。
初めは互いに距離のあった乗客同士にも、旅程が進むにつれ、次第に会話も生まれてくる。
ぬかるみにはまった馬車を押したり、時には食事も分け合った。
急な坂では馬の負担を減らすため荷台から降り、道を歩く。
縮こまった体に、外の世界は開放感にあふれていた。
「なぁ、俺も屋根に上がっていいか?」
イバンとフィノーラの反対をよそに、そう言った俺をディータは屋根に上げた。
夜には寒さと揺れが一段と酷くなったが、流れてゆく星空を見上げていられるのは悪くない。
「やっと半分まで来たな」
ディータはつぶやいた。
すっかり聞き慣れた車輪の音に、そっと目を閉じる。
「なぁナバロ。グレティウスに着いたら、俺は商売でも始めようかと思うんだ」
「商売? 悪夢を探すんじゃなかったのか」
「はは。それも探すには探すけど、グレティウスは今や、ただの魔王城じゃねぇ、一大商業都市だ。魔法関連の道具が飛び交う、特別自治区なんだよ」
「入れないのは、悪夢のせいだけじゃないってこと?」
「そうだ。俺も昔、一度だけ行ったことがある。本当に通り抜けただけみたいなもんだったが、そりゃあもう、凄いところだぞ」
俺がそこに住んでいたころは、ただただ広がる広大な荒れ野に、毒沼が点在しているような土地だった。
その荒野を囲うように、草木も生えない死した山脈が続き、その岩根を削り出して城を造った。
硬い岩盤をくりぬき、いくつもの塔をたて櫓を構えた。
日の当たらない地下の広間には、黒く冷たい一枚岩を魔法石で磨きあげ、そこで沢山の者を処刑した。
命を乞う者がひざまずく玉座の前は、そこだけがうっすらとへこんでいたっけ。
「そういえば、もう魔力は回復したか?」
「いや。体力は戻ったけど、それ以上はあんまり……」
ディータは暗闇の中、ゴソゴソとポケットから小瓶を取りだす。
「さっき止まった休憩所で手に入れたんだ。ほら、あの後から入ってきた、グレティウスへ向かうという積み荷の連中さ。それほどいいものじゃないが、ないよりはましだ」
受け取ったその魔法薬を飲む。
変に味をつけたそれは、かなり薄めて作られた粗悪品だ。
ディータも同じものを口にすると、走る木箱の上からその空き瓶を投げ捨てる。
「グレティウスに店を構えて、そこを拠点にあちこちを飛び回るんだ。あそこには珍しい品や、聞いたことのない話しがいくらでもある。そうだな、お前にも分かりやすく言えば、冒険の日々ってやつだ」
ディータは楽しそうに笑った。
「ナバロはそういうのに、興味はないのか?」
走り続ける馬車の振動で、全身は絶え間なく揺れている。
流れる星空のその速さは、俺が乗っているこの木箱の進むスピード、そのまんまだ。
「そんな風に思えたら、ずいぶん楽になれただろうな」
ディータはガバリと起き上がった。
「お前さぁ、前からちょっと思ってたんだけど……」
ヒュ!
空気を切り裂く音に、サッと身を屈めた。
闇夜に目をこらす。
街道を挟む草原の奥、その木々の間から、複数の人間が飛び出して来た。
「盗賊だ!」
恐怖に怯えた馬が加速する。
御者はその勢いに任せ、スピードを上げた。
異変に気づいた乗客たちが目を覚ます。
放たれた矢が、木箱の板を撃ち抜いた。
「ディータ!」
「任せろ」
呪文を唱える。
ディータの呪文で、飛んでくる矢は、全て地面に落とされた。
「魔法の臭いがする!」
狙いは馬の足だ。
深い泥沼にでも落ち込んだかのように、四肢を高くあげ、ばたつかせている。
その魔法を解いてやってもいいが、ここは逃げることを選択するより、迎え撃つ方が得策のような気がする。
「ディータは御者と馬を守れ」
ついに、駅馬車の車輪は止まった。
夜風に波打つ草原を、武器を手にした盗賊たちが駆け下りて来て取り囲む。
木箱からイバンが出てきた。
甲冑こそ身に纏っていないものの、聖剣士の紋章が入った剣を、スラリと引き抜く。
「残念だったな。ここに私がいる限り、通行の邪魔はさせない」
俺は呪文を唱える。
閃光弾だ。
『この場を照らせ! 誰の目にも、その姿を隠れなく映し出せ』
打ち上げた光りの球はパッと広がり、煌々と辺りを照らした。
イバンの影が素早く動く。
相手の不意をつく鮮やかな剣さばきは、さすがに聖剣士のものだ。
「フン。銀の星を背負ってるだけのことはあるなぁ。そうたいしてデキは悪くないようだ」
「まぁ、悪くはないと思うね」
「なんだ、ナバロ。知り合いじゃなかったのか?」
「ちゃんと戦うところを見るのは、初めてかも」
ディータはそう言いながら、怯える馬たちをなだめている。
「よしよし、いい子だ。俺がついてる。安心しな」
そのささやくような低い呪文に、馬たちは落ち着きを取り戻した。
俺は木箱の上に腰を下ろしたまま、イバンの様子を見ている。
動こうとしない俺に、ディータが言った。
「……なぁ、あいつ、手伝った方がいいのかな?」
「さぁ。まぁ人数は多いけど、運動不足解消にはいいんじゃないか」
「まぁ、ナバロがそう言うなら……」
「やりたいなら、手伝ってやれば?」
「いや、そういうワケでも……」
ふと、背後からの複数の気配に、俺とディータは振り返った。
盗賊の別働隊が、木箱を狙っている。
「じゃ、俺はこっち」
ディータは腰にあったムチを取りだす。
「魔法は使わないのか?」
「ずっと馬車に乗ってりゃ、体がなまってくるだろ」
ディータのムチがしなる。
それは盗賊の持つ剣を叩き落とした。
「お前はカードに剣に、ムチも拳銃も使うのか。実に器用だな」
「飽きっぽいタチなんでね。ムチは練習中!」
なんだ。 ディータも退屈してただけか。
顔を上げる。
魔法の臭いだ。
ほんのわずかだが、夜風にのって離れた所から臭ってくる。
馬の足を止めた者とは違う、それよりは、強く臭いを感じる。
街道を見下ろす土手の上に、騎馬隊の姿が現れた。
盗賊団の首領を囲む一団か?
