史上最凶と謳われた大魔道士エルグリムは、勇者スアレスによって倒された。

エルグリムは死の間際、自らに転生呪文をかけ、死したその瞬間から蘇りを予言する。

それから十二年。

巨悪をなし、誰からも忌み嫌われ、いつまでも憎み恨まれ、罵倒され続け、決して愛されることはない大魔王は、再びその強大な魔力を取り戻し、この世界を征服する。






 森の中の一本道をゆっくりと下ってゆく。

転生し生まれ出た村を出発したのは二日前だ。

履き慣れていたはずの木靴は、既に重たくて仕方がない。

歩く細い街道の道の左手から、小川のせせらぎが聞こえていた。

土手上からそこへ下りた俺は、蒸れる靴を脱ぎ捨てる。

「ふぅ。生き返るな」

 清流に足を浸した。

生まれてから数年は、どうしても動けなかった。

赤ん坊の短い手足に筋力は皆無。

受けた聖剣の致命傷で、俺自身としての意識も完全に失っていた。

自分の呪文に自信はあったが、本当に記憶を取り戻せるのかも怪しいものだった。

完全に復活するまで、三年はかかった。

「おや坊主、どこから来た」

 山深い川下から河原を上って来た男に、顔を上げる。

荷馬車の商隊だ。

馬を休ませに来たらしい。

二人連れの男のうち、小さい方が二頭の馬に水を飲ませている。

男は近寄ってきた。

その姿を見上げる。

「父さんのお使いだ。頼まれごとをされてるんだ」

「そうか。それは偉いな」

 十二年前、勇者の剣が俺の心臓を貫いた。

転生魔法は、それが動きを止めた瞬間、発動する呪文だ。

俺は全ての魔力をその体から引き上げ、その受け入れ先となる新しい命を求めた。

「どこに行くの?」

 そう尋ねた俺の頭上からも、また別の声が聞こえる。

小さな街道の道沿いに、荷物番も含め三人か。

積み荷はなんだろう。

俺は振り返ると、目の前の男を無視し、素足のまま土手を駆け上がった。

馬の繋がれていない荷台に近づく。

「カズ村へ行くんだ。隣町のルーベンから来た行商だよ。服とか靴なんかの衣料品さ」

「へぇ~」

 勇者に倒された俺は、女の腹にあったまだ命とも言えないものに取り憑いた。

死にかけていたそれをゆっくりと改造し、魔王の魂の入れ物として形を作り替える。

 ホロのついた荷台には男が一人座っていて、中には大きな袋が五つ六つ積まれていた。

男は俺に袋の中身をチラリと見せると、愛想よく笑顔を見せる。

「お前、どこから来た? 何歳だ」

「十一だよ」

「これからカズの村まで行くんだ。なんなら乗せてってやろうか?」

「ホント? ありがとう!」

 俺はそう言うと、荷台に乗り込んだ。

中にいるのは男一人だけ。

後の二人は馬と川岸にいる。

 俺はこの世界の人間を支配すべく、生まれてきたのだ。

残念だが人は、目に見えるもの、そのものしか信じない。

形がなければ、何かを動かすことも出来ない。

再び魔王となり世界を取り戻すには、どうしても『大人』としての姿が必要だ。

「おい、こんなところに靴が脱ぎっぱなしだぞ」

「あぁ、そこに置いておいて!」

 外からかけられた声に、俺は声を張り上げて応えた。

ホロ付きの荷台は、外からは中の様子が見えない。

そのまま荷台に残っていた男に、グイと顔を近づける。

「ん? どうした坊主」

「シッ。ちょっと黙ってて……」

 ゆっくりと呪文を唱える。

なぁに、ごく簡単な魔法だ。

命までは奪わない。

「お、おま……魔法が使え……」

 男は一瞬のうちにバタリと倒れた。

意識を失った男を見下ろす。

「フン。ガキだと思ってナメるなよ」

 積み荷の袋を次々と開け、中を確認してゆく。

生まれたばかりの体だ。

ようやく十一年が経ち、動けるようになった。

だが俺の持つ本来の魔力に比べ体力がなかなか追いついてこない。

魔法を使い過ぎると体が動かなくなってしまうのだ。

どんなに魔力を持っていても、それを使用する実体としての体が必要だった。

この加減がなかなか難しい。

これが目下最大の悩みだ。

「お~い。靴はもういいのか? そっちまで運べってかぁ?」

「待って。すぐ取りに行くから!」

 見つけた。

丈夫な革靴だ。

俺はそれを急いで自分の足に装着する。

倒れている男の腰にぶら下がっていた、金の詰まった袋もついでに頂いておく。

「おーい。もう出発するぞ」

 こっちに戻ってくる。

俺は荷台から飛び出した。

「あ! おい、どうした?」

 藪の中へ飛び込む。

すぐに異変に気づいた男が追いかけてきた。

「コラ! 待て、このクソガキ!」

 目くらましで姿を消してもいいが、あまり頻繁に高等魔法を使うと、まだ幼い体がついてこられない。

カズを出てから、ほぼ飲まず食わずだ。

出来ると思ったことが出来ず、自ら窮地を招くこともあれば、逆に無理だと諦めたことが想像を越える成果を残すこともある。

とにかく安定しない。

「待て!」

 走るのも遅い。

魔力で体力のなさを補ってはいるものの、そう長くは持たない。

仕方ない。

金は捨てるか。

これで追っ手もあきらめることだろう。

革靴が手に入っただけでも、よしとするか。

俺はその重たい皮袋を、路上に投げ捨てた。

「は? ざけんなよ。金を返せば済むと思ってんのか? 大人をナメんな!」

「くっそ。それで懲りろよ!」

 あっさり諦めてくれるかと思ったのに、意外としつこい。

どれだけ懸命に走っても、どうしたって子供の足では勝てない。

藪の中から再び川岸に飛び出たものの、河原の砂利は山の中以上に走りにくかった。

「おいコラ、止まりやがれクソガキが!」

 ダメだ。

このままでは捕まる。

あまり攻撃魔法は使いたくはないが、こうなっては仕方がない。

俺はその場で振り返った。

呪文を唱えようと印を結ぶ。

『我に歯向かう……』

「うわぁ!」

 不意に、その男は目の前で転んだ。

呪文もまだ唱えきっていないのに、実に不自然な転び方だ。

手をつく暇もなく、額を砂利にぶつけている。

これでは相当に痛かろう。

「だ、大丈夫か?」

「止まりなさい!」

 甲高い声が響く。

そこに居たのは、女の二人組だった。

真っ白な外套に身を包んだ上品そうな女と、その雇われ従者のようだ。

魔法を使ったのは、従者の方か?