鎧兜を身につけ、それなりに武器も揃っている。
その中に、魔道士がいた。
「イバン、屈め」
炎の呪文。
小さな火球が、イバンに向かって飛んだ。
俺は風の呪文を唱える。
刃のように鋭い刃先を持つ一陣の風が、無数のブーメランとなって草原に飛んだ。
とっさに身を屈めたイバンの頭の先を、その風は切り裂き、放たれた火球をかき消す。
伸びた草を刈り取り、隠れていた盗賊の一部も切りつけた。
「魔道士二人に、聖剣士か。その馬車の積み荷はなんだ?」
その盗賊の声に、木箱の扉が開いた。
「もちろん、絶世の美女が山積みよ!」
フィノーラの放つ暴風が、草原を吹き荒らす。
盗賊の幾人かは吹き飛ばされ、馬たちは驚き暴れ出した。
「お前のノーコンは、まだ直ってないのか!」
混乱に乗じて、イバンは目の前の盗賊を切りつける。
「助けに来た相手に向かって、なに失礼なこと言ってんの?」
フィノーラの呪文
。衝撃弾が、敵味方関係なく頭上から降り注ぐ。
「馬が怖がってんだろ!」
ディータが叫んだ。
その馬に近寄る盗賊を、一蹴りで沈める。
盗賊団の一部は、ライフル銃を構えていた。
「フィノーラ!」
シールドを張る。
辛うじて間に合ったそれは、全ての弾丸を弾いた。
「私にケンカ売ろうなんて、上等じゃない」
彼女はそのまま、何かの呪文を唱えている。
その間にも、イバンは木箱に迫る敵を斬り倒した。
「おい、ディータ! お前も手伝え」
「うるせぇ、俺はお馬ちゃんたちの相手で忙しいんだ」
ディータは愛おしそうに、その鼻先を撫でている。
「ゴメンな、驚いただろ? だけど大丈夫だ。俺がいるから安心しな」
フィノーラの放つ暴風は、今度はイバンをも巻き込みよろけさせた。
煽られた盗賊どもは、地面に転がっている。
その様子をみた土手上の連中から、あざ笑う声が響いた。
「あの女を黙らせろ」
魔封じの呪文。
相手の魔道士は、どうやらそこそこ高等な魔法を使える、上級者のようだ。
「悪いがこっちにも、ちゃんとした魔道士はいるんだ」
放たれたその魔法を、俺はそのまま術者に返す。
その魔道士と思われる盗賊は、息苦しそうにもだえたかと思うと、馬からドサリと落ちた。
「数が多いぞ」
生真面目なイバンは、ずっと剣を振り回し続けている。
「だから俺は、そういう頭悪そうな剣士のやり方は、見てて嫌になっちゃうんだよね。やる気が削がれる」
「は? 何を言ってるんだお前」
ディータの言葉に、イバンは彼を振り返った。
「乗客の安全を守るのがお前の役目だろう」
「じゃあお前の役目はなんだ?」
「乗客の安全を守ることだ」
「俺とカブってんじゃん!」
「当たり前だ!」
「意味分かんねー」
フィノーラは勝手に暴風を吹きあらしている。
「ナバロ、暗くなった。もっと明かりを増やして!」
「は~い」
閃光弾。
二つでいい? あ、やっぱ三つにしよう。
それくらい上げておけば、後で文句も言われないだろ。
駅馬車の背後にも敵は迫る。
ディータのカードが、三匹の狼に変わった。
「ハコに戻って、馬車を動かした方がいいんじゃねぇか? もうお馬ちゃんが可哀想だ。おい、イバン。戻って来いよ」
その言葉に、御者はムチを入れた。
しかしそれは、わずかに動いたところで、ガタリと傾く。
「ば、馬車が動きません!」
「おーい。ナバロ~」
魔法の臭いはしない。
俺は木箱に近づいていた盗賊の、口を封じたうえで地面に縫い付ける。
「車輪かな? さっき飛ばしたから、おかしくなったのかもな。お前、見て分かるか?」
「魔法は感じないけど……」
ディータは馬に寄り添ったまま、馬車の足元をのぞき込む。
「あ、本当だ。馬車が止まったのは、魔法のせいじゃない。道路に仕掛けをしてやがった」
「ではやはり、戦わなくてはいけないではないか」
イバンの息が上がり始めている。
「そっちは貴様らで何とかしろ!」
仕方ないなぁ。
俺は屋根から飛び降りた。
ディータは狼を操り、迫る盗賊を倒すことに忙しい。
車輪をのぞき込むと、前後左右に四つある車輪のうち、後輪の二つにべっとりとゼリー状のものが張り付いていた。
「なんだこれ?」
こんなものは見たことがない。
ドロリとした透明な固い粘着質の中に、わずかに緑の結晶が輝く。