「一体、何事です!」

 倒れていた男は、よろよろと起き上がる。

「ビ、ビビさま……」
 波打つ金の長い髪に青い目。

典型的な貴族の娘だ。

「どうしたのですか?」

「こ、このガキ……、いや、子供が、積み荷から靴を盗んだのです」

「本当ですか?」

「……。はい。そうです。ゴメンなさい」

 素直に謝っておく。

もう面倒くさい。

このままここにいる全員眠らせて、その隙に逃げよう。

再び呪文を唱えようとした俺を、貴族の女がパッと抱き寄せた。

「……。この子は、私はいま連れている従者の弟です。大変失礼いたしました」

「はぁ?」

 男は信じられないといった表情で、貴族の女を見下ろす。

「つ、積み荷を荒らされましてね。今履いているその靴も、さっき盗まれたばかりなのですが……」

「そうですか。それはうちの者が大変失礼いたしました。ほんの少しですが、これで許してはいただけないでしょうか」

 腰の袋から金貨を取り出すと、女はそれを男に渡す。

革靴の代金にしては、ずいぶんと高額だ。

「よく言いつけておきますので、どうかこれで許してやってください」

「チッ。全く。ビビさまのお願いでなければ、見逃してはいませんよ」

「はい。申し訳ございません」

「ちゃんと躾けておいてくだせぇよ」

「承知いたしました。しっかりと、そうさせて頂きますわ」

 ブツブツと文句を言いながらも、河原の向こうに男の姿は消えていった。

その途端、従者らしい女の手が、俺の頭をぐしゃりと掴んだ。

「おいコラ。あんた、魔法使えるんでしょ。その能力、イタズラなんかに使うんじゃないよ」

「まぁ、乱暴なことはおよしなさいよ、フィノーラ」

「ですが、ビビさま」

 ビビと呼ばれた貴族の女は、膝を折りしゃがみ込むと、ご丁寧にも俺に視線を合わせた。

「あなた、魔法使いなのね」

 じっと俺の目をのぞき込む。

その白い手を、そっとこめかみに伸ばした。

「まぁ、本当ね。鮮やかな緑の目をしているわ」

 うっとうしい。

この手のタイプの女は苦手だ。

その手を振り払う。

俺はもう一人の女を見上げた。腰までの真っ直ぐな黒髪の女も、魔道士特有の濃い緑の目をしていた。

「さっきあの男を転ばしたのは、あんたの仕業?」

「そうよ。私も魔道士。で、ビビさまの用心棒を二週間前からやってるの」

 歳は十七、八といったところだろうか。

年齢の割には随分と瞳の緑が深い。

それなりの魔力を体内に貯め込んだ使い手だ。だけどまぁ、俺と比べると、間違いなくたいしたことはない。

「まぁ、なんて素敵なのかしら! 珍しい魔道士体質をお持ちのまだお小さい方と、お友達になれるなんて。とても素晴らしいわ!」

 ビビは勝手にはしゃぎ始めている。

くだらない。

ふと川沿いの土手に、七色に輝く石を見つけた。

小さな魔法石の欠片だ。

俺はそれを拾い上げると、口の中に放り込む。

そのままガリガリとかみ砕いた。

「……。あんた。そんなチビなのに、魔法石をそのまま摂取できるんだ」

「珍しいか? まぁそうだろうな」

「さっき、向こうでそこそこ強い魔法の気配を感じた。もしかしてアンタの仕業だった?」

 俺は黒髪のフィノーラに、ニコッと微笑んで見せる。

「たいしたことはないよ。だってまだ子供だからね」

「さっき魔法を使ったから、それで補給してんの? あんな魔法と使った後で、その程度の補給で足りるワケ?」

「まだあんまり、上手く制御出来ないんだけど……」

 フィノーラはスッと腰の短剣を抜いた。

それを構え、俺との距離を保つ。

蓄えた魔力はたいしたことはないが、バカではないらしい。

「あんた、子供の体に貯められる魔力の割りには、随分と難しい呪文を使うのね」

「まぁ。およしなさいよ、フィノーラ。乱暴はよくないわ」

「ビビさま、魔道士を簡単に信用してはいけません」

 そう。魔道士の能力は、見た目や年齢には関係ない。

問題は魔力の蓄積と順化であり、その術式だ。

以前の俺が使っていた、数百年は生きた大魔道士エルグリムの体ならともかく、今は生まれたばかりの、十一歳の少年の体だ。

いくらこれから長く使えるであろう、いい入れ物を作ったとしても、実際に働かせ慣れさせなければ、その能力をものにし、発揮することは出来ない。

「あんまり一度に沢山の魔法石を摂取すると、気持ち悪くなっちゃうんだ」

「そりゃそうでしょうよ。どんな魔道士だって少しずつ体に慣らして貯め込んで、やっと魔法が使えるようになるんだから……」

「お姉ちゃんは、平気なの?」

「私? ……まぁ、それなりにね」

 取り込んだ魔力の蓄積と順化は、個人差が大きい。

魔法を使える人間とそうでないのを分けるのは、純粋にこの体質による差だ。

彼女はそう言うと、腰にぶら下げた小瓶を取りだした。

それをひとくち口に含む。

「ちゃんと加工されて、薬剤化されてるのなら、それなりに飲める」

 なるほど。やはり並の魔道士か。

「じゃ、俺はもう行くね」

「まぁ! どこへ行くというの? もうすぐ日が暮れるわ。今夜はうちに泊まりなさいよ」

「ビビさま!」

 女二人が揉めている。

じつにくだらない。

「悪いけど、あんたらに興味はないね。俺は俺の行きたいところへ行く」

「さっさと行っちまえ」

「まぁ、ちょっと待って。もう少しお話を……」

 河原を歩き出したその耳に、川上から早馬の蹄が響いた。

嫌な臭いがする。

俺はじっと気配を殺した。

さっさと通り過ぎてくれればいいものを、すぐそこで立ち止まり、土手上の一本道から俺たちを見下ろす。

「まぁ、どなたかと思えば、イバンさまではないですか」

「ビビさま。その子供は?」

「フィノーラの弟なんですって!」

 その銀色の、ピカピカと光る鎧に身を包んだ騎士は、兜の面を持ち上げると、じっと俺の様子をうかがっている。

赤地にシルバーの十六芒星の紋章。

聖騎士団の聖剣士だ。

「カズの村から子供が一人、行方知れずになったと聞きまして。今はその子供を探しているのです」

 面倒なことに馬から下り、こちらへ近づいてくる。

「濃い赤茶色の髪に、緑の目だと知らされております。なんでも歳に似合わない魔法の使い手で、散々な悪戯ばかりするやんちゃ者らしい……」

 聖剣士はじっくりと俺を観察している。

「さっきもそこで被害者をみかけたんだが……。フィノーラに弟がいたという報告は受けてなかったな。しかもカズから抜け出したという少年と、特徴がそっくりだ」

 ブルーグレイの瞳に白金の髪を短く切りそろえた、真面目臭そうな男だ。

魔法の“臭い”はしないことはないが、ごくわずでしかない。

使えたとしても、ごく簡単なものだけだろうな。

「名前は?」

「……。ナバロ」

「ナバロ? そうか。私の聞いた名ではないな」

 魔道士である黒髪の女に比べたら、たいしたことはない。

「他に、似たような少年を見かけませんでしたか?」

「いいえ、全然」

 ビビはイバンにそう答えると、俺を抱き寄せた。

「ナバロは、フィノーラの弟です!」

 ビビの強気な態度に、聖剣士はため息をつく。

「ビビさま。お話は今夜、館に戻ってからにしましょう。フィノーラ、この子供をしっかり見張っておけ」

「はぁ? なんで私がそんなことまで!」

「まぁ、イバンさま。それならお安いご用よ。ぜひお任せあれ。私が責任を持ってお引き受けいたします。今夜の夕食を、楽しみにしておりますわ」

 その言葉を確認すると、聖剣士はようやく背を向けた。

繋いでいた馬の元へ、土手を上がってゆく。

「いや、俺はもう行くからさ……」

 小声でささやく。

逃げだそうとした俺の肩に、グッとビビの手が重なった。

土手に上がった聖剣士は、なにやら鎧の具合を整えている。

「あら。私がここで叫び声をあげたら、聖騎士団の聖剣士さまたちによる、大規模な捜索が始まってしまいますけど、よろしくて?」

 お堅そうな聖剣士は、ようやく馬にまたがった。

それに向かって、ビビは手を振る。

聖剣士も片手を上げ挨拶をすると、やって来たカズ村の方向へ向かって走り出した。

「さ、もうこれで、逃げられませんわよ。私のお家にいらっしゃい」

 彼女はにっこりと微笑んだ。

くそっ。

とんでもない寄り道だ。

だけどまぁ、この幼い体は、もう完全に疲れ切っている。

転生した村を抜け出し、丸二日飲まず食わずなうえに、ほとんど寝ていない。

休息は必要だ。

魔力で何とか誤魔化していても、やがて動けなくなる。

「……。分かった」

 黒髪の魔道士が突っかかる。

「はぁ? そういうところは案外さっさと引き下がるじゃない。あんたなんかが来ても、いいこと全然ないよ!」

「分かってるよ」

「さぁ、フィノーラ。急いで帰りましょう」

 それでも、今夜の寝床と食事を確保できるのはありがたい。

俺は上機嫌のビビに手を引かれ、ゆっくりと土手を上がる。

街道へ戻り、待たせていた馬車に乗った。

昼下がりの森の中を、ゴトゴトと揺られてゆく。

やがてポツリポツリと家が見え始めた。

田畑の広がる小道を抜け、町に入る。連れて来られたのは、ルーベンの中央に位置する立派な館だった。